ほうれん草のカレー
DSのレシピソフトの中から実際に作ってみるシリーズ。16回目は「世界のごはん」からほうれん草のカレーを作りました。
ほうれん草のカレーを初めて食べたのは今から十数年前のメキシコ留学中。同じ下宿だったネパール人に誘われた、インド人主宰のパーティで振る舞ってくれたのだが、これが美味しくってねえ。インド人そこのけで日本人数人で食べ尽くしてしまった。思い返すと卑しさ全開でホントにハズカシイ。カレーの中にチーズが入っており、その形状から「インド人はカレーにチーズキッスを入れるんだ」と思っていた。
その後日本に戻って、ほうれん草のカレーを再現しても、チーズはそのパーティーで食べたような柔らかい食感にならない。どうもおかしいと思いながらも、ほうれん草のみじん切りを投入した普通のカレーにチーズキッスを入れて、「インド人はこうやってカレーを食べるんだ」と家族に得意顔で説明したものだ。この全部間違っている(自称)インドカレーを思い返すと無知全開でこれまたホントにハズカシイ。
ということで、世の中にカッテージチーズなる物が存在すると知ったのはついこの間。「世界のごはん」を見てようやく「アレはカッテージチーズだったんだ!」と合点したのであります。近所のスーパーでも売ってましたがコレが思った以上に高価なチーズで、インド人ってカレーに糸目をつけないんだと感心したものだが、牛乳カップ1と酢大さじ2で簡単に作れてしまうモノだとは。

バリウムを飲んだ後の・・・ではありません。
実はその前にミラ・メータ先生の本を読んでインドカレーに凝っていた時期があったのだが、そこでさんざん失敗して学んだことは、「インドカレーは塩加減が命」ということです。塩加減を間違って多く入れ過ぎると、途端に塩っ辛いだけの塩汁になってしまいます。レシピに書いてある量でも失敗することがあるので、これも料理の鉄則である「レシピを見るな鍋を見ろ」に則って、味見をしながら少しずつ塩を入れるべし。
ためしに、スパイスを入れただけのカレーは何の旨味もないのだが、そこに塩を少しずつ入れていくとビックリするくらい味が変わって美味しくなるのが分かります。コレさえ守ればインドカレーはまず失敗しません。

これに辿り着くまでに17年かかってます。
ほうれん草のカレーを初めて食べたのは今から十数年前のメキシコ留学中。同じ下宿だったネパール人に誘われた、インド人主宰のパーティで振る舞ってくれたのだが、これが美味しくってねえ。インド人そこのけで日本人数人で食べ尽くしてしまった。思い返すと卑しさ全開でホントにハズカシイ。カレーの中にチーズが入っており、その形状から「インド人はカレーにチーズキッスを入れるんだ」と思っていた。
その後日本に戻って、ほうれん草のカレーを再現しても、チーズはそのパーティーで食べたような柔らかい食感にならない。どうもおかしいと思いながらも、ほうれん草のみじん切りを投入した普通のカレーにチーズキッスを入れて、「インド人はこうやってカレーを食べるんだ」と家族に得意顔で説明したものだ。この全部間違っている(自称)インドカレーを思い返すと無知全開でこれまたホントにハズカシイ。
ということで、世の中にカッテージチーズなる物が存在すると知ったのはついこの間。「世界のごはん」を見てようやく「アレはカッテージチーズだったんだ!」と合点したのであります。近所のスーパーでも売ってましたがコレが思った以上に高価なチーズで、インド人ってカレーに糸目をつけないんだと感心したものだが、牛乳カップ1と酢大さじ2で簡単に作れてしまうモノだとは。

バリウムを飲んだ後の・・・ではありません。
実はその前にミラ・メータ先生の本を読んでインドカレーに凝っていた時期があったのだが、そこでさんざん失敗して学んだことは、「インドカレーは塩加減が命」ということです。塩加減を間違って多く入れ過ぎると、途端に塩っ辛いだけの塩汁になってしまいます。レシピに書いてある量でも失敗することがあるので、これも料理の鉄則である「レシピを見るな鍋を見ろ」に則って、味見をしながら少しずつ塩を入れるべし。
ためしに、スパイスを入れただけのカレーは何の旨味もないのだが、そこに塩を少しずつ入れていくとビックリするくらい味が変わって美味しくなるのが分かります。コレさえ守ればインドカレーはまず失敗しません。

これに辿り着くまでに17年かかってます。
制服美少女 先生あたしを抱いて
2004年に公開された蒼井そら主演のピンク映画。当時の映画ニュースなどで気になってはいたものの、だからといって今更観る機会はなかったのだが、これが上映されると聞き及び、連休で妻子が実家に帰ったのももっけの幸いと出かけて行きました。ピンク映画の上映館って案外夜が早いため、レイト上映している一般映画よりも上映形態としては健全だという妙なことになっており、家族が寝静まる夜にレイト料金で行く習慣の自分にはピンク映画のほうが敷居が高い。名古屋のシネマスコーレで「おくりびと」のオスカー受賞で盛り上がる滝田洋二郎監督の昔のピンク映画が公開されるのだが、平日昼間じゃ行けんっつうの!「映画は映画館で」と拘っている自分が果てしなく古い犬のように思えてしまう。
ただ、客層はほとんどシルバー料金が適用されてそうな老人ばかりなので、オールナイトにしても人が来ないのだろうということは何となく分かる。ピンク映画は二十代の初めころに興味本位で観て、そのつまらなさというかAVに比べての刺激の少なさにガッカリし、加えてオッサンが場内で平気でタバコを吸っているため空気も悪く、柳下毅一郎氏のピンク映画評などで興味を惹かれてもそこまでフォローする気もありませんでした。そんなこんなでいつの間にかバカボンのパパよりも2コ下というオッサンが久々に観たピンク映画は、これが案外面白いでやんの。蒼井そら目当てだったのだが他の二本も存外面白く、ああこれが侘び寂びを解するってコトなんやねえ(そうか?)、とディスカバー自分。
「制服美少女」は公開から五年を経て「肉欲授業」とまあ、身を持ち崩した的なタイトルに変わっておりましたが、しかしピンク映画に通うじいさまが予め上映映画のタイトルをチェックするとも思えず、タイトルを扇情的に変えて果たして集客に繋がるかどうかの疑問は残る。蒼井そらが演じるのは、生きている実感が持てないままに教師と不倫してしまう女子高生の役で、普段は語尾に「にゃん」を付けたりオーバーリアクション気味だったりと、古~い形容で気が引けるが、いわゆる不思議ちゃんな女の子です。けれども彼女が男と親密になると、何を聞かれても「わからない」と答え、ヌード姿で「私を見て」と要求する。これは何かと考えるに、おそらく自分には何も無いと思っている女の子が、セックスを通してつながった男にひたすら自分の存在意義を求めているような感じがする。
少女がそういう性格なので、グダグダした不倫劇は時間いっぱい続いていき、ついには少女はフワリと消えて(=死んで)しまう。この映画は少々観念的な面が押し出されており、正直けっこう退屈だったのですが、ラストの観客の混乱のさせ方は上手いと思いました。蒼井そらも最後の死に顔が一番キレイだったというオマケ付き。
蒼井そら演じる高校生は、しょせん高橋秀和監督(兼脚本)の考える「ある女性像」であり、現実の女子高生とは本質的に関係がないものである。というより、現代の女子高生をリアルに描いてしまったら、高齢者の観客が拒絶反応を起こすだろう。けれどもこの映画の、大人になれない(もっとハッキリ言うと大人の分別が身に付かない)高校教師と、自分の未来を思うことが出来ない女子高生というのは、何だかとても現代の(ってもう5年も前だけど)人物像として非常に納得できる。ピンク映画の神髄って、カラミ以外のところにあったのだな、としみじみ理解した次第でありました。
こんな人にオススメ:ピンク映画の感想をアップするよな映画オタクならば。
ただ、客層はほとんどシルバー料金が適用されてそうな老人ばかりなので、オールナイトにしても人が来ないのだろうということは何となく分かる。ピンク映画は二十代の初めころに興味本位で観て、そのつまらなさというかAVに比べての刺激の少なさにガッカリし、加えてオッサンが場内で平気でタバコを吸っているため空気も悪く、柳下毅一郎氏のピンク映画評などで興味を惹かれてもそこまでフォローする気もありませんでした。そんなこんなでいつの間にかバカボンのパパよりも2コ下というオッサンが久々に観たピンク映画は、これが案外面白いでやんの。蒼井そら目当てだったのだが他の二本も存外面白く、ああこれが侘び寂びを解するってコトなんやねえ(そうか?)、とディスカバー自分。
「制服美少女」は公開から五年を経て「肉欲授業」とまあ、身を持ち崩した的なタイトルに変わっておりましたが、しかしピンク映画に通うじいさまが予め上映映画のタイトルをチェックするとも思えず、タイトルを扇情的に変えて果たして集客に繋がるかどうかの疑問は残る。蒼井そらが演じるのは、生きている実感が持てないままに教師と不倫してしまう女子高生の役で、普段は語尾に「にゃん」を付けたりオーバーリアクション気味だったりと、古~い形容で気が引けるが、いわゆる不思議ちゃんな女の子です。けれども彼女が男と親密になると、何を聞かれても「わからない」と答え、ヌード姿で「私を見て」と要求する。これは何かと考えるに、おそらく自分には何も無いと思っている女の子が、セックスを通してつながった男にひたすら自分の存在意義を求めているような感じがする。
少女がそういう性格なので、グダグダした不倫劇は時間いっぱい続いていき、ついには少女はフワリと消えて(=死んで)しまう。この映画は少々観念的な面が押し出されており、正直けっこう退屈だったのですが、ラストの観客の混乱のさせ方は上手いと思いました。蒼井そらも最後の死に顔が一番キレイだったというオマケ付き。
蒼井そら演じる高校生は、しょせん高橋秀和監督(兼脚本)の考える「ある女性像」であり、現実の女子高生とは本質的に関係がないものである。というより、現代の女子高生をリアルに描いてしまったら、高齢者の観客が拒絶反応を起こすだろう。けれどもこの映画の、大人になれない(もっとハッキリ言うと大人の分別が身に付かない)高校教師と、自分の未来を思うことが出来ない女子高生というのは、何だかとても現代の(ってもう5年も前だけど)人物像として非常に納得できる。ピンク映画の神髄って、カラミ以外のところにあったのだな、としみじみ理解した次第でありました。
こんな人にオススメ:ピンク映画の感想をアップするよな映画オタクならば。
ラ・ボエーム
プッチーニのオペラの中で最も多く上演されているという「ラ・ボエーム」を現代で最高のオペラ歌手が演じる(以上公式サイト受け売り)、これはまさに耳の贅沢。どこまでも高らかに伸びていく男女の四重唱で奏でられていく旋律がとてもとても耳に心地よく、あの歌を全身に浴びている間のめくるめく幸福感は、オペラとかクラシックの素養のない自分には非常にカルチャーショックでした。いっしょに観に行った妻は爆睡しておりましたが。
ただし、耳にはとても心地よいものの目は全然保養されず。そりゃ美男美女の吹き替えなんて方法が姑息だってのは十分理解できますが、特に情熱的な美女であるムゼッタがあんな馬面では、コチラとしてもスンナリと「彼女は男を取っ替え引っ替えしているのだ」なんて納得する訳にはいかぬ。やっぱりオペラは遠くにありて思うもの。顔より歌声、個人の演技よりも総合芸術であるため、カメラが人物に寄ってしまう映画という手法だと、「こんな女を有難がる奴の気が知れねーな」と、風俗で女の子を品定めする視線と同列に見てしまうオイラを許してね。
もちろん「ラ・ボエーム」なんて映画になるまでタイトルすら知らなかったから、これがミュージカル「レント」の元の話だってのも知る由もなく、ヒロインがミミと名乗るシーンでようやく気付きました。そーかー、レントの「俺たちゃ家賃を払わねえ!」という、あの厚かましさは何なんだ?と思っていたのだが、「ラ・ボエーム」の一幕からだったのだと謎が解けました。まあアメリカンらしい傲慢さが透けて見える翻案ですな。
上述のムゼッタの件もそうなんですが、オペラのお約束を踏まえないと笑っちゃう所も多く、第三幕でロドルフォとミミがあれほど近くで大声で歌った後、ミミの咳でロドルフォが彼女に気付くとか、第四幕で「マフさえあれば~」と歌うミミに、「マフって何??」とソコから物知らずな自分だったのだが、マフの正体が判明し、「これで寒くないわ~」と歌い上げるミミのノースリーブ姿に「寒いなら先ず長袖だろ」とツッコミを入れずにはおかれず。いや、そういう問題じゃないのは分かっているのですが。
こんな人にオススメ:この音の快感に浸りきるには、何はなくとも映画館でなければ。
ただし、耳にはとても心地よいものの目は全然保養されず。そりゃ美男美女の吹き替えなんて方法が姑息だってのは十分理解できますが、特に情熱的な美女であるムゼッタがあんな馬面では、コチラとしてもスンナリと「彼女は男を取っ替え引っ替えしているのだ」なんて納得する訳にはいかぬ。やっぱりオペラは遠くにありて思うもの。顔より歌声、個人の演技よりも総合芸術であるため、カメラが人物に寄ってしまう映画という手法だと、「こんな女を有難がる奴の気が知れねーな」と、風俗で女の子を品定めする視線と同列に見てしまうオイラを許してね。
もちろん「ラ・ボエーム」なんて映画になるまでタイトルすら知らなかったから、これがミュージカル「レント」の元の話だってのも知る由もなく、ヒロインがミミと名乗るシーンでようやく気付きました。そーかー、レントの「俺たちゃ家賃を払わねえ!」という、あの厚かましさは何なんだ?と思っていたのだが、「ラ・ボエーム」の一幕からだったのだと謎が解けました。まあアメリカンらしい傲慢さが透けて見える翻案ですな。
上述のムゼッタの件もそうなんですが、オペラのお約束を踏まえないと笑っちゃう所も多く、第三幕でロドルフォとミミがあれほど近くで大声で歌った後、ミミの咳でロドルフォが彼女に気付くとか、第四幕で「マフさえあれば~」と歌うミミに、「マフって何??」とソコから物知らずな自分だったのだが、マフの正体が判明し、「これで寒くないわ~」と歌い上げるミミのノースリーブ姿に「寒いなら先ず長袖だろ」とツッコミを入れずにはおかれず。いや、そういう問題じゃないのは分かっているのですが。
こんな人にオススメ:この音の快感に浸りきるには、何はなくとも映画館でなければ。
GOEMON
「CASSHERN」に続いてえらいこと不評なこの映画。実は前作はダメな部分もありつつも決して嫌いじゃなかったので、それなりに期待していたのだけれど・・・。
奥田瑛二が広末涼子にせまる場面で、広末涼子が侮蔑の表情で見据えるのが良かった。広末涼子は結構好きなのだが、こういう大芝居っぽい映画にはミスキャストかなと思っていたのだが、実際には全員トンチンカンなことになっていたので、彼女が悪目立ちしなくて良かったよ。あと、遊郭のダンサーが着ていたミニの着物もグー。
しかしこの映画は不要な美形が多過ぎる。最たるものは玉山鉄二で、この役は五右衛門が小僧に「強くなれ」と言わせるためだけに出て来る捨てキャラなので、もっと無名の役者を使うべき。このキャスティングが紀里谷監督のポリシーならば、育ちの良さに反して不要なものを捨てられない貧乏性なのかと思うし、芸能界の力関係でゴリ押しされたキャスティングなら、監督が何度も映画で宣うている「強くなれ、強くなって自分の映画を奪われるな」という言葉を贈りたい。
紀里谷監督は格差社会批判だの戦争反対だのと、映画の中に現代的なメッセージを盛り込むのが好きなようです。それ自体はいいとしても問題は見せ方で、ゴリに格差社会を憂えるセリフを言わせた後は貧民ほったらかし。戦を繰り返す為政者を大沢たかおに批判させても民百姓の苦しみは映画には全く出てこない。それで見ているこっちはどう思ったかというと、まるでスーパーモデルのボランティア活動のようだと思った。コイツは勝ち組だから格差社会なんて全く感心ないんじゃないか?あの弱者に媚びた上から目線がこの上なく気持ち悪い。
「CASSHERN」で叩かれ「GOEMON」でも叩かれ、それでもメガホンを取る理由が紀里谷監督にはあるハズだ・・・と思いたい。この人が異質であることは確かだと思う。しかしこのままでは行き先はヤン・デ・ボンと一緒だ。この人の説教臭さは持ち味でもあるので、あれこれと欲張ることを止めて、自分の主張をもっと絞り込んだ映画を撮るべきではなかろうか。
こんな人にオススメ:次こそは監督が大化けすると信じつつ、とりあえず今回も様子見で。
奥田瑛二が広末涼子にせまる場面で、広末涼子が侮蔑の表情で見据えるのが良かった。広末涼子は結構好きなのだが、こういう大芝居っぽい映画にはミスキャストかなと思っていたのだが、実際には全員トンチンカンなことになっていたので、彼女が悪目立ちしなくて良かったよ。あと、遊郭のダンサーが着ていたミニの着物もグー。
しかしこの映画は不要な美形が多過ぎる。最たるものは玉山鉄二で、この役は五右衛門が小僧に「強くなれ」と言わせるためだけに出て来る捨てキャラなので、もっと無名の役者を使うべき。このキャスティングが紀里谷監督のポリシーならば、育ちの良さに反して不要なものを捨てられない貧乏性なのかと思うし、芸能界の力関係でゴリ押しされたキャスティングなら、監督が何度も映画で宣うている「強くなれ、強くなって自分の映画を奪われるな」という言葉を贈りたい。
紀里谷監督は格差社会批判だの戦争反対だのと、映画の中に現代的なメッセージを盛り込むのが好きなようです。それ自体はいいとしても問題は見せ方で、ゴリに格差社会を憂えるセリフを言わせた後は貧民ほったらかし。戦を繰り返す為政者を大沢たかおに批判させても民百姓の苦しみは映画には全く出てこない。それで見ているこっちはどう思ったかというと、まるでスーパーモデルのボランティア活動のようだと思った。コイツは勝ち組だから格差社会なんて全く感心ないんじゃないか?あの弱者に媚びた上から目線がこの上なく気持ち悪い。
「CASSHERN」で叩かれ「GOEMON」でも叩かれ、それでもメガホンを取る理由が紀里谷監督にはあるハズだ・・・と思いたい。この人が異質であることは確かだと思う。しかしこのままでは行き先はヤン・デ・ボンと一緒だ。この人の説教臭さは持ち味でもあるので、あれこれと欲張ることを止めて、自分の主張をもっと絞り込んだ映画を撮るべきではなかろうか。
こんな人にオススメ:次こそは監督が大化けすると信じつつ、とりあえず今回も様子見で。
新宿インシデント
最近はこだわりなく映画オタクを名乗っていますが、しかし自分には映画にまつわる大きな心残りがありまして、そのために「映画オタクを名乗るのは僭越なんじゃないだろうか」と思うことがあります。その心残りとはジャッキー・チェン。
高校生のころ、さよう、それはもう20年以上前の話での、映画の2本立てが当たり前の頃じゃったよ。そんでの、「エイリアン2」とジャッキーの「プロジェクトA」という夢のような2本立て興行があったんじゃが、
「エイリアン2」だけ観てジャッキーはシカトしてしまったんじゃよぉぉー
どうも自分にとっては「プロジェクトA」どころかジャッキー・チェン自体が盲点になっているらしく、後年ビデオで「プロジェクトA」を観て劇場でスルーしてしまったことを激しく後悔し、なるべく劇場でフォローしようと思いつつも、その後もジャッキー・チェンのアクション映画を劇場で観ることなく今まで来てしまった。そんなジャッキーの新宿を舞台にした映画が公開されると聞き及び、贖罪の意味も兼ねて(何故?)、年を重ねてもがんばっているジャッキーのアクションを今度こそ劇場で見届けようと鼻息荒く突撃したのですが。
コレってアクション映画じゃなかったのね~~~ん。ポテチン。
なんかもう、ホントにジャッキーとは縁がない(←もとから繋がりなぞない訳だが)のだなあと、映画の序盤でホステスにからんできたチンピラを棒っきれを振り回して追い返すジャッキーを見ながら映画と全く関係なくしみじみしてしまった次第。映画はヤクザの下部組織として中国系の華僑やチンピラがしのぎを削るという構成で、故郷で恋人だった女を追って来たジャッキーが日本の黒社会でのしあがっていき、そして最後には全てを失ってしまうという話です。ヤクザ映画の定石でもある栄枯盛衰モノというのか、上がって下がって結局仕事量ゼロというのか。後ろの席の男二人が観終わってから「まさかVシネを映画館で観るとは」と言っておりましたが。ストーリーはともかく残虐シーンも含めて見せ方はしっかりしており、チープな感じはなかったな。
日本人の役者もそれなりに顔を揃えていて、その顔ぶれも非常に面白い。まず加藤雅也。トレンディ俳優の走りみたいな人だったが、東洋人のイケメンはお呼びでないハリウッドに打って出てしまったのは失敗だったようで、どうもヤクザ映画ばかり出ているイメージがある(実際は色々な映画に出てるようですが)。年齢も四十半ばで脂が乗っている時期なのだが、加藤雅也の明日はどっちだという印象です。
長門裕之は認知症になった南田洋子を支えるべく、七十を越して精力的に活動している役者です。収入がある分、老々介護としては恵まれているのかもしれないが、人生とは本当にままならないものだよなあ、これは人ごとではないよなあ、と、自分の行く末を考える上でもがんばって欲しい人であります。
そして峰岸徹!登場した時にあっと思った。これが遺作になるのだろうか、亡くなった後でもこうして新作映画で姿を見るのは奇妙な感じがする。「おくりびと」や「その日のまえに」(←どっちも観てませんが)など、最後まで役者として第一線で死ねたんやねえ。自分の世代としては岡田有希子とどうしてもセットになってしまう人でしたが、この人はこの映画の中で一番(五十半ばで路線変更に挑むジャッキーも含めて)役者として幸せな一生を送ったのではないかと思う。
こんな人にオススメ:ジャッキー・チェンが東京に来ただけでも有難がる人ならば。
高校生のころ、さよう、それはもう20年以上前の話での、映画の2本立てが当たり前の頃じゃったよ。そんでの、「エイリアン2」とジャッキーの「プロジェクトA」という夢のような2本立て興行があったんじゃが、
「エイリアン2」だけ観てジャッキーはシカトしてしまったんじゃよぉぉー
どうも自分にとっては「プロジェクトA」どころかジャッキー・チェン自体が盲点になっているらしく、後年ビデオで「プロジェクトA」を観て劇場でスルーしてしまったことを激しく後悔し、なるべく劇場でフォローしようと思いつつも、その後もジャッキー・チェンのアクション映画を劇場で観ることなく今まで来てしまった。そんなジャッキーの新宿を舞台にした映画が公開されると聞き及び、贖罪の意味も兼ねて(何故?)、年を重ねてもがんばっているジャッキーのアクションを今度こそ劇場で見届けようと鼻息荒く突撃したのですが。
コレってアクション映画じゃなかったのね~~~ん。ポテチン。
なんかもう、ホントにジャッキーとは縁がない(←もとから繋がりなぞない訳だが)のだなあと、映画の序盤でホステスにからんできたチンピラを棒っきれを振り回して追い返すジャッキーを見ながら映画と全く関係なくしみじみしてしまった次第。映画はヤクザの下部組織として中国系の華僑やチンピラがしのぎを削るという構成で、故郷で恋人だった女を追って来たジャッキーが日本の黒社会でのしあがっていき、そして最後には全てを失ってしまうという話です。ヤクザ映画の定石でもある栄枯盛衰モノというのか、上がって下がって結局仕事量ゼロというのか。後ろの席の男二人が観終わってから「まさかVシネを映画館で観るとは」と言っておりましたが。ストーリーはともかく残虐シーンも含めて見せ方はしっかりしており、チープな感じはなかったな。
日本人の役者もそれなりに顔を揃えていて、その顔ぶれも非常に面白い。まず加藤雅也。トレンディ俳優の走りみたいな人だったが、東洋人のイケメンはお呼びでないハリウッドに打って出てしまったのは失敗だったようで、どうもヤクザ映画ばかり出ているイメージがある(実際は色々な映画に出てるようですが)。年齢も四十半ばで脂が乗っている時期なのだが、加藤雅也の明日はどっちだという印象です。
長門裕之は認知症になった南田洋子を支えるべく、七十を越して精力的に活動している役者です。収入がある分、老々介護としては恵まれているのかもしれないが、人生とは本当にままならないものだよなあ、これは人ごとではないよなあ、と、自分の行く末を考える上でもがんばって欲しい人であります。
そして峰岸徹!登場した時にあっと思った。これが遺作になるのだろうか、亡くなった後でもこうして新作映画で姿を見るのは奇妙な感じがする。「おくりびと」や「その日のまえに」(←どっちも観てませんが)など、最後まで役者として第一線で死ねたんやねえ。自分の世代としては岡田有希子とどうしてもセットになってしまう人でしたが、この人はこの映画の中で一番(五十半ばで路線変更に挑むジャッキーも含めて)役者として幸せな一生を送ったのではないかと思う。
こんな人にオススメ:ジャッキー・チェンが東京に来ただけでも有難がる人ならば。