今日も定時ダッシュ -51ページ目

風立ちぬ

 面白かったのだけれど、何が面白かったのかよく分からない。観終わった後で映画のイメージだけがずっと後を引くような感じなのだけれど、じゃあそれがどういうイメージなのよと言われると、なんなのだろう。

 鈴木プロデューサーが宣伝を兼ねて出演したテレビ番組で、本作は宮崎監督の遺言であるという発言があった。確かにそう取れるような作りだけれど。どちらかというと、以前に、確か「紅の豚」あたりで庵野秀明監督が「(宮崎監督が)パンツを脱いでいない」と批判していたが、そのデンで言うなら今回は恥も外聞もなくパンツを脱ぎ捨ててモロに出してきた感じで、それは遺言とはニュアンスが違う。

 夢や現実で飛行機が飛んで落ちて、主人公の同僚がいて上司がいて好いた女性がいて、映画で何度も出てきた「美しい」という言葉の通りに、この映画は美しいと思う。宮崎監督はもっと具体的にその美しさを描写しているハズなのだけれど、自分が何を見たのかハッキリと覚えていない感じがもどかしくも、それでいいような気がしないでもなく。

バットマン アーカム・アサイラム 原作本を読んでみた

 バットマンのゲームを買おうかどうか迷っていた頃は、よくamazonや楽天の商品ページでレビューを読み返していました。商品ページには「こちらもおすすめです」といった、関連商品の画像がサムネイル表示されていて、その中のひとつに漫☆画太郎先生の本がありました。

 これがずーーっと、それこそ数ヶ月間不思議で、なぜ画太郎のマンガが関連しているのだろう、なんか商品名がそのものズバリ「バットマン アーカム・アサイラム」ってなっているけど、この人がバットマン関連の仕事をするってあるのだろうか・・・と思いつつ、しかしそれ以上は深く考えずに結局ゲームを買い、オープニングに衝撃を受けて大慌てで原作本を購入した・・というのは以前申し上げた通りでございます。

 送られて来た本を手に取ってビックリ。長い間不思議に思っていた画太郎タッチの本こそアーカム・アサイラムの原作本だったのだ! ・・・いや、それはもう自分以外の人にとっては何の不自然も無い事なのでしょうが、オススメ商品のリンクはサムネイル表示であまり大きい画像じゃないから、なんか画太郎先生っぽいと思ったら、その商品がどれほど「アーカム・アサイラム」とか書かれてあってもソレがバットマンの原作本だという可能性には全く思い至らなかったのよ。いやー思い込みって怖い。

 原作本をご存知ない方は、一度amazonにて確認してみてください。ほら、漫☆画太郎でしょ?

 さっそく中身を読んでみて更にビックリ。コレがホントにバットマンなの?一応この本といっしょに「ダークナイト」も購入し、そちらを先に読んだのだけれど、そちらは内容のヘビーさはともかく体裁としては自分のアメコミのイメージの範疇にある物だった。けれども「アーカム・アサイラム」の凄まじい描画は何なんだ!?1回目はサッパリ訳がわからず、2回読んでようやく内容が理解できて、続けざまに3回読んで、3回目は内容そっちのけで絵の素晴らしさに惚れ惚れした。そうか、これがゲームの原作だったのかと、ゲーム以上のインパクトにドッと疲れてしまった。

 ストーリー自体は他愛もない・・・と言ってしまっていいのか悪いのか、要はバットマンがアーカム・アサイラムに収容された様々なヴィラン(悪人のことだそうだが、こう言うとちょっと格好良くて通っぽい)に会っていくだけの話なのだけれど、自分にとっては、まさしく百鬼夜行に遭遇してしまったような感覚に陥った。

 原作本の描写の美しさというか禍々しさというか、とにかくその尋常でなさにひたすらオッタマゲタのだけれど、そんなおよそコミックとして似つかわしくない創作物でもバットマンの世界の一部になっているという懐の深さというか、「こんなモノもアリか!」というアメコミ自体へのカルチャーショックもあったと思う。

 とうことで、自分はこの「バットマン アーカム・アサイラム」に色々疲れてしまい、結局長い間積みゲーになってしまったのでありました。

ゲーフリのなんかコラボ

 ポケモンを製作しているゲームフリークのwebサイトにて、なんかコラボするぞーって話。こういうのは正解が分かる前になんか言っておかねば。

 ポケモンについてコラボでビックリといえば、「ポケモン+ノブナガの野望」が記憶に新しいところ。この2つの組み合わせが意外すぎる事もあって、そのインパクトだけで話題になったけれど、事前情報が全く無かったからこそ発表された時の衝撃も大きかったのも確かである。今回のような形でなにかサプライズを煽ろうとして、実際に発表された時に「な~んだ」と肩すかしを食ってしまうことも結構ある。

 とりあえず何のコラボか予想してみると、これがポケモンとのコラボだったりしたら何にも驚きは無いので多分違うだろうと。この馬っぽいシルエットもポケモンじゃないし。世界中で遊ばれているゲームというとチェスかモノポリーあたりが思いつくが、チェスのコマが何かのキャラクターになっても驚くかなあ?モノポリーだってこれまでに色々コラボしてるだろうし。

 中央のキャラクターがムーミンが四つ足になった感じなので、ムーミンとオセロのコラボってのも・・・意味が分からない。中央のキャラクターがノホホンとしたシルエットなので、あんがいドギツイ奴がベースになってるんじゃないかと思うけれど、それじゃあムーミン谷の住人がHALOみたいに殺戮を繰り広げるゲームなら確かにインパクトはある。

 うーん。さっぱりヒントがなさすぎてワクワクも出来ない。

梅干し 土用干し

 今回ワタクシは、ある決意を以てブログを書いている。とりあえず去年の梅の様子なぞ。


$今日も定時ダッシュ


 一個プカプカ浮かぶ梅の右にある物体にお気づきでしょうか?


$今日も定時ダッシュ


 カビである。カビーん。去年は一年を通して最悪の年まわりで、仕事から家庭から自分の健康から全部絶不調で、梅干しも5年くらいやってますが初めてカビさせるという大失態をおかしてしまった。ということで、自分の恥をおおいに晒す覚悟でもって去年とったカビ写真を載せてみました。

 去年は20キロの梅を仕込んだ。自分は常滑焼の瓶を使っているのだけれど、仕込んだ時点では重石を乗せると蓋ができないのでラップを巻いておいて、梅酢が上がってくると重石を軽いものに変えてラップを外して蓋をかぶせておくのだが、三つあった瓶のうち、一つは梅の量が多かったのか蓋ができず、しょうがないのでラップをかけたままにしておきました。

 その時も仕事が忙しく、梅のことなどほとんど気にかけず放ったままで、土用になっていざ梅干すぞー!と瓶をのぞいてみたら、ラップのままやりすごしていた瓶に得体の知れない発泡スチロールの塊みたいなものが。なんでこんなモンが入っちゃったんだろ、ふしぎーーとボンヤリ考えていたのですが、カビだよこれ!と気付いたときのショックたるや凄まじく、そのままこの瓶の梅は全部ブチ捨てた。去年はかなり鬱気味だったのですが、今思えばこの梅ショックがわりと本格的な体調不良のキッカケになったような気がする。

 いくら梅を放っておいたといっても、一週間前に見た時はなんの異変もなかったことを覚えている。その後で気温が一気に上がり、カビも一気に育ったのだろうが・・・まさか塩分15%でもカビるとは。ラップではなくきちんと蓋をしたほうは無事だったので、常滑焼の瓶ってそれなりに意味のある物なのかもしれない。

 今年は、本日天日干しを行い、明日も干せば出来上がりの塩梅です。去年のカビに懲りて、今年はマメに瓶を覗いてホコリを取り除いたりしておりました。今年は7月の初旬に土用のような猛暑がやってきて、その時に比べれば暑さもいくぶん和らいだ感じがします。というより、名古屋あたりでは毎年、土用の夜は尋常でない蒸し暑さなのが普通なのですが、本日は冷房なしでも十分なほど過ごしやすく、別に冷夏ではないけれど土用っぽくもない。梅干しを作っていると土用の天気に妙に敏感になってしまう。

真夏の方程式 その5

 ブログ以前のホームページ時代から、もう10年くらい雑文を書いているというのに、文章が全く上達していないのを前回のその4を見返して悟った次第であります。映画の描写を文章で説明するくらいなら「是非見てください」のほうが早いのに、分かっていながら同じ過ちを繰り返す、そんな自分がちょっといじらしい。

 ということで「真夏の方程式」の感想その5です。自分がその2で映画にケチをつけたのは、当時はボカしていましたがこの際ネタバレ気味にハッキリ言うと、杏は前田吟とは血がつながっていないにも関わらず、彼は実の娘と同じだけの愛情を杏に注いでいた、という下りが、福山雅治のナレーションで一方的に言われて余りにも説明不足だと感じたからです。

 是枝裕一監督でこちらも福山雅治主演の「そして父になる」がもうすぐ公開されますが、この予告編がそれこそ「血のつながっていない子供でも愛せるか」みたいな感じで、このテーマで映画が一本できてしまうくらいのものなのに、「真夏の方程式」ではちょっと軽過ぎるんじゃないの?と1回目に見た時に思った。けれども2回目に見た際に、ああ、コレはきっと前田吟の犯行動機を描こうなんて、西谷監督はサラサラ考えちゃいないのだと思い直した次第です。

 結局はこのシーンも杏の物語であり、前田吟の話というか、つまるところ事件の犯人やトリックや動機はどうだっていいことだったのだ。

 取調室で行われている福山雅治と前田吟のやりとりを、マジックミラー越しに杏が見続けているのだが、そこで聞かされる父親の秘密に彼女は身を崩して嗚咽してしまう。1回目の鑑賞ではこのシーンを「前田吟が自白する姿を杏が覗き見る」だと思っていた。つまりはメインは前田吟の犯行の顛末であり、それに対して杏が涙を流すという構図なのだけれど、これはおそらく逆で、「嗚咽する杏とそれを察知する前田吟」が正しい解釈だったのだと思う。

 福山雅治の推理が終わって彼が取調室から出ると、前田吟はマジックミラーに近づいて誰かを探すような仕草をして、マジックミラーの向こう側の杏と向き合う。前田吟にとって杏がいるのは承知の上で、ここで見られていたのは杏の方だったのだ。そうと気付かずに無防備に涙を流す姿こそが監督の映したいものだったに違いない。このシーンで泣いている観客(自分も泣いたが)は、ストーリーで示される前田吟の愛情の深さに泣いたのではなく、それを知った杏の姿に感動したのだ。