ミスター・ノーバディ
今からもう20年も前になりますが、ジャコ・ヴァン・ドルマル監督の「トト・ザ・ヒーロー」を観てものすごくハマってしまいました。オープニングからエンディングまで一切の無駄のない映画で、面白くて、悲しくて、幻想的で、ストーリーの捻り方から音楽の使い方まで、もう何から何まで当時の自分の嗜好にピッタリだった。今でも好きな映画を選べと言われたら真っ先に選ぶ一本です。
そしてビデオで見返す機会のないまま20年が経ち、未だにDVD化を待ち望む一方で、もう自分は当時の柔軟な感性を持っていないことも自覚しており、今更見返して「なんでこんな甘ったるい映画が好きだったんだ?」という感想を抱きかねないのが怖くて。ドルマル監督の新作ついでにウッカリDVD化されてしまわぬよう、ここ数年はいっそこのまま監督が引退してしまえば自分の宝物のような映画の記憶を汚さずに生きていけるという非常にネガティブな思いに囚われ、監督はこのまま出てくんなだの、いっそひっそり死んでくれだの、とにかくまあ、誠に身勝手な事を思っていた次第でございます。
そういう訳で爾来20年。前作の「8日目」から数えても15年の歳月が経ち、殺人の時効だって以前は15年だったのだから、もう大丈夫だろうと思っていた矢先、なんとまあ今更ドルマル監督の新作が公開されてしまいましたとさ。
長い沈黙を破った「ミスター・ノーバディ」は、これはミシェル・ゴンドリー的なメタ構造を持つ映画で、確かに過去の映画でも今回のメインプロットでもある「あの時ああいう選択をしなかったら?」という要素はあったのだけれど、ここまでやられると正直付き合いきれん。ややこしい映画なのにキチンと理解できるように作ってあって凄いとは思うが・・・正直オッサンになった自分にとって、かなり苦手な部類の映画でした。この映画で言われている「どんな人生でも成功である」なんて、それこそ「トト・ザ・ヒーロー」で既に(そしてもっと達者に)語ってるんじゃない?
しかし、これももう20年も経って、自分が老人となった頃に観ればまた違う感想を抱くかもしれない。それくらい懐の深い映画だとは思う。やっぱりこの映画のついでに「トト・ザ・ヒーロー」もDVD化されることを期待しつつドルマル監督は次回作がんばってください。
こんな人にオススメ:逆に考えれば、ゴンドリーが好きな若者ならばインパクトがありそう。
そしてビデオで見返す機会のないまま20年が経ち、未だにDVD化を待ち望む一方で、もう自分は当時の柔軟な感性を持っていないことも自覚しており、今更見返して「なんでこんな甘ったるい映画が好きだったんだ?」という感想を抱きかねないのが怖くて。ドルマル監督の新作ついでにウッカリDVD化されてしまわぬよう、ここ数年はいっそこのまま監督が引退してしまえば自分の宝物のような映画の記憶を汚さずに生きていけるという非常にネガティブな思いに囚われ、監督はこのまま出てくんなだの、いっそひっそり死んでくれだの、とにかくまあ、誠に身勝手な事を思っていた次第でございます。
そういう訳で爾来20年。前作の「8日目」から数えても15年の歳月が経ち、殺人の時効だって以前は15年だったのだから、もう大丈夫だろうと思っていた矢先、なんとまあ今更ドルマル監督の新作が公開されてしまいましたとさ。
長い沈黙を破った「ミスター・ノーバディ」は、これはミシェル・ゴンドリー的なメタ構造を持つ映画で、確かに過去の映画でも今回のメインプロットでもある「あの時ああいう選択をしなかったら?」という要素はあったのだけれど、ここまでやられると正直付き合いきれん。ややこしい映画なのにキチンと理解できるように作ってあって凄いとは思うが・・・正直オッサンになった自分にとって、かなり苦手な部類の映画でした。この映画で言われている「どんな人生でも成功である」なんて、それこそ「トト・ザ・ヒーロー」で既に(そしてもっと達者に)語ってるんじゃない?
しかし、これももう20年も経って、自分が老人となった頃に観ればまた違う感想を抱くかもしれない。それくらい懐の深い映画だとは思う。やっぱりこの映画のついでに「トト・ザ・ヒーロー」もDVD化されることを期待しつつドルマル監督は次回作がんばってください。
こんな人にオススメ:逆に考えれば、ゴンドリーが好きな若者ならばインパクトがありそう。
少女たちの羅針盤
4人の女子高生が劇団を作り、芝居に打ち込む姿が清々しいこの映画。とにかく女の子だけで一本保ってしまうというのが映画らしくて嬉しい。これがテレビだったら女性ウケを狙うために男ばっかり出て来るもんなー。
さて。この映画は舞台に打ち込むだけでなく実際に舞台のシーンがある。舞台のシーンを映画にどう盛り込むかについては昔から色々と試行錯誤されているが、「少女たちの羅針盤」においては舞台のライティングを映画のライティングに合わせるという手法を取っていて、舞台のシーンが映画的にも見せ場として機能している。
彼女たちがストリートで芝居をする際に使った照明が懐中電灯で、セリフを喋る少女の顔をオレンジ色の斑のある照明が照らす。懐中電灯の灯りをここまで目立たせるためには周囲の照明はかなり暗い筈で、普通の映画ならば照明を使って実際よりも明るくするところを、この映画では芝居のライトを目立たせるために普段の風景は実際よりも暗くしているように思う。映画を観ている最中、「なんだかこの映画の雰囲気はどこかで知っている・・・」と思っていたのだが、この照明の暗さはピンク映画を彷彿とさせる。あっちは照明も少ない上に映画館の映写設備も悪いため、往々にして暗がりのシーンがホントに真っ暗になってしまうこともあるのだが、「少女達の羅針盤」は舞台の照明を本当らしく見せるために、それをワザとやっているようだ。
舞台以外のシーンでは、成海璃子と森田彩華が地下道で会話をするシーンの照明が印象的で、向かって左にいる森田彩華の側に天井からライトが当たり、右側の成海璃子が半分影に隠れている。このシーンの撮り方もなんだか演劇的。などと思って観ていたので、この映画の終わり方は「さもありなん」と思った。舞台に立つ4人の少女を吸い込んで行く青い光が非常に印象深い。
さて。この映画を少女たちの高校時代のスナップとして捉えるととても面白かったのだが、しかし実際は彼女達のうちの一人が殺され、それが他のメンバーだったことを冒頭で匂わすというミステリ仕立てになっている。なぜこんな要らんモンをくっつけると思ったら、コレの原作がミステリー文学賞だったからのよう。だから何だというのだ!薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」なんて日本のアガサ・クリスティと呼ばれた夏樹静子の原作を劇中劇に押しやって徹底的に無視しまくったというのに、こんなポッと出(失礼)の小説に何の義理立てをする必要があったのだ。原作は分かりませんが、映画は明らかにミステリパートと高校時代のパートのバランスが悪く、いっそ高校時代のパートだけで作ったほうが良かった。
あとヒロインの成海璃子は、一時期よりちょっと痩せた感じで、これが無理して痩せたのでなきゃいいのですが、それよりも立ち姿を奇麗に見せるべく前首を直しなさい。
こんな人にオススメ:テレビでは死滅したと思われる、女の子だけの青春ドラマに飢えている人々に。
さて。この映画は舞台に打ち込むだけでなく実際に舞台のシーンがある。舞台のシーンを映画にどう盛り込むかについては昔から色々と試行錯誤されているが、「少女たちの羅針盤」においては舞台のライティングを映画のライティングに合わせるという手法を取っていて、舞台のシーンが映画的にも見せ場として機能している。
彼女たちがストリートで芝居をする際に使った照明が懐中電灯で、セリフを喋る少女の顔をオレンジ色の斑のある照明が照らす。懐中電灯の灯りをここまで目立たせるためには周囲の照明はかなり暗い筈で、普通の映画ならば照明を使って実際よりも明るくするところを、この映画では芝居のライトを目立たせるために普段の風景は実際よりも暗くしているように思う。映画を観ている最中、「なんだかこの映画の雰囲気はどこかで知っている・・・」と思っていたのだが、この照明の暗さはピンク映画を彷彿とさせる。あっちは照明も少ない上に映画館の映写設備も悪いため、往々にして暗がりのシーンがホントに真っ暗になってしまうこともあるのだが、「少女達の羅針盤」は舞台の照明を本当らしく見せるために、それをワザとやっているようだ。
舞台以外のシーンでは、成海璃子と森田彩華が地下道で会話をするシーンの照明が印象的で、向かって左にいる森田彩華の側に天井からライトが当たり、右側の成海璃子が半分影に隠れている。このシーンの撮り方もなんだか演劇的。などと思って観ていたので、この映画の終わり方は「さもありなん」と思った。舞台に立つ4人の少女を吸い込んで行く青い光が非常に印象深い。
さて。この映画を少女たちの高校時代のスナップとして捉えるととても面白かったのだが、しかし実際は彼女達のうちの一人が殺され、それが他のメンバーだったことを冒頭で匂わすというミステリ仕立てになっている。なぜこんな要らんモンをくっつけると思ったら、コレの原作がミステリー文学賞だったからのよう。だから何だというのだ!薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」なんて日本のアガサ・クリスティと呼ばれた夏樹静子の原作を劇中劇に押しやって徹底的に無視しまくったというのに、こんなポッと出(失礼)の小説に何の義理立てをする必要があったのだ。原作は分かりませんが、映画は明らかにミステリパートと高校時代のパートのバランスが悪く、いっそ高校時代のパートだけで作ったほうが良かった。
あとヒロインの成海璃子は、一時期よりちょっと痩せた感じで、これが無理して痩せたのでなきゃいいのですが、それよりも立ち姿を奇麗に見せるべく前首を直しなさい。
こんな人にオススメ:テレビでは死滅したと思われる、女の子だけの青春ドラマに飢えている人々に。
富江 アンリミテッド
原作も一部しか読んでいないし、映画も全部観た訳じゃないのですが、菅野美穂だけが光っていた初代「富江」、清水崇監督が普通のホラーとして撮ろうとして失敗した感のある「富江 re-birth」、中原俊監督がホラーそっちのけで女の子二人の淡いレズものにしてしまった「富江 最終章」。どうでもいいけど宮崎あおいはコレに出たことを黒歴史にしたいんじゃないかと思う。どいつもこいつも富江を分かっちゃいない(←偉そう)。分かっちゃいないが富江役のキャスティングだけは良かったので、「まあこんなもんか」などと消化不良の思いを抱えて10年が過ぎました。
しかし井口昇監督にバトンが回ってようやく、ようやく富江の本性を理解した映画が作られました。しかも今回の富江役は、笑わない(元)グラドル・仲村みう。映画では山ほど不気味に笑っていて、しかも彼女の容貌が他の有象無象よりあきらかに数段上で富江の魔性に説得力がある。彼女自身もアンリミテッドな富江に相応しい熱演を見せてくれます。
楳図かずおの発言に「ホラーとギャグは紙一重」というものがあるが、「富江」は明らかにギャグサイドに半歩踏み入れた作品なので、その辺りも井口演出との相性も良い。井口映画では常連のヨシエちゃんの口に肉棒がズルズルと入りこむシーンなど、きっちりと「富江」の特徴を押さえつつ、しっかり自分のこだわりも映画に盛り込んでいます。そいえば今回のヨシエ役は今をときめくAKB48の子らしいけど、なんだか非常に面白い目に合わされている。
この映画が普通のホラーとは一線を画している一番の理由は、映画の終わり方にあると思う。これをオチと言ってもいいのだけれど・・・オチと言う程奇をてらった終わり方ではない。それまでのストーリーを振り返れば非常に納得のいく終わり方なのだが、あのラストのおかげで「こんな映画初めて観た」と驚きもした。演出のタイミングが何もかもドンピシャで、やっぱり井口昇は冴えてるなあ。
こんな人にオススメ:井口昇は絶対来るから今のウチに押さえておこう!
しかし井口昇監督にバトンが回ってようやく、ようやく富江の本性を理解した映画が作られました。しかも今回の富江役は、笑わない(元)グラドル・仲村みう。映画では山ほど不気味に笑っていて、しかも彼女の容貌が他の有象無象よりあきらかに数段上で富江の魔性に説得力がある。彼女自身もアンリミテッドな富江に相応しい熱演を見せてくれます。
楳図かずおの発言に「ホラーとギャグは紙一重」というものがあるが、「富江」は明らかにギャグサイドに半歩踏み入れた作品なので、その辺りも井口演出との相性も良い。井口映画では常連のヨシエちゃんの口に肉棒がズルズルと入りこむシーンなど、きっちりと「富江」の特徴を押さえつつ、しっかり自分のこだわりも映画に盛り込んでいます。そいえば今回のヨシエ役は今をときめくAKB48の子らしいけど、なんだか非常に面白い目に合わされている。
この映画が普通のホラーとは一線を画している一番の理由は、映画の終わり方にあると思う。これをオチと言ってもいいのだけれど・・・オチと言う程奇をてらった終わり方ではない。それまでのストーリーを振り返れば非常に納得のいく終わり方なのだが、あのラストのおかげで「こんな映画初めて観た」と驚きもした。演出のタイミングが何もかもドンピシャで、やっぱり井口昇は冴えてるなあ。
こんな人にオススメ:井口昇は絶対来るから今のウチに押さえておこう!
星を追う子ども
新海誠監督の作品は「ほしのこえ」しか観ていないのだけれど、この中に込められた情感はとても好きなものだった。監督は失われた時間や今過ぎ去っていく時間、手を伸ばしても届かない思いというようなものに非常に哀切を抱いているように感じ、その世界に浸るのはとても心地よかった。
このような、瞬間が通り過ぎた跡を留めるような物語はSF短編に多くあり、「ほしのこえ」も必然的にワン・アイディアのSF的な短編に則ったものだった。その後の作品も(観てないけど)「ほしのこえ」に準ずるセンチメンタルを持ち、思春期の、やはり特にオタクな少年少女のナイーブな一面を直撃する作風を持つ監督として、非常にファンも多いのではないかと思う。
それが「星を追う子ども」では思いっきり作風を変更し、これまでのマイナー・ウジウジ路線が、メジャー・キンキラ路線への野心を剥き出しに。その剥き出し方が「宮崎駿の演出をパクる」という身も蓋もない手段で。ただし宮崎駿のアニメーションの描写にかける執念はとにかく凄まじいので、部分を真似たところで真似きれていないほうに目が向いてしまい、観ているこっちは返って興ざめしてしまうという、このオマージュ作戦は新海監督の持ち味を削いでいると思う。
けれどもそれは観る者よりも監督こそ十分了解している筈で、マイナスを承知で表現したかったことがあったんじゃないかと思う。ここからはワタクシの妄想ですが、「星を追う子ども」は「もののけ姫」を新海監督流に語り直したかったのではなかろうかと。世の中を善悪に分けるのではなく、誰もが各々の人生を抱えている中で明快な答えを出さなかった「もののけ姫」に、何とか新海監督が自分の思いを回答をしたかったのではないかという気がする。なので、ジブリっぽさが鼻につく中で、新海監督らしさもちゃんとこの映画にはあったのだ。あとまあ好意的に観れば、宮崎駿の真似だって力がなきゃ出来ない訳で。
映画の中で、アスナの母親が帰宅時に家に入る前にタバコを吸うシーンがあるのだけれど、どうもあのタバコの吸い方が、仕事が終わってリラックスして吸っているというよりは、ストレスをタバコで押さえ込んでいるような感じで気になった。そうだとすると母親は娘に対してもっと刺のある接し方をするのではないかと思う。そうでなくても「娘のスカーフを持った男が野垂れ死にしていた」なんて聞けば普通は娘の素行を疑うもんじゃない?
こんな人にオススメ:新海監督の今後に期待しつつ、とりあえず今回はお布施のつもりで。
このような、瞬間が通り過ぎた跡を留めるような物語はSF短編に多くあり、「ほしのこえ」も必然的にワン・アイディアのSF的な短編に則ったものだった。その後の作品も(観てないけど)「ほしのこえ」に準ずるセンチメンタルを持ち、思春期の、やはり特にオタクな少年少女のナイーブな一面を直撃する作風を持つ監督として、非常にファンも多いのではないかと思う。
それが「星を追う子ども」では思いっきり作風を変更し、これまでのマイナー・ウジウジ路線が、メジャー・キンキラ路線への野心を剥き出しに。その剥き出し方が「宮崎駿の演出をパクる」という身も蓋もない手段で。ただし宮崎駿のアニメーションの描写にかける執念はとにかく凄まじいので、部分を真似たところで真似きれていないほうに目が向いてしまい、観ているこっちは返って興ざめしてしまうという、このオマージュ作戦は新海監督の持ち味を削いでいると思う。
けれどもそれは観る者よりも監督こそ十分了解している筈で、マイナスを承知で表現したかったことがあったんじゃないかと思う。ここからはワタクシの妄想ですが、「星を追う子ども」は「もののけ姫」を新海監督流に語り直したかったのではなかろうかと。世の中を善悪に分けるのではなく、誰もが各々の人生を抱えている中で明快な答えを出さなかった「もののけ姫」に、何とか新海監督が自分の思いを回答をしたかったのではないかという気がする。なので、ジブリっぽさが鼻につく中で、新海監督らしさもちゃんとこの映画にはあったのだ。あとまあ好意的に観れば、宮崎駿の真似だって力がなきゃ出来ない訳で。
映画の中で、アスナの母親が帰宅時に家に入る前にタバコを吸うシーンがあるのだけれど、どうもあのタバコの吸い方が、仕事が終わってリラックスして吸っているというよりは、ストレスをタバコで押さえ込んでいるような感じで気になった。そうだとすると母親は娘に対してもっと刺のある接し方をするのではないかと思う。そうでなくても「娘のスカーフを持った男が野垂れ死にしていた」なんて聞けば普通は娘の素行を疑うもんじゃない?
こんな人にオススメ:新海監督の今後に期待しつつ、とりあえず今回はお布施のつもりで。
塔の上のラプンツェル
日本のアニメにがんばって欲しい身としては、ディズニーにおけるピクサー側の映画はまあいいとしても、ここのところのディズニー側の映画の目を見張るクオリティの高さには危機感を抱いている。危機感て。
あまり評価されていないけれど、これまで2作が公開されたティンカーベルのシリーズにて、セル画で描かれたティンクの愛らしさを見事にCGで再現されている上に、ディズニー顔の美女たちもなかなかに上手いこと表現されている。これは中々に凄いことだと思う。このままでは日本のCGアニメはおろか(←そもそも同じ土俵にすら上がれていない)、セルアニメですら追い越されてしまうのではないかとヒヤヒヤものであります。
ここでワタクシが思うところのセルアニメがCGアニメに勝る理由を述べますと、単純に言うとCG映画ってみんな同じに見えませんか?どっかで観たよな動物モノとか、ディズニーだろうがドリームワークスだろうが人間のキャラクターデザインがソックリとか。翻ってセルアニメの場合、例えば「クレヨンしんちゃん」と「もののけ姫」と「攻殻機動隊」を同列に語る意味があるのか?というくらい全然違っている。ディズニーの古典アニメしかり、今敏のリアル表現しかり、セルアニメの世界はなんと豊かであることよ。それに比べてCGアニメなんて、ストーリーばっかり誉められてるっていうのはアニメとしてどうよ。
これは主にCGアニメの技術がまだまだ発展途上だというだけで、「ナイン 9番目の奇妙な人形」は際立ったビジュアルで他のCGアニメとは全く違っているように、そのうちもっと作家性の強いビジュアルになってくるに決まっているのだが、しかし今はまだセルアニメの自由さに比べれば、CGアニメは総じてとても堅苦しく見える。
しかしそんな中、ディズニー製作のCGアニメはかつての光り輝くディズニーアニメにかなり迫っている。映画の中でヒーロー役の男がラプンツェルの機を惹こうとスカした表情に変わるシーンで、そのCGとは思えない滑らかな描写に「ついにここまで来やがったか」と思ったのでありました。ヒロインが暗がりから明るい場所に出てくるシーンもかつてのディズニーを彷彿とさせ、何より夜空に浮かぶ無数の提灯(?)のシーンのロマンチックさはただもうお見事の一言。3Dはまだまだ時期尚早と嘯くワタクシは2Dで観たのだけれど、ここだけは3Dで見たかった。
だがしかし。まだまだ死角はある。「塔の上のラプンツェル」はピクサーの血が入っているだけあってストーリーもとても練られており、ラプンツェルが(偽の)母親に内緒で初めて塔から出るくだりなどは、ギャグっぽい演出はされているものの、本当には母親に愛されていなかった子供としての欠損を抱えたアンビバレントな行動をとっており、そういう詰めはしっかりしているが、ラストの親子再会のシーンのフリンの扱いはちと強引すぎた。そうまでしてストーリーを語る必要はないと思うのだが、どうでしょうか皆様。
こんな人にオススメ:かつてのウットリ系のディズニーアニメが大好物ならば是非。
あまり評価されていないけれど、これまで2作が公開されたティンカーベルのシリーズにて、セル画で描かれたティンクの愛らしさを見事にCGで再現されている上に、ディズニー顔の美女たちもなかなかに上手いこと表現されている。これは中々に凄いことだと思う。このままでは日本のCGアニメはおろか(←そもそも同じ土俵にすら上がれていない)、セルアニメですら追い越されてしまうのではないかとヒヤヒヤものであります。
ここでワタクシが思うところのセルアニメがCGアニメに勝る理由を述べますと、単純に言うとCG映画ってみんな同じに見えませんか?どっかで観たよな動物モノとか、ディズニーだろうがドリームワークスだろうが人間のキャラクターデザインがソックリとか。翻ってセルアニメの場合、例えば「クレヨンしんちゃん」と「もののけ姫」と「攻殻機動隊」を同列に語る意味があるのか?というくらい全然違っている。ディズニーの古典アニメしかり、今敏のリアル表現しかり、セルアニメの世界はなんと豊かであることよ。それに比べてCGアニメなんて、ストーリーばっかり誉められてるっていうのはアニメとしてどうよ。
これは主にCGアニメの技術がまだまだ発展途上だというだけで、「ナイン 9番目の奇妙な人形」は際立ったビジュアルで他のCGアニメとは全く違っているように、そのうちもっと作家性の強いビジュアルになってくるに決まっているのだが、しかし今はまだセルアニメの自由さに比べれば、CGアニメは総じてとても堅苦しく見える。
しかしそんな中、ディズニー製作のCGアニメはかつての光り輝くディズニーアニメにかなり迫っている。映画の中でヒーロー役の男がラプンツェルの機を惹こうとスカした表情に変わるシーンで、そのCGとは思えない滑らかな描写に「ついにここまで来やがったか」と思ったのでありました。ヒロインが暗がりから明るい場所に出てくるシーンもかつてのディズニーを彷彿とさせ、何より夜空に浮かぶ無数の提灯(?)のシーンのロマンチックさはただもうお見事の一言。3Dはまだまだ時期尚早と嘯くワタクシは2Dで観たのだけれど、ここだけは3Dで見たかった。
だがしかし。まだまだ死角はある。「塔の上のラプンツェル」はピクサーの血が入っているだけあってストーリーもとても練られており、ラプンツェルが(偽の)母親に内緒で初めて塔から出るくだりなどは、ギャグっぽい演出はされているものの、本当には母親に愛されていなかった子供としての欠損を抱えたアンビバレントな行動をとっており、そういう詰めはしっかりしているが、ラストの親子再会のシーンのフリンの扱いはちと強引すぎた。そうまでしてストーリーを語る必要はないと思うのだが、どうでしょうか皆様。
こんな人にオススメ:かつてのウットリ系のディズニーアニメが大好物ならば是非。