今日も定時ダッシュ -122ページ目

チョコレート・ファイター

 このところ日本のアクション映画を応援したい気分が盛り上がっておりましたが、この映画を観てしまった日にゃあ・・・日本でアクション映画が盛り上がることなんて、やっぱりムリだよという気分になってしまった。「チョコレート・ファイター」は「マッハ!!!!!!!」や「トム・ヤム・クン」のプラッチャヤー・ピンゲーオ監督が女の子を主人公として製作した最新のアクション映画であります。

 製氷工場や肉市場を舞台にしたり、「キル・ビル」最大の見せ場だった青葉屋を模したセットやビルの壁面を大胆に使ったクライマックスなど、とにかくアクションの見せ方が豊富で、なんと撮影に2年をかけたそうです。この期間は、舞台を決め、その中でどんなアクションをするかを決め、それにそって念入りにリハーサルを行い、という手順を重ねたものだろう。これだけのアイディアと製作期間でみっちりとアクション映画を撮れる環境は日本には無いだろうなあ。

 この映画のヒロインはヤーニン・ウィサミタナンという名前のカワイ娘ちゃん(死語)、1984年生まれの今年25歳。え?25歳??映画では15歳くらいにしか見えない。しなやかな体から繰り出すアクションはシャープで非常にキレがあり、これぞまさに逸材。この映画を観て彼女を応援しない奴は世界中さがしてもいないと思われ。映画の中の彼女があまりにもカッコよいので、観終わって「よし!オレもムエタイやってみよう!!」という気分がバーッと盛り上がったのですが、エンディングのNG集では彼女はもとより役者の皆さんが撮影中に痛い目にあうシーンを披露しており、その余りの痛そうな様子に自分の中のムエタイ熱は一気に冷めた。あのNG集は自分のような勘違い人間を押しとどめる効果がありましたな。

 劇中、悪役の手下役でタイ名物であるオカマが数人登場するのだが、その中の一人がマライヤ・キャリーの扮装をしており、彼女(彼?)の微妙にマライヤに似ている加減がかなりツボでした。今後マライヤを見てもオカマにしか見えない感じ。

こんな人にオススメ:やっぱりアクションは生身に限る。CGやワイヤーに歯痒さを感じている方

テラートレイン

 1981年のジェイミー・リー・カーティス主演映画のリメイクだそうですが、かなり「ホステル」を意識した内容に変更されており、非常に二番煎じな感じが漂っております。人体破壊度のエグさや後半の追っ手を逃れながら反撃していくカタルシスも「ホステル」のほうが強烈だと思うが、まあ、この手のゴア・ムービーは コメディやラブロマンスよりもずっと市場が狭いため、その優劣を語るよりも定期的に製作されていくことに意義があるように思う。

 この映画のヒロインはソーラ・バーチ。若手の中でもポスト・キャシー・ベイツの最右翼のヒトであり、しかもレスリングの選手という戦闘力の高い設定なので、ホラーの定石である、ヒロインが殺人鬼の恐怖におののいてキャーキャー言うシーンなんて似合わない。だから彼女が明確に殺人鬼どもへの復讐を決意してからがこの映画のキモなので、もっと派手な復讐を遂げるような展開だとよかったな。殺人鬼に何度も殴られてもビクともしないってのは、彼女だからこその説得力はあったけど。

 「テラートレイン」でちょっと底意地が悪いなあと思ったのは、殺人の理由はあくまで病人に臓器を移植するという医療行為のつもりだという点だ。「ホステル」のような快楽殺人なら屈託なく楽しめた(というのも変だが)ゴア・シーンも、なんだか現代の問題をすくいあげているようなエクスキューズを感じてしまい、「B級スプラッタで説教するんじゃねえ」という反感も覚えた。患者に東洋的な顔立ちが多いってのも・・・うーん。

こんな人にオススメ:ソーラ・バーチにドス黒いオーラを感じる人ならば。

ミルク

 ガス・ヴァン・サント監督はゲイであることを公言している人であるので、ハーヴェイ・ミルクを主人公にした映画製作に意欲があったのだろうし、また「ミルク」は監督自身の代表作にもなるのだろうが(wikiを見るとブライアン・シンガー監督もミルクを狙っていたようで・・・)、個人的にはこの人の映画の中で「サイコ」に注目している。

 いわずと知れたヒッチコックの大傑作を、ガス・ヴァン・サントはあろうことかオリジナルと同じカットで撮ってしまい、要は「サイコ」をカラーにしただけというシロモノを作ってしまった。自分はこれを上映前の予告編で見て、「なんちゅー志の低いリメイクや」と呆れ、もちろん本編も観ていないのだが、今では見方が変わっている。こういう企画が回って来た時には断るのが無難なのだろうが、それでは他の監督がリメイクしてしまう。どのみちオリジナルの「サイコ」は汚される、と案じたガス・ヴァン・サント監督は己のキャリアを台無しにするのを承知で傑作を安直にリメイクする愚を批判したのではあるまいか。リメイクの惨憺たる評判と、結果的に「オリジナルの偉大さを再認識した」という評価は、もしかして監督の狙いだったのかもしれないのだ。

 この事実は私に、例えば安直に黒澤明をリメイク、しかも立て続けに2作も!するような神経を疑いこそすれ、リメイク自体をどうこう言ってもしょうがないという教訓を残したのでありました。

 「ミルク」に戻って、そもそもガス・ヴァン・サントはゲイを公言しつつも、露骨にゲイっぽい映画は作ってこなかったのだが、今回は史実ということもあり、ゲイの外見の表現に一筋の躊躇いもない。この映画に登場するゲイの人々の日常的な動作、ディエゴ・ルナのクネクネした媚の売り方やエミール・ハーシュのお尻をプリプリさせる歩き方など、これまでゲイが登場する映画は数あれど、ここまでゲイを知らない人に対して違和感を持たせる映画はなかったと思う。そして何よりショーン・ペンのあの口角を上げた表情は、あの表情をキープすることは自分でやってみると分かるのだが物凄く顔筋を酷使するものであり、ゲイというのはここまで傍目にはどうでもいい所に神経を使っているものかと驚くばかりであります。

 「ミルク」はゲイを余す事無く描くのと同時に、ジョシュ・ブローリン演じるダン・ホワイトもしっかり描かれており、出番は多くないものの、こちらのほうが心情的に理解できる。この人はきっと本当に善人で腹蔵のない人だったのだろう。だから政治家には向いていなかったのだろう。自分の支持基盤に対する責任感と自身の政治力のなさとでどんどん余裕を無くしていく姿は、平凡な男が迷い込んだ末路として全く人ごとではない。

 ガス・ヴァン・サント監督はダン・ホワイトを単なるアンチゲイとしなかったように、ハーヴェイ・ミルクもゲイリブのヒーローとしておらず、1970年代を生きたそれぞれの立場の人間たちとして、おそらくありのままに描こうとしている。これから広がっていく価値観と衰退していく価値観の、それぞれの中に生きる者。ちょっとヴィスコンティの「家族の肖像」っぽい・・・ってのは無理すぎ?

こんな人にオススメ:ゲイ御用達かと思いきや、割と万人向けで見易い映画でした。

栗本薫

 タレントとしての知名度やご本人の意識としては中島梓と言うべきなのだろうが、やっぱりこの人の数多くの小説に影響を受け青春を過ごしてた自分としては、あくまで栗本薫氏が終にお亡くなりになったという思いが強い。

 高校生のころ・・・だからもう20年以上昔のことですが、25巻あたりまでのグイン・サーガを読んで大いにハマって、その後10年くらい栗本薫の小説を好んで読んでいた。何しろ多作な方なので、それほど読書が好きだったわけではなかった自分にとって、読破しきってもう読むモノがない、なんて怖れがなかったのだ。
 
 就職してさらに本を読まなくなってからはグイン・サーガしか読んでいなかったが、最近のあとがきや闘病記での病状を読むにつけ、不謹慎だが「ああ、きっとグインは終わらないのだろうなあ」という覚悟めいたものを持つようになった。けれども訃報を聞いた今となっては、グインの先がどうこうというよりも、かつて期末テスト前に「レダ」を徹夜で読みふけってしまい赤点をくらったとか、「トワイライト・サーガ」の上巻を読んで、本屋が閉まるギリギリに下巻を買いに行ったとか、当時のことばかりを懐かしく思い出してしまう。そういえばニフティの「天狼パティオ」で名乗っていたハンドルをグインに登場させてくれたのだよなあ。おそらく人生の半ばを過ぎた自分も、こうやって少しずつ、好きだったタレントや作家が鬼籍に入り、そのうち年の近い友人や親類の訃報を聞き、死を己の内に自覚していくのだろうと思う。もちろん自分こそが真っ先に死ぬことだって十分あるのだが。

 当時の自分は若いってだけで何も持っておらず、何も持っていないことも分かっておらず、ただ先々が不安なダメな奴だった。ファンタジーにあそこまでハマったのは、そんな漠然とした不安感を物語に没頭している間だけは忘れられたからだと思う。だから当時の自分は栗本氏の妄想(と敢えて言いますが)のおこぼれで生きていけたようなもんだ。

 「魔都」の文庫版あとがきだったと思うが、終わってしまった小説のキャラクターは自分の手をすり抜けてしまった者達で、いつか自分も彼らが待っている所にゆけるだろう、それはおそらく自分の最期の時だろう、というようなことを語っておられた。きっと逢えたのだろう。

ラッシ

 DSのレシピソフトの中から実際に作ってみるシリーズ。17回目は「世界のごはん」からラッシを作りました。

 このソフトはWifi通信で他の人が作った料理の累計がランキング形式で表示される仕掛けがあり、ラッシは累計1位をえんえんと死守しております。理由は誰でも分かる、手軽な材料でカンタンに作れて、しかも日本には根付いていない物珍しさが「世界のごはん」の購買層にピッタリだったからでしょう。自分も結構作ってます。

 確かに、サッパリしたのどごしとヨーグルトの酸味が真夏のうだるような暑さにピッタリな飲み物です。もうちょっとコクが欲しい場合は、自分は水ではなく牛乳で割るのですが、なんだかコレだとゆうきまさみの「究極超人あーる」に出てきたお粥カレー(ごはん+おかゆ)みたいな感じがする。

 ラッシはインド料理といっしょでなくても、朝食のドリンクの代わりやお湯やホットミルクで割って夜のひといきなど、けっこう日本でも人気の出そうな飲み方です。

今日も定時ダッシュ-ラッシー
牛乳と何が違うという見た目ですが