映画のストーリーだけど
岡本 これまで話してきたように、「現象世界は幻に過ぎない」とは言えますけど、それはどういう意味で幻なのかを考える必要もある。
前の例で言えば、自分は映画を観ている観客で、映画のストーリーがあるわけだけど、その映画のストーリーを作り出しているのも自分なんですよね。
だから、人と人が憎しみ合うとか、争い合う映画を見るのは自分に責任があるわけですよ。
一つの視点としては、「それは映画だから私には関係ない」って言うこともできるけど、
もう一つの視点としては、「何で私はこんな苦しい映画を見なきゃいけないんだろう」って考えて、その映画の中身を変えていくこともできるわけですよね。
それはやっぱり両方の視点で考えないといけないですよ。
映画の中に没入しすぎると、それはそれで苦しくなるから一歩引いて観客になったり、ときにはそのストーリーを良くするために主人公に没頭したり、そのバランスが大事です。
もちろん、僕らは鑑賞者の視点を持っていないから、まずはそういう部分を強調する必要がある。
例えば、自分の思い通りの人生が描けていたとしても、何かのきっかけで悲劇が起きたりはする。
現象世界の出来事は無常ですからね。
そして、その人生のストーリーは死によっていずれ終わりが来るわけです。
だから、僕らは「私は鑑賞者である」っていう視点を持つ必要がある。
でも、それが分かったら、いつまでも観客ではいないですよ。
今度は積極的に働く、そういう相互の理解をしていく必要があるということですね。
リタ だから、自分はこの体ではないって言って体を大事にしないとかね。「どうでもいい」っていうのは、ちょっと違いますよね。
岡本 だって、どうなってもいいわけないでしょう。
リタ そうですね。「どうせストーリーだから」とはならないですよね。
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