梅ジャム
梅シロップの頃合いになりましたので、梅を取り出して完成です。エキスが抜けた梅はシワシワのカリンコリンになるのですが、まだ抜けてない梅はそれなりにおいしそう。ということで、まだ使えそうな梅を寄ってジャムにしました。

右側の梅はまだまだ現役。
梅をしごいて中身を取り出し、ホーロー鍋で一煮立ちすればOKです。甘さが欲しければ出来たての梅シロップを加えます。去年はカリンコリンの梅も煮なおしてジャムにしたところ大層マズかったので、こっちはもうお役御免で捨てるのがよろしいかと。

長期保存したければ煮沸消毒したビンを使います。青梅から作ると結構大変ですが、うちではそれほどジャムを食べないので、梅シロップの残りを使ってこの程度の分量で食べ切るのが丁度いい感じです。

右側の梅はまだまだ現役。
梅をしごいて中身を取り出し、ホーロー鍋で一煮立ちすればOKです。甘さが欲しければ出来たての梅シロップを加えます。去年はカリンコリンの梅も煮なおしてジャムにしたところ大層マズかったので、こっちはもうお役御免で捨てるのがよろしいかと。

長期保存したければ煮沸消毒したビンを使います。青梅から作ると結構大変ですが、うちではそれほどジャムを食べないので、梅シロップの残りを使ってこの程度の分量で食べ切るのが丁度いい感じです。
レスラー
主人公の過去の栄光を物語るオープニングの新聞記事の羅列から、ラストシーンのフライングボディプレスに至るまで、一分の無駄もなく一人の男のレスラー生命を描き切ったこの映画。どう良かったかについてはミッキー・ロークのインタビューを読むのが手っ取り早い。ただ、確かにこの映画はミッキー・ロークでなければここまで傑作にはならなかったに違いないが、しかし自分は彼が主人公ランディと似た人生を送ったという理由で感動した訳ではないと思う。別にファンでもないし。感動したのはあくまでもミッキー・ロークの演技によってであり、その意味では「見事にハーヴェイ・ミルクに成り切った」ショーン・ペンよりも、「見事にランディという男を造り上げた」ミッキー・ロークにアカデミー賞を受賞して欲しかった。
以下、全くプロレスに興味のない者の感想なのですが。
「レスラー」のプロレスシーンはかなりエグくて、有刺鉄線マッチとか流血とか、フィクションならともかく実際のプロレスファンってこういうの見て「もっとやれ!」って煽ってるんでしょ?で、あまりにもタイムリー過ぎて逆に書くのが気が引けてしまうが、煽った挙げ句に三沢のように試合中の事故で死んでしまうとショック受けてんでしょ?もちろんファンには全く罪はないのだが、いい気なもんだよな~、と思う。
しかしダーレン・アレノフスキー監督は、自ら肉体を破壊しボロボロにしていくレスラー達をキリストの受難の姿に重ねている。それはもう、映画の開始早々にズバリとセリフで言い切っている。しかも御丁寧に主人公にラム(羊)というリングネームを付け、キリストであり、生け贄の羊でもある者としてレスラーを見ている。その例えを踏まえるならば、観客はキリストの磔に熱狂するローマ人やユダヤ人であり、生け贄の羊に我が身の安寧を委ねる敬虔な信者でもある。映画で車椅子に乗った障害者が何度も登場するのは、聖書に登場する盲や足萎えになぞらえているからだろう。
で、プロレスファンではないがこの映画に泣いた自分は思うのですが、上で述べたプロレスファンのいい気なもんだってのは自分のような凡人の浅薄な考えで、非凡なアレノフスキー監督は全然そうは思っていないハズだ。「レスラー」は選ばれし者の末路を描いた映画なのだが、それに熱狂する観客達もレスラーと同様に選ばれし者として映画の中に存在しているように思える。プロレスラーを生き続けさせるのは紛れも無くファンの声援であって、それのないファンの集いのレスラー達はまるで死んでいるようだった。プロレスが門外漢からは格好悪いと思われていればいるほど、ファンとレスラーとの関係は濃くなっていくのではないだろうか。
文字通りリングで命を燃やして燃え尽くしたランディに声援を送っていた者達へ、監督は彼らをキリストの秘跡を受けた者として胸張って外の世界で生きて行きなさいと語っているように思える。
こんな人にオススメ:女性は受け付けない人もいそうですが、人生たそがれ時のオッサンは必見
以下、全くプロレスに興味のない者の感想なのですが。
「レスラー」のプロレスシーンはかなりエグくて、有刺鉄線マッチとか流血とか、フィクションならともかく実際のプロレスファンってこういうの見て「もっとやれ!」って煽ってるんでしょ?で、あまりにもタイムリー過ぎて逆に書くのが気が引けてしまうが、煽った挙げ句に三沢のように試合中の事故で死んでしまうとショック受けてんでしょ?もちろんファンには全く罪はないのだが、いい気なもんだよな~、と思う。
しかしダーレン・アレノフスキー監督は、自ら肉体を破壊しボロボロにしていくレスラー達をキリストの受難の姿に重ねている。それはもう、映画の開始早々にズバリとセリフで言い切っている。しかも御丁寧に主人公にラム(羊)というリングネームを付け、キリストであり、生け贄の羊でもある者としてレスラーを見ている。その例えを踏まえるならば、観客はキリストの磔に熱狂するローマ人やユダヤ人であり、生け贄の羊に我が身の安寧を委ねる敬虔な信者でもある。映画で車椅子に乗った障害者が何度も登場するのは、聖書に登場する盲や足萎えになぞらえているからだろう。
で、プロレスファンではないがこの映画に泣いた自分は思うのですが、上で述べたプロレスファンのいい気なもんだってのは自分のような凡人の浅薄な考えで、非凡なアレノフスキー監督は全然そうは思っていないハズだ。「レスラー」は選ばれし者の末路を描いた映画なのだが、それに熱狂する観客達もレスラーと同様に選ばれし者として映画の中に存在しているように思える。プロレスラーを生き続けさせるのは紛れも無くファンの声援であって、それのないファンの集いのレスラー達はまるで死んでいるようだった。プロレスが門外漢からは格好悪いと思われていればいるほど、ファンとレスラーとの関係は濃くなっていくのではないだろうか。
文字通りリングで命を燃やして燃え尽くしたランディに声援を送っていた者達へ、監督は彼らをキリストの秘跡を受けた者として胸張って外の世界で生きて行きなさいと語っているように思える。
こんな人にオススメ:女性は受け付けない人もいそうですが、人生たそがれ時のオッサンは必見
宮本武蔵 -双剣に馳せる夢-
最近見るテレビ番組はほとんどNHKのドキュメンタリーなのですが、中でも好んで見ている「NHKスペシャル」では、ドキュメンタリーの合間に同じテーマの小芝居を挟む形式で進む回がある。「宮本武蔵」は、このお芝居部分を宮本武蔵の数々の果たし合いの再現シーンにあて、大半は押井守を模したとおぼしき3Dのキャラクターが蘊蓄を喋りまくるという体裁をとっています。
この蘊蓄部分の見せ方が非常に大雑把で、言っていることは分かるのだがセリフばかりで押し切ろうというのはチト甘い。ドキュメンタリー形式とはいえ作っているのは映画なのに、上述のNHK製作のドキュメンタリーよりも絵的につまらない。果たし合いのシーンは格好良かったものの、どうしてもアニメパートだけを繋いで見てしまうので、そこだけでは押井守の考える宮本武蔵像とは結びつかない。アニメパートには創作でもいいから孤高の剣士としての宮本武蔵ではなく、高い位への士官を望み、合戦での兵法を究めようとする武蔵のシーンを入れて欲しかった。
もっとも自分は、役所広司が主演のNHKドラマを見たくらい・・・ってもう25年くらい前である。それも鎖鎌を持った男との対決と、又八のおっ母さんが針を吹いてお通に襲いかかるシーンしか覚えておらず、なんで吉岡一門とか佐々木小次郎に武蔵は因縁つけられてたんだ?という点からして分かっちゃいないので、 そもそもこの映画の想定した観客ではなかったかもしれない。ただ、歴史上のヒーローの人物像が後世の人によって意図的に形作られるというのはごく一般的なことである。自分としてはその後世の人たちの思惑に、武士道だの男のロマンだのを武蔵になすりつける日本人の心のありように興味を持ってしまったのでありました。
こんな人にオススメ:武蔵萌えの人ならばアニメパートの部分だけでもオススメ
この蘊蓄部分の見せ方が非常に大雑把で、言っていることは分かるのだがセリフばかりで押し切ろうというのはチト甘い。ドキュメンタリー形式とはいえ作っているのは映画なのに、上述のNHK製作のドキュメンタリーよりも絵的につまらない。果たし合いのシーンは格好良かったものの、どうしてもアニメパートだけを繋いで見てしまうので、そこだけでは押井守の考える宮本武蔵像とは結びつかない。アニメパートには創作でもいいから孤高の剣士としての宮本武蔵ではなく、高い位への士官を望み、合戦での兵法を究めようとする武蔵のシーンを入れて欲しかった。
もっとも自分は、役所広司が主演のNHKドラマを見たくらい・・・ってもう25年くらい前である。それも鎖鎌を持った男との対決と、又八のおっ母さんが針を吹いてお通に襲いかかるシーンしか覚えておらず、なんで吉岡一門とか佐々木小次郎に武蔵は因縁つけられてたんだ?という点からして分かっちゃいないので、 そもそもこの映画の想定した観客ではなかったかもしれない。ただ、歴史上のヒーローの人物像が後世の人によって意図的に形作られるというのはごく一般的なことである。自分としてはその後世の人たちの思惑に、武士道だの男のロマンだのを武蔵になすりつける日本人の心のありように興味を持ってしまったのでありました。
こんな人にオススメ:武蔵萌えの人ならばアニメパートの部分だけでもオススメ
ターミネーター4
「ターミネーター3」が公開された時に、「このシリーズは全6部作で、次回からはジョン・コナーがスカイネットと戦う話になる」という見通しが発表されており、そのおかげで今回の映画が前3作とテイストがガラリと変わっている事、しかも中途半端に終わっている事も「まあこんなもんか」という程度だったが、それを知らずに見たらガッカリしていたろうなあ、という感想でした。
1作目におけるシュワルツネッガーは、もうホントにサイボーグだった。人間ではなかった。強面の顔とボディビルで造り上げた肉体はあくまで人工的かつ冷徹で、どれだけ振り切ってもしつこくしつこく追って来る暗殺者の恐怖と強烈に合致し、シュワルツネッガーのキャリアの中でもあれ以上の当たり役は(悪役を演じなくなったことも理由だろうが)無いと思う。世間的には2作目が一番人気のようだが自分にとっては1作目がターミネーターの全て、ひいてはシュワルツネッガーの全てである。そして、1作目でシュワルツネッガーを暗殺者のサイボーグに仕立てるための言い訳に、未来ではスカイネットが人間に反乱してどうこうという理屈が付けられた。彼を未来から転送した装置は生体しか送れないのでフルヌードでの登場だったが、その設定はもうシュワルツネッガーの迫力ある裸を映すための言い訳みたいなもんで、あのド迫力を目の当たりにした後で「でもアレって生体じゃあないんじゃあ・・・」というのは心底どうでもいいツッコミなのだ。
「ターミネーター4」は、そういう1作目ではあくまでも映画の遊びに過ぎなかったことを一生懸命辻褄を合わせているように見える。しかしスカイネットのハードウェア的な存在の仕方も現代の視点で見れば古くさい感じがぬぐえず、MS-DOS3.1あたりの常識をひきずっているようだ。コンピューターとの戦いならば、後発だけあって「マトリックス」のソフトウェア+ネットワーク的な切り口のほうがどうしてもしっくり来てしまう。
結局のところ「ターミネーター4」は前作と話をつなげるために色々と説明的にならざるを得なかったのだろう。見せ場はそれなりにあったものの、これをターミネーターの続編とする意義は薄かったと思う。しかし前作までの義理はこれで果たしたのだから、「ターミネーター5」では「マトリックス」が尻すぼみで終わってしまったコンピューター対人間の戦いをしっかり見たい。4のようなただのテロリストみたいな戦い方じゃなく。しかしジョン・コナーに子供が生まれるみたいなので、次は彼に死亡フラグが立ってそうだけど。
こんな人にオススメ:座して5を待て。
1作目におけるシュワルツネッガーは、もうホントにサイボーグだった。人間ではなかった。強面の顔とボディビルで造り上げた肉体はあくまで人工的かつ冷徹で、どれだけ振り切ってもしつこくしつこく追って来る暗殺者の恐怖と強烈に合致し、シュワルツネッガーのキャリアの中でもあれ以上の当たり役は(悪役を演じなくなったことも理由だろうが)無いと思う。世間的には2作目が一番人気のようだが自分にとっては1作目がターミネーターの全て、ひいてはシュワルツネッガーの全てである。そして、1作目でシュワルツネッガーを暗殺者のサイボーグに仕立てるための言い訳に、未来ではスカイネットが人間に反乱してどうこうという理屈が付けられた。彼を未来から転送した装置は生体しか送れないのでフルヌードでの登場だったが、その設定はもうシュワルツネッガーの迫力ある裸を映すための言い訳みたいなもんで、あのド迫力を目の当たりにした後で「でもアレって生体じゃあないんじゃあ・・・」というのは心底どうでもいいツッコミなのだ。
「ターミネーター4」は、そういう1作目ではあくまでも映画の遊びに過ぎなかったことを一生懸命辻褄を合わせているように見える。しかしスカイネットのハードウェア的な存在の仕方も現代の視点で見れば古くさい感じがぬぐえず、MS-DOS3.1あたりの常識をひきずっているようだ。コンピューターとの戦いならば、後発だけあって「マトリックス」のソフトウェア+ネットワーク的な切り口のほうがどうしてもしっくり来てしまう。
結局のところ「ターミネーター4」は前作と話をつなげるために色々と説明的にならざるを得なかったのだろう。見せ場はそれなりにあったものの、これをターミネーターの続編とする意義は薄かったと思う。しかし前作までの義理はこれで果たしたのだから、「ターミネーター5」では「マトリックス」が尻すぼみで終わってしまったコンピューター対人間の戦いをしっかり見たい。4のようなただのテロリストみたいな戦い方じゃなく。しかしジョン・コナーに子供が生まれるみたいなので、次は彼に死亡フラグが立ってそうだけど。
こんな人にオススメ:座して5を待て。
BLOOD
杉本彩がヴァンパイヤ役という、ある意味意外性のない、しかし観客の見たいものは確実に見せてくれるだろうという期待でイソイソと拝みに行って参りました。その予想はズバリ的中し、オープニングから杉本彩がフルヌードでご登場なされ、以後目の玉かっぽじいて魅入ってしまいましたよ。
40代となった彼女のことだから、さすがにオッパイの迫力という点では最盛期とはいかないものの、あの下乳のハリの良さは立派すぎる。女性が見たらもしかしてアレは自然ではないとか矯正下着かもとかアタリをつけられるのだろうが、男の目からすればただただ驚異的。計り知れない女体の神秘に、ただもう「ありがたやありがたや」とひれ伏していたい気分。しかもですね、自分の目に狂いがなければオープニング時のオッパイはいわゆる陥没乳首なのですが、これが要潤(津田寛治だったかな?どっちだっていいや)との濡れ場シーンではしっかりと突起なさっており、もう杉本彩ってば芸が細か過ぎる。現実にこんな女性が目の前にいたら、こちとら萎縮して手も足も出ずに決まっているのだが、スクリーンならば遠慮なく見放題である。いや~映画ってホントにスバラシイですね。
どうも「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」での男の乳首に思いの他アテられていたようで、この映画の杉本彩はまるで験直しのように私の心を解毒してくれたのでありました。ああ、やっぱり男の筋肉のツギハギぶりよりも女体のシームレスな丸みのほうが世のため人のため私のために遥かに大事ですなあ。
ただ、杉本彩の魅力はオッパイよりも腰のくびれから肉感的で引き締まった足だと思っているので、そういう意味では「BLOOD」のカメラはまだまだ生温い。この映画の冒頭で杉本彩がお屋敷の階段を降りて来るシーンがあるのだが、私は「美女が階段を降りて来るシーンを丁寧に撮った映画は魅力的である」という説を唱えている者で、分かりやすいところでは「7年目の浮気」のマリリン・モンローが階段を降りるシーンがある。その点、この映画はせっかく杉本彩が階段を降りるシーンがある(それも2つも)というのに、カメラが彼女を捉え切っていないもどかしさを感じる。なんだかもう、単なるスケベ視線をこじつけて偉そうに語っているだけなような気がしてきましたが。
監督は下山天で、どちらかというとお色気ではなくアクションが得手の人。思いがけずアクションを堪能できたのはそのおかげだったのだが、濡れ場シーンでは杉本彩が色々アイディアを出したとのコトで、なるほどさもありなん。要潤は「GOEMON」に続き荒唐無稽な役で光る人であり、津田寛治の気骨のあるキャラクターとは対照的であります。そして、「蝋人形の館」のパリス・ヒルトンのようにしゃなりしゃなりと走りながら逃げる森下悠里も耽美的な雰囲気に一役買っておりました。「BLOOD」は各人の持ち味が映画にプラスに働いて、これはアメリカンな言い方をしますと”They did their job”という奴であります。グッジョブ!
こんな人にオススメ:杉本彩の緊張感のある立ち居振る舞いだけでも見る価値アリ
40代となった彼女のことだから、さすがにオッパイの迫力という点では最盛期とはいかないものの、あの下乳のハリの良さは立派すぎる。女性が見たらもしかしてアレは自然ではないとか矯正下着かもとかアタリをつけられるのだろうが、男の目からすればただただ驚異的。計り知れない女体の神秘に、ただもう「ありがたやありがたや」とひれ伏していたい気分。しかもですね、自分の目に狂いがなければオープニング時のオッパイはいわゆる陥没乳首なのですが、これが要潤(津田寛治だったかな?どっちだっていいや)との濡れ場シーンではしっかりと突起なさっており、もう杉本彩ってば芸が細か過ぎる。現実にこんな女性が目の前にいたら、こちとら萎縮して手も足も出ずに決まっているのだが、スクリーンならば遠慮なく見放題である。いや~映画ってホントにスバラシイですね。
どうも「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」での男の乳首に思いの他アテられていたようで、この映画の杉本彩はまるで験直しのように私の心を解毒してくれたのでありました。ああ、やっぱり男の筋肉のツギハギぶりよりも女体のシームレスな丸みのほうが世のため人のため私のために遥かに大事ですなあ。
ただ、杉本彩の魅力はオッパイよりも腰のくびれから肉感的で引き締まった足だと思っているので、そういう意味では「BLOOD」のカメラはまだまだ生温い。この映画の冒頭で杉本彩がお屋敷の階段を降りて来るシーンがあるのだが、私は「美女が階段を降りて来るシーンを丁寧に撮った映画は魅力的である」という説を唱えている者で、分かりやすいところでは「7年目の浮気」のマリリン・モンローが階段を降りるシーンがある。その点、この映画はせっかく杉本彩が階段を降りるシーンがある(それも2つも)というのに、カメラが彼女を捉え切っていないもどかしさを感じる。なんだかもう、単なるスケベ視線をこじつけて偉そうに語っているだけなような気がしてきましたが。
監督は下山天で、どちらかというとお色気ではなくアクションが得手の人。思いがけずアクションを堪能できたのはそのおかげだったのだが、濡れ場シーンでは杉本彩が色々アイディアを出したとのコトで、なるほどさもありなん。要潤は「GOEMON」に続き荒唐無稽な役で光る人であり、津田寛治の気骨のあるキャラクターとは対照的であります。そして、「蝋人形の館」のパリス・ヒルトンのようにしゃなりしゃなりと走りながら逃げる森下悠里も耽美的な雰囲気に一役買っておりました。「BLOOD」は各人の持ち味が映画にプラスに働いて、これはアメリカンな言い方をしますと”They did their job”という奴であります。グッジョブ!
こんな人にオススメ:杉本彩の緊張感のある立ち居振る舞いだけでも見る価値アリ