今日も定時ダッシュ -70ページ目

光源氏 千年の謎

 意味深なサブタイトルですが、この謎というのが映画の中ではナゾとしての体裁を成しておらず、敢えて言うなら映画以前に源氏物語を把握している人に向けて、「それでは何故、紫式部はこのような物語を綴ったのでしょう?」という、最近の映画水準から考えると物凄い高いリテラシーを観客に要求している。そもそも源氏物語自体がその成立や背景に謎が多いとされているワケで(玉鬘の系列の物語が後に作られた説などなど)。自分は高校時代に「あさきゆめみし」を読んだきりなので、なんとかストーリーには着いていけたという感じであります。

 ただ、この謎のおかげでこの映画の構成が六条御息所の顛末までしかフォローせず、六条の光源氏への妄執こそが式部の道長への思いであるという創作の元、あろうことか紫の上のパートをバッサリ切り落とし、2時間半という短さで源氏物語のテーマの一端を露に出来たのはとても良い構成だったと思う。

 映像としては、平安の貴族文化を再現しようとした豪華絢爛な作りがとにかく素晴らしい。光源氏や彼を取り巻く女人の衣装、屋敷の作りや管弦の宴の小道具などなど、これまた贅沢な作りにオッサンもウットリ。普段の自分なら、夜のシーンが全然暗くないだの何だのとケチをつけたくなるけれど、そんな粗には積極的に目を瞑って、良い所だけを見ていきたいと思わせてくれました。

 生田斗真はなかなかに立派な光源氏だった。そういえば光源氏を天海祐希が演じたトンデモ映画もありましたが、それもむべなるかなと思えるほど、光源氏を説得力を持って演じられる役者を探すのは難しい。単なる色男ではダメ、下卑てはダメ、男性的過ぎてはダメ、弱々しくてもダメという高いハードルで、しかも光源氏のやってる事といえば妻を放っといて数多の女に手を出す軽薄な浮気男でしかないので、この役を魅力的に見せようとするのは至難の業ではないかと思う。この映画では、東山紀之や中谷美紀、田中麗奈などなど、役柄的にもそっちのほうがオイシいと思われる役者を相手によく頑張ったと思う。

リアル・スティール

 2020年という、ちょっとだけ先の未来のお話。派手なファイトを求める観客に引きずられ、ボクサーではなくロボット同士が殴り合い、その姿に人々が歓声を上げる時代。そんな中で、かつてボクサーだった男がロボットボクシングを通して自分の人生を見いだして行く、というようなお話。

 例えば「ガタカ」で示された遺伝子の優劣が人生の全てである、という設定は自分にとってとても説得力があったのだが、この映画の生身のファイトがロボットに成り代わるというのがどうにも納得できない。ロボットが夢の技術であった東西冷戦時ならいざ知らず、このご時世にそこまでロボットが生身の魅力を凌駕するような認識ってあったけ?と思ったら、コレって1956年に書かれた(アイ・アム・レジェンド等を書いた)リチャード・マシスンの短編が原作だったのですな。納得いきました。

 映画の作りはSF寄りというよりはロードムービーのテイストも含んでいたりして、広いアメリカの風景を大きなトレーラーで走っていくシーンの雰囲気が良かった。一度は諦めたボクサーとしての栄光を、これまた一度は捨てた息子に出会ってから取り戻すことに目覚めるという、物語のほうもウェルメイドな作りです。あと映画の冒頭でトレーラーを運転するヒュー・ジャックマンの首筋のぶっとい筋肉にビックリ。どうやりゃ人間あんなところにあんな筋肉が付くのだ?

 以下は映画のワルクチでは全く無く、40代の男が日々思っていることにこの映画の一部が引っかかったという話なのですが。この映画で描かれる「もう一度若い頃の夢を取り戻したい」という心の動きは、自分の歳になるとなかなかに切実に迫って来るものがある。自分の来し方を、特に20代前半あたりの自分と今の自分とを重ね合わせて「もしかして、アノ時遣り残した事を今なら取り戻せるんじゃないか?」という思いに囚われる事は、薬にも毒にもなる劇薬みたいなモノだと思う。「リアル・スティール」では映画っぽく美しい結末を迎えるが、たいていはろくでもない、それこそ今成すべき事を放り出して、自分の中の有るか無きかの若さに無理矢理しがみついているような見苦しさをもたらすのではないかという気がする。それは過去を振り返るという行為とは違うように思えるのだ。


ゼノブレイド アメリカ発売決定

 祝・ゼノブレイド、アメリカ発売決定! 別に自分にとって目出たい訳ではないのですが、一度は「(ゼノブレイドをアメリカで出すなんて)そんな計画ねーよ」と任天堂アメリカのゴリラ社長に煮え湯を飲まされた、今では希少なJRPGファンのアメリカ人が喜んでくれるなら、かつてゼノブレイドにのめり込んだ自分もちょっと嬉しい。

 今でもこのブログを見てくださる方の検索ワードで一番多いのがゼノブレイド関連で、おそらく攻略方法を期待しているであろう方々にこんな駄文ブログを踏ませてしまって申し訳ない、という思いがあるのですが、それでは攻略っぽいことを一発。

 ゼノブレイドは本筋のストーリーを進める合間に、多数のクエストをクリアする事によってレアアイテムなどを手に入れられるのだけれど、それでも一周目はクエストは本筋に必要なレベル上げ程度に留めておいて真っ直ぐにストーリークリアを目指して、二周目でじっくりとクエストやキズナ上げに取り組むのがゼノブレイドを十二分に遊び尽くには一番です。これはきっと自分だけでなくゼノブレイドをクリアした多くの人がそう思うのではないかと。

 ぶっちゃけた話、そもそもこのゲームは1周しても全てのクエストを回収できず、しかもラスボスより強い敵がゴロゴロしているので、ゼノブレイドを遊び尽くそうとしたら2周することが前提で作られているのだ。しかも2周目は1周目のクエストやキズナを引き継げないので、うっかり1周目でそこそこキズナを上げてしまうと、それがパーになってしまう虚しさでそのまま止めてしまう奴多し。ソレは自分の事なのですが。

 もちろん何も無理して2周する必要はないのだけれど、もしもゼノブレイドを巨神脚あたりまでプレイしていて「ゼノブレイドおもしれー」と思っているならば、ストーリー以外に用意された数々の冒険を味わうために2周目を見据えてじっくり腰を据えるだけの価値はあると思います。

カウボーイ VS エイリアン

 「カウボーイ VS エイリアン」は、当節まずお目にかかれない珍品映画でした。なんというのか、ジョン・ファブロー監督の緻密な計画通りに、ものすごい狭い針穴に糸を通す作業に成功したというような計算高さを感じさせる映画です。

 そもそもカウボーイもエイリアンも、どちらもジャンル映画として定番中の定番で、この二つが映画上で混じることなど考えもしなかった。そのスキを突いてドッキングさせることで意表を突き、「でもどうせB級なんだろ?」というセンで落ち着こうとする凡人たち(自分含む)の常識を、ダニエル・クレイグとハリソン・フォードという二枚看板で粉砕したのだ。重要なのが、ダニエル・クレイグでもハリソン・フォードでも、一方だけなら「どうせ主役だけ金積んで内容はB級だろう」という可能性があることだ。有名俳優を二人も注ぎ込むことで俄然内容に対する興味が湧いてくる。

 そしてこの映画の「珍」なる部分というのが、事前のワケの分からなさに対して、王道の西部劇として撮影しているという事で、画角の広い荒野の風景の中を走って行く騎馬の群れだとか、開拓村でのヒーローと悪者の遣り取りとか、ゾクゾクするほど魅力的なシーンを真っ当に作っている。そうして西部劇のパートに入り込んで見ていると、唐突にエイリアンの飛行船が襲撃に来て「あ、これはそういう映画だったんだ」と気付いたりする。

 記憶喪失として登場し、その後徐々にエイリアンとの因縁が明らかになるダニエル・クレイグがエイリアンのパートを受け持っているとすると、西部劇のパートを担っているのがハリソン・フォードで、この人選も非常に的確だと思いました。ハリソンの役は、非常に厳しくも立派なアメリカの父親の理想像みたいな男で、物語の中で様々な若者が彼の薫陶を受けるシーンが出てくる。映画の狙いとしては、監督がやりたかったのはむしろこっちで、普通の西部劇じゃあヒットが見込めないからエイリアンはあくまでも客寄せパンダとして引っ張って来たのではないかとも思える。

 以下はラストのバレなので未見の方は読まないことをオススメしますが、ダニエル・クレイグが町を去る時に1ショットだけ映る犬のシーンがこれまた心憎くてシビれた。これは脚本の段階で既にあったのか、監督の演出なのか、やっぱり西部劇を作りたかったんだなあ、と思わせる演出でした。



ポケパーク2 BW こんな感じで次回作はひとつ・・・

 3Dになったポケモンの動きをじっくり見たいという欲望に気付いたワタクシですが、それをもって改めてこのゲームのムービーを見ると・・・結構不満である。

 自分は要するにポケモンによる「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」が見たかったのだと思う。アレも登場キャラのデザインが非常に独特で、しかもどのキャラも各自の見た目に合わせた個性的な動きをする。人形のサリーは自分の手足の糸をほどいて窮地を脱出したり、市長は感情に合わせて首が180度回転したり。ポケモンも「ナイトメア」に匹敵するデザインの力を持っているのだから、もっと色々と独自の動きを見せて欲しかった。ゴチルゼルの芸者の髷のような(カニみたいにも見えるが)頭部はワサワサと動くのか、ドテッコツの浮き出た血管は青い筋がブキミに盛り上がったりするのか、クイタランの股間のアレはとんでもなく卑猥な動きをするのか。・・・なんだかだんだん子供向けゲームにあるまじき想像になってきて反省。ドレディアがスカート(?)を膨らませてひらひら踊るとか、ミルホッグの目の色がギラギラ変わるとか、見せ場はそれこそポケモンごとにいくらでもあるでしょう。

 ムービーの見せ方ももう少し何とかならなかったのだろうか。明らかに悪いというワケではないのだが、プレーヤーをゲームの世界に引き込む程強い力があるシーンもそれ程無く。個々のポケモンに独特の動きをつけていたら果てしない作業になることはシロートにも分かるから、制作スタッフが「かわいいポケモンのオブジェクトを作ってそれにパスとアンカーつけりゃ子供にゃ十分」と考えているのなら仕方がないのだが。

 このゲームのムービーに関しては、プロモーション映像以上のシーンは無さそうで、素材の魅力は十分なんだから、あとはもう「どう面白く見せていくか」に力を入れるだけでいいのになあ・・・と非常にもったいなく思う。