今日も定時ダッシュ -79ページ目

エルシャダイ Easyクリア

 まずは無難にEasyモードからプレイして、特に詰まることもなく(山ほど死んだが)クリアできました。かなり面白かったです。

 で、このゲームをプレイして思ったのは「古き革袋に新しき酒を」という言葉でありました。これは元々「新しき酒は新しき革袋に」というのがオリジナルで、古き革袋に新しき酒をという言葉は「新しいことを古い体制で行っても破綻する」というネガティブな意味合いなのだけれど、自分の中では「見慣れた事でもアイディアを加えることで新しい魅力が引き出される」というニュアンスが強い。温故知新というのか、モッタイナーイというのか。

 先ず何が古いかというと、ゲームとしての「エルシャダイ」のベースが、まさか2Dと3Dを織り交ぜたスクロールアクションだったとは。一番近いのはやっぱり「スーパーマリオ」だよな。中盤あたりからアスレチックコースが連続して、何度も落ちてはその都度クリアのタイミングを体で覚えるという、昔からのストイックなアクションを踏襲しています。

 しかもこのゲームには残機の概念がない。Easyモードは一番いい装備が全快になって復帰するので、ゲームの止め時が完全にプレイヤーに委ねられている。コースから落ちても敵にやられても実質的なペナルティーがないので、プレイヤーは程々にアクションゲームの緊張感を楽しみつつ、先のストーリー展開が気になってゲームに没頭していくという仕掛けになっています。ストーリーは(後で書くつもりですが)決して手放しで誉められるものでもなかったが、Easyモードの感想は、うまい具合にゆるくハマれました。

エルシャダイ

 このゲームを知ったのは一時期大いに盛り上がった「大丈夫だ、問題ない」のPVからだが、余程のネタゲーと思いきや、なかなかにゲーム自体の独特さが伝わってきました。

 先ずビジュアルが非常に斬新で、画面の情報量を極力削ぎ落として、そして必要なだけのビジュアルで摩訶不思議な世界を作っている。おそらくこのビジュアルコンセプトと連なった発想だと思うが、「エルシャダイ」はゲーム画面にHPゲージやアイテム表示等の情報が一切なく、ゲーム画面さえ見れば全てが理解できる作りをしている。自分がこのゲームを買う気になったは、この「不要な情報を極力省く」という清々しいコンセプトのためである。

 大体普通は出来る事の幅が広がるとプラスの発想をしがちで、今のゲームの九分九厘は「あれも必要、これも必要」とゴテゴテと機能を盛ることをゲームの面白さに結びつけている。けれどもこのゲームはビジュアルで世界観からゲーム性まで全て説明してしまおうというコンセプトの元、「あれも要らない、これも要らない」とどんどん要素を削いでいる。このミニマリズムの姿勢がカッコいい。話題になった「大丈夫だ、問題ない」もおそらくこの発想で、主人公に一言だけしゃべらせるとしたらどんなセリフにするか?という考えがあって生み出されたセリフだと思う。

 ビジュアルでいえば、主人公二人の絵がなんだかとてもゲイチックで、特にイーノックの一番いい装備をした姿がブラカップ付きのデコルテ!しかも攻撃を受けるとどんどん砕けていくって、これ主人公が女の子だったら普通にエロゲにありそうなネタであります。そうやって偏見たっぷりに見ていくと、デニム姿のイーノックの股間が微妙に強調されているとか、ベイルを装着した姿が振り袖っぽいとか、なんだか色々気になってきて、やだ、アタシってばもしかしてドキドキしてるゥ状態。

 ということで「エルシャダイ」は自分にとって、Kinect関連のゲーム以外で、はじめて発売日に購入したゲームになったのでした。

FF13 プラウド・クラッド(2回目)

 11章を経て、自分の中で何かが変わった。

やっぱり一本道はツマラン


 それまではシナリオを優先した一本道もそれなりに利点はあるだろうと思いながら進めていたのだけれど、一端オープンワールドを味わってしまうと、その後の一本道が果てしなく苦行に感じられるようになった。塔の中では多少のギミックがあったり、街は少しだけ道が枝分かれしていたけれど。

 それでも戦闘は相変わらず楽しいので、それに縋って先に進んでいったものの、12章のボスで遂に詰まった。メンツを変えたり攻略サイト見たりで何度もトライしたものの、自分の拙い腕ではもうダメ。

 ということで、遂に抜く時がやってきました。伝家の宝刀・EASYモード。

 これさえあればサクサク進んであっという間にクリア間違え無し。と一気に終わらせるべく意気込んでみたものの、イージーモーードでも~~~ たおせなーーーいいーーー 

 なんかもう、倒せないことに何の悔しさもエンディングを見られない未練もなくて、「愛の裏返しは憎しみではなくて無関心」なんて言葉を思い出した40の春。わたしまけましたわ(回文)。

 こうやって考えると、FF13を最後までプレイして貶した人や、2ch等で面白おかしくネタにしていた人達って、基本的にFF13に愛情があった人達だと思う。

 まあそのうち再会することもあるかも、と思いながら、とりあえずFF13のことは忘れようっと。
 

ポケモンBW ポケモンの育て方・基礎ポイント

 とりあえず満足できる個体値を持ったゴチムは手に入れた。次はポケモンを育てるのだ。しかしその前に、努力値とも呼ばれる基礎ポイントを上げる必要があります。

 基礎ポイントとは何ぞやという説明はバッサリ割愛し、とにかくこれを貯めておくと、レベルが上がった時にHPや攻撃のパラメーターの上がり幅も大きくなるのだ。そのため、このポケモンは攻撃力を高めたいとか素早さを上げたいといった計画のもと、それぞれの基礎ポイントを上げていく作業が必要になる。

 基礎ポイントを上げる方法は以下の3つ。
 1.ポケモンを倒す。
 2.ドーピングする。
 3.橋に落ちている羽を飲む(なんだか理不尽)。

 自分は、まだポケモンに慣れていない頃は、限度までドーピングした上で、ポケモンを倒すという手段をとっていました。しかし多少物の分かった今になって思うのだが、ポケモンを倒すということは基礎ポイントと共に経験値も手に入るので、経験値に応じてポケモンもレベルが上がる。ということは、基礎ポイントが上がりきっていないうちにレベルが上がるということで、基礎ポイントを上げきってからレベルアップするよりも能力が劣るのではないだろうか。

 最終進化ではないゴチミルを使うということは、既に能力的にハンディがある。その中で最大の能力を引き出そうとするなら、ポケモンを倒して経験値を手に入れる前に基礎ポイントを上げきらねばならない・・・のではないだろうか。いや、きっとそうだ。ウッカリしていたでござるよ。

 となると、ドーピングしたうえで橋に落ちている羽を飲む(分からないヒトは無視してください・・・)方法しかないのだけれど、基礎ポイントを上げきるのに必要な152枚の「たいりょくのハネ」をためるのはものすごく難儀なことであります。もうさっきから「きんりょくのハネ」ばっかり出てきやがってコレって絶対ランダムじゃなくて係数使ってるだろゲームフリークのイケズ!!

神々と男たち

 「イリュージョニスト」は故意にセリフを極力省き、全てをアニメーションで伝えることに腐心した跡が見て取れるが、この「神々と男たち」は映像で伝えること、セリフやモノローグで伝えること、音や音楽で伝えること、色々な手段を用いて修道士たちの辿った軌跡を表現している。

 日々の生活や村人との交流はセリフを抑えて映像だけで綴られており、村人を診察する姿や蜂蜜を作って市場にゆく姿を丁寧に描写している。平穏なシーンが割と長く続いて、頭にスカーフを巻いていないために殺された少女の話の後に、かなり唐突にブルドーザーのエンジン音と共にイスラム原理主義のテロリストが現れる。

 この機械による耳障りな音は外から襲いかかる暴力の象徴であり、テロリストのみならず政府軍のヘリコプターの爆音や修道院の門を破って侵入する車など、とても分かりやすい特徴を伴っている。初めてテロリスト達が修道院に来た時に車を使っていなかったのは、その時の彼らは暴力を伴った存在ではなかったからだと思う。そして修道士達が使う車は途中でエンジンが止まってしまうようなポンコツ車である。

 修道士の聖歌は外からの暴力に対抗する手段であり、映画の中盤で修道士達が肩を組んで歌う姿こそが彼らが戦う姿で、生きる姿なのだろう。この映画の中で唯一のBGMである「白鳥の湖」も、聖歌と同様に神に通じるものとして、彼らが修道院で生き続ける意味を与えるものとして存在している。

 そういった映画的な要素の上で語られるセリフやモノローグは極めてストレートで、何故アルジェリアに残る決断をしたのかをハッキリと述べている。これは逆に考えれば、ここまで誤解の余地なく明らかにしなければ、当のフランス人ですら「なぜ彼らは無駄死にの道を選んだのか」などと思われかねないからではないかと思う・・・が、そのお陰で日本人にとっても手に取るように分かりやすくなっている。

 この映画のタイトルである「神々と男たち」について、ほとんど直感だが、この「男たち」というのは直訳ではあるが誤訳っぽいように思える。神々がキリストやアッラーのことではなく、人自身であるということが映画の冒頭で語られているので、現代のHommesとDieuxというのはどちらも人を指しているのだろう。邦題だと男というのが修道士たちだけを指しているように思えてしまうが、おそらく村人やテロリストも含めた全ての人を指しているのではないかと思う。それを「神の子ら」と言ってしまうとややこしい事になりそうなんだけど。

こんな人にオススメ:宗教的なことに関心がなくても、いつか観るべき映画ではないかと思います。