瞑想中や日常において、 いろんな気づきが生じたり、 何らかの体験があると、「 ああこれは素晴らしい。これこのことに気づいた。こんな体験があった」ということで、これは目覚め、覚醒が起こっていると思う人もいますが、それが本当に正しいのか?ということを懸念する方もいまして、その姿勢はいいことだと思います。
ただそのような気づきは良いことですが、本当にそれを信じていいのか?ということを聞かれる事があります。
これは絶対的にこうすればいい、というものをなかなか示しにくいですが、自分の体験とか、いろんな方の話を聞いていると、体験がある、気づきがある、それで「ああ 、これはすごい。私は分かってしまったんだ」と 一種の興奮状態になってしまう事があり、それは全面的に間違ってるわけではないですが、鵜呑みにしない方が良いと思います。
本当に深い根本的な気づきは静かなもので、何か喜びを感じたとしても、非常に静かな喜びとか、しみじみとしたものであったり、度を越した興奮状態ということはないです。
私も以前は何らかの体験をして、その後何か気づきがあると、有頂天になってある種の興奮状態に陥りましたが、最近は何か気づきがあっても、有頂天になったり興奮状態に陥ることもなく、静かに受け止めています。
エネルギーがガーンと上昇したり強いエネルギーを感じて、こんな体験あった、こんな気づきがあったとなると興奮状態陥りやすいです。
エネルギー体験も確かに起こりますが、本当に根本的なところになってくると、エネルギーも超えていくので、強烈なエネルギーを伴った体験というのはまだ途上のものである、というのも一つ目安になります。
内なる声が聞こえてくる事もありますが、本質的なものは静かです。
ドーンとはっきりとした形でくることはなく、ちょっと注意してないとかき消されて聞き逃してしまいそうですが、 それも一つの目安になると思います。
これは私の例ですが、 瞑想リトリートに数十年前に参加していた時に、ずっと横にならず瞑想していましたが、どうしても眠くなってしまい、横になってもいいという時間ではないのに横になりたいなぁという思いが出て来ました。
その時に脳内で声が聞こえたという感じがしましたが、「もう別にそんなもんいいから、横になって寝ちまいな」という声が聞こえて、「そうだ、横になっちゃおう」と思い横になって寝てしまいました。
それからしばらくしてハッと気づいたら、 瞑想ではなく完全に眠ってしまい 、聞こえた声がかなりはっきりとした感じだったので「 これは本質的なもんじゃないな」と 。
「そういったものを安直に取り入れてしまうものではないな」とその時は感じて、それ以降はあまり強烈な形で何かを感じることはなくなってきましたが、本質的なところの気づきは、ささやくような感じで、繊細な形で伝わってくる、これを一つの目安としていただければと思います。