
コロナ禍の頃から、ほぼ毎月のように個人セッションを受けていただいているMさんとセッションを行いましたが、今回は空と慈悲についての話をし、それに関する瞑想、ワークを行いました。
私はここ数年、慈悲や愛ということより、前提として意識が目覚めていること、これが大切であり、慈悲ということに関してあまり注意を向けていませんでした。
それはスピリチュアル界隈で安易に愛が説かれており、まだ迷妄の中にどっぷりと浸っている状態で愛や慈悲を説いたり実践しようとしても、それは新たな幻想、マーヤを生み出すことになってしまう、という思いからでした。
しかし今年に入ってから、迷妄から目覚めていることは大前提として、慈悲についても意識を払う必要があると感じ始めました。
これは特にこういうことがあって、というのはないですが、自然と慈悲についても念頭に置き始めたというところです。
ダライラマ法王は、空と慈悲どちらも欠かせぬものであり、車輪の両輪のようなものだと説いており、私もそのことは以前から知っていましたが、そのことを今まで以上に意識するようになりつつあります。
そこでMさんに空と慈悲という題材でセッションを行ったところ、Mさんは今まで以上に意識が鮮明となり、慈悲も自然に湧き起こってきたようでした。
「空」と「慈悲」の同時性
仏教的な表現を借りれば、それは「真空妙有(しんくうみょうう)」、あるいは「空(くう)と現れ(形)」が分かたれていない状態です。
• 空: 全てを受け入れる、無限に広いスペース(静寂・プレゼンス)。
• 慈悲: そのスペースから自然に立ち上がる、生命の輝きや温もり(動き・ビーイング)。
これはAIに空と慈悲について問いかけたところこのような回答があり、私も気に入ってMさんと共有したところ、以下の文章をMさんから送っていただきました。
個人セッションで教わった
「空と慈悲の同時性」が、今日さっそく日常の中で体験として起きました。
家族との時間の中で、以前ならすぐに反応してカッとなっていたような場面があったのですが、
今回は一呼吸分のスペースがあり、すぐには反応せずにいられました。
すると自然と場の流れが変わり、結果的に笑いで収まっていきました。
その後、あとから自分の中にあった怒りや悲しみもちゃんと感じて流すことができ、
無理に抑えるのでもなく、ただそのまま通っていく感覚がありました。
また、体調を崩した猫にそばで触れていたとき、
何かを「しよう」としなくても、力まず、ただ在ることで落ち着いていく様子があり、
ヒーリングは起こすものではなく「起こるもの」なんだと、少し腑に落ちた感じがあります。
「空であること」と「そこから自然に起こる優しさ(慈悲)」が
分かれていないということを、体験として少し感じられた一日でした。
Mさんとは5年以上もの期間、セッションや瞑想会などで言葉のやり取りをしたり、瞑想を共有することで空と慈悲に関しては体得されてきていましたが、今回のセッションと文章からよりこれらのことが深まり、一過性のものではなく定着しつつあることを確信しました。
今後は私自身も空と慈悲の同時性を普段から意識し、それを共有していきたいと思ったのでありました。
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瞑想会やイベント等に参加していただくのはありがたいですが、マンツーマンだとその人に合った話し、瞑想やワークが行えてより効果的です。
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