「だからもう会えないやごめんね」
って歌詞のうた、じゅじゅのchunちゃんがキャスで言ってた歌を新宿で誰かが歌っていた。
わたしがキャスをするならばどうやるか?と考えていた。
音楽は流したい、それについて語りたい、朗読、どこから聴いても好きなところで好きな言葉を拾えるような、誰も追い付けなくならないツイキャスとかしてみたい。
わたしが鼻をこすったら駅員さんも鼻をこすったのでわたしたちのコミュニケーションはうまくいったと思った。これは空腹ではない、哀しみなのです、日曜への喪失感、ありがちな症候群、だから恐れる必要はない、これはまた新たな1日を消費してしまったことへの、どんな形であっても、楽しくても苦しくても消費してしまったことへの、喪失感なのです。
空腹ではない!!!
決して空腹ではない!!!!
胸から顔が飛び出ているおんな、と無駄に主張するじぶんの乳、をさらに際立たせるショルダー、の紐。
乳同士、ぶん殴り合う帰りの青い電車。
とりとめのない会話はとてもとてもわたしを癒すのですが、同時にわたしはおかしくなかっただろうかと不安になる気持ちもまたとてもとても大きいのです。
頭の奥から枝が伸びてきて頸をまわって頭頂に届く、その枝の先にも花は咲くんだよなあ、でもしばらく水をもらっていなかった枝は次いつ咲くかわからなかった。
きせつがわからないの。秋に間違って咲いてしまったの。誰よりも早く咲こうと思ったの。誰にも負けたくなかったし誰よりも美しくなりたかったの。なのにわたしが頑張って咲かせたそのきせつはとても寒く、これから寒くなっていくきせつで、わたしひとりしか咲いているものはいなかった。まわりはくすくすわらった、わたしはたしかに注目を得たかった。みんなに見てもらいたかった。けれど求めているのとは違った意味の注目がわたしに集まった。
まわりはくすくすわらった
春になってみんなが楽しそうに咲き誇りみんなに祝われているなかでわたしはひとりきりわたしはひとりで全てが終わった閉じた女のように枯れ果てて骨は弱くギリギリと歯軋りするそばから歯はこぼれおち。
秋に咲いた桜は春には花を開くことができないと誰がどうして決めたのか。
かみさまよ、もしいるのであれば。
と早咲きの桜は泣いた。
梅なのに桜と見紛われたかわいそうなお花がにこにこと咲いているしかしあなたを見る必要のある人はあなたの目の前にはいないあなたをほんとうに求めている人はここにはいないあなたをほんとうに求めているのは今も牢獄の中にいるひと、あるいは自分で鍵を閉めたひと、あるいは金銭をもたぬもの、あるいはひとりきりで誰とも繋がらず精神を渇かしたひと
でもあなたをわざとみにきたひとから目をそらす理由にはなりません。お花よ。