ウイルスのことを全く考えず、日常生活についてのみに焦点を当てて話します。自己中日記です。
数学のテストがあるのにテスト勉強はおろか教科書を開くことすらしていない状態。しかもテストに遅刻しつつあるのに、家事が全く終わらない。半は諦めつつも不快な気持ちいっぱいで目覚める。
夢占いで何かの兆しを占ってみようとしても、結局よく分からなくて不安になるばかりで、わたしは無意識の世界に救いを求めることにした。
無意識が焦っていて不安を夢で見せてるだけ、と。
6月に入ってみたら意外と満員電車はまだそこまでではないし、カフェや映画館は再開してわたしの癒しが戻ってきたし(まだ行けてないけど)、書店で本を手に取ってバカみたいに買ったりすることまでできたし、突然日常が戻ってくる恐怖感みたいなものは、まだそこまで強くわたしをさいなむ様子はない。
追いつかなきゃなと思った。
それは何かから(自分からもまた)強制されているような義務感ではなく、長いこと殻に篭っていたところからそろそろ出てみようかな、この外の波に乗って泳いでみようかな、という自然な気持ちだった。
実際に行動を開始すると、思っていたよりも動きがあること、自分の手足が意外と自由に動くことに気づいたみたいな手応えをほんの少し感じた。
高校のときの数学の先生は「考えるよりもまず先に手を動かせ」と繰り返し言っていたなとふと思い出した。
わたしの夢の中で数学がひたすら訴えてきたのは、自分が苦手を意識していながらやらなきゃとおもいつつやらなかった教科という意味だけでなく、こんな意味までもこめられていたのかもしれないと思った。
コロナ以前と自粛の時と生活は変わっていないようでいてもだいぶ変わってしまっていて、活動や交流がないことに少し慣れてきてしまっている。これが体力温存できてラク、みたいな気分になっている節もある。5月はライブハウスに行っていないし出てもいない。家で本を読んだり動画をみたりして休息していて、たまに配信などで満足し、おかげか一度も、欠勤したいほどの体調不良には襲われなかった。
そういう過ごし方が自分のある部分を救うという面もあると気づけたこと以上の意味はない、と思いたい。
これから一生ライブハウスに行かないなんてことは多分、わたしにはできないんだと思う。なんだかんだ現場でだけなのだ、「ああ、明日も頑張って生きよう」って実感できるのは。
仕事休みたいほど疲れていたとしても、それを乗り越えられるくらいに楽しいことを追求したい。
コツコツやるのはとてもとても苦手なのだけど、やりたいと思う気持ちを忘れないでいろいろなことにまた着手していこうと思う。