恩寵と共にある

恩寵と共にある

覚醒や目覚め、恩寵について分かち合う場としていきたいです。

オンライン瞑想会を定期的に行っています。





一時間半の間に、瞑想の説明をじっくりと行います。





初心者の方も安心してご参加いただけます。





静かに沈黙して、ダイレクトに神聖なるもの。自分の本質につながりますが、その前にシンギングボウルの音を用いて瞑想の手助けとします。





最終的には、音やイメージの背景にある、「それ」と共に在ります。




◎お申し込み メールフォームよりご連絡ください。  http://onnchou.namaste.jp/contact/





ZOOMを用いて行います。ZOOMの招待状を参加される方に送ります。ZOOMがインストールされていなくても大丈夫ですが、できる方はインストールしておいてください。





1人でも多くの方々の参加をお待ちしております。



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以前から個人セッションを行っていましたが、しばらく行っていなかったのを復活させます。



対面でもSkypeやZOOM などのネット通話でも行えます。



シンギングボウル、エネルギーワーク、瞑想などを行い目覚めのサポートを図ります。




個人セッションに関心がある方は、世に出回っているセッションよりもずっとお手軽な値段で提供していますので、お気軽にお問い合わせください。





また瞑想の個人指導も行えます。





そしていずれきちんと告知するつもりですが、スピリチュアルコンサルティング、というものを行う予定があります。





主に対話を通じて、迷妄から目覚めていくサポートができればと思います。





また長年にわたる探求から、スピリチュアルの世界の様々なことについて語れるので、スピリチュアルに対する疑問や、気を付ける点についてアドバイスできます。





経済的に負担のない形で提供するので、お気軽にご連絡ください。



参加される方はメールフォームよりご連絡ください。 こちらにアクセス。  http://onnchou.namaste.jp/contact/

 

定期的に目覚めの瞑想スペースに参加していただいているF・Cさんから感想をいただきました。

 

 

昨日はオンラインでの瞑想相談の機会をいただきありがとうございました❣️

瞑想初心者ですが、5/9〜12の3日間続けて目覚めの瞑想スペースLiveもしてくださり少し身近に感じる事ができました。

私はとても敏感な体質です。以前のオンライン瞑想会で体幹が全くなっていないのにも関わらず、瞑想で入った事のない領域に入ったため気持ちが悪くなったり、過呼吸のような状態になって目を瞑っていられないくらいになりました。

始めたばかりの頃、目覚めの瞑想スペースの30分の間にも意識が強制終了したかのような寝落ちと覚醒を繰り返すこともありました。

5/12である3日連続の最終日には、目を瞑ったとたん
両手にズドンと重さを感じ、次第に手のひらが熱くなり、「夢から覚める!と思ったらそれも夢だった!」という夢から覚め続ける感覚を20分くらい繰り返す体感があり、毎回目を閉じているだけなのにアトラクションがありすぎて、正直瞑想がちょっと怖いと思う事もあります。

そんな時、いつも無境さんが
その状態や状況を私の拙い感覚の話から読み取って説明してくださり、理解と安心を得る事ができ次の参加に繋がります。
お話していただいた大切な点は
・独りで無闇に瞑想しないこと
・気持ち悪くなったり、不安に思う体感がある時は無理をせず、瞑想を止めて横になったりリラックスして他の事を考えたりして切り替えること
・何か体感があっても浄化の過程である事が多いのであまり気にせずに"流すこと"
(この流すことができてくると次の領域に早く到達できるそうです。)
・どうしても不安に思う事は放っておかず説明を求めること


私のように敏感な人は特に"瞑想のガイド"と"適切で細かい説明"をしてくれる環境がとてもありがたく、意味不明な体感でしかなかったものがガイドと共に説明や適切な組み立てをしてもらう事で自分の心身を整理・調整する機会を得て心構えを刷新して次へ深めて行けるのだと思います。

無境さん、わかりやすく教えてくださり、自分を知っていく機会をくださり、いつも本当にありがとうございます💛
これからもよろしくお願いいたします💛

 

 

 

感想にもありますが、F・Cさんはとても敏感な体質で、色々なものを感じ取ったり、見えたりするようです。

 

 

瞑想は今まであまり行っていなかったのですが、いざ行ってみると瞑想が効きすぎて具合が悪くなったり、不安になったりしたようですが、色々と説明をしたら納得して、今では普通に瞑想を行われているようです。

 

 

瞑想に慣れるまではきちんと指導を受けたり、説明を聞いた方が良いです。F・Cさんに起こったことは、まさにそのことを表しています。

 

 

F・Cさんは素直で、説明をすんなりと受け止めて昇華しているので、今後瞑想の成果がより出てくることでしょう。

 

 

F・Cさん、感想送っていただきありがとうございました。

 

 

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今月末は瞑想会三昧です。

 

 

この機会に瞑想をされたい方、是非ご参加ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参加申し込みはお問合せ/申し込みフォームよりご連絡ください。

 

 

 

 

 

 

 

無境  思考が存在とは別物だととらえがちなんですよね。何かの経典にあったのですが、存在、本来の私は大海のようなものであって、大海が波立ち、その波が思考であると。

 

 

そしてその波はどこから来たかというと大海ですね。だから別物ではないということです。

 

 

ほとんどの人が大海ではなく、波の方に焦点が当たってしまっており、そっちが私であるとしてしまっているかと思われます。

 

 

やっぱり波は大海と比較すると、非常にちっぽけなもので、でも人間とはそんなものだとされているじゃないですか。ちっぽけで常に移ろい変わっていると。

 

 

でもそれは波に焦点が当たっているからであって、私たちは本来大海である、ということが本当の意味で理解できたら、それこそがノーマインドだし、波も全体の一部であって、何ら切り離すことはできないし、否定する必要もないと思うんですけれども。

 

 

佐藤  そうですね。存在からしたら、思考があるとかないとか、そんなに問題ではないということなんですね。

 

 

要は今、無境さんが言われた例えはその通りで、波があって何が問題なの?ということになります。

 

 

ただその大前提としては、やはり自分というものは存在である、ということをちゃんと理解していないと、やっぱり焦点が思考の方に向いてしまう、思考の内容を重要視してしまうということになってしまい、重要視すると視野が非常に狭くなり、大海とかバックグラウンドがちょっと見えなくなってくる、ということはあるかと思います。

 

 

無境  やはり思考とか感情が沸き起こってきたらダメなんだ、それは無心ではない、ノーマインドではない、というような誤解はかなり根深いなと感じるんですよね。

 

 

最近は「必ずしもそうではないんだよ」というのが広まりつつありますが、やっぱりまだ瞑想に慣れていない人が、瞑想に取り組む際に「やっぱり雑念だらけで、瞑想ができません」と言う人も多くて、そこまで気にする必要もないのにと思うんですけどね。

 

 

とはいえ、私も最初はやはり気になっていましたし、その辺りの誤解はまだ根深くあるのかな、という気もしますね。

 

 

佐藤さんのところに来られる方などは、やはり最初のうちはそういう人もいますか?

 

 

佐藤  そうですね。やっぱり瞑想してもらって、「瞑想どうでしたか?」と聞くと、「いや、雑念ばかりでした」とか「結構考えていました」とか。

 

 

考えてるか寝ているかのどちらかが多いんですけど、その考えというものに焦点を当てすぎると、瞑想をしている間にどれくらい考えていたのか分析すると、あんまり考えている時間は無いんですよ。

 

 

ずっと考えているように思えるんですけれども、実は考えてはいない時間の方が、案外圧倒的に多かったりするし、考え自体をしっかり観察すると、心の中から言葉がパーッと出てきて、パーッと消えていく、それも一瞬なんですよね。よく観察すると。

 

 

だからいかに瞑想中の考えというものを観察できるかというのも、一つ瞑想という視点から見るとあるのかなと思います。

 

 

例えば無心になれないとか、在るというポジションに自分が居られないというのは、割と自分の思い込みや、今までの自分の感覚、自分はこうだ、という概念のようなものが大きくなってしまっていることが多いですね。

 

 

無境  私も段々思考が出てはダメなんだ、というのが誤解だな、というのがわかってきまして、瞑想していて色々と浮いてきても気にせずにいられて、それで良いんだと今では確信しています。

 

 

そして一切思考が出てこないというのは、人として生きていてどうも不自然だという感じがするんですね。

 

 

出てはくるんですが、それにとらわれないでいることと、自分は存在であるということを理解しておくことが大切ではないかと今は感じております。

 

 

佐藤  そうですね。やはり考えてはダメと言われると、すごく気になっちゃうんですけどね。笑い話と言うか、心理学的な話で、「絶対に猿をイメージしないでください」と言われたら、余計猿をイメージしてしまうという、そういうところもありますね。

 

 

ですから別に気にしないで、瞑想中のポジションを自分の中でしっかり持っておいて、そこに戻れる流れを形成しておくことが大事かなと思います。

 

 

 

無境  それと先程もあった話ですが、そういった思考なり感情なり、無心やノーマインドの対局にあるとされますが、それを無くしてしまおうとする人もいますが、それは絶対にできませんね。

 

 

OSHOが言っていたと思いますが、多くの人はマインドに支配されている状態ですが、マインドを無理に殺してしまうことがノーマインドではない、という趣旨のことを言っていたという記憶があります。

 

 

それを聞いて私は「やはりそういうことか」と納得した覚えがあります。

 

 

佐藤  マインドが無くなっても、最高の状態にいるわけではないということですね。

 

 

だからマインドを無くすことばかり気にしていると、それがあるか無いかで判断してしまいますが、そういうことではないということですね。

 

 

無境  瞑想が深まっていって、「本来の自分はこれだ」となってきたら、それこそがノーマインドであるし、無心だし、思考一切無しということではないんだという、別にあっても無くても良いんだ、ということですよね。

 

 

これは最初から言葉で説明してもわからないところではないかなと思われますが、そうは言ってもねえ、となってしまうかなと。

 

 

佐藤  これは説明だし、言葉なんでね、信じるか信じないかの話になってしまいますが。

 

 

でも自分で確かめてみるというのが良いですよね。瞑想で本当にそうなのか、ということを確かめる。

 

 

私もそれは必ず推奨しているんですけれども、私の言ったことをそんなに鵜呑みにしたり、信じ込んだりしないで、それを自分で確かめてくださいという風には言っています。

 

 

それで確かめてわかったことが自分にとっての真実なので。

 

 

そしてそれに対して私も色々とこうではないか、ああではないかと指導として言うかもしれないけれども、それが終着点ではなくてもっと積み重ねていくものなんでね。

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

長らくオンライン瞑想会を続けてきましたが、久しぶりに対面での瞑想会を行うこととなりまいた。

 

 

それも私単独ではなく、コラボレーションの瞑想会です。

 

 

今回コラボさせていただくのは諏訪さんです。

 

 

諏訪さんは何度もインドに赴き、ヨガの修行や瞑想に長年取り組まれてきました。

 

 

 

今年になってから諏訪さんとオンラインやリアルでお会いし、その際に自動的に瞑想状態に入り、根底で相通ずるものがありました。

 

 

 

諏訪さんといることで、恩寵が降り注ぎ、思考が自動的に停止していき、深い静寂が訪れました。

 

 

 

この静寂を他の方とシェアすることができればと思い、諏訪さんにコラボレーションでの瞑想会を提案したところ、快諾していただき今回の瞑想会が開催されることとなりました。

 

 

 

会場の都合で平日開催となりましたが、1人でも多くの方にお越しいただき、共に瞑想したいと思います。

 

 

 

瞑想会でシェアすること

 

 

昨今マインドフルネス瞑想が流行しており、瞑想に取り組む人も少しずつ増えてきています。あまり知られていませんが、マインドフルネス瞑想は、元来仏教の瞑想がベースとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

仏教では瞑想を行うのは解脱・悟りへ至るためですが、現在伝わるマインドフルネスでは、宗教色を排し、薄まったものが行われています。

 

 

 

 

 

 

 

それはそれで問題ないですが、より本格的に瞑想を行いたい人には、物足りなく感じられると思われます。

 

 

 

かと言って、仏教の瞑想という形でも、しり込みする方もいるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

瞑想会では、宗教色なく瞑想を薄めることなく、初心者の方にも取り組みやすいように組み立ててあります。

 

 

 

 

 

 

 

私が瞑想によってお伝えしたいのは、本来の自分自身で在ることです。

 

 

 

 

 

 

 

ほとんどの人が偽りの自分で普段を過ごしており、それによって様々な苦しみが起こっています。

 

 

 

 

 

 

 

本来の自分で在れば、それが自然体であり、余計なことにとらわれなくなり、苦しみが軽減していき、本当の意味で楽になっていきます。

 

 

 

 

 

このことは言葉ではダイレクトに伝えることは不可能なので、瞑想会でシェアすることができればと思っています。

 

 

 

 

 

静かに沈黙して、ダイレクトに神聖なるもの。自分の本質につながりますが、その前にシンギングボウルの音を用いて瞑想の手助けとします。

 

 

 

最終的には、音やイメージの背景にある、「それ」と共に在ります。

 

 

そして瞑想会終了後は懇親会があります。

 

 

お洒落なカフェレストランで、私や諏訪さんのお話や、美恵さんによるカードリーディング等があります。

 

 

懇親会のみの参加も受け付けております。

 

 

なかなかない機会なので、この日に都合の良い方は是非お越しください。

 

 

 

【プロフィール】

 

♦︎諏訪瑞昇さん

 

幼少期から覚醒の体感を持ち備え

現実世界に生きにくさを感じながら

紆余曲折の成人時代を過ごす。

 

20代にインドに惹かれ

以後16回 訪れ 

様々な聖者から伝授を受け

沢山の覚醒体験をする。

 

その長けた

リーディング・ヒーリング能力から

SNSでの宣伝せずとも

口コミだけで広がっていき

 

✨『諏訪さんと繋がると

   自然と幸せになっていく』✨

 

その実体験をされる方が続出✨

 

皆様を幸せへとサポートする

スペシャリスト✨

 

🍀諏訪さんのFacebook↓🍀

https://www.facebook.com/zuisho.suwa

 

 

 

♦︎保田美恵さん

幼稚園教諭を19年間 務めたのち

生きる希望を失う体験をきっかけに習得した

エネルギーワークを活かし

2020年 人生をシフト。

自らもワンネス体験を深めながら

子どものように

『魂のままに生きる』をモットーに

本来の自分に還るサポートを開始。

チャネリング

魂リーディング

カードリーディング

アニマルリーディング

トライアングルヒーリングなど

個人セッションをはじめ

ワークショップ、イベントを開催して活動中。

 

🍀詳しいプロフィール↓

 

https://gamp.ameblo.jp/my-universe-0/entry-12585985388.html

 

 

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♦︎日時 5月31日(月)

    13:00〜16:00 瞑想会

    17:00〜19:00 懇親会

 

♦︎場所 高田馬場駅 西早稲田駅 周辺

 

*お申し込みの方にご案内いたします。

 

♦︎参加費 

 

◎瞑想会 5000円

 

◎瞑想会&懇親会 7500円+ご飲食代

 

◎懇親会のみ 3000円+ご飲食代

 

*参加費は当日 集めさせていただきます。

 

♦︎申し込み方法♦︎

 

bodaisinn☆gmail.com  までご連絡ください。

☆を@に変えてください。

 

無境  佐藤宗一さんとの対話、第3回目ということで、しばらく継続する予定ですが、佐藤さん本日もよろしくお願い致します。

 

 

佐藤  よろしくお願いします。

 

 

無境  前回からですね、事前にある程度テーマを決めてお話をしていくことにしましたが、今回はまず無心になるということ、無心といことについてですね、よく言われることなんですが、瞑想で無心になるとか、ノーマインドとか、これは色んな本でも書かれていることですが、ノーマインドはすごく大事で、それで在ることが覚醒とか言われます。

 

 

私も無心で在るとか、ノーマインドとか、色々と聞いてきて、それは確かに大事なことだと思うんですけれども、何か誤解されてとらえられていると言いますか、誤解を招くところがあるという感じがしているんですけれども、その辺りのことを今日は佐藤さんとお話しできればと思います。

 

 

佐藤さんも書籍で無心とかノーマインドについて書かれていたり、語られていますが、この無心、ノーマインドということについて、佐藤さんはどのようにお考えでしょうか?

 

 

佐藤  そうですね。瞑想するとなるとよく無心の境地になるとか、それが理想的と言われていて、私も瞑想を教えていると「いやあ、色々と考えちゃいました」とか「思考ばかり出てきます」というように無心の状態を乱すものがあると、あまり良い瞑想ではないと思ってしまう。

 

 

そして無心の状態で在ると良い瞑想というイメージがあると思われますが、ではその無心とは一体何なのか?というところなんですが、そもそも私がよく言っている本当の自分とか、存在とかそれ自体は無心なんですね。

 

 

考えが出ようがない場所なので、そこにいると無心で在るという言葉が理解できないんです。そもそも普通が無心だから。

 

 

でも例えばマインド的な発想からすると、無心になることが良いとなってしまうんですね。確かに無心になれるんですけれども、でもそれは思考が出るのを抑えている状態とも言えるわけなんです。

 

 

そして例えば存在とか、本当の自分はそもそも思考とかが無いところなので、思考が出ないようにするものでもないんですね。

 

 

同じ無心なんですけれども、ニュアンスが違うというか、立場が違うと言いますか、同じ無心という言葉でも、ちょっと捉え方が違うんじゃないかなと思います。

 

 

そして瞑想で無心になるというのは、考えが出ないように抑えてるという状態だと、考えが出てくるというのが背景にあるので、ちょっと気を許すと考えが出てしまったり、そうなると「ああ、瞑想失敗した」となってしまうんですけれども。

 

 

でも存在としての無心で在る状態では、それそのもので在ればそれがすでに無心なので、無心で在ることを意識することすらなくなってくるんですね。

 

 

逆に言うと存在そのものに自分を置いていれば、別に思考が出ても構わない状態になるわけなんですよ。それそのものが無心なので。

 

 

でもそこから思考が発生することができるので、思考という作用が出ても全然構いませんよと。でも存在に自分が同化している、そこに在れば、それ自体はもう無心なので、思考を抑えようとしているわけでもなく、それの性質としてそう在るという感じになりますね。

 

 

だから瞑想の目指すところという意味で言うと、思考を抑えて無心になろうと頑張っているよりは、存在という状態になってしまえという感じですね。

 

 

その存在という状態で在ることによって、自然とそれは無心になっている、結果的に無心で在るということですね。

 

 

私がとらえている無心とはそんな感じです。

 

 

無境  ありがとうございます。私も今佐藤さんが言われたことが、自分の中で非常にしっくりくるんですけど、いくつかポイントがあったと思いますが、まず瞑想をしていて、雑念や想念が出てくると「ああ、雑念が出てきてしまった」となる。

 

 

私も瞑想会や瞑想を指導していて、そういうことをよく聞きます。

 

 

無理矢理思考を抑え込むことも不可能ではないと思いますが、それって私の経験上間違いなくドーンとその後反応が来るんです。

 

 

だから無心で在るように、ノーマインドで在るように無理に抑え込むのは非常に不自然であり、一時的にうまくいったように見えても、それは長い目で見れば不可能であるいう感じがしています。

 

 

そもそも思考が出ようが出まいが別に良いのだ、ということですね。そして出たらダメということではないのかなと。

 

 

私も瞑想をリードする立場でありながら、結構出て来るんですよ。でも出てきてもそれにも関わらず、それだ、という感覚はあるので、そういうことなのかな、という気がするんですね。

 

 

そして元々私たちは存在であり、存在であるから無心で在ろうとする必要は本来なくて、そもそもそれそのものなのに、また別のものにわざわざなろうとするというのは違うのかなと。

 

 

そこら辺が最初はわからないところですが、そういうことなのかなと今お話を聞いていて思いました。

 

 

佐藤  そうですね。無心の対極である思考も、実は存在から発生しているものなんですね。思考も素材があって音声とか、イメージといった姿形になるので、「じゃあどこから出てくるの?」ということになれば、それは存在から、ということになるんですね。

 

 

そこには繋がりがあり、思考も敵対視する必要は全然ないんです。ただ単に思考に焦点が合わさっているというだけの話なので。

 

 

後これは心のトレーニングになりますが、また存在に戻るという意図を持ってやれば、別にそれは心の中の自然な現象ですから、そんなに気にする必要はないかなと思います。

 

 

それよりも存在に自分を置いておくということを、それを意識していれば良いかなと。それがイコール無心ということになるかと思います。

 

 

続く

 

 

 

 

 

一気読みしたい方はホームページをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

私がyoutubeにアップしてきた動画は、10分以上のものばかりでしたが、今回は3分程度と短めのものです。

 

 

多くの人が晴れた日は心地よく、雨の日は鬱陶しかったり、どんよりとしてしまう、と感じることでしょう。

 

 

ですが雨が降らなければ、それはそれで水不足になったり、色々と大変です。

 

 

そして雨もまた趣があるものです。

 

 

晴れた日も良し、雨もまた良し。

 

 

全て良しであるのが本来の在り方です。

 

 

迷妄から覚めてくると、そのことがよく理解でき、それが当たり前となってきます。