死後に心の苦しみはあるのか



美紀 でも、必ずしも相対的に苦楽が起きるとは限らないのではないですか? 裕福で楽な生活をおくったまま死ぬ人もいれば、ずっと貧困で苦しい生活をしたまま死ぬ人もいますよね。そういう意味では、できるだけ楽で美味しい思いをしたたま死ぬ人の方が得のような気もするのですが。


岡本 確かにこの人生だけを考えればそうです。しかし、ヨーガ心理学では人間の輪廻を想定するので、死後にもその人の心働きや自我の継続を認めます。ですから、仮にこの世界で快楽を得たまま死ねたとしても、死後には苦が待っていると考えるのです。


美紀 生きている間に快楽を得た人は死後に苦しむことになるってことですか?


岡本 そうです。ヨーガ心理学の見解では、死んで肉体がなくなった後も、その人の心の働きや自我は残ります。死後肉体がなくなった後も欲望や体の欲求などはしばらくはその人にくっついて離れないので、生きている間に快楽を得た人は飢餓感を覚えます。

 それはちょうど、タバコを吸っている人が急に肉体を失ったら、タバコを吸いたくても体がないので、欲求だけが残り飢餓感を味わうようなものです。生きている間は好きなときにタバコが吸えますが、体がなければ吸えません。

 このように、生きている間に得た快感は欲求としてその人に残り、肉体を失ったのちに苦しみとして現れます。一般的に言われているような鬼のいる地獄のようなものは想定しませんが、快不快が起きる心の相対性はその深刻さに応じて継続すると考えます。

 逆に言えば、生きているときに辛い思いをした人は、死後に安楽が得られます。これは、臨死体験で神秘的な体験をするケースがよく示しています。

 以上の話しは、もちろん輪廻を想定した心理学における仮説ではありますが。


美紀 ヨーガ心理学の話しも仮説として考えてみるってことなんですね。


岡本 そうです。一方で、死後は無であるという唯物論の見解も仮説にしかすぎません。生きている人間にとって、死後の状態を正確に把握することはできないからです。死後は無であるという仮説も、自我や心の働きが存続するという仮説も、その可能性は半々です。全くないとも言い切れないし、絶対にあるとも言えません。

 ですが、どのような仮説を自分の生き方のテーマにするかは問題です。唯物論を受け入れて、死後は無であると想定するなら、ヨーガ心理学や仏教などが教えているような欲望の制御は必要ないかもしれません。美紀さんの言う通り、欲望のおもむくまま好き勝手に生きても、死んだら全て消滅するわけですから。


美紀 うーん。そう言い切られるとなんか不安ではありますね。もしかしたら死後の自分の存在があるかもしれない、可能性がゼロではないですもんね。


岡本 結局のところ人は、そういった仮説としてでも、何らかの死後の自分を想定して生きているのではないでしょうか。実際、多くの人が唯物論を受け入れて、五感によって知覚できないものは存在しないと考えているにも関わらず、先祖のお墓に手を合わせたり、全く欲望のままに生きようとはしないわけですから。



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