渡辺繁一のブログ -15ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する


ジャック「ちなみに君は命を救ったと礼を言ったが僕は何もしていない。彼らが治した」
ザイード「誰が治したかよりも俺が誰を信じるかだ、君が飲めと言うのなら、私はその薬を飲む」

『LOST シーズン6』 より

この話の内容で何処までの状況が伝わるか、少し疑問なのだが、信じるとは、真実であるからそれを信用する訳ではないのだ。
自分自身が本当に信用できる人からの話、かどうかに尽きる。
誰もが地球が丸いということは事実だと知っているが、直接確認した訳ではない。学校で学んだ、先生に教えてもらったから、ということが理由にあるかもしれない。だから、本当は間違っているんじゃ無いか?なんて全く考えない。自分が正しいと信じる人あるいは信用ができる情報のソースであるからそれを疑う事無く信じている。
「そんなこと当たり前じゃん」「常識だ」と思う人がいるかもしれない。

思い込みは、信じ込むことから生まれる、逆にいうと、本当に信じないことには、思い込みにならない。
信用できる人、先生や上の立つ人たちのいう事を、私たちは、正しいことだ、良い事だけを学んでいる、教えてもらっていると思って生きてきた。
つまり、そういう「思い込み」が根底にあるのだ。


脅迫は気がめいる仕事だ、
善人には切ないほど効き目がある。
過ちを悔やむタイプは脅しにも弱い。
 映画『バーンノーティス』から

そう、ここでいう善人とは、万人に好かれ、裏表がない人、悪い言い方をすると八方美人、という見方もできる。良い方向からみるか、悪い方向から見るかでイメージは全く異なって見える。
でも、真実は一つだと言える、自分を信じる力を一つの軸で表してみる。真直ぐにその軸が向いていれば、自分を信じる力が強い、横に倒れてしまった状態では、自分自身を信じることが出来なくなった状態というイメージをして欲しい。

真直ぐに向いている状態では、他人の意見を聞かないのでは無く、単に情報の一つであると考えて意見を聞く事ができる状態。

斜めになると、「相手に自分があわせないといけない」「自分が間違っているではないか」という力がなにも意見が無い状態でも心理的に影響を及ぼしている状態であると言える。

同じ質問に対しても、傾き度あいで答えは同じだが、心理的に及ぼす影響が変わってくる。
質問がある事を相手が知りたいので教えて欲しい、という内容だったとしよう。

前者は、今そのことは、解らない。知っているか?知らないか?ただそれだけだ。
後者も解らないと答えるが、後者は感情に影響がでる。「なぜ、自分は答えることが出来なかったのか?」相手に対して迷惑をかけたのは無いかと気をつかってしまう。
もう一つ例をしめそう、あるプロジェクトである人が設計したものがある。ある日、不具合が生じたのでと現場にいってみると、空調の吹き出し付近に設置された照明器具の電球切れが他のものに比べ早いという。
前者は、情報として設計時にその検証をする立場ではなかったことを主張する。
後者は、設計時にその検証をするべきであったことを悔やむ。
軸が斜めになると、なんでも自分の事のように背負い込む。
やさしい、と思われる反面、影響されやすいので騙される。

脅しは、最高、最悪のプレゼンテクニックだ。
特に、軸が斜めに傾いている人はすぐに効く。
なかには脅しと感じずに、その「プレゼン」にまんまと合意する人いる。
詐欺は、脅しを10とすると、7から6ぐらいの話をして、
軸が斜めに傾いている人の感情を揺さぶる。
人が本来持っている感情の欲求は6個ほどあるだが、
脅しはこのなかの2個の欲求を刺激する。
不安(痛み)を取り除きたい。安定したい。
人に気に入られたい。認められたい。

振り込め詐欺もこの原理を使っている。


ピンチになったとき、脳はなかなか物事の意味をポジティブに変換してくれないものなのです。

今読んでる本『スタンフォードの自分を変える教室』の中では、緊急事態には、血糖値がさがり、脳はいまだに目先の事だけを考え、衝動的な行動にでる傾向が強くなります。そうすると脳の優先順位はとにかくエネルギーを補給することになってしまい、長期的な目標に基づいてよりよい決断をするどころでは無くなってしまいます。
自分自身のやっちゃった痛い失敗の出来事は、まさに、短期的な視野でしか物事を考えられなくなってしまったことにあります。プロジェクトの引き渡しが出来ず、約1億の入金が遅れ、関連の会社にも大きな被害を自分の責任において負わせてしまった。

一種のパニック状態が約2週間ほど続きました。食欲は無く、毎日ごめんなさいを繰り返す、夜になると現場に行って作業、朝、施設がオープンする前に撤収し、朝から問題解決の対策を立て、協力してもらえる会社を当たる。睡眠時間はありません。電車移動の間が睡眠の時間でした。風呂に行く時間も惜しんで仕事をしていました。問題解決の為に藁をもつかむ思いで仕事をしていたのを思い出す。

今にして見れば、常に血糖値が下がっていた状態だったのでしょう、簡単な判断、割り勘のおつりの計算も出来なくなっていました。たらなかったのは、「食べて寝る。」ことだったのですが、きわめて短期的な視野でしか物事を判断できないという状態になっしまっていることすら、自覚が有りませんでした。

2度目の失敗、映像編集が遅れ引き渡しができない状態がまた起ります。その時の気持ちを当時の日記では、「自分の命と引き換えに引き渡しができるものならしたい」と書いてありました。思い詰めて衝動的な行動にでてしまう気持ちになっていました。多分この状態が継続すると「うつ」になるのではと思われます。

「私の失敗によって大きな迷惑をかけた」という気持ちが、自信の無さをさらに強化していくのを感じていました。何をするにしても確認をとり、機嫌を伺う。自信が無くなるとどうなるか、文字通り、藁にすがるのです(笑)。私は人と目を会わせることをせず、身体の状態も抜群に悪い状態でした。

失敗から学ぶことができるのは、学べる状態、事実、起っていることを正確に分析する状態にすることができるステートにまず自分自身をリセットしないといけないということです。

もし、過去の自分に会えるなら、問題を失敗を正しく見るために、無理矢理にでも休ませ、気持ちの上でのゆとりを取り戻せるようにアドバイスすることでしょう。これはまず自分自身との戦いである、と。

自分が惨めな状態、つらい状態であることはわかる、「歩く惨めなおっさん」の役をやってることでメリットがあるのだろうかと、私はそこで、ネガティブな承認の欲求を満たそうとしていたのです。私の失敗で被害を被ったのは施主なのだが、「歩く惨めなおっさん」を演ずることで、施主や関係の会社から攻撃を巧みに交わそうと考えていたのでしょう。あやまり続けることでそういう役になってしまったのでしょう。
こういう見方をすると狡猾でずる賢い感じさえします。

人は自分自身も知らない防衛本能に守られていきているのではないだろうか?
いじめられて悲しそうな顔を見ると助けたくなります。
疲れた顔をすると大変なんだなぁと同情をひきます。
涙は悲しい気持ちを誘います。
「時として人は涙を武器にする。」ことを知ることも必要だ。

自分は、きちんと仕事をして現場を引き渡す。だけのことだ、
それがうまくいなかい。自分がダメだからこんな事態を招いてしまった。ということで自信のかけらも残っていませんでした。自分の性格を攻めると、後悔の気持ちを起こしてしまう。
問題解決の時間が無い状態では、後悔は時間のムダでしかない、貴重なクライアントから与えられた時間はそんなムダな時間に使ってはいけない。
自分の苦しみを取り除く為に問題があるのではない、問題はクライアントの価値を高めるためにあるのだ。


ここんとこ、混乱の連続だ。
業界の固くて古い習慣が新しい考え方を排除するのが、非常によくわかる。
しかし、自分の力は未熟なものだ、状況が解っていたとしても、ヒエラルキーの最下層で仕事をすることは、自分の仕事が役に立たないことが解っていても、言われたことをその通りにする事が収入をアップする事につながる、振り回される側になっているので仕方が無いことなのだが・・・・
こんなことが解るためにわざわざ海外のビジネスセミナーを受けた訳ではないのだが・・・・。
正論や、世間の常識は通用しない、業界のルールこそ常識なのだ、ヒエラルキーの上位の重要感に振り回される、はだかの王様がこの世界には住んでいる。取り巻く人は、自分のリスクにならない事だけを警戒して巧みにはだかの王様とつきあう。このプランは事業主にとっていいとか、悪いとかの問題ではなく、どれだけ儲けるか、どれだけリスクを無くせるか、他より安くできるのか、業界のフォーカスは迷走している。
決める人がヒエラルキーの頂点にいる、○○先生という人種だ。だから、多少の失敗も「あの先生だったら仕方ない」そういう部分でリスクをヘッジしている。
これではいいものは残らないだろう。
と遠巻きに業界の事を批判しても何も変わらない。
もし、私がこの役をやったら何をやってもみんなから叩かれるだろう。
叩かれるのを怖がっている、だからそれをしないと、できないと思っているのだったら、やらない事がいいのだろう。実はそういう選択を私はいままでし続けてきたんだ。
いや、もしかしたら、叩かれた時こそ、自分の柔軟性や、自制心、確信が試される時なのかも知れない。
本当はどうなのか?その他大勢の中で同じように、はだかの王様をフォローし、自分をだまし、生きるのか?それは生きていると言えるのか?
排除されるかもしれない、食えなくなるかも知れない、しかし、殺される事はないだろう。これを怖いとみるか、面白いとみるか、それが自分の挑む力なのだ。

勇者のヨロイはピカピカに輝いているという、戦いに戦いを重ね、無数の刀傷がヨロイのあちこちにつき、それが太陽を反射させ輝いて見えるだという。


ヘルマン・シェーラー 『チャンスを逃さない技術』
救いの手を待ちづづけることや、「こんなチャンスが訪れたらいいな」という夢想は、人のやる気を奪い、可能性を阻む。
ヘルマン・シェーラーが目を輝かせた選択肢。

計画は、理論的ですばらしい、文字通り、理にかなっている、でもその通りにやった。ということでどっかで満足してしまって(頭だけをつかって)いただけでは、もしその計画がうまくいかなかった時に理窟では解決できない事があった時に心に弱さがででしまう。
「これだけ頑張ったのだから・・・きっと良いことがあるだろう」
「これだけ苦労したのだから・・・・きっと良い運がくるに違いない」
と心の中は安定感を求めてしまう。
心の中に「白馬の王子様症候群」が根づいている。
日本でも、昔から
「信じるものは救われる」
「楽有れば苦あり」
最後の最後で、悪者をお殿様が退治する。(水戸黄門)
など、「白馬の王子様症候群」が国民的な根底のルールになっている。
この事を自分で認めないと、前進しない。
私自身もこの忌々しい考え方を苦労した時、心のよりどころとしてきたのだが。
自分を救うチャンスは待ってても訪れない。永遠にだ。
自分がその現状の考え方を把握し、どんな行動をしてしまうのかを理解することから、
どうすると良いのかが解ってくる。

そんなことがは無い、と思っていても、根底にあるので自分自信そんなルールに
影響させられていることすら気づいていないのかも知れない。
ゆっくり考える時間を作ることをおすすめします。