ぴいなつの頭ん中 -6ページ目

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

さびしんぼうなのでTwitterやめることにしました。
けどアカウントは残しておきたいと思います。
お墓みたいに。
告知やキャスはやらねばならないし。
気まぐれだから、いつまでやめる状態を続けられるかわかんないし。
Twitterでやりとりしたたくさんの人たち、仲良くしてくれたたくさんの人たちのことを大切に思ってるので、アカウントを消滅させて完全に消えることは無理でした。
いつまでたっても誰よりも未熟で誰よりもダメ人間だ。

あっくんが生まれた日

忘れもしない

チョコレートが大好きだった小さくて白い犬の話

いつも小説みたいな記録を書くねと言われていた

八百屋の一番よく見えるところにひとりじめスイカが売っている

夏が来たんですよ

夏が

散歩していると研ぎ澄まされる

年々わたしの意識ははっきりしていくように思う

幼い頃が茫漠としているのは

記憶が褪せかけているせいなのか

飛ばされてしまったのか

それとも

わたしはずっと昏睡状態だったんだろうか

コーマスケールにも測れないほどの些細な意識障害

喪失していくのは

些細で幸せなひとときたち

つらい時の記憶ばかりが

マラソン大会の風景

カレーの匂い

はっきりとしている

なんで給食ってどこも同じ匂いなんだろう

慢性病棟もそう

どこに行っても甘ったるく煮こまれた匂い

人間の動物臭さってこういう匂いなのかもしれない

愛してきたものたちのこと

そのいくつかは忘れてしまっている

大好きだった絵本のタイトルをわたしは

思い出せない

コロナ禍による自粛が相次ぎ、感染症の不安と立ち向かいながら仕事をしつつ、爆発的な気晴らしやひととのふれあいができないのに仕事ばかりは続く現状を打破するために、書くことでセルフケアを行おうと思う

みんなそれぞれで努力している。お家生活の充実。配信による共有、会合、ライブ、などなど

わたしは基本紙の日記をつけているけれど、紙が手元にないときでどうしても問題行動を起こしそうになったときにこういう文章をちまちま書きためておくことにした。
自分の振り返りが、結果的に人へのケアに役に立つということがちゃんとわかっているから。
精神科領域では、自分の傾向を知らないで他人のケアなんかできるわけないのです。

わたしは家にいるのが基本得意ではない。外に出るのも面倒な時はあるけど、それでも家の中にいるときは『無為の時間』と決まっている。布団かソファに横になって過ごすのが自宅での時間と体に刻み込まれている。外に出るときは『外の時間』、わりとこれは意欲的で躁的な時間となる。活動の大体がここになる。何か書けているときは『創作の時間』であって、でも家にいると指一本動かすのも面倒なくらいとろけてしまっているので、大体カフェに篭る。特に昼間、家で何かをすることに成功したことはあまりない。料理かギターくらいか。

自粛によってわたしの無為の時間は格段に増えた。
無為は睡眠時間のように、増えすぎても減りすぎても自分をすり減らす。自分に合ったちょうどいい時間と質の『無為』にしか、自分を休め癒す力はないと言える。
しかしスイッチは『無為』のほうに傾いたまま。いつもなら寝るべき時間なのにまだ起きているみたいな感覚である。リズムの不穏なズレを感じる。

わたしは、この無為の中で、おうちで何かを楽しもうとしても楽しみきれないのだ。例えるなら…夜中に食べるラーメンは格段にうまいが、それが毎日続くと胃がもたれてしまって楽しくもなくなる。
夜にライブをしないし人との約束もないから、時間はたくさんあるのに、目の前に積まれた本たちにどうしても集中できない。
締め切りの文章、書きかけの小説、もう少しで仕上がる本、などがたくさんあるのに、時間だけが使い古しの伸びきったゴムのように撓んでまとわりつき、「1日が早く終わらないかな」とまで思うようになった。

もちろん配信は楽しい。オンライン飲み会も、ライブも、LINEや電話で友人と連絡を取り合うことも楽しい。

でも伸びきった時間は、つかんでも縮んだり弾けたりしてくれない。帰りにさびしくなりながら電車に乗る感覚、行く前に準備をして、夜気にあたりながら目的の場所に急ぐ感覚。時間はそういう時に風船ガムのように弾ける。

代替的な楽しみ方を得たとしても、今までの楽しみのうちの何かが失われたことを、否定することはできない。

気持ちを切り替えて、患者さんたちや家族たちや仲良しの人たちなど大事な人の命を守るために、おうちで頑張らねば、おうちで楽しまねばいけない、おそとであそびたい、みんなとあいたいなんて、わがまま言っちゃいけない、こんなことで悲しんだり悩んだりしてはいけない、と無意識に思っていたのかもしれない。

今わたしたちのくらしは避難生活なのだ。ストレスかかって当たり前であるし、時間がいくらあっても読書や書き物に集中できるわけもない。

不安に囚われてぶるぶるしすぎるのもよくないが、不安なんかないふりをするのもよくないな、と思った。
いまつらいこと、どういうことがつらいのか、どんな下らないことでもいいから自分で認めてあげる。

認めてあげないと、行き場を失った感情がわけのわからない方向に暴走する。
電車の中でマスクをしていない人や咳をした人を責めたり、いろんなものをまとめて買いあさったり、ごはんやお菓子をありったけ食べまくったり。
それが、窮地に陥った時に起こる自然な反応なのかもしれない。

案外、自粛生活が普段の生活と変わらないという引きこもり気味の患者さんたち(訪問先の)の方が、わたしなんかよりも落ち着いてあっけらかんとしていることがある。
統合失調症の慢性期、意欲がマイルドに低下した状態が維持されている人たちほど、なんだか今の状況にうまく乗れている気もする。

不安になっちゃいけない、わがまま言っちゃいけない、楽しまなきゃいけない、みたいな謎の義務感からは、彼らは解放されている。
彼らを見習って、すこし「こうでなければならない」から解放されることができたら、もうちょっと楽になれるのかもしれない。


ちゅんちゅんはね

籠の中で寝てるの

だからまた遊ぼうね

また起きたときに遊ぼうね


ちゅんちゅん軽く目を開いた


どうして鳴かないの

ちゅんちゅんに声をかけました

ちゅんちゅんは黙っています

黙ってこっちを見ています

フン、と鼻を鳴らしました

フンもちょっぴり出しました


フンじゃだめなんだよ

もっと大きな声で

たくさん鳴いて

世界を憂いて

思想を話して

心を打ち明けて

思ったことを言って

社会について話して

想像の世界について話して

もっとこれからどうなるんだろってみんなが期待するような話をして

面白い話をして

面白くない話をして

もっとみんなが「なるほど」と思うような

みんなを泣かせちゃうようなそんな話をして

されて辛かったことの話をして

美しい声で話をして

思ったことを叫んで

もっと大きな声でたくさん鳴いて

もっとだれにも負けない声でたくさん鳴いて


ちゅんちゅんは何も言いません

ただこっちを見下ろしています


ごめんね

ちゅんちゅんは何も言えません

今は何も言えません

わたしができることがまだあるなら

話の聞き手になることだけ

たくさんの声に耳を傾けるだけ

ちゅんちゅんはここにいるけど

今は何も言えません


ちゅんちゅんはわたしの心の中で鳴く小さな鳥

かわいくてちいさくてたまに乱暴で

でもとてもいい子

ちゅんちゅんはもう何も言いません

どうしてか何も言わなくなってしまったのです

そこにいるのに

そばには鉄柵が張り巡らされ

ちゅんちゅんの体からは自由が失われています

どうしてか何も言わなくなってしまったのです


ちゅんちゅんを籠から出して手のひらで包むと

ちゅんちゅんはやさしく指にかみつきます

ちゅんちゅんの目が潤んでいます

ちゅんちゅんは鳴きたい、いつだって鳴きたい


でもだめなのです

ちゅんちゅんは鳴き方を忘れてしまったの

どういうときに鳴いてどういうときに笑ってどういうときに騒いでどういうときに愛していいか分からなくなってしまったの

ちゅんちゅんの目が潤んでいます

やさしくてまるくて、綺麗な目

ちゅんちゅんは鳴きたい

もうちゅんちゅんを縛るものは何もないのに

ちゅんちゅんは縛られた形のまま固まって

自分がまだ縛られているかのように きつそうに手の中でいびつな形をしています


ちゅんちゅんは鳴きたい、いつだって鳴きたい

幸運の印を逆さまに貼って

幸せになりたいと思いました

てるてる坊主を逆さまにするのは雨を呼ぶためだって言いますね

幸運の印を逆さまに貼って

真っ赤な布に金色の文字 はらり

幸せになりたいと思いました

億劫な頭で草も木も寝ているところを見つめながら明け方になりました

誰のかわからない糞便がありました

お風呂に残った糞便は流れることも取り除かれることもなく、体の不調を暗示していました

お湯を沸かしてそのままにしておきました

わたしはいつかこんなふうに幸せになれるんでしょうか