第二章 7
「ヒカルさん、もう少しゆっくり歩いてください」
「ああ、悪い」
「ほら、真央ちゃん、そんなに一人急いだら危ないでしょ。ちゃんと縄を握って!」
ヒカルとカヲルは、散歩用の縄をつかって子供達と敷地内の広場へ遊びに出かけた。
散歩用の縄と言うのは一本の長い縄に丸い吊り輪が何カ所かに付いていて、子供達はその縄についた吊り輪に握って目的地まで先導される。
縄の列の最前列にはヒカルが、最後尾にはカヲルがついて、施設から広場まで先導してゆく。
「なんか幼稚園の先生みたいですね」
「ホントだね」
「ヒカルちゃん、ボク、ここからは一人で行けるから先に行っても大丈夫?」
「私も先に行きたい!」
「ダメ。ダメ。お前達は勝手な事をしないの。団体行動の時は秩序が大事なんだからね」
「くくっ……」
ヒカルの先生ぶったセリフを聞いて、カヲルは肩を振るわせ笑いをかみ締めた。
「おい!カヲル、笑わないでよ」
「だって……ヒカルさんの性格で秩序とか言われても説得力ないし……」
「ちつじょ?」
「ちつじょってなに?」
聞き慣れない難しい単語だったのか、連れていた子供の一人が質問した。
「ああ……難しい言葉を使ってごめんね。ヒカル先生はね、みんなで行動する時は、勝手に行動しちゃ危ないよと言いたかったんだよ」
「どうしてあぶないの?」
「目が見える子供でも、急に飛び出したり、一人だけ違うところへ行ったら迷子になったり、みんなと離ればなれになっちゃうでしょ。まして僕達は目が不自由だ。ここはまだ施設の敷地の中だから迷子になってもまだ探せるけれど、街でそんな事になったら後で辛い思いをするのは君たちだからね。ヒカルさんは、君達を心配してくれているんだよ。こういう事は普段からちゃんとしておかないとね」
カヲルは子供達に優しくそう言い聞かせると、子供達も黙って聞いている。
「うん、わかった。ボクみんなといっしょに広場までいくよ」
「そうだね。話を聞いてくれて僕も嬉しいよ」
子供達はそれを聞くと、再び吊り輪を握りしめた。
ようやく広場につくと、子供達は思い思いの遊び場へと散ってゆく。広場といっても敷地の中の一部の施設なので、危険なところはない。広場は完全にバイアフリー状態で、段差は全てスロープがついており、要所には点字付きの手摺りもついていて、広場面積のほとんどが芝生になっていた。
子供達は、ただ何もない場所で芝生の上で転げ回って楽しんでいる。
ヒカルとカヲルは、広場の入り口のベンチに腰をおろして、子供達を見守っていた。
「カヲル、ありがと。さっきは助かったよ。本当に先生みたいだったよ」
「そうですか?こんな僕でも少しは役にたったのかな」
カヲルは少し謙遜して苦笑いをした。
「子供と遊ぶのは好きなの?」
「ええ。僕もまだ子供ですし」
「それはイヤミ? 私よりデカイ図体しちゃって」
ヒカルは少しふざけて、カヲルの脇腹にパンチをする。
あいたた……。
カヲルも笑いながら、大げさなアクションした。知らない人がみたら、二人のやりとりはとても盲人には見えないだろう。
カヲルは大げさに「痛い!」といいながら、ベンチに横になった。
ベンチに横になって天をあおぐと、お日様が真上にあった。日差しはまだ暑いが、風はなんとなく秋を感じる。
ゆっくりと時間が過ぎるのを、こうやって二人で共有できる。カヲルは幸せだなと思う。幸せなのはよいけれど、これに慣れるとヤバイなと思う。いままで生きてきた人生の中で、こんなに穏やかな気持ちでいる事ができるのは、初めてかもしれない。
幸せな時間を過ごしてそれが普通になると、此所を出たとき辛くなる。寂しさを余計に感じてしまう。こんな風に先を考えすぎる性格が、ときどき嫌になる。
「そう言えば、ここの施設、二十歳までなんだってね。カヲルは将来なんになりたいの?案外、先生も合ってるかもしれないよ。私に指文字を教えるのも上手いし」
「……」
カヲルは返事をしなかった。
ヒカルは世間話の一環として、話をしたつもりだったのに、何か気に障る事でも言ったのかと心配になり、カヲルの顔を見た。
カヲルはベンチから起きあがり、顔をまっすぐにのばして目は開いているのに、どこか遠い眼差しをしている。
「僕に将来なんてあるんでしょうか」
「……カヲル?」
「僕は今までいつも誰かに世話をしてもらって生きてきました。この通り目が見えないのだから仕方がないのだけど。子供のうちはいいんです。誰かに助けられても、誰かに世話してもらっても、自分も周りの人もまだ小さいからという目で見てもらえる。でも僕は段々大人になってゆく。体だって大きくなるのに、未だ僕は誰かの手助けがないと、生活もできない。僕の将来はないのです。誰かの役に立つことなど、考えられない。この先、僕は死ぬまで、きっと誰かの介助がないと生活も出来ないでしょう。ずっとこのまま誰かに迷惑を掛けながらでないと生きてゆけない。ここだってあと一年したら出て行かなくちゃ行けないけれど、行く当てもないし、かといって生活できるだけの仕事が出来るわけでもない。最近、生きていても意味がないんじゃないかなとさえ考える事もあるんです。死んだ方がいいのかなって」
その時だった。
「馬鹿!」
カヲルの頬にパシリという音が響き、鈍い痛みを感じた。
「痛い!」
「痛いか?」
「急になにするんですか!」
「生きているからだ」
「え?」
「痛いと感じる事が出来るのは、生きているからだと言ってるんだよっ!」
「ヒカルさん……?」
心なしか、ヒカルの声が震えている。泣いているのだろうか。
「どうか……簡単に死ぬなんて考えないで。目が見えない不自由はあっても、カヲルは生きている。生きていれさえすればきっといつか良いことだってある。お願いだから、カヲルだけは生きて……」
「カヲルだけ…?」
「……」
ヒカルは返事をしなかった。泣いているのを我慢しているのか、嗚咽が聞こえる。あの時と同じだ。初めてヒカルが自室に来て、自分にすがって泣いた時だ。
カヲルはそっとヒカルのいる辺りに手を伸ばした。指先が少しだけヒカルの髪の毛に触ると、手探りでカヲルに近づき抱き寄せた。
「何があったんです? よかったら話してください」
ヒカルはしばらく声を押し殺して泣いていたが、カヲルの言葉を聞いてぽつり、ぽつりと話始めた。
to be continued……