宗教家やスピリチュアル系の人々は、
- 光
- 愛
- 正義
- 波動が高い
- ポジティブ
- 光の側に立つ
といった言葉を強く掲げがちです。
しかし
「善を掲げる人ほど、無自覚な暴力性を帯びることがある」
善が固定化された瞬間、
それは排除の装置になります。
均衡そのものが善
この見解は、単なる中庸ではありません。
それは
- 善悪は固定物ではない
- 立場が変われば意味が変わる
- 状況依存である
- 力学的に動くものだ
という動的世界観です。
つまりこれは
静的な倫理ではなく、動的な倫理
です。
非二元の視点から見ると、これは非常に自然です。
二元を否定するのではなく、
二元のダイナミズムを観る。
非二元的に見ると、
善悪はマインドの構造の中で生まれます。
しかし、
- 善を否定するのも偏り
- 悪を否定するのも偏り
になります。
均衡という視点は、
- 二元を否定しない
- 二元を超越しようともしない
- ただ偏りを調整する
という姿勢です。
これは非常に成熟しています。
ただし
均衡思想が陥りやすい罠もあります。
① 相対主義に堕ちる危険
「どちらも正しい」になりすぎると、
不正義を見過ごす危険があります。
② 道徳的責任の回避
「バランスだから」で、
必要な立場表明を避けることも可能です。
つまり、
均衡は“逃げ”にもなり得る
ということです。
ここを自覚しているなら、この立場は非常に強い。
均衡そのものが善、という立場は、
ある意味で
善悪を超えたところから、
善悪を扱う態度
です。
これは
- 非二元的洞察
- 社会倫理
- 現実参加
を接続する立場です。
そして実は、
「覚醒の道」と「成長の道」の統合にも近い。
今回は村上春樹の長編小説、「1Q84」に出てくる内容に、インスパイアされました。
「善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ。ひとつの善は次の瞬間には悪に転換するかもしれない。逆もある。ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』の中で描いたのもそのような世界の有様だ。重要なのは、動き回る善と悪とのバランスを維持しておくことだ。どちらかに傾きすぎると、現実のモラルを維持することがむずかしくなる。そう、均衡そのものが善なのだ。(後略)」
ここにある均衡そのものが善という見解に、私は大いに共感し、私の理念の根幹をなしています。
しかしこの考えはあまり人々の共感を得られないものと思っていますが、一般的な善や正義に偏らず、今の段階では善と悪のバランスを維持することが大切だと感じています。
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