ジュラシックパーク
Huluの映画ラインナップが40代の中年層狙い撃ち的にラインナップを強化し、早速「ジュラシックパーク」を視聴しました。
20年前に劇場で観て以来今回が初めてのリピート鑑賞になるのですが、改めて「コレはこんなに面白い映画だったのか」と感動した次第でございます。これには自分の思い出補正もあるとは思う。例えばヒッチコックや黒澤明もスゴいと思うし文句なく面白いのだが、若かった頃にリアルタイムで見ていたというのは存外に大きな影響を与えているようで、やっぱり自分はスピルバーグのエンターテイメント性というのが一番合っている。
自分がブログでよく書いている「映画はストーリーより見た目」というのも結局はスピルバーグ映画の影響があってビジュアル重視になっているのだと気付いた。ジュラシック・パークの、全てを映像として展開している清々しさよ。登場人物のキャラクターもパークの様子も暴れる恐竜たちも全部を画面に示して、モノローグやナレーションなんて姑息な手法は一切ナシのガチンコ勝負。
たとえば最近ようやくHuluでもお目見えした「ハウス・オブ・カード」につきまして。あれも面白いことは面白いのだが、映画のそれとはやっぱり違う。劇中でケヴィン・スペイシーが唐突にカメラを見て視聴者に向かって語りかける演出がありますが、従来だったらモノローグとして処理していたものを主人公に直に語らせることによって、セリフの内容に視聴者の気を引かせる効果がある。けれども結局は映像で表現するのがメンドくさいから省略したいものの、さりとてスッパリと切り捨てる度胸もない物語の要素をビンボーくさく見せているだけである。ドラマだから説明は何であれ多い方が有難がられるのだと思うが、ああいうのを映画でやるのは物凄く格好悪いことだと思う。しかも回を追うごとにケヴィン・スペイシーのカメラ目線のシーンが多くなって来て、きっとウケてるからやってるんだろうけれど、個人的には姑息な演出だと思う。
ジュラシック・パーク公開当時、日本のマスコミのほうぼうで「人間が描けていない」という批判がなされており、この誰の目にも的外れなイチャモンに「マスコミって案外バカ」という疑惑が芽生えた出来事でありました。だってねえ、ジュラシック・パークを見て「恐竜が描けていない」と批判するならともかく、人間て。
主人公のサム・ニールが始めは子供嫌いとして登場しながらも、命がけの冒険を経て二人の子供たちを愛おしく思う展開や、パーク建設者の香具師の男が本物の恐竜を作ることで見た夢、それらが劇中の行動やセリフで、恐竜パニック映画という本筋の脇にちゃんと語られていて、書き割りでない程度にはキャラクターの色が付けられている。今回の騒動を引き起こしたデブのプログラマーが、手に取ったシェービングクリームを手付かずのパイになすりつける短いカットは、「イングロリアス・バスターズ」でクリストフ・ヴァルツがリンゴのパイに葉巻を押し付けたシーンと同様の意味があってのことだと思う。
20年前に劇場で観て以来今回が初めてのリピート鑑賞になるのですが、改めて「コレはこんなに面白い映画だったのか」と感動した次第でございます。これには自分の思い出補正もあるとは思う。例えばヒッチコックや黒澤明もスゴいと思うし文句なく面白いのだが、若かった頃にリアルタイムで見ていたというのは存外に大きな影響を与えているようで、やっぱり自分はスピルバーグのエンターテイメント性というのが一番合っている。
自分がブログでよく書いている「映画はストーリーより見た目」というのも結局はスピルバーグ映画の影響があってビジュアル重視になっているのだと気付いた。ジュラシック・パークの、全てを映像として展開している清々しさよ。登場人物のキャラクターもパークの様子も暴れる恐竜たちも全部を画面に示して、モノローグやナレーションなんて姑息な手法は一切ナシのガチンコ勝負。
たとえば最近ようやくHuluでもお目見えした「ハウス・オブ・カード」につきまして。あれも面白いことは面白いのだが、映画のそれとはやっぱり違う。劇中でケヴィン・スペイシーが唐突にカメラを見て視聴者に向かって語りかける演出がありますが、従来だったらモノローグとして処理していたものを主人公に直に語らせることによって、セリフの内容に視聴者の気を引かせる効果がある。けれども結局は映像で表現するのがメンドくさいから省略したいものの、さりとてスッパリと切り捨てる度胸もない物語の要素をビンボーくさく見せているだけである。ドラマだから説明は何であれ多い方が有難がられるのだと思うが、ああいうのを映画でやるのは物凄く格好悪いことだと思う。しかも回を追うごとにケヴィン・スペイシーのカメラ目線のシーンが多くなって来て、きっとウケてるからやってるんだろうけれど、個人的には姑息な演出だと思う。
ジュラシック・パーク公開当時、日本のマスコミのほうぼうで「人間が描けていない」という批判がなされており、この誰の目にも的外れなイチャモンに「マスコミって案外バカ」という疑惑が芽生えた出来事でありました。だってねえ、ジュラシック・パークを見て「恐竜が描けていない」と批判するならともかく、人間て。
主人公のサム・ニールが始めは子供嫌いとして登場しながらも、命がけの冒険を経て二人の子供たちを愛おしく思う展開や、パーク建設者の香具師の男が本物の恐竜を作ることで見た夢、それらが劇中の行動やセリフで、恐竜パニック映画という本筋の脇にちゃんと語られていて、書き割りでない程度にはキャラクターの色が付けられている。今回の騒動を引き起こしたデブのプログラマーが、手に取ったシェービングクリームを手付かずのパイになすりつける短いカットは、「イングロリアス・バスターズ」でクリストフ・ヴァルツがリンゴのパイに葉巻を押し付けたシーンと同様の意味があってのことだと思う。
不定愁訴
なんとなく頭が痛い、疲れが取れない、体調が優れないという理由で医者で診てもらっても原因が分からず。まあストレスやら年のせいですな、というような状態のようです。自分の場合、もともと片頭痛のケはあったのだけれど、中年まっただ中になってかなり頻繁に起こるようになってしまいました。
病院に行くととりあえずMRIで輪切り写真を撮るのだけれど、まあ有り難いことに悪い兆候は無し。なのでお薬をもらってハイお大事に、というのが毎度のことになっています。初めての時はもうちょっと何か原因が分かるんじゃないかと思っていたので期待はずれでガッカリしたのだけれど、今となっては病院に行く目的が頭痛薬目当てでもあるので、アンタのアタマは大丈夫、と言われただけでも有り難いと思うようになったのでありました。
オッサンになって何となく腑に落ちたのだけれど、おそらく人体の仕組みというのは今でも分かっていないことのほうが多くて、不定愁訴などの「検査したけど異常なし」というのは異常が無いのではなく、おそらくまだ人体の未知の部分に起因する症状であり、そういうことは決して珍しいものではないのだ。せめて目の前の医者の知識が数十年前で止まっておらずに最新の情報にアップデートされていますように、などと思うのですが、最先端であってもダメなもんはダメだろうなあとも思う。
別にお医者さんを貶めるつもりではないが、医者に頼りすぎるのも横着なのだろうなとも思う。不定愁訴で検索して出てきたこのお話、ヒトゴトながら喜ばしいことなのかそうでないのか、でも多分医者というのはそういうもので、同じ症状でも内科に行けば胃薬を出され、精神科に行けば向精神薬を処方される。原因が分かってどうにかできる分には医者は非常に優秀だと思うが、叩くドアを間違えるとエラいコトにもなりかねない。
頭痛持ちはつらいけどしょうがないよね、というのは理屈では分かっているつもりだけれど、実際起こってみるとこめかみに走る激痛の前には理屈も吹っ飛んで痛さを堪えるだけで全力になってしまう。痛いのは辛い。この、とても当たり前のことが身にしみる今日このごろでございます。
で、これが本題なのですが、そういう諸症状を抱えて老いて行くオノレを受け入れる心と、痛いんだから何とか直して快癒したいという心がどちらもあって、その二つの間でバランスを取るのがとても難しい。カッコいい事を申しますと、要するに敵は時間であるので、時間の流れに逆らうことなど木っ端のごとき我が身にできようはずもなく、ああでも痛いもんは痛い、なんかもうこの先袋小路のどんづまり以外の道が見えない。
44という年齢からいって、最近話題になっている男性更年期障害かもね?などと気軽に思い立ち、男性更年期障害診断チェックというのをやってみたのですが、これがもう何と言うのかコレ考えた奴ってバカじゃねえか?というくらい大雑把な質問項目。朝立ちの回数が減少したとか性的機能が衰えたってテメエ!十代の性的ポテンシャルを維持している「今こそ絶頂期!!」と自認する40や50男が異常なしの正常体ってコトか!?どんな結果であっても「タマネギを食いなさい」と出てくるのはギャグか??こちとら「中坊の頃に比べて勃ちが悪くなったのは病気のせい」などと真剣に悩まにゃアカンのか。
何となくこのチェックシートから透けて見えるのは、結局医者もハッキリと分かっていないのだろうなという、やっぱりトホホな現実でありました。40代で仕事もたいてい厳しく体力の衰えを感じる中でストレス貯まってこらアカンとなった時に、同じ症状でも心療内科に行くか泌尿器科に行くかでやっぱり処方が違う。治療が功を奏して症状が無くなれば有り難いと思う。けれども見立て違いで不要な薬を飲み続けてより悪くなるということも世の中あるワケで、そのリスクは医者ではなく我が身で負うしか無い。
ということで不定愁訴。人生の複雑さに思いを馳せる良い切っ掛けにはなっているように思える。ただ弱った自分をそういうモノとして認めて欲しいだけなのだが、今の日本ってそういう寛容さがものすごく狭くて、「それは病気だから直しましょう」ということが万事正しい事なのか疑問に思えてしまう。
病院に行くととりあえずMRIで輪切り写真を撮るのだけれど、まあ有り難いことに悪い兆候は無し。なのでお薬をもらってハイお大事に、というのが毎度のことになっています。初めての時はもうちょっと何か原因が分かるんじゃないかと思っていたので期待はずれでガッカリしたのだけれど、今となっては病院に行く目的が頭痛薬目当てでもあるので、アンタのアタマは大丈夫、と言われただけでも有り難いと思うようになったのでありました。
オッサンになって何となく腑に落ちたのだけれど、おそらく人体の仕組みというのは今でも分かっていないことのほうが多くて、不定愁訴などの「検査したけど異常なし」というのは異常が無いのではなく、おそらくまだ人体の未知の部分に起因する症状であり、そういうことは決して珍しいものではないのだ。せめて目の前の医者の知識が数十年前で止まっておらずに最新の情報にアップデートされていますように、などと思うのですが、最先端であってもダメなもんはダメだろうなあとも思う。
別にお医者さんを貶めるつもりではないが、医者に頼りすぎるのも横着なのだろうなとも思う。不定愁訴で検索して出てきたこのお話、ヒトゴトながら喜ばしいことなのかそうでないのか、でも多分医者というのはそういうもので、同じ症状でも内科に行けば胃薬を出され、精神科に行けば向精神薬を処方される。原因が分かってどうにかできる分には医者は非常に優秀だと思うが、叩くドアを間違えるとエラいコトにもなりかねない。
頭痛持ちはつらいけどしょうがないよね、というのは理屈では分かっているつもりだけれど、実際起こってみるとこめかみに走る激痛の前には理屈も吹っ飛んで痛さを堪えるだけで全力になってしまう。痛いのは辛い。この、とても当たり前のことが身にしみる今日このごろでございます。
で、これが本題なのですが、そういう諸症状を抱えて老いて行くオノレを受け入れる心と、痛いんだから何とか直して快癒したいという心がどちらもあって、その二つの間でバランスを取るのがとても難しい。カッコいい事を申しますと、要するに敵は時間であるので、時間の流れに逆らうことなど木っ端のごとき我が身にできようはずもなく、ああでも痛いもんは痛い、なんかもうこの先袋小路のどんづまり以外の道が見えない。
44という年齢からいって、最近話題になっている男性更年期障害かもね?などと気軽に思い立ち、男性更年期障害診断チェックというのをやってみたのですが、これがもう何と言うのかコレ考えた奴ってバカじゃねえか?というくらい大雑把な質問項目。朝立ちの回数が減少したとか性的機能が衰えたってテメエ!十代の性的ポテンシャルを維持している「今こそ絶頂期!!」と自認する40や50男が異常なしの正常体ってコトか!?どんな結果であっても「タマネギを食いなさい」と出てくるのはギャグか??こちとら「中坊の頃に比べて勃ちが悪くなったのは病気のせい」などと真剣に悩まにゃアカンのか。
何となくこのチェックシートから透けて見えるのは、結局医者もハッキリと分かっていないのだろうなという、やっぱりトホホな現実でありました。40代で仕事もたいてい厳しく体力の衰えを感じる中でストレス貯まってこらアカンとなった時に、同じ症状でも心療内科に行くか泌尿器科に行くかでやっぱり処方が違う。治療が功を奏して症状が無くなれば有り難いと思う。けれども見立て違いで不要な薬を飲み続けてより悪くなるということも世の中あるワケで、そのリスクは医者ではなく我が身で負うしか無い。
ということで不定愁訴。人生の複雑さに思いを馳せる良い切っ掛けにはなっているように思える。ただ弱った自分をそういうモノとして認めて欲しいだけなのだが、今の日本ってそういう寛容さがものすごく狭くて、「それは病気だから直しましょう」ということが万事正しい事なのか疑問に思えてしまう。
インターステラー
これまでのクリストファー・ノーランの監督作品は、なんといいますか、世間が騒ぐ程に自分では映画に乗れず、ノーラン監督がスゴいという意見には賛同しつつも、「でも、ちょっと誉め過ぎなんでないの?」という眼でみておりました。
そんなこじれたオタクも「インターステラー」にはノックアウトされました。「ああ・・・面白かったわあ・・・」と客席で呆然。いやあいいもん見させてもらいました。
じゃあ「インターステラー」とそれ以前とでは何が違うかと申しますと、映画的にどうこうなどという観点ではなく、単純にストーリーが自分のモロ好みだった、というのが理由であります。wikiで見てみますと、この映画の製作者はゼメキスの「コンタクト」も手がけていたということが書いてあって、ああ、さもありなん。アレも感激してDVD買ったんだよなー、当時まだプレーヤー持ってなかったけど。
若い頃に読み耽った星野之宣のSFマンガがそのまま壮大に映像化されたような感じで、相対性理論だのブラックホールだのと科学的タームでストーリーが突き進んで行った挙げ句、突然に科学を飛び越えて人間の感情が露呈したドラマが全面に展開する。しかしこれこそがSFのフォーマットだとも思う。
ノーランらしく、この映画も上映時間が3時間ほどあって観る前はうへぇと思っていたが、観終わってみると長さを全く感じないほど集中しておりました。映画の構成が割と短いエピソードの積み重ねで出来ている感じで、「滅亡に向かう世界」「親子の別れ」「ワームホール突入」といった具合に一つ一つの話がかなりクッキリと分けられている。あと、個人的にノーラン映画ってアクションシーンにおける役者の動きも撮影もイマイチという感想があって、きっとその辺りがノーラン監督のビジュアルにシビれながらも今ひとつ乗れない原因なのだろうと思いますが、「インターステラー」においてはアクションシーンが「無い」というのも個人的に良かったのではないかと思います。唯一アクションぽかったのが氷の惑星でマット・デイモンと対決したシーンですが、のらりくらりとしたスローペースな動きなので、それが良かったのではないかと。
そしてマット・デイモンにつきまして。この人はこの映画において非常に軽く扱われていて、それは知名度に対して役が小さいからとかそういうバランスの問題ではない、意図的にマット・デイモンのキャスティングを隠そうとしている感じがある。役どころは「シャイニング」におけるジャック・ニコルソンそのものであるので、全体の中でもかなりインパクトがあるエピソードである。下手な役者に任せられないし、さりとて映画全体のバランスを考えるとここばかり注目されても困る、そんな感じで、どうもここだけ扱いあぐねている感じを受けました。たしかにニコルソンばりにやり過ぎても映画の本筋から外れてしまうだけだし、コレはコレで良かったのではないかと思います。
そんなこじれたオタクも「インターステラー」にはノックアウトされました。「ああ・・・面白かったわあ・・・」と客席で呆然。いやあいいもん見させてもらいました。
じゃあ「インターステラー」とそれ以前とでは何が違うかと申しますと、映画的にどうこうなどという観点ではなく、単純にストーリーが自分のモロ好みだった、というのが理由であります。wikiで見てみますと、この映画の製作者はゼメキスの「コンタクト」も手がけていたということが書いてあって、ああ、さもありなん。アレも感激してDVD買ったんだよなー、当時まだプレーヤー持ってなかったけど。
若い頃に読み耽った星野之宣のSFマンガがそのまま壮大に映像化されたような感じで、相対性理論だのブラックホールだのと科学的タームでストーリーが突き進んで行った挙げ句、突然に科学を飛び越えて人間の感情が露呈したドラマが全面に展開する。しかしこれこそがSFのフォーマットだとも思う。
ノーランらしく、この映画も上映時間が3時間ほどあって観る前はうへぇと思っていたが、観終わってみると長さを全く感じないほど集中しておりました。映画の構成が割と短いエピソードの積み重ねで出来ている感じで、「滅亡に向かう世界」「親子の別れ」「ワームホール突入」といった具合に一つ一つの話がかなりクッキリと分けられている。あと、個人的にノーラン映画ってアクションシーンにおける役者の動きも撮影もイマイチという感想があって、きっとその辺りがノーラン監督のビジュアルにシビれながらも今ひとつ乗れない原因なのだろうと思いますが、「インターステラー」においてはアクションシーンが「無い」というのも個人的に良かったのではないかと思います。唯一アクションぽかったのが氷の惑星でマット・デイモンと対決したシーンですが、のらりくらりとしたスローペースな動きなので、それが良かったのではないかと。
そしてマット・デイモンにつきまして。この人はこの映画において非常に軽く扱われていて、それは知名度に対して役が小さいからとかそういうバランスの問題ではない、意図的にマット・デイモンのキャスティングを隠そうとしている感じがある。役どころは「シャイニング」におけるジャック・ニコルソンそのものであるので、全体の中でもかなりインパクトがあるエピソードである。下手な役者に任せられないし、さりとて映画全体のバランスを考えるとここばかり注目されても困る、そんな感じで、どうもここだけ扱いあぐねている感じを受けました。たしかにニコルソンばりにやり過ぎても映画の本筋から外れてしまうだけだし、コレはコレで良かったのではないかと思います。
紙の月
宮沢りえもいつしか四十路を越え、美しくありながらもそれなりに年経た容姿になり、しかしそれがまた今作の魅力にもなっているという、りえちゃんだけ見てても飽きなかったわー映画も面白かったけど。キャストで割食ったのは宮沢りえの少女時代を演じた女の子であることは疑いの余地無し。申し訳ないですがリハウスのCMの宮沢りえと比べちゃって。
映画の中盤まではてっきり現代の話だと思っていたのだが、スクリーンに1995(年)の文字が出て来たのに軽くビックリした。石橋蓮司が親類を評して「どいつもこいつも借金だらけ」だとか、孫が学費の借金している、父はリストラ、大島優子の「バブルの頃は年収一千万もザラ」のセリフとか、デフレ以降の日本らしさを散りばめつつ実は1994年スタートのドラマだったとは。1994年というと丁度バブルが弾けた年でもあるのだけれど、まだまだ社会はノンキなものだったハズ。しかも定期預金のチラシで利息2%とか書いてなかったっけ?短期はともかく数年満期ならもうちょっとあったんじゃない?逆に2000年以降で利息2%てのも嘘八百だが。
吉田監督はそういう細部をとても大切に扱う人だと思うので、これはもしかして自分の感覚がおかしいのだろうかと思わないでも無い。独居老人である中原ひとみの住居がモノで敷き詰められている所なんか物凄く説得力があって、初見で「ああ、この人じきにボケるな」ということが分かる。
ワタクシが映画における美人の撮り方として挙げている「美女は振り返る」と「美女は階段を降りる」というのが宮沢りえが大学生の男と再会する地下鉄の駅で早々に披露されていて吉田監督グッジョブ。ストーリー的には二人ができてしまうまでが端折り過ぎな感はありますが、映像としては十分にフォローしているのであった。
この映画は終始息苦しい感じが付きまとっていて、それは宮沢りえと小林聡美が対決するラストを頂点にしているのだが、その後の突き抜けっぷりが素晴らしい。ネタバレが大き過ぎて書かない・・けれどアレとアレの後のアレ・・・多分ああいうストーリーを突き抜けて観客を魅了する瞬間こそが映画なんじゃないかと思う。
映画の中盤まではてっきり現代の話だと思っていたのだが、スクリーンに1995(年)の文字が出て来たのに軽くビックリした。石橋蓮司が親類を評して「どいつもこいつも借金だらけ」だとか、孫が学費の借金している、父はリストラ、大島優子の「バブルの頃は年収一千万もザラ」のセリフとか、デフレ以降の日本らしさを散りばめつつ実は1994年スタートのドラマだったとは。1994年というと丁度バブルが弾けた年でもあるのだけれど、まだまだ社会はノンキなものだったハズ。しかも定期預金のチラシで利息2%とか書いてなかったっけ?短期はともかく数年満期ならもうちょっとあったんじゃない?逆に2000年以降で利息2%てのも嘘八百だが。
吉田監督はそういう細部をとても大切に扱う人だと思うので、これはもしかして自分の感覚がおかしいのだろうかと思わないでも無い。独居老人である中原ひとみの住居がモノで敷き詰められている所なんか物凄く説得力があって、初見で「ああ、この人じきにボケるな」ということが分かる。
ワタクシが映画における美人の撮り方として挙げている「美女は振り返る」と「美女は階段を降りる」というのが宮沢りえが大学生の男と再会する地下鉄の駅で早々に披露されていて吉田監督グッジョブ。ストーリー的には二人ができてしまうまでが端折り過ぎな感はありますが、映像としては十分にフォローしているのであった。
この映画は終始息苦しい感じが付きまとっていて、それは宮沢りえと小林聡美が対決するラストを頂点にしているのだが、その後の突き抜けっぷりが素晴らしい。ネタバレが大き過ぎて書かない・・けれどアレとアレの後のアレ・・・多分ああいうストーリーを突き抜けて観客を魅了する瞬間こそが映画なんじゃないかと思う。
amiibo 第二弾&第三弾
第二弾のラインナップにロゼッタが・・・ やっと会えたね。
第一弾はピーチとカービィ、それと「やっぱりポケモンのamiiboはコンプしておきたい」というマニア心からピカチュウを予約しましたが、第二弾はロゼッタの他にはポケモン関連でルカリオ、それとクッパとデデデを購入予定。やっぱりワド出してよワド。なんだろう、マリオ自体には収集欲は湧かないのだけれど、それ以外のマリオファミリーの皆様の好感度が個人的に高過ぎる。ただし緑は兄貴に含む。
amiiboのcmで変なアメリカンファミリーの映像が公開されましたが、あれ見るとamiiboってものすごく小さい。あの映像のスケールからすると、カービィなんてもしかして2cmくらいしかないんじゃないかと思う。全部同じ値段なので、自分の好きなフィギアよりも造型が凝っててコストパフォーマンスの良さげなamiiboを買い漁ろうとする本末転倒な輩が出ても「さもありなん」という感じもする。
第三弾からは、シュルクを買っておくべきか。この時期に出て来るということはNew 3DSで出るゼノブレイドに対応していると考えないほうがおかしい。これは買っておかねば。その前にNew 3DSを買わねば。LLでシロが出るのを待っているのだが、バリエーションは着せ替えプレートに任せていそうなので、LLでのカラバリ商法はあまりしなさそうな予感がする。
第一弾はピーチとカービィ、それと「やっぱりポケモンのamiiboはコンプしておきたい」というマニア心からピカチュウを予約しましたが、第二弾はロゼッタの他にはポケモン関連でルカリオ、それとクッパとデデデを購入予定。やっぱりワド出してよワド。なんだろう、マリオ自体には収集欲は湧かないのだけれど、それ以外のマリオファミリーの皆様の好感度が個人的に高過ぎる。ただし緑は兄貴に含む。
amiiboのcmで変なアメリカンファミリーの映像が公開されましたが、あれ見るとamiiboってものすごく小さい。あの映像のスケールからすると、カービィなんてもしかして2cmくらいしかないんじゃないかと思う。全部同じ値段なので、自分の好きなフィギアよりも造型が凝っててコストパフォーマンスの良さげなamiiboを買い漁ろうとする本末転倒な輩が出ても「さもありなん」という感じもする。
第三弾からは、シュルクを買っておくべきか。この時期に出て来るということはNew 3DSで出るゼノブレイドに対応していると考えないほうがおかしい。これは買っておかねば。その前にNew 3DSを買わねば。LLでシロが出るのを待っているのだが、バリエーションは着せ替えプレートに任せていそうなので、LLでのカラバリ商法はあまりしなさそうな予感がする。