今日も定時ダッシュ -52ページ目

真夏の方程式 その4

 ここまで(一応)ネタバレしないように気をつけてきましたが、今回はバラさないことには何も書けないので、犯人知りたくない人は以下をパスしてください。

 「真夏の方程式」は、秘密を持つ者が鏡やガラスに映るその姿を他人に見られて、その秘密を匂わせてしまうという演出が何度か出てきます。映った姿を目撃されるというのがとても雰囲気があって、見られる側の無防備な姿がとても胸に迫る。

 犯行当時に前田吟が少年に背を向けて明かりの点いた部屋を見つめる回想シーンが2度出て来る。1回目は福山雅治が推理を述べている最中に挿入されていて、ここでは福山雅治の推理を補強するような、前田吟が自分が施した犯行の首尾を気にかけているような見せ方をしている。

 しかし後に、恭平の回想で同じシーンが挿入され、そこは福山雅治の推理ではなく、少年の目で見た当時の真実が姿を現す。前田吟は恭平に背を向ける形で、少年には決して見られていないという油断の元で行ったことが、窓ガラス越しに恭平に見られてしまっていたのだ。1回目と2回目の映像の切り取り方が物凄く恣意的で、1回目の回想は犯人の感情を観客にミスリードさせている。

 原作を読んでいないのでテキトーに言ってしまいますが、こういうセリフやナレーションによらずに映像で表現することこそが映画の醍醐味であって、小説やテレビドラマでは普通はもっと直接的に表現される。映画を見て「ストーリーに感動しました」というのは、案外ストーリーそのものの善し悪しではなく、それをどう見せたかによる所が大きい。だから映画では脚本家よりも監督が注目されるのだ。

真夏の方程式 その3

 映画の不満な点は前回で述べたつもりでしたが、2回目を見て言い忘れていたことに気付きました。福山雅治、飯の盛り方が汚い。茶碗の縁でご飯をこそいじゃダメよ。

 この映画を通して青色がとても印象的で、それは玻璃ケ浜の海の色そのものであり、それはそのまま杏が演じる娘の世界の色として演出されている。彼女が海に潜る際に青いTシャツを脱いで青のビキニ姿になり、青い海に飛び込んで行く。青が彼女の世界そのもので、映画の冒頭でトンネル内の電車のパンタグラフが映されるが、そこでも青い火花を散らしながら玻璃ケ浜に到着する。

 しかしこの映画では青以外の色も強調されていて、先ず恭平の色として黄色が施されている。彼は黄色い携帯を持ち、黄色のランニングやTシャツを来て、海の中を見るロケットの実験では黄色いペットボトルを使い、彼はそれを最後まで大事に抱えていた。夕陽に照らされて堤防に座る恭平と湯川教授のシーンでは、この時だけ海も空も黄色に染まっていて、これは杏ではなく恭平の物語のシーンであることを物語っている。また、叔母の宿屋からホテルに移って、心細くて教授を訪ねるシーンもホテルの廊下が黄色がかっており、黄色は恭平の色であり、彼の不安な状態を意味しているのだと思う。

 そしてもう一つが赤で、過去の事件で被害者が持っていた真っ赤な傘であり、青い海の中に浮かぶ赤い傘のイメージは、それこそが杏の心の秘密を象徴している。過去の犯行シーンでは、赤い街灯が照らす通りを犯人はひた走り、赤(というかオレンジだったけど)く照らされた歩道橋で犯行に及んでしまう。赤は血の色であり凶事の色である。映画のラスト、エンドクレジットに入り、お馴染みのガリレオのテーマがバックに流れる中、電車は赤く染まったトンネルを抜けていく。杏の青い世界から、事件に溢れるいつものガリレオの世界に戻っていくという意味なのではないかと思う。

 青と黄と赤。それ以外は印象に残る色を排除しており、主役の福山雅治は黒か濃いグレーのスーツを着て、携帯も黒。吉高由里子も黒いパンツスーツを着て黒い車を運転する。夏の映画だというのにこの暑苦しい出で立ちは、映画の中でこの二人は黒子として扱われているからではないかと思う。映画の中で吉高由里子のセリフが耳障りな音に遮られるシーンが2つあり、これも多分、推理や捜査が映画の本筋ではなく、とどのつまり福山雅治や吉高由里子は主役とヒロインではなく、杏や恭平の世界の中の狂言回しなのではないかと思う。

真夏の方程式 その2

 先週テレビで放映された「容疑者Xの献身」を見て、「真夏の方程式」の予算は容疑者Xに比べてかなり少ないんだろうなあ。。。などと感じた次第であります。

 「容疑者Xの献身」の大掛かりな磁力の実験シーンや冬山登山のシーン(なんと空撮まで!)、地下カジノの現場を押さえる短いシーンなどなど、本筋を語る上で必要ではないけれど予算を食いそうなシーンをふんだんに盛り込んでいて、「ああ、この頃はフジテレビにお金が仰山あったんやねえ・・・」としみじみしてしまった。

 別に「真夏の方程式」が貧乏臭い訳ではないのだけれど、ミステリの醍醐味である探偵が事件の真相を突きつける場面では、小説ならばOKでも映画だと探偵がひたすら事件のあらましを喋るだけに終わってしまう絵ヅラになってしまう。「容疑者Xの献身」ではそれを極力避けるようにしていたが、「真夏の方程式」は真犯人の動機を唐突に暴く場面も含め、物語の辻褄合わせを全部福山雅治のセリフで間に合わせてしまった感じがする。解決シーンが他と比べて浮いてしまっているというのか。

真夏の方程式

 例えば堤幸彦監督の「ケイゾク」や「TRIC」、最近では「SPEC」といった大ヒットのテレビドラマに比べて、堤監督の映画のつまらなさは何なのだろうと思う。自分はテレビドラマを殆ど見ないので、堤監督のテレビドラマが本当に面白いかどうかは分からないが、色々と評判になっているので視聴者をひきつけて面白がらせるだけの才能があるハズである。そして映画オタクのオッサン(私)が評判を聞きつけて「劇場版トリック」なんぞ見てしまうと、キツネにつままれたような気分になってしまう。

 しかし小心者の映画オタクとしては評判の映画を「ツマラン」と切って捨てる勇気もなく、きっとテレビドラマを全く知らずに見ても面白くないのだろうと日和見的な結論を出して、その後「二十世紀少年」のその1を見ても「やっぱりツマラン。しかしこれは原作マンガを読んでいない以下略」という納得の仕方をしていた。今でも年に一作かそれ以上のペースで堤監督の映画が公開されているけれど、でもなあ・・・この人の映画って誰に受けてんの?と不思議に思う。

 例えば是枝裕和監督の「誰も知らない」や「空気人形」、もうすぐ公開される「もうすぐ父になる」といった評判になったりカンヌで賞を穫った映画に比べて、テレビドラマとして製作された「ゴーイング マイホーム」の惨憺たる評判は何なのだろうと思う。自分は是枝監督に関しては件のドラマはもちろん映画についてもキチンと見ていないので、是枝監督の演出とは何ぞや、なんてエラソーなことはとても言えないのだけれど。

 ただし、堤監督であれ是枝監督であれ、面白いから評判になったり賞を穫ったりしている訳で、じゃあそれぞれ何が違うのよと言われれば、やっぱり「そもそも映画とテレビは違う」ということだけは間違いないと思う。テレビの手法を映画に持ち込んでもダメだし、その逆もダメということだろう。

 自分はテレビドラマと映画の違いはドラマ(物語)のプライオリティではないかと思っている。テレビドラマは文字通り「ドラマ」であり、物語が一番にあって、だからテレビドラマでは脚本家に重きを置かれる。「ふぞろいのリンゴたち」はオープニングに「山田太一ドラマ」という文句があったし、「渡る世間は鬼ばかり」なんてタイトルからして「橋田壽賀子ドラマ 渡る世間は鬼ばかり」と脚本家の名を入れている。

 テレビドラマと比べて、映画では脚本家の扱いがとても小さい。たいていの人は監督の名前で見る映画を決めても脚本家の名前で映画を見るということはしないと思う。2012年のアカデミー賞を穫った「アルゴ」は俳優であるベン・アフレックが監督したことは今さら言うまでもない事だが、じゃあ脚本家は誰よ?なんて気にする奴はまずいない。この映画とテレビドラマの監督と脚本家の扱いの違いこそが、それぞれのドラマに対するプライオリティの違いのハズである。
 
 西谷弘監督は、そのあたり不思議な人で、テレビドラマの代表作というと敢えて言えば「白い巨塔」あたりだろうが堤幸彦監督ほどテレビ色が無く、けれども映画となるとコレが全部フジテレビもの。wikiで見るとフジテレビに所属しているのだから当たり前なのだが、そうなるとイメージとしてはそれこそ堤幸彦的というか、「テレビで満足した客のためにテレビと同じモノを映画でも見せなさい」とか言われていそうだけれど、テレビで重要なのはドラマだというのに西谷監督はドラマありきで映画を作っていない・・・と思う。このあたり、自分でもハッキリと説明できないのだけれど、ドラマありきで作っていないからこそ「アマルフィ」はあれほど叩かれたし、他の西谷監督の映画も映画館で見てちゃんと面白いものになっていると思う。

 そして今回の「真夏の方程式」ですが、それぞれの登場人物の視線でドラマや感情を表現するあたりがしっかり映画になっていて・・・長くなりそうなので続きます。実はもう一回観たい。

参議院選挙

 選挙公示前から色々取り沙汰された、ワタミ元会長の渡辺氏が自民党公認の比例代表で出馬する運びとなりました。渡辺氏は図らずも自分が成人してから二十数年で一番の、若者に対するキャッチーなネタを提供する候補者だと思います。

 この人に関するニュースについては全てがそのまま正しい訳ではないのだろうが、報道されるようなワタミ流経営的な価値観について、別に若くない自分でも気持ち悪さを感じていて、何故それが気持ち悪いかをここ暫くの間考えているのだけれど、どうにもハッキリしない。自分のような手合いは面と向かって反論できない分、たとえば渡辺氏の講演会なんかがあってウッカリ聴いてしまうと一気にシンパになって近所中に自腹で購入した渡辺氏の本をバラまきかねないので、何とかしてこの違和感を形にしたいと思うのだけれど。

 二十代の頃は、ご多分に漏れず全ての選挙を投票せずスルーしたクチなので、今の若い世代が投票に行かないというニュースにも「まあそうだろうな」と思う。ただ今回は、ここまでハッキリと若い世代に関わる論点が出ているのだから、それに対して投票という形でアクションを起こしても誰も笑わないと思う。いや、わたしゃ内心笑ってたのよ、土井たか子時代に社会党に入れた奴らを。そんな自分は投票してなかったんだから、自分のほうがみっともなかったんだけどさ。