カウボーイ VS エイリアン | 今日も定時ダッシュ

カウボーイ VS エイリアン

 「カウボーイ VS エイリアン」は、当節まずお目にかかれない珍品映画でした。なんというのか、ジョン・ファブロー監督の緻密な計画通りに、ものすごい狭い針穴に糸を通す作業に成功したというような計算高さを感じさせる映画です。

 そもそもカウボーイもエイリアンも、どちらもジャンル映画として定番中の定番で、この二つが映画上で混じることなど考えもしなかった。そのスキを突いてドッキングさせることで意表を突き、「でもどうせB級なんだろ?」というセンで落ち着こうとする凡人たち(自分含む)の常識を、ダニエル・クレイグとハリソン・フォードという二枚看板で粉砕したのだ。重要なのが、ダニエル・クレイグでもハリソン・フォードでも、一方だけなら「どうせ主役だけ金積んで内容はB級だろう」という可能性があることだ。有名俳優を二人も注ぎ込むことで俄然内容に対する興味が湧いてくる。

 そしてこの映画の「珍」なる部分というのが、事前のワケの分からなさに対して、王道の西部劇として撮影しているという事で、画角の広い荒野の風景の中を走って行く騎馬の群れだとか、開拓村でのヒーローと悪者の遣り取りとか、ゾクゾクするほど魅力的なシーンを真っ当に作っている。そうして西部劇のパートに入り込んで見ていると、唐突にエイリアンの飛行船が襲撃に来て「あ、これはそういう映画だったんだ」と気付いたりする。

 記憶喪失として登場し、その後徐々にエイリアンとの因縁が明らかになるダニエル・クレイグがエイリアンのパートを受け持っているとすると、西部劇のパートを担っているのがハリソン・フォードで、この人選も非常に的確だと思いました。ハリソンの役は、非常に厳しくも立派なアメリカの父親の理想像みたいな男で、物語の中で様々な若者が彼の薫陶を受けるシーンが出てくる。映画の狙いとしては、監督がやりたかったのはむしろこっちで、普通の西部劇じゃあヒットが見込めないからエイリアンはあくまでも客寄せパンダとして引っ張って来たのではないかとも思える。

 以下はラストのバレなので未見の方は読まないことをオススメしますが、ダニエル・クレイグが町を去る時に1ショットだけ映る犬のシーンがこれまた心憎くてシビれた。これは脚本の段階で既にあったのか、監督の演出なのか、やっぱり西部劇を作りたかったんだなあ、と思わせる演出でした。