アンチクライスト
「冷たい熱帯魚」の翌日に「アンチクライスト」を観るという、鬱監督めぐりみたいなこの週末。とりあえずインパクトの大きかったアンチクライストの感想をば。
いやまあ感想といっても、そもそも自分が何を見たかすらわかっちゃいないのでありますが。おそらくキリスト教が身近なものだったらハッキリと解釈できるような伏線は色々とあるのだけれど、それがない自分にとってはどうとでも取れてしまう。妻の所行は狂気の果てのものか、二重人格故なのか、悪魔が浸食していったのか、それとも始めから悪魔であったのか。どうもトリアー監督としては女は悪魔なりという路線のようですが。
実はラース・フォン・トリアーってかなり嫌いな監督で、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」なんてミュージカルを馬鹿にした映画は二度と観たくない、「奇跡の海」のあの厚ぼったい空と陰鬱なセックス描写は大嫌い、「ドッグヴィル」の村人の心の変貌ぶりは真実を衝いているとは思うができれば一生直視したくなかった・・・などなど、嫌よ嫌よと言いながら結構トリアーの映画観てる自分が一番嫌い。
「アンチクライスト」に戻りますと、この全編に渡ってエロとは対極にあるセックス描写と数々の不気味なイメージショット、理由もわからず強烈な禍々しさばかり感じる映像に、映画の後半はただアウアウと口を半開きにしながらトリアーの責め苦を受けていたような気がする。シャルロット・ゲンズブールの予測不可能な訳の分からなさはとにかく怖く並のホラー映画を軽く凌駕する。他のトリアー映画よりも説教臭は薄いので、ギョエーとおののきながら今までで一番楽しんで観ておりました。
こんな人にオススメ:並の刺激じゃ役に立たない倦怠期カップルは、これを観て我が身の幸せを噛み締める様に。
いやまあ感想といっても、そもそも自分が何を見たかすらわかっちゃいないのでありますが。おそらくキリスト教が身近なものだったらハッキリと解釈できるような伏線は色々とあるのだけれど、それがない自分にとってはどうとでも取れてしまう。妻の所行は狂気の果てのものか、二重人格故なのか、悪魔が浸食していったのか、それとも始めから悪魔であったのか。どうもトリアー監督としては女は悪魔なりという路線のようですが。
実はラース・フォン・トリアーってかなり嫌いな監督で、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」なんてミュージカルを馬鹿にした映画は二度と観たくない、「奇跡の海」のあの厚ぼったい空と陰鬱なセックス描写は大嫌い、「ドッグヴィル」の村人の心の変貌ぶりは真実を衝いているとは思うができれば一生直視したくなかった・・・などなど、嫌よ嫌よと言いながら結構トリアーの映画観てる自分が一番嫌い。
「アンチクライスト」に戻りますと、この全編に渡ってエロとは対極にあるセックス描写と数々の不気味なイメージショット、理由もわからず強烈な禍々しさばかり感じる映像に、映画の後半はただアウアウと口を半開きにしながらトリアーの責め苦を受けていたような気がする。シャルロット・ゲンズブールの予測不可能な訳の分からなさはとにかく怖く並のホラー映画を軽く凌駕する。他のトリアー映画よりも説教臭は薄いので、ギョエーとおののきながら今までで一番楽しんで観ておりました。
こんな人にオススメ:並の刺激じゃ役に立たない倦怠期カップルは、これを観て我が身の幸せを噛み締める様に。
震災が壊したもの
「がんばろう日本」というスローガンがテレビで喧しく放映されているけれど。
「がんばろう神戸」のスローガンの元、阪神淡路大震災で崩壊した神戸の街はその傷を乗り越え復興していったのだけれど。そして今度は被災地だけではなく、日本全体が協力していかねばならない事態であることには全く異論はないのだけれども。
神戸の街が果たした復興と、これから成される震災で被害にあった東北のたくさんの街の復興は、果たして同じものなのだろうか。神戸の場合、実際に復興に携わった人も、それを見守る周囲の人間も、復興された街のイメージにそれほどの齟齬はなかったと思う。戦後50年かけて築き上げた成果を10年で取り戻すというような、日本の技術力やパワーを以て道やビルや住宅を再び造り上げた。けれども東北の復興した後の姿を思い描くに、神戸のように従来の復興のイメージで元に戻せば良いというものなのだろうか。
もちろん今はそんな事を言っている場合ではなく、被災者に一日でも早く安心して眠れる環境を、安心して飲める水や食べられる食糧を賄うのが最優先である。原発だって未だに予断を許さぬ状況である。先の事より目前の問題を解決する事こそがんばるべき事なのだが、その先何を目指してがんばるかについて、それを考える余裕のある人は真剣に向き合う必要がある。
この地震で、戦後の復興のイメージのままで日本は行けるのではないかという漠然とした思いが崩壊した。スキームとかレジームとか、とにかくどういう言葉でも良いけれど、今回の震災が起こした被害の大きさや原発の問題は、戦後レジームの限界を思い知らされたように思う。
じゃあどうすりゃいいのか。不惑ともなれば自分も立派に体制側の人間で、「だれか新しい日本を作ってください」などと言っていられない立場である。さて。どうやってがんばろうか。
「がんばろう神戸」のスローガンの元、阪神淡路大震災で崩壊した神戸の街はその傷を乗り越え復興していったのだけれど。そして今度は被災地だけではなく、日本全体が協力していかねばならない事態であることには全く異論はないのだけれども。
神戸の街が果たした復興と、これから成される震災で被害にあった東北のたくさんの街の復興は、果たして同じものなのだろうか。神戸の場合、実際に復興に携わった人も、それを見守る周囲の人間も、復興された街のイメージにそれほどの齟齬はなかったと思う。戦後50年かけて築き上げた成果を10年で取り戻すというような、日本の技術力やパワーを以て道やビルや住宅を再び造り上げた。けれども東北の復興した後の姿を思い描くに、神戸のように従来の復興のイメージで元に戻せば良いというものなのだろうか。
もちろん今はそんな事を言っている場合ではなく、被災者に一日でも早く安心して眠れる環境を、安心して飲める水や食べられる食糧を賄うのが最優先である。原発だって未だに予断を許さぬ状況である。先の事より目前の問題を解決する事こそがんばるべき事なのだが、その先何を目指してがんばるかについて、それを考える余裕のある人は真剣に向き合う必要がある。
この地震で、戦後の復興のイメージのままで日本は行けるのではないかという漠然とした思いが崩壊した。スキームとかレジームとか、とにかくどういう言葉でも良いけれど、今回の震災が起こした被害の大きさや原発の問題は、戦後レジームの限界を思い知らされたように思う。
じゃあどうすりゃいいのか。不惑ともなれば自分も立派に体制側の人間で、「だれか新しい日本を作ってください」などと言っていられない立場である。さて。どうやってがんばろうか。
震災が壊したもの
自分が住んでいる愛知県は震災の影響がほとんどないため、今も日々大変な被災地の方のことを考えると自分がブログで何を言うことがあるのだろうと普通に映画の感想なぞを書いておりましたが、東京に住んでいるならこれでも敢えて風評に惑わされず日常生活を送るという意義もあるのだろうが、今の自分の状況は不自由のない生活を送れる中で普通に日常を送っていますというだけなので、それはそれで無神経過ぎないかとも思う。
今、自分がやるべきことはお金や物資の喜捨ぐらいなのであるが、被災者の方が早く元の生活に戻れるようにという願いとは別に、今回の震災は色々と考えさせられた。私達は、これまでの日常生活を支えていたものにあまりにも無頓着に過ぎていた。電気は電気代さえ払えば無尽蔵にあるものだと勘違いしていた。家庭の電力不足はアンペアを上げて契約すれば解決するものだった。街灯や24時間営業の店舗で夜でも十分に明るい事に慣れてしまっていた。イルミネーションを見て「ああキレイ」と感心し、電気代凄いんだろうねと話す事はあっても、石油や原子力といった電気を作る元のエネルギーのことを考えた事はついぞなかった。製造業は自らの計画に基づいて生産に励むが、そこには電気は工場の操業に必要な分だけ賄えるという大前提がある。私達の生活は、自分が望むだけの電気は必ずあるという前提の元に成り立っている。原発は危険だという認識はあっても、私達の生活は既に原発がなければ立ち行かない状況にある。今回の原発事故に関して、特に震災初期の原発の情報の隠蔽について、東電の責任は非常に重いが、別に電力会社だって全く必要もないのに原発を導入した訳ではない。
電気だけに限らず、水道やガスや物流など、日常生活を取り巻くインフラは、自分が子供のころの30年前と比べて格段に上がっており、厄介なのは今回の震災があったところで「それじゃあ今後は30年前の生活に戻りましょう」とはいかない事だ。現在の東京の計画停電は、そこに住む人や企業が不利益を被ることを止むなしとしているが、その不自由な生活をデフォルトとしない限り、いくら原発はもう懲り懲りと言ったところで、元の状態に戻すということは結局は電力の何割かを原発が担うしかないのではないかと思う。
今、自分がやるべきことはお金や物資の喜捨ぐらいなのであるが、被災者の方が早く元の生活に戻れるようにという願いとは別に、今回の震災は色々と考えさせられた。私達は、これまでの日常生活を支えていたものにあまりにも無頓着に過ぎていた。電気は電気代さえ払えば無尽蔵にあるものだと勘違いしていた。家庭の電力不足はアンペアを上げて契約すれば解決するものだった。街灯や24時間営業の店舗で夜でも十分に明るい事に慣れてしまっていた。イルミネーションを見て「ああキレイ」と感心し、電気代凄いんだろうねと話す事はあっても、石油や原子力といった電気を作る元のエネルギーのことを考えた事はついぞなかった。製造業は自らの計画に基づいて生産に励むが、そこには電気は工場の操業に必要な分だけ賄えるという大前提がある。私達の生活は、自分が望むだけの電気は必ずあるという前提の元に成り立っている。原発は危険だという認識はあっても、私達の生活は既に原発がなければ立ち行かない状況にある。今回の原発事故に関して、特に震災初期の原発の情報の隠蔽について、東電の責任は非常に重いが、別に電力会社だって全く必要もないのに原発を導入した訳ではない。
電気だけに限らず、水道やガスや物流など、日常生活を取り巻くインフラは、自分が子供のころの30年前と比べて格段に上がっており、厄介なのは今回の震災があったところで「それじゃあ今後は30年前の生活に戻りましょう」とはいかない事だ。現在の東京の計画停電は、そこに住む人や企業が不利益を被ることを止むなしとしているが、その不自由な生活をデフォルトとしない限り、いくら原発はもう懲り懲りと言ったところで、元の状態に戻すということは結局は電力の何割かを原発が担うしかないのではないかと思う。
ツーリスト
ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーの豪華共演にも関わらずアメリカで大コケしたという話も伝わるこの映画。実際どうだろうと観に行きましたが・・・ああ、なるほどなー、と。
アンジェリーナ・ジョリーが話を引っ張るミステリアスな前半は面白かったのだけれど、ジョニー・デップが話の中心になる後半のサスペンスが異様にモッタリとしだして、どうもコレは何かに似ていると記憶を辿ったら、デミ・ムーアがストリッパー役を演じた「素顔のままで」に行き当たった。あと「天使にラブソングを」も思い出した。
事件に巻き込まれる男、謎の美女、列車、置き手紙・・・小道具も含めて非常にヒッチコックを思わせる仕立てで、カット割りや1シーンの長さも最近の映画のようなガチャガチャした物でなく、個人的にはとても好ましい映画でした。アンジェリーナ・ジョリーはあくまでも美しく(ほうれい線は見なかった事に)、ジョニー・デップは警部に脅されて涙目になるヘタレ男をしっかり演じており、まあ二人とも映画で振られた役割をしっかり果たしたと思う。
しかし、アンジェリーナ・ジョリーはともかく、ジョニー・デップがヘタレ男を上手く演じてしまったことこそ「ツーリスト」が後半モッタリしてしまった原因ではないかと思う。このヘタレぶりは本来もっとサスペンス色の強い映画だったものをコメディへと近づけていて、それが悪い方に出てしまっている。ヒッチコックで例えるなら「北北西に進路を取れ」を「裏窓」っぽく撮ってしまったというような。
この映画ではタバコが粋な小道具として使われていて、電子タバコを吸うジョニー・デップをアンジェリーナ・ジョリーが馬鹿にして、彼を利用した詫びに大金と共にタバコを渡している。ワタクシは妙に映画が鈍臭くなっていきながらもジョニー・デップがタバコを吸えば全部許す!という気持ちで観ていたので、この映画を擁護したい気分であります。惜しむらくは、ジョニー・デップはあのシーン以降はヘタレを止めるべきではなかったかと。
こんな人にオススメ:タバコを吸う尻フェチの男(←自分のことかー)
アンジェリーナ・ジョリーが話を引っ張るミステリアスな前半は面白かったのだけれど、ジョニー・デップが話の中心になる後半のサスペンスが異様にモッタリとしだして、どうもコレは何かに似ていると記憶を辿ったら、デミ・ムーアがストリッパー役を演じた「素顔のままで」に行き当たった。あと「天使にラブソングを」も思い出した。
事件に巻き込まれる男、謎の美女、列車、置き手紙・・・小道具も含めて非常にヒッチコックを思わせる仕立てで、カット割りや1シーンの長さも最近の映画のようなガチャガチャした物でなく、個人的にはとても好ましい映画でした。アンジェリーナ・ジョリーはあくまでも美しく(ほうれい線は見なかった事に)、ジョニー・デップは警部に脅されて涙目になるヘタレ男をしっかり演じており、まあ二人とも映画で振られた役割をしっかり果たしたと思う。
しかし、アンジェリーナ・ジョリーはともかく、ジョニー・デップがヘタレ男を上手く演じてしまったことこそ「ツーリスト」が後半モッタリしてしまった原因ではないかと思う。このヘタレぶりは本来もっとサスペンス色の強い映画だったものをコメディへと近づけていて、それが悪い方に出てしまっている。ヒッチコックで例えるなら「北北西に進路を取れ」を「裏窓」っぽく撮ってしまったというような。
この映画ではタバコが粋な小道具として使われていて、電子タバコを吸うジョニー・デップをアンジェリーナ・ジョリーが馬鹿にして、彼を利用した詫びに大金と共にタバコを渡している。ワタクシは妙に映画が鈍臭くなっていきながらもジョニー・デップがタバコを吸えば全部許す!という気持ちで観ていたので、この映画を擁護したい気分であります。惜しむらくは、ジョニー・デップはあのシーン以降はヘタレを止めるべきではなかったかと。
こんな人にオススメ:タバコを吸う尻フェチの男(←自分のことかー)
アレクサンドリア
レイチェル・ワイズ主演で会話が英語だからてっきりハリウッド製だと思ったら、これってスペイン映画だったのだな。スペインはカトリックの国にも関わらず、ここまでキリスト教の偏狭さを押し出した映画に出来たのは、スペイン人が良く言えば鷹揚、悪く言えばラテン系のパッパラパーな所があるからではないかと思う(←偏見)。これがハリウッド製だったら、キリスト教原理主義者やユダヤ人ソサイエティへの配慮などを考慮して曖昧なシロモノになってしまったのではないかと思う。
この映画の主人公であるヒュバティアという女性は、当時のキリスト教が支配していく社会情勢に肯んじず、それが原因でキリスト教徒に虐殺される運命を辿る。映画ではまだ穏やかな描写だけど、Wikiを見たら彼女は牡蠣の殻で肉を削ぎ落とされて絶命するという、イエス・キリストもビックリな目に会っている。興味深いのはユダヤ教徒がキリスト教に変わっただけで、彼女とキリストは同じ立ち位置で、同じ理由で殺されているという事だ。
これだけ壮大なセットの金のかかった映画なのだから、もっと歴史物としてドカーンとしたカメラワークで重厚な撮り方も出来たと思うが、アメナバール監督はこの映画を歴史絵巻にする気はなかったようで、人物に寄り気味でドラマを丁寧に描写する撮り方をしている。ああ勿体ないと思うが、監督としてはこの映画を単なる過去の話ではなく、現代の世界情勢とリンクさせたかったのだろう。
ただ、そういった説教的な側面もある一方で、ヒュバティアが星を見上げ、地球の在り方を突き止めようと実験したり思索に耽る姿が本当に自由で、魅力的に描写されている。地上の争いに巻き込まれながらも、彼女の思いは一直線に空へと伸びていく。この映画は宇宙から地球を見る壮大な視点から一直線にアレキサンドリアの図書館にカメラが降りて行ったり、逆に一気に地上から舞い上がって地球を俯瞰する大胆なカメラワークを何度か行っており、それこそが彼女が思考の翼で跳躍する様なのだろう。「アレクサンドリア」はヒュバティアがどんな時でも空を見上げ続ける映画なのだと思った。
こんな人にオススメ:アレクサンドリアの図書館と聞いては黙っていられない方
この映画の主人公であるヒュバティアという女性は、当時のキリスト教が支配していく社会情勢に肯んじず、それが原因でキリスト教徒に虐殺される運命を辿る。映画ではまだ穏やかな描写だけど、Wikiを見たら彼女は牡蠣の殻で肉を削ぎ落とされて絶命するという、イエス・キリストもビックリな目に会っている。興味深いのはユダヤ教徒がキリスト教に変わっただけで、彼女とキリストは同じ立ち位置で、同じ理由で殺されているという事だ。
これだけ壮大なセットの金のかかった映画なのだから、もっと歴史物としてドカーンとしたカメラワークで重厚な撮り方も出来たと思うが、アメナバール監督はこの映画を歴史絵巻にする気はなかったようで、人物に寄り気味でドラマを丁寧に描写する撮り方をしている。ああ勿体ないと思うが、監督としてはこの映画を単なる過去の話ではなく、現代の世界情勢とリンクさせたかったのだろう。
ただ、そういった説教的な側面もある一方で、ヒュバティアが星を見上げ、地球の在り方を突き止めようと実験したり思索に耽る姿が本当に自由で、魅力的に描写されている。地上の争いに巻き込まれながらも、彼女の思いは一直線に空へと伸びていく。この映画は宇宙から地球を見る壮大な視点から一直線にアレキサンドリアの図書館にカメラが降りて行ったり、逆に一気に地上から舞い上がって地球を俯瞰する大胆なカメラワークを何度か行っており、それこそが彼女が思考の翼で跳躍する様なのだろう。「アレクサンドリア」はヒュバティアがどんな時でも空を見上げ続ける映画なのだと思った。
こんな人にオススメ:アレクサンドリアの図書館と聞いては黙っていられない方