超久しぶりの更新です。
私の友人、知人は、もちろん私がこの手のガジェットが大好きということを知ってますので、よく「iPadってどうなの?」なんて聞いてくれます。ただし、iPadに関しては、これまでそういうものにほとんど関心がなかった方たちとの話題にも上ります。iPadがこれだけ世の中で話題になっているので気にはなっているけど、いまいち掴み所がない存在だからでしょう。
それもそのはず、iPadはかなり変幻自在なガジェットです。巷間言われているように、電子書籍端末、薄っぺらいモバイルPC、ゲーム機などなど。これら全てが当てはまりますし、全て当てはまらないとも言えます。なんだか禅問答のようですが、新しいものとはだいたいそんなもんです。今までの定義が当てはまらないからこそ、“新しい”のです。
とは言っても、今までのガジェットと何が違うのかは、言うことができますし、それをもってして、「iPadとは何か」を言うこともできるでしょう。で、私なりの見解としては…、
iPadとはこれまでにない、まったく新しいコミュニケーションツールである
ということです。
「iPadってiPhone(または、iPod Touch)が大きくなっただけでしょ」なんて良く聞きます。同時に、実際触ったことのある方の感想は、「画面が大きくなっただけでこんなに違うのか」という声も良く聞きます。これは実に本質を突いた意見だと思います。
iPadの画面は、これ以上大きくなったら持ち運びに不便、これ以上小さくなったら見にくい、というちょうど良い大きさになっています。さらに、視野角(画面を見る角度)が広く、多少斜めから見てもきちんと見ることができます。
そして、マルチタッチ。同時に10カ所のタッチを認識します。両手の指でタッチすれば全ての指のタッチを認識するということです。
これらが何を意味しているかというと、隣り合った席や、小さなテーブルを挟んだ複数の人とひとつの画面を見、画面にタッチして操作ができるということなんです。つまり、すぐ側にいる人と、コンピューティングの体験を共有できるってことなんです。リビングで家族と「この動画見て!面白いよ!」とか、カフェで仕事の相手と「この資料のこの部分なんですけど…」なんてやりとりが実に自然に行えるのです。しかも、話題になっている簡単な操作性で、初めて使う人や子どもでも「どれどれ…」なんて画面のなかを操作できてしまうのです。さらに、地球の裏側にいる別の“すぐ側の関係性”とネット経由で繋がることも可能です。
こんなデバイス、これまでありませんでした。
ネットとPCでコミュニケーションは進化しました。しかし、欠落している部分もありました。iPadは、その欠落している部分、まさに、灯台もと暗しであった、“すぐ側にいる関係性”に効くコミュニケーション・ツールなのです。
大きな画面もマルチタッチも、そのためのスペックであると言って過言ではないでしょう。
iPadでまたコミュニケーションが進化します
かつて、ネットとPCがコミュニケーションを進化させ、いろいろなものが変化したように、iPadをはじめとしたタブレットPCで、またいろいろなものが変化すると思います。これは単なるデバイスやソフトウェア技術の変化なのではなく、コミュニケーションの変化の胎動なのです。巷間言われているように、新聞、雑誌、書籍はもちろん、音楽も変わるでしょうし、日常的なビジネスシーンにもインパクトを与えると思います。ほんとうに、いろいろな可能性があると思います。それを考えると、毎日ワクワクしてきますね。
私の友人、知人は、もちろん私がこの手のガジェットが大好きということを知ってますので、よく「iPadってどうなの?」なんて聞いてくれます。ただし、iPadに関しては、これまでそういうものにほとんど関心がなかった方たちとの話題にも上ります。iPadがこれだけ世の中で話題になっているので気にはなっているけど、いまいち掴み所がない存在だからでしょう。
それもそのはず、iPadはかなり変幻自在なガジェットです。巷間言われているように、電子書籍端末、薄っぺらいモバイルPC、ゲーム機などなど。これら全てが当てはまりますし、全て当てはまらないとも言えます。なんだか禅問答のようですが、新しいものとはだいたいそんなもんです。今までの定義が当てはまらないからこそ、“新しい”のです。
とは言っても、今までのガジェットと何が違うのかは、言うことができますし、それをもってして、「iPadとは何か」を言うこともできるでしょう。で、私なりの見解としては…、
iPadとはこれまでにない、まったく新しいコミュニケーションツールである
ということです。
「iPadってiPhone(または、iPod Touch)が大きくなっただけでしょ」なんて良く聞きます。同時に、実際触ったことのある方の感想は、「画面が大きくなっただけでこんなに違うのか」という声も良く聞きます。これは実に本質を突いた意見だと思います。
iPadの画面は、これ以上大きくなったら持ち運びに不便、これ以上小さくなったら見にくい、というちょうど良い大きさになっています。さらに、視野角(画面を見る角度)が広く、多少斜めから見てもきちんと見ることができます。
そして、マルチタッチ。同時に10カ所のタッチを認識します。両手の指でタッチすれば全ての指のタッチを認識するということです。
これらが何を意味しているかというと、隣り合った席や、小さなテーブルを挟んだ複数の人とひとつの画面を見、画面にタッチして操作ができるということなんです。つまり、すぐ側にいる人と、コンピューティングの体験を共有できるってことなんです。リビングで家族と「この動画見て!面白いよ!」とか、カフェで仕事の相手と「この資料のこの部分なんですけど…」なんてやりとりが実に自然に行えるのです。しかも、話題になっている簡単な操作性で、初めて使う人や子どもでも「どれどれ…」なんて画面のなかを操作できてしまうのです。さらに、地球の裏側にいる別の“すぐ側の関係性”とネット経由で繋がることも可能です。
こんなデバイス、これまでありませんでした。
ネットとPCでコミュニケーションは進化しました。しかし、欠落している部分もありました。iPadは、その欠落している部分、まさに、灯台もと暗しであった、“すぐ側にいる関係性”に効くコミュニケーション・ツールなのです。
大きな画面もマルチタッチも、そのためのスペックであると言って過言ではないでしょう。
iPadでまたコミュニケーションが進化します
かつて、ネットとPCがコミュニケーションを進化させ、いろいろなものが変化したように、iPadをはじめとしたタブレットPCで、またいろいろなものが変化すると思います。これは単なるデバイスやソフトウェア技術の変化なのではなく、コミュニケーションの変化の胎動なのです。巷間言われているように、新聞、雑誌、書籍はもちろん、音楽も変わるでしょうし、日常的なビジネスシーンにもインパクトを与えると思います。ほんとうに、いろいろな可能性があると思います。それを考えると、毎日ワクワクしてきますね。