「書くこと」が楽しいのは

思いをドンピシャに言語化できたら

気持ち良い

からですね。

 

言語化できた「思い」が

他人に的確に伝わった時、

嬉しい。

「良かった」と思う。

 

 

 

だから、

「書くこと」の肝は、「思い」の言語化

なのだと思います。

 

 

 

「思い」を言語化する

というのも

「思考の現実化」の一環

です。

 

 

 

私の師、大鈴佳花先生はたびたび

この世界で私たちがしていることは

「思考の現実化を学ぶこと」

だとおっしゃっています。

 

 

 

でもこの世界はいかに

思考を純粋な形で現実化するかを

学んでいる世界なんです。

 

大切なことなのでもう一度言いますね。

思考を純粋な形で現実化することを

「学んでいる」世界なんです。

 

 

そのためには、

自分のありとあらゆるものが、

思考の現実化に関わっていると

気づかなければいけません。

 

自分の思考、自分の使う言葉、

自分の眼差し、自分の感情、

自分の行動、自分の肉体

 

自分自身のあらゆるすべてが

望む現実を創り出すための

パワフルな道具だと

気づかなければいけません。

 

 

 

だから、

「思い」の言語化をマスターしていくのも

重要なことなのだ

と思いました。

 

 

 

思いがうまく言語化できない時、

モヤモヤしますよね。

 

それは、そこに

現実化できていないエネルギーの滞り

が発生するから。

 

 

 

思い通りに言語化して

スムーズに自分を表現し、

エネルギーの通りを良くしていく先に

思い通りの「思考の現実化」もある

のかもしれません。

 

 

 


 

 

 

では、「思い」をスムーズに言語化するには

どうすれば良いか?

 

…など、スキル面では

いろいろなことが言われています。

 

 

 

どれもその通りだと思いますが

心理面で付け加えるなら、そこに

  • 邪念がくっついていないか?
  • 心理的ブロックがないか?

…というのも

みてみると良いかもしれません。

 

 

 

その「思い」が

自分が、見たくないもの

である場合は、

「思い」にモヤがかかったようになり、

アクセスできなくなっている

場合があります。

 

 

 

これは、

ネガティブな「思い」だけでなく

ポジティブな「思い」の場合もあります。

 

そこに気づいたら、人生が大きく変わってしまう

ような「思い」の場合、

人生が変わってしまうことの怖さ

から、無意識にその「思い」に

アクセスするのを避けている場合が

あります。