キリスト教の愛の教え
世界の歴史の中で「愛」の大切さを最初に教えたのはキリスト教ではないでしょうか。
イエスは「神を愛し、隣人を愛せよ」と教えました。しかし、その後の歴史で教会はかなり残虐な争いを起こしまくったので、イエスの教えを守ることはなかなか難しかったようです。
キリストは30歳ぐらいから教えはじめ、ユダの裏切りで3年後には十字架で死刑になっています。イエスが教えた期間はたった3年間で、ここまでの世界的な宗教になるとは考えられません。その背景には、12人の弟子とパウロの活躍があります。つまり、先生の死後弟子が必死で布教しまくったということですね。
その中でもパウロの功績は大きく、この人がいなければキリスト教は広まっていなかったでしょう。なぜなら、『新訳聖書』の1/3はこのパウロの書簡で構成されているからです。
パウロはイエスと直接会ったことはなく、最初はキリスト教徒を迫害するユダヤ教徒であり、サウロと名乗っていました。しかし、イエスの声を聞いてキリスト教に回心します。そこからキリスト教に猛烈に目覚めるという、ちょっと変わった人ですね。
このパウロも「神は愛である」という教えを広く伝えました。
パウロは12弟子には入っていませんが、ユダを抜いて(ユダは裏切ったので)パウロを入れた12弟子という考えもあります。
12弟子の中の一人トマスは、アジア圏にまで布教活動を行い、インドにキリスト教をもたらしました。
仏教の変化
仏教は大きく、大乗仏教と小乗仏教に分けられます。日本の仏教は基本的に大乗仏教ですね。大乗仏教は名前の通り大きな乗り物で、衆生みんなが救われるという教えです。小乗は、といっても小乗の人たちは自分たちを小乗とは言わず上座部仏教と呼びますが(自分たちを小さいとは言いませんね)、上座部はどちらかといえば個人の悟りを求める教えです。
大乗仏教の教えの特徴の一つは「他力本願」です。他力と言うと「他人に任せておけばいいじゃない」というちょっとずるい立場になってしまうのですが、この場合の「他力本願」は「阿弥陀如来が救ってくださるのでそれにおすがりしましょう」という教えですね。
阿弥陀如来は『阿弥陀経』に出てきますが、衆生を極楽浄土へ連れて行ってくれるという有難い仏様です。「悟りとか極楽とか行き方も分からんのだから、とにかく阿弥陀様に救ってもらおう」と考えて、ただ念仏を唱える。それが、
南無阿弥陀(なむあみだぶつ)
ですね。南無とは帰依するという意味で、南無阿弥陀仏は「阿弥陀如来に帰依します」という意味になります。このようなお経だけによる救い(専修念仏)を法然や親鸞が鎌倉時代に広めました。それが今の浄土宗や浄土真宗です。
見境なく誰でも救ってくださるという阿弥陀如来の慈悲、つまり愛ですね。
一方で、初期仏典といわれる『スッタニパータ』『ダンマパダ』『ウダーナヴァルガ』などの仏典には阿弥陀如来は出てきません。ここで釈尊(ブッダ)は「四諦」「諸行無常」「諸法非我」「涅槃」などの教えを説いていますが、全体として慈悲の教えはありません。
『阿弥陀経』で釈尊は「阿弥陀如来の説く法は私にすら説けない最上のもであり、無数の菩薩たちも阿弥陀如来を褒め称える」と言っているのに、初期仏典では全くそこに触れないというのもおかしな話です。
釈尊は紀元前5世紀ごろに生きた人で、『阿弥陀経』は1世紀ごろ書かれたとされています。前述したトマスの宣教がちょうど『阿弥陀経』の成立時期と重なりますから、何か影響を受けた(実際そういう研究はあります)と考えるのが自然ですね。
どちらがどう影響を与えたかはともかく、今から2000年前、紀元前後ぐらいに西洋ではキリスト教が起こり、東洋でも個人の悟りを説く上座部仏教から、大衆の救いを説く大乗仏教へと変化していったことは興味深いことだと思います。
これは鎌倉の大仏です。大仏というと釈尊の像だと思ってしまうんですが、これは阿弥陀如来像ですね。釈尊と阿弥陀如来は別人なので混同しないでください。この阿弥陀様が、私たちの最後の一人が極楽に行くまで見守ってくださるというのですから、ありがたいお話です。
ちなみに、奈良の大仏も釈尊ではなく盧舎那仏(るしゃなぶつ)です。そう考えると日本に釈尊の仏像は本当に少ないですね。
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