バナナミルク
霜田景希という犬ころがいた。一四歳の女の子である。名前はしもだけーきと読む。
小中学校の先生などは出席簿ではじめて目にした彼女の名前を見てぷっと噴き出してからいったん気持ちを落ち着け、十分な深呼吸をしたうえで、しもだかげき、と呼び、それからまた耐え切れずぷほっと噴き出して笑う。誤読とはいえ、しもだかげきという語感が素晴らしいから先生たちが笑ったのだと彼女は解釈していたが、親世代からするとどうもそうではなさそうだった。
テレビなどに出る有名人として、しもだかげきという名前の、おじいさんがいるらしい。なんだかいろんな仕事を転々として、物書きなんぞして、暮らしているらしい、時々朗読なんかやラップなんかもやって、なんか好き勝手やってるらしい。端末で画像検索してみたら、白髪が色とりどりのカラーで染められ、くたびれた皮膚を牽引する若々しげな目鼻を持つ、おじいさんの写真がたくさん出てきた。
その時笑えればよかったのだ。一人で見ていたなら、もう少し心境は違ったのかもしれない。けれど、生憎それは中学校の二年生のお昼休みであり、周りを囲む微妙な距離感の友人たちにそれを見られてしまった。
「しもだかげき!ワ~」
大体暇で、しかし高尚な趣味を持てるほどアタマもカネもなく、自分という存在を不安がり、他者を見下すことで自分の優位性を死守するチャンスを常に狙うのが中学二年生の女子である。彼女らが産声を上げた当時にこの教室を使っていたある女の子の授業中のおもらし伝説は十年以上たった今も熱心に語り継がれているし、おもらしの痕跡は毎月誰かしらがチョークでなぞりなおし、エンビポイントとして不自然に避けられ続けている。
「けーきちゃん今日からしもだかげきな」
そう誰かが言うとバラバラと笑いが起こり、その輪の外にいたはずのほかの生徒までもがしもだかげきを話題にし、しもだかげきで笑い、教室にありったけの色とりどりのチョークでけーきの机や髪の毛、通学バッグを染めた。
けーきちゃんの罪は笑えなかったことだ。自分自身を、自分自身と共通点のある人間の個性を、優しい笑顔で笑えればよかったのだ。しかしそんなこと、十四歳の犬ころにどうやってできただろう。
しもだかげきブームは少しの間続き、マカンコウサッポウごっこが流行し始めるまで、けーきはかげきと呼ばれていた。関係ないやつらからにやにやしながら呼ばれるとき特に、けーきは後頭部が熱くなるほど腹が立った。しもだかげきがどんな人だかとか、どんなことをしたかなんかこの際どうでもよかった。面白かったのだ。大衆にとっては。かげきでない自分たちに安心し、失望し、優越感をおぼえ、あだなで仲良くしているふりをして。
実際神奈川のこの中学校で起こったこのしもだかげきブームは、いじめにはカウントされなかった。
「かちかちに固まってからじゃないとちゃんとしたプリンとは言えないから」
それは点滴の主原料であるバナナと牛乳からできていた。黒くなりつくしたバナナと、新鮮な牛乳を混ぜてバナナプリンを作ろうというのだ。
黒くなったバナナは見た目的に食用として避けられがちだが大量のペクチンが含まれており、これはフルーチェが牛乳と混ぜただけでじょうずに固まる原因物質である。家事に育児にお料理教室にヨガ教室に友達付き合いにと忙しく充実している喜美代さん(四八歳)の、「バナナ腐るまで家事さぼってたわけじゃないの、黒くなるまで待ってたの」という言い訳のために大活躍しそうな予感がある。
真黒なバナナそれら自身はもうあきらめかけていて、一時期の高級品扱いされていたころのことを思い出していた。一房に四本のバナナがぶらさがっており、一番大きなパパバナナはバブルのころをも知っていた。
二番目に大きいママバナナはフィリピンパブで働いていた時代のことを思い出していた。観光産業か風俗かぐらいしか働き口のない沖縄でのフィリピンパブ時代、ママの美しい体はあぶらっこい金持ち男とビオレ泡の質感に交互に揺らされていたのだ。パパでさえ知らないそれらの男の舌触り肌触りは、ママの焼き払われた日記帳にとても仔細に書かれていた。
三番目の兄バナナはテレビで王様と共演したことなど思い出していた。弟はまだ幼く、何も考えることなく兄バナナの乳首を吸っていた。
それぞれが別々の夢想をしている最中、喜美代さんの手がバナナ一房をむんずとつかんだ。兄バナナの乳首に歯をたてて兄に叱られている弟バナナだけが、房からちぎられ取り残された。
「ちびちゃんだってママたちと同じくらい真黒なのにどうしてあの子だけ」
「あの子はかわいいから売られてしまったのだ」
「あの子だけでも生き残るならいいわ」
バナナ夫婦は離れ離れになるいちばんちいさなバナナを思って人並みに涙を流した。
「乳首ちぎられた」と兄バナナだけは違う理由で泣いていた。
兄バナナの乳首を口の中でもてあそびながら、弟バナナは両親と兄が電子レンジにぶち込まれるのを見ていた。それから、兄の体から離れたために痛覚を失った乳首を組織がちぎれる限界まで噛みながら、電子レンジから出され湯気の出た家族を見た。
弟バナナの歯はまだ一本もないが、そろそろ生えてくる。乳歯(milk teeth)が生えるときは歯茎がとてもかゆいのだ。歯茎のかゆみを兄の乳首で緩和することで、弟バナナはやっと普通の文化的な生活を営むことができた。
悲しみは特になかった。乳歯が生える前に生じるかなしみなど、空虚なものにすぎない。鏡の向こうの自分を知り、自分というものの外殻を知って初めて悲しみがうまれるのだ。自分と自分でないものの違いが判らないうちは、自分の掌を含むすべてが広大な海の景色であり、右目からインプットされて吸収されずに左目から出ていく。バナナの知的発達なんて大概そんなようなものだった。
けーきちゃんはバナナ家族がレンジから出て二三分ほどのちに台所へ現れた。部活をさぼって帰ってくるけーきちゃんの帰宅時間はいつもおやつの時なのだ。けーきちゃんは母親の喜美代さんのことは嫌いだったがおやつは好きだった。
「今日のおやつ何」ぶっきらぼうに、しかし媚が見え隠れする口調でけーきちゃんは喜美代さんに尋ねた。
「バナナプリンよ。手作り」
喜美代さんのどや顔とけーきちゃんのぷっくりとした笑顔が、一瞬だけ、ワンカットだけ、一致しておさめられた。親子っぽい。ほんとの親子だけど。まちがいなく親子だけど。けーきちゃんはもう少し太ったら喜美代さんにそっくりだ。
けーきちゃんは珍しく、おやつの製造工程を見学したいと希望した。現場監督かつ棟梁の喜美代さんは厳粛にその希望を受理し、許可した。テーブルにはあたたかくなった黒バナナの中身と、房の中で一つだけ離されたちいさい一つのバナナ。それから子供用のチェアに拘束された四歳のしふぉんちゃんが端にくっついていた。しふぉんちゃん、ようするに霜田嗣翻は一〇歳上の姉にも容赦なかった。姉の所有物ならばなんでもいじくりまわした。そのたびけーきちゃんは泣いて喜美代さんに言いつけた。喜美代さんは一切を不問とした。あの魔法の呪文「オネエチャンデショガマンナサイ」を使って。
けーきちゃんはしふぉんちゃんをそこまで嫌いではなかったので時には甘んじて不起訴とすることも多かった。自室に連れ込んで読み聞かせをしたりお化粧ごっこをしたり、公園など広いところでふりまわして遊ぶなどの行動もとっていた。
さて、バナナである。小さなバナナはあたためられずに放置されている。どうするのか尋ねると喜美代さんは鼻息のように答えた。
「しーちゃんにちょっと渡しといて。あそぶから」
しふぉんちゃんは小さなバナナを姉から託される。手に持つや瞬間ぎゅっと握り、無限の力加減を発揮した。ぐきゅっという音が手の中から漏れた。おもちゃみたいにちいさな血色のいい指のすきまから、どす黒く変質したバナナが押し出されはみ出した。ぐちゅぐちゅとやわらかい肉のような音をたててバナナは握られる。固体だったはずのバナナが粘性だけを残し液体めいている。その実は皮をむかれているので幼児の手で簡単にマッシュできた。しふぉんちゃんが手を開くとじゃっかん糸をひいて粘性をもったバナナが掌の上で掌の形に広がる。手が小さいのでそのほとんどがテーブルの上にぼたぼたと落ちた。落ちたバナナを反対の手でグーを作ってつぶす。ねちゃねちゃさせてテーブルにこすりつけられる粘性のバナナ。しふぉんちゃんの中でそれは食べ物ではないのか、どうして握りつぶすのか。掌にあらかじめ塗りこめられている彼女の鼻くそや唾液、その他あらゆる死細胞の滓と腐りかけのバナナが混ざっていく様子を見てけーきちゃんは吐き気を覚えた。バナナの灰色と黒、濁った細胞との混合、血色のいいペールオレンジの手、テーブルのクレヨン痕と同化したバナナ粘液、しふぉんちゃんが思考中によく流す涎。ぬちゃぬちゃしてテーブルの上一部がバナナになった。酪酸ペンチルのどうにもならない咽かえる芳香。芳香というほど良い香りではない。死ぬ直前の蟻が夢見る、ただ甘いだけの蹉跌の香り。
けーきちゃんはチョークの粉で彩られたしもだかげきを思い出した。しもだかげきと呼ばれたときと同じような吐き気と甘酸っぱい汁が喉の奥で活性化していた。
まともに声も出ずに部屋に戻り、けーきちゃんはそれ以来おやつを食べなくなった。若い体の脂肪はみるみる減少し、けーきちゃんの水着は美しく体にフィットした。