96時間
まさか枯れセン俳優の最右翼、リーアム・ニーソンがアクション映画の主役を張るなんて思ってもみませんでした。これは「コン・エアー」でニコラス・ケイジがムキムキマンのヒーローとして登場した時に受けたのと同種の衝撃。
しかし映画には、リーアム・ニーソンのような好々爺然とした男がヒーローたるべき理由がきちんと仕込まれており、それこそこの映画がジェイソン・ステイサムではダメな所以なのですが、主人公は何にも増して娘が大切という設定で、その娘がパリで誘拐されてオヤジの怒りに火がついたというプロット一本で全てを押し切っております。おそらく離婚する前に、まだ小さな子供だった娘が「歌手になりたい」と言ったり、甘ったるいパフェが好物だったのだろう。娘が成長してもオヤジが全然それに着いていけてない感じが、洋の東西を問わず非常に思い当たる感じであります。
娘を助け出すためにオヤジがとった行動は、まさに「お父さんは心配症 イン パリ」。岡田あーみんのギャグ漫画と同種の狂気がシリアスな舞台の中で展開していく様に唖然ボーゼン。最後のほうなんか、何もそこまで殺しまくらなくても・・・と、ちょっと殺された奴らが可哀想になってしまった。もちろん一方では怒れるオヤジのハイテンションぶりにカタルシスを感じていたのですが。
狂気のオヤジが敵に回すのは、パリで旅行者をさらい人身売買を行う売春組織。この設定もなんとなくフランスっぽいが、リュック・ベッソン制作にありがちな、チャラっと書いた(ように見える)脚本も健在で、工事現場に建てたプレハブの売春宿なんて、誘拐して薬漬けにしてまで女性を調達したにしては安売りしすぎ。一方でイケてる処女は数十万ユーロの値がつくなんて、日本円だと数千万円って訳でそりゃ高すぎ。フランスにおけるバージンってのは絶滅危惧種の珍獣なみに希少価値が高いのか?
そもそも従来通りにパーティーに誘った先で拉致していたら、心配症のオヤジに気付かれずに事が運べたはずなのに、犯人達は何故そうしなかったのか。それはもう、娘に向いの窓で友人が拉致される様子を目撃させるためであります。こういう位置関係で覗き見的に事件を目撃するパターンが映画では度々あって、立場は全然違うけど「ニキータ」では向いのビルの窓を覗きながら暗殺を実行するというシーケンスがあった。向いの建物で起こる事件を覗き見る行為は観客にも緊張感を強いる上に、「96時間」では覗く者と覗かれる者は中庭を挟んだ同じ建物にいるため、事件を目撃した衝撃がそのまま今度は自分に降り掛かるという恐怖に繋がっている。この連続的に畳み掛ける展開はとても良かったです。
こんな人にオススメ:娘のためならエーンヤコーラのお父ちゃんに
しかし映画には、リーアム・ニーソンのような好々爺然とした男がヒーローたるべき理由がきちんと仕込まれており、それこそこの映画がジェイソン・ステイサムではダメな所以なのですが、主人公は何にも増して娘が大切という設定で、その娘がパリで誘拐されてオヤジの怒りに火がついたというプロット一本で全てを押し切っております。おそらく離婚する前に、まだ小さな子供だった娘が「歌手になりたい」と言ったり、甘ったるいパフェが好物だったのだろう。娘が成長してもオヤジが全然それに着いていけてない感じが、洋の東西を問わず非常に思い当たる感じであります。
娘を助け出すためにオヤジがとった行動は、まさに「お父さんは心配症 イン パリ」。岡田あーみんのギャグ漫画と同種の狂気がシリアスな舞台の中で展開していく様に唖然ボーゼン。最後のほうなんか、何もそこまで殺しまくらなくても・・・と、ちょっと殺された奴らが可哀想になってしまった。もちろん一方では怒れるオヤジのハイテンションぶりにカタルシスを感じていたのですが。
狂気のオヤジが敵に回すのは、パリで旅行者をさらい人身売買を行う売春組織。この設定もなんとなくフランスっぽいが、リュック・ベッソン制作にありがちな、チャラっと書いた(ように見える)脚本も健在で、工事現場に建てたプレハブの売春宿なんて、誘拐して薬漬けにしてまで女性を調達したにしては安売りしすぎ。一方でイケてる処女は数十万ユーロの値がつくなんて、日本円だと数千万円って訳でそりゃ高すぎ。フランスにおけるバージンってのは絶滅危惧種の珍獣なみに希少価値が高いのか?
そもそも従来通りにパーティーに誘った先で拉致していたら、心配症のオヤジに気付かれずに事が運べたはずなのに、犯人達は何故そうしなかったのか。それはもう、娘に向いの窓で友人が拉致される様子を目撃させるためであります。こういう位置関係で覗き見的に事件を目撃するパターンが映画では度々あって、立場は全然違うけど「ニキータ」では向いのビルの窓を覗きながら暗殺を実行するというシーケンスがあった。向いの建物で起こる事件を覗き見る行為は観客にも緊張感を強いる上に、「96時間」では覗く者と覗かれる者は中庭を挟んだ同じ建物にいるため、事件を目撃した衝撃がそのまま今度は自分に降り掛かるという恐怖に繋がっている。この連続的に畳み掛ける展開はとても良かったです。
こんな人にオススメ:娘のためならエーンヤコーラのお父ちゃんに
サンシャイン・クリーニング
このところジワジワと株を上げているエイミー・アダムス主演のヒューマン・コメディです。wikiを見るとこの人は「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」でディカプリオの恋人役を演じていたそうですが、そもそもそんな登場人物がいた事すら全然記憶にない。その後は「魔法にかけられて」の主役を射止めるも、メイクや衣装では誤摩化せない年齢でおとぎの国のプリンセスとは図々しいと思っておりました。
それでも見ている人はしっかり見ているもので、彼女は「ダウト」のメリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの演技合戦においても引けを取らない存在感を示し、そしてこの映画と同時期に公開される「ナイト・ミュージアム2」ではベン・ステイラー相手にヒロインとして登場と、着実に存在感を増してきております。
「サンシャイン・クリーニング」は、アメリカのおそらく中の下あたりの一家の悲喜こもごもをドラマにした話です。この「ドラマ」というのも劇的な何かがある訳でもないので、どちらかというと成り損ないのドラマという感じであります。しかしこの映画がアメリカで口コミによりロングランのヒットになったということは、この映画の中にアメリカ人の心が満たされるものが入っていたということだと思う。
ヒロインは毎日鏡に向かって「私は成功する!」と暗示をかけるも、現実は掃除婦のバイト先が高校時代のクラスメイトの豪邸でみすぼらしい思いをしたり、不倫相手の嫁に(この嫁は亭主の浮気を絶対知ってると見た)「あんたはカス」と罵られたり、どんどんみじめな方向に向かってしまう。アメリカ人ってハタから見ると、この映画のヒロインのように「成功者であるべし」という思いに捕われて人生を送っているように見えるけど、ホントに映画のように成功者か負け犬かのどちらかに分類されてしまうのだったら、自由とは名ばかりのメリケン社会も生きづらい国だよなあ。中庸は特に年をとってくると非常に大事な概念だと思うのでありました。
常に成功者であろうとあがいていたヒロインは、実は元々家族に恵まれてもおり青い鳥はそれこそすぐ隣にいるようなものなので、自分が胸を張ってできる仕事(と安定した生活)さえあれば、勝者でなくても十分に幸せであることに気付いたのだと思う。
こんな人にオススメ:勝間和代よりは香山リカのほうがなんとなく納得できる人に
それでも見ている人はしっかり見ているもので、彼女は「ダウト」のメリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの演技合戦においても引けを取らない存在感を示し、そしてこの映画と同時期に公開される「ナイト・ミュージアム2」ではベン・ステイラー相手にヒロインとして登場と、着実に存在感を増してきております。
「サンシャイン・クリーニング」は、アメリカのおそらく中の下あたりの一家の悲喜こもごもをドラマにした話です。この「ドラマ」というのも劇的な何かがある訳でもないので、どちらかというと成り損ないのドラマという感じであります。しかしこの映画がアメリカで口コミによりロングランのヒットになったということは、この映画の中にアメリカ人の心が満たされるものが入っていたということだと思う。
ヒロインは毎日鏡に向かって「私は成功する!」と暗示をかけるも、現実は掃除婦のバイト先が高校時代のクラスメイトの豪邸でみすぼらしい思いをしたり、不倫相手の嫁に(この嫁は亭主の浮気を絶対知ってると見た)「あんたはカス」と罵られたり、どんどんみじめな方向に向かってしまう。アメリカ人ってハタから見ると、この映画のヒロインのように「成功者であるべし」という思いに捕われて人生を送っているように見えるけど、ホントに映画のように成功者か負け犬かのどちらかに分類されてしまうのだったら、自由とは名ばかりのメリケン社会も生きづらい国だよなあ。中庸は特に年をとってくると非常に大事な概念だと思うのでありました。
常に成功者であろうとあがいていたヒロインは、実は元々家族に恵まれてもおり青い鳥はそれこそすぐ隣にいるようなものなので、自分が胸を張ってできる仕事(と安定した生活)さえあれば、勝者でなくても十分に幸せであることに気付いたのだと思う。
こんな人にオススメ:勝間和代よりは香山リカのほうがなんとなく納得できる人に
ドラゴンクエスト9 星空の守り人
発売一ヶ月で350万本を売り上げ、堂々のブランド力を見せつけたドラクエ9。自分もDSiの赤といっしょに購入しました。個人的に春に出た3色のDSiじゃあ買う気が起こらなかったしボーナス後のほうが多少の金は使い易いので、延期バンザイのクチであります。
けれどもDSiの電源を入れて、ドラクエの有名なオープニングファンファーレで始まるかと身構えていたら、全然違う曲で始まってしまいガッカリ。そんな思いがあったので、人に話しかけて、ドアをくぐって、宝箱があったと思ったら鍵がかかっていたりして、そうかこれがドラクエだったんだと思い出すと同時に、「ドラクエってこんなにウザったいゲームだったんだ」と改めて気付いた次第です。ドラクエというよりはRPG自体がそういうものなのだろうけど、やっぱり年くうとこういう冗長なゲームは体が受け付けないんだなあ、と最悪な印象のままゲームを始めたのです・・・が。
これが気がつくとどっぷりハマってまして、次の町に着くまで、このダンジョンをクリアするまでと止め時が見つからず、気がつけば現在最後のダンジョンを攻略中です。睡眠時間を削って、通勤中もチマチマとプレイしてまで、一体自分はドラクエの何が面白くてここまでやり込んでるんだ?ということをアレコレ考えてみたいと思います。
第一に、ダンジョンが昔よりも簡単になっており、ジジイゲーマーでも苦ではない難易度だったと思う。ドラクエ2の落とし穴とか3の真っ直ぐ進めない床とか、ああいう嫌らしい仕掛けは9では見られず、ダンジョン自体もそれほど複雑ではないので、「このダンジョンをクリアするまで頑張ろう」という気になりやすい。今回のモンスターとの戦闘はシンボルエンカウント方式で、それも割と簡単にモンスターを避けられるため、レベル上げの時は進んでモンスターに接触し、ダンジョン攻略で死にたくない時はモンスターを避けるという、ある程度自分で難易度が調整できるゲームデザインになっているのもハマる要因だと思う。
多くのRPGが売りにしているであろうストーリーは、実はそんなに大したモンでもないと思った。というより、最後に悪を倒すという枠が決まっている以上、このテのものはどうしても似通ってしまうものだ。しかしそこは手練の堀井雄二氏で、「新しい町に行くごとに何か事件がある」というゲーム上の構造を利用して色々な話をオムニバス的に詰め込んでおり、これも結局うまい具合に「この話が終わるまで頑張ろう」という思いを駆り立てている。実際のところ、女神の果実を全て集め終わった時には「そいえば何でコレを集めてたんだっけ?」と大元のストーリーをスッカリ忘れていたのだが、ゲームのほうも当然のようにそれを見越した作りになっていて、次に行くべき場所をちゃんと教えてくれる。ドラクエ9は大局よりも個々のエピソードに重きを置いているのだと思う。
RPGなんて所詮は寝不足やら惰性やらでボヤけた頭で何十時間とAボタンを押し続けるゲームなので、映画を真似た壮大なストーリーを展開されても着いていけなかったりする。ドラクエ9は常に「今の場面の少し先が気になる」という展開と、それに見合った適度な難易度で、その積み重ねで次第にゲームに没頭していく仕掛けになっている。ものすごく絶妙にバランスを取ったゲームだと思いました。
けれどもDSiの電源を入れて、ドラクエの有名なオープニングファンファーレで始まるかと身構えていたら、全然違う曲で始まってしまいガッカリ。そんな思いがあったので、人に話しかけて、ドアをくぐって、宝箱があったと思ったら鍵がかかっていたりして、そうかこれがドラクエだったんだと思い出すと同時に、「ドラクエってこんなにウザったいゲームだったんだ」と改めて気付いた次第です。ドラクエというよりはRPG自体がそういうものなのだろうけど、やっぱり年くうとこういう冗長なゲームは体が受け付けないんだなあ、と最悪な印象のままゲームを始めたのです・・・が。
これが気がつくとどっぷりハマってまして、次の町に着くまで、このダンジョンをクリアするまでと止め時が見つからず、気がつけば現在最後のダンジョンを攻略中です。睡眠時間を削って、通勤中もチマチマとプレイしてまで、一体自分はドラクエの何が面白くてここまでやり込んでるんだ?ということをアレコレ考えてみたいと思います。
第一に、ダンジョンが昔よりも簡単になっており、ジジイゲーマーでも苦ではない難易度だったと思う。ドラクエ2の落とし穴とか3の真っ直ぐ進めない床とか、ああいう嫌らしい仕掛けは9では見られず、ダンジョン自体もそれほど複雑ではないので、「このダンジョンをクリアするまで頑張ろう」という気になりやすい。今回のモンスターとの戦闘はシンボルエンカウント方式で、それも割と簡単にモンスターを避けられるため、レベル上げの時は進んでモンスターに接触し、ダンジョン攻略で死にたくない時はモンスターを避けるという、ある程度自分で難易度が調整できるゲームデザインになっているのもハマる要因だと思う。
多くのRPGが売りにしているであろうストーリーは、実はそんなに大したモンでもないと思った。というより、最後に悪を倒すという枠が決まっている以上、このテのものはどうしても似通ってしまうものだ。しかしそこは手練の堀井雄二氏で、「新しい町に行くごとに何か事件がある」というゲーム上の構造を利用して色々な話をオムニバス的に詰め込んでおり、これも結局うまい具合に「この話が終わるまで頑張ろう」という思いを駆り立てている。実際のところ、女神の果実を全て集め終わった時には「そいえば何でコレを集めてたんだっけ?」と大元のストーリーをスッカリ忘れていたのだが、ゲームのほうも当然のようにそれを見越した作りになっていて、次に行くべき場所をちゃんと教えてくれる。ドラクエ9は大局よりも個々のエピソードに重きを置いているのだと思う。
RPGなんて所詮は寝不足やら惰性やらでボヤけた頭で何十時間とAボタンを押し続けるゲームなので、映画を真似た壮大なストーリーを展開されても着いていけなかったりする。ドラクエ9は常に「今の場面の少し先が気になる」という展開と、それに見合った適度な難易度で、その積み重ねで次第にゲームに没頭していく仕掛けになっている。ものすごく絶妙にバランスを取ったゲームだと思いました。
バッド・バイオロジー/狂った性器ども
えーと・・今回の映画の感想につきまして、かなり直接的な単語が飛び出して来るかと思いますが、それらはあくまでも映画に即した内容をわかりやすく書きたいが故でありますので、決して私めの人格を疑わないようお願い致しまする。タイトルだってホントにこういう名前なんだもーん。ということで、以下はあくまで書き手の品性は上品なれども映画が映画だから致し方なくこのような表現に、と了解した上でお読みください。
ヴァギナに7つ(以上)のクリトリスを持つ女と、独自の意思が芽生えた巨大ペニスを持つ男が出会ってしまってサア大変!なこの映画、はじめの頃はヒロインが騎乗位で興奮のままに相手の男の頭を床にガンガン打ち付けてブチ殺すシーンで結構笑っていたのですが、だんだん映画についていけなくなって、終には笑うどころではない自分を発見。最後のほうはショーゲキとバカバカしさとが入り交じって、完全にメダパニ(ドラクエの敵を混乱させる呪文のこと)を食らった状態でスクリーンに釘付けになってしまい・・・、いやあ、なんかトンでもないモンを観た、とドっと疲れた映画鑑賞でした。
この映画で凄まじいのは、普通の監督ならキワドい物体を直接映すことを避けてある程度観客の想像力に頼る演出が多いのに、そういうモノこそ堂々と画面の中心に持ってくる事であります。7つ(以上)のクリトリスも暴れ回る巨大ペニスも当然のように描写されるし、ヒロインがセックスの後で産み落とす奇形児や女性モデルの顔にかぶせたヴァギナのお面などなど、どっからこういう発想が出てくるのかってなシロモノが続々出てきます。作り物なのはまる分かりなのですが、それでもグロテスクさはしっかり伝わってくる。
一番グロテスクだったのは、ヴァギナのお面をかぶっていたモデル役の女優のオッパイが、ダイナマイト巨乳なのに夏みかんのようにデコボコしていたという・・・ぎゃああああ!これだけは作り物じゃない(あ、作り物か?)だけに本物のグロさを備えており、もうすぐ四十路なのにしっかりトラウマになりそう。他にも美乳のオッパイ要員が多数登場する中で、ストーリーにからんで大写しになるオッパイに夏みかんを選ぶあたり、絶対に監督はあの失敗オッパイを巨大で筋を浮かせたペニスと同列に見ているね。
クライマックスは意思を持ったペニスが男の体から離れてしまい、本能のまま女性達を襲って行きます。襲われる女性が全員初めっから脱いでいるってのは演出上避けられないことだと十分了解できますね。シャワーを浴びている女性を狙ってバスタオルの裏に隠れている巨大ペニスのカットでは、そのあまりの絵ヅラのシュールっぷりに気狂いみたいに笑ってしまった。青筋の立てっぷりといいフシューフシューと鈴口から呼吸してそうなところといい、エイリアンの幼生よりも造形的に恐ろしい。いくらなんでもココまで化け物じみたモンじゃねえだろうと思いますが、それってもしや、自分の持ちモンがお粗末ってダケだろうかと不安になるも、コレばっかりは他人と比べる訳にはいかず、悩みはつのるばかりでございます。
こんな感じの、性器を、特に女性器を化け物視して恐れるのは感覚的に童貞っぽい感じがするのですが、いい年こいてもそれで映画を一本作ってしまうところが監督の才能なのだろう。このフランク・ヘネンロッター監督は、自分は知らなかったのだが、このような奇形的なエログロを撮り続けて30年(しかし前作から今作まで16年のブランク)だそう。こんな異能が潜んでいたとは、やっぱりアメリカ映画のポテンシャルは底知れない。
そういえばこの映画のヒロインって誰かに似てるなあ・・・と思いながら見てたのですが、途中で「長澤まさみ似だ!」と思い至った次第でありますが・・・そこんとこどうでしょう?>映画を観た方々。
こんな人にオススメ:今回ばかりは誰にすすめていいのやら見当がつきません・・・でもオススメ
ヴァギナに7つ(以上)のクリトリスを持つ女と、独自の意思が芽生えた巨大ペニスを持つ男が出会ってしまってサア大変!なこの映画、はじめの頃はヒロインが騎乗位で興奮のままに相手の男の頭を床にガンガン打ち付けてブチ殺すシーンで結構笑っていたのですが、だんだん映画についていけなくなって、終には笑うどころではない自分を発見。最後のほうはショーゲキとバカバカしさとが入り交じって、完全にメダパニ(ドラクエの敵を混乱させる呪文のこと)を食らった状態でスクリーンに釘付けになってしまい・・・、いやあ、なんかトンでもないモンを観た、とドっと疲れた映画鑑賞でした。
この映画で凄まじいのは、普通の監督ならキワドい物体を直接映すことを避けてある程度観客の想像力に頼る演出が多いのに、そういうモノこそ堂々と画面の中心に持ってくる事であります。7つ(以上)のクリトリスも暴れ回る巨大ペニスも当然のように描写されるし、ヒロインがセックスの後で産み落とす奇形児や女性モデルの顔にかぶせたヴァギナのお面などなど、どっからこういう発想が出てくるのかってなシロモノが続々出てきます。作り物なのはまる分かりなのですが、それでもグロテスクさはしっかり伝わってくる。
一番グロテスクだったのは、ヴァギナのお面をかぶっていたモデル役の女優のオッパイが、ダイナマイト巨乳なのに夏みかんのようにデコボコしていたという・・・ぎゃああああ!これだけは作り物じゃない(あ、作り物か?)だけに本物のグロさを備えており、もうすぐ四十路なのにしっかりトラウマになりそう。他にも美乳のオッパイ要員が多数登場する中で、ストーリーにからんで大写しになるオッパイに夏みかんを選ぶあたり、絶対に監督はあの失敗オッパイを巨大で筋を浮かせたペニスと同列に見ているね。
クライマックスは意思を持ったペニスが男の体から離れてしまい、本能のまま女性達を襲って行きます。襲われる女性が全員初めっから脱いでいるってのは演出上避けられないことだと十分了解できますね。シャワーを浴びている女性を狙ってバスタオルの裏に隠れている巨大ペニスのカットでは、そのあまりの絵ヅラのシュールっぷりに気狂いみたいに笑ってしまった。青筋の立てっぷりといいフシューフシューと鈴口から呼吸してそうなところといい、エイリアンの幼生よりも造形的に恐ろしい。いくらなんでもココまで化け物じみたモンじゃねえだろうと思いますが、それってもしや、自分の持ちモンがお粗末ってダケだろうかと不安になるも、コレばっかりは他人と比べる訳にはいかず、悩みはつのるばかりでございます。
こんな感じの、性器を、特に女性器を化け物視して恐れるのは感覚的に童貞っぽい感じがするのですが、いい年こいてもそれで映画を一本作ってしまうところが監督の才能なのだろう。このフランク・ヘネンロッター監督は、自分は知らなかったのだが、このような奇形的なエログロを撮り続けて30年(しかし前作から今作まで16年のブランク)だそう。こんな異能が潜んでいたとは、やっぱりアメリカ映画のポテンシャルは底知れない。
そういえばこの映画のヒロインって誰かに似てるなあ・・・と思いながら見てたのですが、途中で「長澤まさみ似だ!」と思い至った次第でありますが・・・そこんとこどうでしょう?>映画を観た方々。
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ボルト
ディズニーとピクサーの関係が一時期悪化していた頃にピクサーとは別にディズニーが立ち上げたCGアニメ制作部門は、その後ピクサーがディズニー傘下に収まったことで鬼っ子扱いになってしまったと思いきや、ジョン・ラセターのテコ入れでライン存続という結果と相成りました。おそらくピクサー制作では監督の作家性を前面に出した映画を作りつつ、ディズニー制作ではソツなくそこそこ楽しめる家族映画をリリースするという流れなんじゃないかと思われる。
「モンスターvsエイリアン」で言いまくった、また動物か!動物のオーバーアクションモノか!などの悪口をクダクダと繰り返すことはしませんが、「ボルト」を観ていて思ったのは、どっかで見た事ある世界を徹底的に磨いて、嫌味がなくて安心して見ていられる映画を作るってのもプロの仕事だよなあ、ということです。例えば細田守監督の「ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島」なんて、コッチの方が面白いと思うし好きだけど、こんなモノ子供に見せて大丈夫か?ってのが先に立ったもんなあ。どっちもプロの仕事であり、二つの違いは優劣ではなく映画を観た者の嗜好の違いでしかないのだろう。
個人的に「ボルト」は初めて3D上映館で観た映画で、どんな感じに見えるのだろうと期待していたのですが、初めのうちは奥行きを感じさせる表現に目新しさを感じたものの、3Dだから(2Dと比べて)何か観るべき価値が上がったかというとそれ程でも無い感じ。自分のメガネをかけた上に3D化する専用メガネをかけるのも思った以上に気に障る状態でした。3Dで観ること前提で、全編に渡ってそれ相応の画面構成や見せ場を作りあげた映画でもない限り、専用メガネのウザったさを乗り越えてまで観る必要もないか、という感想でありました。
こんな人にオススメ:ご家族そろって「サマーウォーズ」の次に
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