ぴいなつの頭ん中 -25ページ目

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

どう考えてもおかしいことがあって
住人がどんどん減少しつつあるんですね
世界の振動、私の振動、キーをタッチする時どうしても
かたかたたーんしてしまう現象、
それでゆれて本が落っこちてまた崩れてのやり直し。
カタカタターンをすこしだけずらすとそれだけで、
私の脳がおぼえていたローマ字かなの出し方が全く混乱する。

ああ、紅茶をいれてたんだった。

私は私の記憶に全く自信がないので、私がいつまでも憶えていることを
私以外の人が憶えてなかったり「そうだったっけ」とか言うとものすごく
ものすごく安心するんですよ~。
私に影響なんて受けないでください。
私の領域を侵犯しないでください。
私があれをしたりこれをしたりするのは私の個性であり自由であり、
商売なのですから。
こっちこないでください。
思ったこと書いたものこちらに大公開され、
そうですかふんふんと思って見ていて楽しいんだけれど
私はますます自分に何もなさを感じてしまい
それをかわいい動物やおいしいごはんや特撮女子の教訓譚に変換することも
ままならず
なんだかな、焼く前のクッキー生地状態でも舐めてくれるなら書いちゃうしさ、
あんたたちが私の口調やボキャブラリーを真似してくることで
私はとっても居心地が悪いのですよ
真似するってことは少しでも尊敬していないと生じない現象であると
でんぱちゃんが言ってましたのでそれはうれしいですしいいんですけど
私はそれをされることで消えてしまう。ガーゼだもの。
それをどこに吐いていいのかわからないまま、結構時間が経ってしまって
書け書けと自分をせかすテーマなんかも増えてきまして
とってもいいこと結構なことうれしいことですけれども
はけぐちとはちょっと違うような様相になってきましたね。
私はぐちを書きたいのではなく、
私に関する、思いを整理するために
今まで書いていた紙の日記は紙が変わってムーミンのガチ日記帖みたいなやつにしたのね
そしたらなんかそれに書いていること、書こうとしていること、書いたこと、ぜんぶ、
誰か何かに見張られているような気がして

私が昔から書いていたブログの文章と大森靖子ちゃんのブログの文章は似ていて
真似したわけでもなく、私はどっちかというとこんな殴るような書き方をするのは
川上未映子さんの「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」から影響を受けてるのね
それで私が殴るような文章を書くと靖子ちゃんみたいだし
メンヘラが思いを吐露すると靖子ちゃんみたいだって言うから
「独特な世界観」でぶちまけ系の曲を吐くと、よくみんな(私についてだけじゃなくて)
大森靖子ちゃんみたいだって言うし
そにこちゃんメンヘラ卒業でちゅ!って私が言ったらとみーさんから
「そにこから大森靖子ちゃんぽさがなくなるってことか~」って言われて
あっものすごい面白い形容のしかただ!と思ったんですよ。
ただね、大森靖子ちゃんをメンヘラだと思っている人が多いの不思議だよね。

大森靖子ちゃんはメンヘラじゃないんだよ。
大森靖子ちゃんはうつでステージ出られなくなったボーカルの女の子の代わりに
バンドでボーカルをやらされはじめたのが最初なんだよ。
あれだけ強くて強くなければ、
繊細なものも書けないってこと。
弱い人の思考はシンプルで芯がとても強い。そしてこころはすべて自分自身に向いている。
強い人はいつも周りの感情や揺れ、動き、に、良い意味で、興味がある。
ファンサービスちゃんとする人ってちゃんとプライドあるし強い人だってことなんだよ。
お客さんをお迎えするというプライドがある人ってことなんだよ。
私みたいにシャイだからとか自分が相手と話すのに勇気がいりすぎるからとか言って話しかけにもいけない人間がファンサービスなんてできないのと一緒で。

強い人、強く見える人ほどいろいろ抱えなくちゃならなくなる世の中ですし、弱い人は弱さによるつらさはあるだろうけれど、弱さがあるから芸術ができるんだと思い込んではいけない。
ほんとうは、強い人ほど、芸術ができるんだ、と思って、
強くなることを目指さなくてはならない。
三島由紀夫も言ってた。
「太宰の持っていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」
と。
どうにもならない弱さを有効活用して芸術する人はとても前向きで素敵だと思う。
けれど弱い自分を連れてこないと芸術ができないと思いこんでしまっていた自分はくそだ。

たしかに弱くなると、Tシャツの色やパンの袋のしわにも心を激しく動かされてめちゃくちゃに泣けてきたりとか、そういういっしゅんきもちよくなっちゃうような感性がぼろぼろでてくることがある。

けれどいま、何か書こうとするならそれだけではないと思わなくては。
今現在の社会性レベル高めの時に書くものがとても糞に思えて悩んでいたけど、
自分だけが自己陶酔して楽しくなっちゃっているだけの私小説にはもう飽きたんでしょ?
だからもっと客観的で面白いものが書きたくなったんでしょ?
だったら書くしかないんだよ。
自分の経験と感性にたよって甘えていすぎたからそういうの書くのほんとうにほんとうにへたくそだけれど、
それも書いているうちにかけるようになっていくはず。俯瞰の目がほしい。鳥さんみたいに羽をバサバサ広げて飛んで、そこからの世界を見て、ものを書きたい。
オープンマイクにゲストで出るわよ!

JET POET vol.80 ~即興の音楽と詩の朗読の宴~ 

10月20日(火)@高田馬場JET ROBOT  新宿区西早稲田3-28-1RICOSビルB1F 
TEL03-6302-1377 
OPEN 19:30 START 20:00 
Charge: 1500円+1ドリンクオーダー 

出演 
朗読:
・そにっくなーす
・ZULU 
http://www.facebook.com/ZULU.kinya.tsuruyama 

演奏: 
・平島聡 (Cajon , Percussion)  http://www.facebook.com/Satoruhirashima 
・志賀信夫(key) 
http://www.geocities.jp/butohart/  http://www.facebook.com/Nobuo-Shiga 
・MoM(voice)
https://m.facebook.com/atsuko.yamanaka.50?
・ひらっち(Percussion)

☆当日エントリーのオープンマイクあり ☆次回は11月17日(火)のゲストはたそがれ龍生さんです

お待たせしました。感じ入ったぜ。パート4。これでラスト。さいごに総評。



夏至祭…水銀
えっ、このひと、知ってる…って妄想がはたらいて、ぞわっ、と鳥肌がたった。この彼、わたし知ってる気がする。きっと昔、一緒になろうねと、祈りあった気がする。フランス。死なないと一緒になれなかった私たちが、頭のどこかにいた気がする。重みを感じ絶頂に至る語り手にはたしかに血が通っていると思わせるけれど、生きてるのかはわからない。美しさのきわみに溺れるとき、生きてるか死んでるかなんて関係ないって言い切れる。
午睡…水銀
放課後の図書室で仲良くしていた秀才の美少女、との、再会、こんなに美しい乗車風景があったでしょうか。電車に乗るたびに、期待してしまう。この汽車はほんとうは、どこに向かっているのだろうか。お昼寝の夢は容赦ないよね、いつだって。

秘密…水銀
花の香りの珈琲を飲みながら読みました。こんなやさしいお兄様が欲しい。ふたりで水蜜桃食べたい。ふたりのひみつは、なんだか危険な響きして、ちょっとどきどきしてしまう。花と果物は欠かさない環境は引き継がれ、美しさは引き継がれ、守られる。優しい瞳。きっとこの兄妹のご両親も、ふたりが熟させていた果実のことを知っていたかもしれません。

君ベア…eb
登場人物に関するびっくりが読み進めるうちにわかっていって、これから読む人のために私はそれを伏せておこうと思う。同時に、一回読んだだけじゃわからないことがこの短い小説の中にはたくさんあって。最後は誰の悲鳴だったんだろう。雪歩とその家族、いったい、何者。雪歩には、なにがあったの。先生には。語り手には。熊の中でねむるときに見る夢は。血だまりのなかでどんなことを思うのだろう。

ウォッカ抄…泉由良
真夜中から明け方の映像がぼんやりと浮かぶ。
夢のころしあいを消毒するウォッカ。どんなに体が傷ついても夢を見る。夢を見れる。夜は続くし眠りはない、朝は夢に出るかと問いかける、傷だらけの彼女。
涙をがまんできなくさせるスクリュードライバー、彼女が白鳥座で見たのは映画から夢か。
羽根を持つ彼女が朝を夢見る。葬送のための神酒としてのウォッカ。
平行棒をあるくヴォトカは詩を読む泉由良を想起させる。新体操のりぼんみたいなひらがなのはるもにいが織られる。二進数の海。青いひかり。ウォッカとモニタとキーボードがあればどんな夢だって見れたでしょう、朝はやっぱり誰のもとにも来ないのだ。
朝はやっぱり誰のもとにも来ないのだ。
ーーーー
ここでオートカクテル耽美は終わっている。生(セイ)の美しさと死ぬ間際の美しさ。静の美しさと動の美しさ。パッと目に入ったものの美しさから始まり、だんだん深みを増す美しさ。バラバラのみんながバラバラに書いたものなのに、整合性と関係を感じるのは、みなもとはなえさんも言ってたが、みんなが耽美について真剣に考えて丁寧に編んだからなのだろう。美しさはいつも、クリスタルのように輝きを放射するけれど、輝きの根本はひとつの光源から出来ているのだ。
太陽。
朝はこないけどどこかで太陽は輝いている。だから君はとても美しいんだよ。君の目やこころが知覚するものはとても美しいんだよ。
まだまだ続きそう、オートカクテル耽美レビュー、これとあと一回あるからね。

ナイフのベクトル…恣意セシル
これは夜中の似合う小だ。それも真夜中、うしみつどき。エロティシズムを小説内のモチーフとして意味あるものにするには確固たる思想が不可欠である。優しさみたいな正解みたいな関係はいらなくて、突き刺しあうことで互いを確認する。彼女は言語的にナイフを持っている。彼は物理的にナイフを持っている。これは特殊な関係でなく、もっとも洗練された人間関係の生データなのではないだろうか。生まれてから、他人と関わってきて、いちども他人にナイフを向け、刺したことのない人なんて、いないはずだ。

美の魔術…ちょまっこりーな
私も茶道部だった!わーい!しかし茶道をやっていて宇宙を感じたことはない。美というのは、知識と感受性と有意味性の自覚、この3つが受け手に兼ね備わっていることではじめてこちらに微笑んで挨拶してくれる現象なのだろうと思った。エルンストの真っ赤なロプロプを見て、絵一つに頭が揺さぶられて動けない感覚を知ったことを思い出した。

ぼくらのはなし…馬場めぐみ
高校生のときの15時半くらいを思い出させる短歌集。部活のない日はこんな思いを西日にあててひとり悶々としていたなあ。ページ変わって最後の3作は、おとなになってからの感覚みたいに思えた。

むひひ。
さて、昨日よりの、白昼社オートカクテル耽美のレビュー続きだよ。今日は第二弾だよ。気になったら買いなさい。

意識が頭蓋の意識する…山本清風

この作品の美しさは冒頭数ページに際立っている。テキーラサンライズに形容される点滴。(ルートがテキーラサンライズになるほど点滴をほっといてるということは、滴下が終了してからかなりの時間がたち、血管から血液が逆流してきている。早く取り替えな。)海月や出目金の点滴ボトル。中央配管に酸素、二酸化炭素、窒素、味の素だなんて、まずい病院食にふりかけたい。
廊下に出るとピアノの音が聞こえる病院て超いいな。とってもかわいい先生がちたちた爪を鳴らして遠ざかるの超いいな。ボリス・ヴィアンの世界のような、理想の病院描写が美しい。


色島…牟礼鯨

夏の青春、性春、記憶の各シーンが一個ずつ、ぱらぱらと、映画みたいにロールする。
     唇は嘘ついてをりラムネ玉
がいちばんすきだなあ。牟礼鯨さんに耽美を描いてもらえたらこんな世界かな、みたいな想像とかなり合致している一句なんだ。もしかしたら、この永遠の夏の島にいる若いふたりは、一生この島から戻ってこないのかな、というイメージが湧いてくる。流れ着いて帰りも知らず夏休み、潜った人にしかわからない水中花にだけ、ひみつを打ち明けるような。


はつ恋…霜月ミツカ
ひとつのラブソングのような耽美。
『わたしを、先生の好きにしてほしい』と望む可愛い可愛い少女を、できるなら無菌室に閉じ込めて守ってあげていたいけど現実的には無理。傷ついた心は愛を以っても完治はしないだろう。という諦念のような、ほんとうに愛を知ってほんとうに愛で傷ついてきたひとにこそわかる言葉が優しく美しく紡がれるところが、ミツカさんの小説を愛するいちばんの理由。

オートカクテル耽美。好きな作家が書いてる作品のレビューは書きやすいねえ。明日は第三弾の発表だよ。