渡辺繁一のブログ -46ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

少しジェイの文章は難解だと感じる人も多いかと思う、僕もその一人だ。難しい文章を解釈すると、障害を乗り越え、何度も読んで理する事で本当の「考え方」が頭と心にインストールされるという考え方がある、文章を文としてとらえ、その上辺だけを単に知っているだけでそれが自分のスキルであると考えてしまう事が多いように思える。それはほとんど実践では役に立たない。ペーパーテストでは覚えていると高得点をマークするだろう。でも、本当に身につけたいのは、その文章を考え創った根本にあるその著者の発想の源であると僕は考えている。文章はその人の伝えたい事を表現するツールであるという事を知らないといけない。
その文章で何を伝えたいのか?
また伝わった事で読者に何を与えたいのか?

自分なりに解りやすい解釈を書いてみる。
これは人によって異なる場合もあるし、ある事が当然であると考えている。
ペーパーテストは答えは一つだが、世の中の答えは沢山ある。


システムと言う言葉が広範囲の解釈されている。

電車に乗る時、お金をおろす時、役所に行き書類を提出するときなど、決まり決まったフォアマットに乗っ取り対応しないといけない現実がある。このような事をシステムという解釈をすると解りやすいと思います。コモデティはその他大勢な意見、考え方。商品を安く供給する為や、企業や公共機関の合理化の為にあらゆるものがシステム化されて、一般化、簡易化、されて、個人の個性や、意思を尊重し、個別に対応する事がなされなくなった事で、区別されない。特別なつながりが感じられない、現在はそんな状況にである。

そんな状況であるという事を理解することは大きなビジネスのや自己成長のチャンスでもあるのだ。

ある会社を例にとり、成長し、成功の例をしめしています。
退屈なワクワクしな目標を掲げている多くの会社の中で、この会社はワクワクを示し、新しく選ばれる存在になると考えていた。多数派はある意味では人(顧客)をシステムの一部として扱うので個性が無く、価値感、魅力が無いのだ。そのいう姿勢に多くの人は不満を持っていたり、違和感を感じている。この事をある会社は理解していたのだ。本来はシステム(決まり、規則、合理化の為に作られたルール)が正しいわけでは無く、皆さんの感性やニーズの方向性が正しいという事をだれかが言って欲しいと感じているわけなのです。システムは社会にとって必要である事は誰もが認める事だけれど、そういう枠組みの中で取り扱われる、いつもと同じルールの従わないといけないという現実に嫌気がさしてきていているのだ。

誰もがもっている必要だけど、嫌いだ、このジレンマの中に希望が持てるチャンス。誰もが形にする事ができていないチャンスがある。

づづく
人は本来、システムというものを信頼しないものだ、 システムは様々な状況や適用法に従って様々な意味を持つ物である。システムは個別対応を失わて誰もが同じようにルールに従って処理されてしまう。システムは社会システムを意味する事もある。時には大きな競合を意味するかもしれない。または、政府の方針かも知れない。人によっては人生がこんな風になってしまった事かもしれない。効率化が求められ、個別対応が失われ、システムがあまりにマニュアル化されている為お互いがお互いをコモデティに格下げしてしまったことかも知れない。この考え方は何もビジネスに限った事では無い。人生全般のおいて人類がコモデティになってしまったと感じてしまっているのである。だれもが自分がコモデティのように感じている。区別がつかない、目的が無い、つながりが無いと感じているのだ。現代はそういった社会なのである。そして、これは大きなチャンスであるとも言えた。

この会社は自分たちの事を平凡で満たされる事の無いノルマにとって変わる新しい選択肢に成りうるとみなしていた。人々が飽き飽きとした競合会社に対して彼らは、新鮮で個性ある選択肢に成りえたのだ。そして、多数派になることはコモデティになること考えているので、彼らは多数派になるつもりはなかった。多数派には個性が無く、価値観も無い。多数派の多くはシステムを導入しているが彼らは多くの人が本来、システムを信用せず怒りを抱えている事を知っていた。人はシステムが正しいのでは無く「皆さんのルールが正しいのですよ」と誰かに言ってほしいのだ。システムは必要なものではあるが人はシステムを毛嫌いしている。

そして、このジレンマの中にこそ、希望の持てるチャンス、誰も形に出来ていないチャンスが隠れていた。この成功した会社はこれを象徴する役割を担っていると考えていたのだ。彼らは様々な事に関する真実、もしくは知っておかなければ成らない事を、人々が知らされていないと言う事実を伝える基本的役割をも担っていた。例えば、ある商品の弱み、改善すべき事など、「知らない事を知らない」という事をクライアントに伝えたのだ。彼らは自分の役割を自覚していて。

「我々が知る限り、本当のところはこうですよと言う」
「これらのプログラムは一般的ですよ」
「これらのプログラムは特徴的ですよ」
「あなたは本当のところを知らされていないですよ」
「本当のところをお話しましょう」
と真実を誠実に語るのだ。多くの人は目の前に示されない事には何に焦点が当たっているのか解らないと彼らは信じていた。実際のところ私が思うに、この世界の実に多くの人がビジネスライフの真の意味。ビジネスの世界で生きて行くことの意味を理解しないままでいる。ちょっと思い出してほしい、漠然として相対的な話になってしまうのだが自分の心が何か、受け入れられたような、こころが包み込まれたような感覚、そういった感覚を思い出して自分自身に聞いてみて欲しい、どのようにしたら顧客、あるいは従業員、取引業者にも同じような感情を経験してもらえるだろうか?彼ら、つまり、成功した会社の人々がはたしている機能の鍵となる要素は人との絆で人々が次のステップを踏めるように手助けをすることであると彼らは感じていた、人々に情報を沢山与えたとしても、それを使って人々が何をしたら良いのか?何故それをするのか?本質的な部分で解らなければ意味が無かった、彼らの役割は点をつないで線を作り、人々に計画を立てさせ、次のステップを踏めるように手助けをし、保護者となる事だった。そしてそのステップを論理的で適切で明らかで簡単なものにすることであった。彼らの重要な役割は人々が明確に表現できなかったり、明快にできなったりした事を言葉にし、成長する事をサポートすることであると思っていた。あなたたち全員に伝えておく、声にはっきりと出して言葉にし、感じるという役割を担わないのは大きな機会の損失につながるという事を。伝えなければ解ってもらえないし、絆は構築できない、あなたがたは人間である。そして、人間はどんな環境にいようとも国籍を問わず、時代を超えて同じように感じるものだ。絆を構築するにはリーダシップを発揮し、クライアントの本質的な思いや「言葉」理解し、その理解を伝えて真実を語り、信頼にいたる保護者となることで成長を促す事だ。今まさに私があなたに見せたこの力学をあなたは何度も繰り返しあなたの顧客にも見せる事ができる。伝えることができる。これは同様に従業員、チームメンバー、取引業者、愛するもの、皆に対して出来る事であって、非常に強力なインパクトを生み出すものである、あなたにこの意味がわかっただろうか?
苦労をすると報われる、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありと言う言葉あるが。

日常生活や仕事においては「苦あれば楽あり」にフォーカスが向いてしまう。

自分自身の「苦」を自分自身のルールで作り、それを乗り越えたから「楽」が待っているのだと

自分の都合で思い込んでしまっている事があるのだ。

新規開拓に多大なコストをかけ苦労して手に入れた顧客との信頼関係。

失敗続きでうまく動作しなかった商品が苦労を重ねた結果、商品化された。

いづれの場合も業績が順調に伸びている。

苦労すればするほど、この良い状況が永遠に続くかのように感じてしまうのだ。

現在は慢性的に不景気が続いている。

仕事をする人にも焦りや苦労が多くのしかかってくる。

だから、少しでも良い話や、売り上げ増につながる話があると。

「自分の苦労は報われた」と自分に都合の良い思い込みをしてしまう。

その時の気持ちはちょうどこんな感じなのかも知れない。

「苦労して山登りをして、頂上に到着した、やっと休憩が出来る。」

この瞬間の気持ちは大事だと思う。

でも世の中そう甘くない。そんなに長続きせずに売り上げが落ち込む事がある。

それも良いと考えよう。

なぜなら、長続きする繁栄は、人の成長や向上心をストップさせるからだ。

怠惰な仕事への感性は、

あなたの商品やサービスの輝きを失わせてしまう。
自分のココロの中で「どこか自分は間違っている。なにか間違いがあるのでは無いか?正しい事をしていない。」と感じているところがある。極端に謙虚に思う事が、その感覚を増幅させているように思える。

だから、クレームや不具合が発生した場合は、自分の担当したパートを疑ってかかる。緊急を要する状況においては一種のパニックになり、間違っていないところを間違っていると勘違いしてしまい。正しいものを間違っていると誤診してそれを修正する。当然、間違いの結果を産み出す。修理しているはずが壊している。そんな状況になる事も少なく無い。

状況をもっと平易にとらえ、単なる情報としての重みとしてとらえ、感情的な衝動に振り回されること無く理論的に問題の原因を追求する、そんな思考をクレーム処理や、不具合の修正では必要とする。

情報に対して、早く処理しないといけない(これが感情の引き金を引く)→慌てる→正確な判断が出来ない。
また、自分以外の他人や会社の反応が鈍いと大きないらだちの感情がわき起こる事がある。

「早く処理しないといけない」をチャンクアップすると、「困っている状況をなんとか早く自分がなんとかしないといけない」と思っている事だと感じる。そのために何が出来るのだろうか?全身全霊で立ち向かう。

全身全霊で立ち向かう、その結果。それがきわめて良い方向性を示す場合もある。その結果が望ましいのだが、問題が解決する事は、普通では無い状況が普通に戻っただけ。だからあまりクライアントからするとあまり重要でない。と感じられてしまう。

問題は、その人や会社が普通ではない状況にあることで「困った」と感じること。機械が故障する。人が急遽休んでしまう。電車が止まる。これら問題は解りやすい。問題を問題と認識する事が感覚的であり、実践的だからだ。

でも、本当の問題は、問題がある事に気づかないという事かも知れない。僕はいろいろな経験を通じてその見えない問題を見えるようにする事の提案がクライアントに対して出来るのだと感じている。
顧客指向と称して、顧客の意見に機敏に対応する事が競合他社に比べ優位性を維持できるのだと考え極端な顧客傾倒型の営業が最近目につく、「お客様は神様です」の乗りだ。
だから少しぐらい理不尽であっても、正しく無いと思われても、その意見は絶対であるという考え方だ。
だから逆にいうとクライアントに斬新な提案やプレゼンが出来ない。いろいろな選択枝を提示してクライアントに選択させるのを提案だと考えている感じがする。選ぶのをクライアントにさせている。
リクスをクライアントに投げている(預けている)、自分の会社はリクスをテーキングしないという営業スタイルだ。

そんな会社、履いて捨てる程、世の中にはうじゃうじゃいる。

それが正しいと会社内で信じているから、それがルールになっている。

「クライアントがものをあるいはサービスをあなたの会社に依頼するのは、あなたの会社を儲けさせるために依頼するのではない。」解っているつもりでいても、なかなか頭とココロでこの事を本当に理解する事は難しいというか、リアリティの無い、文章や言葉でどれほどの事が伝わるのだろうか?まして、間接的にクライアントと接している場合ななおさらである。

何かをあなたが人に頼む時、自分が成し遂げたいものを実現する為に手助けをお願いしている、でも、依頼する人にはその事を全てを伝える事は恐らくしないだろう、依頼する方の専門分野の知識やサービスを買う事で、自分がなし遂げたい事に近づく事ができるから、お願いをするのだ。

その時、自分が伝えきれる事ができなかった、意図を読みとり、斬新なあたらしい方向性を具体的に提示してくれる提案者にココロを奪われるだろう。

クライアントのオファーを良く考えてみる、この依頼は何故?あるのだろう?クライアントは何を成し遂げる為に私にこの仕事の依頼をするのだろうか?と。

その考え方の「視点」を持つ事で、あなたがものを依頼された時の反応が変わる事が成長につながるのだ。

クライアントはあなたの会社から「何を」買っているのか?

便利だからなのか?
安いからのか?
他に比べ商品が優れているからなのか?

それとも・・・・