今日も定時ダッシュ -45ページ目

風のタクトHD 快速の帆

 リニューアルした風タクには、快速の帆というアイテムが登場します。これは従来の帆と比べて2倍の速度が出る上に、常に追い風状態となって風向きを変える必要がありません。

 ほぉ・・・    

                 






             ・・・・・気付いていただいたでしょうか?

 やる前から海がヤダと言い続け、ゲームを初めてからも「オリジナルに比べればラクになってるけどやっぱり面倒だよな」などと思っていのだけれど、そこは任天堂も承知していたようで、こういう抜本的に解決するアイテムを用意しておりました。

 さっそく手に入れてゲームを再会。今回はニテン堂のフィギア集めが非常にラクになって、広大なマップをニテン堂を起点に行ったり来たりするので、こういう倍速アイテムは大変ありがたい。そういえば前回言いそびれましたが、HD版では写真を撮った時点でフィギア化OKかどうかの判定が出ます。GCでは折角撮った写真をわざわざニテン堂まで持っていっても「こんなのダメ」とオヤジに突き返され、またえんえんと船を漕いで再度写真撮りに行って・・・を繰り返して、あまりの面倒臭さにブチ切れたことを思い出した。アレはもう、プレーヤーに対しての嫌がらせとしか思えない。

 そういうことでストレスフリーの大海原を縦横無尽に疾走する俺ヒャッハー!!!!


 ・・・・・となると思ったのだが、これがまあストレスが無さ過ぎて逆につまらないという、もうなんともタチの悪いクレーマーみたいな感想に。タクトで風向きを変えるのはめんどくさい、変えないと味気ないって、ちょっと自分でもどうかと思うのだが。

 風のタクトの絵柄は、それがアナウンスされた当時は賛否両論で、特にオカリナの正統進化を期待した向きには批難ゴーゴーだったのを覚えている。ただ、その際に宮本茂氏が「この絵柄のリンクで一番批判された目を使え!目をつかってゲームを作るんや!!」みたいなことをインタビューで語っていた記憶がある。そのために、風タクのリンクは目が非常に感情的に動き、リンクの視線がダンジョン攻略のヒントにも使われるようになり、あの絵柄がゲーム自体と密接に絡んでいったという経緯があった。この話は社長が訊くでも軽く触れられています。

 他にも、トワイライトプリンセスの弓矢か射撃かで的を射るミニゲームで、リモコンでは的が狙いにくいから精度を甘くしようとしたプログラマーに対して宮本氏は「ソコに遊びが詰まっとんのじゃ!」という発想のもと、精度を甘くするのではなくスコープを付けてさらに細かく狙わせるように作り替えたという話もあったような、、コレも社長が訊くだったかな?

 今になって思うのは、面倒くさいのが一元的に悪い訳ではナイのだろう。だからといってオリジナルのニテン堂は完璧にアウトだが。ただ、面倒くさいという中には、わざわざ乗り越えてでもやってみたい要素があって、それを上手く形にするとゲームの面白さに繋がるのだと思う。

 おそらく風向きを変えて船の進路を変えるという発想は正しかったのだ。しかし海のマップが広大な割に単調だったり、風向きを変えたりサルベージや砲撃をする動作がスムーズに行えないなど、単純に面倒臭さが面白さに繋がると盛り込みすぎたのではないだろうか。マップに関してはゲームキューブのハード上の制約もあったかもしれない。

 快速の帆は、何でも簡単にすれば解決するかというとそういうワケでもない、と気付いたアイテムでした。しかし今後も長距離は快速の帆を使い続ける次第。


ゼルダの伝説 風のタクトHD 前半の感想

 父「中学生にもなってポケモンやってんじゃねーよ卒業しろいいかげん」
 娘「お父さんだって40過ぎのクセにやってんじゃん」
 父「ギャフン」

 ということで中一と小二の娘共が仲良く・・・もなく、XかYかで一悶着あったもののポケモンを分け合う形となり、父親は泣きの涙で今度のポケモンを諦めるハメに。まあ子供はそのうち飽きるから、その時にやろう。

 しかしこっちはこっちでゼルダをクリアしなければならないという使命がある。今の所はまだ前半なので物凄く面白いデース。

 HDになってビジュアルのグレードが上がったというのは、まあそれがHDなんだから当たり前じゃんと思うが、単純に奇麗になったのではなく、ちょうど7月頃の地面に照り映える太陽の光のような眩しさが加わって、ずっと雰囲気が良くなっている。が、コレは風のタクトのサイトでも盛んに宣伝されているところ。

 そんな見りゃスグに分かるところはとっくに了解済みだから良いのだが、細かい調整も色々としているっぽい。GC版の記憶も薄いのでアヤフヤな比較で申し訳ないが、ニテン堂のフィギアが確かGCでは1体たのむと一日後に完成するまで他は受け付けてくれなかったが、今度は10体くらいまとめて依頼できるようになっていた。昔は依頼した後で外に出て昼→夜→昼と時間を操作して、さらに次の依頼をした記憶がある。アレもメンドクサイったらありゃしない仕様だった。

 海の移動も若干ストレスがなくなったような。GC版ではサルベージする際に一度船を止める必要があったが、今度のは走りながらサルベージできるようになったので、行き過ぎてムキーーッ!と腹を立てることが減ったように思う。

 風のタクトHDをプレイするにあたり、「ネットで攻略法を調べず、分からない所はMiiverseで助けてもらう」というモットーでやっているのでホントに調整したかどうか自信はないのだけれど、まあ細かい所でストレスだった点は改善されているっぽい。

 だからといってタライとホースが面白くなってるなんて思ったら大間違いだからな!と、我ながらどんだけタライとホース憎んでるんだよと思わないでもないですが。

日本の悲劇 その2

 「日本の悲劇」なんて物凄く大きなタイトルで、これをうっかり鵜呑みにしてしまうと、映画を作った小林政広監督がえらく上から目線で語っているように思える。なんだよジジイの孤独死より日本にゃ悲惨なコトがあるんだよ、というような反発を感じてしまったり。けれども、映画において、監督は無縁社会を告発する者として鬼の首を取ったかのような高圧的なアジテーションはしていない。妻に先立たれた余命いくばくもない老人が、リストラされて以来社会に復帰できない息子のための最後の愛情として、息子の足枷にならないように自死を選ぶ。その一連の行動を、監督は過度に美化もせず、逆に批難もせず、解釈を常に観客の手に委ねられるようにしながら映し続けている。こういう映画を撮る人が、この映画に込めた悲劇以外については我関せずと、目を閉じて耳を塞いで「アーアーキコエナーイ」なんて田嶋陽子みたいな真似はしないだろうと思う。

 じゃあなぜ老人の孤独死にまつわる一連の顛末を「日本の悲劇」という大仰なタイトルを付けたのだろうか。映画を観終わってから非常に気になって色々考えたのですが、無縁社会とそれによる悲惨な事件が現在の日本を象徴するものとして際立っているためだと監督がみなしているからだろうと思う。他所の国には他所の国なりの悲劇があり、別にそれと比べて日本はカワイソウだと言っている訳ではない。ただ、現在の日本の有り様のネガティブな一面として、この映画で表現されるような状況が確かに在るのだ。おそらくそれを強く意識する出来事の一つとして、監督の心の内には東北の震災に対する思いもあるのだと思う。

 色々調べていたら、木下恵介監督が同名の映画を撮っていたとのことなので、その映画に込められたコンセプトをこの映画に引用したということかもしれない。小林監督は親が死んだことを隠して年金を不正受給する子供(つってもそっちもたいがい中年以降ですが)の事件に衝撃を受けたと述べている。監督が衝撃を受けたのは、身近な人間が死ぬことに対する意識の変容ぶりだと思う。しかし監督はそういう状況の中でも人間には尊厳が備わっていること、子供に愛情をかけ自らの行く末を選び取る意思があることを仲代達矢に託して映画を撮っている。

 小林監督がインタビューで「映画を観た人の何人かが、救われた思いになってくれたらいい」と述べていて、ようやく自分がこの映画を観た時に感じた思いに説明がついた気がした。この父子に過度に寄り添って擁護や美化をしているワケではないのに、何か希望めいた余韻が残るこの感覚はなんじゃらほい?と自分でも不思議だったのだ。自分は息子役の北村一輝に、もしかしてこうであったかもしれない自分の姿を見た。将来は仲代達矢演じる父親のような最期が待っているかもしれない。その時にはやっぱり自分の状況を嘆いて無惨のうちに死んでいくのだろうけれど、おそらく悲惨なだけでも無いのだということをこの映画が示してくれたように思う。

日本の悲劇

 社会から切り離され無縁となった老人とその息子のお話であります。ひとまずテーマはおいといて映画の作り方が非常に野心的でした。

 先ず、この映画は白黒で撮られています。映画の舞台となるのは二人の住む一軒家で、しかも映されるのは食堂(リビングではなくホントに食堂という感じ)と和室の二間のみ。登場人物も父子と亡くなった母親と別れた嫁の四人のみ。ものすごいミニマムぶりであります。

 撮り方もミニマムで、カメラを固定した長回しが多く、カット割りが非常に少なく、しかもカットのパターンも10種類ないんじゃない?というくらい少ない。BGMも無かった。その分役者の露出っぷりというか、芝居やセリフの長さは際立って多い。たとえば細かいカット割りで画面を見辛くして役者の動きを細切れにすることを「隠す」と表現するならば、この映画は役者をさらけ出すように撮っている。

 映画の冒頭では父と息子が同じ画面に収まっているが、余命半年を宣告された父親が和室に閉じこもってしまうと映画は仲代達矢が演じる父親と北村一輝が演じる息子それぞれの一人芝居のようになっていく。部屋にこもる仲代達矢が映っている間は北村一輝の姿は登場せず、二人の会話においては、息子の声は常に画面の外から聞こえてくる。撮り方やカットのつなげ方が小津安二郎っぽい。小津映画を引き延ばしたような感じというのか。

 映される構図はかなりアバンギャルドというか、破天荒というか、仲代達矢の背中だけで十分間もシーンが続いたり・・・とか、部屋にこもる仲代達矢の顔のどアップを映して外から聞こえる足音が延々と続く・・・とか、役者も大変だが、これをやる監督も物凄い勇気が要りそう。

 なぜここまでミニマムである必要があったのか。この問いの答え自体は簡単で、映画的な演出を排してリアルに見せるためである。ただ、演出だけではなく内容も極力監督の意図を排しており、「息子のために部屋にこもって自殺する」という父親の行動にドラマっぽさを含んでいるが、それ以外は物凄く普通であるので、映画で展開される状況が自分のパラレルワールドであるかのような、「こうであったかもしれない自分」というのを非常に意識させられる映画でした。


2本買うと"もれなく"もう1本キャンペーン

 ただいま3DSで行われている、ソフトを2本買うと1本ダウンロードが出来るというキャンペーン。背景を邪推すると、メインの客層である子供とその親に対して、任天堂のハードでダウンロードすることの抵抗感を無くすための施策と捉えることもできる。シロート目にはモンハン4やポケモンXYで3DSは盤石だと思えるのだが、多分任天堂はスマホに流れる客に対して、「ウチのゲームはもっと凄いぞ」と引き戻そうとしているようにも見える。

 まあ、そんなゲハ的な考察よりも、この粒ぞろいのゲーム大盤振る舞いを単純に喜べばいいのだが、こちとら欲しいゲームは粗方買っているために、もらえるゲームの中で積極的に欲しいと思える物も今更無かったりする。実はこのキャンペーンを知った際に、ソフトは何でも貰えるものと勘違いして、「ああ、ポケモンXYを二人の娘に取られようとしている可哀想なお父っつぁん(←自分のこと)のために、任天堂がもう1本タダで寄越そうとしている」と自分のためにXかYのどちらにしようか30分くらいワクワクしながら悩んだのだが、ポケモンは落とせないと知った時のワタクシの落胆ぶりを見せてやりたい。

 とりあえず、もらえるソフトの中から自分が購入したソフトについてオススメしてみる。独断と偏見に基づくものでかなり偏っていると思いますが、まあ何かの参考になればと。

 その1 任天犬猫
 自分がDSの犬にハマったのは、初めて登場したすれ違い通信のためで、用もないのにすれ違いそうな所をウロウロしていたくらい楽しかったのですが、すれ違い通信が当たり前になってしまった3DSでは割と早々に飽きてしまいました。DSでも未プレイな方ならオススメ。

 その2 鬼トレ
 毎日やるかと思ってダウンロード版を買ったのだけれど、あんがい長続きせず。最も手軽に楽しめるソフトなので、非ゲーマーの方には一番取っ付きやすいのではないかと思います。

 その3 パルテナの鏡
 ゲームのクオリティはピカイチだと思いますが、専用のスタンドが無い状態で遊んでもプレイし辛く「なんじゃこのクソゲー」となる可能性が高いので、うっかりオススメできない。これ以外に欲しいソフトが無いという人ならば。

 その4 ファイアーエムブレム
 自分はこの手のシミュレーションが最大の鬼門で、コレもそうだしPSPのタクティクスオウガも3時間経たずに挫折してしまった苦い過去を持っておりますw。なのでゲーム自体は良いも悪いも言えないのですが、シミュレーション好きでエムブレム買ってないという人はあまりいないと思いますので、キャラ萌えな人でエムブレム未体験ならこの機会にどうでしょう?

 その5 時のオカリナ
 どっぷりとゲームの世界に浸る時間があって、64でプレイして以来、GCのタクトのオマケでもWiiのヴァーチャルコンソールでも未プレイで、もしくは64自体プレイしてなくて、3DSでリメイクすると聞いても食指が動かなかったゼルダ好きなら。多分そんな奴はめったにいない。やっぱりゼルダはね、長丁場を乗り切る気合いが必要なのよ・・・

 その6 カルドセプト
 取っ付きにくそうで敬遠していた人でもタダなら躊躇う必要もナシ。ルールが把握しづらくても次の一手を表示してくれる親切設計なので十分楽しめます。


 以上、自分が購入したソフトについてコメントしてみました。オススメは、ライトユーザーなら鬼トレ、ゲーマーならカルドセプトかエムブレムか。どうせタダだから普段自分がまず購入しないタイプを敢えて選ぶのもアリかと思います。