ローマでアモーレ その2
この映画の中で自分が思わず目を見張った人物その2は、シャワーを浴びている時だけ素晴らしいオペラを歌い上げる葬儀屋のオッチャンであります。しかしその理由は映画とは全く関係ない。
ワタクシはこのごろ、自身の経験やら観察の結果やらで「中年の腹は姿勢の善し悪しで決まる」説を唱えております。中年になってくると、別に太っている訳ではないのに腹周りだけが見苦しく増えていくようになり、それが中年太りというもんだと思っておりました。ただコレって、それほど不摂生な生活をしていなくても下腹だけが出てしまっている人も多く、そういう人というのは脂肪がついた以上に姿勢の悪さが顕著になって腹筋が衰えた末の現象だと思うようになりました。
映画の話に戻ると、シャワーを浴びながら朗々とオペラを歌い上げるオッチャンを、引退した演出家役のウッディ・アレンが唆して舞台に上げるのだが、バスタオルを巻いて舞台に登場した猫背気味のオッチャンの見苦しい段腹が、オペラを歌うシーンになると背筋がビシッと伸びて、絞まった腹には腹筋が浮き出ていて俄然スタイルが良くなっており、この人はホントのオペラ歌手なのだと確信した(映画の公式サイトではこの人のプロフィールが載ってなくて実際は分かりませんが)。
自分はオペラにはとんと疎いのですが、理屈から考えるに、あれだけの声量を出すには正しい姿勢で下腹から腹筋で締め上げて、横隔膜を存分に開閉して声を張り上げているハズである。プロならば発声に関わる腹筋や横隔膜もキッチリ鍛えているだろうから当然として、一般の中年諸子は、シェイプアップを目指すならエグザイルのメンバーみたいな裸になってナンボの筋肉を付けるよりも、先ず正しい姿勢で常時過ごすことを目指すべきだというのが現在のワタクシの持論であります。正しい姿勢でいるのも案外難しいのだけれど。
最近流行りの痩せメソッドであるドローインも、自分の見立てでは腹を引っ込めることが重要ではなく、ポイントは腹を引っ込める際に意識して背筋を伸ばすことにある。背筋を伸ばすだけで腹筋は使われるので、その状態でドローインを行えば腹筋の運動になっている。腹だけ出ている中年というのは、猫背で前首のサルみたいな姿勢になっているパターンが多いので、背筋を伸ばした姿勢がキープできれば体型はかなりスッキリするハズ。
というワケで、「ローマでアモーレ」は個人的にとてもためになる映画でした。
ワタクシはこのごろ、自身の経験やら観察の結果やらで「中年の腹は姿勢の善し悪しで決まる」説を唱えております。中年になってくると、別に太っている訳ではないのに腹周りだけが見苦しく増えていくようになり、それが中年太りというもんだと思っておりました。ただコレって、それほど不摂生な生活をしていなくても下腹だけが出てしまっている人も多く、そういう人というのは脂肪がついた以上に姿勢の悪さが顕著になって腹筋が衰えた末の現象だと思うようになりました。
映画の話に戻ると、シャワーを浴びながら朗々とオペラを歌い上げるオッチャンを、引退した演出家役のウッディ・アレンが唆して舞台に上げるのだが、バスタオルを巻いて舞台に登場した猫背気味のオッチャンの見苦しい段腹が、オペラを歌うシーンになると背筋がビシッと伸びて、絞まった腹には腹筋が浮き出ていて俄然スタイルが良くなっており、この人はホントのオペラ歌手なのだと確信した(映画の公式サイトではこの人のプロフィールが載ってなくて実際は分かりませんが)。
自分はオペラにはとんと疎いのですが、理屈から考えるに、あれだけの声量を出すには正しい姿勢で下腹から腹筋で締め上げて、横隔膜を存分に開閉して声を張り上げているハズである。プロならば発声に関わる腹筋や横隔膜もキッチリ鍛えているだろうから当然として、一般の中年諸子は、シェイプアップを目指すならエグザイルのメンバーみたいな裸になってナンボの筋肉を付けるよりも、先ず正しい姿勢で常時過ごすことを目指すべきだというのが現在のワタクシの持論であります。正しい姿勢でいるのも案外難しいのだけれど。
最近流行りの痩せメソッドであるドローインも、自分の見立てでは腹を引っ込めることが重要ではなく、ポイントは腹を引っ込める際に意識して背筋を伸ばすことにある。背筋を伸ばすだけで腹筋は使われるので、その状態でドローインを行えば腹筋の運動になっている。腹だけ出ている中年というのは、猫背で前首のサルみたいな姿勢になっているパターンが多いので、背筋を伸ばした姿勢がキープできれば体型はかなりスッキリするハズ。
というワケで、「ローマでアモーレ」は個人的にとてもためになる映画でした。
ローマでアモーレ
ローマを舞台に、いくつかの物語をシャッフルして進めていく群像劇タイプのラブ・コメディで、まあいかにもウッディ・アレンらしい映画です。物語ひとつひとつのテーマに重きを置くというよりも、ローマの街から色々とインスピレーションを得て、それをそのままホイホイと映像にしたような感じがする。
それでもまあ、一応ロベルト・ベニーニのパートのラストで教訓めいたセリフが出て来たりして、なんとなく「ためになる」っぽさもある辺りが大ベテランらしいのだけれど、自分が着目したのはペネロペ・クルスとオペラの達者なオヤジの二人でありました。
先ずは、出産して腰回りがガッシリしてきたペネロペ・クルス。ラテン系の経産婦にありがちな肉の付き方ではありますが、一般人のダイエットと違って、ショービズ界の人間なら必要ならばどんだけ金かけても体は絞れるだろうから、おそらく役柄上のローマの高級娼婦のイメージとペネロペ・クルスの太り肉の豊満ボディとがウッディ・アレンにとって適っているのだと思われる。
そもそもイタリア美女ならばモニカ・ベルッチがいるものを、なにゆえ敢えてスペイン女優をあてがったか。ペネロペ・クルスは「赤いアモーレ」という、これまた脱力気味の邦題のイタリア映画で娼婦を演じているが、その時の悲劇的な役どころとは打って変わって、体だけでなく精神的にも脂がのって男にとって気の置けない雰囲気がとても良く出ていた。馴染みの客であるローマの実業家達にペネロペ・クルスが囲まれたシーンが妙におかしいのは、その時の彼女が男に媚びずにアッケラカンとしているからだと思う。この雰囲気とペネロペ・クルスのオバさん化が上手く合っていた。
そしてもう一人、シャワーを浴びている間だけ朗々とオペラを歌うオヤジについては、自分にとってはペネロペ・クルスよりも重要な人物であるので、改めて語ろうと思います。
それでもまあ、一応ロベルト・ベニーニのパートのラストで教訓めいたセリフが出て来たりして、なんとなく「ためになる」っぽさもある辺りが大ベテランらしいのだけれど、自分が着目したのはペネロペ・クルスとオペラの達者なオヤジの二人でありました。
先ずは、出産して腰回りがガッシリしてきたペネロペ・クルス。ラテン系の経産婦にありがちな肉の付き方ではありますが、一般人のダイエットと違って、ショービズ界の人間なら必要ならばどんだけ金かけても体は絞れるだろうから、おそらく役柄上のローマの高級娼婦のイメージとペネロペ・クルスの太り肉の豊満ボディとがウッディ・アレンにとって適っているのだと思われる。
そもそもイタリア美女ならばモニカ・ベルッチがいるものを、なにゆえ敢えてスペイン女優をあてがったか。ペネロペ・クルスは「赤いアモーレ」という、これまた脱力気味の邦題のイタリア映画で娼婦を演じているが、その時の悲劇的な役どころとは打って変わって、体だけでなく精神的にも脂がのって男にとって気の置けない雰囲気がとても良く出ていた。馴染みの客であるローマの実業家達にペネロペ・クルスが囲まれたシーンが妙におかしいのは、その時の彼女が男に媚びずにアッケラカンとしているからだと思う。この雰囲気とペネロペ・クルスのオバさん化が上手く合っていた。
そしてもう一人、シャワーを浴びている間だけ朗々とオペラを歌うオヤジについては、自分にとってはペネロペ・クルスよりも重要な人物であるので、改めて語ろうと思います。
バットマン アーカム・アサイラム ショッキングなオープニング
中古で買ったバットマン アーカム・アサイラム。さっそく始めてみて、そのオープニングのシーンに魂消てしまった。
バットマンに捕えられたジョーカーが拘束台に乗せられ、警護の一団に連れられてアーカムの地下に降りていくという内容なのだけれど、これの見せ方が物凄いのよ。行き先はエレベーターで降りる箇所があるものの一直線に連なった通路の奥なので、表情を伺い知ることもなくひたすら無言で奥へ奥へと進む警護団の真ん中で、カメラ(プレーヤー側)に向かって饒舌に語りまくるジョーカーのシーンがしばらく続く。文章で説明するとそれだけなのだけれど、CGの映像だというのに、そこには不穏な空気というのか、どんどんと異常な世界に入り込んで行くような尋常でない雰囲気に溢れていた。
これは、これから起こるアーカムの惨劇の序章であり、警護側にとっては、ジョーカーを捕えて白星を挙げたのではなく、ジョーカーが用意した死刑台へのグリーンマイルを歩んでいるという意味を持たせているのだろう。
これがバットマンかと目を疑った。これまでバットマンといったら「ノーラン版よりティム・バートン版、ていうかバットマン・リターンズが一番面白いよね」程度の印象しかなかった自分にとって、このオープニングは精神的に非常に重かった。なんとなくカッコいいことを言ってしまうと、自分はその時、ジョーカーに連れられて無言でグリーンマイルを歩む哀れな警備団の一人だった。きゃーかっこいーー。
これはアカン。自分はこのどえらいゲームに飛び込むにはあまりにも徒手空拳、せめて多少の理論武装をしておかねば。
ということで、このゲームを本格的に始める前に、わたくしはアマゾンでアメコミ版の「アーカム・アサイラム」を購入し、とりあえずゲームの舞台でも押さえとくかと考えた次第であります。
それがまあ、さらにこのゲームに対して精神的に重くなるハメになったのですが。
バットマンに捕えられたジョーカーが拘束台に乗せられ、警護の一団に連れられてアーカムの地下に降りていくという内容なのだけれど、これの見せ方が物凄いのよ。行き先はエレベーターで降りる箇所があるものの一直線に連なった通路の奥なので、表情を伺い知ることもなくひたすら無言で奥へ奥へと進む警護団の真ん中で、カメラ(プレーヤー側)に向かって饒舌に語りまくるジョーカーのシーンがしばらく続く。文章で説明するとそれだけなのだけれど、CGの映像だというのに、そこには不穏な空気というのか、どんどんと異常な世界に入り込んで行くような尋常でない雰囲気に溢れていた。
これは、これから起こるアーカムの惨劇の序章であり、警護側にとっては、ジョーカーを捕えて白星を挙げたのではなく、ジョーカーが用意した死刑台へのグリーンマイルを歩んでいるという意味を持たせているのだろう。
これがバットマンかと目を疑った。これまでバットマンといったら「ノーラン版よりティム・バートン版、ていうかバットマン・リターンズが一番面白いよね」程度の印象しかなかった自分にとって、このオープニングは精神的に非常に重かった。なんとなくカッコいいことを言ってしまうと、自分はその時、ジョーカーに連れられて無言でグリーンマイルを歩む哀れな警備団の一人だった。きゃーかっこいーー。
これはアカン。自分はこのどえらいゲームに飛び込むにはあまりにも徒手空拳、せめて多少の理論武装をしておかねば。
ということで、このゲームを本格的に始める前に、わたくしはアマゾンでアメコミ版の「アーカム・アサイラム」を購入し、とりあえずゲームの舞台でも押さえとくかと考えた次第であります。
それがまあ、さらにこのゲームに対して精神的に重くなるハメになったのですが。
バットマン アーカム・アサイラム
2010年に発売されたゲームで、Xbox360を購入した際に一番プレイしたいゲームだったのだけれど、中古で3000円切ったら買おうと舐めたことを考えておりました。目を付けたころが4000円くらいで、その後しばらく3500円くらいまで下がったのだけれど、元々評判の良いゲームだけあって中古狙いの貧乏人が多かったのか、3500円を底値にその後中古価格がジワジワ上がってしまったという、最近の相場みたいな予想外の値動きをしてしまいました。結局3800円くらいで買ったような。
買ってすぐにプレイし始めたものの、長い間積みゲーと化して本日ようやくストーリーモードをクリア(もちろんビギナーで)。その間にアーカム・アサイラムとアーカム・シティのツインパックが3000円強で買えるご時世になってしまい、どうせ積んどくなら買うんじゃなかったという、安物買いの銭失いを地でいくような貧乏小噺になってしまった。
しかし、積みたくて積んでいたワケではない、と誰も聞いちゃいないのに言い訳をしてみる可愛げのある俺。このゲームにおいては積んでいる間も常に「ああ・・バットマンやらなきゃ・・やらなきゃ・・」という強迫観念みたいなものがありつつも、同時に物凄くプレイするのが億劫だったのだ。ストーリーモードをやりおえて、ようやく暗闇から抜け出したというか、憑き物が落ちた感じがする。それくらい、自分にとって「バットマン アーカム・アサイラム」は心情的に重いゲームだった。
買ってすぐにプレイし始めたものの、長い間積みゲーと化して本日ようやくストーリーモードをクリア(もちろんビギナーで)。その間にアーカム・アサイラムとアーカム・シティのツインパックが3000円強で買えるご時世になってしまい、どうせ積んどくなら買うんじゃなかったという、安物買いの銭失いを地でいくような貧乏小噺になってしまった。
しかし、積みたくて積んでいたワケではない、と誰も聞いちゃいないのに言い訳をしてみる可愛げのある俺。このゲームにおいては積んでいる間も常に「ああ・・バットマンやらなきゃ・・やらなきゃ・・」という強迫観念みたいなものがありつつも、同時に物凄くプレイするのが億劫だったのだ。ストーリーモードをやりおえて、ようやく暗闇から抜け出したというか、憑き物が落ちた感じがする。それくらい、自分にとって「バットマン アーカム・アサイラム」は心情的に重いゲームだった。
華麗なるギャッツビー
バズ・ラーマン監督のセンスって「ムーラン・ルージュ」では実は小バカにしていたのだけれど、「オーストラリア」で見直して、今作では「ああ、こりゃスゲーわ」と180度転換いたしました。昔バカにしていたのに今となっては大好きだなんて・・・ちょっぴりクヤチイ。
バズ・ラーマンに対するこの変化は、おそらく自分の映画の見方が変わったからだと思う。自分の若かりし頃はコムズカシイものを尊ぶ傾向があったが、今ではすっかり顔のシワが増えて頭のシワが減り、難しいことは抜きで「目で見て楽しいもの至上主義」と成り果てて候。
ということで、この豪勢な二時間半を、わたくしは「ああ、眼福眼福」とひとりごちながらスクリーンに魅入っておりました。世知辛くてみみっちい現実をぶっ飛ばすキラキラパワー最高!
この映画でギャッツビーを演じるのはレオナルド・ディカプリオ。この人はスター的な華やかさと演技力とをどちらも備えているので、この役に物凄くうってつけ。ギャッツビーが登場する時の花火をバックにこちらを振り返ってニカーっと笑うシーンに感動しながらも、そのキメキメぶりに大笑いした。その後で、長年の思い人であるヒロインと再会する時のずぶ濡れのシーンにも大笑いした。アレは絶対に客を笑かそうと思ってやっているハズ。
この映画でバズ・ラーマン監督は窓から入ってくる空気を巧みに演出に取り入れており、冒頭のキャリー・マリガンが登場するシーンでは、開け放たれた窓から心地よい風が吹き込んで、部屋の薄い生地のカーテンを雲のようにたなびかせながら、そのカーテンの雲の中でソファに寝転んでたゆたう美女が二人・・・とまあ、ものすごく手の込んだ見せ場を作っている。他にもギャッツビーの後ろ暗い経歴を暗示させるように、突風が当然窓を開けてつむじ風が入り込んだり、彼が馬脚を現すホテルのシーンでは、ニューヨークの熱気が入り込む部屋が舞台になっている。これは見方を変えれば、窓から入る空気によって中の人間の心情が規定されるともいえる。
ディカプリオとキャリー・マリガンが出会うシーンでは、二人の再会をロマンティックに彩るためにコレでもかと色々な仕掛けを施している。物語上は先に部屋で待っているディカプリオとトビー・マグワイヤ、時間通りにやってくるキャリー・マリガンという位置関係になっている。そのままならばキャリー・マリガンをトビー・マグワイヤが出迎え、二人で部屋に入った時にディカプリオにビックリ、という展開になる。しかしそこで何としても窓辺に立って外を見ていたキャリー・マリガンが振り返って入り口に佇むディカプリオと見つめ合わせるという映画的な絵に持って行きたかったバズ・ラーマンは、その状態から邪魔なトビー・マグワイヤを含めた3人の位置を、箱入り娘のパズルのようにクルクルと入れ替えて望むポジションに付けている。なんかあのシーンでは、ずぶ濡れのディカプリオに大笑いしながらも、固唾を飲んで二人はどうやって見つめ合うのかを見守りましたよ。
このシーンで部屋に置かれた豪華な花々は、物語上は気合いの入ったディカプリオの子供じみた気配りという意味だろうが、映画的にはもちろん再会した二人の姿を美しく彩るためである。4時になるまではあれほどディカプリオに見つめられ続けた時計は、キャリー・マリガンとの再会に緊張するディカプリオに「うっかりと」壊される。これも、物語上は緊張したディカプリオが粗相したということだろうが、映画的には二人が再会して邪魔になった時間をスクリーンから追い払うためである。絶対にバズ・ラーマン監督は、二人が再会する絵をゴールにして、そこに辿り着くために逆算しながらそこまでの流れを作っているハズ。
バズ・ラーマンに対するこの変化は、おそらく自分の映画の見方が変わったからだと思う。自分の若かりし頃はコムズカシイものを尊ぶ傾向があったが、今ではすっかり顔のシワが増えて頭のシワが減り、難しいことは抜きで「目で見て楽しいもの至上主義」と成り果てて候。
ということで、この豪勢な二時間半を、わたくしは「ああ、眼福眼福」とひとりごちながらスクリーンに魅入っておりました。世知辛くてみみっちい現実をぶっ飛ばすキラキラパワー最高!
この映画でギャッツビーを演じるのはレオナルド・ディカプリオ。この人はスター的な華やかさと演技力とをどちらも備えているので、この役に物凄くうってつけ。ギャッツビーが登場する時の花火をバックにこちらを振り返ってニカーっと笑うシーンに感動しながらも、そのキメキメぶりに大笑いした。その後で、長年の思い人であるヒロインと再会する時のずぶ濡れのシーンにも大笑いした。アレは絶対に客を笑かそうと思ってやっているハズ。
この映画でバズ・ラーマン監督は窓から入ってくる空気を巧みに演出に取り入れており、冒頭のキャリー・マリガンが登場するシーンでは、開け放たれた窓から心地よい風が吹き込んで、部屋の薄い生地のカーテンを雲のようにたなびかせながら、そのカーテンの雲の中でソファに寝転んでたゆたう美女が二人・・・とまあ、ものすごく手の込んだ見せ場を作っている。他にもギャッツビーの後ろ暗い経歴を暗示させるように、突風が当然窓を開けてつむじ風が入り込んだり、彼が馬脚を現すホテルのシーンでは、ニューヨークの熱気が入り込む部屋が舞台になっている。これは見方を変えれば、窓から入る空気によって中の人間の心情が規定されるともいえる。
ディカプリオとキャリー・マリガンが出会うシーンでは、二人の再会をロマンティックに彩るためにコレでもかと色々な仕掛けを施している。物語上は先に部屋で待っているディカプリオとトビー・マグワイヤ、時間通りにやってくるキャリー・マリガンという位置関係になっている。そのままならばキャリー・マリガンをトビー・マグワイヤが出迎え、二人で部屋に入った時にディカプリオにビックリ、という展開になる。しかしそこで何としても窓辺に立って外を見ていたキャリー・マリガンが振り返って入り口に佇むディカプリオと見つめ合わせるという映画的な絵に持って行きたかったバズ・ラーマンは、その状態から邪魔なトビー・マグワイヤを含めた3人の位置を、箱入り娘のパズルのようにクルクルと入れ替えて望むポジションに付けている。なんかあのシーンでは、ずぶ濡れのディカプリオに大笑いしながらも、固唾を飲んで二人はどうやって見つめ合うのかを見守りましたよ。
このシーンで部屋に置かれた豪華な花々は、物語上は気合いの入ったディカプリオの子供じみた気配りという意味だろうが、映画的にはもちろん再会した二人の姿を美しく彩るためである。4時になるまではあれほどディカプリオに見つめられ続けた時計は、キャリー・マリガンとの再会に緊張するディカプリオに「うっかりと」壊される。これも、物語上は緊張したディカプリオが粗相したということだろうが、映画的には二人が再会して邪魔になった時間をスクリーンから追い払うためである。絶対にバズ・ラーマン監督は、二人が再会する絵をゴールにして、そこに辿り着くために逆算しながらそこまでの流れを作っているハズ。