しゃぼん玉
まあ予告編だけでストーリーが分かるような映画ですが、しかし映画の醍醐味はストーリー自体ではなく、それをどう表現したか、であります。以下、自分の感じた映画の見所をバラしてますので、未見の方はこんなモン読んじゃダ・メ・だ・ぞ!是非映画をご覧ください。
ということで、以下感想であります。
若い頃の自分だったら「都会=悪、田舎=善って、そーゆーステレオタイプ持ち出して説教するんじゃねえ」と絶対言っていたハズ。しかし年食って割と日和ってきまして、ステレオタイプは確かにそうだけれど、じゃあそれをどう見せてくれるのだろうか?という考え方に変わってきました。だって映画だし。
出てくる田舎料理が物凄く美味そうで、「田舎=善」というステレオタイプを受け入れている中高年に対しての、あざといばかりの狙い撃ち。しかも食事のシーンが何回も出てくる。全部うまそう。両手で握れないほどの大きなおにぎりも、都会の意識高い人たちからすると「あんなに炭水化物を摂るなんて」と目を剥いて喚きだしそうだけれど、田舎のばあちゃんの心尽しですもの。糖質制限なんてバッカじゃねえのってなもんよ。
田舎の風景は、カメラの画角を広くとって、引いた感じで全体をバンと見せる、奇をてらわずに真正面から撮っている。そのためか人物のアップもとても少なく、画面全体がまったくギスギスしない、見る者の心安らぐ絵になっています。そして基本的にこの映画は風景ありきで、その中を役者が動いているというような演出になっている。
林遣都が庭で犬に話しかけているシーンは、まずあの母屋と周囲の風景の構図があって、それを舞台のようにして林遣都に演技をさせている。初めて山仕事をするシーンでは、山に慣れた綿引勝彦に対して、斜面を登るだけでも手こずる林遣都というストーリーを写しているが、あのシーンはそんな物語ではなく、木々の間を木漏れ日が射す、その美しさを観客に見せるために画面下に林遣都、上に綿引勝彦、さらにその上に木漏れ日という縦の絵を見せたかったに違いない。
綿引勝彦の寡黙な山の男も良かったが、やっぱり何と言っても市原悦子の存在だけでこの映画は持っている。林遣都が他の役者になっても成立しただろうが、市原悦子の役をたとえば樹木希林が演じたら、この映画は全く別物になっただろう。物凄く安定感と包容力があって、それは林遣都だけでなく、観客自体を包み込んでくれている。だから、特にドラマチックなシーンではなくても、市原悦子が田舎のおばあちゃんとしてそこにいる、というだけでシーンが持つのだ。
美味そうな田舎料理。のどかで、時には神秘的な山の風景。そして市原悦子。観客は映画のほぼ全てのシーンで椎葉村の素晴らしさを見る。だからこそ、林遣都が市原悦子に告白するシーンで泣けるのだ。私たちは改心した林遣都の立派さに涙するのではない。「何年かかっても、何十年かかっても、またここに帰って来たいんだ」という、「帰って来たい」という言葉に心から共感するからである。