第二章 6
最初はぎこちないと思われたヒカルとカヲルの関係も、少しずつだが仲良くなっていった。
みんなの前に現れた時にとったヒカルの不自然な態度の理由を「私が内緒でヒカルの過去を見てあげる」と意気込んでいた千秋も、なかなかヒカルに触れるような機会がなく、未だなぜヒカルがカヲルの名前を知っていたのか理由はわからないままだった。
カヲルもヒカルに訳を聞こうとしなかったので、結局誰も理由は誰も本人以外は知るよしもない。
ヒカルもあれ以来、カヲルに抱きついて泣くような事もなかったし、カヲルもまたそれを尋ねた事はなかった。
だが、たまにヒカルとカヲルの二人だけの時、カヲルはヒカルの視線を、強く感じる事があった。
目が見えるわけではないのだが、それはなんとなく気配でわかる。
そんな時、ヒカルはいつも堅い表情の様子だったし、無言でいる事が多かったので、いつもカヲルは気づかない振りをしていた。
(僕にもなにか出来る事があれば……)
カヲルはそう思っていても、なかなか自分からは言い出せない。そんな時、きっとヒカルは自分にすがりついて抱きしめられた時と同じ心情だと思うと、声を掛けるのが躊躇われた。
だが、それも続くと気になって仕方がない。
気になって仕方ないのに、カヲルは何も出来ないでいる自分を、心の奥底では歯がゆく感じていた。
そんなカヲルの様子を、本人意外に気づいている人間が、もう一人いた。
千秋である。
千秋カヲルは、カヲルと幼少時代から殆どの時間を一緒に過ごしてきた。ヒカルがカヲルの担当を受け持つようになって、少しずつだがカヲルが変わってきた事に気づいていた。
どちらかと言うと今までのカヲルは、過去を振り返る事が多く、一人で悩み、ともすれば自分の殻に閉じこもり気味だったのが、随分と明るくなった。それはいつもの二人の会話でもよくわかる。
今までは自分から何かをしようと言い出すようなことは希であったし、いつも誰かの提案にそって言葉をかけるような事がほとんどだった。
なのに、最近ではめっきりそんな態度はとらなくなった。カヲルの周りの空気さえも、今までと違うように思える。
近頃ではなぜか吹っ切れたような、自身に満ちた会話が言葉じりからもそれは伺い知る事ができた。
カヲルは、時々ヒカルに『指文字』を教えているようだった。器用で勉強熱心なカヲルは、全盲者がよく使う点字以外にも、『指文字』や『指点字』『手書き文字』など、盲ろう者が使うコミュニケーションツールも取得していた。
元々、ヒカルも頭がよいのだろう。
カヲルが教えると、水を吸い取るスポンジのように、あっという間に吸収していき、多少の簡単な会話なら指文字で成り立っているようだった。
時々、二人の笑い声が聞こえると思ったら、お互い指文字を使って冗談を言っている姿もあった。
「ねえ、カヲル。何かいい事でもあった?」
「いいこと?特別ないけど、どうかしたの?」
本人に尋ねてみても、千秋が納得するような返事は返って来ない。気がつくとカヲルとの会話も以前と比べて段々と減っていった。
ヒカルは見習いの介護福祉士だといいつつ、人の心に自分の心を添わせるのが上手い。
カヲルの担当の仕事はもちろん果たし、談話室でもっと小さな子供達と一緒にいる時は、いつの間にかその中の中心人物になっていて、最近ではヒカルの気配や声が聞こえると、「ヒカルちゃん遊んで」とせがまれる程で、小学生の担当の山本も「俺と担当変わるか?」と苦笑いされるぐらいだった。
「おーい!カヲル。今から子供達と一緒に散歩に行くけど、カヲルも行く?」
いつものようにカヲルが談話室の片隅で、ヒカルが子供達に絵本を読んで聞かせているのを遠くに聞きつつ、点字の本を読んでいる時だった。
久しぶりにカヲルの隣には千秋の姿があった。
千秋は遠目にヒカルがいるのを感じながら、いまだ果たせないでいる行いを、いつになったら実行できるかと様子をうかがっていた。
「僕も?」
「点字の本ばかり読んでないで、たまには外に出るのもいいよ」
「そうだね。じゃ僕も一緒に行こうかな」
「ああ。そうして。みんなで手を繋いで行くから、私一人じゃたりないんだ」
カヲルは点字の本をパタリと閉じた。
「千秋、じゃあ僕はこれで」
「カヲル……」
カヲルは席を立つと、子供達のいる方へ向かっていく。カヲルの気配が、目の前からなくなるのを感じて、千秋は哀しくなった。
今までこんな事はなかった。カヲルの方から、先に席を立つような事は、そうはなかった。いつもカヲルの側へ向かっていくのも自分だったし、去っていくのも自分だった。
きっといつものカヲルなら「君も一緒にどう?」と声ぐらい掛けてくれただろう。久しぶりにカヲルと一緒にいる事ができる機会だったのに。
目の前から一緒にいたいと思う人の気配がなくなるのが、これほど寂しいものだとは思わなかった。
私はカヲルの事が好きなのかしら?
あまりに一緒にいる時間が長すぎて、自分でもよくわからなくなってしまった。
初めて此所の施設に来て、ちゃんと向き合って話したのはカヲルだったし、それ以降だってカヲル以上に自分の事を知っている人はここの施設にはいないと思う。
カヲルも千里眼の秘密を知ってから、もう何年も経つと言うのに、未だあの時の約束を守ってくれて二人だけの秘密にしてくれている。それが今まで、どんなにカヲルが自分の事を大事に思っていてくれるかと思うと、とても嬉しくなってしまう。
けれど今はどうだろう。
カヲルは何も言わない。
自分のお得意の千里眼をもってしても、カヲルは自分にとって、恋愛感情を抱いていないのはよくわかる。
それを少し物足りないと思わなくはないけれど。
だが、かといってカヲルが自分以外の人を大事に思ったり、自分より他の人を優先する事は千秋にとっては耐えがたいものでもあった。
こんな事は初めてだ。自分のカヲルに対する気持ちも。カヲルが自分に対する態度も。
確実に自分達は大人になっていく。いつまでも子供のままではいられない。これを成長というのだろうか。
それとも、これは嫉妬?
どちらにせよ千秋は今までにない寂しさを、一人、かみ締めていた。
to be continued……
