進め!キノピオ隊長
ポッポコポ~ ポッポコポ~ ポッポコポッポッポ~
まーるかーいてー かおーかくー
まーるかーいてー ライトかくー
隊長だ! 隊長だ! キノピオ隊長だ!!
ああ楽しい
昨年末に発売されたキノピオ隊長、個人的に物凄く期待していたのだけれど、これが期待に違わぬ面白さ。ステージ数70ほどとのことで、ちょっと少ないかなと思いきや、一日1つか2つステージをクリアしたりしなかったりで、実はまだ終わっていない。
キノピオ&キノピコが可愛い、音楽がキャッチー、難易度がほどほどでオッサンでもクリアできると、このゲームの良さは色々挙げられますが、しかしこのゲームの最大の肝は「地形で遊ぶことの楽しさ」ではないかと思う。このゲームは「パズルゲーム」だから面白いのではなく、「ゴールまで進む」から面白いのではなく、「地形に仕掛けられたギミックを解く」からこそ面白いゲームなのだ。
キノピオ隊長はパズルゲームなのでギミック満載のマップになっているが、地形で遊ぶ楽しさというのはRPGのフィールドでもレースゲームのコースでも、地味ながらもそのゲームの出来を多いに左右する要素のハズである。だからFF13も一本道じゃなかったらねえ・・、と寝た子を起こすようなことを言ってみる。
「進め!キノピオ隊長」は、普段は地味な扱いの地形の楽しさを、ステージクリア形式にすることで次々に堪能できる構造になっていて、ダイヤを集めるとかスターを取るとかキノピコを助けるとかは結局は全て地形で遊ぶためのマクガフィンになっている。
まーるかーいてー かおーかくー
まーるかーいてー ライトかくー
隊長だ! 隊長だ! キノピオ隊長だ!!
ああ楽しい
昨年末に発売されたキノピオ隊長、個人的に物凄く期待していたのだけれど、これが期待に違わぬ面白さ。ステージ数70ほどとのことで、ちょっと少ないかなと思いきや、一日1つか2つステージをクリアしたりしなかったりで、実はまだ終わっていない。
キノピオ&キノピコが可愛い、音楽がキャッチー、難易度がほどほどでオッサンでもクリアできると、このゲームの良さは色々挙げられますが、しかしこのゲームの最大の肝は「地形で遊ぶことの楽しさ」ではないかと思う。このゲームは「パズルゲーム」だから面白いのではなく、「ゴールまで進む」から面白いのではなく、「地形に仕掛けられたギミックを解く」からこそ面白いゲームなのだ。
キノピオ隊長はパズルゲームなのでギミック満載のマップになっているが、地形で遊ぶ楽しさというのはRPGのフィールドでもレースゲームのコースでも、地味ながらもそのゲームの出来を多いに左右する要素のハズである。だからFF13も一本道じゃなかったらねえ・・、と寝た子を起こすようなことを言ってみる。
「進め!キノピオ隊長」は、普段は地味な扱いの地形の楽しさを、ステージクリア形式にすることで次々に堪能できる構造になっていて、ダイヤを集めるとかスターを取るとかキノピコを助けるとかは結局は全て地形で遊ぶためのマクガフィンになっている。
良い姿勢を作る 上腹を締める
下腹という言葉はあっても上腹という言葉は無い。けれども上は上でやっぱり大事だよね、というお話になる予定。
良い姿勢というのは足先から頭までの総合芸術である。なんか段々と物言いが大仰になってきましたが、けれども実際に「ココだけ注意すればOK」というものではないからソレはしょうがない。しかし芸術はさておき、四六時中全身に意識を払うことは土台無理な話である。それならとりあえずココだけ、ココだけは、という身も蓋もない話をするならば、自分の経験からすると「下腹から上腹を垂直にしておく」というポイントではないかと思う。
下腹部から肋骨の際までを取り巻いている腹横筋を使って胴体を締めるように力を入れて、その力を上にスライドさせるように意識する。イメージとしては歯磨きチューブをグイっと上にしごき上げるような、提灯の蛇腹を上に伸ばすような、、マリオカートのダッシュプレートが胴体に上向きに貼られているような、、、そんな説明で大丈夫か?
そこで、下腹からググッと引き上げるように入れた力を横隔膜のあたりまでつなげると腹横筋全体がチューブのように締まるこの状態。意識的にドローインを行うならマックスパワーで、普段はその3割程度で保持できていると、かなり姿勢が良くなっているハズ。
腹横筋を締めて胴体を垂直に保つようにするとアラ不思議。腹は締まって痩せているように見えるわ骨盤や肋骨も立てやすくなるわ、筋肉がついてくると更に締まって見えるわ、筋肉が発達するとそこの脂肪が減るらしいので腹の部分やせが可能だわ(諸説あるから実際は分かりませんが)と、猫背になって腹の脂肪をさすりながら糖質制限やってる場合ではない。
ワタクシの場合ですが、肩こりがイヤで姿勢を気にするようになって普段から緩めのドローインをキープできるようになると、別に体重は変わっていないのだが知り合いが口々に「痩せた?」と聞いてくれるという嬉しい副作用が。
良い姿勢というのは足先から頭までの総合芸術である。なんか段々と物言いが大仰になってきましたが、けれども実際に「ココだけ注意すればOK」というものではないからソレはしょうがない。しかし芸術はさておき、四六時中全身に意識を払うことは土台無理な話である。それならとりあえずココだけ、ココだけは、という身も蓋もない話をするならば、自分の経験からすると「下腹から上腹を垂直にしておく」というポイントではないかと思う。
下腹部から肋骨の際までを取り巻いている腹横筋を使って胴体を締めるように力を入れて、その力を上にスライドさせるように意識する。イメージとしては歯磨きチューブをグイっと上にしごき上げるような、提灯の蛇腹を上に伸ばすような、、マリオカートのダッシュプレートが胴体に上向きに貼られているような、、、そんな説明で大丈夫か?
そこで、下腹からググッと引き上げるように入れた力を横隔膜のあたりまでつなげると腹横筋全体がチューブのように締まるこの状態。意識的にドローインを行うならマックスパワーで、普段はその3割程度で保持できていると、かなり姿勢が良くなっているハズ。
腹横筋を締めて胴体を垂直に保つようにするとアラ不思議。腹は締まって痩せているように見えるわ骨盤や肋骨も立てやすくなるわ、筋肉がついてくると更に締まって見えるわ、筋肉が発達するとそこの脂肪が減るらしいので腹の部分やせが可能だわ(諸説あるから実際は分かりませんが)と、猫背になって腹の脂肪をさすりながら糖質制限やってる場合ではない。
ワタクシの場合ですが、肩こりがイヤで姿勢を気にするようになって普段から緩めのドローインをキープできるようになると、別に体重は変わっていないのだが知り合いが口々に「痩せた?」と聞いてくれるという嬉しい副作用が。
海月姫
「あまちゃん」以降の能年玲奈見たさにイソイソと出かけた次第。ちなみに「ホットロード」は見ていない。ということで、ワタクシのこの映画に期待するものは、いかに能年玲奈が魅力的に映されているか?でしかないことを予めお断りいたします。
絵に描いたような、少々描きすぎた感もありますが、オーバーな部分も含めてこじらせたオタクの話し振りや動き方など上手く表現できていて、それは能年玲奈だけではなく、なんか物凄く勿体ない使い方である池脇千鶴とか篠原ともえとか、他のオタク仲間についてもコメディとしてしっかりハマっている感じ。
しかし、ワタクシがこの映画に感じた違和感というのはわりかしすぐに起こりました。
ヒロインの相手役となる男の子が、ノーマルだけれど女装趣味があるという役どころで、その女装姿は女の子すら見惚れるゴージャスな美少女・・・らしい。らしいというのは、この男の子の初登場シーンで早速ゴージャスな女装姿を披露するのだが、まあ本人もメイクもスゴく頑張っているのはわかるのだが、それでもまあ、どーしょーもなく男だわな。いくらオタクのダサ女に身をやつしていても、これならフツーに能年玲奈のほうが可愛い。
マンガならば「女の子よりも可愛い男の子」というハードルも楽々と超えてしまえるが、実写ではそうは問屋が卸さない。努力は分かるのだが、結局は違和感が浮かびまくっている状態だというのに、それを「ストーリーがそうだから」で不問に付すのは乱暴過ぎる。
まあいい。それよりは能年玲奈だ。水族館デートでの麻丘めぐみ的なお姫様カットは非常に似合っててグー。おそらくこの後は能年玲奈がオタクモードと美少女モードを行ったり来たりするものと思って観ていました。
しかし、その後でこの映画に対してものすごい違和感を抱く事になる。
月明かりの下、二階の窓で海月に見立てたレースを能年玲奈がまとう姿を女装男が地上から見上げるシーン。能年玲奈の姿をなかなか映さずに彼女の姿に見惚れる女装男の顔をアップで撮り、カットを変えて編集でつないで、さあ、月明かりで光り輝く玲奈ちゃんを見せてくれやー、と期待度マックスで見入っていたのに、映し出された彼女はオタクの雰囲気のまま単に布を被っただけというフツーな感じ。なんだこのドッチラケな不発具合は。
どうもこの映画は、自分の予想に反して、能年玲奈ではなく女装少年をスクリーンで堪能する映画のようである。月光のシーンは能年玲奈ではなく、彼女の姿に心を奪われる女装少年の様子を堪能するためのシーンであった。クライマックスのファッションショーも、ホントの女の子のほうは物凄く仏頂面のブサイクに撮られているが、女装男のほうはとても華やかに、きらびやかに撮られている。それは二人がそういうキャラクターで、その通りに演出しているだけなのだけれど、なんちゅーか、ワタクシはここまで観るのを後悔した映画というのは初めてではないかと思った。
「海月姫」は、面白い、つまらないという基準ではなく、オッサンとは最も遠い位置にある感性の映画だった。この映画は女装したオトコノコをじっくりと見たーい!という動機で観るべき映画で、そういうニュアンスならば、女の子にしか見えないニューハーフではない、男の線を残した女装姿のほうがウケるだろう。速水もこみち演じる運転手も、あの唐突な違和感しかない目立ち方からすると、きっとマンガでは非常に人気のあるキャラクターなのだろうと思う。原作ファンが満足することに非常に心を砕いているのだろう。能年玲奈が彼女自身の可愛らしさ以上の魅力を映画から注がれていないのも、彼女はあくまでも原作ファンの女の子が自己を投影するキャラクターだからなのではないかと思う。
絵に描いたような、少々描きすぎた感もありますが、オーバーな部分も含めてこじらせたオタクの話し振りや動き方など上手く表現できていて、それは能年玲奈だけではなく、なんか物凄く勿体ない使い方である池脇千鶴とか篠原ともえとか、他のオタク仲間についてもコメディとしてしっかりハマっている感じ。
しかし、ワタクシがこの映画に感じた違和感というのはわりかしすぐに起こりました。
ヒロインの相手役となる男の子が、ノーマルだけれど女装趣味があるという役どころで、その女装姿は女の子すら見惚れるゴージャスな美少女・・・らしい。らしいというのは、この男の子の初登場シーンで早速ゴージャスな女装姿を披露するのだが、まあ本人もメイクもスゴく頑張っているのはわかるのだが、それでもまあ、どーしょーもなく男だわな。いくらオタクのダサ女に身をやつしていても、これならフツーに能年玲奈のほうが可愛い。
マンガならば「女の子よりも可愛い男の子」というハードルも楽々と超えてしまえるが、実写ではそうは問屋が卸さない。努力は分かるのだが、結局は違和感が浮かびまくっている状態だというのに、それを「ストーリーがそうだから」で不問に付すのは乱暴過ぎる。
まあいい。それよりは能年玲奈だ。水族館デートでの麻丘めぐみ的なお姫様カットは非常に似合っててグー。おそらくこの後は能年玲奈がオタクモードと美少女モードを行ったり来たりするものと思って観ていました。
しかし、その後でこの映画に対してものすごい違和感を抱く事になる。
月明かりの下、二階の窓で海月に見立てたレースを能年玲奈がまとう姿を女装男が地上から見上げるシーン。能年玲奈の姿をなかなか映さずに彼女の姿に見惚れる女装男の顔をアップで撮り、カットを変えて編集でつないで、さあ、月明かりで光り輝く玲奈ちゃんを見せてくれやー、と期待度マックスで見入っていたのに、映し出された彼女はオタクの雰囲気のまま単に布を被っただけというフツーな感じ。なんだこのドッチラケな不発具合は。
どうもこの映画は、自分の予想に反して、能年玲奈ではなく女装少年をスクリーンで堪能する映画のようである。月光のシーンは能年玲奈ではなく、彼女の姿に心を奪われる女装少年の様子を堪能するためのシーンであった。クライマックスのファッションショーも、ホントの女の子のほうは物凄く仏頂面のブサイクに撮られているが、女装男のほうはとても華やかに、きらびやかに撮られている。それは二人がそういうキャラクターで、その通りに演出しているだけなのだけれど、なんちゅーか、ワタクシはここまで観るのを後悔した映画というのは初めてではないかと思った。
「海月姫」は、面白い、つまらないという基準ではなく、オッサンとは最も遠い位置にある感性の映画だった。この映画は女装したオトコノコをじっくりと見たーい!という動機で観るべき映画で、そういうニュアンスならば、女の子にしか見えないニューハーフではない、男の線を残した女装姿のほうがウケるだろう。速水もこみち演じる運転手も、あの唐突な違和感しかない目立ち方からすると、きっとマンガでは非常に人気のあるキャラクターなのだろうと思う。原作ファンが満足することに非常に心を砕いているのだろう。能年玲奈が彼女自身の可愛らしさ以上の魅力を映画から注がれていないのも、彼女はあくまでも原作ファンの女の子が自己を投影するキャラクターだからなのではないかと思う。
iPod classic が無くなっていた
今使っているiPod classicがヘタレてきたので、そろそろ買い替え時だろうか、今だと容量も増えて薄くなってバッテリーももっと長持ちして・・・などと考えておりましたら、iPod classic自体が無くなっていたという。
今使っている奴は確か初代のipod touchと迷ってclassicを選んだので、wikiで照らしてみると2008年ごろ買ったんじゃないかと思う。その当時すら「classicという名前からすると・・・Appleってばこの型のiPodを無くす気マンマン」と思っていたのだが、いざ無くなってしまうと悲しい・・などという感情的な問題ではなく具体的に困る。
今となっては自慢しようにも誰にも理解してもらえないのだが、ワタクシは初代のiPodを購入するほどのアーリーアダプターだったのだ。これは確か9.11のテロの影響で、直後のAppleのイベントが中止されたために発表の場が無くなってしまい、プレスリリースにて発表という不運な船出だった記憶がある。IT系のwebニュースでは「今更MP3プレーヤーなんて、アップルってダセェ」みたいな意見が多かったが、しかしワタクシはiPodの価値を正確に見抜いていた。
音楽フリークとして音質が素晴らしいとか、Appleのオシャレな携帯機器を持ってる俺カッケー!とか、そんなもんはとてもどうでも良かったのだが、ただその「全ての音楽を持ち運ぶ」という一点のみ、ワタクシは「これはどえらい時代になったもんだ」と色めき立ち即購入を決意したのでありました。たったの5ギガで弁当箱みたいな厚さがあって(←現在の形と比較して)5万円もしたのだが、しかしそれでも「全部の音楽が持ち運べる」というコンセプトは魅力的だった。
ウォークマン以降、カセットテープがMDになったりしましたが、iPod以前の旧人類はお出かけの際に「多分自分はこういう曲が聞きたくなるだろう」と当て推量で選んだアルバムごとのメディアを複数持ち歩いて、違うアルバムを聞きたくなったらいちいちメディアを入れ替えていたのだ。
iPod以前にもMP3プレーヤーは出ていたのだが、USBスティックの32メガという感じで、メディアを持ち運ぶ労は無くとも、MP3プレーヤーに入っていない曲を入れ替えるのは、予めパソコンに接続してデータを入れ替えるという、ともすると複数メディア持ち以上の面倒を強いる作業ではないか。
そういう作業が、予め自分のコレクションの中から吟味して明日の通勤ではコレを聞こうと色々考えるような作業が大好きな人もいるのだろうが、自分はそいういう手間を果てしなく面倒に思ってしまうタイプだった。しかも「明日の出勤で聞きたい曲」なんて心底どうでもいい、というか事前の計画を立てるというのが何にせよ苦手な性分なので、電車の中の暇つぶしごときに只でさえキャパシティの狭いアタマを使いたくない。
そんなズボラ者にAppleがもたらした福音。「家にあるCD全部入れて聞きたい時に選んで聞ける」というコンセプトの素晴らしさよ。それこそウォークマン以降で初めて起こったパラダイムシフトだと思うのだが、それがなぜ「Appleが今更MP3プレーヤー ww」と受け取られてしまうのか。
洗練されたインターフェイスで鳴らすAppleだけあって、沢山の曲を選んでアクセスする前提で設計されたホイールとボタンも過不足なく素晴らしい。初代のiPodはあのホイールがホントにクルクル回ってたんよ。数曲のスキップ程度ならポケットに突っ込んだiPodを手探りで操作できて、ホントに理に適った操作性だと今でも思う。
しかしそういったiPodが切り開いたライフスタイルも過去のものになってしまった様で。今でも便利で使っているこちとらとしては勝手に過去にすんな!という思いもあるのだが、古いと認定したブツを切り捨てること風の如しもまたアップルならでは。iPod touchでもいいのだが、値段が上がってホイール無しの操作性悪し(あくまで音楽プレーヤーとして)、些細な操作で画面を見る必要があるのは個人的には改悪に見える。
そういえばスマホ全盛のご時世、電車でイヤホン付けて音楽を聞いている人というのはめっきり減ったように思う。これは結局、iPhoneの機能にはあっても音楽を聞くことは不便になっているからだと思う。iPhoneはiPodどころではない暮らしぶりの変化をもたらしたが、音楽にしろゲームにしろ、バッテリーの持ちから月々の料金から、全てがそれまでに有る製品に比べて少しずつ使いにくかったり質が悪かったりと、器用貧乏の粋になっているように見える。しかし皆特にガマンしている様子もなく使ってるのだから、やっぱり自分は古いのだということを再認識してしまった次第。
今使っている奴は確か初代のipod touchと迷ってclassicを選んだので、wikiで照らしてみると2008年ごろ買ったんじゃないかと思う。その当時すら「classicという名前からすると・・・Appleってばこの型のiPodを無くす気マンマン」と思っていたのだが、いざ無くなってしまうと悲しい・・などという感情的な問題ではなく具体的に困る。
今となっては自慢しようにも誰にも理解してもらえないのだが、ワタクシは初代のiPodを購入するほどのアーリーアダプターだったのだ。これは確か9.11のテロの影響で、直後のAppleのイベントが中止されたために発表の場が無くなってしまい、プレスリリースにて発表という不運な船出だった記憶がある。IT系のwebニュースでは「今更MP3プレーヤーなんて、アップルってダセェ」みたいな意見が多かったが、しかしワタクシはiPodの価値を正確に見抜いていた。
音楽フリークとして音質が素晴らしいとか、Appleのオシャレな携帯機器を持ってる俺カッケー!とか、そんなもんはとてもどうでも良かったのだが、ただその「全ての音楽を持ち運ぶ」という一点のみ、ワタクシは「これはどえらい時代になったもんだ」と色めき立ち即購入を決意したのでありました。たったの5ギガで弁当箱みたいな厚さがあって(←現在の形と比較して)5万円もしたのだが、しかしそれでも「全部の音楽が持ち運べる」というコンセプトは魅力的だった。
ウォークマン以降、カセットテープがMDになったりしましたが、iPod以前の旧人類はお出かけの際に「多分自分はこういう曲が聞きたくなるだろう」と当て推量で選んだアルバムごとのメディアを複数持ち歩いて、違うアルバムを聞きたくなったらいちいちメディアを入れ替えていたのだ。
iPod以前にもMP3プレーヤーは出ていたのだが、USBスティックの32メガという感じで、メディアを持ち運ぶ労は無くとも、MP3プレーヤーに入っていない曲を入れ替えるのは、予めパソコンに接続してデータを入れ替えるという、ともすると複数メディア持ち以上の面倒を強いる作業ではないか。
そういう作業が、予め自分のコレクションの中から吟味して明日の通勤ではコレを聞こうと色々考えるような作業が大好きな人もいるのだろうが、自分はそいういう手間を果てしなく面倒に思ってしまうタイプだった。しかも「明日の出勤で聞きたい曲」なんて心底どうでもいい、というか事前の計画を立てるというのが何にせよ苦手な性分なので、電車の中の暇つぶしごときに只でさえキャパシティの狭いアタマを使いたくない。
そんなズボラ者にAppleがもたらした福音。「家にあるCD全部入れて聞きたい時に選んで聞ける」というコンセプトの素晴らしさよ。それこそウォークマン以降で初めて起こったパラダイムシフトだと思うのだが、それがなぜ「Appleが今更MP3プレーヤー ww」と受け取られてしまうのか。
洗練されたインターフェイスで鳴らすAppleだけあって、沢山の曲を選んでアクセスする前提で設計されたホイールとボタンも過不足なく素晴らしい。初代のiPodはあのホイールがホントにクルクル回ってたんよ。数曲のスキップ程度ならポケットに突っ込んだiPodを手探りで操作できて、ホントに理に適った操作性だと今でも思う。
しかしそういったiPodが切り開いたライフスタイルも過去のものになってしまった様で。今でも便利で使っているこちとらとしては勝手に過去にすんな!という思いもあるのだが、古いと認定したブツを切り捨てること風の如しもまたアップルならでは。iPod touchでもいいのだが、値段が上がってホイール無しの操作性悪し(あくまで音楽プレーヤーとして)、些細な操作で画面を見る必要があるのは個人的には改悪に見える。
そういえばスマホ全盛のご時世、電車でイヤホン付けて音楽を聞いている人というのはめっきり減ったように思う。これは結局、iPhoneの機能にはあっても音楽を聞くことは不便になっているからだと思う。iPhoneはiPodどころではない暮らしぶりの変化をもたらしたが、音楽にしろゲームにしろ、バッテリーの持ちから月々の料金から、全てがそれまでに有る製品に比べて少しずつ使いにくかったり質が悪かったりと、器用貧乏の粋になっているように見える。しかし皆特にガマンしている様子もなく使ってるのだから、やっぱり自分は古いのだということを再認識してしまった次第。
ゴーンガール
この映画のヒロインであるロザムンド・パイクは、個人的には「アウトロー」でトム・クルーズの乳首の向こうで佇んでいたのが印象的(というのか?)なのだが、この人はちょっとマデリーン・ストウぽいというのか、美人ではあるが表情が乏しい印象があって、この映画の役どころにピッタリな人であります。
このタイトルのダブル・ミーニングにはそもそもそう気付くように仕掛けてあるのだから割とアッサリと気付く。これは要するにそういうフィンチャーお得意のサイコパスもの、結局は上質なサスペンス・エンタテイメントだよねー、なんて思っていたら最後のヒロインのセリフに虚をつかれてギョッとし、しばしボーゼンとしてヒロインの言い草に納得してしまったという。あれこそがこの映画のどんでん返しだったのだ。
自分が観に行った映画館では「月刊シネコンウォーカー」という宣伝誌を配っていて、公開前の映画チェック等に重宝しているのだが、「ゴーンガール」の記事に「女は日常生活で細やかな気遣いを(男から)受けたい、けれども男は自分一人の惰性で生きたい」という精神科医の解説があってナルホドと膝を打った。この言 葉はものすごく真実に思え、それなら男女が分かり合える日は人類が滅亡するまで来ないのだろうて。この映画、ワタクシは知らずにウッカリ嫁と観に行ってしまい、お互いビミョーな雰囲気で劇場を後にしたのでありますが、でも結婚だって良いトコあんのよー。いやマジで。
このタイトルのダブル・ミーニングにはそもそもそう気付くように仕掛けてあるのだから割とアッサリと気付く。これは要するにそういうフィンチャーお得意のサイコパスもの、結局は上質なサスペンス・エンタテイメントだよねー、なんて思っていたら最後のヒロインのセリフに虚をつかれてギョッとし、しばしボーゼンとしてヒロインの言い草に納得してしまったという。あれこそがこの映画のどんでん返しだったのだ。
自分が観に行った映画館では「月刊シネコンウォーカー」という宣伝誌を配っていて、公開前の映画チェック等に重宝しているのだが、「ゴーンガール」の記事に「女は日常生活で細やかな気遣いを(男から)受けたい、けれども男は自分一人の惰性で生きたい」という精神科医の解説があってナルホドと膝を打った。この言 葉はものすごく真実に思え、それなら男女が分かり合える日は人類が滅亡するまで来ないのだろうて。この映画、ワタクシは知らずにウッカリ嫁と観に行ってしまい、お互いビミョーな雰囲気で劇場を後にしたのでありますが、でも結婚だって良いトコあんのよー。いやマジで。