成田セイリュウ オフィシャルブログ「なりなりブログ」Powered by Ameba -440ページ目

東京での会議


今日は朝から東京に。

京都の友人とともに新幹線に。

夏の苦しさ、問題点、評価、今後の課題、いろいろと話しながら、

途中富士山を見ながら、



あっという間に東京に到着。




議員会館にて食事。

友人とさらに合流し食事。

いろいろと話したいところだが、

13時から会議。

マスコミがかなり来ていた。




新代表挨拶、新幹事長のお話、幹事長代理から。

そして、質疑。

さまざまな意見が飛び交う。

本当に現場の苦労を感じ取る。

特に広報・メディア戦術に関しての意見が私の中では心に響く。




熱い思いはみんなもっている。

そして日本をすばらしい国にしたい思い、だからみんながんばっている。

今の政治では日本は破綻してしまう。だから地道にがんばらないといけない。

口でいろいろといっていても始まらない。

いまこそ本当に政権交代に向け、がんばっていかないと!




そして、今回他県でも意見が出ていた、地方議会対策。

もっと多くの人に民主党との結びつきを作ってもらい、

より多くの想いが地方政治、国政に届けられるようにしていかないといけない。

消費者・納税者・生活者の立場に立って政策立案を!



(↑党本部のHPより写真をお借りしました。さりげに写ってます。)



サポーター研修


今日は大津こども環境探偵団のサポーター研修。

琵琶湖に浮かぶ沖島に船で。

浜大津からの行きには、琵琶湖にすむ魚や琵琶湖総合開発などを学習。




その後、沖島に行き、お話しを伺う。

沖島にある奥津島神社は藤原不比等が建立され、沖島は湖上を行き交う船人から神の島として崇拝されていた。そして、現在すんでおられる祖先は「保元・平治の乱」でやぶれた武士が漂着して住み着いたとされている。

沖島は、漁業が中心的な産業となっています。かつては石材業も活発で、豊臣秀次が八幡築城にしようされたなどの歴史がありましたが、石材からコンクリートの時代に変わって行った為に廃山となりました。



私自身沖島には小学5年のころフローティングスクールでいきました。

そのときとあまり変わっていないなぁと思い散策していると、学校が新しくなっていました。



帰りの船では、ヨシ笛づくり。これまでと違い音階があります。

(私自身うまくできないけど…)




天気がよければ最高だったのになぁ。

(琵琶湖大橋を通過↓)



ラーメン


仕事を終える。

今日は友人の市議と食事の予定がドタキャン。

地元の用事が急遽。よくある話だ。

お互い事情が分るだけに、でも次の食事の際はごちになります。




ということで、筋トレに。

なかなか調子が上がらない。

重さも少しずつは上がっているはずだが、2ヶ月のブランクを取り戻すには、まだまだかかりそう。

でも、手首の調子は上々だ。

よく考えると、靴を買ったのに、まだ一度も走っていない…。




その後、洋大時代の友人とラーメンを食べに。

京都まで出る。

結構名の通ったラーメン屋。

並んでいたが、待てども待てども順番が来ない。

というか、人が出てこない。

そんなばかな?!

よく並んでラーメン屋に行くけど、回転ははやいはずなのに…。




ようやく順番がきて、中に入ると…

ゲッ…。

半ば居酒屋状況。酔っ払ってのんびりしている客が多すぎる。

食後にまったりとしている女性客、ラーメンを頼まずに、餃子をあてに飲んでいる客。




行列のできるラーメン屋なのに…。

外でたくさん並んでいるのに…。




ちょっと、苛立ちながら、ラーメンがくる。

食べはじめて…。

あれ?明太子がのっていない。




店員に聞くと、「下のほうにありませんか?」

いくら見ても見つからない。

ないでぇ~というと、しばらくすると持ってきてくれた。

しかし、半分食べてしまった。




隣の人が同じものを注文したので、横を見ると、

一番上に明太子が…。




せっかくおいしいのに、なんか後に残るラーメンでした。