ぴいなつの頭ん中 -5ページ目

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる


Twitterで架空の街を紹介するタグにて書いた街の設定。



1.駅前が充実してるんですよ北口が海、南口が山につながっていて、そこでとれたものはみんな好きに持って帰っていいことになってるのです


2.海は有数の美しい海水浴場として名高く、駅舎にあるレンタル水着を着ていつでも手ぶらで泳げるのです


3.山のほうではおいしいきのこがたくさんとれます、雨を降らすきのこ、3分間だけ背が伸びるきのこ、掌サイズになれるきのこ、きのこに変身できるきのこなど。山の中にはいくつかの小さなご飯屋さんがあって、それらのきのこやら珍しい山菜を美味しく煮込んで安く提供してくれるようです。


4.中央口から出ると、世界一小さな時計塔が見えると思います。とても小さいので重厚に、何重にもじょうぶな箱でつつまれているのでかえってめだつのです。

大きさは世界一小さいですが鳴らす音は箱に内蔵された特殊なスピーカーで街中に響くように調整されています。


5. 時計塔を中心にして半円で囲むように、広場にはお店が並んでいます。

向かって左から紅茶の店、クッキーの店、ケーキの店、バイオリンの店、ピアノの店、歌を売る店。

わたしは歌を売る店がいちばんすきです。ここに売っている飴を口にすると、口から歌が流れ出るのです。口を塞いでも鼻から出ます。


6.中央広場はわりと都会的でいつも人々でごった返しています。今年の流行はスチームパンクだそうでみんな、壊れそうなボロボロの機械みたいになってギシギシ音を立てながら街を歩いています。


7.ケーキとクッキーのお店の間をぬけていくと、大きなお城が目の前を覆います。シーラッハ城です。今では街の人たちに人気のテーマパークとなっていますが、かつてはここで強制朗読が行われていました。罪人は罰として、飲食も排泄もできず死ぬまで詩を朗読させられました。


8.詩が人を苦しめるための道具として使われていたという史実を、重く受け止めなくてはなりません。当時の王様は強制朗読の様子を見てたのしみ、気に入らなければ罪人を即ガス室に送りました。面白い詩を読めた者のなかには、出世して王のもとで働けるようになった者もいました。


9.シーラッハ城は現在詩の朗読のボクシングやスラムが行われるテーマパークとなっており、城の中にはいくつものリングが設置されています。また、スケートリンクやスキー場やゴルフ場もあり、あらゆるスポーツを楽しめる場としても親しまれています。


10.この街の名産品はたくさんありますが、ここが若者に大人気の『ラー油チョコレート」の発祥の地といったらこの街の豊かさがすぐにわかるでしょう。お菓子にもなりごはんにもなるという新しさに、2015年には生産が追い付かないくらいのたいへんなヒットとなりました。


11.ラー油チョコレートの専門店は城の中にあります。この街の中ならスーパーにもコンビニにも売っているのできっと手に入れるのは簡単でしょう。シーラッハ王印のラー油チョコレート、お土産にぜひいかがでしょうか。専門店ではラー油チョコレートがけのチュロスや餃子なども販売されています。


12.少しドローンカメラからの景色をご覧ください。駅から10キロ離れるとようやく住宅街があらわれます。この街の人の交通手段は主にロケットなので、このくらい遠くてもあまり困ることはありません。自家用ロケットで通勤や通学をしているのです。


13.この住宅街の特徴といえば、どの家もみんな合掌造りを採用しているということがまずあげられるでしょう。冬にはライトアップもされ、茅葺の屋根にこんもりと乗った雪の景色を楽しむことができます。


14.トイレに行きたくなりましたか?ここでは街のあらゆるところにトイレが隠れています。大きな声でオシッコ!と叫んでみてください。あなたのいるところから一番近い便器が地下から伸びてきて、股の間に接着します。付属されているチューリップのような形の覆いが排泄中は全身を隠してくれます。


15.ドラッグストアやスーパー、コンビニなど日用品を購入する場所も地下に潜っていることが多いです。蜥蜴の尻尾とよばれる魔法陣が街中の歩道そこかしこに描かれていることに気がつきましたか?お手持ちのスマートフォンで魔法陣を読み込めば、ホログラムで店舗が出現しすぐに買い物ができます。


16.この街の伝統工芸を見にいきましょう。住宅街からもう少しはずれたところ、駅からは20kmほど離れているところにギャラリーに併設した工房があります。珍しいピアノをオーダーメイドで作っている工房です。木の匂いがしてきましたね。


17.珍しいピアノといってもただものではありません。曲調と弾くテンポに合わせてカクテルを作る「カクテルピアノ」、子供用にキャンディを出してくれる「キャンディピアノ」絵画を見せると世界観を汲んで演奏してくれる「絵画ピアノ」などなどきっとお気に入りを見つけられるはず。


18.良い街には良い女が住みつくといいます。この街の女性たちは皆強く、そして美しく、いつでも新鮮な感性を持って生きています。


19.医療面ですか?街には大きな病院が3つあり、そのほか小さなクリニックがいくつも点在しています。精神科病院だけはどこにも見当たりません。みんなが在宅で過ごせるように法を整備したら、だれも入院する人がいなくなってしまったのです。


20.え、本屋さんの紹介がないって?駅前に戻りましょう。時計塔の前に小さなドリンクスタンドがあったのを覚えていますか?そこで飲み物を一つ買って飲むと、時計塔の中に入れるようになるのです。中には、全世界から集めた最高の書籍たちが所狭しと並んでいます。お気に入りを見つけに行きましょう!


21.蛇の抜け殻の魔法陣に気づきましたか。それは図書館をあらわしています。魔法陣の真ん中に立って足踏みをするだけで、今度はホログラムでなく実体の建物が出現します。


22.映画館はすべて地下に潜っています。そこの階段を降りていくんですよ。トイレとは違う配管なのでご安心を。

月に一回、この中央広場で、広場全体を映画館にする催しが行われています。その日になると街中の人だけでなくあちこちから人が集まって、お菓子を食べながらわいわい映画を楽しむのです。


23.ブンチョウが寄ってきましたねこの街にいちばん多く生息している野鳥です。あっ、モンスターボールを向けないで。みんな大人しくていい子なので、炊く前のお米をあげると喜んでついてきますよ。


24.山のほうにあるかわいいシンデレラ城みたいな建造物は、ラブホテルです。

トリックアートをふんだんに利用した内装となっており、軽くスリルも味わえると評判です。

ロケットの駐車場も充実しています。


25.地酒ならおすすめのものがあります。小豆で作ったお酒です。その珍しさをはじめ、ほのかな甘みとやわらかい香りで人々を夢中にする逸品。ミルク割りがお勧めです。


26.中央広場のクッキー屋さんにインタビューをしてみましょう。クッキーの焼ける暖かい匂いがしてきます。「たまに猫が来て大量に買い占めていくんだよ。焼く前の生地がすきで食べに来る猫もいるね。やっぱり隣町が猫の街だから仕方ないのかねえ」だそうです!!!


27.街をランニングしているおじさんに聞いてみました。「あそこの道をビューっといってジャーッと曲がったとこにね、ロケットの工場があんのよ。子供向けにおもちゃのロケットなんかもつくってて見たら面白いと思うよ!折り紙工場の二軒先ね!」


28.コロッケ屋さんの「おにく」でラー油チョコレート入りのコロッケを食べながら、住宅街と程近い商店街を歩いていきます。暖かい部屋着からセクシー水着まで何でも売っています。脂肪を買い取ってくれるお店もあるのだけど、会員制で会員費がちょっとお高めだとか。


29.商店街にあるカフェは動物雇用制度が充実していて、動物のための就労支援事業所が所有している店舗が5つほどあります。食べ物に困り山から降りてきた動物たちにカフェで働いてもらい、報酬はそれぞれが希望したものを支給しています。

ウイルスのことを全く考えず、日常生活についてのみに焦点を当てて話します。自己中日記です。

5月中旬あたりから、いやもっと前からか、繰り返し見ている夢があった。
数学のテストがあるのにテスト勉強はおろか教科書を開くことすらしていない状態。しかもテストに遅刻しつつあるのに、家事が全く終わらない。半は諦めつつも不快な気持ちいっぱいで目覚める。

夢占いで何かの兆しを占ってみようとしても、結局よく分からなくて不安になるばかりで、わたしは無意識の世界に救いを求めることにした。
無意識が焦っていて不安を夢で見せてるだけ、と。

6月に入ってみたら意外と満員電車はまだそこまでではないし、カフェや映画館は再開してわたしの癒しが戻ってきたし(まだ行けてないけど)、書店で本を手に取ってバカみたいに買ったりすることまでできたし、突然日常が戻ってくる恐怖感みたいなものは、まだそこまで強くわたしをさいなむ様子はない。

追いつかなきゃなと思った。
それは何かから(自分からもまた)強制されているような義務感ではなく、長いこと殻に篭っていたところからそろそろ出てみようかな、この外の波に乗って泳いでみようかな、という自然な気持ちだった。
実際に行動を開始すると、思っていたよりも動きがあること、自分の手足が意外と自由に動くことに気づいたみたいな手応えをほんの少し感じた。

高校のときの数学の先生は「考えるよりもまず先に手を動かせ」と繰り返し言っていたなとふと思い出した。

わたしの夢の中で数学がひたすら訴えてきたのは、自分が苦手を意識していながらやらなきゃとおもいつつやらなかった教科という意味だけでなく、こんな意味までもこめられていたのかもしれないと思った。

コロナ以前と自粛の時と生活は変わっていないようでいてもだいぶ変わってしまっていて、活動や交流がないことに少し慣れてきてしまっている。これが体力温存できてラク、みたいな気分になっている節もある。5月はライブハウスに行っていないし出てもいない。家で本を読んだり動画をみたりして休息していて、たまに配信などで満足し、おかげか一度も、欠勤したいほどの体調不良には襲われなかった。

そういう過ごし方が自分のある部分を救うという面もあると気づけたこと以上の意味はない、と思いたい。
これから一生ライブハウスに行かないなんてことは多分、わたしにはできないんだと思う。なんだかんだ現場でだけなのだ、「ああ、明日も頑張って生きよう」って実感できるのは。
仕事休みたいほど疲れていたとしても、それを乗り越えられるくらいに楽しいことを追求したい。

コツコツやるのはとてもとても苦手なのだけど、やりたいと思う気持ちを忘れないでいろいろなことにまた着手していこうと思う。

明日から満員電車なんだろうか。

緊急事態宣言とはなんだったのかと方々で声が聞こえてきている。

わたしはほとんど何も変わらない生活をしていた。ライブがないぐらい。

とんでもなく安らかだった。知らない人と関わることが減るって、こんなにしあわせで楽なことなんだなと思った。

満員電車や街中や、知らない人だらけのライブハウスなど、わたしにはかなりのストレスだったのかもしれない。

基本、人が怖い。人間ぎらいとかかっこつけて嘯いてみても、やっぱり根底は恐怖心。なにしだすかわからない、どう出てくるかわからない、自分を簡単に傷つけ殺すこともできる他者の存在が怖い。わたしは簡単に精神的に死んでしまうので、身体が傷つくことよりも心が傷ついて精神がダメになることの方が怖い。

精神を傷つけられることは加害者自身すらも無自覚のまま、急に起こりうる。

誹謗中傷はいやだしつらいし、ない方がいいけど、それでも誹謗中傷を受けるくらい誰かの心に引っかかりたかったし人から知ってもらいたかったしその何倍も、愛されたかった。


もう無理なんだろうなと思いつつも、頑張っているみんなを見ている。興味を持つって簡単なようで難しい。そのハードルを易々と超えていきたくなるようななにかをわたしは人に対して提供できていたんだろうか。


誰かの真似をすれば、誰かみたいになれれば、うまくいったんだろうか。

わかりやすく、ポップで明るく、面白く。

みんな同じ、見たことあるものの方が入っていきやすい、そういう味がしそうなものを食べる、食べたことのないものはわからないと言って手をつけないで捨てられる。

綺麗になることの意味?自分を磨くことの意味?そんなものはない。振る舞い方次第でしかないので見た目をどう磨いたところで何かが変わるわけでもない。

愛されてみたかった。

天才であることがつらいと言って泣きたかったな



坂口恭平「躁鬱大学」


https://note.com/kyoheisakaguchi/n/n35a2eb4599f6


これがほんとーにすごい読み物であった。

要は躁鬱病(双極性感情障害)をもった坂口恭平さんが、自身や、みずからと同じ傾向をもつ人たちのことを「躁鬱は体質だ」という神田橋條治先生の言葉をかりて「躁鬱人」と呼称し、その特徴、生態と、楽に生きるためのライフハックを紹介する、というように見えるnoteである。


というように見える、というのは読み手からしたらそう見えるというだけのことで、実際ほとんどの内容は坂口恭平さんが自分に向けて、自分の特徴を客観的に見て書いたものであるそうで。

それがあたかも、自分に向けて優しく語りかけ、理解してくれて(これが「なんでわかるの?!わたしの心を読んだの?!」と思えるほどに的確で細やかな分析のもとに成り立っているのである)寄り添ってくれているように読むことができるのは、坂口恭平さんのちからなんだとおもう。

坂口さん自身は、躁鬱人が人に親切にするのが好きで上手なのは、元から親切な人だというよりも、人から「すごい」と思われたいからだと言うが、このほめられるためにかけるエネルギーの分量が半端ないのもまた躁鬱人の特徴なのだ。


神田橋條治先生のテキスト「神田橋語録」(これ普通に公開されてるからwebで読めるよ。


http://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf


これに沿ったり話があちこち飛んだりなどしつつ展開する全17回の長文。しかし、当事者はうつの時なんかは特に、長文を読む気力がなくなる。そんな時のために、坂口恭平さんのnoteの記事は音でも聴くことができる。さらにうつになってどうしようもない時のために、坂口さんは自分の電話番号も公開している。


「躁鬱人は体質、だから非躁鬱人みたいにならなくていい」という言葉がどのくらい、躁鬱人にとって救いになることであろう。フツーにフツーのことができない、すぐに飽きてしまう、一個完結してないのになんか次の新しいことをはじめてしまう。急に気力がなくなって全て投げ出す。これって悪いことなんだろう、普通ではないことなんだろうと悩み続けてうつの時に自分をひたすら責めまくる、できない自分とできた時の自分が違いすぎてギャップにどんどんつらくなる、でもそれが躁鬱人にとってのフツーだし、なにも責めることはないんだと教えてくれる。

しかもこの躁鬱人と非躁鬱人の違いが詳しく述べられているから、具体的に「ここは違っても無理に非躁鬱人に合わせなくていいんだな」と参考にできる。


・躁鬱人には自分がない、つまり他人から見た自分しかない

・他人から褒められることが何よりも栄養

・いまなにがしたいか常に自分に問いかけ、自分にとって気持ちいいことをしよう

・常に心の向くままに、「万華鏡のように」生活しよう


それでいいのだと肯定されたような幸福感。


自分の振る舞いについてもそうなんだけど、それだけじゃなくて看護師としても勉強になった。

躁鬱の人には今まで、「波をできる限り穏やかにするために、躁のときもなるべく静かにしてましょう」なんて言うよう習っていたけども、とんでもない。退屈も鬱を呼ぶ。行動を躊躇ったり我慢していることも体に悪い。力を抑えなくてもよかったんである。

これからはわたしも「今何がしたいか自分に問いかけて、なるべく楽しくいろんなことをしていいんだよ」って患者さんたちに自信を持って言えそうである。

また、寂しいから鬱になるんじゃない、鬱になるから寂しさを感じるんだ、ということも刺さった。

読みながら、孤独感を抱えながらニコニコして、看護師にまで気を遣っている躁鬱人のことを思い出していた。


あと心がすっとしたこと(要約)

・きちんとやらなくていい、テキトーでいい

・窮屈感と、きちんとしなきゃという感覚と、怒りにはじゅうぶん注意せよ

・楽しいと思えた時にバーっと突っ走ることが、非躁鬱人にとっての努力に値するので、無理に努力しようとかしなくていい


最後に、

16回の引用をさせていただこう。


"自分に興味を持ってくれてる人=仲間を探すんです。

躁鬱人は根っからの適当な人間であるにもかかわらず、人の顔色を見て気持ちを伺うという矛盾した存在ですので、仕事なんかの時は、つい、適当な自分を押さえ込んで、相手から依頼された通りに、それこそ額面通りに、四角四面にやろうとしてしまいます。もちろん、適当な人間ですから無理なんですが、真面目にちゃんとやろうとします。そうすると、努力発生の黄色信号なんですね。でもその裏には、とんでもない結果を残して世界最高と言われたいという野望も隠れちゃってます。そんなわけで努力している自分も世界最高と言われるためには仕方がないと思ってしまい、努力を肯定しちゃうんですよね。でも必ず窮屈になります。そして、ひどくなれば鬱になります。そこでこう考えてみるのはどうでしょうか。

「もうすでにお前は世界最高である」

 と一度自覚するのです。


世界最高ですから努力はする必要はありません。あなたが持っているものだけを全て発揮すればいいんです。依頼に合わせて、きっちりやる必要もありません。カンダバシは「ちょっとだけはめを外すことがストレス解消につながります」と書いてます。依頼されたことよりちょっとだけはめを外して、提案するくらいがいいかもしれません。なんでもやりすぎると、下品です。上品にやってみようと心がけてみるのはどうでしょうか。そうすれば、指先にまで力を感じて、気持ちよく行動できるはずです。あらゆる行動が全て実は非躁鬱人にとっての練習とか努力に当たるような力を持ってます。何かのために必死に努力、練習を積み重ねるのではなく、やっている行動自体が常に努力、練習になっているというわけです。それが躁鬱人です。


しかし、注意すべき点は何かのイチローではあるが、それが何かは誰も知らない、自分も知らない、と言うことです。


 とにかくわれわれ躁鬱人はこの現世のすでに存在しているなんらかの職業の世界最高ではありません。何かは誰にもわからないのです。今の職業の区分では見つけ出すことができません。それくらい別次元の世界なわけです。


ちなみに非躁鬱人は私の人生は不幸だ、終わりだ、絶望だと強く落ちていかない代わりに、「生きてて今とんでもなく幸せだあ!」とわれわれが時々感じるあの感覚がないらしいですよ。われわれ躁鬱人は幸福とは何かを追い求めることができる、希望を狩猟採集する、ハッピーハンターなわけです。生まれてきてよかったね。"


こんなに素晴らしい福音はあるだろうか。

これ読んでちょっと泣いちゃったんである。

もうこの素晴らしさを伝えるにはわたしの筆では足りない(しかも何文字あっても足りない)から、このブログ読んだ人は本文も読め。マジで。ていうかわたしの文章なんか読んでるヒマがあったら坂口恭平さんの文章読め。


ちなみに鬱を生き抜く時のコツもほんとにすごいことばかり書いてあるよ。これならやれるやん!ていう具体性が流石だと思う。






詩のないからだはぬけがらだ

がらんどうのおなかの

音もしない脂肪を毎日少しずつ削り取って生きている


気に入らないなら石でもなんでも投げればいいけどわたしの心には絶対に当たらない

はっきり言ってくれればいい あなたがきらいだと

あなたのその詩はわたしにはいみがわからないと

無関心よりも全力の嫌悪感を示せ

見てからじゃないとわからないその再生ボタンを押せ

見てからじゃないとわからない

その

再生ボタンを

押すんだ


わたしの心にあなたの投げた石が当たってひどい傷をつくるまで

わたしの心が血を流してすすり泣くまで

わたしのことを

ひらいて中身を見てからなら何を言われても構わない

はっきり言ってくれればいい あなたが目障りだと

その違和感の理由をきちんとあなたの中で明らかにしてからなら

わたしを嫌いな理由をわたしの前でちゃんと言えるなら


わたしはいま誰からも知られていない塊

嫌われもしなければ愛されもしない

わたしの心を開くにはわたしの言葉を読めばいい

わたしの心に入り込んできてくれたら

わたしはあなたの手につめをひっかけて

もう2度とわたしを閉じられないように

つかまえてやる

目を逸させないようにしてやる

そうよ

心の中に咲く花はいつでも待っている

次の獲物を


(朗読   1:30くらい)