今日も定時ダッシュ -5ページ目

NINTENDO SWITCHについて今さら思う事

 スプラトゥーン2の感想の前に、まさかここまで人気が出るとは思わなんだNINTENDO SWITCHにつきまして。このハードは、発売前は長所よりも中途半端な短所のほうに目が向きがちで、PS4に比べてロースペック、携帯できる割にはバッテリー保たない、などなどの「帯に短し襷に長し」的な仕様がSWITCHの行く先の不安を感じさせた。ニンテンドウ大好きな人たちも、逆にアンチな人たちも、ネットニュースの論調も、それこそWii登場時のような、諸手を挙げて「SWITCHはスゴイ!」と褒める意見はほとんど無かった。

 

 しかしこれがどういうことか、蓋を開けるとまさかの大ヒット。従来のゲームファン層の思惑を超えて売れに売れている。笑えるのが当の任天堂ですら「まさかこんなに売れるとは思ってもみませんでした」みたいな品不足になっている事ですが、そのせいでこの炎天下をかけずり回ってSWITCHを買おうとしている人たちが一番可哀想ではあります。自分は4月に楽天で買えたのだけれど、あの時も手に入りにくいと言われていたが、今の状況を考えればまだまだ楽なもんだった。ああよかった。

 

 実際に触ってみると、前評判のうちの一番の売りだったHD振動というのはそれほど大したインパクトはなく、まあ要するに細かく振動するわいな、という感じ。触覚センサーとまでいうにはちょっと力不足の感があります。そして実際に家で遊ぶには手ごろな大きさなのだけれど、これを持って電車に乗って遊ぶかというと、3DSを恥ずかしげもなく電車で遊べる自分ですら、SWITCHでは遊ばないだろうと思う。なんといいますか、事前に言われていたSWITCHの中途半端さというのは、買った後で覆ることは無く、やっぱり帯に短し、でありました。

 

 触ってみて良かったのが、動作が非常にスッキリ、キビキビしている点で、これだけでもゲームをやる前の気安さが格段に大きい。電源のオンオフがモッサリしていたり、起動に時間がかかったりするのは、それだけでプレイ自体を面倒くさくさせてしまうのだけれど、これはこれでちょっと思うところがあるので別の項で考えてみたいと思います。

 

 おそらくSWITCHが売れているのはいくつかの理由があって、購入する人はそれぞれ別の特長に惹かれているのだろうと思う。スプラトゥーンやりたさに買う人もいれば、イマドキのスマホは持ってても家にテレビがない若い人がSWITCHのスペックに惹かれて購入したり、おすそわけプレイで気軽に対戦できる点に惹かれる人もいるかもしれない。

 

 ただ、SWITCHの良さというのは、これまでのゲーム機に、それこそ任天堂のゲーム機ですらほとんど見られなかった点ばかりで、従来のゲーム機のあり方を先入観として持っているゲームオタクの人々(含む自分)にとっては盲点になっているものばかりだったのだと思う。

 

 WiiUの失敗後、守りに入ってオタク受けする手堅いハードを作るかと思いきや、WiiUの上をゆく大バクチを仕掛けてくるこのスタンス。任天堂のメイン商材としてここまで冒険した物を出せるというだけで大したもんだと思うし、それを当ててしまうのはもっと凄いことだと思う。任天堂は世の中の思惑ではなく、自分たちが思うスットンキョーなものを世に送るために、自ら進んでニッチ企業であろうとしているように見える。でも結局自分は、任天堂のそういうヘンテコなところが好きなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼顔

 金八先生以来のドラマでようやく当たった上戸彩。「ロボゲイシャ」で締まりのない裸で登場した時には絶対にメジャーになれなそうな残念イケメンの筆頭だった斎藤工。個人的に主演二人のイメージがこうなので、不倫モノという、うらぶれたドラマには丁度いいドン詰まった感じのキャスティング。

 

 西谷弘監督も、個人的には今の日本で5本の指に入る監督だと思っているのに、世間の評価はてんでサッパリ。やっぱりフジ専属ってのがダメなんだろうなあ。フジテレビ制作の映画は、よくよく考えると個人的にはそんなに酷い目にあっておらず、自分が気に入って見に行った映画は大体面白かった。フジ制作映画も含めて、西谷弘はもっと評価されてもいいハズなのに。

 

 自分はテレビドラマの「昼顔」を見ておらず、唯一記憶にあるのはネットの記事で読んだ時の北村一輝の濡れた白Tシャツに透け乳首のシーン。しょうがないからこの透け乳首をよすがに映画を観ようと思っていたのに、映画を見に行く直前に北村一輝は出演しないと知る。

 

 でもこれは、不倫というのはどんどん近視眼的に視界が狭く狭く、他人をどんどん視界から追いやってドツボに嵌っていくものであるので、二時間という限られた中で、上戸彩、斎藤工、伊藤歩の三人だけでグチャグチャな展開になるというのは真っ当な措置だと思う。そして映画は、本当にその通り、どんどん息苦しく、どんどん泥沼に、どんどん狂っていく。

 

 西谷弘の演出は、この狭苦しい物語に空間的な広がりを与えている、、と書くと、なんかちょっと分かっているっぽい感じがしますが、要は撮り方はあくまで西谷監督のテイストであります。上戸彩がアパートから出るだけのシーンでもクレーン使って動きを出したり、二人が出会った後でお互いを探し合うシーンは、何度もカメラを切り返して緊張感を出したり、伊藤歩に見つかった末のビジネスホテルでの悶着は、手持ちカメラっぽい揺れでもって騒動を演出している。他にも海や祭りのシーンなど、物語の鬱陶しさとは逆に広い空間で見せていて、映像は極力重たさを排除しているよう。ストーリー自体は決して斬新ではなく、不倫モノとして非常にオーソドックスに展開し、予想の内の所で幕を閉じるのだけれど、全くダレずに最後まで客を引っ張ってこれるのは、やっぱり監督の手腕だと思う。

 

 平日の昼間という、普通なら割と空いている時間帯に行ったのに劇場はほぼ満席。女性同士の客がほとんどで、「昼顔」は主婦が連れ立って見に行くにはうってつけのコンテンツであります。西谷監督はジリ貧のフジテレビを監督業でもって埋めることができるのか。この映画が好調だったら北村一輝と吉瀬美智子の第二弾もあるのではなかろうか。テレビドラマ見てないからテキトーなこと言ってますが。

 

 

夜明けを告げるルーのうた

 「夜は短し歩けよ乙女」から間をおかずに公開された本作。これがもう、ものすごく面白かったのでありました。

 

 そもそも湯浅政明監督を最近まで存じ上げず、Netflixで「四畳半神話体系」を見たのが初めてなのですが、これも諸星大二郎の「暗黒神話」と勘違いして見始めたというオチ。でもしっかり湯浅監督のテイストにハマったのでありました。

 

 ミニマムな線で描いたキャラがギュンギュン動き回る、その動きが見ていてものすごく気持ちよくて、もうずっと見ていたい状態。クレヨンしんちゃんに関わっているとwikiで見て「ああ、そうか」とものすごく納得。

 

 「夜は短し歩けよ乙女」は独特の世界観でアニメーションを観る快楽を存分に堪能した映画でした。それにくらべると「ルーのうた」のほうはストーリーがキチンとしていて、物語とアニメーションの見せ場がカッチリと組み合わさっている感じです。中盤のライブのシーンがすごいのよ。とにかくスゴイ。

 

 もう何をおいても映画館で見て欲しい。心からそう思うのだけれど、でもこの映画・・というか、「夜は短し」もそうだけれど、相当にとっつきにくい映画だと思う。今時の萌えとは程遠いキャラデザインだし、さりとて「君の名は」のような一般客に訴求する内容にも見えず、「クレしん」的なファミリー映画とまでは言い切れず、おまけにどうしても「ポニョ」の真似に見えてしまう。とてもスルーされやすい条件ばかりであります。

 

 ああでも。諸星大二郎と間違えて「四畳半神話体系」見てよかった。スルーせずにこの映画を劇場で見られてホントに良かった。ありがとうNetflix。ありがとう諸星大二郎。ありがとう湯浅監督。一つだけ不満を述べますと、最後のシーケンスはクライマックス的にもっとたっぷり見たかったなー。

 

 

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド

 WiiU版ですが発売日からほぼ毎日遊んでいて、本日ようやく全ての塔を制覇してマップが埋まりました。神獣はゲルドのラクダだけ残ってます。

 

 一つ目のゾーラの神獣をクリアしたあたりから、かなり意図的にダラダラしたプレイを心がけていて、少しでも長く遊べるように、クリアするのを先延ばしにしている状態です。別にガノンを倒した後でいくらでも探索はできるのだろうけれど、どんなに面白いゲームでもクリアしてしまったら一切の興味を失ってしまうことが割とあるので、できればゼルダはさんざん遊び尽くして「もうこれ以上プレイしたくない」ぐらいの状態でラスボスに臨みたい。

 

 このゲームの感想は既にたくさん出ていて、自分も結局同じことしか言えないのだけれど、今回のゼルダの面白さは、マップの造形の妙に尽きるのだと思う。リンクを操作してハイラルの様々な場所を移動する。それだけで楽しい。制作側はそれだけで楽しいと感じるようにハイラルを作り上げている。プレーヤーがシナリオに誘導されるのはゲームのごく序盤だけで、後は自分達で勝手に目的地を探して、そこまで移動することがエンターテイメントになっている。

 

 大抵のオープンワールドのゲームにある方向指示器のようなマーカーがゼルダにはない。これも制作側のものすごい自信の現れだと思う。ゼルダは目的地に辿り着く事が目的なのではなく、目的地までの道中の移動自体が目的なのだ。なので、最短距離でプレーヤーを導くマーカーは、従来のものとは逆に、このゲームの面白さを削いでしまう。一応マーカーの機能はあるけれど、ものすごく簡単に無視できる程度のものになっている。

 

 ということで、ストーリーをクリアする前にハイラル全てに寄り道したい。地形を堪能したい。と、こういうパッションが続く間は、自分はなるべくクリアしない方向で遊んでいこうと思っています。

 

しゃぼん玉

 まあ予告編だけでストーリーが分かるような映画ですが、しかし映画の醍醐味はストーリー自体ではなく、それをどう表現したか、であります。以下、自分の感じた映画の見所をバラしてますので、未見の方はこんなモン読んじゃダ・メ・だ・ぞ!是非映画をご覧ください。

 

 

 

 

 ということで、以下感想であります。

 

 

 

 

 若い頃の自分だったら「都会=悪、田舎=善って、そーゆーステレオタイプ持ち出して説教するんじゃねえ」と絶対言っていたハズ。しかし年食って割と日和ってきまして、ステレオタイプは確かにそうだけれど、じゃあそれをどう見せてくれるのだろうか?という考え方に変わってきました。だって映画だし。

 

 出てくる田舎料理が物凄く美味そうで、「田舎=善」というステレオタイプを受け入れている中高年に対しての、あざといばかりの狙い撃ち。しかも食事のシーンが何回も出てくる。全部うまそう。両手で握れないほどの大きなおにぎりも、都会の意識高い人たちからすると「あんなに炭水化物を摂るなんて」と目を剥いて喚きだしそうだけれど、田舎のばあちゃんの心尽しですもの。糖質制限なんてバッカじゃねえのってなもんよ。

 

 田舎の風景は、カメラの画角を広くとって、引いた感じで全体をバンと見せる、奇をてらわずに真正面から撮っている。そのためか人物のアップもとても少なく、画面全体がまったくギスギスしない、見る者の心安らぐ絵になっています。そして基本的にこの映画は風景ありきで、その中を役者が動いているというような演出になっている。

 

 林遣都が庭で犬に話しかけているシーンは、まずあの母屋と周囲の風景の構図があって、それを舞台のようにして林遣都に演技をさせている。初めて山仕事をするシーンでは、山に慣れた綿引勝彦に対して、斜面を登るだけでも手こずる林遣都というストーリーを写しているが、あのシーンはそんな物語ではなく、木々の間を木漏れ日が射す、その美しさを観客に見せるために画面下に林遣都、上に綿引勝彦、さらにその上に木漏れ日という縦の絵を見せたかったに違いない。

 

 綿引勝彦の寡黙な山の男も良かったが、やっぱり何と言っても市原悦子の存在だけでこの映画は持っている。林遣都が他の役者になっても成立しただろうが、市原悦子の役をたとえば樹木希林が演じたら、この映画は全く別物になっただろう。物凄く安定感と包容力があって、それは林遣都だけでなく、観客自体を包み込んでくれている。だから、特にドラマチックなシーンではなくても、市原悦子が田舎のおばあちゃんとしてそこにいる、というだけでシーンが持つのだ。

 

 美味そうな田舎料理。のどかで、時には神秘的な山の風景。そして市原悦子。観客は映画のほぼ全てのシーンで椎葉村の素晴らしさを見る。だからこそ、林遣都が市原悦子に告白するシーンで泣けるのだ。私たちは改心した林遣都の立派さに涙するのではない。「何年かかっても、何十年かかっても、またここに帰って来たいんだ」という、「帰って来たい」という言葉に心から共感するからである。