超自己満足的自己表現 -464ページ目

縁~えにし  (3)

(3)お迎え



あんな事があってからどれくらい経ったかな・・・。年明け早々5日に帝の元服があるってことで、師走に入った途端お父様は一番上の蘭姉さんの副臥役の準備のため、朝早く出て行ったと思ったら、夜遅く帰ってくるようになったのね。お母様も御年十二歳の帝の元服の準備のためになんだか知らないけどよく後二条院様に召されて内裏に参内するんだよね。まあ、宇治にいる帝のお父様後宇治院様は、だいぶん前に後二条院様のお怒りをかって、絶縁状態だって噂で聞いてまったくと言っていい程宇治から出てこられないそうだから、親代わりとして後二条院様が取り仕切って、加冠役は後二条院様の歳の離れた弟君である内大臣源博雅様がされるって言うしね・・・。もちろん蘭姉さまは摂関家の姫として副臥役をするから、もう都中は祝賀ムードいっぱいってわけ。蘭姉さまは帝よりも三歳年上だからそのまま入内して立后されるんだって。だから下賀茂にあるうちのお邸は朝早くから夜遅くまで両親の不在な事が多いわけ。


お父様はここんとこお忙しいから、いつもがみがみ(一生懸命といっておくわ^^;)と教えてくれる医術の勉強を後回しにしてくれて勉強嫌いの私には嬉しい限り・・・。だって優秀すぎる泰大お兄様といつも比較されるのだもの・・・。たまったもんじゃないわ。宿題として薬草の名前を覚えなさいって言われたけれど、そんなの後回し・・・。毎日家司の子とか、下働きのおうちの子とかと庭を走り回っているの。だって蘭姉さまはおうちを出て行ってしまわれたし、お兄様は毎日出仕してるんだもん。そういえば来年の春、お兄様は元服するって聞いたな・・・。


すると意外なところから御文が届いたのね。もちろんこの私によ。立派な御料紙を品のいい文箱に入れてきたの。誰だと思う?後宇治院様のお妃、安子様からの御文だったの。とてもきれいな筆跡で見とれてしまったわ・・・。安子様は内大臣様の妹君であられるからさすがよね・・・。ということは後二条院様の妹君ってことね?ホント血縁関係って難しいわよね・・・。まあ余談はこれくらいにして、内容はこう・・・。


『小夜姫 随分前になりましたけれど、お約束を覚えていますか?毎日家族が出払ったお邸で一人いるにはお寂しいでしょう。良かったら遊びにいらして。同じ院の妃であられたお母様の姫様だから私たちの子供と同じようなもの・・・。泊まられてもいいですよ。必ずお父様に一言言ってから来なさいね。楽しみに待っていますよ。  安子』


あとから聞いたんだけど、お母様と安子様って、同じ源氏を祖に持つ一族で、亡き安子様のお父様と、私のなくなった大和のお爺様は従兄弟らしいから、なんとなく似てるって・・・。安子様の若くしてなくなったお姉さまは私のお母様になぜか瓜二つだったって言うから不思議よね・・・。まるであの有名な物語のようだわ・・・。まあ血縁の話はややこしくなるからやめておくこととして、この手紙を珍しく早く帰ってきたお父様に見せたのね。そしたら困ったお顔をされて、お母様にお聞きなさいって言うのよ。お母様に聞いたら、大変疲れているのか内容を十分確かめないでいいわよって言ってくれたの。


「本当にいいの?お母様。」

「いいわよ。ずっと寂しい思いをしていたものね・・・。安子様は同じ先帝の妃同士だったのですが、後宮ではお友達のようにお付き合いをしていたから・・・。もし泊まることになったら必ず連絡するのですよ。」

「はい!じゃあお返事書くね・・・。」


私はあまりきれいな字じゃないけど、一生懸命これ以上はないという字で返事を書いて安子様の文箱にお手紙とお庭に咲いている椿の花を入れて家のものに持って行かせたわ。するともう次の日の朝早くに宇治からお迎えの車が来たのよね。私は急いで東宮御所や二条院へお使いで行くときに着るとびっきりの汗衫(かざみ)を着て私の女房に髪をきれいに整えてもらって、物忌みもお衣装に合う色のものをつけてもらってね、蘭姉さまが持っていた衵扇(あこめおうぎ)を借りてお迎えの車に乗って出かけたの。やはりいいおうちの車は違うわ。あまり揺れないし、内装もきれいに装飾してあって、見ているだけでも飽きなかった。

(別にお父様が甲斐性なしというわけではなくって、家柄の違いかな^^;和気家は由緒正しいお医師の家系よ・・・。)

あっという間に後宇治院の御在所である邸に着いたの。着くとたくさんの女房たちがこの私を迎えてくれて、安子様のいるお部屋を案内にされたの。そうしたらね、お部屋いっぱいに貝合わせとか、珍しい絵巻物とかお人形とかがあってびっくりしちゃったわ。


「まあ、小夜ちゃん。この前の姿とは違ってなんて可愛らしいお衣装を着ているの?普段の格好でよろしかったのに・・・。」

「お父様が安子様のところに行くのだからって正装しなさいって・・・。」

「本当に可愛らしくって、色合わせもきちんとしてあるわ。ますます可愛らしくなって」


私はホントここまで褒められたってことないから 相当恥ずかしかったわね・・・。私はお父様に言われた通りきちんと安子様にご招待のお礼を述べて頭を下げたの。そしたら安子様はそこまでしなくてもよろしいのよって大変恐縮されてね・・・。


この前はあまり安子様のお顔を見ることはなかったけれど、今回はまじまじと見る事が出来たの。三十路近くの品のあるお顔は年を重ねられてもやはり高貴なお姫様って感じで、美しいと評判だったという大和生まれ大和育ちのお母様に比べたらやはり育ちが違うって感じだったわ・・・。まあ私もそんなお母様から生まれたから、都では色々噂にはなっているそうだけど・・・。まだ裳着も済ませてないのにちらほら縁談話が入ってきていてお断りするのが大変だってお父様は嘆いてたのを覚えている。(なんか自慢しちゃったみたいね・・・。)蘭姉さまの養父である東三条様は、私が東宮様と同腹の兄妹でなければ蘭姉さまみたいに養女に迎えて東宮様に入内させるのにって嘆いてたわよ。まあ東宮様とは2歳しか違わないから、いい歳の差かもしれないけど、兄妹じゃね・・・。そりゃ東宮様は利発でお優しくて何でもこなすいい方よ。特にお爺様の後二条院様に手ほどきを受けた龍笛などを演奏されたらもうびっくりするほどすばらしいの。即興で舞いも披露されるし、お歌も完璧。私にとって理想なんだけどね・・・。兄妹じゃなかったら入内を考えたわ。


安子様は私と色々遊びたかったらしくって、あれやこれやと遊び道具を出してきて一緒に遊んでくれるの。ちょっと遊びつかれて、眠たくなってきたから(だって朝がむちゃくちゃ早かったんだもの!)うとうとしてきたら、安子様は私を寝所まで連れて行ってくれてお昼寝させてくれたの。安子様は私を本当の子供のように見つめて私が眠るまで横についてくださったの。


「安子様はどうして私をまるで自分の子供のように可愛がってくださるの?」

「本当は院のお子が欲しかったのだけど、出来なかったのよ。院と私は叔母、甥の関係だけど、院の母君は私の父方のお姉さまだし、父宮は母方の私のお兄さま。あなたのお父様が言うとおり、血縁が深すぎて子供を諦めたのよ。だから小夜ちゃんがまるで私の子供のように思えてきて・・・。つい可愛がってしまうのですよ。」


(ふ~~~んそういう事があったのか・・・・。だから血縁ってややこしくってわかりづらい・・・。)


いつの間にか私は眠っていたのね。でも私は夢を見ているんだけど、私の側で何か話し声が聞こえるの。


この声は誰?


一人は安子様・・・。


あと一人・・・なんだか聞いているだけで心が温かくなっていく懐かしいような、なんか血が・・・。この感覚は何?誰???誰なのよ!


縁~えにし  (2)気になる発言(挿絵付)

(2)気になる発言  


後宇治院
この院ってお寂しいのかな・・・。聞きもしないのに院とお母様の思い出をしゃべり続けているのよね・・・。なんだか苦痛になってきたのだけど、楽しそうに話しているので、まあ聞いておくことにしたのね。でも楽しそうに話されている院なんだけど、お二人のお妃様方は変な顔をしてこそこそ話しているのよね。院の話よりも私はそっちのほうが気になってそっちのほうばかりちらちら見ていたの。


私が一番聞きたいのはそんなどこにでもあるような思い出話じゃなくって・・・なんていうのかな・・・。そうそう今の帝とお兄様の歳のことなんだけどな・・・・。おかしくない?お母様の初めての旦那様は後二条院様でしょ・・・その次がうちのお父様・・・その後がここにいらっしゃる院・・・。そしてまたお父様なの・・・。じゃあ何でお兄様は帝よりも年下な訳???普通ならお兄様のほうが年上のはずなのに・・・。


私の頭の中はいろんな憶測がぐるぐる回って処理しきれなくなったのよ。私のようなまだ裳着も迎えてない八歳の姫が聞くような問題ではないような気がしたけど・・・でも何でも知りたい年頃の私にとって気になるのも無理ないかも・・・。


「私の話は面白くなかったのかな・・・・?」


院は苦笑しながら私を見つめたのよね。


「いえ・・・なんだか平凡すぎて・・・申し訳ありません・・・。」

「いいよいいよ。本当に久しぶりの小さなお客様だから・・・。つい話しこんでしまった・・・。ところで小夜は何歳かな?7つ?」


どうして年聞くのよ。これでも私は後二条院の覚えめだたい殿上人であるお父様、参議和気泰明の姫なんだから・・・。


「8歳です。」

「え?」


どうしてそんな驚いた顔をするんだろう。そのあとなんで指折り数えているの???


「いつ生まれたの?」

「霜月の辰の日・・・。ちょうど大新嘗祭があった豊明節会の日と聞きました。」


そしてまた指折り数えているのよね・・・。だからなんだって言うのかしら?それ以上院は私に質問などしなくなってよろよろとしながら部屋を退出していかれたのよね・・・。(変な院・・・。)お妃様方は院を目で追いながら向かい合って苦笑されていたんだけど・・・。


お妃様方に色々伺いたい事があったんだけど、帰りの遅い私を心配してお父様が従者を使わせて迎えに来たのよ。


十人並み(ごく普通のお顔^^;)のお妃様の一人が菓子を御料紙に包んで私に持たせて言ったの。


「可愛らしい姫君。またいつでも遊びにいらっしゃい。わたくしたちには子がいないから話し相手になっていただけると嬉しいわ・・・。」

「はい。また遊びに来ます!」


二人のお妃方は微笑んでわざわざうちの車まで送ってくれたの。あれ?お一人のお妃様ってご病気じゃなかったっけ???何の病?まあいっか・・・。お一人お母様によく似たお妃様って誰だろう・・・。その人が安子様なのかな・・・。


おうちに着いたらお父様にすごく怒られたのはいうまでもないわ。だって日が陰りだす一歩手前までお邪魔していたのだから心配するのも無理ないか・・・。でもその心配の仕方気になるのよね・・・。何で涙流すわけ?とって食われるわけではあるまいし・・・。(まあ泣き虫なお父様であるのは確かだけど・・・。)そのあとお母様と何か話しているし・・・。


私は院のお邸でもらったお菓子を思い出して、とても立派な御料紙に包まれたお菓子を取り出してひとくち口に入れるとやっぱりおいしかった。隠居生活でもいい生活してるんだね・・・。


夕餉を食べて着替えた後、いつものようにお母様の寝所でいっしょに横になったんだけど、私を寝かしつける(嘘寝してたけど)とお母様はお父様の部屋に行って話の続きをしていたのよね。喧嘩なんかしたことなかったお父様とお母様が声を荒げて喧嘩していたの。やっぱり気になって私はそっとお父様の部屋の前のすのこ縁に座って話を聞いていたの。


「泰明!どうして小夜を後宇治院のもとに行かせたの!」

「彩子、悩んだんだよ。邸の手が足りなくてね・・・。泰大は出仕して留守であったし・・・。宇治に行って欲しいというと小夜は喜んで行ったんだ・・・。」


やはりお父様はお母様に頭が上がらないのよね・・・。もともとお母様とお父様は幼馴染だったけど、お父様はこの前亡くなった大和守をしていたお爺様に仕えていたらしいからかな?ほんとに尻にしかれているお父様・・・。ちょっとかわいそうだけど・・・。和気家の一門が見たらびっくりするわよね・・・。和気家当主なのに・・・。(一門の前では結構威厳があるけど・・・。)


お父様とお母様の喧嘩は結構長かったの。まあ喧嘩といってもお母様が一方的なんだけど・・・。そしたらお母様はこんなことを言ったの。聞き間違いだったらどうしようかと思ったけど・・・。


「泰明!あの子の事がわかればきっとあの人に取り上げられてしまうわ!」


そういうとお母様は珍しく取り乱して泣き出したのよね・・・。ホント、あの院とお母様の間に何かあるんだわ・・・。これ以上隠れて聞くのは心苦しくなったからあのあとすぐに部屋に戻って寝所に入って眠ったの。でも気になってしょうがないじゃない?眠れないなあと思ってごろごろしていたらいつの間にか朝がきてたの。(なんだ寝てたじゃん・・・。)


朝が来るとお父様とお母様は普段どおりだったの。仲睦まじくお父様の黒の束帯を着付けていたのよ。昨日の喧嘩はなんだったのって感じ?いい歳なのにいちゃいちゃしてお母様はお父様の車まで見送って行ったわ・・・。年頃の姫の前なのにさ・・・。(何度も言うけど裳着はまだだけど・・・。最近の女の子はませてるんだから。)


それよりも昨日の院の驚きようといい、お母様の言葉といい、なんか気になるんだよね・・・。



【追伸】

一度発表したものを挿絵付で更新しなおしました^^;

後宇治院(狂気の帝といわれた康仁親王)の顔変です。

設定は30歳くらいなので、大人っぽく書いたらこんなんになっちゃいました^^;

笑ってください^^;

縁~えにし  (1)昔話(挿絵付)

(1)昔話


小夜  私の名前は小夜って言います。


お父様はもともと典薬寮で頭をしていた名医といわれた人なんだけど、元服間際の帝に変わって院政をしている院の覚えがめでたくて、正四位下参議の位を賜ったの。もちろんお父様は医術一筋の人だから、はじめは参議になることをお断りしたそうなのだけど、院がどうしてもって仰せだったらしいので、しょうがなく引き受けたらしいわ。もちろん参議をしながら、うちにたくさん住んでいる医学生を教えたりしているの。(たまにはお医者様らしいこともしているわ。だってなんだかんだ言ってお医師道具は毎日持参している・・・。)



お母様はとてもややこしいのだけれども、はじめは院の女御をしていたのね。そのあとお父様と結婚して、なぜか院の皇子である先帝の皇后になったの。でも今の帝に譲位された後にまたお父様とお母様は再婚したのよ。だから本当にややこしいのだけれど、院との間に伊勢斎宮になられた宮様と、最近元服されてある醍醐源氏の養子に入られた宮様。先帝の間には今上帝と、東宮様。そしてお父様との間には東宮様より一つ年上のお兄様と私がいるわけ。お母様は帝と東宮様の御生母として公達の人から崇められているみたいだけど、いつもは普通の(もしかしたらそれ以下かも?)殿上人の北の方をしているわ。まあ度々帝や院に召されて参内することはあるけど・・・・。ホントにややこしいとつくづく思うわ。



私には七つ年上の異母姉妹のお姉さまがいるの。お姉さまはなんて言ったかな・・・遠い遠い国の王女様との間に生まれた姫なんだけど、最近お父様のお婆様(私の曾お婆様ね)が摂関家出身の方らしくって、帝の元服の際の副臥に選ばれちゃって、養女としてなんていったかな・・・東三条摂政家?に取られちゃって、お父様もお母様も大変嘆かれたの。お父様の気苦労が増えるってことね・・・。



なんか今日は珍しくお父様は出仕を取りやめになって、薬草庫に籠もったと思ったら、お兄様を呼んでいつものようにお使いを頼もうと思ったみたいなの。お兄様はまだ元服していないけれど、元服前の身でありながら典薬寮に入って典薬助で侍医の大叔父様和気直安様の助手として修行しているんだけど、妹の私が言うのもなんだけど、大叔父様も驚くくらいの腕を持っているらしいわ。(まあお兄様は小さいころから才覚を表して神童なんて騒ぐ馬鹿がいるけど?)もちろん院の覚えもめでたくて、ちょくちょく院政をされている二条院や東宮のおられる東宮御所を出入りしているの。私も何度かついていった事があるから知っているけど、本当に東宮様はお母様に似て可愛らしい顔立ちの宮様なのよね。私よりも二歳年上の十歳になられたの。



まあお兄様のことはこれくらいにして、お父様はお兄様をお呼びになったんだけど、もうすでに出仕してしまっていてね、困り果てたお父様は私に頼んだのよ。



「小夜、お前一人での使いは始めてだが、行けるかな・・・。作法は良く知っているからそれは心配ないが・・・。」



本当にお父様は心配した表情で私に言うのね。それなら頼まなきゃいいじゃんと思ったけど、お使い先に行けるような人達が出払ってしまったようで、しょうがなく私に頼んだみたい。



「お父様が行けばいいじゃない?」



お父様は苦笑して言ったのね。



「今から行ってもらう所は、父は苦手でね・・・。」
「どこに行けばいいの?誰にお渡しするの?」
「宇治にある先帝の後宇治院様のところだよ。お妃安子様のお体の調子が良くないみたいでね、お邸に詰めている女医にこの薬草を渡して欲しいのだよ。はじめていくところだけど大丈夫かな?」



私は喜んだの。別に先帝の邸に行くからじゃなくって、宇治に行きたかったのよね。あの源氏物語とか、いろんな物語の舞台になった宇治よ。一度行ってみたいと思っていたのよ。



「本当に大丈夫かな?まだ八歳なのに・・・。」



お父様は何言っているのかしら。お兄様がこれくらいの時にはガンガン行ってたじゃない。出仕もしてたし・・・。ホントにお父様は心配性・・・。それでよく以前典薬頭をしていたものよね・・・。



お父様は私のためにお父様の車を使わせてくれた。



先帝って言ったら、お母様の前の旦那様よね。二年程しか一緒にいなかったって聞いた事があるけど、それ以外は誰も教えてくれないのよ。でもなんでお兄様より年上の先帝の皇子である帝が生まれたわけ????それがちょっと納得できないんだけど・・・・。まあ私には関係ないし、お使いさえ終わればゆっくり宇治見物でもしようかなって思っているの。



お父様に見送られて宇治に向かったの。結構な距離があるのね・・・。車酔いしちゃった。やっとのことで到着したらもう宇治見物なんていいわって思ったわ。到着して私はすぐ女医を探したんだけど、見つからなくってお邸の人に聞いたらお妃様のお部屋にいるって聞いたのね。急いでお妃様の部屋に行ったら先帝や他のお妃様そして女房達が勢ぞろいしていてびっくりしちゃった・・・。



「おや、可愛らしい子が来たね・・・。誰のお使いかな・・・・。」



私は驚いて言葉が出なくなっていたのよね。まだ三十くらいの院だなんて・・・。(じつはもうちょっと歳とってると思ったんだ・・・。)とても優しい笑顔で話しかけられたんだけど、どうして早々小さな東宮に譲位したのかなって思ったわ。あとこの人がお母様の前の旦那様なんだって・・・・。でもなんとなく引き付けるものがあったのね・・・。その時は気が付かなかったんだけど・・・。院の女房か知らないけれど、私に声をかけて我に返ったのよ。



「あの・・・こちらの女医様に薬草を・・・・。わ、わたし参議和気泰明の娘、小夜と言います。お父様に頼まれてお兄様の代わりにこの薬草を持ってきました・・・。」



院はなんとも言えない表情で私を見たわ。やはり元皇后であるお母様の娘だからかしら・・・。



女医がやってきたから薬草の入った包みを渡して帰ろうとしたんだけど、院が突然言ったの。



「せっかく来たのだから、ゆっくりしていきなさい。誰かに菓子を持ってこさせるから・・・。」



本当に満面の笑みで私に言われるもんだから、恐縮してしまって帰るに帰れなかったわよ・・・。院は私を前に座らせて、女房が持ってきた水菓子やら、見たことのない豪華な菓子を私にくれたの。さすが隠居されているといっても先帝よね・・・。院の顔は二条院におわす後二条院によく似ておられて、私を見て微笑まれるお顔は姿形のいいお父様(昔は結構モテテいたとか・・・お母様が言っていたのよね)がいる私でもドキッとしたわ。



「和気殿の妻は一人しかいないから小夜姫の母君は彩子というのでしょ。」
「はい・・・。私のお母様は彩子って言います。」



私はお母様とこの院の詳しいことを聞きたくってお母様がこの院の皇后だったって言うことを知っているのを隠したわ・・・・。



「彩子殿は元気にしているのかな・・・。」
「はい・・・。」
「小夜はやはり面影が彩子殿に似ている。私に姫宮がいればこういう顔だったのかな・・・。」



私は黙ったまま院の話を聞いたのね。そしたら出るわ出るわ・・・。でも確信はつかめなかったのよね・・・。残念・・・。でもなんか引っかかるのよね・・・。



《作者からの一言》

本編の続編です。

本編で彩子のお腹にいた姫です。

本編をご存知の方はわかりますよね・・・。この小夜は誰の子か・・・。


追伸:以前投稿したものにイラストを付け加えてUPしなおしました^^

第132章 幸せ再び

 御歳四歳の良仁親王の即位の儀礼は滞りなく行われ、何代か振りの幼帝の誕生であった。


関白であった堀川殿や最高齢の左大臣、この帝の曽祖父である右大臣は老齢により引退し、ガラッと入れ替わりがおこった。土御門摂関家の元大納言が、摂政となり、内大臣が左大臣、堀川関白殿嫡男、東三条殿と呼ばれる元宮内卿が右大臣に。右大将であった源常隆が内大臣となった。帝の祖父に当たる先々帝は後二条院として摂政と共に幼帝に変わって公務をこなすこととなった。


先帝はといいますと、二人の妃を連れ、後二条院の言うとおり、宇治に籠もり、第二の人生を歩むことになった。


東宮は幼帝の弟宮であり、後二条院に引き取られ、二条院にて大切に育てられることとなった。彩子は一時二条院に入り、後日和気家に返されることになっている。相変わらず泰明は典薬頭として幼帝担当になり、毎日忙しそうに働いている。御世が変わったからか、泰明は生き生きと働き、典薬寮の者たちも泰明を目標としてのびのび働いている。泰明の姉明日香と、智明は典薬寮に辞表を出し、大和の国医師として里に帰っていった。泰明の甥で智明の息子智也は都に残り将来大和の国医師になるため、まだ元服はしていないが、泰明の弟子として典薬寮に入り修行をしている。彩子の父元大和守は辞意を示し大和守をしている彩子の弟のところに身を寄せることとなった。皆がみなあるべきところへ戻り、都は平穏無事に時間が過ぎて行った。


 即位に伴う儀礼や異動が落ち着いた頃、いつもどおりに仕事をこなしている泰明はいつもと違ってにこやかな表情で内裏より典薬寮に戻ってくる。


「いよいよですね。頭殿。」
「あ、助殿。早く夕刻にならないかと待ちきれないのです。」


典薬寮の者たちばかりではなく、内裏でも左大臣をはじめ様々な要職の者たちからも同じように声をかけられる。今日はいよいよ彩子が泰明のもとに戻ってくる日である。院によって二人にとっていい日を選び、泰明はこの日を指折り数えて楽しみに待っていた。彩子も同じで、院との子、綾子や誠仁と共にこの日まで過ごしていた。先帝との子博仁はすくすくと育ち、東宮として院や鈴華のもとで大切に育てられている。あの先帝との子とはいえ、彩子はこの宮をたいそう可愛がり、彩子にとてもなついている。この宮たちと別れるのは心苦しいが、泰明のもとには彩子と泰明の子泰大がいるのである。


「お母様、次はいつ会える?」
「綾子、いつでも下賀茂の和気邸にいらっしゃい。同じ年頃の姫がいるのですよ。」
「うん。今度、寂しくなったらお母様に会いに行くから。この前お母様に会いにきていた方が、お母様の好きな人なのでしょ。お父様も素敵だけど、あの典薬頭様も素敵な方よね。」
「まあ、綾子ったら。いつでも遊びにきなさいね。」


彩子も夕刻になって泰明が二条院へ迎えに来るのを心待ちにしているのである。


 先日泰明は彩子を迎える打ち合わせのため、この二条院にやってきていた。院は彩子に止められながらも、あまり飲めない酒を、泰明も普段いつ呼び出されてもいいように酒を飲まないのだが、この日に限っては二人で酒の酌み交わし、楽しそうに打ち合わせを兼ねた宴会を催していた。院や泰明のほか、鈴華や彩子も同席して楽しそうに歓談する。


「お父様、お母様・・・。」


綾子がちょっこと顔を出し中の様子を伺っている。


「綾子か。お婆様と遊んでいたのではないの?」
「あのね、お婆様のお部屋から久しぶりにお父様の楽しそうなお声が聞こえたから。」
「そうかそうか、おいでおいで・・・。」


院は綾子を膝の上に乗せると、微笑み泰明に紹介する。


「この子は私の五の姫宮綾子だ。彩子の初めての子だよ。」


泰明は姫宮の頭を下げ、微笑む。


「綾子です。おじさんだあれ?」
「私は典薬頭和気泰明と申します。お目にかかれて光栄にございます。」


綾子は不思議そうな顔をして院を見つめる。


「お父様、典薬頭って?」
「お医師様の中で一番偉い位の方だよ。この父と新帝の担当侍医なのですよ。今度綾子の母様が再び嫁がれるのだ。この父よりもこの方が母様は好きなのですよ。」
「ふ~~~ん。でも素敵な人ね。綾子もこんな人と結婚させてね。」
「そうだね。綾子は可愛らしいからきっと素敵なお相手が出来るよ。」


綾子は院の膝から離れると、手を振って部屋を離れる。


「本当に院と彩子様に似て可愛らしい姫宮様で・・・。伊勢斎宮になさるなどもったいない・・・。」
「んん・・・。今となっては伊勢にやることは悩むところだが・・・。さて、例の件の話をしないとな・・・。」


院はぐいっと酒を飲み干すと杯を置き、泰明の側に詰め寄る。


「さて、ほんとに長い間待たせたね。新しい御世になり、これで彩子を泰明殿にお返しできる。この数年の間、泰明殿は浮気一つせず、彩子を待っていたそうだね。ほんとになんと言っていいか・・・。」
「いえ、院と彩子様とお約束をしましたから・・・当然です。」
「本当にあの馬鹿な息子に振り回されてしまった。すまない。彩子をお返しする日、どのようにすればいいかな・・・。」
「典薬寮からの帰りにこちらに寄り、お迎えにあがります。荷物などは必要ありません。以前のものはきちんと置いてありますし、身一つで来てくだされば・・・。」
「ほんとにいいのか?彩子もそれで?」


彩子はうなずき、泰明を見つめて微笑む。泰明も頬を赤らめながら、彩子に微笑む。この日は夜遅くまで酒を飲み交わした。


 彩子は夕刻まで我慢が出来ず、壷装束に着替え、泰明からもらった一番の宝物を懐に入れて数人の侍女を連れ外出する。院は見て見ぬふりをし、遠目で微笑みながら見送った。二条院から大内裏まではすぐそこであるが、典薬寮は大内裏の西側に位置しているので、結構な距離がある。彩子は高鳴る胸の鼓動を感じながら、大内裏の門を入っていく。彩子はふと最近まで住んでいた内裏を見つめると、溜め息をついて先を急ぐ。典薬寮の前に着くと、侍女の一人が、泰明がいるか確認に走った。侍女は急いで走ってくる。


「彩子様、ご不在のようでした。急用で宮内省や内裏へ行かれたようです。」


彩子は残念そうな顔をしてその場にしゃがみこんだ。


「彩子様、大丈夫ですか?」
「うん・・・ちょっと立ちくらみしただけよ。」


すると遠くからこちらに向かって走ってくるような足音がする。


「大丈夫ですか!どこか悪いところがあるのですか!」


息を切らしながら泰明が走ってきたのである。泰明は彩子の前に立つと、しゃがみこんで様子を伺う。


「ん???」


泰明は彩子の香のにおいに気づき、顔を赤らめて彩子に声をかける。


「彩子様、どうしたのですか?それ以前にどうしてここに?」
「早く泰明に会いたかったから・・・。」


泰明は溜め息をついて、彩子を抱き上げる。


「あれ?泰明左腕???」
「彩子様のために一生懸命治したのですよ。なんとか彩子様を抱き上げるまでに回復しました。」
「そう・・・。でも、みんな見てるよ・・・。」


彩子は顔を赤らめて泰明の胸にうずくまる。


「いいのです。皆に彩子様が私の妻だって見せつけたいくらいです。しかし彩子さまは私の妻であるけれども、院の女御、先帝の皇后。そして帝、東宮のご生母であられるのに・・・。このようにうろついては・・・。まあそういうところが彩子様ですが・・・。」


泰明は微笑んで、自室に彩子を運び入れる。もちろん普段堅物の泰明が女君を抱き上げて部屋に入っていくのを見て大騒ぎになる。彩子の侍女は泰明の部屋の前できちんと座って待ち、彩子と泰明は二人きりとなり、彩子の被っているものをとる。一方泰明の部屋の前では、典薬寮の者が、彩子についていた侍女に声をかける。


「あなたたちはどこの縁のものですか?」
「わたくしたちは二条院縁のものです。それが何か?」
「ということは?????中におられる女君は???」


典薬寮のものは驚き腰を抜かす。


「で、では・・・・先帝の皇后・・・・。今上帝のご生母様????」
「はい。本日からは和気様の北の方ですけれど・・・。」


侍女たちは微笑みながら典薬寮の者をあしらう。外のやり取りが聞こえたのか、泰明と彩子は笑いをこらえる。


「彩子様、もう少ししたら終わりますから・・・。待っていてくださいね。」
「はい。」


書き物をしながら、泰明は色々彩子に聞く。


「先程はどうかしたのですか?あのようなところで座り込まれて・・・。」
「ん?ちょっと立ちくらみがしたの・・・。」
「ちゃんと食べて寝ていますか?」
「ん?んん・・・。」
「後で診て差し上げますから。」


彩子は微笑みながら仕事中の泰明を見つめる。時折視線を気にしてか、泰明が顔を赤らめながら彩子の顔を見る。


「やめたやめた!」


泰明は筆を置き、文机を片付けだした。


「どうかしたの?」
「彩子様がいて彩子様の事が気になってね・・・。明日続きをするよ。」
「明日休みじゃなかったっけ?」
「あ、じゃあ明後日するよ。急ぎじゃないからね・・・。さあ、二条院によって帰るとするか・・・。早く院にご挨拶して邸でゆっくりしたいから・・・。」


彩子はうなずくと、泰明は荷物をまとめたあと、彩子の頭に衣を被せる。すると表で声がする。


「典薬助でございます。今上帝御生母彩子様にご挨拶をさせていただきたく参りました・・・。」


泰明と彩子は顔を合わし苦笑すると、泰明はとりあえず、典薬助を部屋に入れることにした。


「彩子様、そのままの格好でいいと思いますよ。今上帝や東宮のご生母であっても、殿上人である私の妻だし・・・顔を見せる必要はないと思います。適当に返事をしていれば・・・。」
「んん・・・。」
「助殿、入っていいですよ。」


典薬助丹波は扉を開け、彩子に対して深々と頭を下げると、頭を下げたまま、挨拶をする。彩子は苦笑して、返事をする。


「ご丁寧なご挨拶、こちらこそ恐縮してしまいます。わたくしは今上帝、東宮の母でございますが、こちらにいる和気泰明様の妻。わざわざご挨拶など必要はございませんのよ。」
「そうですよ、助殿。筋違いというもの。私の北の方ですので、取り入っても何もありませんよ。今上帝の後見は右大将殿が、東宮の後見は院がなさるのだから・・・。さて、助殿。今から二条院に参りますので、早退します。明日も休みを取っていますので、あとのことを頼みましたよ。さ、彩子様行きましょう。」


二人は立ち上がると、頭を下げ続けている典薬助の横を通って、退出する。藻壁門まで歩き、待たせてあった、和気家の車にまず彩子を乗せ、泰明も乗り込む。早々と退出してきた上に、女君を連れて乗り込んだ泰明を見て従者は不思議そうな顔をした。


「勇人、何している。二条院に向かってくれ。」
「は、はい!」


車が動き出すと、泰明は彩子が被っているものをはずす。


「暑いでしょうに・・・・被衣ではなく市女笠にすればよかったのに・・・。そんな格好をしているから立ちくらみをするのですよ。本当にいつも突然典薬寮の私のところにやってくる・・・。もし間違いが合ったらどうするおつもりですか?」
「そうね・・・。ごめんなさい・・・。」


異様に素直な彩子を見て泰明は微笑み彩子を引き寄せる。


「今度来るときは文をよこしてからにしてください。そうしたら表で待っていますから・・・。どうせ今日も院に許しを得ず来たのでしょう。もう・・・。」


彩子は泰明の胸にうずくまり二条院に向かう。


 二条院に到着し、彩子は部屋へ着替えに戻る。泰明は二条院の者に誘導され、院のいる寝殿に通される。


「泰明殿早かったね。彩子とは会えたの?」
「はい。院は知っておられたのですか?彩子様が出て行かれたのを・・・。」
「もちろんだよ。彩子のことだから、きっとそういうことをするだろうと、うちの門衛と、大内裏の衛門のものに言っておいたのですよ。」
「だからですか、典薬寮まですんなりと入ってこられたのは・・・。」


院は微笑んで、泰明と歓談していると、着替えを終えた彩子が入ってくる。


「院、大変お世話になりました。小さな宮達のこと、よろしくお願いします。」
「え、もう出るの?もう少しゆっくりすればいいのに・・・。ああ、すまんすまん。早く帰って久しぶりに二人っきりで過ごしたいのだね・・・。さあ行きなさい。また何か足りないものがあれば、言いなさい。また遊びにおいで彩子。」
「はい・・・。」


彩子は今までの辛い思い出や楽しい思い出を思い出しながら涙ぐんで院に頭を下げ泰明と共にお世話になった二条院を後にする。車の中では、二人寄り添い、和気邸まで沈黙が続いた。和気邸につくと、懐かしい顔ぶれが彩子を出迎える。


「お母様お帰りなさい!」


ひとまわり大きくなった蘭が彩子に飛びつき満面の笑みで迎えるが、御歳3歳になった泰大は乳母の後ろに隠れて出てこないのである。泰明は泰大を抱き上げて言う。


「泰大。お前は覚えてはいないだろうけれど、お前の母上様だよ。やっと帰ってきたのだよ。」
「母上様?」


彩子は大きくなった泰大を見て涙ぐむ。


「あんなに小さく生まれた泰大がこんなに大きくなったのですね・・・。」
「ああ・・・。さあ、泰大。母上様に甘えておいで。」


泰大ははじめ不思議そうな顔をしていたが、何か感じるものがあるのか、彩子に飛びつき、満面の笑みで笑うのである。


「ごめんね。泰大。今まで放っておいて。これからはずっと一緒だから・・・。」
「うん!絶対だよ。母上。」
「ええ。」


彩子は微笑み、泰大をぎゅっと抱きしめる。


「母上様痛いよ。」
「ごめんね・・・。さ、寝殿に参りましょ。」


彩子は蘭と泰大の手を引き泰明と共に寝殿に入る。


 夜になり、彩子は蘭と泰大を寝かしつけると、泰明の部屋に入る。泰明は明かりの下で何か書物を読んでいたが、彩子が入ってきたのに気が付くと急いで書物をなおし、立ち上がって、彩子のもとに近づき彩子を抱きしめる。やはり泰明は彩子の立ちくらみが気になるようで、彩子に話しかける。


「貧血なのかな・・・。彩子は帝をお産みしてから倒れやすいからね・・・。」
「ううん・・・原因はわかっているから。」
「原因?」


彩子はこの場で話そうかどうか悩んだが、いずれわかることとして、話すことにした。


「誰にも言っていないのよ。私懐妊しているの。」
「え?もしかしてあの方の?」
「うん。康仁院・・・。譲位された時に気づいたの。周りの者たちは譲位や即位やで忙しくて気づいてないのよ。はじめは悩んだのだけれども、いいの。これからは泰明が側にいるから。」


泰明は少し困った顔をしたが、意を決したようで彩子に言う。


「彩子。ではその子は私の子として育てよう。あの憎い康仁院の子であろうとも、彩子の子であるのには違いないのだし・・・。」
「それでいいの?それで・・・。」
「ええ・・・。構いません。生まれてきた子が男であれ女であれ、この私が責任を持って私の子として育てましょう。」


彩子は泰明に身を預け、泰明も彩子を抱きしめる。


「あ、彩子。診てあげるよ。寝所に横になって・・・。」


彩子はむくれた顔で泰明をにらむ。泰明は予想外の表情に驚く。


「ホント、泰明って仕事人間よね。医術のことになるとほんとに・・・・。まあそういうところが泰明なんだけど・・・。」


彩子は満面の笑みで泰明を見つめると、泰明は顔を赤くして少年のように照れ笑いをする。


「診察は後回しにして・・・・。」
「ん・・・んん・・・・。」


泰明は彩子のおなかを気遣いながらくちづけを交わす。二人は見つめあいながら、約束をする。


「彩子、今度は何があろうとも彩子を離さないよ・・・。」
「ほんとに?信じていい?」
「当たり前じゃないか・・・。もう怖いものなんていないよ。権力にも屈しない。信念を貫くだけ・・・。」
「じゃあ信じているわ。都いちの旦那様・・・。」


泰明は満面の笑みで彩子を抱きしめ、彩子も泰明の胸にうずくまる。


「今度こそ都いち、幸せな夫婦になろう。色々辛いこと、苦しいことを乗り越えてきたのだから・・・私たちの愛は最強だよ。」
「そうね・・・。」


二人はこの先どのような障害があろうとも離れることはなく、この先子供たちや孫たちに囲まれて幸せに最後まで寄り添ったのでした。


《完》



《作者からの一言》

やっと完結させました。長ったらしい内容でしたね・・・。

次からは番外編を・・・。


短編で、泰明と彩子の子供の話をします。

その後は現代版番外編を・・・。

しつこいですが、よろしくお願いします。

第131章 中務卿宮の怒りと退位計画

 年が明け春の日差しが感じられる頃、中務卿宮の説得のおかげで彩子は出産間際になって里下がりの許可が下りる。急いで中務卿宮は彩子を二条院に迎え、出産の準備に取り掛かる。やはり側に帝がいないためか、彩子は以前のように鈴華や綾子とともに楽しそうに過ごしている。宮中では見せない笑顔に中務卿宮安堵し、あと泰明さえいれば本当の彩子の戻るであろうと思ったのである。


もちろんこの邸での出産の条件として、泰明を近づけないことであるが、なんとかこの邸にいる間一度だけでもあわせてやろうと思うのである。中務卿宮はこっそり泰明を招きいれ、彩子と会わす。二人は嬉しそうに見つめあうと、安心しきった表情で彩子はいつもどおりの彩子に戻っていく。


「元気そうで何よりです。姉上から色々彩子様のことを聞いております。たいそう御腹の御子を慈しんでおられたとか・・・。」
「だって泰明と約束したでしょ・・・。この子はあの方のお子だけど、泰明の子だと思って慈しんできたわ・・・。」
「そうでしたか・・・。私も遠くからでしたが、彩子さまのご健康をお祈りしておりました。まもなくのようですね・・・。」
「ええ・・・。」


彩子は緊張がほぐれ安心しきったのか、泰明が帰ったその日の夜、帝に似た皇子を産んだ。その日のうちに帝に伝えられ、帝は皇子の誕生に大喜びし、儀礼の準備を整わせる。儀礼が済み帝は無理を言って新宮に会うために二条院にやってくる。帝は文箱を抱え、横になっている彩子の前に現れると、彩子は座り帝に頭を下げ、帝から文箱を受け取る。帝は新宮の顔を見て微笑むと、乳母にいって新宮を抱く。


「やはり私の子だったね。私によく似ている。生まれるまで不安でしょうがなかった・・・。父上や泰明に似ていたらどうしようかと思ったよ。皇后、その中はこの宮の命名書きがはいっている。」


彩子は文箱のふたを開けると、命名書きが入っていた。


「いい名前だろ。「博仁」って言うんだ。賢い子になって欲しいしね・・・。」


帝は新宮を乳母に預けると、彩子を抱きしめ耳元で言う。


「どうして姫宮を産まなかったの?姫宮が欲しかったのに・・・。まあいい、今度は姫を産めよ。」
「え・・・。」


彩子はこれで帝から解放されると思ったが、この一言にショックを隠せなかった。帝は満足そうに二条院を出て行くと、彩子は寝所に潜り込み泣く。心配になった中務卿宮は彩子の寝所の前に座り、問いただす。


「帝に何を言われたのですか?」
「宮様・・・。帝は姫が欲しかったようなのです・・・。新宮が姫でなかったことで次は姫宮を産めと・・・。」


中務卿宮は怒ってこぶしで床をたたく。


「なんということを・・・。彩子を自分の欲の道具にしか思っていないとは・・・。帝の父としてなんとかしないといけない・・・。いい?彩子。今から言うことは内密に頼むよ・・・・。」


中務卿宮は彩子にこれから起こす行動を事細かく彩子にいい、彩子は顔を青ざめる。


「それでは宮様のお立場が・・・。」
「私の立場などいいのだよ。先帝として自分勝手な帝を放っては置けまい。ましてあれは私の息子だ。私が責任を持って処分しないと・・・。実はねまだ院としての権限はなくなっていない。最初から兼任という形をとっていたのですよ。これから大臣たちに根回しをしないといけない・・・。時間はかかるかもしれないが、きっと彩子を泰明殿にお返しするよ。いいね・・・。今話した事は内緒だよ。」


彩子はうなずくと、中務卿宮は微笑んで部屋を退出する。


 次の日から中務卿宮は帝に感づかれないように先帝時代の側近中の側近である右大臣、内大臣、右大将などと内密に会い、話を進めていく。もちろん帝に異を唱えるものたちは多く、摂関家筋でも密かに進められていた。もちろん帝の後見人である右大臣も数々の帝の奇行にうんざりし、同じ後見を持つ帝と彩子の子である御年三歳の東宮に譲位を迫るように意を決した。


 中務卿宮が行動に移してから一年。また春がやってきた。承香殿にはいつものように女御たちが集まり今日はなにやらひそひそと話をしている。


「ついに決行の時がきたそうよ。ねえ麗景殿さま。」
「はい。摂関家と源家、中務卿宮家が同じことを考えていたなんてね・・・。お父様も先帝が先頭に立たれると聞いて安堵していましたわ。」
「そうよね・・・。なんといっても帝のお父様ですもの・・・。後宮でももう帝の味方になるものなどいないと思うわ・・・。帝のお父様にがんばっていただかないと・・・。あと説得するのは帝の側近中の側近、私のお兄様頭中将だけらしいわね・・・。」


彩子は驚きながらも着々と計画が進んでいくのを見届ける。もちろん都のものたちは皆先帝である中務卿宮に賛同し、帝の味方になるものは帝の叔父であり、小さい頃から帝に仕えている頭中将源博雅だけである。中務卿宮は二条院に博雅を呼び出すと、説得にかかる。


「博雅、もうお前だけだよ・・・私の側についていないのは・・・。お前は父母を同じにする兄弟。歳は離れているが、同じ血が流れている。お前は賢い。元服前より康仁に仕え、兄弟のように育ってきたのは知っている。しかしここ最近の帝の奇行ぶりは都中を混乱させている。このままでは皆が黙っていない。なんとも感じないのか?」
「兄上、もちろんわかっております。しかし私が帝のお側にいなければ、いけないのです。譲位されるとすれば私がずっと側におります。出家されるのであれば私も共に・・・。」
「まだお前の子は幼い。その子達はどうするつもりだ。お前は養子とはいえ代々続いている村上源氏の当主ではないか。最近では清和源氏の者達が地方で武士として勢力を伸ばしているが、源氏でも最高権威、源氏長者である村上源氏を廃らせていいのか?」


博雅は悩み悩んで決意をする。


「わかりました・・・。兄上に従います。しかし私は裏切り者といわれようとも、康仁親王様の味方です。とりあえず朝廷のために兄上に賛同いたします。帝の譲位後は、康仁親王様が寂しい残りの生涯をお過ごしにならないよう見守って行くつもりです。」
「んん・・・。よく決意してくれた。康仁は寂しいことはないよ。安子が再婚をせず、側にいるといっていた。もちろん土御門の女御もだよ。でも残念なのは右大臣の醍醐源氏が廃れることかな・・・。まあこれは仕方がないこと・・・。」
「醍醐源氏の流れをくむ親王が一人いるではありませんか。皇后彩子様と兄上の宮であられる六の宮誠仁親王様が・・・。彩子様はれっきとした醍醐源氏筋・・・。昨年中宮大夫になられた父君は右大臣様の従兄弟・・・。誠仁親王を、右大臣家の養子にされたらいいのです。そうすれば廃れることなど・・・。」
「んん。右大臣殿に頼んでみよう・・・。博雅、そうとなれば善は急げ、明日決行をする。」


 次の朝、主要な人物が殿上の間に集まり、段取りを話し合う。賛同したはずの博雅は殿上の間の隅っこで、複雑な顔をして座り込んでいる。異様な雰囲気に朝の診察を終えた泰明は驚いてさっさと典薬寮に戻っていった。複雑な表情をしている博雅を見て、中務卿宮はいった。


「博雅、博雅はそこにいるといい。一番辛い立場だからな・・・。」
「しかし!」


中務卿宮は微笑むと博雅のみを殿上の間において中務卿宮、関白、大臣たち、各省の卿、各府の督などが一斉に帝の御前に上げる。帝は何事かという顔をしてい驚いている。


「帝に申し上げたい事がございます。今日は中務卿宮としてではなく、先帝としてここにいるものたちを代表して言わせていただく。」
「なんですか、皆改まって・・・。父上・・・。」


宮は深呼吸をすると、ゆっくりとした口調で帝に言う。


「帝の退位を要求する。」
「え!どういうことですか父上!」
「理由はたくさんある。いいかよく聞くように。各省や府の者たちの意見を聞かず、有無を言わさず自分勝手に事を運ぶ。無理難題を申し付ける。慣例に従わない。そしてここ最近の目に余る奇行の数々・・・。どういうことかわかっているね。もう誰も康仁に従わないといっている。あなたが退位を受け入れないのであれば、私を始め、ここにいるものや各省、府の者達が出仕を控えるであろう。」
「しかし・・・。」
「どうしますか?」
「考えさせてください。皆の言いたいことはわかった・・・。父上以外は下がっていい・・・。」


中務卿宮が合図をすると皆は下がっていき殿上の間で様子を伺う。中務卿宮は御簾の中に入ると、説得を試みる。


「よく聞きなさい。お前の親として今日まで大変恥ずかしい思いをしてきた。お前を退位させることは大変辛いが、親としてけじめをつけなければならない。お前の母綾乃も同じことを言うであろう。お前は皆に対する思いやりがない。皆を物のように扱い、思い通りにならなければ、叱り付ける。特に皇后彩子姫はどうだ。姫に自由を与えず、意見も聞かず、大変傷ついたに違いない。典薬頭和気殿もそうだ。いきなり離縁を迫り、二人の仲を引き裂き、近づくことさえ許さないとは・・・。承諾したとはいえ、それはあの二人の意に反したこと・・・。お前の権威を利用し、無理やり承諾させたではないか・・・。お前のすることはすべて皆を不幸にしている。そのようなものに国の頂点に立つ資格はない!譲位後、彩子姫は和気殿に返すのだ。譲位後は宇治にある亡き宇治院の院に籠もるのもよし、出家するのもよし、好きにしなさい。ただし、安子姫たちはお前についていくと言っている。どうする。まあ選択肢は一つしかないが・・・。」


帝は悩み悩んで父宮に対し退位を承諾する。そして御年四歳の良仁親王を帝位につけ、東宮として二の宮博仁親王を皇太弟とすることとした。その日のうちに譲位が宣言され、良き日を選んで即位の儀礼が行われることとなった。


《作者からの一言》

ついに退位。みんな帝に背を向け、一人になった帝。もちろん自業自得ですが・・・。

これで彩子は解放されます。しかし・・・・。

ついに次クライマックス。

第130章 七夕の節会の夜 

 彩子が皇后に立后してから三月がたち、帝は相変わらず彩子のみを寵愛する。彩子は毎日が苦痛でたまらない。帝の独占欲は相当のもので、養父である中務卿宮でさえ、彩子の御殿に殿上を許さない状態である。女房の機転で取り上げを免れた泰明からの思い出の品を度々出して来て眺めるたり、帝に内緒で飼っている猫の白を可愛がる事が彩子にとって唯一の安らぎである。もちろんこのことは彩子に同情的である内裏中の女官たちは帝に言うことはない。先に入内していた土御門摂関家の麗景殿女御や右大臣家の弘徽殿女御も彩子に同情的であり、彩子を励まそうと度々やってきて、双六をしたり碁を打ったりして暇をつぶす。


「皇后様、今夜は七夕の節会ですわね。帝の主催で節会後に帝出御で宴を催すのをご存知?」
「いいえ・・・。帝は何も・・・。」
「おかしいですわね・・・。私と麗景殿様はお呼ばれされているのですよ・・・。」
「弘徽殿様、やはり群臣の目に皇后様が触れるのを嫌っておいでではありませんか?」
「たぶんそうね・・・。私も以前そうでしたもの・・・。あの方は本当に独占欲が強い方・・・。皇后様に同情いたしますわ・・・。」
「本当に皇后様は私たちの御殿でさえ行く事をお許しにならないのですもの・・・。清涼殿へお召し以外は御殿から出る事が許されていない籠の鳥のようなお方・・・。」


彩子は苦笑して二人の女御に言う。


「いいのです・・・。帝の言うとおりにしないと元夫の和気に迷惑がかかるのです・・・。私さえ我慢をすれば・・・。」
「何をおっしゃるの?我慢していては身が持ちませんわ・・・。」
「いいえ、特に最近まだ帝の御子を懐妊しない私に苛立っておいでなのです・・・。これ以上波風は立てられません・・・・。」


女御の二人は悲しそうな顔をして見つめあうと、溜め息をついて承香殿退出しようとする。


ふと弘徽殿女御が思い出したように一言告げる。


「そういえば、典薬頭和気様は今朝、殿上していないようでしたわ・・・。他の侍医様が殿上を・・・。うちの女官は本日宿直ではないかと言っていたわね・・・。和気様はもともと宴がお好きでないみたいだから、いつも節会が終わると典薬寮に戻っておられます。もしかして今日もそうじゃないかしら・・・。」
「安子様・・・・?」
「私は内裏どころか大内裏に至るまでの情報は何でも知っています。色々手を回せばわかることです。そういえば今日は内裏中の警備が手薄になる日ですわよね・・・。麗景殿さま。」
「ええ。大体帝出御の宴がある日は・・・。」


そういうと二人は微笑みながら退出する。彩子は脇息にもたれながら考え込むと今夜後宮を抜け出すことを考える。


(七夕の夜くらい泰明と会いたい・・・。話がしたい・・・。)


彩子の女官たちもなんとか少しの時間でも彩子をこの御殿から出して差し上げようと策を考えている。夜になり、彩子は決心がつかず悩んでいると、女官達が彩子を取り囲み、彩子を着替えさせる。


「な、何???」


彩子は女官たちに外出用の被衣(かづき)姿にし、袿を被せ御殿の周りを警戒しながら弘徽殿の女官に彩子を渡す。


「さ、こちらへ・・・。安子様より伺っておりますので・・・。」


彩子は安子の指示でやってきた女官に案内されながら、ある門にやってくる。その門には誰かが待っていた。


「どこへ行くの?彩子。」
「宮様??」


中務卿宮は微笑むと、彩子の手を引き典薬寮の前に連れて行く。


「彩子、一時ほどしたら出てきなさい。泰明の部屋は以前と同じだから・・・。私は宴に戻るよ。帝に怪しまれる。」


彩子は宮に頭を下げると、典薬寮に入り、頭に被っている袿をとると足早に泰明の部屋の前に向かう。やはり皆節会の宴ほうに行っているようで誰もいないようだった。泰明はやはり在室しているようで、部屋から明かりが漏れている。彩子は胸の高鳴りを感じつつ大きく深呼吸をして扉をたたく。すると扉が開き、泰明が顔を出した。


「さ、彩子様!」


泰明は驚いた表情で彩子を部屋の中に入れ、扉に鍵を掛ける。


「ど、どうしてここに????」


彩子は泰明に飛びつき、泰明も彩子を抱きしめる。


「とても会いたかったの・・・。今日は七夕でしょ・・・。女官たちや中務卿宮様が私を御殿から出してくれたの・・・・。」
「そう・・・。でも驚いた・・・。やはりやつれたね・・・。おかわいそうに・・・。」


泰明は彩子の頬に手を置き、やつれた顔をじっと見つめる。


「泰明・・・。」
「はい・・・。」


彩子は泰明の肩に手を回すと、泰明にくちづけをする。


「泰明・・・私・・・。」
「なんですか?」
「私ね・・・帝の子を懐妊したかもしれない・・・。でね、この子を流す方法ってないかな・・・。」
「何を言っているのです。せっかく授かった命ですよ!出来ないことはありませんが、私は命を殺めることなど出来ません!」


彩子は悲しそうな顔をして座り込んだ。


「言うと思った・・・。また私は苦しい思いをして帝の子を産まないといけないのね・・・。」
「彩子様・・・。本当に懐妊しているのですか?」
「まだ明日香には診てもらっていないけれど・・・。たぶん・・・。」


泰明は彩子の手をとり、脈診をし、溜め息をつく。


「確かにそうですね・・・。」
「そう・・・。当たり前よね・・・。」
「彩子様、早まらないでください。きっと姉上がなんとかしてくれます。健やかな御子をお産みください。きっと帝はお喜びになるから・・・。」


泰明は悲しそうな顔をすると、文机の前に座り、書き物の続きを始める。沈黙が続き、約束の時間が訪れる。


「もう時間だ・・・早く出てこないと見つかってしまう。」


中務卿宮が泰明の部屋の前まで迎えに来て、声をかけると、泰明は彩子に袿を被せ、中務卿宮に彩子を預ける。


「泰明、今度はいつ会える?」
「来年の七夕にでも会いましょう・・・。」
「うん・・・。」


二人は別れを惜しみながら手を振り別れる。なんとかバレずに後宮に戻った彩子は早速泰明の香の匂いを消すようにすぐ着替えると部屋中に香を焚き染める。徐々に彩子の体に染み付いていた泰明の香のにおいが消えていくのを感じ、彩子はまた涙を流す。心配そうに待っていた明日香に彩子は気が付くと、彩子は明日香に抱きつく。


「どうかしたのですか?彩子様・・・。」
「明日香、私ね懐妊しているの・・・・帝の子を・・・。でね、泰明に流してって言ったら怒られちゃった・・・。当たり前だよね・・・。泰明は命を守る立場ものだもの・・・。でも泰明に会えてよかった・・・。また来年の今日会う約束をしたのよ・・・。」


明日香は何も言わずに、泣いている彩子の話を聞き、落ち着くまでそっとしておいた。


 懐妊が確定的になった頃、明日香は清涼殿に殿上して彩子の懐妊を報告する。


「おめでとうございます!皇后様、ご懐妊でございます。ご予定はひな祭りの頃でしょうか・・・。」
「それは確かか?今から承香殿へ行く!」


帝は公務をそのままにして急いで彩子の御殿に向かう。


「皇后!」


急なお出ましに承香殿中慌てる。彩子が抱いていた猫を急いで女官が隠し、何事もなかったように振舞う。帝は彩子に抱きつき、嬉しそうに話す。


「やっと懐妊したんだね!うれしいよ!元気な子を産んでよね!」
「はい・・・。」


しかし一転、険しそうな表情で彩子に言う。


「ほんとに私の子?父上や泰明の子じゃないよね・・・・。」
「そんなことは・・・。」
「どうかな・・・。まあいい。生まれてきたらわかることだから。」


すると彩子付の女官が言う。


「皇后様は清涼殿へ向かう以外はこの御殿を出ておりません!養父であられる中務卿宮様でさえ殿上をお許しになっておりません!帝以外考えられないではありませんか!そのように皇后様をお責めになられるなど、皇后様がお可愛そうです!皇后様をお守りしている私たちは我慢できません!」


帝は怒ってその女官に対して手を上げようとするのを彩子が止める。


「帝、お止めください!この女官は真実を述べているだけです。お願いします!」


帝は手を止め、御殿を飛び出していく。彩子はその女官に詰め寄って謝る。


「ありがとう。私をかばってくれて・・・。ごめんなさい・・・。」
「皇后様・・・恐れ多いことを・・・。女官である私たちはきっと皇后様をお守りいたします。」


これ以来女官たちは一致団結して彩子を守り、何があっても動じないようになった。


 相変わらず毎晩のように彩子は清涼殿にお召しをする。懐妊中でありながら、帝の側で添い寝をし、帝は嬉しそうに徐々に大きくなっていく彩子のおなかを撫でる。


「皇后、いつになったら以前のように麗しく微笑んでくれるの?こうして皇后のおなかの中には私たちの子がいるのに・・・。」
「はい・・・。」
「さあどっちかな・・・。皇子っぽいな・・・。毎日元気に動いているしね・・・。でも姫宮も捨てがたいな・・・。可愛いだろうな・・・・私たちの子だから・・・。」
「そうですね・・・。」
「東宮も最近、特に私に似てきて可愛らしいのだよ。今度あわせてあげるよ。」


帝は彩子のおなかを撫でながら眠りにつく。彩子は泰明と約束したようにおなかの子を慈しみ、早く里下がりが実現しないかと願った。


《作者からの一言》

七夕です。会ってはいけない二人の再会です。これくらいは許してあげましょう。

嫉妬深い帝に喝を入れたいのは私だけ?

さあそろそろクライマックス突入!

たまごっち人気まだ続いてたの???

日立マクセル「たまごっち」電池を発売、おまけ付き
 日立マクセルが「たまごっち」に登場するキャラクターを電池本体に描いたアルカリ乾電池「ダイナミック」を数量限定で10月25日から発売した..........≪続きを読む≫ [アメーバニュース]

たまごっち人気まだ続いていたのですか?

うちの娘たちはもう遊んでいませんよ。

確かにキャラはかわいいですね・・・・。

第129章 立后

 ついに入内の日がやってきた。大内裏の隣にある二条院では朝から入内行列の準備で大忙しである。彩子は朝早く起き、身を清め、中務卿宮が用意した衣装を身に着ける。髪をきれいに整えた後、結い上げ冠をつける。邸中の騒がしさに綾子と誠仁が起きてくる。


「お母様きれい・・・。今日は何かあるの?」


と綾子が言うと、彩子は苦笑して黙っている。


「姫宮様、若宮様、お父様のところへ参りましょう・・・。」


と、綾子と誠仁付の女房が二人の手を引き、中務卿宮の部屋に入る。宮は二人の起床に驚いた様子で膝の上に乗せる。


「いつもより早い起床だね・・・。どうかしたの?」
「お父様、どうしてお母様はきれいな格好をしているの?お化粧もしているのよ。お人形さんみたいなの。ねえ誠仁。」
「うん!きれいだったよ。どうして?」


宮は悲しそうな顔をして言う。


「あなたたちの母は、帝であるあなたたちの兄宮に嫁がれるのだよ。兄宮のお妃になるのだ。また会えなくなるのですよ。」
「どうしてにいさまのお妃様になるの?どうして?」
「あなた方には東宮である弟宮がいるね。弟宮の父は私ではなく帝だから・・・。」


綾子達は不思議そうな顔をして聞いている。


「またお母様に会えないの?じゃあこの前お父様に買ってもらった子猫をお母様に差し上げていい?」
「どうして?綾子のお気に入りじゃないか・・・。」
「だってお母様もあの子猫を可愛がってくれているから・・・。綾子はまたお父様に買ってもらえばいいから・・・。」
「綾子・・・。」
「会いたくなったら会いにいけるでしょ?」


宮は微笑んでうなずくと、綾子は部屋に戻り、お気に入りの子猫を抱いて彩子の部屋に入ってくる。彩子の準備は整っており、彩子は綾子を見て微笑んだ。


「お母様、にい様のお妃様になるんだってね・・・。これあげる。」


綾子は彩子に子猫を渡すと涙ぐんで座り込む。


「綾子・・・。この猫は綾子の大切な猫でしょ。」
「だって、だって、またお母様はいなくなるんでしょ。この子猫を綾子と思って大切にしてね。綾子はにいさまの妹だもん。またお母様に会いに行くね・・・。」


彩子は綾子の頭を撫でて涙をふき取る。出立準備が出来たようで、宮と彩子の父君が部屋にやってきて彩子が車に乗り込むのを見届ける。綾子は宮にしがみつき、泣きながら彩子の出立を見送る。


「博雅、頼みましたよ・・・。」
「はい、兄上。」


行列警備の責任者であり、宮の弟である頭中将源博雅は出立の声をかけ、行列は二条院を後にする。


「泰明、今日は特に元気がないね・・・。」
「兄上・・・。」


帝の診察を終え、典薬寮に帰ってきた泰明の兄、智明が診察報告にやってくる。


「帝はたいそうお元気でしたよ。昨夜は嬉しさのあまり眠っておられなかったようだけど・・・。」
「そうですか・・・。」
「今日入内というのにもう明日婚儀だろ・・・。明日から三日間宿直を命じられたようだね・・・。酷な事を・・・。代われるものならかわってやりたいが・・・帝の命だからだめだしね・・・。」
「兄上、それも後涼殿に詰めよと・・・。何を考えていらっしゃるのか・・・。」


帝のなんともひどい仕打ちに兄である侍医和気智明は溜め息をつく。


「泰明、でもしっかり仕事をしないといけない・・・。もうお前は和気家の当主であり、典薬寮を取り仕切るものなのだから・・・。」
「兄上、私は今まで彩子様がいたからここまでこられたのです。彩子様がいないと仕事が手につかない・・・。本当に私は打たれ弱いというかばか者だよ・・・。」


泰明は頭を抱えながら、涙を流す。


承香殿に御殿を賜った彩子は到着後座り込み、溜め息をつく。


(ああ、この御殿も久しぶりね・・・。何も変わっていない・・・。あの頃は楽しかったけれど・・・今回は・・・。)


彩子は落ち着く暇なく、表が騒がしくなるのに気が付き、身構える。案の定、帝が嬉しそうな顔をして承香殿に入ってくる。


「ふ~ん。やはり彩子姫は美しい。惚れなおしてしまいました。父上の選んだ衣装の趣味もいい。彩子姫、お願いがある。香はこれに変えて欲しい・・・。今の香は父上や泰明を思い出すからね・・・。私だけの彩子姫でいて欲しいから・・・。」


帝は女官に香を渡し、女官は彩子に香を渡す。


「この香はね、とても手に入りにくいもの。この私にしか手に入らないのだよ。誰も真似できない彩子姫だけの香・・・。とてもいい香りだろ。今すぐこの香をたき、私だけの彩子姫になってくれ。」
「はい・・・。」
「あとそれと、道具類も、この私が選んだものを持たせるから・・・。せっかく父上が用意してくれたのだろうけれど、私が選んだ物しか持たせないから。衣装もそうだよ。」
「い、嫌です・・・。道具くらいは私が使い慣れたものを・・・。」
「だめだ!その中に父上や泰明にもらった大切なものなどがあれば困る。道具も調度品もすべて新調しないと!これから私の言うことを聞かないとわかっているね・・・。」


側にいる女官たちや側近の者たちは帝の言動に驚き、身震いをする。帝はいろいろと注文をつけると微笑んで御殿を立ち去ろうとし、振り返って彩子に釘をさす。


「彩子姫、明日の婚儀を楽しみにしているよ。ちゃんと私のいうとおりにしていてくれたら、幸せにして差し上げますから・・・。あともう一人くらい私の子を産んでください。あなたしか産んでくださる人がいないからね・・・・。」


そういうと清涼殿に戻っていく。しばらくすると続々と帝付の女官達が入っていって、せっかく用意してもらった道具を片付け、真新しいものに変えていく。もちろん入内の際に着てきた衣装も新しいものに着替えさせられ、新しい香が焚かれる。とても高級ないいものばかり用意され、最高の待遇であるが、やはり彩子は道具の中に忍ばせていた泰明の思い出の品が気になってしょうがなかった。この騒ぎに驚いた中務卿宮は慌てて彩子の御殿にやってくる。


「どういうことだこれは?私がせっかく用意したものすべて変えられているとは・・・・。これはもう私に対する嫌がらせ・・・いやそれ以上である。彩子、もう黙ってはいられない!」


彩子は宮を止めて言う。


「宮様、いいのです。帝の言うとおりにして波風を立たせないようにしないと・・・。」
「しかしね彩子・・・。聞いてくれないか・・・。明日から三日間宿直を言い渡され、後涼殿に詰めよと・・・。泰明殿もだぞ!これはあてつけ以外何もない!」


もちろん彩子は宮の言葉に驚く。婚儀の夜は清涼殿にて行われることになっており、後涼殿は清涼殿の真横の御殿である。彩子のはじめの夫である宮と、その次の夫である泰明のみを真横の御殿で宿直させるなど、彩子を愛したまま手放した二人にとって屈辱的なことである。かわいそうなのは泰明で、初枕の後の朝に毎朝の診察をしなければならない。


「あと婚儀中の三日間は彩子を清涼殿の局に置いておくと・・・。なんという帝か・・・。親として心苦しいどころではない・・・。済まないね彩子・・・。」
「いいえ・・・。」


中務卿宮は溜め息をつきながら、退出し、邸に戻って行った。夜が訪れ、この夜は帝の訪問はないようだった。彩子の大和時代からの女房である五條は、絹に包まれた物を持ってくる。


「彩子様、これを・・・。」


包みを開けてみると、彩子が大事にしていた泰明からもらった宝物が入っていた。


「これは泰明の・・・。どうして?」
「道具が運び出される前に私がこの三点だけですが抜いておきました。」


彩子は泰明のもらった櫛やら貝に入った紅を抱きしめると五條に礼を言う。


「これを取り上げられたら私・・・。後宮でやっていく事が出来なかったわ・・・。五條・・・お願い・・・これ預かっていてね・・・。もし私が持っていたら取り上げられるわ・・・。」
「はい。かしこまりました。」


五條は大事に包みなおすと、自分の局に戻り大事に保管した。彩子は唯一取り上げられなかった綾子の子猫を撫でながら、物思いにふける。たぶん海を隔てたとなりの国から来たであろうこの白い長毛種のオスの子猫は彩子の良くなつき、彩子が撫でるごとにのどを鳴らし甘えてくる。綾子はこの子猫を白(はく)と名づけていたが密かに彩子は泰明の一字からとった泰(やす)と呼んでいた。もちろんこう呼ぶのは彩子のみの時である。寝る前にこの白を抱きしめてまるで泰明に語りかけるように今日一日の起こったことを話した。


「泰、明日はついにあのお方と結婚するのよ。明日は一緒に寝てあげられないけれど、いい子でいてね・・・。でないとあなたまで取り上げられてしまうわ・・・。」


彩子は白を寝所に入れて一緒に眠った。


ついに婚儀の日がやってくる朝から彩子の御殿は慌しく婚儀の準備を整えている。彩子は白を女房に預け、朝餉を取ると、身を清め帝の用意した婚儀用の衣装に身を包む。一方帝は朝餉を済ますと、泰明を呼び朝の診察をさせる。


「泰明、皇后はもう懐妊してもいい頃合かな・・・。昨年の夏に出産したし・・・。もう一人や二人産んでいただかないとね、年齢も年齢だし・・・。泰明ならわかるだろ、皇后がいつ懐妊しやすいかぐらい・・・。」
「さあ、私は存じ上げませんが・・・。」
「月の穢れの日程くらいは知っているのだろう・・・。」
「さあ・・・私は存じ上げませんが・・・。」


帝はムカッと来たようで、さらに泰明を挑発する。


「皇后の初めての男がこの私であればよかったな・・・。父上が皇后の初めての男であることを考えるだけでも腹が立つ。皇后はどういうことをすれば喜ぶのかな・・・。泰明。」
「さあ・・・。では私はこれで・・・今晩の宿直がありますので退出を・・・。」


冷静に振舞う泰明を見てさらに帝は苛立ちを覚える。もちろん泰明は冷静に振舞っているだけであり、腹の中は相当苛立ち、帰りの車の中で物に当り散らしていた。


昼間の儀礼が滞りなく行われ、夜が訪れる。彩子は清涼殿の局で婚儀の夜の準備をする。帝付の女官によって彩子の唐衣が解かれ、小袖姿にされる。髪などをきれいに整え、女官によって帝の夜の御座にある御帳台に誘導され、正座をして帝が表れるのを待つ。帝は女官たちによって直衣を脱ぎ小袖姿になると、彩子の待つ御帳台に入ってくる。帝は彩子を横にすると、くちづけをし、小袖の紐を解く。
「皇后、緊張しているの?あの時みたいに無理やりしないし、上手くなったから安心して。今日一晩十分かわいがってあげるから・・・。ああ、明日も明後日も・・・。皇后が懐妊するまでね・・・。」


彩子は帝に抱かれながら涙を流す。


 後涼殿にて宿直している泰明と中務卿宮は婚儀の夜が始まったことを女官から告げられると、複雑な表情で顔を合わせる。時間がたつにつれて、泰明は悔しさのあまり、手が震え、後涼殿の柱をたたき始める。もちろん中務卿宮も、泰明の気持ちがわからない訳ではない。


「泰明殿、大事な手を傷めますよ。それでなくても左手は・・・・。」


泰明はハッとして中務卿宮の言葉をもう一度聞く。


「今なんと?」
「彩子姫から聞きました。あなたの左手のことを・・・。医師として致命傷であると・・・。だいぶん良くはなったらしいが、またそのように手を傷めると・・・。」


泰明は無意識のうちに不自由な左手を自分で痛めていたのだ。


「そこまで回復させたのは彩子姫なのでしょう。それをそのような・・・。」
「そうですね・・・。」


泰明は左手を袖の中になおすと、中務卿宮とともに気を紛らわすような話題で一晩を過ごした。


 朝方になり帝に抱かれながら眠っていた彩子は目を覚まし、小袖を着ると座り込む。帝は彩子が起きたことに気が付き、目を覚ます。


「皇后、もうおきたの?早いね・・・・まだ日は昇っていないけど?」
「はい・・・。なんとなく・・・。」


帝は横になったまま彩子を見つめるという。


「昨夜はどうだった?父上や泰明との夜よりいいだろ?歳のいった父上や女の経験の少ない泰明と比べて・・・。」
「・・・・。」
「もう一人皇子が欲しいよ。姫も可愛いだろうな・・・。そうだ姫が欲しい。」


彩子は無言のまま、御帳台をでて局に戻る。局に戻ると、座り込んで彩子は泣いた。その声は帝や後涼殿の二人にも聞こえ、彩子の女官たちは慌てて衣装を着替えさせる。彩子は畳の上で横になると、天井を見つめて目を閉じる。


朝になり、帝は御帳台からでてくると、彩子は朝から帝の身支度につき合わされる。湯殿から出てきた帝に彩子は上着を掛け、朝餉の間まで帝の後ろをついていく。


「皇后も一緒に食べたらいい。」


帝は皇后の分も朝餉を用意させると、一緒に食べ始める。彩子は途中で箸を置くと帝はじっと見つめて黙々と食べる。


「皇后、もういいの?」
「はい・・・。」
「今日から一日側にいてよ。」
「はい・・・。」


悲しげな顔をしている彩子に帝は気にしながらも、朝餉を済ませ、直衣に着替える。


「皇后は着付けが上手いと聞いた。今日から私の着付けは皇后にしてもらおう・・・。」
「はい・・・。」


彩子は女官が用意した直衣一式を受け取ると、順に着付けていく。着付けると帝は満足そうに昼の御座に向かう。彩子は悲しそうな表情をしながら帝の脱いだものをきれいにたたみ、女官に手渡すと、帝の女官たちは彩子に同情する。


(皇后様でありながら、更衣のような事をおさせになる帝・・・。皇后がおかわいそうですわね・・・。)
(それでなくても無理やり和気様と離縁させられて入内されたのです。今から和気様の診察ですわ・・・。)
(本当におかわいそうなお方・・・。なんとか差し上げたいわね・・・。)
(昨夜もずっと泣いておられたもの・・・。)
(先帝からこちらに仕えていたけれど、先帝とは大違いだわ・・・。先帝は私のような女官にまで気を使われて・・・。そうそう皇后様は自分からすすんで帝の着付けをされていたわ・・・。)


帝の聞こえないところで、女官たちの彩子に対する同情の声は高まっていく。昼の御座で帝は彩子を側に置き、嬉しそうに彩子を眺めている。彩子は扇で顔を隠しながら、溜め息をつく。すると朝の診察に泰明が現れる。


「おはようございます。典薬頭和気泰明にございます。朝の診察に参上いたしました。」
「んん・・・。御簾の中に入ることを許す・・・・。」


泰明は御簾の中に入ると、帝の前に座り深々とお辞儀をする。側に彩子がいることに気づいていたが、気づかないふりをして黙々と脈診を行う。帝は泰明の左手の包帯で巻かれたこぶしに眼をやる。


「泰明殿、左手はどうしましたか?大丈夫?」
「あ、昨夜ぶつけまして・・・。たいした怪我ではありません・・・。」
「今日の調子はどうかな・・・。」
「これといって何もございません・・・。ただお疲れのご様子・・・。」


帝は彩子のほうを見つめて微笑んで言う。


「それはそうだろう。朝方まで皇后と楽しい夜を過ごしたのだから・・・・な、皇后・・・。」
「・・・。」


彩子は下を向き、黙っている。


「ご公務に支障が無きよう程々に・・・。」
「程々にね・・・・。」
「では私はこれで・・・。また明日朝参ります・・・。」


泰明が立ち上がり御簾から出ようと頭を下げながら下がっていくと、急に彩子が倒れた。


「さ・・皇后様!」


泰明は慌てて彩子のもとに駆け寄ろうとすると、帝は叫んだ。


「泰明!皇后に触るな!和気明日香を呼べ!今すぐ!」


泰明の後ろに控えていた泰明の助手医師は慌てて典薬寮に戻り、明日香を呼びに走る。帝は彩子を抱きしめて泰明に言う。


「これ以上皇后に近寄ることは許さん!何があろうとも!いいか!」


泰明は頭を下げたまま下がり御簾の外に出ると、悔しそうな表情で座り込む。慌ててやってきた明日香は座り込んでいる泰明を横目に、御簾の中に入り彩子を診察する。帝は泰明をにらみつけると、明日香に診断結果を聞く。


「申し上げます。皇后様は心労によりお倒れになりました・・・別室にて休養を・・・。」
「わかった・・・。今から運ぶ・・・。」


帝は彩子を抱き上げると帝の御帳台に運んだ。女官たちは彩子の唐衣を脱がし、小袖姿にすると、単をかける。帝は彩子の側に寄り沿い、明日香に言う。


「和気明日香、あなたに皇后の主治医をしてもらう。私は公務があるので、皇后の世話を頼んだよ・・・。」
「はい、かしこまりました・・・。」


明日香は頭を下げると、彩子の側につき看病をする。泰明はいらつきながら典薬寮に戻っていく。


(彩子様がお倒れになったのはあの帝のせいなのに・・・。何もできない私は・・・。)


泰明は自室に籠もると、帝の診察日誌を書きながらため息をつき筆を止める。


なんとか彩子は帝の婚儀を終え、正式に皇后として扱われるようになったが、日に何度も倒れる事があり、明日香が承香殿に常駐することになってしまったのである。



《作者からの一言》

ついに帝の思惑通り、彩子を手にする事が出来ました。しかし彩子は何もかもが無理やりで、愛のない帝との新婚生活に地獄のような毎日を過ごします。もちろん帝は彩子を御殿から一歩も出させず、許可を出すのは清涼殿お召しの時のみ。節会などの普通なら皇后も出席しないといけないものまで出席させないという籠の鳥のような生活が始まるのです。

第128章 康仁帝の計画

 泰明が本邸に葬儀の準備のため行ったまま帰らない日、彩子は喪に服しながらひっそりと別邸にて過ごしていた。ずっと父である泰明と会っていない蘭は情緒不安定のようで、なかなか夜も眠れないようだ。


「お父様はいつ帰ってくるの?ねえお母様。」
「お爺様の葬儀が終われば戻ってくるわ・・・。お父様は和気家を取り仕切らなければならないので、お忙しいのよ。」
「宋のお爺様がなくなったときも同じ・・・。なかなか帰ってこなかったの・・・。お父様はお爺様のお医者様だったから・・・私あの時一人でおうちにいたの・・・。でも今回は違う・・・。お母様がいるもの・・・。」
「まあ、蘭姫・・・。」


彩子は蘭を抱きしめる。彩子は蘭を寝かしつけると、自分の部屋で、泰明の葬儀用の衣装を調える。


「北の方様、頭中将様がおいでなのですが・・・。」
「頭中将様?」


頭中将とは帝の側近中の側近である源博雅である。たぶん泰明の用事で見えたのであろうと、寝殿に通す。彩子は身を整えて、寝殿に行く。


「頭中将様、ただいま主人は葬儀の準備のため本邸に行っておりますが・・・。何か?」


博雅は微笑んで言う。


「わかっております。私は帝の使いで参りました。帝はただいま二条院にてお父上様であられる中務卿宮様と面会中でございます。内裏を出たついでにこちらに訪れ、お悔やみを申し上げたいと仰せです。」
「しかし主人は・・・おりません・・・。」
「ここだけの話、帝はあなたに会いたいと仰せでして、なにか伝えたい事があると・・・。侍医和気殿を呼ぶことは無用。もちろん和気家の喪中ですし、帝もお忍びですのでお気遣いはいりません。」
「帝には会いたくないのです・・・。」
「これは帝のご命令です。まもなくこちらに参られると思います。お迎えの準備のほうを・・・。では失礼します。」


そういうと博雅は立ち上がって邸を立ち去る。彩子は念のため、本邸の泰明宛に文を書き、家のものに急いで持って行かせた。彩子は帝を迎える準備を女房たちにさせる。慌しくしている間に客人が到着したと家の者が伝えに来る。家の者は客人を彩子の待つ寝殿に通し、帝は上座に座る。彩子は頭を下げたまま、早く泰明が到着しないかと願う。もちろん泰明は文を受け取ると慌てて邸に戻る支度をする。帝はじっと頭を下げ続けている彩子を見つめる。


「彩子殿、頭を上げられよ。お久しぶりです。あの日からあなたはこの私に目さえあわせてくれませんでした・・・。もちろんあなたにはとてもひどいことをしてしまった・・・。このような機会ではないとあなたとこうして会うことなど出来ないでしょう。」
「恐れながら、会うつもりなどありませんでした・・・。これからも・・・。」


帝は目を合わそうとしない彩子の側によると、手を握り締めて言う。


「そのような悲しいことを言わないでください。一時はあなたを母のように慕い、そして恋心を抱いた。あなたが父上の妃でなかったら、あなたを何とかして入内させていたでしょう・・・。でも今は違う・・・。」
「え?」


彩子は帝の手を振り払い立ち上がる。さらに帝は彩子に詰寄りいう。


「東宮が生まれ、今まで満足だと思っておりました。しかし最近あなたの夢をよく見る。侍医殿に嫁がれてから、お幸せなのでしょうね・・・。さらに美しくなられました・・・。その喪服姿がなんとも・・・。」


彩子は危険を感じ、じりじりと後ろに下がる。


「帝、なにを・・・・?」
「今日はただ私の意向を伝えに来ただけですよ。お座りください。」
「意向とは?」


彩子はまだ疑った様子で帝を見つめる。帝も彩子に詰め寄るのを辞めて座りなおす。そして改めて彩子に言う。


「私にはあなたが必要です。私の皇子である東宮を産んでいただいたあなたが・・・。私は東宮を正式に私の実子として親王宣旨します。そしてあなたを東宮の生母として、そして私の皇后として迎えたい・・・。もちろん和気殿と離縁していただかないといけないが・・・。」
「ご冗談を・・・。私は和気泰明の妻です。今も、これからもずっと・・・。お断りを・・・。」
「和気は私の臣下です。私の意向に従わない者など必要ない。どういうことかわかりますね、彩子殿・・・。もちろん従うのであれば、空席の典薬頭、いやそれ以上の官職を、そして今よりも高い位階を・・・。和気家も安泰でしょう・・・。」
「主人は官位に目のくらむような者ではありません!」
「和気殿はそうかもしれないが、典薬頭亡き後、当主になればそのようなことを言ってられませんよ。一門すべてに害が及ぶのだから・・・。」


彩子は自分の決断ひとつで泰明や和気家の将来に関わる重大なことであることに言葉をなくし、気を失いそうになる。


「返事は喪が明けるまで待ちます。十分和気殿と相談して決めることです。私はあなたが入内されることを待っております。」


帝は立ち上がって、退室すると、ちょうど表で青ざめた泰明と出会う。泰明は帝に頭を下げると、帝は泰明に言う。


「聞こえていたのだろ。私の意向はちゃんと彩子殿に伝えたから二人でゆっくり相談すればいい・・・。」


帝は立ち去り、泰明の従者が車まで送る。泰明は彩子のもとに詰め寄り彩子を抱きしめる。


「やはり帝はこのような時を狙っておいでであったか・・・。帝のご意向を断ることなど出来ないことをしっていて・・・。いつまでたってもご寵愛の安子様が立后されないと思っていたらこういうことであったか・・・。ああ、なんという事を・・・。」


彩子はショックのあまり、声も出ず放心状態のまま、泰明に抱きしめられている。


「彩子、しっかりして・・・。」


彩子は正気を取り戻すと、泰明の胸の中で泣き叫ぶ。泰明は二条院に面会を求める文を書き、従者に渡す。折り返し二条院から返事が来ると、泰明は狩衣から喪中であるので薄墨色の袍袴に着替えて彩子とともに二条院を訪れる。二条院の寝殿に案内されると、帝の父である中務卿宮が迎え入れる。


「どうかしたのですか?和気家の葬儀の前日であり、二人揃っての面会とは・・・珍しい・・・。相談があると聞いたが・・・。」


尋常ではない彩子の様子に中務卿宮は驚く。泰明は先程の帝の意向について包み隠さず話し、意見を仰ぐ。中務卿宮もたいそう驚き、言葉を詰まらせ、少し考えていう。


「もちろん帝の意向は絶対です。問題は大臣達がどう思うかだと思います。もちろん東宮が帝の子であることは内大臣、右大臣は知っていることだが、だからといって彩子姫を立后させてもいいとは限らない・・・。まして今は右大臣家の養女ではなくなり大和守の姫として和気家に入った身・・・。身分から言って無理だ。帝のことであるからまた右大臣に言い寄って養女にするのであろうが・・・。しかし臣下の妻を立后させるとなると・・・。今日、こちらに相談があるとやってきた。内容は新しい姫を入内させて立后させたいというものであったが・・・・。それが彩子姫のことであったなんて・・・・。帝は一度言うと頑として引き下がらない性格である・・・。私が何を言おうとも、聞き入れないだろうね・・・。」


中務卿宮はとりあえず明日出仕し、意向の真意を確かめることを約束したが、この意向が真であれば、従うしかないと言い放った。


「すまないね・・・やっとあなた方が幸せに過ごしているというのに・・・。宣旨が下れば、もうあなた方は離縁しないといけない・・・。私も心苦しいよ・・・。」


二人は暗い表情で、邸に戻った。泰明は明日の葬儀のため、うなだれながら本邸に戻っていった。彩子も一晩中泣き叫けんだ。泰明は無事に葬儀を済まし邸に戻ると、数日間休みを取る。彩子はストレスからか、泰大に与える乳がまったく出なくなった。泰明は疲れた体に鞭をうって、泰大のために乳母を用意し、泰大は慣れない人の乳に抵抗したが、何とか飲んでくれるようになり女房たちは安堵した。


 年が明け、和気家の喪が明けると、臨時の除目が行われた。まだ返事をしていないにも関わらず、泰明は典薬頭に任命され、位階も従五位下から正五位下に格上げされる。返事をする前にもう内々的に決まっているといってもいいだろう。いつものように泰明は彩子に束帯を着付けてもらいながらいう。


「今日帝に返事をしようと思う。もちろんお断りするわけにはいかない・・・。彩子には大変辛い目に会うと思うが、わかって欲しいんだ。和気家の者たちの生活がかかっている。和気家当主としてお断りするわけにはいかない・・・。すまない・・・彩子・・・。」
「わかっています。その気持ち痛いほど・・・。私は我慢します。」
「離縁しても心はひとつ・・・。私は彩子と離縁しても他の妻を娶るつもりはないよ。彩子が後宮から戻ってくる日まで待ち続けるから・・・。私には彩子との愛の結晶である泰大がいる。遠くから彩子を見守っているよ・・・。」


彩子はうなずくと着付けたばかりの泰明の束帯に飛び込む。泰明は彩子を時間ぎりぎりまで抱きしめた。


「じゃ、行って来るよ・・・。」


いつものように彩子は泰明の荷物を渡し、手を振ると、その場に座り込んでしまった。


 泰明はいつものように帝の朝の診察のため、殿上する。今日はいつもと違ってすぐに御簾の中に入らず、じっと御前のすのこ縁で座って帝を見つめている。


「典薬頭殿、どうなされましたか?」


泰明は大きく深呼吸をして御簾の中に入ると、頭を下げ帝に言う。


「帝の意向、承知いたしました。あとのこと、よろしくお願い申し上げます。」
「んん・・・。泰明殿、懸命である。一刻も早く姫を中務卿宮家に移すよう。いいね・・・。」
「御意・・・。」


泰明はじっと下を向いたまま、握り締めた手を震わせ涙を流す。


「早く診察を・・・。」
「はい・・・。」


泰明は袖で涙をぬぐうと、帝に目をあわすことなくいつものように診察をする。帝は勝ち誇ったような目で泰明を見つめている。診察を終えると、典薬寮に戻り自分の部屋に籠もる。いつものように帝の日誌に書き込もうとするが、目に涙があふれ、なかなか書く事が出来なかった。


「典薬頭様、中務卿宮様がお見えですが・・・。」


泰明は筆を置き、あふれる涙を袖でふき取る。


「んん、お通ししなさい。」


泰明は文机の前を整理すると、中務卿宮が入ってくる。泰明は立ち上がり、宮を上座に座らせると、頭を下げ挨拶をする。宮は苦笑しながら言う。


「典薬頭殿、気を使わなくてもいい・・・。先程正式に返事をしたそうだね・・・。帝もたいそう喜んで入内の準備をするよう命を受けたよ。なんと言うか・・・。帝の父として、心苦しい限り・・・。泰明殿!」


中務卿宮は泰明に対して土下座をし謝罪する。


「宮様そのようなことをされては困ります。頭をおあげください!」
「いや、私が帝を甘やかせ過ぎたのです。群臣もこのことでたいそう帝に対し、いい顔をしていない。乱心であるという者もいる。本当に申し訳ない!まだ一緒になり一年と少ししか経っていないのにも関わらず、この様になるとは・・・・。立場上従う事しか出来ない泰明殿になんとお詫びを・・・。」


いつまでたっても宮は土下座したまま、時間だけが過ぎていく。


「宮様、帝になぜ二条院に移せといわれたか意味が・・・。」
「それは・・・。右大臣殿は高齢の為養女の件を丁重に断ったのです。それでなくても安子が女御として入っているから・・・。だから私が彩子姫を引き受けたのだ。今までの間なんとかしようと思ったが、出来なかったお詫びのようなもの・・・。だから彩子姫は私の養女として入内することになった。元妃を養女に迎えるというのはおかしな話だけど・・・・。引き受けた限りは、精一杯用意をさせていただくから・・・。そして出来る限り早く泰明殿に彩子姫をお返しできるように・・・。私はこの身を犠牲にしてでも、泰明殿に彩子姫をお返しする・・・。約束しよう。」
「宮様・・・・。」


宮は立ち上がって帰り際に言う。


「これから先とても辛い事が多々起きると思いますが、我慢をして待っていてください。」
「宮様・・・。」


泰明は宮を外まで送り、また自分の部屋に戻ると書き物を済ませて典薬助の所にいきいう。


「丹波殿、私用により早退します。あとのことは頼みましたよ。明日も休ませてもらうことになったので・・・。」
「わかりましたが・・・・どうかなされたのですか?最近ちょっと・・・。」
「いや、何もありませんよ・・・。では頼みます。」


泰明は苦笑しながら典薬寮を後にし、邸に戻る。邸に着くと早い帰りに彩子は驚き、出迎える。泰明は彩子の顔を見るなり、涙ぐみ彩子を抱きしめくちづけをする。


「泰明・・・?家のものの前で・・・。どうしたのこんなに早く・・・。」


泰明は彩子を離すと彩子の手を引き泰明の部屋に入る。彩子は泰明から荷物を受け取ると、着替えの準備をする。泰明は束帯を脱ぐと、小袖に単のみの姿で、脇息にもたれかかり座る。


「泰明、今日はいくら暖かい日とはいえその姿では冷えるわ・・・。もう一枚何かを・・・。」
「いい・・・。」


彩子はいつものように泰明の左腕を按摩する。これは彩子が泰明のために当主になって以来毎日行っている。そのおかげかどうかわからないが、少しずつではあるが左腕の握力は回復しつつある。泰明も出来るだけ左手を使おうと努力し、針などの細かく小さいものは持つことは出来ないが、生活する範囲内では難なくこなせるようになってきた。


「もうこれも今日限り・・・。彩子のおかげで不思議なことにだいぶん良くなってきたよ・・・。」
「今日限り・・・?」


泰明は苦笑して言う。


「今日帝に返事してきただろう・・・。すると一刻も早く二条院に移せと言われた・・・。明日から彩子は中務卿宮様の養女となるのだよ・・・。この私と離縁してね・・・。今から準備をしないと・・・。」
「院の養女??」


泰明は養女についての詳しい経緯を話す。


「そう・・・そうなったのね・・・。院も大変ね・・・。わかりました・・・今から準備を・・・。」


彩子は立ち上がって自分の部屋に戻ると座り込み、明日には泰明と離縁しなければならないという事実を悲しむ。表が騒がしくなったと思うと、正月の臨時の除目で大和守を嫡男に譲り、中務省大輔として任じられた彩子の父が彩子の部屋に急いで入ってくる。


「彩子、これはどういうことなのだ?今日中務に初出仕してきた途端、彩子が帝の皇后として入内すると中務卿宮様から聞いた。泰明殿とのことは??」
「お父様・・・。」


彩子は父である中務大輔のもとに泣きながら詰め寄る。いつもでたっても訳を話そうとしない彩子に父君は困り果て、呆然とする。


「もしかしてお前が入内するから縁のあるもの皆昇進したのか?」
「え?」
「私は突然正五位の中務大輔に、泰明の兄智明は典薬寮侍医に、姉明日香は典薬寮女医博士、弟は元服したてと言うのに大和守などと・・・。無茶苦茶な除目だと思ったのだ・・・。泰明殿も助をとび頭と聞いた上に位階も正五位とは・・・。慣例に基づいた除目ではない!おかしいと思ったのだ・・・。なんというひどいことを・・・。お前の入内と引き換えに皆が昇進したとは・・・。」


彩子の父君は呆れてそれ以上物が言えなかった。


「お父様、明日からここを出て院のもとに・・・。今から準備をしないと・・・。」
「そうだな・・・早く準備を済ませて今夜は泰明殿と最後の夜を・・・。もう宮中では顔を合わすことはあっても、親しくは出来ないからな・・・。先の帝とは雲泥の差の帝だ・・・。私はまだ仕事中だから中務に帰る。また明日、休みを取りこちらに来るからそのように泰明殿に・・・。」


彩子の父は急いで中務に戻って行く。泰明は、部屋に籠もったっきりで、物思いにふけている。夕刻になっても明かりをつけないまま泰明はじっと座っており、彩子はそっと泰明に上着をかける。


「泰明、ずっとその格好でいたの?そこに狩衣を用意してあったのに・・・。風邪引くよ。」
「ん?んん・・・。」
「夕餉の準備が出来たのだけど、食べる?」
「ん?食べたくないよ・・・。彩子、明日離縁するのに平気なの?」


彩子は急に涙を流すと、泰明の頬を叩く。


「平気なわけないじゃない!平気なわけないよ・・・。ごめんね痛かった?」


彩子はたたいた手で泰明の頬を撫でると、泰明は彩子を抱きしめる。


「もう朝になればこの様なことできなくなるのかな・・・?きっとあの帝のことだ、彩子の御殿には殿上を許さないだろう。いくら私が典薬頭であっても・・・。」
「ええ、そうね・・・。御殿に閉じ込められるかもしれないわね・・・。もしかしたら清涼殿の局を与えられるかも・・・。そうなると毎日診察に来る泰明と顔を合わすことになるわね・・・。きっとあの帝のことだから昼間もずっと側に私を置くつもりよ・・・。」
「んん・・・。そうなればお互い酷だね・・・。」


二人は夕餉も食べずに朝までゆっくり過ごす。家の者も二人に気を使って誰も泰明の部屋に近づかないようにした。


 朝が訪れ、二人は寝所で目覚め、泰明はじっと彩子を見つめ、溜め息をつく。彩子も泰明の胸に抱かれながら、うずくまる。


「彩子、もうそろそろ起きないと・・・。」
「いや・・・。二条院には行かない・・・。泰明と離れたくない・・・。」
「私も同じだよ。帝の命でなければ、無視して引き止めるけれど、和気家の当主である限り、そういうわけにはいかない・・・。彩子だって同じさ。お父上や弟君に迷惑がかかるだろ・・・。」


泰明は最後に彩子にくちづけをし、起き上がり上着を着ると、女房たちを呼び、彩子の支度を頼む。


「さ、北の方様・・・お召し物を・・・。」
「私もう北の方じゃないわ・・・。」
「・・・。」


女房たちは黙々と寝所にいる彩子の身支度をする。その横で泰明は外を眺めながら彩子の身支度が整うまで待つ。


「ご当主様もそろそろお着替えを・・・。」
「んん・・・。彩子を別室に移し、私の香の匂いを残さぬよう、頼んだよ・・・。あちらに失礼だから・・・。」
「はい・・・。」


彩子は別室に移され、香をたき泰明の匂いを消す。泰明は朝餉を済ますと、中務卿宮家に向かうための身支度を整える。彩子の部屋には彩子の父君が訪れ、支度が整ったことを確認すると、泰明の部屋に行き、挨拶をする。


「泰明殿、私も宮様のところに挨拶に行くよ。久しぶりに孫である宮たちにも会いたいしね・・・。本当に泰明殿といい、あなたの父、泰智といい・・・。どうしてこう想った人と幸せになれないのだ・・・。」
「初恋の人と想いを遂げる人など少ないと思いますよ・・・。ただ私や父は子がいるだけでもましかもしれません・・・。そう思わないと・・・。そうだ・・・。」


泰明は二階厨子の引き出しから包みを取り出す。


「先日久しぶりに市へ行ってきたのです。ふとこれが目に付いて・・・。特別にいいものではありませんが・・・。」
「市か・・・そういえば泰明殿は五つの頃に豊明節会のために都に出てきた私についてきた事があって、市で彩子のために櫛を買ったな・・・。」
「あれ以来行っていなかったのです・・・。年末に用事で市の近くを通ったときに車を止めてつい衝動買いをしてしまった・・・。そういえば今まで彩子に何も買ってやる事がなかったので・・・。」


泰明は包みを父君に渡すと、父君は包みを開けてみる。中身はきれいな装飾を施した貝に入った紅である。


「泰明殿が直接渡せばいいものを・・・。」
「渡そう渡そうと思いつつ、バタバタしていて渡せなかったのです・・・。今渡すと彩子を離したくなくなりますので・・・。どうかお父上から彩子に・・・。」
「んん・・・。わかった。その気持ちきちんと彩子に伝えておく。きっと喜ぶであろうな・・・。」


彩子の父君は包みを懐に大事にしまうと、出立の準備に取り掛かる。


「泰明殿、私は宮様に挨拶を済ました後、出仕する。休みを取るつもりであったが、人手がなくてね・・・。泰明殿はどうするのですか?今日兄と姉が初出仕ですよ・・・。」
「そういえばそうでしたね・・・。兄上は侍医だし、姉上は女医博士・・・。頭の私がいないといけませんね・・・。こればかりは助殿には・・・・。」


出立の準備が整い、彩子は中務卿宮家が用意した車に乗り込む。泰明と父君は後ろから馬に乗り、彩子の車についていった。鴨川を渡り川沿いの道を進む。小春日和であった昨日とは違い、ちらちらと雪が舞っている。積もるほどではないが、泰明は馬を歩かせながら、雪を見つめていた。彩子も御簾の隙間から雪がちらつくのを見てさらに悲しさがこみ上げてくる。二条大路に入ると出仕時間に重なっているからか、出仕のため大内裏に向かう牛車や馬、地下人たちが車の横を足早に通り過ぎて行く。馬上の泰明に気づき礼をする者も多い。二条院は大内裏の横にあり、泰明は宮に挨拶をせず二条院の門の前で別れようと決心した。彩子の車が二条院に入ると、泰明は馬を止め、一礼をする。


「泰明殿、宮様に挨拶をしないのですか?」
「もうここで・・・昨日宮様には会って話をしましたから・・・。お父上、彩子のこと頼みました・・・例の物も渡してください。私はこれから出仕してきます。」
「そうか・・・。わかったよ。彩子に渡しておく。」


泰明は父君が門の中に入ったことを確認すると、泰明の従者とともに出仕する。二条院にはいった彩子は宮に頂いた部屋に入り、座り込む。


「ああ、また十年前と同じ部屋に戻ってきてしまったわ・・・。あと何ヶ月ここで過ごさないといけないのだろう・・・。」


数人の大和時代から女房たちとともに溜め息をつきながら庭を眺める。女房たちも同情して彩子の周りを取り囲んだ。部屋には今まで後宮で使っていた彩子の道具がきちんと並べてあり、衣装も調えてあった。挨拶を終えた彩子の父君が、彩子の部屋に入ってくる。


「彩子・・・。」
「お父様・・・。」


父君は懐から泰明に託された包みを取り出し、彩子に渡す。


「何?」
「泰明殿からだよ。彩子のために市で買っていたのを渡し忘れていたらしい・・・。直接渡せばいいものを・・・。」


彩子は包みを開け、中身を確かめるときれいな貝に入った紅である。彩子は大事そうに贈り物を頬に当て、涙ぐむ。


「彩子、それをつけて入内なさい・・・。」
「そうね・・・。泰明が選んでくれた物・・・。大切に使わないと・・・。お父様、泰明に会ったら礼を言ってね・・・。」


彩子は女房に渡すと、化粧箱の中にしまわせた。


「まもなく宮がこちらに来るといっていらした。新しい女房たちをたくさん用意されたらしいから・・・。ほら、いらしたよ。」


中務卿宮は、正妻である鈴華とともにたくさんの彩子のために用意された女房たちを連れてくる。彩子は立ち上がって宮と鈴華を上座に座らせると、自分も座って頭を下げる。


「彩子姫・・・。突然なことで本当にすまなかったね・・・。せっかく和気殿と一緒にさせてやったのにも関わらず、この様なことになってしまって・・・。私も太政官たちと帝を説得したが、うまくいかなかった・・・。帝も一刻も早く和気殿と離縁させよと仰せでね・・・。この様に急なことになってしまった・・・。親として心苦しい限りだ・・・。姫の皇后入内宣旨とともに東宮の一の宮親王宣旨も同時に行われる。中務を取り仕切る私にとってこれほど嫌な仕事はないのですよ・・・。」
「わかっております・・・。私一人のために色々な方々がご迷惑をおかけしていること・・・。私が我慢すれば済むことなのです・・・。」


鈴華は彩子に近寄りいう。


「彩子様、詳しいことは宮から聞いております。本当に同じ女として感心できませんわ・・・。関白である私の父になんとかいってもらわないと・・・。」
「鈴華様、いいのです。短い期間でしたが、和気と楽しい生活をさせていただけただけで感謝しないといけないのです・・・。本来でしたら宮様の側室としてこちらで住まうことが常識でしたのに・・・。」
「本当に彩子様はいつも控えめで・・・。いつ入内になるかわかりませんが、それまでこの私と楽しく過ごしましょうね。またあなたの姫宮や若宮もこちらにいることですし・・・。お妃教育はしなくていいのですから、ゆっくりされたらいいのです。」
「ありがとうございます、鈴華様・・・。お言葉に甘えて・・・。」


宮は新しく用意した女房たちを紹介し、微笑むと彩子に話しかける。


「彩子姫、何か心残りのことはないかな・・・。遠慮せずになんでも言いなさい。」
「はい・・・。和気のことなのです・・・。ここだけの話ですが、和気は以前の事件で左手が不自由なのです。以前よりは日常生活には支障がないくらい随分回復をいたしましたが、医術に関しては致命傷です・・・。最近は手助けなしに束帯などを着ることが出来るようにはなりましたが、まだまだなのです。和気がきちんと出仕できるかが心配で・・・。また以前のように姿を消してしまわないか・・・。」


宮は驚いた様子で言う。


「完治したのではないのですか?まったく気づきませんでしたよ。わかりました。他の者に気づかれないよう和気殿を手助けしましょう・・・。本当に姿を消さないかだけが心配ですね・・・。」


宮は心配そうな表情で彩子の部屋を立ち去る。


 数ヶ月がたち、彩子の入内宣旨と東宮の一の宮宣旨が下る。正式に決まってしまったことに彩子も泰明もそれぞれ悲しむ。一部のものしか知らなかった事が公表されることにより、帝に対する不満と、彩子や泰明に対する同情が都中に広まる。東宮の立太弟を不思議に思っていた者たちは東宮が実は帝の子であったことに納得しつつ、東宮のご生母が先帝の女御であり、立后するということに驚くのである。宣旨が下ってからというもの泰明は仕事が手につかず、自室にこもりっきりの事が多くなった。以前のような名医と言われていた頃とは雲泥の差である。もちろん彩子も同じで、日に日に部屋に籠もり、悲しそうな表情で溜め息をつき、時折泣き叫ぶのである。困り果てた宮は彩子を外出に誘うことにした。


「彩子姫、今日私は休みだから、ちょっと東市見物にいきませんか?気晴らしにいいかもしれません。もし気に入った物があれば何でも買ってあげますよ。」


側にいた鈴華は怒っていう。


「宮、彩子様だけずるいですわ。私も行きたいです。一度も行った事がないのですから。」
「鈴華もおいで、鈴華も何か買ってあげるよ。」
「彩子様、ねえ行きましょ。市には色々珍しい物が売っていると聞くわ。一度行ってみたかったのです。ねえ行きましょうよ。」


彩子は渋々うなずくと、それぞれの部屋で支度をする。


「お母様、綾子も行きたい。」
「お父上様にお聞きしなさい。お父上様がいいと言ったらいいですよ。」


綾子は寝殿に走り宮に聞きに行くと、許可が出たらしく、綾子も支度をする。壺折装束に市女笠、垂れ衣をつけたいわゆる虫の垂れぎぬ姿を身に着け、市近くで車からおりると、彩子は綾子の手を引いて市へ向かう。宮と鈴華は彩子の前を楽しそうに話しながら歩いている。


「お母様、お父様がね気に入った物があれば何でも買ってくれるって言うのよ。何が売っているのかしら・・・。お母様は何が欲しい?」
「綾子、きちんと前を見て歩かないと迷子になったり、躓きますよ。人がこんなに多いのだから・・・。」


彩子は綾子を見て微笑むと、色々店を眺める。すると宮が振り返り、彩子を呼ぶとある方向を指差す。その方向には色々薬草を物色している泰明の姿が見えた。泰明は気に入った薬草を見つけると店の者に金を渡して邸まで持ってくるように頼んでいる。


「彩子姫、綾子は私が見るから、会ってきなさい。きっと和気殿も驚くだろう・・・。夕刻までに帰ってきたらいいから・・・。ゆっくり話でもしてきなさい。」
「でも・・・。」
「早く行かないといなくなってしまうよ。さ、はやく。」


鈴華も微笑んで送り出す。彩子は綾子を預けると、人を掻き分けて泰明のもとへ急ぐ。一時は見失いそうになったが、薬草をまだ物色している泰明の姿を見つけると泰明の左手を握り締める。泰明は驚いた表情で壷装束姿の姫を見つめる。


「どなたですか?」
「泰明、私よ。」
「さ、彩子様???」
「どうしたのですか?この様なところで。」
「宮様に連れてきていただいたのよ。宮さまったら、夕刻までに邸に戻ったらいいからゆっくり話してきなさいと・・・。」


泰明は微笑んで、手を握り返す。


「本当にいいのですか?」
「ええ・・・。」
「では市を案内しましょう。」


泰明は彩子の手を引き、色々市を歩き回る。


「泰明、前の紅ありがとね・・・。大切にする。」
「気に入っていただけましたか?それは良かった・・・。そうだ、何か気に入ったものがあれば言ってください。買って差し上げましょう。禄も出たところですし、薬草の仕入れのために市に来たのです。何でも言ってください。」
彩子は微笑むと、楽しそうにいろいろな物を物色する。泰明も時を忘れて彩子の楽しそうな姿を見て和む。
「ねえこれがいいわ。この櫛。」
「櫛でいいのですか?同じようなものを持っているのでは?」
「うん。以前はお父様のお金で買ったでしょ。今回は泰明のお金で買ってよ。」
「もっといいものでもいいのでは?ほらこちらは彩が美しい・・・。」
「いいえ、これでいいの。」
「わかりました・・・。これにしましょう。」


泰明は店の者に代金を渡し、購入した櫛を彩子に渡す。彩子は大事そうに懐にしまうと、微笑んで泰明と腕を組む。


「泰明に買ってもらっちゃった・・・。ありがとうね・・・。また宝物が増えちゃった。」


彩子は満面の笑みで泰明を見つめると泰明も微笑み返した。泰明は日が陰りだしたのに気が付くと、自分の車に戻り、彩子を乗せ自分も乗り二条院まで送る。


「本当に今日は楽しかったわ・・・。泰明に会えたし・・・。」
「私こそ、突然彩子様に会えてよかったです。」


彩子は泰明に飛びつくと、泰明も二条院まで彩子を抱きしめる。


「春になると入内ですね・・・。もうこの様に会うことはないでしょうね・・・。」
「ええ・・・。いい思い出になったわ・・・。ありがとう泰明・・・。」
「いえ、こちらこそ・・・。彩子様・・・。」


泰明は彩子にくちづけをする。そして彩子も改めて泰明にキスをする。


「御当主様、二条院につきましたが・・・。」


泰明は彩子を離すと彩子は身支度をして泰明に手を振ると、車から降り二条院に入っていった。それ以降入内まで一度も会うこともなく彩子は入内の日を迎えた。



《作者からの一言》

ついに始まった帝の行動・・・。

ホントに嫌な帝ですね・・・。

第127章 和気家の事情

 泰明は従者と共に本邸に入る。本邸も喪中の装いに皆変わっており、典薬頭の葬儀の準備も着々と進んでいる。泰明は養子であるが、嫡男でもあるので、喪主をしなければならない。


夜になると、男系の親族が集まり、亡骸の前で夜を過ごす。和気家は神徒であるため、亡骸の胸には守り刀を置き、邪気から亡 骸を守っている。今日は仮通夜に当たり、親族のみ集まってくる。親族の中には泰明が会ったことのないものまで集まるので、泰明は緊張をしている。


こういう場というものは昔の話が出るものであり、もちろん典薬頭の若い頃などの話も出てくる。今夜は官位を忘れて酒を飲みながら昔話を誰が始めたということなく始まる。


「本当に兄上は兄弟の中でも優秀で、出世頭でおられたな・・・。」
「いやいや・・・。亡き泰智兄さんのほうが優れていたではないか・・・。」
「泰智?」


と泰明は叔父である医博士和気伴成に問う。


「ああ、泰明殿のお父上だよ。私たち兄弟とは別腹の兄上で、泰明殿にそっくりだったよ。泰明殿が大和から出てきた時は驚いたよ。始めて泰明殿の腕を見たときの眼差しは本当に兄上の若い頃を見ているようであった・・・。」
「伴由兄さんと泰智兄さんの歳は同じだったけれど、数ヶ月の差で伴由兄さんのほうが兄なんだよ。本来ならば、泰智兄さんが和気家を継ぐはずだった。」
「え?私の父上は側室の子じゃ??」
「その逆・・・。私達が側室の子なのですよ。父上の正室は摂関家から迎えられて、泰智兄さんを産んですぐに亡くなったからね・・・。次男であったが、正室の子として父上はたいそう可愛がったのだけれども、私たちの母上はたいそう泰智兄さんを冷遇してね・・・。私たちが見ても本当におかわいそうだったよ。」


この話から、泰明の父より五歳年下の叔父、伴成が昔の話を話し出す。


 長男伴由と次男泰智は、母は違うが歳が同じなので、小さい頃から父の英才教育を受け、競い合いながらも、ともに仲良く医術を学んだ。父は一番愛していた正妻によく似た次男を嫡男にしようと、特に可愛がり、自分の知恵をすべて小さいうちから与えた。もちろん泰智も小さい頃から才能を表し、周りの者からも医学に関して神童といわれる程の子供であった。もちろん側室は面白くない。何かにつけ泰智に辛く当たり、本妻の子でありながら、まるで使用人の子の様に扱う。泰智は兄である伴由を立て、何事にも遠慮がちだった。元服の時も華やかに元服の式を行った長男伴由とは逆に、ひっそりと元服した。丹波家出身の側室は実家の縁で伴由を典薬寮に勤めさせ、泰智は大学寮医師養成所から始めた。この大学寮で大和守の嫡男と出会い、仲良くなる。そして優秀な成績で大学寮を卒業し、典薬寮の医師として働き始めたのだ。


「和気様!」


典薬寮の側の影から女医見習いが走ってくる。


「泰智様。私、典薬寮に女医見習いとして派遣されました。これで一緒に・・・。」
「わかっていましたよ。あなたが地方に飛ばされるわけないから・・・。」


泰智は微笑んで手を引き、二人で市まで歩いていく。市に着くと色々な店を眺める。


「彰子殿、好きな物を選んだらいい・・・。お祝いです。」
「泰智様・・・。でも・・・。」
「先日禄が出たから、遠慮しなくていい。好きな物を・・・。」


女は色々物色しながら好みのものを選ぶ。


「泰智様、これでいい?」
「このような櫛でいいのですか?もっといいものを・・・。」


泰智は店のものに代金を支払うと、女に渡す。女は喜んで泰智の腕にしがみつくと、泰智は顔を赤くして女の邸まで送る。女の邸は六条にあり、大きな邸宅である。


「お父様に会ってください。きっと泰智様を気に入るから。」
「いや、今度にします。典薬頭様もご迷惑ですから・・・。」
「私が丹波家の者だから?」
「いいえ、そういうわけでは・・・。では私はここで・・・。明日典薬寮で・・・。」


泰智は微笑んで手を振り女と別れる。この女は典薬頭の二の姫である。昨年典薬寮の医師養成施設で出会い、密かにお互い恋心を抱いていた。もちろんこの二人の仲は両家に許された仲ではなかった。


毎日のように勤めが終わると、泰智が邸近くまで送り別れる。そして毎回障子は典薬頭に将来を誓い合った仲として会ってくれるようにせがむ。もちろん認めてもらうために会いたいのはやまやまだが、この邸は泰智の継母(父の側室)の実家であり、典薬頭は兄に当たる。もちろん継母は可愛い姪を泰智の妻にすることはありえないのである。


「いつになったら、お父様に会ってくださるの?」
「きっと反対される。会っても無駄だから・・・。」
「どうして?あなたは優秀な医師よ。お父様はあなたのことを認めているもの・・・。」
「仕事では認めていただいても、実際は違うのです。私はあなたの叔母様にとても嫌われているから・・・。あなたの叔母様は・・・。すみません・・・。」


泰智は次の日から彰子と目を合わさず、もくもくと仕事をする。この日は珍しく邸に早く帰ってきたので、兄である伴由が声をかける。


「今日は早いね。いつもはどこか寄り道をしていたようだけど?」
「兄上・・・。」
「どうかしたのか?最近変だよ。今まで出仕を楽しんでいるように見えていたけれど・・・。」
「兄上、お願いが・・・いやいい・・・。」


このような日々がひと月続き、ある嵐の夜。泰智は書き物をしていると、近くに雷が落ちる。


「キャ!」


その声に泰智は気が付いて扉を開けると、雨にぬれた彰子が立っていた・・・。


「彰子姫・・・。」
「泰智様・・・。」


彰子は泰智の姿に気が付くと、走り泰智の胸に飛び込んだ。


「どうしたのですか!このような嵐の夜に一人で・・・。さあ、なかに・・・。」


数人の女房が彰子に気づき、慌てる。


「泰智様!この姫君は?」
「東と北の対の屋には内密に。何か拭くものと着替えを・・・。」
「はい!」


彰子は泰智の胸の中で泣きながら言う。


「私・・・結婚させられそうなの・・・。典薬寮も辞めさせられる・・・。」
「え?」
「叔母様の若君とよ・・・。あなたのお兄様と・・・。私・・・お父様に言ったの・・・。泰智様としか結婚しないって・・・。そうしたらお父様はかんかんに怒って・・・。明日からの出仕を取り消しに・・・。だから私・・・。家出してきたの・・・。今すぐ私をどこかに連れて逃げて!私、泰智様じゃないと・・・。」


女房たちは急いで彰子に几帳を立て、体を拭いたり着替えをさせた。ここの女房たちは泰智の味方であるので、何も言わずに状況を判断し、西の対の屋に誰も近づけないようにした。着替え終わった彰子は泰智にしがみつき震える。


「わかりました・・・。今すぐ、私と結婚しましょう・・・。ここにいるものたちは私の味方です。しきたり通りには出来ませんが、私たちだけで結婚しましょう。明日この邸を出て、父上の上賀茂の別邸にお連れします・・・。私も当分出仕を控えます。お許しがいただけるまで・・・。」


そういうと女房たちは直ちに泰智と彰子に真新しい小袖を着せ、この部屋に誰も近づかないように見張る。二人は寝所に入ると、夜が明けるまで愛し合った。


朝になり、二人は着替えてこっそり下賀茂の本邸を抜け出し、別邸に入る。本邸では典薬頭が乗り込んできて大騒ぎになり、こちらのほうに向かってくるという。二人は決心して許しを得ようと典薬頭に話すことにした。案の定別邸にも典薬頭と、父である典薬助がきて二人を見つけると、引き離しにかかる。


「父上、丹波様!お許しください。私たちは昨年より将来を誓い合った仲・・・。どうかどうか・・・。」
「お願いお父様!」


二人は有無を言わさず仲を引き裂かれ、彰子は連れ戻されてしまった。もちろん彰子は典薬寮を辞めさせられ、泰智も謹慎をとるように言われる。謹慎が解かれ、典薬寮に戻った泰智は彰子を忘れるように黙々と仕事に精を出す。二人のことは内密にされており、噂にさえならなかったが、数ヵ月後に彰子が懐妊したという噂を耳にする。もちろん相手は泰智である。彰子と兄である伴由の婚約は破棄されることはなく、婚儀延期ということになった。


 あれから半年が経ち、彰子は姫君を産んだ。姫君はすぐに彰子から取り上げられ、乳母とともに、泰智の住む別邸に連れてこられる。このときすでに泰智は大和に行くことを決め、旅立つ支度をしていた。


「この姫に名前をつけないといけないね・・・。そうだ・・・大和の昔の都『明日香』と名づけよう・・・。これからずっと大和で過ごすつもりだから・・・。」


泰智は典薬寮に辞表を出し、友人である新大和守とともに明日香を連れ、大和に旅立つ。大和で新しい乳母を見つけると、都から連れてきた乳母を返した。都から離れて半年後、風の便りで彰子は兄伴由と結婚したことを聞いた。その後、国医師のもとで修行をし、国医師の娘を嫁にもらい、智明と泰明が生まれたのである。もちろんこのことは彰子の耳にも入った。


 泰明は姉である明日香が異母姉弟であり、亡き典薬頭の北の方が母であることに驚く。もちろん姉はこのことを知らない。確かに姉と北の方は面影が似ている。いつの間にか思い出話の中に北の方も入っており、泰明に言う。


「泰明殿が、大和から出てきて、一目見たとき本当に驚きました。あなたの父君泰智殿に瓜二つで・・・。もうあの方は26年も前に亡くなっていたなんて・・・。あなたの姉、明日香姫に会いたいわ・・・。きっと良い女医に・・・。」

「はい、姉上は一時典薬寮女医博士まで登りつめましたが、都で結婚後、死別して大和で女医をしております。私の妻彩子が女御時代、大和で主治医をしました。とても腕のいい尊敬する姉です・・・。またいずれ都に用事で来ることもございましょう・・・。」
「でも私の存在など・・・。私は姫に私の守り刀を持たせたけれど・・・。もちろん実家の丹波家の紋が袋と柄の部分に入っているわ・・・。でもそれは私の子である証にならない・・・。」
「しかし伯母上、会ってみてはいかがですか?一目見るだけでも・・・きっと気が晴れます。」
「そうね・・・。」


泰明はいずれ姉と北の方をあわすことを約束し、亡骸の晩を他の者と交代すると別室の寝所に横になった。もちろん二人の再会は実現し、今後親子として付き合うことになったのである。



《作者からの一言》

本来なら、泰明の父がこの和気家を継ぐはずだった・・・。伯父の亡き典薬頭が泰明を当主に指名した理由の一つとなります。もちろん腕が確かなこともありますが・・・。