10/21(月)
さてまた一週間が
はじまる。

今日はスイムなので
朝のさんぽは短めに。
最近、探検が流行っている龍晴は
いままで行ったことがない道を行きたがる。

ストライダーで早稲田通りを高田馬場方向へ進み、
紅葉山通りを左折。
坂道をくだる。

途中、グラウンドのようなものが見え、
あそこを見てみよう~!という龍晴。

いいよー、と言ったものの
その先になんとアスレティックのある公園があるではないか!
まずい。
いまあれを目にすれば、
とうぶん、いえに帰りたくないというのは必至。
なんとか公園を目に入れさせないように誘導する。

しかしいえの比較的近くに
良さそうな公園を見つけたのは収穫だ。

帰宅後、お昼寝は1時間半。
スイムへ。

寒いせいか今日は私たちを入れて4組しか来ておらず
いつも以上にひろびろのびのびと楽しむ。

今日はどこにも寄らずに帰宅して
いえでのんびり過ごそうと思っていたのだが
新井薬師の公園へ行って、
砂場で遊びたい、と龍晴はいう。
そうなのか。

それなら、ということで
一旦、帰宅してスイムの荷物を置いてから
新井薬師の公園へ。

スイムの場所から自宅までおとなの足で20分。
自宅から新井薬師の公園までおとなの足で15分。
その距離を、いちど、いえで休憩したものの
ずうっと歩くんだから龍晴、なかなかやるかも。

久しぶりのお薬師さん、
おまいりをしてから
公園へ。

砂場でたくさん遊び、
龍晴より1歳ほどおおきな子たちが数名いたので
龍晴もそれとなく滑り台や
みんなで砂場、など、
混ざって一緒に遊ぶ。
その子たちがはだしでいたので
龍晴もはだしで。

楽しそうにしていてよかった。

よく遊んだいちにち。


ところで私の実家では
今年の6月に、営んでいた家業を廃業した。

両親も65歳。

私が高校生のときに
当時、社長だった祖父が事業に失敗し、
土地や家屋を処分してもなお
5億円の負債をもって特別清算となった。
従業員もすべて解雇した。

このまま逃げることもありうる、と
両親と私は逃亡先と新しい職業を本気で探していた。
(兄は世俗に疎いタイプなので
こういう話合いの相手は
当時もいまもたいてい私になるのだった)

日中は銀行や債権者や従業員さんたちと話し合いがあり
(もちろんこの話合いには私は参加していない)
夜になるといつ債権者がやってくるかも知れないと
だいじなもの・・・金目のものはもはやなにもなかったのだが
アルバムやたいせつにしている本など、
汚されたり破損されたりしたくないもの・・・を
父の親しい友人宅に預かってもらいに行ったりする日々。
(祖父は庭の鯉を川に放しに行っていた。とられるくらいなら、と思ったらしい)

高校を辞めて働く、といった私にも
大学へは行かなくていいし、行ったとしても夜間部でいい、といった私にも
父は泣いて、頼むから大学へ行ってくれ、と言った。
自分も夜間部で勉強はろくにできなかった、
だからナオにはどうしても大学へ行ってほしいのだ、と。

そうして結局、さまざまな方々の懇意を得て、
採算性の高い2部門だけを再建させることになったのは
半年後くらいだったろうか。

祖父は引退し、父がすべてを背負った。
再建後、最初の数年間は両親で、
それからの十数年間は主に父が、
そのおおきな山のような負債を返済する。

高校生のころ。
私の目から、父は頼りなくうつった。

それは当時高校生だったから、
というせいももちろんあるのだけれども
でも実際、すこし頼りない、ひとでもあった。

父は変わった。
この二十年間で、ほんとうに変わったと思う。

家業を再建するのは無理かも知れない、と
父はほんとうは思っていた。
そのことを私は知っている。

でも父は、父らしい粘り強さで
地道にひとつづつものごとを処理し
あとは黙って働いていた。

最初のころ。
休みなんて1年に1日もなかった。

そんなふうにしてやってきた、
その家業を
今年、終わりにした。

母からここ数日、
お店を取り壊している写真が届くようになった。

私の実家の家業のひとつは
ガソリンスタンドだった。
地下に埋蔵タンクがあるので
そのまま朽ちさせておくわけにはいかない。
そのためすべてを取り壊し、
まずは更地にする必要があるのだ。

その話は以前から知っていたし、
淋しい気持ちこそあれ
そういうものだよね、とどこかそんなふうに思っていたことは確かだ。

でも。
母から送らえれてくる写真は
どれも私のこころを深く抉る。

ああこんなにも。
私の胸をしめつけるのだ。

いまさらのように思う。
いままで私を。
私たちきょうだいを。
支えてくれてありがとう。

どんなに大変なときも
ひとつも泣きごとをいわなかったお父さん。
どんなに立派なことをしても
ひとつも自慢になるようなことをいわないお父さん。
私は働くようになってはじめて
お父さんのしてきたことの
偉大さがわかったよ。

お父さん。
お疲れさまでした。
たくさんのことをありがとう。

おいしいものは人生をハッピーにする。


10/22(火)
10月も半ばを過ぎたのにも関わらず
公園にはまだ蚊がいる不思議。

昨年も思ったが(というか昨年になって・・・子どもと公園に行くようになって初めて気づいた)、
やはりこの気候は変だと思う。

そういえば見かける昆虫の数や種類も変化している。

私が子どもの頃は、
よく見る蝶々はしじみ蝶だった。
しじみ蝶、もんしろ蝶、もんき蝶、あげは蝶。
の順で、あげは蝶はあまり目にしなかったし、
目にしたとしてもキアゲハで、クロアゲハはさらに珍しかった。

しかし。
たまたまなのかどうか、
しじみ蝶はめっきり見なくなって、
あげは蝶をとてもよく目にする。
その次に多いのは、もんき蝶、それからもんしろ蝶。

と思っていたら、
最近呼んだ江國さんのエッセイに
同じようなことが書いてあった。
やはり錯覚ではなかったのだ。

朝のさんぽは初めて行く公園へ。
しかし思ったよりも狭く、
またアスレティックは小学生くらいの子に向けてつくられたもので
さすがの龍晴にも難易度が高い。
アスレティックですこし遊び、
砂場でたくさん遊び、
それから持ってきたしゃぼん玉をする。

龍晴は今日、しゃぼん玉気分らしい。

戻ってお昼寝。
今日は15分。

午後はポーコアポーコさんへ。
ごはんを食べ、暫く遊んでから
平和の森公園へ。

行く途中、しじみ蝶を久しぶりに見る。
むらさきしじみ。
それもつがいで!

りゅう、あれがしじみちょうだよ、
かわいいねえ、と話をする。
むらさきいろの、ちいさな蝶々。

平和の森でまたしゃぼん玉をし、
プレイジムなどで遊ぶ。

明日から天気が悪いらしい。
今日のうちにたっぷり公園へ行けてよかった。


10/23(水)
意外と天気がまだもっている。

朝のさんぽは城山公園へ。
わりと早い時間帯から保育園の子たちが遊びにきたので
龍晴も俄然、楽しそうに遊びはじめる。

よかった。

ひとりきりの公園より
同じくらいの年の子がたくさんいて
にぎやかな公園のほうがやはり楽しいもの。

たくさんすべりだいを滑り、
ブランコや砂場で遊び、
帰宅。

お昼寝は2時間。

城山公園へ行った日は
運動量が多いので深く長く眠る。

まだ雨が降らないんので
午後は龍晴のリクエストで
平和の森公園へ。

どんぐりをひろってお店屋さんごっこをし
(龍晴は昨日のつづきの、このお店屋さんごっこをしたかったのである)
きのこを探して雑木林のなかを歩いたり
池に葉っぱを流したりして遊ぶ。

西武線で高田馬場へ。

目当ての商品は品切れ。
明日の朝は高田馬場へ行かなくては。


10/24(木)
ここのところずうっと龍晴の卒乳もしくは断乳のことで
悩んでいた。
それは龍晴もたぶん同じで、
もうやめる、と言ったり、飲みたい、と言ったり、
龍晴も龍晴なりに葛藤しているのだなあというのがよくわかっていた。

今朝。
珍しく龍晴は6時過ぎまで起きず、
私はキッチンで先に家事をしていた。

暫くして起きてきて、
そうして私の顔を見るなり龍晴は、
突然、穏やかな顔で・・・いつも龍晴は穏やかなのだが、
いつにも増してすっきりとした顔で、

りゅう、小学生くらいになっちゃった~。
もうおっぱいやめる。

と。
ほんとうに、突然、言ったのである。

りゅう、小学生くらいになっちゃた~
というのは、龍晴がよくいうフレーズで、
もう自分はお兄さんなんだよ、と言いたいときに、
りゅう、小学生くらいになっちゃった~とか、
りゅう、車掌さんくらいになっちゃった~とか、
いうふうに使っている。
その逆に、
りゅう、赤ちゃんになっちゃった~、というのもある。

龍晴。
龍晴。

私は家事の手をとめた。
びっくりして。

もしかしたら今日がそのときなのかもしれない。
そう、卒乳。

胸がぎゅうっとなって、
私は龍晴をぎゅうっと抱きしめる。

りゅう、やめる、って言ってくれてありがとう。

そう言うと龍晴は、
はにかんだように笑う。
私の腕のなかで。

ありがとう。りゅう。
おっぱいやめても、
でもりゅうのこと、ぎゅうっていっぱいするからね。

そう言いながら
泣けてきた。

龍晴が産まれたそのときから
私は毎日毎日、授乳を続けてきた。

授乳をする時間は
龍晴とつながるときでもある。

もちろん授乳以外でのつながりが
いまはどんどんと増えている。
だからこその断乳であり卒乳であるのだけれども
それでもこの2年と5カ月ちょっとのあいだ、
私と龍晴はずうっと
母乳を通してつながっていたのだ。

産まれたばかりのころ。
私は母乳があまり出なくて
それでも完全母乳で育てたくて
がんばってがんばって
1日15回とか17回とか20回とか、
授乳を続けていた。
当時は1回の授乳時間が45分から1時間かかっていたから、
つまり殆ど1日中、
授乳をしていたことになる。

飲みたいと泣いたらとにかくあげること。
そうすることで、いつかは出るようになる。

そのことを信じて、
眠くてもつらくても
頑張った毎日。

そうしてそこまで頑張れたのは
私のしつこい性格と信念と
なにより龍晴がかわいかったから。

毎日、近くの助産院に通って
マッサージもしてもらっていた。
助産院の先生たちが
頑張ってくれたこともあり、
なんとか軌道に乗ったのが3カ月後。

乳腺炎にも何度も悩まされた。

とにかくトラブルが多い私の乳が
完全に落ち着いたのは半年以上経ってから。

離乳食がはじまってからは
母乳好きの龍晴はなかなか食事をしようとせず
そのことでも毎日、本当に悩んでいた。

でもやっぱり龍晴はかわいくて
どんなに悩んでも
食べないことが切なくて泣いても
かわいいのだ。
そう、かわいいのだ。

そうしていま。

私の腕のなかで
乳を飲むことなく眠りに落ちた龍晴は
やっぱりほんとうにかわいらしい。

そんなわけで。
おっぱいいらない、発言を受け、
急遽、今日から卒乳大勢に入った。

朝のさんぽは高田馬場へ行き、
お昼近くに戻り、
いつもならお昼寝なのだが
おひるごはんを食べ、
眠くなさそうなので
予約してあった美容室(私の)へ行った。
帰宅してすぐに晩ごはん。
眠る時間が近づくにつれ、
やっぱり飲みたいと泣いたのだが
泣きやむと
りゅう、しょうがっこうくらいになっちゃった~と
なんども言い、
それはまるで、だからがんばるんだよ、と
言っているようで泣けてくる。
それでも最後は胸のボタンを取って
授乳してほしいと泣くのを
なんとか宥め、
寝室へ。
今日はずうっと抱っこしているからね、と
抱っこを続けていると
間もなく疲れていたせいだろう、
すとんと眠りに落ちた。
かわいい龍晴。
かわいらしい龍晴。

龍晴。
頑張っているね。
これからすこしのあいだ、
つらい思いをするかも知れないね。
でも一緒にがんばろう。

母さんもがんばるよ。

そして。
龍晴。
今日まで、母乳を飲んでくれて
ありがとう。
私のところにきてくれてありがとう。

たくさんたくさん、ありがとう。


10/25(金)
昨晩、龍晴が眠りに落ちてから
やはり2時間おきくらいに目覚め、
その度に、飲みたい、と言ってすこし泣く。
それでも起きて抱っこをすると
またすとんと眠る。
その繰り返しで朝がくる。

卒乳第一夜、はそんな感じだった。

さて今日はどうやって過ごそうか。

昨日、昼寝をしていないから
今日はさすがに眠いのではないだろうか。
お昼寝を授乳なしですることはできるだろうか。

朝のさんぽは近くのスーパーマーケットへ。
帰宅するとやはり眠そうなので
抱っこのまま寝かしつけるが
うとうとしたあとに急に覚醒し
(どうやらおしっこが出たらしい)
そのまましゃきーんとしてしまう。
さらに眠くないからポーコアポーコさんへ行きたい、というので
ランチへ。

ポーコアポーコさんでたくさん遊び、
そろそろ眠そうになってきたのが15時。
うーん、いまから眠ってしまって
果たしてだいじょうぶだろうか。
できれば眠らずにいたらいいなあ、と思いながら
西武線で(龍晴リクエスト)高田馬場へ行き、
山手線で池袋に行き、地下道を歩いているあたりで
龍晴は眠る。
それから買物をし、山手線と東西線を乗り継ぎ中野に着いたところでお目覚め。
ああ重かった・・・。
というか重い・・・。
しかも結局、自宅までずうっと抱っこである。
母さんの背中はバキバキですよ。

晩ごはん後、一緒にダンスをしたり
家中を走りまわったりする。
(もちろん龍晴のねつきをよくさせるための体力消耗を画策)

しかしお昼寝効果でやはり今日はなかなか眠くならず、
というか、
うっすら眠い~眠る、までのあいだの状態が30分続き、
そういう状態のときにもっとも乳を欲しがるため
飲みたい、と何度も泣く。

そのたびに立ちあがって抱っこをし、
龍晴の好きなおうたをうたおうか?といってうたいはじめると
泣きやみ、
程なくするとまたころんしたい(横になりたい)というため
横になり、でもまた飲みたがり、という繰り返し。

最終的に眠るまで40分。
でもきっと、これは同じような状況のひとたちのなかでは
短いほうなのではないかと思う。

しかし。
飲みたい、と泣いている龍晴を抱きしめながら
私まで泣きそうだ。
(というより泣いてしまう)
自立、という体のいいことばの裏で
結局、自分が楽になりたいだけなのではないか。
いや実際、その通りなのだ。

さらに。
龍晴の自主性を重んじたかったので
自分から「いらない」というまで授乳を続けようとしたことに対する
いまさらながらの後悔もたくさん湧いてくる。

ああもしかしたら、
ものごころつく前の1歳とか1歳半くらいのころに
無理矢理でも断乳していれば
龍晴はこんなに葛藤しなくてもよかったのかも知れない、
そのときはいまより泣き叫んだとしても
そんなことあったっけ?と忘れてしまえるくらいの
ちいさい頃に。

そんなふうにも思い、自分を責める。

泣いている龍晴に
がんばろうね、というと
がんばりたくない、と龍晴は泣きながらこたえる。
そうだよね、がんばりたくなんかないよね、
たくさん飲みたいんだよね。
ごめんね。

だから今日は、ごめんね、と何度も謝った。
ごめんね、母さんの都合で
もうあげられない。
でもそのぶん、こうしてぎゅうっとずっと抱きしめているよ。

うたをうたっているうちに
またころんしたいと龍晴はいい、
うたを聞きながら龍晴は眠りについた。

かわいい龍晴。

ごめんね、龍晴。


10/26(土)
卒乳3日目。

昨晩はなんと2度しか目を覚まさなかった。
卒乳効果がもう現れたのだろうか。

明け方の覚醒のときはやはり飲みたがり
泣く。
かわいそうになるが私も我慢だ。

今日はいえの近くの、
龍晴が通ってもいいかなと思っている幼稚園のバザーがあり
雨のなか出かける。

園長先生がとても感じの良い方で、
園内の雰囲気もあたたかみがあり
園庭がすこし狭いのが残念なものの
体育館もあるし(といっても教会の礼拝堂ですが)、
ここで良いかな、という印象。

夫にも同伴してもらったのだが
やはり同じイメージだったようで
安心する。
床もぜんぶ木でできているところが
夫はとても気に入ったようで
あたたかみがあってええやん、と言っている。

仕事に行く夫とはバザー内でさよならし、
龍晴と暫くバザー会場を楽しみ、
帰宅。

行きはタクシーで行ったが
帰りは歩き。
歩いても10分かからない距離である。

今日もやはりお昼寝はせず、
お昼ごはんを食べたあとは
夫の事務所に行きたい!と張り切っているので
なんとかなるか、とそのまま出かける。

バスで小滝橋を経由し、高田馬場へ。

夫のオフィスでひとしきり遊んでから
帰宅する。

今日は卒乳がらみもあり、
夫にはフットサルを休んでもらった。


10/27(日)
卒乳4日目。

昨晩もやはり2回、起きただけだった。
しかしやはり明け方は
強い覚醒のため、母乳を求めるのも強い。

午前中に、堤助産院で卒乳の経過(私のからだの)を
診てもらうことにしている。
龍晴を連れていくのはさすがに不憫なので
夫と龍晴でさんぽに行ってもらい、
私はひとりで堤助産院へ。

先生に診ていただき、
経過が順調なので(つまり順調に出なくなってきている、という意味)、
本来は1週間後に処理をするが
2週間後にしましょう、といわれる。

そろそろ終わるよ、と夫にメールをしておくと
助産院の近くのコンビニエンスストアまで
龍晴とやってきていたとのことで
そこで待ち合わせる。

私をコンビニエンスストアのそとに見つけた龍晴は
あ!という顔をして
ドアのところに走っていき、
ほんとうにうれしそうな顔で私に抱きついてくる。

龍晴はお昼ごはんを食べてから、
夫と私はそとごはんとし、
龍晴とともに出かける。

夫の買物に付きあったり、
龍晴は夫におもちゃを買ってもらったりする。

帰宅後、龍晴とひと悶着。
気分転換に夫に屋上と、それからそとへ連れて行ってもらって
そのまま眠ってしまう。

ごめんね、龍晴。

目覚めてから晩ごはん。
龍晴は好物の唐揚げを大量に食べていた。