今日も定時ダッシュ -55ページ目

クロユリ団地

 前田敦子がキンタローにソックリに見えるショットが2つあって笑った。この子はAKB引退後に顔の輪郭を上手く隠すような髪型にしてグンと可愛くなった印象があるが、映画ではフォトジェニックを押し通すのは難しく。といいつつ、この見ようによって容姿の印象がガラリと変わるのは、彼女の個性であり、彼女がAKBでトップで支持された理由の一つなんじゃないかと思う。

 42のオッサンである自分がAKBを初めとするアイドルのニュースを見るにつけて、「よくまあこんな年頃の可愛らしい娘さんが水死体みたいなオヤジ共に愛想振りまけるよな」と感心してしまう。普通の高校生ならば「キモっ!」と切り捨てて目も合わせない奴らに、うっかりアイドルになってしまったばっかりに「応援ありがとうございます!」とか言ってオッサンの汗ばんだ油っ手をガッシリ握らされるなんて、彼女達自身が「自分は前世でどんな罪を犯したのだろうか」とか我に返る事はないのだろうかと不思議に思う。

 前田敦子が偉いなあと思うのは、推しメンのためにCDを100枚単位で購入するようなキモオタに対して、賞賛であれ誹りであれ、そのものすごく鬱積したパトスを見事に受け切った事だと思う。AKB商法と言われるような狂った消費を唆す側に対して、それにハマる人達というのも注ぎ込んだ金の見返りは必ず求めてくるハズで、そりゃそれで儲ける大人は笑いが止まらないと思うが、最前線に立つ年端もいかない女の子の心中はいかばかりか。こっちを掘り下げたほうがクロユリ団地より数段ホラー要素が高い。
 
 この「クロユリ団地」は秋元康から前田敦子への卒業祝いのご褒美ではないかと思う。秋元康の号令のもと、監督に中田秀夫、脚本に加藤淳也と三宅隆太(この二人はちょっとマニアックだが、この手の映画で実績のある人達である)、音楽に川井憲次と、錚々たる人材を集めてきたもんだ。

 相手役の成宮寛貴は、年なりに頬がこけて精悍になったと思いきや、前田敦子がキンタローならこっちはピーターに見えてきた。なんかもうホラーどころではない。ついでに手塚理美もピンク映画の女優の吉行由実にカブって見えてきてしまう。見ている最中の脳内が非常にカオス。
 
 ホラー映画なのにさして怖くないという事に目を瞑れば(瞑っていいのか?)「クロユリ団地」はなかなか面白い映画だったと思います。怖くないとはいえ、心理的にジワジワくる演出はJホラーの系譜として正しいと思います。まあ今更Jホラーとしてどうこうなんて言っても詮無いことだけど。

クレープ

 いまさらDSでもないけれど、料理ネタで新カテゴリーを作る程でも無く。

 クレープについては以前にミルクレープをブログにアップしたこともあり、今でも月に1度は作っている気がする。そうなるとそれなりに腕も上がってくるモンで、昔よくやらかした「モチモチしたチヂミみたい」ということは無くなりました。レシピ自体はクックパッドあたりで好みのものを引っ張ってくればいいのですが、自分なりのコツ(といってもテレビで紹介されていた奴)としては、ひとかけらの溶かしバターを生地に混ぜ込んでおくと、一回目にフライパンに油をひけば、焼いた際にバターの油がフライパンにまわって、その後は油いらずでフライパンも焦げ付かずに上手く焼けます。

 もう20年前になるのですが、留学していた時の学校のパーティーで、たいていこういう場合は自分の国の料理を持ち寄ることが多いのだけれど、フランス人の主婦がクレープを山ほどこさえて持って来てくれました。フランス人が作ったクレープといえばインド人が作ったカレーくらい「本場モン」の有り難みが強く、興味津々で頂いたら予想に違わず凄くウマい。そもそも当時はクレープってそれほど一般的ではなく、ちょっとした異国情緒のある食べ物だったのよ。まあお祭りの屋台でも既にあったけどさ。

 で、いつものことながら「こんなウマいクレープを食ったのは生まれて初めてだ」と喜んで食べていて、その主婦に「このクレープって中に何が入ってるの?」と聞いたところ、「こっちはジャム、こっちは砂糖」という答えが。特に美味しかったのは砂糖入りのほうで、砂糖だけでこんなに美味しくなるものかとビックリして、「ホントに砂糖だけ?」と聞き返したら、「ホントに砂糖だけよ」というお返事。

 クレープっていったらチョコレートだの生クリームだのイチゴだバナナだメロンだと中に何を入れるかに重きをおかれている食べ物で、それはそれで美味しいのだけれど、「砂糖だけよ」というシンプルさが小粋なマドモワゼルでねえ(意味不明)、家庭で作って食べる分にはこれくらいシンプルじゃないとやっとれんわな、と非常に納得した。

 ということで、これまでもクレープを作る度に「アノ時食べた砂糖だけのクレープ」を再現してみたく、焼いたクレープに砂糖を振りかけてみると何か違う。砂糖のジャリジャリした感じが残ってしまい、どうにもコレジャナイ感じ。ならばと砂糖を火にかけてカラメルになる手前で止めるとか、電子レンジに入れて砂糖を溶かしてみるとか試してみてもやっぱり違う。

 これがアレか?所詮は山出しの日本人にゃ到達できないフランスのエスプリって奴か?と、砂糖だけのクレープは自分にとって幻の味になりかけていたのですが、先日、冷蔵庫に入れっぱなしになっていた粉砂糖を見つけて試しに振りかけてみたところ、これが大ビンゴ!ああ、コレだわコレ。分かってしまえば何のことはない、なるほど確かに「砂糖だけよ」ですわな。

 粉砂糖のクレープは皮のおいしさをシンプルに味わうスタイルで、砂糖の甘さはあくまでも皮の味を引き立てる程度。まあ分量は好みでいいかと思います。しかしこの、クレープは粉砂糖だけでウマいという発想は日本人に非常に乏しいようで、ほとんどのクレープのレシピは中に何かを入れているものばかりです。やっぱりコレはアレだね、日本の粉モノ文化って、お好み焼きでもどら焼きでも「中に具を入れるべきもの」という不文律が絶対あるね。だとすると、クレープ皮のおいしさを味わうための「(粉)砂糖だけよ」という言葉は、ホントにフランスのエスプリ(スピリット)かもしれない。

悪いのはソコなのか?

 ラーメン評論家を名乗る女性タレントが、ラーメン屋の定休日を年中無休と勘違いしてツイートした件について。なんだろう、彼女自身の言動だけではなく、この炎上騒ぎの取り上げられ方に物凄く激しい違和感がある。

 自分が気になるのは、もし仮に、この人がラーメン屋を訪ねた日に本当に店が臨時休業だったとしたら、このツイートは世間的にOKなのだろうか。この人は仕事でラーメン屋に行っているようだしおそらく腹も減っているだろう所で肝心の店が休みだったら悪態の一つもつきたくなるのが人情だが、だからといって「理由のないお休みは人を悲しくさせます」という嫌味な発言をタレントがパブリックに流す行為は行き過ぎてはいないか。自分は、このタレントの方の言動そのものよりも、本当に臨時休業ならばこの発言は正論だとするライブドアニュースの感覚こそが違和感の根本としてある。
 
 このタレントとライブドアの中の人の双方に共通しているのは、「コンビニやファミレス以外の営業形態が分からない」ということではないかと思う。24時間開いていて当たり前で、客はいつ行っても同じサービスが受けられるという便利さしか知らず、店側の都合など客が関知するコトではない。コンビニやファミレスに限らず、どの店もどのサービスもそれが当たり前であるという感覚ではないかと思う。

 だからこのタレントのツイートは、「臨時休業なんてアタシには関係ない!」という言い草が世間に受け入れられると思った上での発言だし、「食べログに年中無休と書いてあったからアタシはやっぱり悪くない」というのも、もしネットの情報で年中無休とあっても、何かどうしても店が開けられない理由があるかもしれない。それが分からないのがファミレスしか知らない人間の感覚である。例えば、店が満席で新しい客が入ってきたら自分がもう済んでいれば席を立つ気遣いは、ファミレスしか知らない人は「金払って店に来てるんだから何故そんなことをする必要があるのか」と考えるだろうと思う。

 この発言の後の謝罪についても、どうにもこの人自身が「勘違いで批難した言い訳を嘘で固めたことが悪かった」と思っているようで、それを受けて炎上させてる方もソコを批難しているようで、それは確かに悪いのだろうが、そもそも臨時休業ごときをパブリックに批難する心の余裕の無さのほうがオカシイと思わないのだろうか。この本谷さんというタレントの方が、それこそファミレス評論家だったら自分もこんなに違和感は持たないのだけれど。

図書館戦争

 図書館の蔵書を検閲のために没収しようとする団体と、資料収集の自由を標榜する団体とが血で血を洗う戦争を繰り広げるというのがプロットのこのお話。まあ確かに突拍子もない設定だと思うが、所々で自分の感覚にフックするところもあり、何よりこの状況自体を一般人が「どうせ戦争ゴッコ」と見下すシーンもあったりして、ソレはソレ、コレはコレという感じ。どんな感じだ?

 映画の中で「犯罪を犯した少年が殺人鬼や凄惨な事件を扱った書籍を所持していた。これは有害書籍だ!」というようなくだりがあり、本を擁護する側から「また本のせいにすればいいと思ってる」と嘆くシーンがある。現実に即して言うならば、ロリコンマンガやゲームを有害指定して排除しようとする運動があり、排除に反対する立場の人が論拠にしているのが、「排除派の思惑とは逆に、ロリコンマンガがあるおかげで犯罪をセーブしている」というものがある。これがねえ、ソレは一理あるかもしれんが、総論ではやっぱりそうは思わんのよ。

 自分が物心ついてからこのかたテレビ雑誌新聞ネットなどなどのメディアに浸ってきて、「現代の欲望の大部分は情報が先行して作っている」という思いがある。要は雑誌で「今年の夏は花柄が流行します」と載れば、「アタシも花柄が欲しい」というような心の動きである。流行ぐらいなら罪は無いが、これが性的なものだと、初めは単にネタ欲しさに眺めていた程度だったのが、どんどん刺激の強いものを求めた挙げ句、異常さを自分のパーソナリティにしてしまう輩が出てくる。知らなきゃ知らないで済んでいたものが、情報によって歪んだ欲望が形作られて先鋭化してしまうというのか。

 ということで、「本のせいにすれば解決する」というのが間違いであることはその通りだが、じゃあメディアは常に無罪かというと決してそうではない。なんつーか、奥歯に物が挟まったような言い条だけど。

 面倒な話はおいといて、映画としては、榮倉奈々と栗山千明がお風呂に入っているシーンから俄然面白くなってきた。監督はあのシーンでは絶対意図して二人の前をエキストラの生足で何度も横切らせて無用な奥行き感を出しており、自分は、「え?もしかしてこの映画って3D?3Dだったの?自分はどっちにピントを合わせりゃいいの?足なの?二人の顔なの?どっちなのおお~」と非常にうろたえつつ足にピントを合わせて見てました。その後に画面の両端で二人が顔の手入れをしているシーンで鏡越しに相手を眺める様子も含めて、とても良かったデス。

 榮倉奈々が一本気で直情径行のヒロインをとても清々しく演じていて、クライマックスで彼女のアクションの見せ場がしっかりあるのも、その後で顔をくしゃくしゃにして「勝手にします!」と答えるのも楽しかった。ヒロイン以外のキャラクターの味付けは薄くて、特に鈴木一真演じるところの強烈に図書館に反対する人物が謎のままだったが、映画の見せ方としてはそれでいいのだと思う。

祝!エターナルダークネスの続編っぽいものが発売(されるかもしれない)

 「エターナルダークネス」の精神的続編がWiiU(とPC)で発売されるというニュースを読んでワタクシが思った事の巻。

 ゲームキューブで2002年に発売された「エターナルダークネス」は、おそらく自分が最初にハマった洋ゲーだったと思う。その続編となると嫌が応にも胸が高まるが、ただし、このゲームを製作したシリコンナイツという開発会社のことを考えると、なんとなく複雑な思いにかられてしまう。

 「エターナルダークネス」は任天堂のゲームにしては非常に珍しく、小説のような個人的な才能ありきで成功したようなゲームで、クトゥルフ神話をモチーフに、紀元前から現代までの歴史を俯瞰する壮大な物語と、正気を失っていくと次第に幻覚が現れるゲームデザインは、ゲームのディレクターのデニス・ダイアック氏の功績である。任天堂とシリコンナイツという一見不似合いな組み合わせは、シリコンナイツが会社の運営が苦しくなった際にアメリカの任天堂と提携したとか、確かそんな縁だったと思う。発売当時のインタビューで、開発の最終段階で任天堂チェックが入って、主にゲームをプレイする上で不必要に分かり辛かったり不親切な箇所などを修正したと言っていたが、残虐シーンや幻覚シーン、そして何と女の人のおっぱい(乳首付き)はそのままだったのだ。任天堂的には、おっぱい(乳首付き)はデニス氏の作家的な表現の領域として手を付けなかったのだ。

 任天堂のゲームの中にあって異彩を放っていたシリコンナイツだけれど、ゲームキューブの次世代機が体感機に舵を切ってWiiになった際に、ダイアック氏はよりマシンパワーのあるゲーム機であるXbox360をメインプラットフォームに選び、任天堂との提携だかは解消してしまったようであります。

 自分がシリコンナイツについて抱いているイメージは、なんといいますか、「ヒキの弱いゲーム会社やなあ・・・」という印象がある。ここが任天堂と提携していたのは64からGCの時代という任天堂がソニーに押されてダメだった頃で、「エターナルダークネス」がGCで出てなかったら自分はこのゲームをプレイしていなかっただろうから個人的には良かったのだけれど、シリコンナイツとしては、プレステとプレステ2でToo Human三部作が展開できていればもっと成功していたかもしれない。

 もしも任天堂のままWiiでToo Humanを製作していたら、DSとWiiの空前の売れ行きをバックに、じっくり時間をかけてシリコンナイツと任天堂の良さを練り込んで作り上げることができたかもしれない。

 しかし現実は、必要なマシンスペックを求めて任天堂からマイクロソフトに鞍替えしたはいいけれど、アンリアルエンジンでのゲーム製作に苦労して、おそらく納期も大幅に伸びてしまい、三部作を予定していたToo Humanは今の所続編が出る見込みなし。開発の遅れについてアンリアルエンジン提供元のEpic Gamesを訴えるも、逆に提訴されて結局シリコンナイツが負けてしまうという可哀想な結果に。多分マイクロソフトからも切られていると思う。善かれと色々動いた結果がことごとく裏目に出ている。これをヒキ弱と言わずに何と言おう。

 それでもまさかのエターナルダークネスの精神的続編(なんじゃそりゃ)の発表のニュースにデニス・ダイアック氏の健在ぶりが伺えて何よりでありました。ただ気がかりなのがプラットフォームがPCとWiiUだそうで、この取り合わせが何だか不吉。なぜプレステ4や次世代XboxではなくWiiUなんだろうか。いくらGCで出たといったって、いまさら任天堂に義理立てする理由もないだろうし・・・。なんとなくデニス・ダイアック氏のヒキ弱がまだまだ続いているような気がする。