源氏物語 『まろ、ん?』と光源氏の邸宅 | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp






むらさき音符ピンク音符ブルー音符


 
塾の生徒さんからとても面白い本を教えてもらいました爆笑
 
 そのご紹介から始めます
 
本(といってもマンガなんだけど)の名前は
まろ、ん?」🌰
↑ちょっと本がヨレヨレですが…汗
 
 
これはサブタイトルにあるように
「源氏物語」を大掴みにマンガにした本なのです
 
 え?
 
じゃあ、なぜ本のタイトルが「まろん」なのかって?
 
なぜ、表紙の顔がまるで「栗栗」みたいなのかって?
 
 
 
それはおそらく、このような理由かと思われます
 
光源氏貴族
→「貴族麻呂
→「麻呂まろ、ん
→「まろ、ん
…という連想ゲーム的な展開がこの本を書いた小泉吉宏さんの頭の中にあったのではないでしょうか?(知りませんけど)
 
 
つまり、 
光源氏キラキラ ≒ 貴族 ≒ 麻呂まろ ≒ まろ、ん≒ 栗栗
 
という「殆ど等式」の関係から
 
「源氏物語」の中の女たらしイケメン光源氏キラキラ
↓こうなった?…んだと思われます
「ほえ?…」汗  かわいー!
 
 
「まろ、ん?」はこの栗坊やが繰り広げる平安のたおやかな物語なのです
 
 
栗ここでちょっと「まろ、ん?」を離れて、脱線しますが
源氏物語の舞台となった光源氏の邸宅の場所について少し考えてみることにします
 
光源氏の住んでいた邸宅のイメージって、こんな風ですよね?
これ、今年の春の「平安神宮」で私が撮った写真なんですが(このブログが写真カテゴリーにいるため、強引に出してみました)
平安神宮って、いかにも平安時代の雰囲気ですが、実はわりと新しいそうです
お散歩するのにとても好きな場所です
 
…と強引に平安神宮を出しましたが、
「源氏物語」 で光源氏が住んでいたのはここではなく、「六条院」というところです
 
この六条院があった場所 について考えてみたいのですが、『まろ、ん?』の中には下のように記されています(下の方の赤いところ)
 
 これをもう少し詳しい地図でみると、下の赤いところになります

六条院の設定場所
地図からは、東西は東京極大路と万里小路、南北は六条大路と六条坊門小路に囲まれた、4ブロックに六条院が設定されていたことがわかります
 
これはなんと!
光源氏のモデルとなったイケメンキラキラ源融(みなもととおる)という貴族の邸宅であった河原院(実在)があった場所と一致しているようです
 
河原院のあった場所については
南は六条大路、北は六条坊門小路、東は東京極大路、西は萬里小路に囲まれた4(一説には8町)の広大な敷地」(上記ウィキ)とか、
「平安京の都市計画にしたがえば、南北を六条大路と六条坊門小路に、そして東西を京極大路と万里(まで)小路とに囲まれた一郭と推定した」(大林組のHPより) (https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/genji/p03.html
などとあります
 
つまり、上の地図の赤く塗り潰した光源氏の六条院の場所に、実在の源融の河原院がぴったり一致するのです
 
 
河原院の住人、イケメン源融さん
↑清涼寺阿弥陀如来像
この阿弥陀如来像は、「イケメン源融キラキラをモデルにした」とされる清涼寺のものです(三尊です)
実際に見ると、とてもイケメンキラキラです
 
あれあれ?光源氏もイケメン源融がモデルでしたよね?
 
ひらめき電球ということは…上の方の「式」をつなげて
源融=清涼寺阿弥陀如来像=光源氏キラキラ ≒ 貴族 ≒ 麻呂まろ ≒ まろ、ん≒ 栗🌰
ってことになりますかね?
 
↓こういうこと?
     

:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
 
な、な、なんか、ちがう気がするわ
ゴホッ、ゴホッDASH!DASH!
 
光源氏の見た目をこれ以上考えてもロクなことにならないと思うのでやめるとして、次は
 
ひらめき電球源融の邸宅の場所が現在の京都のどこにあるか?ということについて考えてみたいと思います
 
上に書いたように河原院のあった場所は、
南は六条大路、北は六条坊門小路、東は東京極大路、西は萬里小路に囲まれた4町」でしたが、これを「現在の京都」の通りの名前に 
そのまま当てはめることはできない
ようなのです
 
なぜなら、「平安時代の通りの名前」と「現在の通りの名前」は
一部ズレているからなのです
 
えーつはてなマーク
「通りの名前」がズレるって、どーいうこと??
と思いませんか?
 
これ、京都以外の人にはあまり知られていませんが、こういうことです
↓例えば、この地図でわかるのは
現在の松葉通が当時は五条大路だったらしいということです
(『京の都 歴史を歩く』)
→つまり、義経(牛若丸)がひらりひらりと弁慶をかわした「京の五条の橋の上」も現在の松原橋の上だったということになります(間違っていたらご指摘おねがいします)
 松葉通って、そんなに広くないんだけどね…
 
このように、現在と平安時代とでは、東西に走る道がズレているので、
当時六条院(河原院)のあった場所に現在の通りの名前(青字)を当てはめると下のようになります↓
南北の通りは現代と平安時代でズレていないようですが、名前が変わってしまっているところがあるので、赤字で書いてみました
 
河原院のあった場所(赤で塗り潰したところ)は、今は五条通を含む北側万寿寺通までで、寺町通と柳馬場通に挟まれたあたりということになるかと思うのですが(いろいろ説があるようでよくわかりませんが)、そのあたりは今は割と地味なエリアなんじゃないか?と思われます
 
源融河原院跡は地図上にも表記されています↓
 
↓この場所には案内板があります
この案内板は2010年まで稼働していた赤線地帯の中にあるのです!
河原院は、鴨川から水を引き楼閣もあったような邸宅で、いかにも藤原好みだったようですが、
今では廃れた赤線地帯のキワに案内板が残るだけで、それが逆に「あはれなり」と思われるのでした
 
 
 
ところで、また脱線しますが今度は
六条院と河原院の場所を中世の『拾芥抄』所収の地図で確認してみることにします
 
注意『拾芥抄』については国立国会図書館のデジタルコレクションで調べた際に、平安京の朱雀大路(現在の千本通)を折り目にして、東西の道の名前が左右対称になってしまっている(西側には東側の道が反転している)という「謎」について記事にしました↓
 
その後、大学の図書館で『拾芥抄』を探しました
結果、図書館で見つけた『拾芥抄』は国会図書館とは違う写本のようで、京都の地図の左右反転はみられませんでした
 
その大学図書館の『拾芥抄』も、部分的な地図が数ページにわたり載せられていたため、一枚の地図に張り合わせで復元する必要があり、
復元したのが↓こちらです
 
↓元々はこんな風にバラバラの地図
これをハサミで切って通りの名前を目印にしながら貼り合わせ、復元したのが上の一枚なのです
復元作業を通じて、ほんの1ブロックも、ほんの一筋も違うことなく『拾芥抄』には正確な地図が載せられていることがわかり、驚きました
 
このようにして復元した『拾芥抄』の地図にも、
六条院と河原院と書いてある場所がありました(≧▽≦)
六条院河原院

『拾芥抄』所収の地図では、 
 六条院は東洞院と万里小路の間、河原院は東京極通と富小路の間です
 
でもでも!(゜д゜;)  なんか変だぞ!!
 
なんで、二ヶ所あるの?(同じ場所じゃないのか?)
なんで、(源氏物語の架空の)六条院が地図に書き込まれているの?
 
どーいうこと!?ヽ(`Д´)ノ
 
 
これについて、考えてみました
つまり
リアルに六条院が存在した可能性はあるのか?
…ということについて考えてみました
考えてもわからないのでてへ☆1、「六条院」で検索しなおしましたが、(検索の範囲では)六条院は源氏物語との関係でしかヒットしないのです
つまり、
六条院が実在したということは確認できなかった
のです
 
じゃあなんで、地図に六条院が書かれているわけ?
自分で考えなければならなくなりました汗
 
『拾芥抄』は中世の本ですが、原本が現存せず、後世の写本が数点伝わるだけのようです
 
とすると、後世の人が写本を作る時点で、あの有名な『源氏物語』に寄せて六条院と書いてしまったのでは?
…と考えましたが、皆さんはどう思いますか?


 
それからもう一点
現在、これより南にある渉成園という庭園も河原院の故地であるといわれています
ウィキにはこのようにあります

9世紀末に嵯峨天皇の第え12子・源融が奥州・塩釜の風景を模して作庭した六条河原院の故地とされる。付近に今ものこる塩竈町や塩小路通などの地名は、その名残りという。」https://ja.m.wikipedia.org/wiki/渉成園

 
うーん
これは、南にありすぎて上の話と所在地があわないぞ!

( ̄□ ̄;)
渉成園が河原院の故地であるならば、
河原院について書かれたwikiや大林組のHPの記載とも合わなくなってしまいます

もうこれ以上はわからないわ…お手上げです
 ┐( ̄ヘ ̄)┌




ちなみに大林組は六条院の復元をしています
 さすが、建設会社だけあって、図面もあります
六条院については
『まろ、ん?』にも、わかりやすいレイアウト図がありました(上の大林組の図面と同じハズニコニコ)
ハーレムですなぁ…ラブラブ
 
 
 
ふ、ふ、ふ…( ´ ▽ ` )

 
 本本本
 

話をようやく『まろ、ん?』に戻しますが
 
本のカバーの裏側に、わかりやすい人物図が描かれています
↑頭中将と、息子の柏木が、
ソラマメ〜о(ж>▽<)y ☆そらまめ
末摘花が、ブス〜!
(以前テレビドラマで泉ピン子が末摘花をやってましたね)


冒頭部
まろちゃんの紹介から始まります
 
お宅訪問も…六条院ですね
 


桐壺のはじめの部分
いづれの御時にか、女御・更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき 際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり」
が、↓こうなる 
 

幼少時代
 

栗とソラマメの出世グラフが時々出てきます
 


夕顔の段
 
こんな感じで源氏物語を読めば、わかりやすい



藤壺は美人さんに描かれてます
 


時々、↓このような教訓が挟まるのですが、高校生のテスト対策に有効だろうか?


わからなくなりがちな人間関係も、適宜説明が入るのでとても助かります 



まろちゃんが泣くとかわいいんだよね 
 
 



血は争えない
まろの子、夕霧ちゃん
 


源氏物語の目次って、殆どまろの女性遍歴ということだよね…

 
 ということで、学生さんもオトナも楽しめる一冊です
まだまだ暑い日が続くので、クーラー効かせた部屋でまろちゃんのお話読むのもいいかもしれませんよウインク
 
 光源氏といえば、ローラースケートの光GENJIを思い出すわね…イケメンだったよね?栗じゃなかったよね?



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