スペースチャンネル5 パート2 スペース・マイケル局長
スペチャン5のリメイクを喜んだ人々の胸には、誰もが「局長は?局長はまた登場するの?」という不安が去来したのではないかと思う。何となれば局長役はマイケル・ジャクソン本人で、パート2では後半出ずっぱりで大活躍したのだが、もし今回のリメイクで新しくマイケル側と契約する必要があるようなら、彼が生きていればともかく、故人となった今では肖像権だの何だのと、マイケルの財産を管理する団体が簡単にYesと言うだろうか。最悪のところ、声はおろか、彼に似せたCG自体が差し替えられるのではないかと思ったのである。
ところがそんな心配をよそに、今回のリメイクもマイケル・ジャクソンが局長役として、声もマイケル本人のまま御登場あそばした。いやーー、目出たい。よかったよかった。
このゲームを遊んでいて、特に1と2のステージの感想は、「面白い」というより圧倒的に「楽しい!」というものだった。ゲームの感想として、面白いと楽しいというのはたいてい両立するのだけれど、それを踏まえてもスペチャン5は遊んでいて楽しいという思いが突出している。ヒロインのうららと、彼女の周りで共に踊る人々、そして彼女を待ち受ける踊り団。ダンスで全てが決まるダンス至上主義。うららの踊りが惚れ惚れするほどカッコ良く、自分もせめて、彼女に救出される一人となって・・・出来ればレスキュー隊員がいいな。んでもって、「うっ!はっ!」とか言いながらうららと一緒にランデブーできたらどれほど楽しいだろう。踊りにはドシロートの自分でさえこれほど楽しいのだから、マイケル・ジャクソンがスペチャン5の世界にネバーランドを見るのは当然のことだと思う。
そもそもの話として、スーパースターという地位に拘ることなく素直に「出たい!」とマイケルが希望した事自体、これはもう当時の製作者の大金星なのだ。マイケル自身も、スペチャン5の世界に自分が留まり続けることを望んでいたのではないかと思う。
ところがそんな心配をよそに、今回のリメイクもマイケル・ジャクソンが局長役として、声もマイケル本人のまま御登場あそばした。いやーー、目出たい。よかったよかった。
このゲームを遊んでいて、特に1と2のステージの感想は、「面白い」というより圧倒的に「楽しい!」というものだった。ゲームの感想として、面白いと楽しいというのはたいてい両立するのだけれど、それを踏まえてもスペチャン5は遊んでいて楽しいという思いが突出している。ヒロインのうららと、彼女の周りで共に踊る人々、そして彼女を待ち受ける踊り団。ダンスで全てが決まるダンス至上主義。うららの踊りが惚れ惚れするほどカッコ良く、自分もせめて、彼女に救出される一人となって・・・出来ればレスキュー隊員がいいな。んでもって、「うっ!はっ!」とか言いながらうららと一緒にランデブーできたらどれほど楽しいだろう。踊りにはドシロートの自分でさえこれほど楽しいのだから、マイケル・ジャクソンがスペチャン5の世界にネバーランドを見るのは当然のことだと思う。
そもそもの話として、スーパースターという地位に拘ることなく素直に「出たい!」とマイケルが希望した事自体、これはもう当時の製作者の大金星なのだ。マイケル自身も、スペチャン5の世界に自分が留まり続けることを望んでいたのではないかと思う。
スペースチャンネル5 パート2
セガ・ドリームキャスト復刻プロジェクトと題して幾つかのドリキャスのタイトルがPS3と360でダウンロードリリースされるとアナウンスされたのが確か去年の秋あたり。このゲームも当初は11年の春にはリリースとあったのだが・・・
しかし今年の4月を迎え、5月が過ぎても何の音沙汰もなく、スペチャン的に「春は・・・今年の春はいつ来るの・・・っていうかいつまで春なの?」状態で残暑を迎え、すっかり風も秋めいた頃、ようやく10月5日リリースというアナウンスが。ああ・・・これがホントの永い春って奴?
「スペースチャンネル5」はテーマ曲の「メキシカンフライヤー」がキャッチーで、とにかく画面から伝わる楽しそうな感じがハンパではなかった。当時は今ほどゲームで遊んでいなかったのでドリキャスを買うまでには至らなかったが、それでもパート2のサントラの「チュー」は買っていた。ひさびさにCDを聞こうと思ったものの、その後の引っ越しの際に処分してしまったようでどこにも見当たらず。なんか物凄く勿体ないことをしてしまった。
10月5日といえば、スペチャンのプロデューサーである水口哲也氏の新作「child of eden」がリリースされる1日前。これは偶然なのか、まるでセガから独立した水口氏への遅い餞のよう。「child of eden」も興味があったからまずはそっちを買ってきて、ついでにスペチャン5をダウンして並行して遊ぼうと思っていたのだけれど、スペチャン5が思った以上に楽しくて楽しくて「child of eden」が全く手に着かない。今となっては、このリリース日の近さは餞ではなくセガの横槍だったんじゃないかと疑っているワタクシ。
しかし今年の4月を迎え、5月が過ぎても何の音沙汰もなく、スペチャン的に「春は・・・今年の春はいつ来るの・・・っていうかいつまで春なの?」状態で残暑を迎え、すっかり風も秋めいた頃、ようやく10月5日リリースというアナウンスが。ああ・・・これがホントの永い春って奴?
「スペースチャンネル5」はテーマ曲の「メキシカンフライヤー」がキャッチーで、とにかく画面から伝わる楽しそうな感じがハンパではなかった。当時は今ほどゲームで遊んでいなかったのでドリキャスを買うまでには至らなかったが、それでもパート2のサントラの「チュー」は買っていた。ひさびさにCDを聞こうと思ったものの、その後の引っ越しの際に処分してしまったようでどこにも見当たらず。なんか物凄く勿体ないことをしてしまった。
10月5日といえば、スペチャンのプロデューサーである水口哲也氏の新作「child of eden」がリリースされる1日前。これは偶然なのか、まるでセガから独立した水口氏への遅い餞のよう。「child of eden」も興味があったからまずはそっちを買ってきて、ついでにスペチャン5をダウンして並行して遊ぼうと思っていたのだけれど、スペチャン5が思った以上に楽しくて楽しくて「child of eden」が全く手に着かない。今となっては、このリリース日の近さは餞ではなくセガの横槍だったんじゃないかと疑っているワタクシ。
百合子、ダスヴィダーニヤ
この映画の監督は、成人映画をメインに活動してきた浜野佐知という女性ですが、ここ10年ほどは一般映画に活動の幅を広げ、いずれもこの人にしかモノにできないような独特の映画を撮っています。
とりあえずこの映画の感想を書くにあたって、成人映画の感想を以前に書いておいて良かった。ここから話を始めたら、えらいこと長くなりそう。
まずこの映画のスゴいのは、自主映画ゆえに製作費も十分賄えない中、よくぞここまで現代的な要素を排除し切ったことであります。建物の古風かつモダンな外観や凝った意匠の内装、そして何よりヒロインの百合子が着ている幾何学的でカラフルな着物が非常に目に楽しい。大体自主映画ってそこらへんにある風景を「オレの心象風景」みたいに撮るイメージがあって、それはそれで良いこともあるのだけれど、大正時代の映画を撮る上でここまで妥協せずにロケハンするところがベテランらしい。目に映るものだけでも十分にモトが取れた感じがする。
さて。この映画を観る際に覚悟して欲しいのは、この映画のセリフが尋常でなく多く、しかも現代に馴染みのない単語で登場人物の心情や思想が会話されるので、ウッカリ気を抜くと何が何やらな状態になってしまいます。この洪水のようなセリフで思い当たるのが、原田知世版の「時をかける少女」のDVDで大林監督が高柳良一のダイコン演技をして「古典劇では心情や状況をセリフとして表現している流儀があり、彼はそのタイプの役者」と評していた事で、「百合子、ダスヴィダーニヤ」はそういうタイプの映画なのだと思う。実際わかりませんが。ただ、眼力を最大にして映像を見つめ、耳の穴かっぽじいてセリフを追って行くと、自分が本当に映画の中にトリップした錯覚に陥ります。
登場人物が少ない映画だけれど、全員異常なまでにキャラクターが濃くて実に見ものでした。中でも大杉蓮が演じる百合子の夫君のキャラクターが特に濃い。そして、ここが重要なのだが、大杉蓮や吉行和子といった大ベテランを向こうに張り、百合子役の一十三十一(ひとみとい)が全く互角の存在感を醸しておりました。この映画の中の宮本百合子という女性は、奔放というよりは極度にのめり込むタイプなのだろう。ついでにくっついて行ったロシア留学で芳子をさしおいて共産主義にハマってしまうあたり、だからこそ立派な仕事も残すのだろうが、夫や、後の芳子自身といった彼女に振り回され、取り残される人間も出て来てしまうのだろう。百合子が単に奔放なだけの女だったら、相手もそこまで彼女に入れ込まないだろうという気がする。芳子役の菜葉菜(なはな)は映画の冒頭ではかわいらしさが目について違和感がありましたが、終いには見事な男っぷりでした。
浜野監督はこの映画の観客として、やっぱり女性層を念頭に置いたのだろう。百合子が劇中で自分の社会に対する欲望や女の社会的な限界について述べる内容は、当時は一部のインテリだけが持ちうる野望なのだろうが、現代では、ごく一般の女性が抱くものだと思う。男の自分としては頭では分かれども実感が伴わない部分である。けれどもそういった主張的な部分を差っ引いても「百合子、ダスヴィダーニヤ」は非常に見所の多い面白い映画でした。
自分はこの映画を、浜野監督の舞台挨拶のある初日に見て、パンフレットにサインして頂いたのだが、その時にこの映画が面白かったことを述べたものの、後から「あ、そいえば的場ちせ問題について聞くべきだった!」ということに気付いて、今ちょっと後悔している。
とりあえずこの映画の感想を書くにあたって、成人映画の感想を以前に書いておいて良かった。ここから話を始めたら、えらいこと長くなりそう。
まずこの映画のスゴいのは、自主映画ゆえに製作費も十分賄えない中、よくぞここまで現代的な要素を排除し切ったことであります。建物の古風かつモダンな外観や凝った意匠の内装、そして何よりヒロインの百合子が着ている幾何学的でカラフルな着物が非常に目に楽しい。大体自主映画ってそこらへんにある風景を「オレの心象風景」みたいに撮るイメージがあって、それはそれで良いこともあるのだけれど、大正時代の映画を撮る上でここまで妥協せずにロケハンするところがベテランらしい。目に映るものだけでも十分にモトが取れた感じがする。
さて。この映画を観る際に覚悟して欲しいのは、この映画のセリフが尋常でなく多く、しかも現代に馴染みのない単語で登場人物の心情や思想が会話されるので、ウッカリ気を抜くと何が何やらな状態になってしまいます。この洪水のようなセリフで思い当たるのが、原田知世版の「時をかける少女」のDVDで大林監督が高柳良一のダイコン演技をして「古典劇では心情や状況をセリフとして表現している流儀があり、彼はそのタイプの役者」と評していた事で、「百合子、ダスヴィダーニヤ」はそういうタイプの映画なのだと思う。実際わかりませんが。ただ、眼力を最大にして映像を見つめ、耳の穴かっぽじいてセリフを追って行くと、自分が本当に映画の中にトリップした錯覚に陥ります。
登場人物が少ない映画だけれど、全員異常なまでにキャラクターが濃くて実に見ものでした。中でも大杉蓮が演じる百合子の夫君のキャラクターが特に濃い。そして、ここが重要なのだが、大杉蓮や吉行和子といった大ベテランを向こうに張り、百合子役の一十三十一(ひとみとい)が全く互角の存在感を醸しておりました。この映画の中の宮本百合子という女性は、奔放というよりは極度にのめり込むタイプなのだろう。ついでにくっついて行ったロシア留学で芳子をさしおいて共産主義にハマってしまうあたり、だからこそ立派な仕事も残すのだろうが、夫や、後の芳子自身といった彼女に振り回され、取り残される人間も出て来てしまうのだろう。百合子が単に奔放なだけの女だったら、相手もそこまで彼女に入れ込まないだろうという気がする。芳子役の菜葉菜(なはな)は映画の冒頭ではかわいらしさが目について違和感がありましたが、終いには見事な男っぷりでした。
浜野監督はこの映画の観客として、やっぱり女性層を念頭に置いたのだろう。百合子が劇中で自分の社会に対する欲望や女の社会的な限界について述べる内容は、当時は一部のインテリだけが持ちうる野望なのだろうが、現代では、ごく一般の女性が抱くものだと思う。男の自分としては頭では分かれども実感が伴わない部分である。けれどもそういった主張的な部分を差っ引いても「百合子、ダスヴィダーニヤ」は非常に見所の多い面白い映画でした。
自分はこの映画を、浜野監督の舞台挨拶のある初日に見て、パンフレットにサインして頂いたのだが、その時にこの映画が面白かったことを述べたものの、後から「あ、そいえば的場ちせ問題について聞くべきだった!」ということに気付いて、今ちょっと後悔している。
ファイナル・デッドブリッジ
気がつくと1作目から全部見ているこのシリーズ、2作目の邦題である「デッドコースター」のセンスが非常に良くて、あろうことか3作目の冒頭がジェットコースターの事故だったものだから、その後の邦題は「ファイナル・デッド何とか」という形になってしまった。今回のデッドブリッジに至っては洒落も捻りもなく、そのまんま過ぎる。
前作が3Dに合わせて無理矢理造り上げたような出来映えだったのだが、今作は1作目の面白さを取り戻したような佳作でありました。まあ3Dの効果自体はスプラッター的に色んなブツが観客側に飛び出して来るという、わりとワンパターンな見せ方しかしていなかったけれど。ただし、3D効果と関連しているのか、針とかネジとかヨットのマストだとか、先端恐怖症の人がウッカリ見てしまうと卒倒しそうなほど尖った物に対する恐怖心を煽っています。
今回は「自分の代わりに誰かを殺せば自分は助かる」というルールが採用されたせいで、終盤ではこれまでのシリーズになかったサスペンス的な見せ場が用意されている。これが毎回だと「バトル・ロワイヤル」みたいになってしまうのだろうが、1作限定ならこれもアリかと思います。
最後のオチが1作目から見続けた自分へのご褒美のような感じで、なんだかちょっと嬉しかったデス。このシリーズも10年目(アメリカ公開からだと11年目)ということで、自分の30代はファイナル・デスティネーションシリーズと共にあった・・・なんて考えると、もうちょっとマシなシリーズと付き合っていれば良かったと思ったり。
前作が3Dに合わせて無理矢理造り上げたような出来映えだったのだが、今作は1作目の面白さを取り戻したような佳作でありました。まあ3Dの効果自体はスプラッター的に色んなブツが観客側に飛び出して来るという、わりとワンパターンな見せ方しかしていなかったけれど。ただし、3D効果と関連しているのか、針とかネジとかヨットのマストだとか、先端恐怖症の人がウッカリ見てしまうと卒倒しそうなほど尖った物に対する恐怖心を煽っています。
今回は「自分の代わりに誰かを殺せば自分は助かる」というルールが採用されたせいで、終盤ではこれまでのシリーズになかったサスペンス的な見せ場が用意されている。これが毎回だと「バトル・ロワイヤル」みたいになってしまうのだろうが、1作限定ならこれもアリかと思います。
最後のオチが1作目から見続けた自分へのご褒美のような感じで、なんだかちょっと嬉しかったデス。このシリーズも10年目(アメリカ公開からだと11年目)ということで、自分の30代はファイナル・デスティネーションシリーズと共にあった・・・なんて考えると、もうちょっとマシなシリーズと付き合っていれば良かったと思ったり。
ユアシェイプ 祝!その2発売!!
ポケモンの夢特性ジュペッタ欲しさに買ったファミ通に、「ユアシェイプ・フィットネス・エボルブ」の続編が発売される記事がありました。そいえばニンドリはここ10年くらい毎号買っているけどファミ通買ったのは初めてだな。
Kinectの発売を踏まえた1は、インターフェイスやワークアウトのバリエーションに多少やっつけ感がありましたが、今度はグッと洗練されていることを期待。追加されたメニューも、ウォームアップ、パーツごとの集中エクササイズ、ダンスと、かなりグレードアップしている感じ。
そして何より、ニューヨークを背景にランニングを行う「ラン・ザ・ワールド」が追加!!ど田舎の腹の出たオッチャンも、年収2千万のヤッピーでロハスなニューヨーカーになりきってセントラルパークとか走れちゃう!
ギャーー!!ズデギーーー!!!
しかも今後世界展開していく気満々の名前なので、そのうちパリとか上海とかも走れるのだろうか。
今年は例年になく欲しいゲームが山盛りの年末商戦だけど、これまた絶対外せない1本です。
Kinectの発売を踏まえた1は、インターフェイスやワークアウトのバリエーションに多少やっつけ感がありましたが、今度はグッと洗練されていることを期待。追加されたメニューも、ウォームアップ、パーツごとの集中エクササイズ、ダンスと、かなりグレードアップしている感じ。
そして何より、ニューヨークを背景にランニングを行う「ラン・ザ・ワールド」が追加!!ど田舎の腹の出たオッチャンも、年収2千万のヤッピーでロハスなニューヨーカーになりきってセントラルパークとか走れちゃう!
ギャーー!!ズデギーーー!!!
しかも今後世界展開していく気満々の名前なので、そのうちパリとか上海とかも走れるのだろうか。
今年は例年になく欲しいゲームが山盛りの年末商戦だけど、これまた絶対外せない1本です。