ぴいなつの頭ん中 -24ページ目

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

ももちゃん>

あたまのいいひとから死んで行くのよ。

ももちゃんは頭がいいから、死にやすい子なのよ、死にやすい子に産んでごめんね。でもこれは負けじゃないのよ。ももちゃんは神様に選ばれたあたまのよいこなのだから、みんなにやさしく、頭の良さを自慢しないで、謙虚に、みんなを助けてあげることにあなたの頭をつかいなさい。けっしてひとをみくだしたり憎んだり、嫌いになったりしてはいけないよ。

ママは基督教的観念と偏った優生思想がデカイ乳を揺らして服を着て歩いているようなひとだった。
ママの期待と声は重く、ママのいない時にも自分にのしかかっていた。耳の中ではいつもママの声が聞こえていた。それがほんものの声なのかまぼろしなのかの区別は歳を重ねるにつれ、つかなくなっていた。

おとなたちはそれを幻聴と呼び、私を100人に一人の精神病と診断し、薬でいったん柔らかくしたあと成形し、箱詰めにして、収容した。

私に与えられたのは、私が選んだ音楽がたくさん入っている携帯音楽プレイヤーひとつだった。
頼めば食事やメモとペンも与えられたが、私には音楽さえあればよかった。

幻聴から自分の身を守るために、どんどんヴォリュームを大きくしていく。
もう世の中じゅうで書き尽くされた『物語』をどうすることもできずに、
これから私を使ってこの世の中に何が書けるかも全く思いつかず、

あたまのいいひとから死んで行くのよということばを母の声で耳の中に聴く。

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ママ>

神様の愛の教育を受けた人は、人間が神様みたいに他者を愛せないことにいらつき、ありもしない無償のきれいな愛にあこがれ、もとめ、手に入らず、翼が擦り切れて墜落していくのだ。

私が欲しいものをちょうだいよ!一個だけでいいから完璧にさせてよ!一個だけでいいの!なんでそれもダメなの?!

毎日叫ぶのは同じ内容の言葉だった。娘が収容されてからというもの私は大気の微量なイオンと自分自身を消費することしかしておらず、いつもひとりきりだった。一人暮らしなのにいつも何かしらのタスクに追われていた。私を追い立て、追い詰めるのは私の頭の中の声だった。理想と、完璧と、隅々まで、ホコリひとつない、シンライ、誰が見るわけでもないのに毎日毛穴の一つ一つをも埋めるように化粧をした。


あるときはシャワー室で全裸のままシャワーカーテンをなおしながら、またあるときは買ったばかりの日用品でぱんぱんになった買い物袋にまみれて叫んだ。繰り返し繰り返し、ありもしないものに叫び、ありもしないものを求めつづけた。もちろん、ありもしないものは手に入らなかったし、具体的に何が欲しいのかも、自分自身にもよくわからなかった。
娘を取り返したいとか、もう少しそういう具体性さえあれば私の命は無駄にならなかっただろうに。
娘のことはもう正直どうでもよかった。私の期待に応じられないことが少しずつわかってきた時点で、この子に何かをかけるのは無駄なことだと頭の奥で声がしていた。愛ではなかった。自分の手を自分の意思で酷使するように、自分の体の一部としてみなし、うまくいかなければ使わない、さらに離されれば興味を失うまでのことだった。
私の体から出てきた私の一部なのに、私の思った通りに動かないなんて私には理解できない。いまの気持ちの混乱も、ひたすら自分のことでしかなかった。いたわられたいようだが、だれに、どんな理由でいたわってもらえるというのだろう?言葉や一度の儀礼的抱擁では満足できない私が、どうやっていたわってほしいかも自分で言えない私が、さらにいたわってもらえるような理由も人間関係もなにひとつない私が。

あたまのいいひとから死んで行くのよ。
私は頭が良くないから中年まで生き抜くことができた。なにかに流されることに疑問を持たず、生活と本能のままに生き、余計なことを考えないで生きてきたから、48まで生きられたのだ。ただ、そんな私のただひとつの敵は、自らの脳が作り出す理想像だった。自分自身はこうあらねばならぬ、と常に、頭の中でなにかががなりたてていたのだ。エベレストよりも高い理想はいつも叶えられるわけがなく、失意ばかりを背負って生きて、劣等感の塊だった。弱さを強く意識しており、ものごとの優劣にとても敏感だったから、あんな宗教にハマったのかもしれない。

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後日談>

一個だけでいいから完璧になりたい……
でもその一個とはなんなのか、完璧とはなにを指すのか、自分ではっきりしていない彼女が幸せになれるわけはなかった。
彼女はたくさんの掃除用具に囲まれ弔われ、ピカピカになった部屋の中で死んでいた。

あたまのいいひとから死んで行くのよ。
彼女があたまがよかったかというとそれはわからない。ただの愚かな完璧主義者と言ったらお終いだからだ。
でも彼女よりあたまのよかった彼女の娘は、彼女よりも早くに死んだ。餓死だった。晩年は食事を摂らず音楽を聴いているだけだったという。イヤホンをしたままの耳は爛れ、ほとんど潰れていた。状態からいうと、死ぬ7時間ほど前にはもうすでになんの音も聴けていないはずであった。しかし看守は見ていた。娘は心配停止で倒れる3分前まで、音楽を聴いているかのように体を心地好さそうに揺らしていたのだ。
幻聴で聞こえるのは母の呪いの声だけだと訴えていた娘が死ぬ前に聴いていたのは、なんだったのだろうか。
初めて映画館に観に行った作品をおしえて
初めてお小遣いで買ったCDをおしえて
電車代ケチって親に内緒で買った文庫本のなかみおしえて
覚えていないくらいの昔、ビックリマークの形のおもらし
トイレに行ってる間に逃してしまういろんなたのしいこと
ぜーんーぶみたかったから極限まで我慢した


口から沢山の泡はいた
体を受け止める廊下と地面
砂埃の風味
からかう高い声
それから学校がきらいになり
リノリウムの床は踏まなくなった
あの泡を拭いた廊下では
今日もまた誰かがふざけてスライディングしてんだろ
家で本ばかり読んで昼ドラ見て
届いてるプリントもすぐ捨てた
何書いたらいいかわからんで書かれたようなぺらぺらの文章が並ぶ手紙
あんなの書く時間あるなら、勉強しなよ
その箱で十分だからその箱に飽きもせず入ってくんでしょ?
毎日毎日
もう二度と行かないよ
行くもんか


私は毎日くたくたのソファに座って右側にコーラ、左側にポテトチップスで
商店街の左側2軒目、汚くて狭くて奥まったヴィデオ屋さんで借りたVHSを流しているよ
エロいシーンと怖いシーンのとこだけ、みんなが何回も巻き戻すから、
みんなが何回も見たがるから、ちょっとヴィデオが擦り切れていて、ガサガサしたノイズが入ってるよ
ミシェルファイファーの唇オカズにサクライさんがしていたこと
私だけは絶対するもんか
ヴィデオほどエロくなれるものはないよね
さあ巻き戻し巻き戻ししよう
擦り切れろ
擦り切れるほど愛されろ

@sweetsonicNs: 『異常な興奮を求めて集まった、七人のしかめつらしい男が(私もその中の1人だった)態々其為にしつらえた赤い部屋の、緋色のびろうどで張った深い肘掛椅子に凭れ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構えていた』(『赤い部屋』江戸川乱歩)

これツイットしたけど、これって毎月オープンマイクやってる渋谷のルビールームのことかなとか思ったりなぞする。

明日ライブ。今日締め切りの原稿。今月締め切りの原稿。原稿原稿言うの、自分でやると恥ずかしいからやらんきまりだったんだけれども、とうとう書いてしまった。

やっつけでもムラっ気でもいいからなんでもいいから続けたい、息をし続けることが価値になるし勝ちになるから、といってもなにと戦って勝ちたいのかもわからないし、そもそも勝ち負けなんという明快すぎる雑な価値観で生きているからすぐに人に順位つけて落ち込んだり人を見下したり見下されたりなどする感じがするのだと思う。

しかしともあれ続けることには価値がある。師匠がそう教えてくれたのである。途中でやめるのなんかいつでもできる。
趣味を手抜きしてどーすんだよ、趣味なんだから全力でやるに決まってんだろ、と、かつて昔少しだけ一緒に生活していた人が言っていた。力加減は絶妙をゆかなければならない。完璧を求めていつまでも出せないんじゃ腸の動きだって止まってしまってあっという間にイレウスを起こしてしまう。

曲がりなりにも医療に関わるコラムなど書いているが、たぶん患者家族や患者本人をやってる人のほうが、知識があるだろう、とか、思うことがある。ナースなんて毎日やることは決まっている。一番頭が良かったのは国家試験を受ける直前から数ヶ月くらいのもんで、使わん知識は当然だがどんどんなくなってゆく。
そして注射してるときだけが楽しい、みたいな気持ちだけが自分を看護師でいさせてくれる。それ以外はなんてこともない。ていうか、医療者というものの立ち位置に期待をしすぎていた。ナースでありながらナース的なものにフェチを持っていたから。

このフェチが作品の助力にはなれど、臨床面では邪魔になることの方が多かった気がする。自分で意識していない一生懸命なときのほうが、看護師として看護師だったのだ。


文章がちっとも書けない。完全にスランプしている。そしてポエトリーのイベント。血が出そうだった。どこからとは言わない。生きる価値は自分にはないし、もう活動なんかやめてしまいましょう、と、いいライブを見るたびに思わされる。鳥の雛だったら真っ先に死にそうなほどの、変な空気の読み方をするので、子供の頃から損ばかりしている。いやしかし26年間幸せだったし随分とこずるいこともしたと思う。ただ坊ちゃん風に言いたかっただけで。全部ラッキーじゃなきゃできなかったことで溢れているから。

言いたいのは普通でしかなかったということで、この言いたいことさえも普通でしかなさすぎて、ほんとうは何が言いたいんだってことがわかりにくいだろうが、私は誰にでもできるようなことしかしていないということだ。たぶん誰だってある程度そうであるしそうであって欲しいと思う。社会がきちんと円滑に回るためには、この人にしかできないなんてこと、できるだけ少ない方がいい。
個人のやりがいと幸福を考えるのであればこの限りではないし、伝統や経験のなせるわざ、個性は、見えないほど小さかったとしても完全に潰すことなんかはできないレベルで存在している。
昭和ラブホテル大全(金 益見/村上 賢司 著)、という本を読みました。
昭和レトロで見た目も可愛らしい、魅力的なラブホテルたちのこだわりの内装と外装、などなどを写真でわかりやすく解説した一冊。

ラブホテルなんか安いところがいちばん、とりあえずこの激情のいちばん高いうちに冷めやまないうちに、早く早く繋がらせてくれ!!!!!!愛し合わさせてくれ!!!!!!!という思考しかなかった今までの自分が勿体無いと地団駄を踏んだ。そして性の目覚めが起こる前に、閉店してしまった魅力的なラブホテルたちに一度行ってみたかった気持ちが、やり場もなく彷徨った。

フロントにどかどかと飾られた美しいシャンデリア、そしてお花、噴水、室内に太鼓橋、貝殻の形のお風呂、丸見えのお風呂、なによりなにより、スケベ椅子。少しはエロい生活を送ってきた自信があったはずなのに、こんな充実の装備に溢れたラブホテルが日本のいたるところにあることなんか全然知らなかった。車みたいなベッド、ペンケースみたいなお部屋、宇宙船みたいな空間。

ブルー・バレンタインという映画に、すごく魅力的なキラキラしたラブホが出てきて、そこで冷めきった夫婦がクンニするシーンがあったけれども、あれはものすごく冷めてるのにものすごく官能的だった。冷めた気持ちを盛り上げるために一生懸命装飾がキラキラしようと、愛は冷めたまま。そういうのは傍観してる身からすると異常に興奮するのである。
例え相手の男がどうしようもなくても、女の子を世界一キラキラしたお姫様にならせてくれる、そんなラブホテルの様相に溢れた本だった。
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ラブホテルのウォルト・ディズニーと呼ばれる亜美伊 新さんのインタビューも読み応えたっぷりであった。最初は幼稚園の内装デザインをしていたが、そのうちラブホテルのデザインを頼まれるようになった、というくだりが最高に良い。幼稚園とラブホテルでは、考え方も違いませんか?という質問に対し、『発想は一緒ですよ。セックスしてる時はほとんど幼児語。難しいこと言わんでしょ』と答える亜美伊さん。そっか、そうなんだな、たしかにそうだ、人間の本質的な欲望を満たす時には、難しい考えや言葉はいらない。夢中の獣になってもいいんだわ。
車で行くような、地方のお城みたいなラブホテルも結構頑張っているし綺麗で細かいところまで飾りが行き届いてるから、ラブホテルに行くためだけの観光もありかもしれない、と思えました。
さて。告知です。一生懸命書いた記事が投稿直前に突然蒸発したので書き直します。

2015年11月23日第21回文学フリマ東京にてhttp://bunfree.net/?tokyo_bun21本売ります。


おしながき……

1.視聴者参加型患者計画vol.1 依存症
 アンソロジー。いちばんはじめて文学フリマに出た時になにもわからぬままトラブル続きでなんとか出した本が、装丁かわいくデザインしてもらって文庫サイズで復刊します!
そにっくなーす最近知ったわ、って人におすすめ。土屋豊監督「タリウム少女毒殺日記」についてとか、短歌とか、短編小説とか絵とか、もりだくさんだよ。

2.視聴者参加型患者計画vol.2 コルサコフ症候群
 アンソロジー。コルサコフ症候群とは、アルコール依存症にときどき生じるもので、抜け落ちた記憶を意図せず嘘や作り話で補完してしまう等の症状の総称です。ここに短編を書いているひとたちもみな、各自がつむぐ物語をほんとうのこと信じているのです。
ボリス・ヴィアンも、「これは本当の物語だ。なぜならすべて僕が想像したことだから」と言ってますよね。そういうことです。そにっくは、さとちゃんに絵を書いてもらって小説と半々にして、ぬいぐるみについてのファンタジーをかいてます。

3.グランジナースの死/ひのはらみめい
 そにっくなーすの「ひのはらみめい」名義でのソロ。「恋人が看護師目指してるんです」って言って買っていってくれた人もいたなあ。看護師の小説ってどんなもんよ?って人におすすめ。

4.そにっくなーす暴露日記2014
 そにっくなーすが激動の2014年を生き抜いた記録。ほんとに毎日紙の日記をつけていて、そこから抜粋しました。詩なの?小説なの?日記なの?精神医学解説書なの?うーん、全部、かな。

5.Ω /キチガイ❤ボックス(((Ω)))(風合文吾×そにっくなーす)
 隣接もさせてもらってる「少女地獄第九階層」の風合文吾先生とのコラボ。片方の書いた詩にもう片方が小説をつけたり、リレー小説やったり、髑書会となづけた読書会をやってみたり、いろんな実験を行っています。グロくないよ。髑書会では、夢野久作やら三島由紀夫やら太宰治やらとりあげております。

6.コピ本いろいろ
6-1.「好きな人に殺されるための100の方法」
    あみーびっくさんとのコラボ。恋愛ハウツーの決定版。愛情見せてみろや。
6-2.「血塗られた赤盤」
    風合文吾さんとのコラボ。赤と、怪奇なものがモチーフだよ。
6-3.パラレル本棚
    メガトンサークル「崩れる本棚」主催、文学フリマに参加しているあんな人やこんな人の作品がいっぺんによめちゃう。お得でおいしい。一粒で300メートル。


★寄稿いろいろ
α.ダメ女子的映画のススメ(マゾヒスティック・リリィ・ワークス)
ブースはオ―20.ヌシは赤木杏さん

β.文藝誌オートカクテル耽美(白昼社)
ブースはB-26. 白昼社さんとはいろんな面白いことをやっていくつもりです。

γ.アヴァンギャルドでいこう(Shiny Books)
ブースはオー47,48.バンドのanoについて愛を語っちゃったわよ。


気になった?気になったね?
あと私は常に一緒におもしろいことをする人を募集しています。公募制です。オーディションあり。うそ。ねえよ。