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モンスター vs エイリアン

 隕石と衝突して何故か巨大化してしまったヒロインが、半魚人やゴキブリ男たちと共にエイリアンと戦うこの映画。日本の怪獣映画や昔のSF映画ネタを随所にちりばめ、こういったモンスター映画に対する愛情をしっかり感じさせる、大人(の元オタク)にも向けたファミリー映画です。中盤のサンフランシスコを舞台にした巨大女と巨大ロボットとの大バトルに血が沸きます。ただ後半は巨大化したヒロインよりもさらにデカイ宇宙船が舞台になってしまい相対的にヒロインのスケール感が乏しくなってしまい、大美人マニアにとっては面白みが減ってしまったのが惜しい。別にに自分が大美人マニアと言っている訳ではない。

 「モンスター vs エイリアン」は、それ単体で観れば大人でも面白く、家族で楽しめる非常にいい映画です。が・・・、以下悪口入ります。

 ハリウッド製CG映画をそれぞれ評価すると、さすがのハリウッドらしい練れたストーリーとCGならではの見所が散りばめられて、どれも十分面白いとは思うのですが、今のように定期的に公開される現状を踏まえると、こんなんでイイんか?とも思う。CG映画として総じて眺めると、どいつもこいつも皆同じに見えてきませんでしょうか?私には見えます。

 なんでどれもこれも似たようなキャラクターなの?この映画のヒロインと「ボルト」の女の子の顔って同じに見えない?ドリームワークスの「マダガスカル」とディズニーの「ライアンを探せ!」なんて、どっちの会社もあんな被りまくった企画で恥ずかしくないのか?ついでに「アイス・エイジ」も順調に続編が作られてますが、コレが不人気で「カンフー・パンダ」と差し代わったとしても誰か「アイス・エイジこそ観たかったのに」なんて思う奴いんの?たとえば「エヴァンゲリオン」のアスカがナウシカと入れ替わったと想像した時の多大な違和感と比べて、他の映画のキャラが混じってても全く違和感なさそうで、これはハッキリとハリウッド製CGアニメの欠点だと思う。

  かつては確かにアニメの新しい可能性だった3DCG映画は、今じゃあ似たり寄ったりの工業製品に成り下がってしまった。CG特有の表現に感動した記憶は・・・自分の場合、「バグズ・ライフ」の雨粒の表現が最後だったろうか。同じようなモデリングに同じような色使い。映画監督や携わるスタッフが違えば映画の見た目も変わるという至極当たり前の事が成立していないのだ。もともとセルアニメでもアメリカはディズニーの真似しかできないと言われていたのだが、CGが主流になった結果がコレだとすると、セルからCGの流れって映画としては退化してるんじゃないかと思う。

 「エヴァンゲリオン:破」のパンフレットを読んで興味を惹かれたのは、エヴァが疾走するシーンを初め、結構多くのシーンでCGが使われていると述べている箇所だった。ハリウッドがギョロ目の動物とのっぺりした人間ばかりの映画を作っている一方で、日本は日本なりの方法で従来のセルアニメにCGを取り込んでおり、それはセルで描くだけとは違った新たな効果をもたらしている。日本のアニメはまだまだ十分イケますな、と思った次第であります。

こんな人にオススメ:ハリウッド製のCGに食傷していなければ、十分面白い映画であります。

ハリー・ポッターと謎のプリンス

 混血ってそんなに差別用語だったのか?と「半純血」という字幕が出る度に思ってしまい、そっちのほうに気を取られてしまった。いっそハンケツの王子といったほうがトンマな感じがして良いのになあ・・・

 原作を読んでいないので映画だけで判断してますが、今回のタイトルにもなっているハンケツ王子の正体が、思わず「だから何だ」という感じ。このシリーズはタイトルに絡んだ多少のドンデン返しが好きだったので、今回のオチの弱さにガッカリしてしまった。こんな見方をしている奴はごく少ないのだろうが、全体的にこの謎のプリンスが謎である意味が分からず、ハリー・ポッターがカンニングするハンケツ王子の豆本に何の意味があったのか、最後に明かされた謎の王子の正体に何の意味があったのか、原作を読んでいれば脳内補完ができて面白く見えるのだろうか、と疑問に思いました。最後のほうで、変な水をグビグビ飲ませられる校長先生とグビグビ飲ませるハリーのシーンがありましたが、あのシュールな絵ヅラに大笑いしたものの、そういえば何であんな事してたんだっけ?

 「賢者の石」ではまるでディズニーランドのように楽し気だったホグワーツが、前作の「不死鳥の騎士団」では赤狩りのような不穏な場所になってしまったが、それはそれで面白く、デビット・イェーツのファンタジーらしからぬ解釈も良かった。しかし「謎のプリンス」を観て思う。この監督で最後までやっちゃってホントに大丈夫か?ファンタジーらしからぬ演出も全7作のうち1作くらいなら毛色が変わって楽しめるが、今作の全く心浮き立たぬ薄暗い映像を踏まえると、最終回は正直変えて欲しかった。アルフォンソ・キュアロンとかギレルモ・デル・トロとか個人的に贔屓の監督が名前に挙っていたのになあ・・・。やっぱり、「将軍」でジュディ・オングが落ちて島田陽子が選ばれたようにイギリスびいきがあったのでしょうか。若い方には何の事やらな例えで申し訳ない。

 前作では疑心暗鬼に捕われたホグワーツでしたが、今回はまたなんちゅーか、バブル期の夏の新島みたい。若い方には何の事やらな以下略。夜ともなればイタる所でイタしてます。これは児童文学だったハズじゃあ、と思いつつ、当のハリー君も色気づいてロンの妹とくっつきましたが、前作のチョウちゃんや冒頭ナンパに成功しかかった女の子とか、単に手当たり次第なだけって感じもする。

こんな人にオススメ:デビット・イェーツがどうこう言ったところで、これまでのシリーズに付き合って来た人なら観ない理由もないのですが。

ノウイング

 宇宙人が出て来るという辺りで「地球が静止する日」とイメージが被ったのですが、二つともなんとまあ宇宙人って胡散臭く見えるのだろう。これは「地球がこうだから生命とはこういうものである」という発想だからで、「ノウイング」の冒頭で、宇宙に生命が存在する可能性を説明するシーンがあるが、生命が存在するために酸素が必要なんて条件が付いている。映画における宇宙人の姿は人間と似た形状で、アリアリと想像力の限界が見て取れる。胡散臭さはその辺にあるのだろう。そうやって考えるとロバート・ゼメキスの「コンタクト」は非常に上手く宇宙人を表現していたな。

 予告編の飛行機が墜落するシーンのイメージで、これは次々に事故や天災が襲って来るパニック・ムービーかと思いきや、本編はもっとSFらしい話だった。SFらしいというのは何も科学的考察がしっかりなされているという類いのものでなく、例えば「ノウイング」では、種の滅亡を滅亡する側の生物の目を通して描いたものであり、その種が人間というのが微妙に皮肉もトッピングされていて、その視点だけで十分にSF的じゃないかという程度の考えであります。ついでに言うならば、パニック・ムービーは観客を映画に没頭させるためのリアリティが必要だが、SFならば宇宙人が口から怪光線をボエーと吐くシーンもアリ。だって宇宙人なんだもーん。個人的には「アルマゲドン」みたいに大真面目にやられるよりは、「ノウイング」くらいの控えめなB級加減のほうが好みであります。

 ニコラス・ケイジは痩せたのか、顔が更に長くなった感じがする。一時期はこの顔でトム・クルーズばりのヒーロー映画にも出ていたが、出るほうも出るほうだが、ヒーロー役を振るほうも大概にしろと思ってしまう。しかもそれを観るほうも観るほうで、ああ、「コン・エアー」を観てしまった自分が悔やまれる。ニコラス・ケイジはもっと彼独自の持ち味を生かせる役者で、「月の輝く夜に」や「リービング・ラスベガス」なんて彼が演じたからこその独特の面白みを出していて、ニコラス・ケイジのおかげでいい映画になったと思う。そういう意味では、インディーズから大作まで対応できる人だけれど、持ち味を発揮できる役が案外少なく、なかなかストライクゾーンの狭い役者なのかもしれない。

こんな人にオススメ:「地球が静止する日」がOKだった人に

梅ゼリー

 梅シロップはたいてい5倍程度に薄めて梅ジュースとして飲んでいるのですが、ゼリーにするのも好評です。

 フルフルの食感にしたければ、梅シロップ200cc、水250ccに板ゼラチン3枚(4.5g)がちょうどいい感じです。自分ははじめて使ったゼラチンが「まるごと帝国ホテル」のレシピが板ゼラチンだったのでこちらをずっと使っているのですが、粉ゼラチンならばそれぞれ250ccずつに1包(5g)ぐらい。苺のババロアインペリアルでも書きましたが、材料をちょうど使い切れる量のレシピを覚えておくと手間が省けます。

今日も定時ダッシュ-梅ゼリー
中に甘露煮を入れると高級感アップ↑

 写真のように型から抜く場合はもうすこし固めで。梅シロップと水を250ccずつに板ゼラチン4枚ぐらい。板ゼラチンは氷水5分ほどつけて、沸騰した水にゼラチンを入れ、溶けたら梅シロップを混ぜていきます。夏のうだるような暑さで食べる爽やかな酸味の梅ゼリーは、この時期ならではの風情があります。

築城せよ

 地方の話で申し訳ないですが、名古屋の劇場ではもう1年くらい前からえんえんとこの映画のスポンサーである愛知工業大学のCMが流れており、「築城せよ」の1シーンが登場していた。大学の開校50周年を記念しての事業だそうだが、もうウンザリするほど聞き飽きた50周年という言葉とか、テレビ局と同様に大学が映画に一枚噛んでも面白味のない真面目映画しかできないんじゃないか、だってタイトル地味だし、などと想像しておりました。

 しかしこれが実際は意表をつく面白さだったのでとてもビックリした。こんな観光PRがらみの自治体主体の、地元民多数参加のご当地映画の、現在賛否両論ある名古屋城の本丸建設の後押しを狙ったような内容の、そんな外部のエゴや身びいきを映画に持ち込むな!と観る前はミスコンに反対するウーマンリブのブッサイクなオバハンみたいな心境でチケット買ったのだ。しかしそういう地域へのリップサービスもしっかりこなしつつ、なおかつ映画として関係者以外が観ても面白いなんて、こりゃ難度Cの大技が決まった感じであります。

 「築城せよ!」は今後も各地方で上映されますので、お近くの映画館で上映されるならばぜひ劇場で予備知識ゼロのままご覧になっていただきたく、以下は思いっきりネタバレでございます。


 ストーリーを簡単に説明しますと、愛知県の山間の田舎町で、戦国時代の城を復元しようという運動と、工場を建設して地域振興を図る行政とが対立する中、戦国時代の領主の魂がよみがえり、生前の悲願だった城を造ると言い放つ。しかし魂が留まる期間の短さゆえに、建築家を志すヒロインが思いついたのは、何と段ボールを使って城を作るというアイディアだった!という感じです。

 この、段ボールで城を造るというのがビジュアル化されると想像以上にダイナミックで、城と同様に映画のスケールが何倍にもふくれあがる感じがする。これはハリソン・フォードの「刑事ジョン・ブック 目撃者」で、アーミッシュの村人全員で家を建てるシーンと同様の感銘を受けました。惜しむらくは、あの城はCGではなく本当に段ボールで組み上げたらしいので、もっとじっくりと城を建設する過程をストーリーに盛り込んで欲しかった。

 アイディアの妙とは別にこの映画が面白かったのは、自主映画に毛が生えた程度と思いきや、主なキャストに名のある役者をしっかりと揃えてきた所にある。工場建設を主導する町長に江守徹を配して、昨今マスコミがこれ言っときゃ数字とれるだろ的な「行政=悪」というスタンスをこの映画では取っておらず、町長をサポートする役でふせえりが上手くコメディ・リリーフの役割を果たしていた。領主と共に蘇る家来を演じる阿藤快も、年々滑舌が悪くなるのが気になるものの、とてもいい役を演じている。阿藤快の「オレも手伝いたかったなあ!」のセリフでちょっとホロリとした。

 ヒロインの海老瀬はなは松竹が異例の新人オーディションを開催してグランプリを受賞した女の子で、まだまだ原石といった感じ。映画では多くのシーンでピンクのつなぎを着ていて、ヤッターマン2号みたい。つなぎ姿のおかげでボディラインが強調されて、引き締まったウェストとパンと張った腰つきが非常に魅力的です。

 そして領主を演じる片岡愛之助の、ボンクラ公務員から領主の魂が乗り移った精悍な表情への変わりっぷりがお見事。歌舞伎役者だけあって腹式呼吸の凛々しい発声で、堂々とした佇まいは周囲の現代人との違いが際立っております。しかし元々この手の芝居はお手の物なのだろうから、もっと誉めるべきはこの自主映画に毛の生えた(←まだ言う)程度のものに歌舞伎役者を引っ張ってきた製作側なのかもしれない。「築城せよ」は、アイディアや労力をつぎこんだ分、映画もキッチリ面白くなっているといった感じです。

こんな人にオススメ:「できるかな」的なクラフト精神の持ち主の方に。