奈良県明日香村〜「雷の丘」ってそこだったの!? | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
子育て終了を機に大学院博士課程修了、研究員になりましたが、2025春、大学を離れました。
奈良ソムリエ検定1級、飛鳥藤原検定初級、鎌倉検定2級
「はなこの仏像大好きブログ」もどうぞ http://naranouchi.blog.jp 

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時間が空いてしまいましたが、
これは、10月6日(日曜日)の話です滝汗
 
その日は私の誕生日だったので(それはどうでもいいけど)、
奈良県明日香村に行きましたニコニコ(なんで?)


明日香村は、秋たけなわ🌰🌾黄色い花

 
 
なんで明日香村に行ったのか?というと、稲渕の棚田と案山子ロードを見るためです

誕生日のお祝いを兼ねて?、旦那が私の一番行きたいところに黙ってついてくるというのです
(明日香村に行くことで誕生日のお祝いを済ませようとしている疑惑…🧐)
 
そんなこといいながら、旦那は
「美容院の予約があるので、明日香村を午後3時過ぎには離れたい」
とか言うのですニヤ
 

なので、早い時間から動くことにしました
 


黄色い花 黄色い花 黄色い花


ここは、橿原神宮前駅です↓
ここから、「亀バス」に乗り明日香村に行きます
明日香村まで最速コースです
 
亀バス乗り場は駅を出てすぐのところにありますが、途中の何にもない平らな場所で、何かに足をひっかけたようで、
エライ勢いでつまづいてしまいました(段差5ミリでもつまづくんだよなぁ)
 
つまづいた時、とっさに
「やばい!ハッここで転んだら、頭を打って怪我をする!ハッハッゲッソリ
と思い、
おっとっとっとっとっとっとっとっとっと…
…と、亀バスめがけて歌舞伎役者みたいに突進しました(恥) 

イメージ図↓
おっとっとっとっとっとっとっとっとっと…


傍らで、電話しながら歩いていた旦那が
薄笑いしながら冷めた目で
「どうしたの?」
と言ったときには
キレそうになりましたね(少しは心配しろ!)
 
 
バス バス バス
 



亀バスは橿原神宮前駅から、豊浦(とゆら)を抜け、石神遺跡のところで124号線を一旦少し北上し、小山というバス停でクルッとUターンして南下、今度は水落遺跡で東に曲がり、飛鳥寺方向に行くのですが(←分かる人だけでいいですよ)

その道中で、

私、40年間にわたって、すごい勘違いをしていたことに気づいたのです叫び
 
 
勘違いの場所は、↓ここです!
ここは、雷丘(いかづちのおか)という場所です
 
 
「雷丘」といえば、万葉集で柿本人麻呂が
 
おおきみは神にしませば 天雲の雷(いかづち)の上に廬(いほ)らせるかも(巻3、235)
 
と詠んだ場所なんですね
 
大海人皇子(のちの天武天皇)が壬申の乱(672)で、兄 天智天皇の子、大友皇子(皇位継承第一位)に兵を挙げて勝利したあと即位して天武天皇となり、現人神(あらひとがみ)として強力な権力を持ったため、万葉集では「おおきみは神にしませば…」という歌が残されている云々…
とよく説明されるわけですが
 
この壬申の乱が、天皇の弟と子の皇位継承争い
だったというところ、
ものすごく昔の古代の出来事なのに、令和の時代に聞くと、なんだかちょっと生々しく響く気がするのは、きっと気のせいだろう…にやり
 
 
で、話を戻して、私が40年にわたり勘違いしていたというは、こういうことなのです↓
GoogleMapで見てみますね
勘違いとは、雷の丘を隣の丘と間違え続けていた、ということです

これ、高校生の時に初めて犬養万葉にはまったときに、そもそも間違えてしまっていたのでした
 
間違えていた丘は、甘樫丘の北、飛鳥川のすぐそばにあり、竹が「上に向かってぴんぴん生えている」丘です
甘樫丘のバス停の正面です

そこを、雷の丘と高校生の時に初めから勘違いして覚えていたのでした
 
そしてその頃、所属していた弦楽部のビオラパート🎻の男子の短い髪の毛が、
「上に向かってぴんぴん生えていた」ので、「雷丘」というあだ名をつけました(ひどい)
その彼は、顔面は埴輪に似ていたので、他の友人からは「はにわ」とか「ハニー」とかいうあだ名もつけられ(ひ、ひどい…)
若干からかわれながらも、立派な大人になったようですよ…😅
 
 
 

 亀バスは、甘樫丘、飛鳥寺など、魅力的な場所音譜を通過しながら、石舞台まで行きました
 
 石舞台でバスを降り、
ここからは、稲渕に向けて歩きます
 


…そういえば、私は大学生のころに、数人のグループで芋峠を通って吉野まで抜けたことがありました

稲渕を通るのはそれ以来です

↓ちなみに大学生の時に歩いた石舞台→芋峠→吉野ルート

芋峠を通って吉野に抜けるこのルートは、
壬申の乱の直前に、大海人皇子が吉野に逃げた時に通ったといわれ
「虎に翼をつけて放てり」
と『日本書紀』に描写されているのは有名な話

詳しくはこちらなど↓




稲渕は芋峠ルートの途中にある集落です
明日香村でも比較的奥の方なので、なかなか一人では行きづらい場所です
誕生日なので旦那が「無文句」で一緒に行ってくれたのはラッキーでした😊





飛鳥川に沿って稲渕へ向かう途中の風景です
柿の実が色づいて、いかにも奈良らしい風景
 

民家が川沿いに点々とあって、庭のお花がきれいです
 
 




飛鳥川はうっそうとした山の脇に流れていて、
↓こんな味気ない万葉歌碑がありました
明日香川 瀬々に玉藻は 生ひたれど しがらみあれば 靡きあはなくに   
巻7、1380               



飛鳥川にかかる橋を渡ります
 


玉藻橋という橋のようです
 


←道しるべの左方向に行きます
 


もうね、飛鳥川がこんな感じで、いいねー
 

細い道と民家が続いています
 
 




うっそうとした道がひらけると、
そこは飛鳥稲渕宮殿跡
 

石碑もある
 
稲渕宮?
よく知りませんので、wikiを参照します↓↓

本宮殿跡の宮名については、『日本書紀孝徳天皇653年白雉4年)、中大兄皇子(後の天智天皇)が難波宮から飛鳥宮に帰り、一時期過ごした「飛鳥川辺行宮」(あすかかわべのかりみや)にあてる説があるが、なお、今後の検討が必要とされている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/飛鳥稲淵宮殿跡




立派な木がありました(この木なんの木?)

 

そして、犬養孝先生の万葉歌碑
 
 
 


10月6日は、すでに彼岸花は終わってしまっていたのですが、
それでも探してみると、チラホラとまだ咲いているものもありました
 
雨が降ったりやんだりしていて、ちょっと残念な天気


さりげなくお地蔵さん
 

たわわな稲穂…今頃はもう刈り取ったかな?
 

彼岸花を頑張って撮ってみた
 


ススキ🌾も美しい
 


棚田の風景がだんだん近づいてきました
 



なんと美しい風景なんでしょう!
さすが、日本の棚田100選!
 


赤い車が棚田の道を走っています

 


…というわけで、稲渕につきました

ここから、ユニークな案山子がたくさんの案山子ロードが始まりますが、長くなりましたので、また次の記事で…バイバイバイバイ



ばいばーいバイバイバイバイバイバイ