タタいて美味しいタンパク源
またもゴハンの話。
看板は猫なのに、実はゴハンブログだったかと自分でも思うくらいだが、ま、元々いい加減なのでご容赦を(´∀`)
タンパク源が欲しい!でも肉はやめとこうかな~……。そんなゆうべの晩ごはん。
そんな時にはやっぱりお魚! 近所のスーパーの鮮魚売り場では、夜になると、刺身とかサクとかが安くなる。生ものだからね。今日はサクを198円でGET。
スーパーは夜に限るね。(バナナは売り切れてるけど……)

そのサクを焼き網でぐるりをきれいに焼いたら、あっという間にカツオのたたきだ。
あとはきれいに切って盛りつければご馳走の一丁上がり。
引き締まった赤身はヘルシー。焼いてあるから表面のあぶらも落ちているし、下に貝割れとさらし玉ねぎをたっぷり敷いて、ぽん酢でいただきます!
ぽん酢のすっぱさは、食欲増進するなあ。
あっという間に完食してしまった。
他は、かぼちゃとがんもの煮物や漬け物、だいこんとみょうがの味噌汁。
秋はいろんなものが美味しくなるようで、どんどん食欲が増してくる。
ああしかも、こうしてヘルシーにタンパク源補給したのに、やっぱり欲しいお肉。近いうちに、ニク補給もしなければっ!
秋で肉といえば………やっぱアレかな?
看板は猫なのに、実はゴハンブログだったかと自分でも思うくらいだが、ま、元々いい加減なのでご容赦を(´∀`)
タンパク源が欲しい!でも肉はやめとこうかな~……。そんなゆうべの晩ごはん。
そんな時にはやっぱりお魚! 近所のスーパーの鮮魚売り場では、夜になると、刺身とかサクとかが安くなる。生ものだからね。今日はサクを198円でGET。
スーパーは夜に限るね。(バナナは売り切れてるけど……)

そのサクを焼き網でぐるりをきれいに焼いたら、あっという間にカツオのたたきだ。
あとはきれいに切って盛りつければご馳走の一丁上がり。
引き締まった赤身はヘルシー。焼いてあるから表面のあぶらも落ちているし、下に貝割れとさらし玉ねぎをたっぷり敷いて、ぽん酢でいただきます!
ぽん酢のすっぱさは、食欲増進するなあ。
あっという間に完食してしまった。
他は、かぼちゃとがんもの煮物や漬け物、だいこんとみょうがの味噌汁。
秋はいろんなものが美味しくなるようで、どんどん食欲が増してくる。
ああしかも、こうしてヘルシーにタンパク源補給したのに、やっぱり欲しいお肉。近いうちに、ニク補給もしなければっ!
秋で肉といえば………やっぱアレかな?
青い箱のヒミツ
我が家に遊びに来た友人らに、よく訊かれることがある。
「あの青いのは何? 小型冷蔵庫?」

そう、キッチンの目立つ場所に、青くてピカピカしたキューブ型の箱があるのだ。
この質問が出ると、内心ニヤリとする。
何故なら、“パッと見正体がわからないこと” が、これを買った理由のひとつだったから。
別に変わったものではなくて、どこの家にも一台はあると思われる家電なのだが、見た目がいかにもソレ、というのがちょっとイヤだったのだ。
その正体は、開いてみればすぐわかる。

そう、ただの電子レンジ!
しかも、複雑な機能は一切ない、単機能の電子レンジ。
普通と違って見えるのは、操作部が横でなく上に付いているからだった。
何故単機能レンジを?と思うかもしれないが、9年ほど前まではオーブンレンジを使っていたのだ。
それが、ある日突然壊れた。オーブンの機能は大丈夫だが、電子レンジがダメになってしまった。
オーブンとしてだけ使い続けることは可能だったが、以前からその異様に大きな図体が気に入らなかったので、この際だからとコンパクトなデロンギのコンベクションオーブンに買い換えることにした。
そうすると、電子レンジはどうする?無いとやっぱり不便だ。
見た目が似たような、オーブンとレンジがふたつ並ぶのも、やっぱり変な感じだ。
何かいいアイデアはないかと電器屋をブラついていた時、目に飛び込んできたのがこの電子レンジだったというわけ。
これなら、一見電子レンジに見えないし、それになんかキレイな感じだし。
機能なんて、解凍と普通のがあれば、全然問題ない。以前のオーブンレンジでも、複雑な機能は結局使ったことが無かったからね。
そんなわけで9年前の夏、我が家のキッチンにこの青い箱がやってきた。

もちろん、デロンギのオーブンも一緒にだ。
どちらも、毎日活躍してくれるキッチンの頼もしい仲間。
ところで電子レンジとオーブンが別になって、よかったこと。
オーブンを使っている間も、電子レンジが使えること。
前のは、たとえ同時じゃなくても、オーブンを使ったすぐあとは庫内が熱くて、すぐには電子レンジが使えなかったりしたものだ。
オーブン料理好きな我が家には、オーブンレンジは向いてなかったのだった。
今はそれに加えてガスオーブンもあるので……パンを焼きながら料理もできて、同時にレンジで下拵えも……やりたい放題なのである。
「あの青いのは何? 小型冷蔵庫?」

そう、キッチンの目立つ場所に、青くてピカピカしたキューブ型の箱があるのだ。
この質問が出ると、内心ニヤリとする。
何故なら、“パッと見正体がわからないこと” が、これを買った理由のひとつだったから。
別に変わったものではなくて、どこの家にも一台はあると思われる家電なのだが、見た目がいかにもソレ、というのがちょっとイヤだったのだ。
その正体は、開いてみればすぐわかる。

そう、ただの電子レンジ!
しかも、複雑な機能は一切ない、単機能の電子レンジ。
普通と違って見えるのは、操作部が横でなく上に付いているからだった。
何故単機能レンジを?と思うかもしれないが、9年ほど前まではオーブンレンジを使っていたのだ。
それが、ある日突然壊れた。オーブンの機能は大丈夫だが、電子レンジがダメになってしまった。
オーブンとしてだけ使い続けることは可能だったが、以前からその異様に大きな図体が気に入らなかったので、この際だからとコンパクトなデロンギのコンベクションオーブンに買い換えることにした。
そうすると、電子レンジはどうする?無いとやっぱり不便だ。
見た目が似たような、オーブンとレンジがふたつ並ぶのも、やっぱり変な感じだ。
何かいいアイデアはないかと電器屋をブラついていた時、目に飛び込んできたのがこの電子レンジだったというわけ。
これなら、一見電子レンジに見えないし、それになんかキレイな感じだし。
機能なんて、解凍と普通のがあれば、全然問題ない。以前のオーブンレンジでも、複雑な機能は結局使ったことが無かったからね。
そんなわけで9年前の夏、我が家のキッチンにこの青い箱がやってきた。

もちろん、デロンギのオーブンも一緒にだ。
どちらも、毎日活躍してくれるキッチンの頼もしい仲間。
ところで電子レンジとオーブンが別になって、よかったこと。
オーブンを使っている間も、電子レンジが使えること。
前のは、たとえ同時じゃなくても、オーブンを使ったすぐあとは庫内が熱くて、すぐには電子レンジが使えなかったりしたものだ。
オーブン料理好きな我が家には、オーブンレンジは向いてなかったのだった。
今はそれに加えてガスオーブンもあるので……パンを焼きながら料理もできて、同時にレンジで下拵えも……やりたい放題なのである。
兄たる太陽、妹たる月
以前のドノヴァンの記事で、「また別の項で」と予告してから一ヶ月が経過してしまったが、ようやく『Brother Sun, Sister Moon』(1972 伊) を取り上げようと思う。
『Brother Sun, Sister Moon』は、カトリックの修道会、フランシスコ会の祖である聖フランチェスコの青年期の物語だ。舞台は13世紀の始め、イタリア中部の町アッシジ。
映画の全編にわたって、ドノヴァンの美しい楽曲がアッシジの美しい風景を彩っている。
「Sunshine Superman」はサイケではじけた曲調だったが、ここでは「現代の吟遊詩人」という呼び名そのものに、メロディアスな音を聴かせてくれるのだ。
映画の冒頭、フランチェスコが戦争で傷つき病に倒れ、アッシジへ一人戻ってくるところから、ドノヴァンの歌が場面を導く。
裕福な商人の家に生まれ、何不自由なく何も疑問に感じることなく育った青年フランチェスコ。手厚い看護を受け病が去った時、以前とはまったく様子が変わり、きままに鳥や蝶を追い、花畑でぼんやり過ごすようになってしまう。
野原で遊ぶフランチェスコは純真無垢な子供のよう。Backには「The Lovely Day」が流れる。
そして、村はずれにある、荒れ果て崩れ落ちたサン・ダミアノ教会と出会うことになる。

町の美しい少女クララと草原で出会うシーン。
普通の映画だったら、青年と少女は恋に落ちるところだが、そこは聖フランチェスコの物語だからそうはならない。二人は、いずれ同じ神の道を行く者同士として、心から惹かれ合うのだった。
それにしてもクララを演じている Judi Bowker の、このみずみずしさはどうだろう。
純粋に無垢な美を追究したらこういう少女になるのではないか、と思える存在を見事に体現している。
イギリスのドラマなどで主に活躍したらしいが、彼女をキャスティングしたフランコ・ゼフィレッリ監督の目は確かだ。
(そういえば、かの『ロミオとジュリエット』にオリビア・ハッセーを抜擢したのもこの監督なのだった!)

父親に無理矢理つれていかれた町の教会で、神からの天啓を得て立ちつくすシーンは、神への畏れとでもいうのか、なんともいいようのない胸の苦しさが表現されていて、見ているだけで痛々しく感じてしまう。
キリスト像が閉じているはずの目をひらき、何かを自分に訴えているのを感じ取るフランチェスコは、魂の自由は信仰の中にあると信じ、行動するようになるのだ。
美しいシーンだが、この目が開くキリスト像は、怖い。夜には見たくないかもしれない…。

結局、フランチェスコは家を捨て身分を捨て、服すら全部捨ててしまって朽ち果てたサン・ダミアノ教会へ行ってしまう。
はたから見れば本当に「どうかしちゃってる」行動なのに、その口から出る言葉の純粋さに、誰も止めることができないで見送ってしまうのだ。
聖書にある言葉だけに従い、持たざることを美徳として、朽ちた教会を文字通り“自分の手”だけで修復しようというのだから、無謀そのものだ。
なのに、どこか羨ましいとすら思える。その疑わず信じる心は誰にでも持てるものではないからだ。

やがて、ひとり、またひとりと、フランチェスコの心に惹かれ、同じ道を行こうとする若者が集まってくる。町では、彼らを称して「サン・ダミアノ病」と呼ぶようになる。
映画の舞台は13世紀だが、映画が作られた時代のことも念頭においておく必要があるだろう。
サン・ダミアノ教会へ集まった彼らはいずれも、元は裕福な家の出で、遊び仲間でもあった。しかし、皆同じように戦争の中でいろんなものを見てきて、それぞれに思い感じるところがあったのだ。そこへフランチェスコの行動を見て、やるべきことを見いだすのだった。
この“戦争”を通じて世間に対する見方が変化する……というのは、映画が作られた70年代はじめ、若者たちの間でリアルにわき起こっていたムーブメントと通じるテーマになっている。つまり、ベトナム戦争と、その後起こったフラワーチルドレンと呼ばれた新しい若者文化の始まりだ。
もちろん、だからこそドノヴァンの起用なのであり、映画全体がひたすら美しい花々や歌に彩られるように進むのも、そういう時代背景を重ねてイメージされたものなのだろう。

70年代の若者たちが、真の自由について何かを求めて模索していたと同じように、13世紀のフランチェスコもまた、求めて行動する。
しかし、やはり純粋すぎるものは、次第に疎まれて攻撃されるようになる。何が間違っていたのか……。
70年代に起こったムーブメントもやがて終焉を迎え、その時代の若者は今は親の世代になっているが、映画の中の若者は今も輝いている。信じるものに向かって、新しい一歩を踏み出していくのだ。
これはおとぎ話のように美しく作られた映画だが、そういう意味で批判的な意見があるのも事実だ。
しかし、美しいものを美しいまま描くこともまた、大事なことではないだろうか。
※もっとリアリティのある「聖フランチェスコ」像を望むなら、1989年の『Francesco』が良いと思うが、今はそちらの方が入手困難になっているのが残念。
『Brother Sun, Sister Moon』の中で重要な位置を占めるドノヴァンの音楽だが、彼の曲が収められたサウンドトラックは存在しない。
サントラ制作中になんらかのトラブルが発生して、ドノヴァンが降りてしまったからだ。
以来、ドノヴァン自身のアルバムにも収められることもなく、今に至っている。もったいない…。
しかし幸いなことに、その他のドノヴァンによる挿入歌もYouTubeにUPされているので、ここにリンクしておこう。
A Soldier's Dream(映画の冒頭の曲)
Brother Sun, Sister Moon(映画の主題曲)
The Little Church 1(冬の最中、教会の修復をするフランチェスコ)
Shape in the Sky(川で、ハンセン病などの病人の世話をする)
The Little Church 2(The Little Church 1 と同じ曲。教会に集まった人々と歌う)

『Brother Sun, Sister Moon』は、カトリックの修道会、フランシスコ会の祖である聖フランチェスコの青年期の物語だ。舞台は13世紀の始め、イタリア中部の町アッシジ。
映画の全編にわたって、ドノヴァンの美しい楽曲がアッシジの美しい風景を彩っている。
「Sunshine Superman」はサイケではじけた曲調だったが、ここでは「現代の吟遊詩人」という呼び名そのものに、メロディアスな音を聴かせてくれるのだ。
映画の冒頭、フランチェスコが戦争で傷つき病に倒れ、アッシジへ一人戻ってくるところから、ドノヴァンの歌が場面を導く。
裕福な商人の家に生まれ、何不自由なく何も疑問に感じることなく育った青年フランチェスコ。手厚い看護を受け病が去った時、以前とはまったく様子が変わり、きままに鳥や蝶を追い、花畑でぼんやり過ごすようになってしまう。
野原で遊ぶフランチェスコは純真無垢な子供のよう。Backには「The Lovely Day」が流れる。
そして、村はずれにある、荒れ果て崩れ落ちたサン・ダミアノ教会と出会うことになる。

町の美しい少女クララと草原で出会うシーン。
普通の映画だったら、青年と少女は恋に落ちるところだが、そこは聖フランチェスコの物語だからそうはならない。二人は、いずれ同じ神の道を行く者同士として、心から惹かれ合うのだった。
それにしてもクララを演じている Judi Bowker の、このみずみずしさはどうだろう。
純粋に無垢な美を追究したらこういう少女になるのではないか、と思える存在を見事に体現している。
イギリスのドラマなどで主に活躍したらしいが、彼女をキャスティングしたフランコ・ゼフィレッリ監督の目は確かだ。
(そういえば、かの『ロミオとジュリエット』にオリビア・ハッセーを抜擢したのもこの監督なのだった!)

父親に無理矢理つれていかれた町の教会で、神からの天啓を得て立ちつくすシーンは、神への畏れとでもいうのか、なんともいいようのない胸の苦しさが表現されていて、見ているだけで痛々しく感じてしまう。
キリスト像が閉じているはずの目をひらき、何かを自分に訴えているのを感じ取るフランチェスコは、魂の自由は信仰の中にあると信じ、行動するようになるのだ。
美しいシーンだが、この目が開くキリスト像は、怖い。夜には見たくないかもしれない…。

結局、フランチェスコは家を捨て身分を捨て、服すら全部捨ててしまって朽ち果てたサン・ダミアノ教会へ行ってしまう。
はたから見れば本当に「どうかしちゃってる」行動なのに、その口から出る言葉の純粋さに、誰も止めることができないで見送ってしまうのだ。
聖書にある言葉だけに従い、持たざることを美徳として、朽ちた教会を文字通り“自分の手”だけで修復しようというのだから、無謀そのものだ。
なのに、どこか羨ましいとすら思える。その疑わず信じる心は誰にでも持てるものではないからだ。

やがて、ひとり、またひとりと、フランチェスコの心に惹かれ、同じ道を行こうとする若者が集まってくる。町では、彼らを称して「サン・ダミアノ病」と呼ぶようになる。
映画の舞台は13世紀だが、映画が作られた時代のことも念頭においておく必要があるだろう。
サン・ダミアノ教会へ集まった彼らはいずれも、元は裕福な家の出で、遊び仲間でもあった。しかし、皆同じように戦争の中でいろんなものを見てきて、それぞれに思い感じるところがあったのだ。そこへフランチェスコの行動を見て、やるべきことを見いだすのだった。
この“戦争”を通じて世間に対する見方が変化する……というのは、映画が作られた70年代はじめ、若者たちの間でリアルにわき起こっていたムーブメントと通じるテーマになっている。つまり、ベトナム戦争と、その後起こったフラワーチルドレンと呼ばれた新しい若者文化の始まりだ。
もちろん、だからこそドノヴァンの起用なのであり、映画全体がひたすら美しい花々や歌に彩られるように進むのも、そういう時代背景を重ねてイメージされたものなのだろう。

70年代の若者たちが、真の自由について何かを求めて模索していたと同じように、13世紀のフランチェスコもまた、求めて行動する。
しかし、やはり純粋すぎるものは、次第に疎まれて攻撃されるようになる。何が間違っていたのか……。
70年代に起こったムーブメントもやがて終焉を迎え、その時代の若者は今は親の世代になっているが、映画の中の若者は今も輝いている。信じるものに向かって、新しい一歩を踏み出していくのだ。
これはおとぎ話のように美しく作られた映画だが、そういう意味で批判的な意見があるのも事実だ。
しかし、美しいものを美しいまま描くこともまた、大事なことではないだろうか。
※もっとリアリティのある「聖フランチェスコ」像を望むなら、1989年の『Francesco』が良いと思うが、今はそちらの方が入手困難になっているのが残念。
『Brother Sun, Sister Moon』の中で重要な位置を占めるドノヴァンの音楽だが、彼の曲が収められたサウンドトラックは存在しない。
サントラ制作中になんらかのトラブルが発生して、ドノヴァンが降りてしまったからだ。
以来、ドノヴァン自身のアルバムにも収められることもなく、今に至っている。もったいない…。
しかし幸いなことに、その他のドノヴァンによる挿入歌もYouTubeにUPされているので、ここにリンクしておこう。
A Soldier's Dream(映画の冒頭の曲)
Brother Sun, Sister Moon(映画の主題曲)
The Little Church 1(冬の最中、教会の修復をするフランチェスコ)
Shape in the Sky(川で、ハンセン病などの病人の世話をする)
The Little Church 2(The Little Church 1 と同じ曲。教会に集まった人々と歌う)
餃子といえば宇都宮…?
10月になると、夫婦で楽しみにしているイベントがある。宇都宮で開催される、自転車ロードレース「Japan Cup」だ。
日本では認知度の低い競技だが、ヨーロッパではサッカーに並ぶほどの人気がある。その本場からやってくる名だたるチームと選手と直接ふれ合うことができる、貴重な機会なのだ。
そういうわけで、年に一度宇都宮に足を運ぶのが我が家の恒例行事になっている。
その宇都宮から、ちょっとびっくりするニュースが入ってきた。

よく利用するホテルが東側だったこともあって、この餃子像を勝手に「餃子ちゃん」と呼んでたのだが、まあ見るも無惨なことに。
これが在りし日の“餃子ちゃん”。私が2年前に撮影したものだ。
ところで、宇都宮が「餃子の街」になったのはいつ頃のことか、ご存じだろうか。
これはそんなに昔のことではないのだ。そもそもは、1990年に役場が主体になって町興しの為にアピールできるものを模索中、宇都宮の餃子消費量が国内でも上位だということに目を付けて、翌年には業者の団体「宇都宮餃子会」が発足したことが始まりだったらしい。
それを、更にメディアを利用して全国的に告知するべく、TV番組とタイアップして大々的に「餃子の街 宇都宮」を宣伝したのだ。そのタイアップの際に、番組の企画として“餃子ちゃん”が作られた。
この像は、それなりに「重要な」役割を持って誕生したのだった。
でもまあ、地元以外の人にはふ~ん、ってな感じなのは仕方ないことだな。歴史があるわけでも、芸術的に価値があるわけでもないから。
でも、長年見てると愛着もわくものだよね。壊れたと聞いて、私もみょう~に寂しく感じるし…。
それはそうと、餃子といえば……。
一昨年だったか、Japan Cupが終わって、会場から駅前までタクシーで戻る時のこと。
その車内での話題は「宇都宮の餃子」。友人夫妻が前の晩に宇都宮の有名店「みんみん」に行った話が出ると、俄然話に乗ってきたのは、地元民代表!のタクシーのおじちゃん(50代年配)。
「宇都宮はねぇ、元々は『みんみん』と『正嗣(まさし)』のふたつだったんだけど、今は増えたねぇ。学生の時は、毎日食べたよ」
「へー、本当にそんな昔からあったんですねっ」
「そう、そいで『正嗣』は、餃子しかないから、メニューに」
「よっぽど味に自信あるんだ。
潔いね。いいねー。東京だったら他にメニューあるよね」
「うん、それと違って『みんみん』は、
ライスはあるわ、ビールはあるわで」
うはははははは(笑)ってオイ(笑)
ライスやビールを「他のメニュー」っていうか!(笑)
てっきりチャーハンやラーメンのことかと思うじゃないかっ。
ということで、双方かなり「潔い」!!
そんな運転手さんの話に刺激されて、あと、友人の「美味しかった!」という報告の後押しもあって、駅についたらさっそく『みんみん』に入ったのだった。
焼き餃子と水餃子で、あとライス(笑)
ごく普通の餃子なのに、飽きない美味しさって感じで、実際どんだけでも食べられそうだった。
今年もまた24日から宇都宮行きだから、餃子も美味しく食べてこようっと。
餃子ちゃんはまだ復活してないかもしれないが……。
ところで、餃子ちゃんをデザインしたのが山田邦子だって事、意外にクローズアップされないなあ。
日本では認知度の低い競技だが、ヨーロッパではサッカーに並ぶほどの人気がある。その本場からやってくる名だたるチームと選手と直接ふれ合うことができる、貴重な機会なのだ。
そういうわけで、年に一度宇都宮に足を運ぶのが我が家の恒例行事になっている。
その宇都宮から、ちょっとびっくりするニュースが入ってきた。
移転中の餃子像が真っ二つ 宇都宮、まさかの事故にあ然下野新聞SOON 2008年10月6日
写真撮影スポットとしても観光客に人気の高いJR宇都宮駅東口歩行者広場の「餃子像」が六日、移転工事中に滑り落ち、三日月型の像は真っ二つに折れた。折れたのは、台座部分と胸部分。像をつり上げるワイヤーが外れ、バランスが崩れた瞬間、前へ倒れた。
(中略)
移転工事は、同駅東口整備事業の一環。今月下旬に、同駅西口のバスターミナル西に移り、"新天地"で観光客を出迎えるはずだった。
(後略)(詳細はこちらで)

よく利用するホテルが東側だったこともあって、この餃子像を勝手に「餃子ちゃん」と呼んでたのだが、まあ見るも無惨なことに。
これが在りし日の“餃子ちゃん”。私が2年前に撮影したものだ。
ところで、宇都宮が「餃子の街」になったのはいつ頃のことか、ご存じだろうか。
これはそんなに昔のことではないのだ。そもそもは、1990年に役場が主体になって町興しの為にアピールできるものを模索中、宇都宮の餃子消費量が国内でも上位だということに目を付けて、翌年には業者の団体「宇都宮餃子会」が発足したことが始まりだったらしい。
それを、更にメディアを利用して全国的に告知するべく、TV番組とタイアップして大々的に「餃子の街 宇都宮」を宣伝したのだ。そのタイアップの際に、番組の企画として“餃子ちゃん”が作られた。
この像は、それなりに「重要な」役割を持って誕生したのだった。
でもまあ、地元以外の人にはふ~ん、ってな感じなのは仕方ないことだな。歴史があるわけでも、芸術的に価値があるわけでもないから。
でも、長年見てると愛着もわくものだよね。壊れたと聞いて、私もみょう~に寂しく感じるし…。
それはそうと、餃子といえば……。
一昨年だったか、Japan Cupが終わって、会場から駅前までタクシーで戻る時のこと。
その車内での話題は「宇都宮の餃子」。友人夫妻が前の晩に宇都宮の有名店「みんみん」に行った話が出ると、俄然話に乗ってきたのは、地元民代表!のタクシーのおじちゃん(50代年配)。
「宇都宮はねぇ、元々は『みんみん』と『正嗣(まさし)』のふたつだったんだけど、今は増えたねぇ。学生の時は、毎日食べたよ」
「へー、本当にそんな昔からあったんですねっ」
「そう、そいで『正嗣』は、餃子しかないから、メニューに」
「よっぽど味に自信あるんだ。
潔いね。いいねー。東京だったら他にメニューあるよね」
「うん、それと違って『みんみん』は、
ライスはあるわ、ビールはあるわで」
うはははははは(笑)ってオイ(笑)
ライスやビールを「他のメニュー」っていうか!(笑)
てっきりチャーハンやラーメンのことかと思うじゃないかっ。
ということで、双方かなり「潔い」!!
そんな運転手さんの話に刺激されて、あと、友人の「美味しかった!」という報告の後押しもあって、駅についたらさっそく『みんみん』に入ったのだった。
焼き餃子と水餃子で、あとライス(笑)
ごく普通の餃子なのに、飽きない美味しさって感じで、実際どんだけでも食べられそうだった。
今年もまた24日から宇都宮行きだから、餃子も美味しく食べてこようっと。
餃子ちゃんはまだ復活してないかもしれないが……。
ところで、餃子ちゃんをデザインしたのが山田邦子だって事、意外にクローズアップされないなあ。

