今日も定時ダッシュ -4ページ目

人生50年

 人生50年という言葉を知ったのは、あれは社会人になって早々の事だったでしょうか。二十代半ばあたりだったと思います。本来は「下天のうちをくらぶればーー」といった後の句も含めて色々と解釈の余地がある言葉なのですが、今回は「人間生きてせいぜい50年」、という意味にさせていただきまして。

 

 二十代の頃は、別に長生きが何の芸でなし、人生太く短くのほうが好ましいと思ったのだった。確かに、経験を積んで社会的に成長していく上で、時間が有限であるということを意識して努力するというのは、若いうちには非常に大切なことだったと思います。

 

 しかし、1970年生まれで現在47歳、アラフィフのオッサンとなり、人生50年を目前に控えて、何とか「まだ50でなはい」と往生際悪くのたうち回ろうとするオッサンに「50も47も誤差じゃん。はいもうオシマイ!」と言われても「ぐぬぬ・・」と唇を噛み締めて反論できない状況のワタクシにとっての人生50年というのは大変正直に申し上げまして、

 

もう終わりデスカ??

 

 これを名古屋弁的に申しますと、

 

え? もーはぁー??

 

 という感覚でございます。意訳しますと「もう、(こんなに)早く」という感じですな。

 

 いやまあ、人生太く短くに価値があることは未だに変わりないのでありますが、50年ってねー、気がつくとまあ早いもんですわー。この心理状態を踏まえると、じゃあ70ならいいか、80ならいいか、90ならいい加減惜しくもないだろその命、と言われても、当事者にしてみれば「やっぱりもっと生きたい」というのが本音なんだろうと思います。

 

 ただまあ、このころ思うようになったのは、若いころは色々やりたい事もあって、そして結婚して子供ができて、、と、状況的にがんばらざるを得なかったのだが、50の声が聞こえるようになると、まあまだ子供に金はかかるとはいえ、気力も衰えて「もう年だし」が言い訳ではなく社会的にもそうだと受け入れられるようになってくると、坂を転がるように日常が惰性に支配されてしまう。これはちょっと自分でもビックリ。

 

 なんだかセカンドライフという言葉がものすごく重く響く今日このごろでありました。

 

スマホ版どうぶつの森

 ようやく詳細がアナウンスされた、スマホ版の「どうぶつの森」につきまして。自分は勝手にゆくゆくは出るだろうswitch版と同じ内容だろうと思っていたのですが、スマホ版はキャンプ場が舞台とのこと。

 

 映像だけ見ると、思った以上に「どうぶつの森」で、ようやく、ようやく任天堂のゲームがスマホで大当たりする予感がする。ただヒットの物差しが「どれだけ課金させたか」という従来の考え方だととても物悲しい。

 

 「どうぶつの森」はやろうと思えばすべての要素で課金できてしまうタイプのゲームで、他の会社からかつてリリースされた類似ゲームでえげつなく課金圧力がかけられて、批判されて、そして終了してきた。ようやく登場する「どうぶつの森」はどうだろうか。課金要素であるリーフチケットで時間を短縮できたりするようだけれど、できればポケモンGOぐらい穏当な課金圧力であってほしい。

 

 自分が一番「どうぶつの森」にハマったのはゲームキューブ版で、それ以降はだんだんほぼ同じ作業を繰り返す内容に、さすがに飽きてきてしまった。別に一時期どハマりして、飽きたらサッサと止めるという遊び方で何が悪い訳でもないのだけれど、できれば細く長く続けたい。これまでの「どうぶつの森」は、少し滞ると草は生え花は枯れ、お気に入りの住人は引っ越してしまい、あれほどラブリーで愛着があった自分の村が、一気に忌まわしさにまみれて二度と見たくなくなってしまう。

 

 ということで、課金の程度も気になるところではありますが、しばらく放っておいても気分的に穏当に再開できるような、ぬる〜い感じの穏やかなゲームデザインであって欲しい。

 

 

 

三度目の殺人

 「昼顔」の時にふと思った、フジ製作の映画って割とクオリティが高いのではないだろうか?という思いが、この映画でさらに高まる。是枝裕和監督は、もう映画以外のメディアでは(多分)役立たずなんじゃないかという程の映画オンリーの人で、内容にしても、福山雅治がスター弁護士として危機一髪で被告を救うよな、いってみればテレビ向けの話ではなく、あくまでも是枝監督の「映画」なのでありました。

 

 是枝監督といえばこだわりのライティング。こだわりというよりは、シーンを作る際に、おそらく光の当たり方も含めて頭に思い浮かぶのではないかと思う。それくらい細かく入り込んでいて自然なので、当たり前のように福山雅治の目にだけライトが当たっていたりする。しかしそれが偶然そうなっているワケも無く。裁判所の階段を降りて出口あたりの暗闇を抜けて夕日を全身に浴びて赤く染まってでてくる一連の流れとか、ただもうカッコイイ。

 

 是枝監督がインタビューで答えているように、この映画は裁判は真実を明らかにする場ではない、という認識からスタートしているのだと思う。裁判は利害調整の場であると言われた際の自身の違和感を観客にも提示しながら、それでもやっぱり真実を探ろうとしてしまう。けれども、その真実が唯一の大事な事ではないという視点も自分はこの映画から感じて、真実を優先しない、じゃあ何を優先させているの?という問いが、役所広司演じる男の在り方につながっているのだと思う。

 

 接見室の1シーンで、自分の感覚では明らかにセリフがかみ合っていないまま進行するシーンがあって、確か役所広司が殺人を否定する前あたりだと思うのだが、自分の感覚が間違っていなければ、是枝監督はあのシーンに何かを隠そうとしているか、含ませようとしているように思うのですが、皆様は違和感を持たなかったでしょうか?

 

 ついでに言うと、「三度目の殺人」って、なぜ三度目なんだ?二度目じゃなくて?

 

 さらに言うと、広瀬すずと福山雅治の娘役の女の子の見分けが付かず。

 

 役所広司演じる犯人の男の理屈はなんとなく理解できたのですが、細かいところで何と無くはっきりしないままで。

 

 

 

 

エル ELLE

 ポール・バーホーベン・・・アラフィフ世代、80年代に様々なハリウッド映画に浸った人々にとって、なかなかに扱いにくいというか、こう表立って「バーホーベン大好き!」と言うのはチト憚られるお名前であります。

 

 でも何だかんだ言ったところでホントは好きなんだろ?オラオラ、と責められると、「ハイ・・大好きです」と羞恥心にまみれて答えてしまうワタクシ。ロボコップ以降のバーホーベン映画は全部見ていて結局全部好きだったりする(Wikiで確認したところ、2012年の「トリック」という映画は未見でした)。ええ、「ショーガール」も個人的には大好きですともさ。あれそんなにダメだったっけ?

 

 ハリウッド時代のバーホーベンはドギツイCGやシャロン・ストーンのヌードに誤魔化されていたけれど、この人の映画は一貫して倫理的な感性がスッポーーンと欠落している人たちのドラマで、その系譜としての「エル」の主人公も、原作モノにも関わらず、見事にバーホーベン映画のヒロインとしてハマってます。

 

 ただ、一筋縄でいかないのが、登場人物の心理描写の複雑さで、一つの事件に対する反応が、たとえば「こういう時にヒロインは嘆くのだろうな」という一般的な所からかけ離れた反応を示し、そしてさらにその奥に別の感情が読み取れたり、怒っているのに受け入れたり、静かに笑いながら拒絶したり、その反応が映画自体がどっちに向かって進んでいるのか分からなくさせるような、観客をとても不安定な心持ちにさせてしまう。

 

 さりとてこの映画が分かりづらいかというと決してそうではなく、それどころか、「エル」は非常に分かりやすい映画だとも思います。この映画の登場人物はとても際立っていて非日常的だが、しかしそれでも観客を納得させてしまう。実際だれしもこういう心理的な複雑な機微は日頃から携えているのではないだろうか。

 

 もうすぐ御年80のバーホーベンと、還暦を超えて見事に美しいイザベル・ユペール。なんかもう、アラフィフだからもうあとは穏やかに余生にランディングしたいなどとヌルく思っていた自分のケツを思いっきり蹴り上げてくれるような映画でありました。

 

 

 

 

 

トランスフォーマー 最後の騎士王

 MARVELとDCの超人映画が何かしら絶えず上映されているような昨今の映画事情。個々の作品の好き嫌い以前に、コレばっかってのがたいがい飽きた。そんなにラッシュで公開しなくても。

 

 ということで、だいたい3年間隔で新作が公開される「トランスフォーマー」は正しいというお話。前作の内容をサッパリ覚えていないが、別にそれで何の支障があるでなし。

 

 画面のインパクト命なシリーズなのでiMAXで鑑賞。シーンの内容を咀嚼する間も無く次から次へ襲いかかる見せ場の連続に、もはや自分が何を見ているかも判然とせず。ストーリーも決して分からない訳ではなかったのだが、今となっては何も思い出せ無い。

 

 しかし。しかしである。今回は出番が少なかったとはいえ、オプティマス・プライムの熱いヒーローっぷりは健在で、クライマックスの活躍ではおもわず目頭が熱くなってきた次第。疲れ目じゃあないっすよ。

 

 なんだか次回もあるようなヒキで、3年後が楽しみ・・・といいうか、3年後にタイムカプセルを開けるつもりで、映画のことはサッサと忘れてしまおう。次のトランスフォーマーでは、オプティマス・プライムのイケメンっぷりがもっと堪能できますように。