10/28(月)
卒乳5日目。
昨晩は3回くらいもぞもぞしたが
いちども泣くことなく、朝になる。
卒乳してから眠りが深くなった。

今日はスイム。
これまでのげつようびは、
軽くさんぽに行ってから
10時過ぎから1時間ほど昼寝をし、
スイムに行き、
13時半からお昼ごはん。
夜は早め(19時ちょうどくらい)に就寝、
というスケジュールだった。

でも午前の昼寝はたぶんしないだろう。
けれども念のため、
これまでと同じスケジュールで動きつつ、
午前の昼寝をしなかった場合、の動きも決めておく。

朝のさんぽは近くのすみれ公園へ。
滑り台をすべったり、
きのこを見つけて棒でつついたり、
追いかけっこをしたりする。

帰宅後、やはりお昼寝はせず。
ねないー!と主張するため、
11時過ぎにはいえを出て、
11時半前からジムのベンチで早おひるごはん。

今日もスイムで楽しそうに過ごしている。

終了後、抱っこひもを持っていったら、
抱っこして5分もせずに眠る。

1時間ほどお昼寝。

目覚めてから総武線と山手線を乗り継いで
高田馬場へ行きたい、というので
リクエストにこたえ、出かける。

行きも帰りも殆どの道のりを歩き、
しかも「はしる!」と言って
かなり長い距離を走り続けていた。
やるなあ。

体力を消耗したせいかどうか
夜、寝かしつけて10分もせずに眠る。

今日はいちども、ことばに出して授乳を求めなかった。

ふとんを干したので気持ちがいい。



10/29(火)
卒乳6日目。
昨晩も2回ほどもぞもぞするだけで
朝を迎えた。
朝の目覚めもだんだんとすっきりとしてきている。

昨日と今日は、結局、いちども
飲みたい、ということはなかった。

ああほんとうに、卒乳したんだな。

うれしい気持ちと
淋しい気持ちとが
それぞれある。

子どもが巣立ったときって、
こういう気持ちになるのだろうか。
それともまた別の感懐?

午前中にお昼寝をすることはもうなさそうなので
朝から午前中いっぱいをさんぽタイムとし、
これまで13時だったひるごはんを
11時半に繰り上げ、
ごはんのあと、13時前後から
昼寝をする、ということにひとまずしてみる。

朝のさんぽは平和の森公園へ。
公園までくるまで行きたい、というので
久しぶりにコンビカー登場。
おとなの足で20分かかる公園まで
ずうっとコンビカーで激走していく。

公園は寒さのせいと
時折降る小雨のせいとで
特にプレイジムコーナーはだれもいない。

どんぐりを拾い、お店屋さんごっこをしているうちに
ぱらぱらと子どもがやってくるのだが
みんなすぐにもう帰ろう、と帰っていく。

1時間半ほど遊ぶうちに
思いのほか雨脚が強くなったので
近くのスーパーマーケットに退散。

11時過ぎにポーコアポーコさんへ。
ランチをいただき、
1時間弱遊んでから帰宅する。

抱っこひもに抱っこすると、
3分もしないうちに龍晴は眠る。

お昼寝は1時間半。
ほんとうはもっと眠りそうだったのだが
あまり眠ると夜の就寝時間に差し支えそうなので
それとなく起こしてみる。

寝たいだけ寝させたら
どれくらい眠るのだろうか?
そして夜の就寝時間に影響はしないのだろうか?

午前中から昼寝をしていたときは、
長くて3時間は昼寝をしていた。
13時から3時間眠るとなると、
目覚めたら16時になってしまう。

起きてから龍晴のリクエストで
ホームセンターへ。
雨が降っていたのでちょうどよい遊び場所である(ごめんなさい、でも買物ももちろんしています)。
寝転んでいいよ、と書いてあるベッドに寝転んだり、
ソファに座ったり
カートを押したりと龍晴は楽しそうにしている。

ちいさなパキラをどうしても買いたいというので
買っていく。
その後、寄る予定の、小田急のチケットセンターのお姉さんに
パキラを見せたかったらしい。

しかしチケットセンターのお姉さんは残念ながらお休みであった。
が、代わりに応対してくれたお兄さんに絡んでいた。

駅のそばの駐輪所を探検したり、
スーパーマーケットに寄ったりしてから
帰宅する。


10/30(水)
卒乳7日目。

早朝、覚醒のなかで龍晴は
私の胸をなんども手でこすっていたが
飲みたい、ともいわないし
泣きもしなかった。

ああこれが卒乳なんだな。

龍晴のなかで授乳、というものは
どのように記憶されていくのだろうか。

いまどう思っている?
もう忘れちゃった?

聞きたくてもそれは聞けない。
ぜったいに聞けない。
まったく忘れているとは思えない、
龍晴がだいすきだった時間のこと。

午前中は新宿の高島屋へ。
龍晴の髪を切りに行く。

お子さんひとりで大丈夫そうなら、
お母さんはお買い物でも、と促され、
だいじょうぶ?と、
だいじょうぶじゃないと言われる前提できくと、
だいじょうぶ!と言うではないですか。
・・・ほ、ほんとう?
と出かかったものの、
じゃあ母さん、あっちにいるね、とさらりと流し、
受付で待つことに。

私が隣にいなくても
ひとりで椅子に座り、
機関車トーマスのDVDを見ながら
髪を切ってもらっていた。
成長したなあ。

ブリオのコーナーでひとしきり遊び、
カフェタバサで新宿駅に乗り入れる電車を見ながら
お昼ごはん。

龍晴は持参したうどんと肉団子。
私はサンドウィッチをいただく。

そして卒乳となったので
晴れてカフェインを摂取!!!
ロイヤルミルクティを飲んじゃったもんね。
妊娠して以来、ずうっと我慢していたのだ。
ごく稀に、うす~いものを飲むことはあっても。
何しろ毎日、珈琲を3杯は淹れて飲んでいた私が
ピザにはタバスコをがんがんにふりかけ
サブウエイではトッピングのハラペーニョを多めにしてください!とお願いし
柚子胡椒と辛子と山葵が大好きな私が
3年以上、ほぼカフェイン断ちと辛いもの断ちをしてきたのだから。

12時過ぎにお店を出て、
抱っこをして帰るから、ねんねんしようね、というと、
新宿駅の構内に入る頃にはもう眠っていた。

そのままいえまで抱っこをしたままで帰宅。
13キロ弱の息子を抱っこし、
おおきなバッグに着替えやらおむつやら保温できるお弁当箱やら(もちろん重い)を持って歩く私。
どう考えても力持ちである。

1時間ちょうどお昼寝。

目覚めてからポーコアポーコさんへ。

昨日、伺ったばかりなのだが
今日はきものを持って行く。

来週末に、大学時代の大親友の結婚式があり、
龍晴と一緒に参列することになっている。
きもので行きたいなあと思っていたのだが
ちょうど日中のお式で授乳時間と重なるため
きものは断念していたのだが
なんとまさかの卒乳。
もしかしてきもの、着れちゃうかも!?ということで、
ポーコアポーコさんの常連さんのMさんに着付けをお願いすることにし、
(だってもうすっかり、着付けなんて忘れてしまったのだ)
さらに着付けをお店でさせていただけることになったのである。

来週、ずうっと雨だときものを持っていけないので
今日、持っていくことにし、
やわらかものや帯や襦袢や小物などを
わさわさ持参する。

お店で暫く遊び、
(ここでもロイヤルミルクティをいただく。至福!)
平和の森で1時間ほど遊ぶ。

今日もどんぐりをひろってお店屋さん。

ちいさな子がいて、
龍晴は滑り台の滑りかたやプレイジムの遊びかたを教えてあげたり
どんぐりをひろってきてプレゼントしてあげたりしていた。
かわいいなあ。

龍晴はストライダーに乗ったり歩いたりしながら
帰宅する。

ばんごはんのあと、
となりのトトロの主題歌の「さんぽ」を
ふつうの歌詞でひとりでうたっていて驚いた。

ところでいまでこそ
jazzやclassicをより多く聴く私であるが
過去にはrockもたくさん聴いている。

私にとっての音楽は
そこにあって当たり前のものであり
ジャンルを問わず、よいものはよいし
好きなものは好きだと思えるものである。
そういう意味で、
本と同じだ。
本を読むこと。音楽を聴くこと。

私が日常的に読んでいるブログは
大学時代の恩師のO教授のブログと
あとはその恩師のブログと話から知った、
大学の後輩にあたる女性のブログのふたつだ。

その女性のブログに、
私のブログの記事のことが出ていて驚いた。

だからといって別に持ちあげていうわけではないが
私はその女性の書くブログをなかなか気に入っている。
だいたい気に入っていなければ
ブログを定期的に読んだりはしないのだけれども。

彼女はまるで少女みたいな文章を書く。
少女の、という表現があっているかはわからないのだけれども
私が思うところの、
少女みたいな情熱で。強さで。熱さで。ひたむきさで。
若い、という意味ではなく。あくまで。
それが私にはときに眩しくときに切なく
そうして彼女が私の文章をやはり同じように・・・つまり少女の、というところではなく、
同じような角度から読んでいてくれたことがわかり
うれしく思う。

彼女はロックンロールを愛している。

彼女がもっとも愛しているロックンローラーは
私が高校生のころによく聴いていたバンドのひとたちで
だから彼女の言わんとすることや
彼女の彼らやロックンロールというものに対する情熱が、
わかるよ!うんわかるんだよ!!
と肩を叩きたくなるときがたくさんある。
もちろん彼女のように造詣は深くないから
肩を叩くだけで終わってしまうだろうけれども。

そうしていま私が彼女に伝えることがあるとするならば
あなたもきっとたくさん愛されて育っているということ。
それは親からというだけでなく
誰からというだけでなく
愛しかたはたくさんあって
愛する温度もたくさんあるのだけれども。

いつか。
私にものごとを「考えて話す」という時間がとれるようになるいつか
ロックンロールと
愛について
語ってみたい相手である。


10/31(木)
卒乳8日目。

もう龍晴のなかでは
私の授乳は必要のないもの、あるいは過去のもの、
あるいはなかったもの、になったようである。

夜、とても深く眠るようになったし
朝、とてもおなかが空いているようである。

これまでは5時から6時のあいだに目覚めてから
8時すこし前の朝食までふつうに過ごしていたのに
いまは6時過ぎに起きて7時にはもう半泣きだ。

いちにちの眠りのリズムもつかめてきた。

ねむくない~!と本人が言い張ったとしても
13時前には昼寝をするし、
19時半には眠くなってくる。

もともと規則正しい生活なので
授乳をしようがしまいが
規則正しさには変わりがないらしい。

朝のさんぽは久しぶりの新井薬師。
お寺でおまいりをしようと境内でぶらぶらしていると
知らないおばさまが
これあげるわ、と龍晴に、トミカのスポーツカー、
しかも新品の箱入りを2台もプレゼントしてくれた。

え。え?
こんな良いもの、よろしいんですか?

と、既に立ち去りかけている婦人にたずねると、
いいのよ~と言って颯爽と自転車に乗って去っていく。

龍晴は不意のくるまのプレゼントに興奮し、
むんずとつかむや開ける!とおおきな声で言っている。

お寺の階段に座り、
龍晴はひとしきりくるまで遊ぶ。

放っておくとこのままくるまを転がして終わりなので
それではいえにいるのとなんら変わらない。
龍晴を促して、公園へ移動。
児童館で貸し出している三輪車に乗る。
龍晴の今日の目当てはなんといっても三輪車なのである。

三週間ほど前に来たときは
まだ漕げたり漕げなかったりだった三輪車だが
もうすいすいと乗れるようになっていた。

とてもうれしそうに三輪車で走りまわる。

どんぐりをたくさん拾い
乗ってきたコンビカーのポケットにしまってから
砂場で遊び、
滑り台で遊び、
うんていのような遊具や鉄棒で遊んでから
帰宅する。

お昼ごはんのあと、お昼寝。
今日は1時間半。

夕方、いくつか買物。
龍晴リクエストでこれまた久しぶりにボーリングを眺める。

どうも体調が優れない。
頭痛もするし寒気も。
風邪?
今日は早めに休もう。



11/1(金)
箱根旅行。

ポーコアポーコさんの店主のPさん、
お店の常連の葉山在住のダイちゃんとそのおばあちゃんであるUさん(こちらは中野在住)、
龍晴と私、という
総勢5名、なんだか不思議な取り合わせである。

箱根に旅行いいこうか、という話に
突然、お店でなったのが夏のころ。
まさか本当に実現するとは、というふうに
少しづつみんな、思っていたのではないかと思う。

龍晴は葉山のダイちゃんと旅行に行けることを
とても楽しみにしていて
ロマンスカーは隣の席に座るんだ、と前からずうっと言っていた。

小田急線の新宿駅ホームで待ち合わせ。

みんなでいそいそとロマンスカーに乗り込み、
はじめこそ私の隣にいた龍晴は
すぐにダイちゃんの隣の席に行く。

ダイちゃんはダイちゃんで
龍晴との旅行を楽しみにしてくれたようで
うれしく思う。

それぞれ持ってきたおべんとうを食べながら
いざ箱根。

平日にもかかわらず
ロマンスカーは満席で、
箱根湯本から乗り換えた箱根登山鉄道も
ぎゅうづめである。

龍晴は箱根登山鉄道のなかで
抱っこひもでお昼寝をしつつ
彫刻の森美術館へ。

私ははじめて行く場所なのだが、
子どもにもおとなにも楽しめる素敵なところだった。

Uさんは画家なので、
彫刻や絵画の説明つきで見られるのもうれしい。

龍晴とダイちゃんは、目玉焼きのかたちのオブジェで
トランポリンのように遊んだり、
網のピラミッドのようなところで
走りまわったり網によじのぼったりして
おおいに楽しむ。

葉山のダイちゃんはひとりっこなのだが
龍晴を弟のように思いはじめているそうで
今日はベビーカーをずっと押すんだ!と
坂道のおおい美術館のなかを
頑張って押してくれていた。
(ベビーカーはPさんが、お知り合いから今日のために借りてきてくれていた)

半日近く遊び、
ふたたび箱根登山鉄道に乗り、強羅へ。

今日の宿はUさんが予約してくれた、
新宿区の保養所である、つつじ荘、というところ。
だれも新宿区在住、在勤がいない一行なのだが、
予約がいっぱいでなければ区外のひとでも泊まれるのだそう。
私は保養所というものをはじめて利用した。

龍晴は宿に着くや、
おなかが痛い、といいはじめ、
酔うような距離を移動していないので
おかしいなと思う。

部屋に入ると、抱っこして、といい、
そのまま眠ってしまう。
ますますおかしいと思う間もなく
そのうち熱も出始める。

結局、晩ごはんを食べることなく
いちど目覚めたものの
また吐いてしまい、
きれいにしてあげるとまた眠る。

晩ごはんは私もなしでいいわ、と思ったのだが
Pさんが眠った龍晴をみていてくれることになり、
ありがたく甘えることにする。

龍晴は夜のあいだ、何度も高い熱が出る。


11/2(土)
朝4時45分、龍晴が目を覚ます。
すっきりしたかおで、おなかが空いた、という龍晴。
それでもまだ微熱はある。

夜におなかが空いてはかわいそうだと思い
持ってきたおべんとうをあたためておいたのだが、
龍晴はそれをすこし食べる。

が、ほんのふたくちみくちで
もう食べられない、という。
やはりまだ熱があるせいだろう。

それでも昨晩に比べたら
だいぶ良くなっている。

フロントのそばにある
子ども向けのプレイルームで龍晴と遊びながら
みんなが目覚める時間を待つ。

龍晴は葉山のダイちゃんを探しに行く!と
仕切りにいう。

朝ごはんの時間に
ふたたびみんなと顔をあわせ
みんなで朝ごはんを食べることができた。

龍晴も食欲が回復し
いつもの朝食並みに食事。
ああ食欲が出てきたのならひとあんしんだ。
こころからほうっとする。

食後は、Pさんがダイちゃんと龍晴とで
遊んでいてくれるというので
お言葉に甘えて、Uさんとゆっくり朝ごはん。
こんなにゆっくり食べたのは久しぶりだ。
うれしい。

しかしやはり龍晴の熱が平熱に戻らないこともあり、
ひとあし先に帰ることにする。

みんなの部屋にその旨、伝えにいくと
ダイちゃんはぷい、とテレビに顔を向けてしまった。

龍晴とふたたび箱根登山鉄道に乗り、
箱根湯本まで戻り、
予約していたロマンスカーの時間を早めて
帰宅する。

龍晴は強羅から湯本を出発するときまで
ずうっと眠る。

中野に着いたら雨が降りはじめていた。

夫に早めに帰宅してもらう。
龍晴は夫に、旅のことをたくさん報告していて
かわいらしい。

旅がとても楽しかったらしく、
なんどもいまからもういちど箱根にいく!と言っていた。

PさんやUさんからも何度かメールが来て、
龍晴の体調を心配してくださったり、
ダイちゃんが龍晴がいなくなったら
かなりしょげてしまっていたこと、などを聞いた。
そうか、あのときテレビを向いて
私たちを見なかったのはそういうことだったのだな。

PさんにとってもUさんにとっても
ダイちゃんにとっても龍晴にとってもそうして私にとっても
今回の旅はとてもよいものになったように思う。
ありがとうございました。

龍晴の熱は夜になって平熱に近くなってきた。
もうだいじょうぶだろう。


11/3(日)
熱が出ることなく朝を迎える。
これでもうだいじょうぶ。
ほうっとする。

しかし今日はだいじをとって
ゆっくり過ごすことにし、
朝のさんぽは近くのスーパーマーケットに行くにとどめる。

お昼寝は1時間半。
目覚めてからブロードウエイに行き、
龍晴は夫から機関車トーマスのちいさなお弁当箱を
買ってもらう。
すこしだけ別行動をしているあいだに、
龍晴はそのお弁当箱を見つけ、
どうしても欲しいと泣いて引き下がらなかったそうだ。

すこしさんぽをしてから
帰宅。

いえに帰り、龍晴は急に!という顔になり、
いつもは見向きもしない積み木を引っ張り出して
急に積み木で造形をはじめる。
なにをしているのだろう?と見ていると、
びじゅつかん!と完成したものを見ながら言っている。

なるほど。

一昨日、彫刻の森美術館へ行ったときに、
プレイコーナーに置いてあった積み木で
ダイちゃんが「美術館」をつくっていたのだが、
龍晴はそれを真似ているのである。

これまで私がなんどつくっても
殆ど壊すだけで見向きもしなかった積み木。
それが急にいろいろなかたちのものをつくっては、
これはうえののびじゅつかん!(上野の森美術館のこと)とか、
これはびじゅつかん!(彫刻の森のこと)とかいっている。

やはりすこしとしうえの子と過ごす、というのは
とてもよいことなのだろう。
ダイちゃん、ありがとう。


ルー・リードが亡くなって1週間が経つ。

ルー・リード。
ルー・リードは、とても好きなミュージシャンのひとりだ。

音楽史的なことは殆ど知らないし
書くつもりもないのだが
それでもヴェルベット・アンダーグラウンドとルー・リードは
私にとっての偉大なロックンローラーだ。
なんどもなんども聴いた音楽。

ルー・リードを私に教えてくれたひとは
私にローリングストーンズやパティ・スミスやザフーやジャニス・ジョプリンや
クラプトンやコステロやボブディランやブラーやダン・フォーゲルバーグを教えてくれて
(ダン・フォーゲルバーグのlonger thanより美しいメロディってなかなかないと思う)
そうしてそれから10年後にこの世を去って
そうしてそれからさらに10年が流れようとしている。

ルー・リードが亡くなって
当たり前のように私のあたまにはwildsideやsweet janeが流れたし
(まあこれはだいたい誰でもそうだと思うけど)
当たり前のようにSのことが浮かんだ。

S。
いまもまだSは
Sのたましいは
どこかの海を漂っているのだろうか。
Sをのみこんだ暗くてうつくしい海。
それでも私がだいすきな海。

ねえS。
私はもうあなたが亡くなったとしを
10コも越してしまうんだよ。
時間が流れるのはあっという間だ。

もしあのとき
Sのことを引きとめていたならば
出ていってほしいといわなければ
もう帰ったほうがいいといわなければ
Sは死なないで済んだのかな。
それとも結局Sは死んでしまって
私は最初にSをうしなって泣き続けたよりもずうっと長い時間を
泣きながら生きたのだろうか。
生きているのだろうか。

あなたが私にたくさんのことを教えてくれた大学時代。
Sは私のすべてだったよ。
ねえS。
いま私には子どもだっているんだよ。
私の腕のなかで眠るあたたかいちいさな子ども。

信じられる?

あなたが生きられなかった未来を私は生きている。
そのことをときどき不図思うよ。
ねえS。

私はこれからも生きていく。


10/21(月)
さてまた一週間が
はじまる。

今日はスイムなので
朝のさんぽは短めに。
最近、探検が流行っている龍晴は
いままで行ったことがない道を行きたがる。

ストライダーで早稲田通りを高田馬場方向へ進み、
紅葉山通りを左折。
坂道をくだる。

途中、グラウンドのようなものが見え、
あそこを見てみよう~!という龍晴。

いいよー、と言ったものの
その先になんとアスレティックのある公園があるではないか!
まずい。
いまあれを目にすれば、
とうぶん、いえに帰りたくないというのは必至。
なんとか公園を目に入れさせないように誘導する。

しかしいえの比較的近くに
良さそうな公園を見つけたのは収穫だ。

帰宅後、お昼寝は1時間半。
スイムへ。

寒いせいか今日は私たちを入れて4組しか来ておらず
いつも以上にひろびろのびのびと楽しむ。

今日はどこにも寄らずに帰宅して
いえでのんびり過ごそうと思っていたのだが
新井薬師の公園へ行って、
砂場で遊びたい、と龍晴はいう。
そうなのか。

それなら、ということで
一旦、帰宅してスイムの荷物を置いてから
新井薬師の公園へ。

スイムの場所から自宅までおとなの足で20分。
自宅から新井薬師の公園までおとなの足で15分。
その距離を、いちど、いえで休憩したものの
ずうっと歩くんだから龍晴、なかなかやるかも。

久しぶりのお薬師さん、
おまいりをしてから
公園へ。

砂場でたくさん遊び、
龍晴より1歳ほどおおきな子たちが数名いたので
龍晴もそれとなく滑り台や
みんなで砂場、など、
混ざって一緒に遊ぶ。
その子たちがはだしでいたので
龍晴もはだしで。

楽しそうにしていてよかった。

よく遊んだいちにち。


ところで私の実家では
今年の6月に、営んでいた家業を廃業した。

両親も65歳。

私が高校生のときに
当時、社長だった祖父が事業に失敗し、
土地や家屋を処分してもなお
5億円の負債をもって特別清算となった。
従業員もすべて解雇した。

このまま逃げることもありうる、と
両親と私は逃亡先と新しい職業を本気で探していた。
(兄は世俗に疎いタイプなので
こういう話合いの相手は
当時もいまもたいてい私になるのだった)

日中は銀行や債権者や従業員さんたちと話し合いがあり
(もちろんこの話合いには私は参加していない)
夜になるといつ債権者がやってくるかも知れないと
だいじなもの・・・金目のものはもはやなにもなかったのだが
アルバムやたいせつにしている本など、
汚されたり破損されたりしたくないもの・・・を
父の親しい友人宅に預かってもらいに行ったりする日々。
(祖父は庭の鯉を川に放しに行っていた。とられるくらいなら、と思ったらしい)

高校を辞めて働く、といった私にも
大学へは行かなくていいし、行ったとしても夜間部でいい、といった私にも
父は泣いて、頼むから大学へ行ってくれ、と言った。
自分も夜間部で勉強はろくにできなかった、
だからナオにはどうしても大学へ行ってほしいのだ、と。

そうして結局、さまざまな方々の懇意を得て、
採算性の高い2部門だけを再建させることになったのは
半年後くらいだったろうか。

祖父は引退し、父がすべてを背負った。
再建後、最初の数年間は両親で、
それからの十数年間は主に父が、
そのおおきな山のような負債を返済する。

高校生のころ。
私の目から、父は頼りなくうつった。

それは当時高校生だったから、
というせいももちろんあるのだけれども
でも実際、すこし頼りない、ひとでもあった。

父は変わった。
この二十年間で、ほんとうに変わったと思う。

家業を再建するのは無理かも知れない、と
父はほんとうは思っていた。
そのことを私は知っている。

でも父は、父らしい粘り強さで
地道にひとつづつものごとを処理し
あとは黙って働いていた。

最初のころ。
休みなんて1年に1日もなかった。

そんなふうにしてやってきた、
その家業を
今年、終わりにした。

母からここ数日、
お店を取り壊している写真が届くようになった。

私の実家の家業のひとつは
ガソリンスタンドだった。
地下に埋蔵タンクがあるので
そのまま朽ちさせておくわけにはいかない。
そのためすべてを取り壊し、
まずは更地にする必要があるのだ。

その話は以前から知っていたし、
淋しい気持ちこそあれ
そういうものだよね、とどこかそんなふうに思っていたことは確かだ。

でも。
母から送らえれてくる写真は
どれも私のこころを深く抉る。

ああこんなにも。
私の胸をしめつけるのだ。

いまさらのように思う。
いままで私を。
私たちきょうだいを。
支えてくれてありがとう。

どんなに大変なときも
ひとつも泣きごとをいわなかったお父さん。
どんなに立派なことをしても
ひとつも自慢になるようなことをいわないお父さん。
私は働くようになってはじめて
お父さんのしてきたことの
偉大さがわかったよ。

お父さん。
お疲れさまでした。
たくさんのことをありがとう。

おいしいものは人生をハッピーにする。


10/22(火)
10月も半ばを過ぎたのにも関わらず
公園にはまだ蚊がいる不思議。

昨年も思ったが(というか昨年になって・・・子どもと公園に行くようになって初めて気づいた)、
やはりこの気候は変だと思う。

そういえば見かける昆虫の数や種類も変化している。

私が子どもの頃は、
よく見る蝶々はしじみ蝶だった。
しじみ蝶、もんしろ蝶、もんき蝶、あげは蝶。
の順で、あげは蝶はあまり目にしなかったし、
目にしたとしてもキアゲハで、クロアゲハはさらに珍しかった。

しかし。
たまたまなのかどうか、
しじみ蝶はめっきり見なくなって、
あげは蝶をとてもよく目にする。
その次に多いのは、もんき蝶、それからもんしろ蝶。

と思っていたら、
最近呼んだ江國さんのエッセイに
同じようなことが書いてあった。
やはり錯覚ではなかったのだ。

朝のさんぽは初めて行く公園へ。
しかし思ったよりも狭く、
またアスレティックは小学生くらいの子に向けてつくられたもので
さすがの龍晴にも難易度が高い。
アスレティックですこし遊び、
砂場でたくさん遊び、
それから持ってきたしゃぼん玉をする。

龍晴は今日、しゃぼん玉気分らしい。

戻ってお昼寝。
今日は15分。

午後はポーコアポーコさんへ。
ごはんを食べ、暫く遊んでから
平和の森公園へ。

行く途中、しじみ蝶を久しぶりに見る。
むらさきしじみ。
それもつがいで!

りゅう、あれがしじみちょうだよ、
かわいいねえ、と話をする。
むらさきいろの、ちいさな蝶々。

平和の森でまたしゃぼん玉をし、
プレイジムなどで遊ぶ。

明日から天気が悪いらしい。
今日のうちにたっぷり公園へ行けてよかった。


10/23(水)
意外と天気がまだもっている。

朝のさんぽは城山公園へ。
わりと早い時間帯から保育園の子たちが遊びにきたので
龍晴も俄然、楽しそうに遊びはじめる。

よかった。

ひとりきりの公園より
同じくらいの年の子がたくさんいて
にぎやかな公園のほうがやはり楽しいもの。

たくさんすべりだいを滑り、
ブランコや砂場で遊び、
帰宅。

お昼寝は2時間。

城山公園へ行った日は
運動量が多いので深く長く眠る。

まだ雨が降らないんので
午後は龍晴のリクエストで
平和の森公園へ。

どんぐりをひろってお店屋さんごっこをし
(龍晴は昨日のつづきの、このお店屋さんごっこをしたかったのである)
きのこを探して雑木林のなかを歩いたり
池に葉っぱを流したりして遊ぶ。

西武線で高田馬場へ。

目当ての商品は品切れ。
明日の朝は高田馬場へ行かなくては。


10/24(木)
ここのところずうっと龍晴の卒乳もしくは断乳のことで
悩んでいた。
それは龍晴もたぶん同じで、
もうやめる、と言ったり、飲みたい、と言ったり、
龍晴も龍晴なりに葛藤しているのだなあというのがよくわかっていた。

今朝。
珍しく龍晴は6時過ぎまで起きず、
私はキッチンで先に家事をしていた。

暫くして起きてきて、
そうして私の顔を見るなり龍晴は、
突然、穏やかな顔で・・・いつも龍晴は穏やかなのだが、
いつにも増してすっきりとした顔で、

りゅう、小学生くらいになっちゃった~。
もうおっぱいやめる。

と。
ほんとうに、突然、言ったのである。

りゅう、小学生くらいになっちゃた~
というのは、龍晴がよくいうフレーズで、
もう自分はお兄さんなんだよ、と言いたいときに、
りゅう、小学生くらいになっちゃった~とか、
りゅう、車掌さんくらいになっちゃった~とか、
いうふうに使っている。
その逆に、
りゅう、赤ちゃんになっちゃった~、というのもある。

龍晴。
龍晴。

私は家事の手をとめた。
びっくりして。

もしかしたら今日がそのときなのかもしれない。
そう、卒乳。

胸がぎゅうっとなって、
私は龍晴をぎゅうっと抱きしめる。

りゅう、やめる、って言ってくれてありがとう。

そう言うと龍晴は、
はにかんだように笑う。
私の腕のなかで。

ありがとう。りゅう。
おっぱいやめても、
でもりゅうのこと、ぎゅうっていっぱいするからね。

そう言いながら
泣けてきた。

龍晴が産まれたそのときから
私は毎日毎日、授乳を続けてきた。

授乳をする時間は
龍晴とつながるときでもある。

もちろん授乳以外でのつながりが
いまはどんどんと増えている。
だからこその断乳であり卒乳であるのだけれども
それでもこの2年と5カ月ちょっとのあいだ、
私と龍晴はずうっと
母乳を通してつながっていたのだ。

産まれたばかりのころ。
私は母乳があまり出なくて
それでも完全母乳で育てたくて
がんばってがんばって
1日15回とか17回とか20回とか、
授乳を続けていた。
当時は1回の授乳時間が45分から1時間かかっていたから、
つまり殆ど1日中、
授乳をしていたことになる。

飲みたいと泣いたらとにかくあげること。
そうすることで、いつかは出るようになる。

そのことを信じて、
眠くてもつらくても
頑張った毎日。

そうしてそこまで頑張れたのは
私のしつこい性格と信念と
なにより龍晴がかわいかったから。

毎日、近くの助産院に通って
マッサージもしてもらっていた。
助産院の先生たちが
頑張ってくれたこともあり、
なんとか軌道に乗ったのが3カ月後。

乳腺炎にも何度も悩まされた。

とにかくトラブルが多い私の乳が
完全に落ち着いたのは半年以上経ってから。

離乳食がはじまってからは
母乳好きの龍晴はなかなか食事をしようとせず
そのことでも毎日、本当に悩んでいた。

でもやっぱり龍晴はかわいくて
どんなに悩んでも
食べないことが切なくて泣いても
かわいいのだ。
そう、かわいいのだ。

そうしていま。

私の腕のなかで
乳を飲むことなく眠りに落ちた龍晴は
やっぱりほんとうにかわいらしい。

そんなわけで。
おっぱいいらない、発言を受け、
急遽、今日から卒乳大勢に入った。

朝のさんぽは高田馬場へ行き、
お昼近くに戻り、
いつもならお昼寝なのだが
おひるごはんを食べ、
眠くなさそうなので
予約してあった美容室(私の)へ行った。
帰宅してすぐに晩ごはん。
眠る時間が近づくにつれ、
やっぱり飲みたいと泣いたのだが
泣きやむと
りゅう、しょうがっこうくらいになっちゃった~と
なんども言い、
それはまるで、だからがんばるんだよ、と
言っているようで泣けてくる。
それでも最後は胸のボタンを取って
授乳してほしいと泣くのを
なんとか宥め、
寝室へ。
今日はずうっと抱っこしているからね、と
抱っこを続けていると
間もなく疲れていたせいだろう、
すとんと眠りに落ちた。
かわいい龍晴。
かわいらしい龍晴。

龍晴。
頑張っているね。
これからすこしのあいだ、
つらい思いをするかも知れないね。
でも一緒にがんばろう。

母さんもがんばるよ。

そして。
龍晴。
今日まで、母乳を飲んでくれて
ありがとう。
私のところにきてくれてありがとう。

たくさんたくさん、ありがとう。


10/25(金)
昨晩、龍晴が眠りに落ちてから
やはり2時間おきくらいに目覚め、
その度に、飲みたい、と言ってすこし泣く。
それでも起きて抱っこをすると
またすとんと眠る。
その繰り返しで朝がくる。

卒乳第一夜、はそんな感じだった。

さて今日はどうやって過ごそうか。

昨日、昼寝をしていないから
今日はさすがに眠いのではないだろうか。
お昼寝を授乳なしですることはできるだろうか。

朝のさんぽは近くのスーパーマーケットへ。
帰宅するとやはり眠そうなので
抱っこのまま寝かしつけるが
うとうとしたあとに急に覚醒し
(どうやらおしっこが出たらしい)
そのまましゃきーんとしてしまう。
さらに眠くないからポーコアポーコさんへ行きたい、というので
ランチへ。

ポーコアポーコさんでたくさん遊び、
そろそろ眠そうになってきたのが15時。
うーん、いまから眠ってしまって
果たしてだいじょうぶだろうか。
できれば眠らずにいたらいいなあ、と思いながら
西武線で(龍晴リクエスト)高田馬場へ行き、
山手線で池袋に行き、地下道を歩いているあたりで
龍晴は眠る。
それから買物をし、山手線と東西線を乗り継ぎ中野に着いたところでお目覚め。
ああ重かった・・・。
というか重い・・・。
しかも結局、自宅までずうっと抱っこである。
母さんの背中はバキバキですよ。

晩ごはん後、一緒にダンスをしたり
家中を走りまわったりする。
(もちろん龍晴のねつきをよくさせるための体力消耗を画策)

しかしお昼寝効果でやはり今日はなかなか眠くならず、
というか、
うっすら眠い~眠る、までのあいだの状態が30分続き、
そういう状態のときにもっとも乳を欲しがるため
飲みたい、と何度も泣く。

そのたびに立ちあがって抱っこをし、
龍晴の好きなおうたをうたおうか?といってうたいはじめると
泣きやみ、
程なくするとまたころんしたい(横になりたい)というため
横になり、でもまた飲みたがり、という繰り返し。

最終的に眠るまで40分。
でもきっと、これは同じような状況のひとたちのなかでは
短いほうなのではないかと思う。

しかし。
飲みたい、と泣いている龍晴を抱きしめながら
私まで泣きそうだ。
(というより泣いてしまう)
自立、という体のいいことばの裏で
結局、自分が楽になりたいだけなのではないか。
いや実際、その通りなのだ。

さらに。
龍晴の自主性を重んじたかったので
自分から「いらない」というまで授乳を続けようとしたことに対する
いまさらながらの後悔もたくさん湧いてくる。

ああもしかしたら、
ものごころつく前の1歳とか1歳半くらいのころに
無理矢理でも断乳していれば
龍晴はこんなに葛藤しなくてもよかったのかも知れない、
そのときはいまより泣き叫んだとしても
そんなことあったっけ?と忘れてしまえるくらいの
ちいさい頃に。

そんなふうにも思い、自分を責める。

泣いている龍晴に
がんばろうね、というと
がんばりたくない、と龍晴は泣きながらこたえる。
そうだよね、がんばりたくなんかないよね、
たくさん飲みたいんだよね。
ごめんね。

だから今日は、ごめんね、と何度も謝った。
ごめんね、母さんの都合で
もうあげられない。
でもそのぶん、こうしてぎゅうっとずっと抱きしめているよ。

うたをうたっているうちに
またころんしたいと龍晴はいい、
うたを聞きながら龍晴は眠りについた。

かわいい龍晴。

ごめんね、龍晴。


10/26(土)
卒乳3日目。

昨晩はなんと2度しか目を覚まさなかった。
卒乳効果がもう現れたのだろうか。

明け方の覚醒のときはやはり飲みたがり
泣く。
かわいそうになるが私も我慢だ。

今日はいえの近くの、
龍晴が通ってもいいかなと思っている幼稚園のバザーがあり
雨のなか出かける。

園長先生がとても感じの良い方で、
園内の雰囲気もあたたかみがあり
園庭がすこし狭いのが残念なものの
体育館もあるし(といっても教会の礼拝堂ですが)、
ここで良いかな、という印象。

夫にも同伴してもらったのだが
やはり同じイメージだったようで
安心する。
床もぜんぶ木でできているところが
夫はとても気に入ったようで
あたたかみがあってええやん、と言っている。

仕事に行く夫とはバザー内でさよならし、
龍晴と暫くバザー会場を楽しみ、
帰宅。

行きはタクシーで行ったが
帰りは歩き。
歩いても10分かからない距離である。

今日もやはりお昼寝はせず、
お昼ごはんを食べたあとは
夫の事務所に行きたい!と張り切っているので
なんとかなるか、とそのまま出かける。

バスで小滝橋を経由し、高田馬場へ。

夫のオフィスでひとしきり遊んでから
帰宅する。

今日は卒乳がらみもあり、
夫にはフットサルを休んでもらった。


10/27(日)
卒乳4日目。

昨晩もやはり2回、起きただけだった。
しかしやはり明け方は
強い覚醒のため、母乳を求めるのも強い。

午前中に、堤助産院で卒乳の経過(私のからだの)を
診てもらうことにしている。
龍晴を連れていくのはさすがに不憫なので
夫と龍晴でさんぽに行ってもらい、
私はひとりで堤助産院へ。

先生に診ていただき、
経過が順調なので(つまり順調に出なくなってきている、という意味)、
本来は1週間後に処理をするが
2週間後にしましょう、といわれる。

そろそろ終わるよ、と夫にメールをしておくと
助産院の近くのコンビニエンスストアまで
龍晴とやってきていたとのことで
そこで待ち合わせる。

私をコンビニエンスストアのそとに見つけた龍晴は
あ!という顔をして
ドアのところに走っていき、
ほんとうにうれしそうな顔で私に抱きついてくる。

龍晴はお昼ごはんを食べてから、
夫と私はそとごはんとし、
龍晴とともに出かける。

夫の買物に付きあったり、
龍晴は夫におもちゃを買ってもらったりする。

帰宅後、龍晴とひと悶着。
気分転換に夫に屋上と、それからそとへ連れて行ってもらって
そのまま眠ってしまう。

ごめんね、龍晴。

目覚めてから晩ごはん。
龍晴は好物の唐揚げを大量に食べていた。

10/15(火)
今夜から風雨が激しくなるらしい。
明日のぶんの買いだしをしておかねばならないので
午前中のさんぽは近くのスーパーマーケットにし、
その前に公園に立ち寄る。
明日は公園に行けないだろうから
龍晴の公園欲を満たしておいた方がよいだろう。

ここの公園は小学生向けのおおきな滑り台があるのだが
龍晴ははやいすべりだい!と呼んで
この滑り台を気に入っている。

今日はその滑り台にしたから登ることができた。
滑り台をしたから登るのは本来はルール違反なのだろうが
私が子どもの頃はがんがんに下から登っていたし
それで得られるものだってたくさんあるし
ということから、ほかに子どもがいない場合は
龍晴が登りたい、というときは下から登ることも許可している。

だいたいいま子育てをしていて思うのは
なんで世の中、こんなに窮屈なのだろう?あるいはいつから?
ということ。

この滑り台の使いかたもそうだけれども、
決まりごとがとても多い。
そんなことまで決めなくてもいいよね、というものが殆どで
しかし決まりごとを決めた背景には
いろいろな思惑やおかねの動きが予想されるのだが、
いずれにせよのりしろがない世の中を
渡っていく子どもたちは大変だ。
のりしろをみずからつくるような子どもになってほしい。
龍晴には。

さて話はそれたが
滑り台を飽きるまで滑り満足してから
スーパーマーケットへ。

帰宅後、お昼寝。
今日は久しぶりに3時間も眠る。
すこし体調が悪いのだろうか。
あるいは疲れがたまっているのだろう。
体調を崩さないと良いが、と心配になる。

目覚めてからお昼ごはんを食べ、
新宿の高島屋へ龍晴のくつを買いに行く。

龍晴は2足のスニーカーを午前午後と履き換えているのだが
(とにかく運動量が多いので、いつも靴下がびっしょりになるくらいなのだ)
そのうちの1足を履くと、小指が赤くなることが増えたのだ。

足の測定をしてもらうと、
案の定、もう買い替えの時期。
というかちょっと遅くなってしまったきらいもあり。ごめんね、りゅう。

龍晴と一緒にくつを2足買い、
ブリオのおもちゃで龍晴がもういく!というまで
ずうっと遊ぶ。

ものすごーく久しぶりに
婦人服売り場を見たのだが
じっくり見たくても龍晴と一緒ではやはり難しい。
そろそろ服を欲しいなと
漸く私も思えるようになってきたので
近々夫に龍晴を託して買物でもしようかしら。

デパートを出るとたくさんの雨が強く降っている。
なんていうか、雨の全体量が多い、という印象。
タクシーで帰ろうか迷ったが
中野まで電車で行ってから考えようと総武線に乗る。

中野に着いたら新宿ほどに雨は降っておらず
ほうっとする。

とはいえかなりの雨量ではあるので
龍晴を抱っこしていえまで帰る。

ぎゅうっと抱っこしてね、
というと、
龍晴は首に腕を強くまわし
私の肩に首をもたせてぎゅうっとくっつく。
冷たい雨のなか、私と龍晴のあいだだけあたたかい。
ああとても安心だなあ。
龍晴にもこの安心が伝わるといい。
そんなことを思う。
雨の帰り道。


10/16(水)
風雨が強いため、昨晩は夫も早めに帰宅する。
(といっても22時過ぎですが、日ごろに比べたら驚異的に早い)

深夜、3時くらいと5時くらいにそれぞれ目を覚ますと
風と雨が強まっている音がする。
ふとんを出てそとの様子を見たいのだが
私が動くと龍晴も起きることが多い時間帯なのでがまんする。

しかし思いのほか足が速く、
夫が通勤する時間帯にはもう雨はあがっている。
それでも念のためタクシーで出社する、と夫はいうので
タクシー好きの龍晴と一緒に高田馬場まで乗せて行ってもらう。
今日はとりたてて高田馬場に用事はないのだが。

スーパーマーケットで買物をしてから
帰宅する。

お昼寝は2時間。
今日も長い。
しかし体調は悪くないように見える。

目覚めてからどこに行こうかしばし思案し、
水天宮に行くことにする。

来月、弟夫婦の出産を控え、
そろそろお守りを買って送りたいなと思っていたのである。
念のため、夫の友人知人に送るぶんもいるかどうか確認してから
出かける。

水天宮は東西線と半蔵門線を乗り継いで
40分くらい地下鉄に乗る。

しかし!
水天宮に着いてみると、肝心の神社は改装中とかで
別の場所に移転?していた。
やれやれ。

おとなの足で歩いて10分、という移転先に
足を伸ばし、
お守りを購入。

龍晴も自分のぶんが欲しい!というので
いぬの絵が描かれたお守りをプレゼントする。

なんのかのと遅くなってしまったのと
地理がよくわからないのとで
結局、タクシーで東京駅へ。
今日は2回もタクシーに乗り、
龍晴はご満悦である。

中央線で帰宅。

明日は晴れらしい。
うれしい。


10/17(木)
今日は井の頭動物園へ行く。
朝、そう決めて、
今日はどこへいこうか?と私がいつも龍晴にたずねる口調で
龍晴が私にたずねたので
井の頭動物園へ行こうか?と提案すると、
いくー!とうれしそうにいう。

朝のさんぽはいつもと違うコースで
線路沿いの道を、グラフィティアートを見ながら進む。
中野駅の北口の線路沿いの壁はかなりながい区間、
グラフィティアートがあるのだ。

龍晴はちょうどまんなかくらいの
「ペンギンの絵」が好きだ。
階段をペンギンのようなものがのぼっていく絵。

帰り道、いろいろなところで寄り道をしようとするので
そのたびに、今日は井の頭動物園へ行くから
早く帰るよー!というと、
慌てたようにもとのルートに戻る。

帰宅後、お昼寝は
ちょうど1時間。

動物園でお昼ごはんを食べることにし、
用意しておいたものをお弁当箱に詰める。

東西線とバスを乗り継いで動物園へ。
まずはひろばでお弁当。

今日は遠足日和らしく、
幼稚園や小学校の子たちがたくさん帰宅するところで
龍晴は幼稚園へ行きたい!などといいながら
おべんとうを食べる。

でもりゅう、幼稚園へは母さんは行けないけどだいじょうぶ?
ほら、先生はいるけど、誰も母さんいないでしょう?

というと俄かに不安そうになり
母さんも行ける幼稚園へいく、と主張していた。

さておべんとうを食べ終わり、
モルモットを抱っこできるコーナーへ。
龍晴は気に入ったモルモットを次々と抱っこする。

係員の年配の女性のかたが、
写真撮りましょうか?といってくださり、
厚意に甘える。

ふたりの写真、全然ないからうれしいです!とこたえると、
そうでしょう、私もそうだったから、とおっしゃる。

私の夫は頼まないと写真を撮る、ということを思いつかないひとなので
龍晴ひとりか、あるいは
龍晴と夫のふたりの写真はたくさんあるが、
龍晴と私のふたりの写真や龍晴と夫と私のさんにんの写真は
ほとんどないのだ。

どうぶつえんの奥の、ゆうえんちコーナーへ。
たくさんの乗り物に乗る。
龍晴は空中高くまで動く乗り物がすごく気に入ったようで
連続3回乗り、この手の乗り物に弱い私はすっかりくるま酔い状態に。
何しろその前に新幹線を模した乗り物やら、たくさんのくるまやら、
メリーゴーラウンドやらにさんざん乗ったあとでもあるのだ。

りゅう、もう母さん、具合悪くて乗れないよ・・・というと
もういっかいのるー!のを取りやめてくれた。
あ、ありがとう。ぜいぜい。

今日は時間が早かったせいもあり
いつもは寄れなかった公園コーナーでたくさん遊べた。

龍晴はおおいにはしゃぎ、
走りまわっていてかわいらしい。

たっぷり遊んで帰宅。

中野に戻り、南口の小田急の旅行センターへ
予約しておいたロマンスカーのチケットを取りに行く。
再来週、ポーコアポーコさんのご主人と、
常連の葉山のダイちゃんのおばあちゃまと葉山のダイちゃんと一緒に
箱根に旅行に行くのである。

同じく11月に友だちとも箱根に行く。
今年は箱根づいているなあ。

龍晴は担当してくださった女性に
ずうっとふざけてからんでいた。

それにしてもよく遊んだいちにち。


10/18(金)
今日も井の頭動物園へ行きたいという龍晴のリクエストで
午後は井の頭動物園へ行くことにする。
とても楽しかったとき、龍晴は2日連続で同じところへ行きたがるのだが
2日間たっぷり遊ぶと満足できるらしい。

今日は龍晴は5時半前起き。
最近、またしても5時台が続いている。
母は眠い。

朝のさんぽは近くのすみれ公園へ。
スピードが出る滑り台を滑ったり
したから登ったりして遊ぶ。

ひとしきり滑り台で遊んでから
きのこを探す。
おおきな木の根もとにきのこがあったので
棒でつっついたりする。

帰宅後、お昼寝は2時間。
まだ眠りたそうだったが
目が覚めてしまった、という様子。

おべんとうはどうぶつえんで食べたい、というので
出かける。

井の頭動物園は今日も
遠足の幼稚園や小学生でにぎわっていた模様。
私たちが到着したのは
ちょうどたくさんの子どもたちが帰宅する時間であった。

モルモットをたくさん抱っこし、
(昨日よりさらに抱っこがこなれてきた)
ふたたびたくさんの乗り物に乗り、
公園で遊ぶ。

公園ではちいさな女の子に
いないいないばあをたくさんしてあげていて
かわいらしかった。

龍晴はちいさな子をかわいい、といって眺めるのが好きだ。

りゅうはちいさな子が好きなんだね、というと
ちがう、おにいちゃんがすき、と本人はいうのだけれども。

暫く遊んでいるうちに
公園が空いてきて、
頃合いかな、と思い声をかけると
すんなり帰宅する、という。

バスに乗って駅まで行き、
中野に戻ってから
いくつか買物をして帰宅。

龍晴は途中で立ち寄った梱包資材屋さんで
筒状の包装紙を買い、
それをバッドにして遊ぶんだと張り切って歩いていた。


10/19(土)
めっきりと寒くなってきた。
日も随分と短くなり
ああもうすぐそこに冬がやってきているのだ。

朝のさんぽは夫を見送りがてら駅のそばまで行き、
(しかしいつものコースではなく、
最近、龍晴のなかで流行っているたんけん・・・新しい道を進むこと・・・をしながら)
スーパーマーケットに少しだけ寄り、
また戻ってくる。

あじさい公園でどんぐりをひろう。
もう殆ど落ち切ってしまったどんぐりだが
まだすこし残っている。

子どもってどうしてどんぐりが好きなんだろう。
私も子どものころ、どんぐりが落ちているのを見つけると
たからものを見つけたような気持ちになった。
でも、ではどうしてどんぐりだとうれしいのか。
そういう気持ちのうごきはもう忘れてしまった。
めずらしいから?でもめずらしいだけならほかにもありそうな気がするのだが
わあ!というあのちょっとしたどきどきは、
どんぐりに固有の、そうして多くの子どもたちに共通のもののような気がする。

龍晴もどんぐりが好きだ。

あじさい公園をとおると必ずどんぐりをひろうし
どんぐりを拾いにいこう!とよく言っている。

帰宅後、お昼寝。
今日は1時間半ほど。

目覚めてからポーコアポーコさんへ。
今日はナナちゃんとハナちゃんという1歳くらいの女の子がやってきて
じょうずに一緒に遊べるか心配だったのだが
それぞれ楽しそうに、
あるいはときに一緒に、
遊んでいてうれしく思う。

西武線で夫の会社へ。
暫く龍晴とホワイトボードに絵を描いたりする。

みんなで帰宅。
高田馬場の駅に行く途中に雨が降りかけてきたので
タクシーにする。

夫はフットサル。

夕方くらいから体調が優れない。
頭痛と、くるま酔いのような気持ちの悪さが続く。


10/20(日)
朝から冷たい雨が降る。

朝のさんぽは近くのスーパーマーケットまで。
なかなか強い雨なので
こういうとき用の最短のさんぽコースである。

お昼寝は1時間半。

おひるごはんを食べてから
荻窪の温泉へ行く。

3年以上ぶりなので
いろいろなことを・・・ローカルルールみたいなものを
すっかり忘れていた。

夫となつかしいねえ、全体的に!といいあう。

夜になっても雨がやまない。


10/7(月)
今日はスイム。

そのため朝のさんぽは短めに。
近くのおにぎり屋さんまで行き、
いちど自宅に戻り、
もういちどおにぎり屋さんまで行き
(手土産を渡すため)
ふたたび自宅に戻る。

しかし。
いつもならお昼寝をする龍晴、
ねむれない~と言って
ちっとも眠らない。

律義に目をぎゅうっとつぶって
寝がえりを打ったり、
寝かしつけている私に抱っこされたりとするのだが
1時間近くごろごろしつつ
結局、目はらんらんと輝いている。

いつもははんぶんも食べないバナナを
おいしい!といって1本まるごと食べ
いつもは1個だけ食べるヨーグルトを
もういっこたべる~!と張り切って2個食べたせいだろうか?
はて。

そのままお昼寝をせずにプールへ。

だいじょうぶかな?と思いきや
今日、りゅうせいくんいつもより元気だね、とほかのお母さんに言われるほど
張り切り(たぶんおなかが満たされていたせい?)
ばた足でたくさん泳いだり、
プールのへりにつかまって横に向かって動く「かにさん」を何往復もしたりしていた。

東西線で高田馬場へ。
スーパーマーケットで買物。
龍晴リクエストで、
山手線と総武線を乗りついで帰宅する。

どこかのタイミングで眠くなるのかな?と思っていたのだが
東西線のなかでちょっと眠そうになっていただけで
結局、夜までご機嫌に過ごす。

夕方、長野県の千曲署から電話。
遺失物のなかの、私が紛失したデジタルカメラと同じものが見つかった、という内容。
だがストラップは私が付けていたものではなかったので
おそらく違うと思う。
それでも念のため、両親に確認に行ってもらうことにする。
バッテリーが切れているため確認できない、というので
バッテリーを送付。

しかしよく考えたら
データだけ抜いて確認してもらえばそれで済むんだよなあ。
まあいいか。

きっと私のものではないだろうと思いつつ
どうか私のものであってほしいと願う。



10/8(火)
というわけで察しの良い方はもうお気づきでしょう。
デジタルカメラの報はやはりぬか喜びでした。

千曲署に今日、父が行ってくれて
担当の方から落し物預かりのデジタルカメラを見せてもらい、
明らかに私が持っていたものと違うとひとめでわかり
(父も私のカメラを知っていた)
それでも念のため、と署の方がデジタルデータを見てくれたそうなのだが
やはり違うということだった。

父からその旨、連絡が入り、
私のカメラではないだろうきっと、と思いつつ
どんなに自分がぬか喜んでいたかも知った。

落胆。

私が取り戻したいのは
カメラではなくデータである。

紛失したデジタルカメラには
今年の2月から9月あたままでのあいだのデータが
バックアップなしにごっそりと入っていて
写真が500枚くらい、動画も30録画分くらいあって、
それは殆どすべて龍晴の、あるいは龍晴と夫と私の写真で、
あれもこれも私のあたまのなかには残っている笑顔だったりするのだけれども
それでもやっぱり、画像が手元にある、のとない、のとでは全然違う。

2歳のたんじょうびも。
はじめて行った海も。
お花見も。
父と運転しているタンクローリーも。

ああもうあの写真もこの写真も
ぜんぶないのである。

落胆。落胆。

でももう諦めていたことだ。
束の間、あの写真もこの写真も手元に戻るんだ!と
明るい気持ちになっただけでまだ良かったと思おう。

朝のさんぽは龍晴のリクエストで城山公園へ。
ストライダーに乗っていく。

偶然、シュンくんとAちゃんが来ていて
一緒に遊ぶ。

お昼寝は30分。

午後はポーコアポーコさんへ。
今日はほかにお客さまがいなかったので
のんびり遊ぶ。

平和の森公園に寄り、
池に石を投げたり
おおきな広場を横断したり
(草が生い茂っていて、龍晴は草の穂が足にあたる感覚がおもしろいらしく
痛い痛いと笑いながら歩いていた)
プレイジムで遊んだりする。

たくさん遊んだいちにち。



10/9(水)
毎週、すいようびの午後は自宅に宅配の生鮮食品が届く。
留守にしていても良いのだが、
いえにいるほうがすぐに仕舞えるし、
何かと便利だ。

そのためすいようびは、午前中はさんぽに出るが
午後は宅配業者さんが来る14時過ぎまでいえにいることにしている。
それからたくさん届く生鮮品を仕分けしたり
ときにはそのまま調理したりするから
すいようびの午後は遠出もしない。
ほかの曜日より、だからのんびりとした日になる。

朝のさんぽは城山公園へ。
昨晩、Kちゃんから連絡があり、一緒に城山公園へ行こう、と誘われた。
朝、目覚めた龍晴に、タイちゃん(Kちゃんの子)が城山に来るそうなんだけど、
いく?とたずねると、
いく~!とふたつ返事。

じゃあ母さん、Kちゃんに、城山に行くって言っておくね、とメールの返信をすると、
りゅうはりゅうのもしもしで、タイちゃんにれんらくする!と言って
電話をしていた。
かわいいなあ。

城山公園には9時過ぎには到着し、
この時間はさすがに無人である。

暫く龍晴とふたりで遊ぶ。

10時近くにKちゃんとタイちゃんがやってきたので
みんなで砂場で遊んだり、
龍晴はアスレチックをしたり。
途中から近くの保育園の子たちが大挙してやってきて
年長さんクラスに混ざって龍晴は走りまわって遊ぶ。

帰宅後、お昼寝。
今日は長めの2時間。
何しろ昨晩(というか今朝)、
4時にいきなり目を覚まし、もう起きる~!と言って5時まで寝ず、
なんとか寝かしつけたのに6時にはすっきりと起きていたのである。
母のほうも眠いですよ。
(ちなみに夫は4時すこし前に帰宅、お風呂のなかで眠ってしまっていたようなのだが
龍晴を寝かしつけていたので救出できず、1時間後に自力で目覚めていた)

宅配の方が来たあとに、
本屋さんと龍晴の冬物の服を買うためのセレクトショップとスーパーマーケットに行く。

夜、眠る前に、
龍晴とふとんのなかでたくさん遊ぶ。

最近、読んだ本。
松田道雄「私は二歳」
小川糸「海へ、山へ、森へ、町へ」
江國香織「やわらかなレタス」

こちらは再読。
小川糸「さようなら、私」
太宰治「グッド・バイ」他(新潮の短編集)
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」


10/10(木)
明日は雨が降るらしい。
ので、ふとんを干すことにする。

朝のさんぽはサンモール商店街と、そこから戻っていえのそばのスーパーマーケットへ。
いちど出ると、ほんとうに近くのお店に行く以外は
やはり1時間半くらいはかかる。

帰宅後、お昼寝。
今日は1時間半ほど。
ぐっすりと眠る。

午後は井の頭動物園に行こうかサンシャイン水族館に行こうかと
迷ったのだが
すこし疲れている気がして(私が)
やはりいえでのんびり過ごし、
近くへぶらぶらしに行くだけにしようと考える。

龍晴とふとんのうえでごろごろしながら遊ぶ。
小一時間ほど遊んでいると、
おおきな音でヘリコプターが飛んできた。

あのおとはなあに?ときく龍晴。
最近、龍晴は、こたえがわかっていることでも尋ねてくる。
ヘリコプターだよ?とこたえると、
ベランダのほうまで行ってじいっと見ている。

りゅう、ヘリコプター好きなの?と聞くと、
好き、とこたえる。

りゅう、それならヘリコプター乗りに行こうか?と重ねて聞くと、
いく!とにこにことこたえる。

いえでのんびり、と思っていたものの
やはり子どもの喜ぶことってしたくなるんだよな。

というわけで急いで支度をし、
四谷の消防博物館へ。

ところが。
なんとまさかの改装休館日。
来週までお休み、とのこと。
1階だけなら見てだいじょうぶですよ、と受付のおそらく消防士さんがおっしゃったので
ありがたく1階だけ見させてもらうものの龍晴は
1階から見える地下のたくさんの消防車を、
見たい~!!と半泣きでいう。
そりゃ見たいよね。
ヘリコプターも乗りたいよね。
ごめんね。

河岸を変えようと、
歩いて新宿御苑まで行く。

おおきな桜の木の根元にあるきのこを棒でつっついたり
蟻を眺めたり
落ち葉をばらまいたりしていると
ちいさな子が寄ってきたので
龍晴とさんにんで一緒に遊ぶ。

それから芝生の広場に移動し、
龍晴がごろごろしたい、母さんも!というので
一緒にごろごろと芝生のうえを転がる。
どういうわけか私はとても目がまわり、
休憩していると容赦なく母さんも!!と龍晴がいうので
またごろごろと転がり、
さらに目がまわり、くるま酔いのような状態に。
うう、まさか御苑で気持ちが悪くなるとは・・・。

傍に寄ってきたウタちゃんというちいさな女の子と
また一緒に遊ぶ。
龍晴はウタちゃんのされるがままになっていた。

暫くさんぽをしてから
総武線に乗って帰宅する。

龍晴にごはんをあげているあいだ、
妙におなかが空いてたまらず、
母さんおなかが空いちゃったよ、なんでかなあ?と言ったら、
えっとー、たぶん、りゅうをたくさん抱っこしていたから!
しょうぼうしゃはくぶつかん(本当は消防博物館ですが)いくときと、
ぎょえんにいくときと、
おうちにかえるときと、抱っこしてたから!
としっかりと答えており、なるほどーそうかも!と納得してしまった。



10/11(金)
それにしても暑い。
いまが10月だなんてとても思えない。

今日の日差しは朝からやけつくようだった。

それでも空の雲はみごとな鰯雲だし
太陽の色はこれから夏に向かう、あるいは夏場の、
あの色とは違う。

朝のさんぽは高田馬場へ。
龍晴は自転車に乗っていきたいというのだが
(ストライダーのことである)
電車のなかに持ちこむのはさすがに憚られるので
駅近くのスーパーマーケットにとめさせてもらう。

高田馬場で買物をしてから
戻り、またストライダーに乗って帰宅する。

龍晴はストライダーにとてもじょうずに乗れるようになった。
両足を離してじょうずにバランスをとっている。
とても楽しそうだ。

実際に楽しいのだろう、
ここのところ毎日、ストライダーで出かけたがる。

お昼寝は30分。

午後はポーコアポーコさんへ。

その後、平和の森公園へ行こうと思っていたのだが
龍晴は今日は公園には行かない、ポコさんのところにいたい、というので
4時間ほどお店で遊ぶ。

しかしいざ帰宅の時間、
こうえんにいく!といって号泣。
えー。
さすがにいまからでは晩ごはんに差し支えるので
なんとか宥めて帰宅する。

夜。
おつきさま!と龍晴が指さす先を見ると
そらには綺麗な月。
リビングにねころがって龍晴と一緒に月を眺める。
しあわせだなあ。と思う。
今日も。


10/12(土)
ところで私はまだ授乳をしている。
昼寝のときと、夜、眠る前、それから深夜、龍晴が欲しがったとき。
つまり龍晴にとって、眠るイコール乳を飲む、ということになっている。

龍晴は今日で2歳5カ月。
さまざまな拠出のマーケティングデータを見ると
だいたい2歳以上まで授乳をしているのは全体の5~10%。
どう考えても考えなくても少数派、である。

そもそも私は、龍晴がもういらない!というふうに
自分から宣言する(あるいは態度で示す)まで授乳しようと決めていた。
こういう形態を卒乳(または自然卒乳)、といい、
そうでない場合を断乳、という。

そのうちいらない、というかな~と
いま思えば気楽に考えていたのだが
(まわりに1歳前後で、もういらない!というふうになった子ばかりだったせいもある)
龍晴はいつまで経っても、いらない、といわない。
執着が増している、ということはないのだが
あくまで眠りたくなると欲しくなる、ということは変わらない。

最近、私は悩んでいる。

龍晴との授乳の時間は
とても素晴らしい時間だ。
時間だし、時間だった。

ただ少しづつ、私もつらくなってきた。

まず夜、きちんと眠れない。
龍晴は深夜に3~5回くらいは、乳くれ~といって泣く。
私は日ごろから眠りが浅いほうだし、
また授乳中は眠れない。
時間にすれば5分~20分くらいなのだが、
やはり間断が多い睡眠は少々つらいものがある。

それから、龍晴の成長に伴い
やはりちからが強くなってきたので
経験のある方はわかると思うが、腕と顎による痛みが伴い、
しかもいちど痛くなるとなかなか治らない。

それで、そろそろ卒業してくれないかなあ、なんてことを
ここ1ヵ月くらいで以前より真剣に考えるようにもなった。

加えて、ふたりめ問題。
まだきちんと考えているわけではないのだけれども
それでも壁のように私のこころをふさぐこの問題。

龍晴に、そろそろやめる?ときくと、
やめる!とこたえる。

ひとつき以上前は、やめない!とこたえていたのだから
おおきな進歩ではある。

だが実際に、眠る前になると、
やっぱりどうしても飲みたい、という。

いまでもやっぱり、卒乳を目指してはいるのだけれども
3歳になったら断乳をしよう、という気持ちにはなっているので
いま、やっぱり飲みたい、といわれると
そうか~じゃあ飲もうか、とこたえてしまう私。

あああ。
どうしようかなあ。

ちなみに私のまわりで、
つまり子どもの月齢が2歳半くらいのなかで、
いまでも授乳を続けているのは
わが家を含めて3人。
全員男子である。

うちひとりは、いつまでだって飲んでいてほしい!と言っているつわものである。
乳を飲んでいるところがかわいくてかわいくて仕方がないし、
子どもはひとりと最初から決めているし、
というのがその理由。
とはいえ、彼女と息子のリョウくんとのあいだの取り決めで、
小学校1年生の夏休みまで飲んでいるようなら、
「おまえが飲んでいることを夏休み明けに友だちにばらすからな!」と言っているのだそうな。
それでも飲みたい、というのなら、
それはそれで見上げた根性だし、そこまで飲みたいのならいつまででも飲んでよし!
なんだって。
でもおそらくその時点で、恥ずかしいからやめる、と言うに違いないし、
まあその前にはもういい、って言うでしょ、というのが彼女のヨミである。

さてさてどうなることやら、リョウくん。
うふふ。


今日はスイムのため、
朝のさんぽは短め。

お昼寝は40分。

スイムでは軽快にばた足を披露し、
先生に褒められて嬉しそうにしていた。

今日の水上アスレティックは、鉄棒。
龍晴は鉄棒が好きだ。
たくさんぶらさがって笑っている。

スイム後は観覧席でおべんとうを食べ、
中野のおまつりを見学。
ちょうどエイサーのみちじゅねーを見ることができた。
それからマルイの公園に寄りたいというのですこし遊ぶ。
南口のおまつり用特設ステージでjazzのライブをしていて、
龍晴がそれを見たい、というので15分くらい演奏を聴く。
龍晴はじいっとバンドのひとたちを見つめている。

区役所の広場でふうせんを作ってもらい
(茶色いうさぎ)
とても気に入ったらしくずうっとふうせんを握りしめたまま
高田馬場の夫の事務所へ。

夫は夕方、フットサル。

夜になって寒くなってきた。



10/13(日)
今日の午後は昭和記念公園へ行く。
龍晴は昨日からずうっとそれを楽しみにしていて
白いトランポリンあるところ?とことあるごとに言っている。
そうよー、白いトランポリンあるところだよー?とこたえると
うれしそうに笑う。

公園へ持っていくおべんとうをつくってから
朝のさんぽは夫を見送りがてら
スーパーマーケットへ。
途中、あじさい公園に寄る。

帰宅してからお昼寝。
1時間は眠れるといいなと思っていたのだが
30分もしないで目が覚める。

ここのところ龍晴の昼寝の時間は不安定だ。

仕事へ行った夫とは中野駅で待ち合わせ、
昭和記念公園のある西立川へ向かう。

龍晴はちゅうおうとっかい!とうれしそうにしている。

広場で持ってきたおべんとうを食べ
(龍晴はからあげをぱくぱく食べていた。
龍晴はからあげが好物である)
パークトレインに乗って、白いトランポリンがあるこどものためのひろばへ。
公園をほとんど一周することになる。

それにしても昭和記念公園は広い。
ものすごく広い。

龍晴は早くトランポリンで遊びたいのに
なかなかその場所に着かず、
しびれを切らしはじめたころにようやっと到着。

子どもたちが嬌声をあげているトランポリンの山に
龍晴も靴を脱ぐのももどかしく走っていき
とんだりはねたりころがったり
ずうっと笑いながら遊びつづける。

ああやっぱりこの場所の龍晴の笑顔は
とびきりかわいらしい。
こころの奥底から楽しくてしかたがない、という笑顔。

連れてきてあげてよかったなあと
思う。
もうすこし近ければもっと頻繁に連れて行ってあげられるのだが。

1時間半ほどとびつづけ
小学生以下用のトランポリンに乗っていたのが
(幼児用には最初から見向きもしなかった・・・)
中学生以下用のほうに乗りたいと言って果敢にチャレンジし
しかしやはり小学生のフィジカルアタックは強いため
悪気なく転ばされたり足を踏まれたりし
時折泣いている。
頃合いを見て、そろそろいく?と声をかけると
泣きじゃくりながらまだいたい、という。
かわいいなあ。

帰りはバスに乗って、立川口まで。

噴水を見ながら休憩をし、
立川からちゅうおうとっかい!に乗って帰宅する。

よく遊んだいちにち。


10/14(月)
連休だし、今日も出かけようかと当初は思っていたのだが
夫が仕事をしたそうだったこともあり
龍晴とふたりのんびり過ごすことにする。

しかし折悪しく、頭痛が激しい。
やれやれ。

朝のさんぽは夫を見送りがてら
あじさい公園を経由。

帰宅後、お昼寝。
目覚めてから龍晴のリクエストで
哲学堂公園へ行く。

池に石をたくさん投げ入れ、
児童公園でも遊ぶ。

哲学堂公園の山門は
仁王ではなく幽霊と天狗なのだが
龍晴は薄暗い山門のなかを見たい!と言って見上げるや
天狗を見つけ、沈黙する。

龍晴は天狗が苦手なのだ。

どうしたの?と気付かないふりでたずねると、
てんぐ・・・とちいさな声でいう。

無理に見なくていいよ?行く?と声をかけると
行く、という。
しかし暫くしてから、もういちど山門を見たい、と龍晴。
怖いもの見たさ、なのだろうか。

しかし自分で見ることができず、
母さん見てきて!といって背中を押された。

バスに乗って新井薬師の駅まで行き、
高田馬場の夫のオフィスへ。

暫く遊んでから
みんなで帰宅する。

明日は台風が来るらしい。

9/30(月)
今日は3週ぶりのスイムである。
龍晴のスイムのクラスはげつようびなのだが
祝日になるとクラスがお休みとなってしまうのだ。
(ときどき振替は行ってもらえるのだが)

朝のさんぽは、したがって短めに。
近くの公園まで行き、
引き返していくつか買物をする。

まだ眠くないかな?と思ったのだが
10時過ぎには寝たいよ~といいはじめたので
すんなりとお昼寝開始。
1時間ちょっとで目覚める。

龍晴は久しぶりのせいもあり
とても楽しそうに泳いでいる。
先生に抱っこしてもらったのがうれしかったらしく
(龍晴はスイムの担任の男性の先生が大好きだ)
なんどもせんせいがりゅうをだっこしてね、
せんせいがみずのなかにはいっていて
りゅうがジャンプした!(水に飛び込んだ)と
繰り返していた。

久しぶりにマルイのカフェでお茶をし、
数軒のお店で買い物をしてから帰宅する。

街にイチロー選手のポスターが貼られていたのを見て
龍晴が、父さんに似てる!と指さしていた。
明日の朝、教えてあげよう。うふふ。
(夫はイチローさんにはあまり似ていないと私は思うんだけど)

夜、O教授のブログを拝読したら
荻窪にお嬢さまの演劇の公演を見にいらしたついでに
「ミニヨン」に立ち寄った、という話が出てきた。
前日のブログで、荻窪にいらした、と書いてあったので
(先生は公演に2日連続で行かれた。お嬢さまの公演だから、ではなく、
とても素晴らしい公演だったから、である)
荻窪に次に行くならミニヨンはおすすめですよ、
とメールをしようかなと思った矢先で、
でも確か以前、先生へのメールでミニヨンのことを書いていたので
いずれにせよ、私の強い念?が伝わったのかな、なんて思っておこう。


10/1(火)
いちにち、天気が優れない。

朝のさんぽは龍晴の好きな近くの公園を経由し、
(あじさい公園ということが今日、判明した)
雨の中でどんぐり拾いをしてから
スーパーマーケットに寄る。

お昼寝は1時間。

今日は福祉センターへ行きたい、と龍晴は朝から言っていたので
リクエストどおり、福祉センターへ行く。

前回、こちらに伺ったのは8月なので
2ヵ月ぶりである。

龍晴はとてもうれしそうに
くるまや電車やキッチンセットなどで遊び、
かあさん!(一緒に遊ぼう)と言ってきたりする。
ブロックで高層ビル!といいつつ龍晴の背よりも高いものをつくったり。

3時間ほど遊び、
そとの公園にすこし寄ってから帰宅する。

おとなの足で30分ほどかかる場所なのだが
龍晴は往復、休憩をはさみつつちゃんと歩いていた。


10/2(水)
また雨。
激しく降る。

朝のさんぽは近くの公園(名前は失念)へ鐘を見に行き、
ただ公園の入り口におおきな水たまりがあってとても入れなかったのと
風雨が激しいので引き返し、
スーパーマーケットで買物をしてから帰宅する。

お昼寝は15分。

午後は龍晴のリクエストでふたたび福祉センターへ。
2時間ほど遊ぶ。

小さな子どもがたくさんいて
(1歳前後がコアゾーンである)
龍晴ががんばってにつくっていたレゴブロックの「高層ビル」は
格好の子どもたちの餌食となり
(何しろ龍晴の背丈ほどの高さもある大作なのだ!)
わらわらと足元のおぼつかない子どもたちが寄ってきては
「高層ビル」を倒したりつかんで折ってしまったりする。
龍晴はその度に号泣である。
比較的おとなしいタイプなので
抵抗もできずに泣く、という感じ。
(しかしからだが大きいため泣き声もかなり大きい)

そういうときは、
世の中では、どうぞしようね、と自分の子を宥めることが多いように思うのだが
私は暫く前から、これは龍晴くんが使っているのだからあとでね、こっちを使ってね、と、
龍晴の意志を尊重するようにしている。
賛否両論どころか、子育てとしてそれじゃだめでしょう、と思われることのほうが多いとは思うのだが
やはり私が龍晴の立場なら、自分がいままさに夢中になっているものを
取られたり壊されたりしたらとても嫌だし
そんなとき龍晴が100%頼りにしている私が、我慢を強いたりするのって
どうなのだろう、と思ったからである。

今日もさんざんそういう目にあい、
そのたびに、これは龍晴くんが・・・と龍晴の大作を守り続けているうちに
龍晴が明らかに私を信頼している、というのが伝わってきたし、
龍晴も大作を納得がいくまで作り終えると
とても誇らしそうにしていて、
それから、次はほかの子が使うから、と自分でぜんぶ片づけまでしていた。

きっとやりかたはたくさんあるのだろう。
どれが正解かはわからないし
もしかしたら不正解のこともたくさんあるだろう。
それでも私は手探りで、私なりの方法で、
龍晴を一緒に歩んでいきたいなと思うのだ。こういうとき。

夕方、帰宅。
福祉センターから出ると、お昼寝をしていないこともあり
すぐに抱っこ~となったので
ずうっと抱っこで帰ってくる。
抱っこひもなしでふつうに抱っこを30分もしながら歩くのはなかなかつらい。

ところで今日も龍晴は、3歳?4歳?と、
福祉センターの子育てひろばの先生に言われたくらい
背も高く、よく走りまわる子だ。

私はもともと龍晴を、足腰のじょうぶな子どもに育てたいと思っていて、
それは私がひとなみはずれて運動音痴だから子どもに運動面で苦労をさせたくないということと、
たとえば富士山が噴火したとしても生き残ることができるひとになってほしいと願っているからということから、なので、
だから朝から晩までそとで遊ぶことをよしとしているし
実際にそういう行動をしているし
そうできる環境を整えることを最優先にしている。

その日々の積み重ねの結果と、
おそらくは持ってうまれたものとの相乗効果で、
龍晴は背も高いし(これはたぶん遺伝的要素が大きいと思う)、
よく走りまわるし、たくさん歩く子になった。

歩く、に関していうと、
わが家は龍晴が1歳半くらいから、
ベビーカーを使わない、と決めて
実践してきた。

それにはいくつか理由があって、
ベビーカーを使うと歩く距離が短くなるだろうと予想ができるから、
が主要因なのだが、
さらにはそもそも龍晴がベビーカーを嫌いだということもあるし、
わが家がエレベータなしの3階だということ、
ベビーカーが7キロも!あるということ、
(現在12キロの龍晴を抱っこした状態でさらにベビーカーを担いで階段を登るのはさすがに辛い。龍晴が10キロまでは頑張っていたこともあったけれども)
中野駅はエレベータがないこと、
わが家から大人の足で歩いて10分くらいに駅やスーパーマーケットが存在していること、
そしてたぶん私はとても力持ちであること、
(辛いだの重いだのいいつつも、12キロの龍晴を抱っこしながらトイレットペーパーとボックスティッシュと2リットルの牛乳パック4本くらいなら徒歩10分弱のスーパーマーケットからいえまで持って帰ることくらいできる)
など、ベビーカーを使わなくても生活できる、ということが大きい。

でもそうはいっても龍晴はまだ2歳だ。
たくさん歩く、といっても、
甘えて抱っこ~ということだってたくさんある。
特にいえのまわりだと、疲れて帰ってきているせいもあり
帰ってくるときには抱っこしていることが多い。
そのためいえの近所の方々は、
どうしていつも抱っこなの?どうして歩かないの?
と思っているらしく、
なかには、歩きなさいよ、歩かせなさいよ、と直接、言ってくる方だっている。
今日もそうだった。

そうですね~、と笑いながら、
そこまで歩いてきて疲れちゃってるんですよね、と、
こたえることにしている。そういうときは。
そしてたいていそれは信じていなさそうな顔をされるし、
次に会うときにまた同じことを言われるんだけどね。

でもこういうやりとりをしていて思うのは、
私はそういう方針だから「たまたま」歩かせているだけで、
「たまたま」いえのまわりでは抱っこをしていることが多いだけで、
そのことを偉いとも思わないし(がんばって歩いている龍晴は偉いと思う)、
そのことを悪いとも思わない(だってそりゃ疲れるでしょう。最後の最後で抱っこ、といわれたら、抱っこしてあげたいよね)。
ただなんというか、いろいろなことを想像しないで、
目に見えることだけできっとひとは判断するし判断されるんだろうなあということ。
だから私は少なくとも想像力を持っていたいし
ひとはひと、じぶんはじぶん、わが子はわが子、というスタンスを
少なくとも子どもに関しては持っていたいと強く思うのだ。

たとえばわが家のベビーカーや抱っこについては
ちいさなことだけれども
お母さんに持病があるとか(腰が痛いとか肩が痛いとかも含めて)
子どものそれとか
それぞれにはそれぞれの事情があるのだから。
目に見えることも見えないことも含めて。

夕方、おおきなおおきな虹が出ていた。
帰宅途中、龍晴と一緒に眺める。

だんだんとうっすらとしてきて
さいごは消えてしまうと
龍晴は、虹はおうちに帰っちゃった、といっていた。
かわいいなあ。

そういえば龍晴の耳はまだやわらかくて
とてもよく延びるのだが、
りゅうのみみはどうしてそんなに延びるの?とたずねると、
たぶん、こわれてる。でんちを入れたら治る、と言っていた。

明日は久しぶりに晴れるらしい。
さて明日はどこへ行こうかな。


10/3(木)
晴れた!
うれしい。

午後はニコニコパークに行きたいと龍晴が言っていたので
そうすることにし
午前中に買物を済ませておくことにする。

高田馬場のスーパーマーケットへ。
いくつかのお店をはしごしてから帰宅する。

帰り道、今日は母さん駅からずうっと(龍晴を)抱っこ~などといって
抱っこのまま離れなかった龍晴。
しかし買物の荷物が重い重いと知らずひとりごとをいっていたら
歩く~!といって自ら歩いてくれた。
ありがとう、母さんうれしいよ。
龍晴が思いやりのある子になってくれて。

お昼寝は2時間。
ワッフルとスープとウィンナーが食べたい!と主張するので
昨日つくって余ったため冷凍しておいたワッフルを解凍し、お昼ごはんとする。
残しておいてよかった。
それにしても2日連続同じものなんてよほど好きなんだなあ。

午後はニコニコパークへ。
今日もすこし混んでいる。
暫く遊んでいると、しゃぼん玉としたい、と龍晴。
持ってきているしゃぼん玉をする。
常に2セット持ち歩いているので、
龍晴と私それぞれでしゃぼん玉をつくりあう。

そのうち龍晴はロディに乗りに行き、
そのタイミングでしゃぼん玉に寄ってきた子がいたので、
つかう?と言って貸すと、
龍晴が猛然と走ってきて猛抗議をする。

りゅう、でもいまりゅうは、
ロディに乗っていて、しゃぼん玉は使っていなかったよね?
使っていないのに貸さないというのはおかしいよ、
りゅうだってこの前、砂場でアンパンマンのスコップを貸してもらったよね?
などととくとくと話すが龍晴は号泣。
貸して?と言ってきた子は親の元へ走っていき、
さて龍晴にお説教?である。

なにもこんなところで?という感じだが、
いまいわないとたぶんわからないだろう。

なので、さらにとくとくと説教。

龍晴はかなりの意地っ張りなので
貸さない、貸さない、と言い続けたが
最後にはやっと、使っていないときは貸す、ということを
理解できたようだ。

もちろん明日からすぐに実行、なんてできないに決まっているが
こうやって少しづつ、学んでいくのだろうか。
どうなのかな。

おやつを食べて落ち着いたところで
また遊び再開。
ロディに乗って競争したり、
鉄棒でさかあがりをしたり、
(もちろん支えてだけど)
砂場で遊んだりする。

たっぷり遊んで帰宅。
楽しい時間。


10/4(金)
今日は板橋に住む友だちのいえに遊びに行く日。
Jちゃんという、龍晴より2ヵ月としうえの男の子がいて、
しかし暫くぶりの再会のためとても楽しみにしている。
龍晴も、JちゃんとAちゃん(私の友だち)とあそぶ!ととても楽しみな様子である。

朝のさんぽは短めに、
近くのスーパーマーケットまで。
途中、パワーショベルが動いている場所があったので
そこで暫く見学をし、
鐘のある公園に寄っていく。

帰宅後、お昼寝。

秋になってから龍晴は
5時起き→6時起き→6時半起き、と変遷をたどっているのだが、
お昼寝時間はいままでとさほど変わらない。

というよりむしろ、
お昼寝が近づくと、
寝たいよ~ねんねんしたいよ~と
積極的に眠くなる様子すら見せる。

今日も11時前には寝たいよ~といいはじめたので
お昼寝にすることにする。

1時間くらいは寝るかな?と思っていたのだが
なるべく早く友だちのいえに行って
ゆっくり会いたいなあという私の思惑を察したのかどうか
なんと40分で目覚める。

すこしばかり眠り足りなそうだが
しゃっきりとした様子でもあり、
もう(Jちゃんのところに)行こう!というので
そのまま出かけることにする。

東西線、山手線と乗って、
はじめて(私も)乗る東武線。
龍晴は東武線に大興奮である。

駅に着いてから持ってきたおべんとうを食べ、
友だちとJちゃんと再会。
みんなでバスに乗って友だちの素敵ないえへ。

お互いに意識し、
ときに諍いをし、
でもお互いがいないところでは
たのしく遊びたい、という気持ちが見えたりして
成長を感じる。

友だちともすこしの時間だったけれども
話しができてうれしく思う。

帰り道はタクシーに乗る。
昨日、Jちゃんのいえまでは途中からタクシーだよ?と言っていたため
タクシーに乗りたいモードが炸裂していたのである。
暫く待つと龍晴の好きな黄色いタクシーがやってきたので
それに乗る。

池袋のデパートですこし買物をしてから
山手線と東西線を乗り継いで帰宅する。


10/5(土)
ここのところすっきりしない空模様が続いている。

平日は殆ど顔をあわせない夫と龍晴とが
一緒のときくらいは
できれば晴れてほしいと思っているのだが
一方でどようびの夜、雨が降ると
夫のフットサルは中止になる。
そうすると3人で過ごせる時間が増えるので
それはそれでうれしいななんて思ったりする、
雨のどようびである。

朝のさんぽは夫を見送りがてら、
近くのスーパーマーケットへ。
雨が降っているので龍晴はきいろのレインコートを着て出かける。

スーパーマーケットでは、
警備のおじさんが龍晴にふくろいっぱいのどんぐりをプレゼントしてくれた。
ありがたくいただく。

そういえば昨日は、友だちのいえの帰りに
成増の駅でやはりおじさんから
枝についたどんぐりをもらった。

警備のおじさんや工事のおじさんといい
近所のマンションの管理人のおじさん(おふたりいる)といい
いつも道ですれ違うたびにあたまをなでていくおじいさんといい
おにぎりやさんのおじさんやパン屋さんのおじさんといい
龍晴は「おじさん」や「おじいさん」と仲が良い。

お昼寝後はポーコアポーコさんへ。

行ってみると「貸し切り」の札が下がっているが
先ほど電話したときにはそういうことはおっしゃっていなかった。
聞けば今日は常連さん何組かの運動会が中止になったということで
お店は貸し切りになっていて
みんなでお弁当を食べていらしたのだが
常連のよしみと、常連さんたちとかおなじみのよしみで?
席をつくってもらっていたので
ありがたく入れてもらう。

ランチをいただき、
暫く遊んでから西武線で高田馬場の夫の事務所へ。

降り続く雨で夫のフットサルは中止に(!)。
龍晴は「今日は父さんずうっと一緒にいられる日?」などと
しおらしいことを聞いて
夫を喜ばせていた。


10/6(日)
今日もすっきりしないお天気。
でも雨は降っていない。

朝のさんぽは近くのスーパーマーケットへ。

龍晴は疲れているのだろうか、
3時間近くお昼寝をする。

お昼ごはんを食べてから
大井町へ。

今日は大井町でお祭りのようなものをしている、ということで
出かける。

中野に引っ越す以前、
夫は青物横町に、私は大森に住んでいた。
青物横町は京急線で、大森は京浜東北線と路線は違うのだが、
どちらからも大井町は歩いて15分ほどの距離で
だから夫がまだ恋人だったころの思い出は
大井町がもっとも多い。

たくさんふたりで歩いた街。
夫のことを思いながらたくさん歩いた街。

夫は大井町の前は大阪に住んでいて
上京してきたはじめての街が大井町だ。

だから夫から、大井町でお祭りやってるで、といわれたときに
(夫はこういうとき、大井町へいけへん?とはいわないタイプだ)
ああ夫は大井町へ行きたいんだな、と思ったし
私も行ってみたいな、と思ったのだ。

中野に引っ越してから
この街を歩くのははじめてのことだ。

何年ぶりだろう?
たぶん6年とか7年くらい?

なつかしいねえ、とか
うわあ、ここまだあるわ!とかいいながら
街を歩く。

あの頃はふたりだったけれども
いまはさんにんだ。
夫と龍晴と私と。

龍晴ははじめての街を
めずらしそうに歩く。
手をつないで。
ときには抱っこ、といいながら。

駅のまわりの商店街をいくつも練り歩き
お昼ごはんはお好み焼きを食べ
(以前、行ったことがあるお店だ。本命の青物横町の中華料理のお店はもうなくなっていた)
青物横町までの坂道をくだり
青物横町の商店街を歩き
夫が以前住んでいたマンションの前まで行って
それで帰ってきた。

ああなんて懐かしいのだろう。

胸が焦げるような。
ひりつくような。

決してよいことだけがあったわけではなく
胸がちぎれるようにせつないことも
いま思い出すだけで胸がつまるようなかなしいこともくやしいことも
たくさんたくさんあったのに

でも結局いまいるのは
夫と龍晴と私と
さんにんだ。

そうなのだ。

人生って。

もちろんうれしいこともたくさんあって。
ふわんと胸があたたかくなるような
自然とにこにことしてしまうような
そんなことがもっとずうっとたくさんあったから。

だからいまこうしうて
さんにんでいるのだろう。
夫と龍晴と私と。

ありがとう。
いろいろなことがあって。
懐かしい街をまた歩けて。

いつも龍晴がばんごはんを食べる時間に
まだ私たちは青物横町の駅で電車を待っていて。
まあこんな夜もたまにはいいよねと
私は思っていた。
たぶん夫も。もしかしたら龍晴も。

でも電車がたくさん遅れて
中野に着いたら18時だった。
夫は龍晴を抱っこして
ものすごく急ぎ足でいえまで歩いた。
私はその横を急いでくっついて行った。

いま。私たちが住む場所へ。

そんなにちようび。