患者を叱ったり厳しいことが良きことだと思うのはよくない。
患者に寄り添い、みかたして、それではじめて医療なのに。
悪いのは患者じゃなくて病気そのものが起こす症状でしょう。
どうして飲水が我慢できないことくらいで裏切られただなんて言っちゃうんだろう。どうしてすれたり文句言ったりきらったりよくない感情を持つことが大人だと勘違いしてるんだろう。怒ってもいいと自分は自分にゆるしたい、でもこんなの求めていたものではなかったはずだ。怒りをなくしている自分から怒りを取り戻す。怒ってもいい相手は誰?そんなのはいない。誰だって怒りをぶつけられたら悲しいし憎たらしいし、別の怒りを産む。怒るのはやめたとあの日に決めたはずなのに。さびしくて退屈でねたましいならすぐにでも自分から食べに行くような行動を起こすべきなのに。
怒りをしまっているのはなぜなんだろう、怒ると怒られるしめんどくさいし疲れるしわかってもらえないからだ。もっと本当は駄々っ子がしたかった。自己中に見えてもいいから、人に怒りや悲しみをぶつけたくない。わかってもらえた経験がないからだ。被害妄想が多めでアドバイスがこわいからだ。みんなのことがねたましくて、わたしは持ってる、君が詩に書いた夢物語を今の現実の世の中で楽しんだり苦しんだりしている、特殊能力なんかなにもないままガバガバの軍服を着て、行進してるうちに敵に撃たれて死ぬかも知れないけれど。落ちるところまで落ちたい、刃物を履いて滑りながら床に触って、お尻をついて、服を剥かれてぶん殴られても、落ちるところまで落ちたい、飽きていないのはあんまり接触していないからか?どうしても14時の青い空を見て夜が来るのを迎えてはじめて空がいかに綺麗だったか電子レンジに反射した私がいかに若かったかを回想してしまうのだ。本物の記憶かはわからない認識とかいうものを睨んでサマリーには幼少期のうらみをさんざんぱら書き散らしてビニール手袋の箱が爆発四散しているときに白河夜船をこいでいるあなたの昨夜のいちばん醜かった顔。あんなにうつくしいひとなのに、やっぱりあのひとはそれほどにひどい病気なんだ。とわかった15のよる。