エスター
この映画は全くノーマークだったのですが、冒頭のダークキャッスルのロゴに「うおおおおお!」とコーフンしたのは自分だけかもしれません。
ダークキャッスルは、ロバート・ゼメキスとジョエル・シルバーが共同で設立したもので、自分の見立てでは「お手軽に怖がれて気分よく映画館を出てもらう」をコンセプトにしたホラー専門の制作会社です。要はバカホラー会社と思っていただければと。だからダークキャッスル製作の「リーピング」のイナゴ少女現わるというバカコピーは、とても正しい線を突いていると感心したものでした。そんな訳で自分は即座にダークキャッスル用の色眼鏡をかけて、いつでも大笑いできる準備をして鑑賞したのですが、「エスター」はあろうことか正攻法で怖い映画になっており、かなり映画に引き込まれて観てしまいました。
三人目の子供を死産してしまい、心の隙間を埋めるべく養子を迎えることにしたものの、養子にした女の子が実は・・・という、一時期流行ったサイコホラーもので、生理的な不快感が一番近いのが「ゆりかごを揺らす手」あたりでしょうか。あの映画でサイコを演じるレベッカ・デモーネイの役を、「エスター」では何と撮影当時12歳のイザベル・ファーマンが演じている。この手の映画は、1つには観客をどれだけ不快にさせるか、2つには悪役はどれだけ悪どい手を使って残虐な殺戮を見せるか、そして3つにはその悪役がどう退治されて観客にカタルシスを与えるか、が評価ポイントになるのだけれど、要は悪役の力量が映画の出来にダイレクトに関わって来るジャンルなのだ。そんな大きな責任を立派に果たすとは、イザベル・ファーマン・・・ホントに恐ろしい子!
ただ、悪役を子供にしたせいで、必然的にひっこめざるを得ない要素が2つ目の残虐な殺戮シーンで、今のアメリカの倫理コードでは殺人鬼の子供は描けても、殺人鬼に無惨に殺される子供は描けない。しかしショッキングな殺戮シーンも観客にとってはお約束のエンターテイメントであるので、上述の「ゆりかごを揺らす手」のジュリアン・ムーアのような惨たらしい死に様をどこかで見せる必要がある。そこで白羽の矢が立ったのが主人公一家の父親で、彼は一般的にはしごく常識的な言動しか取っていないのに、エスターが怪しいと訴える妻の意見に耳を貸さなかったという罪でメッタ刺しにされてしまう。客は絶対にあのシーンで、怖がりながらも「父親が死ぬのは当然だ」と思っているハズ。
そして3つ目のエスターがどういう最期を遂げるか、これも役柄上の年齢を考えると酷い目には合わせられない・・・と思いきや、そう来たか!と思わず膝を打ってしまうような脚本でありました。エスターが巻き起こす不快な出来事はそれとして、では何が目的で彼女はそんな事をするのか?という疑問が一気に氷解する見事なオチで、これで心置きなく3つ目のカタルシスもクリアー。
イザベル・ファーマンの役者魂は見事ですが、彼女に負けず劣らずの芸達者が、一家の娘役を演じるアリアーナ・エンジニアちゃん8歳。この子がエスターにだんだんと取り込まれ、不安に苛まれ、反発していくというこれまた子役には荷が重い演技を、そのつぶらな瞳とプクプクしたホッペで非常に上手く表現しており、観客がエスターを憎む原動力のほぼ全ては、アリアーナちゃん演じるマックスの可愛らしさと彼女が宿す不安気な瞳から湧き上がっているハズ。クライマックスで一番ハラハラするのは、銃を手にしたマックスが一体どういう行動に出るか・・・だったのではないでしょうか?元アル中の経産婦なんざマックスのオマケよ、オマケ。
いや、ダークキャッスルだからとバカにして正直スマンカッタ。これを機にダークキャッスルも一流のホラー製作会社になる、予定はないようで、次回公開されるケイト・ベッキンセールの「ホワイトアウト」は、またバカホラーの臭いが感じられてちょっと安心。
こんな人にオススメ:サイコホラー好きが久々に満足できそうな一遍です。
ダークキャッスルは、ロバート・ゼメキスとジョエル・シルバーが共同で設立したもので、自分の見立てでは「お手軽に怖がれて気分よく映画館を出てもらう」をコンセプトにしたホラー専門の制作会社です。要はバカホラー会社と思っていただければと。だからダークキャッスル製作の「リーピング」のイナゴ少女現わるというバカコピーは、とても正しい線を突いていると感心したものでした。そんな訳で自分は即座にダークキャッスル用の色眼鏡をかけて、いつでも大笑いできる準備をして鑑賞したのですが、「エスター」はあろうことか正攻法で怖い映画になっており、かなり映画に引き込まれて観てしまいました。
三人目の子供を死産してしまい、心の隙間を埋めるべく養子を迎えることにしたものの、養子にした女の子が実は・・・という、一時期流行ったサイコホラーもので、生理的な不快感が一番近いのが「ゆりかごを揺らす手」あたりでしょうか。あの映画でサイコを演じるレベッカ・デモーネイの役を、「エスター」では何と撮影当時12歳のイザベル・ファーマンが演じている。この手の映画は、1つには観客をどれだけ不快にさせるか、2つには悪役はどれだけ悪どい手を使って残虐な殺戮を見せるか、そして3つにはその悪役がどう退治されて観客にカタルシスを与えるか、が評価ポイントになるのだけれど、要は悪役の力量が映画の出来にダイレクトに関わって来るジャンルなのだ。そんな大きな責任を立派に果たすとは、イザベル・ファーマン・・・ホントに恐ろしい子!
ただ、悪役を子供にしたせいで、必然的にひっこめざるを得ない要素が2つ目の残虐な殺戮シーンで、今のアメリカの倫理コードでは殺人鬼の子供は描けても、殺人鬼に無惨に殺される子供は描けない。しかしショッキングな殺戮シーンも観客にとってはお約束のエンターテイメントであるので、上述の「ゆりかごを揺らす手」のジュリアン・ムーアのような惨たらしい死に様をどこかで見せる必要がある。そこで白羽の矢が立ったのが主人公一家の父親で、彼は一般的にはしごく常識的な言動しか取っていないのに、エスターが怪しいと訴える妻の意見に耳を貸さなかったという罪でメッタ刺しにされてしまう。客は絶対にあのシーンで、怖がりながらも「父親が死ぬのは当然だ」と思っているハズ。
そして3つ目のエスターがどういう最期を遂げるか、これも役柄上の年齢を考えると酷い目には合わせられない・・・と思いきや、そう来たか!と思わず膝を打ってしまうような脚本でありました。エスターが巻き起こす不快な出来事はそれとして、では何が目的で彼女はそんな事をするのか?という疑問が一気に氷解する見事なオチで、これで心置きなく3つ目のカタルシスもクリアー。
イザベル・ファーマンの役者魂は見事ですが、彼女に負けず劣らずの芸達者が、一家の娘役を演じるアリアーナ・エンジニアちゃん8歳。この子がエスターにだんだんと取り込まれ、不安に苛まれ、反発していくというこれまた子役には荷が重い演技を、そのつぶらな瞳とプクプクしたホッペで非常に上手く表現しており、観客がエスターを憎む原動力のほぼ全ては、アリアーナちゃん演じるマックスの可愛らしさと彼女が宿す不安気な瞳から湧き上がっているハズ。クライマックスで一番ハラハラするのは、銃を手にしたマックスが一体どういう行動に出るか・・・だったのではないでしょうか?元アル中の経産婦なんざマックスのオマケよ、オマケ。
いや、ダークキャッスルだからとバカにして正直スマンカッタ。これを機にダークキャッスルも一流のホラー製作会社になる、予定はないようで、次回公開されるケイト・ベッキンセールの「ホワイトアウト」は、またバカホラーの臭いが感じられてちょっと安心。
こんな人にオススメ:サイコホラー好きが久々に満足できそうな一遍です。
栗の渋皮煮
秋の夜長をのんびり過ごすにはもってこい。栗をお湯につけて一晩、灰汁を抜いて一晩、抜け切るまでにもう一晩、砂糖を入れてまた一晩、栗にしみ込むまで一晩、さらにダメ押しでもう一晩、と、気がつけば一週間は栗を煮ているという、非常にのんびりした料理であります。

灰汁抜きの最中の栗
鬼皮を剥くのが難儀ですが渋皮を剥くのはもっとめんどくさいので、栗ごはんよりも渋皮煮のほうが時間はかかるがまだしもラク。一週間かかると言ったところで、正味のところ一日30分程度煮てりゃあいいだけですから。

出来上がりはこんな感じ
栗の渋皮煮をおいしく作るコツは、とにかく「良い栗を選ぶ」ということです。自分のように良い栗を選ぶ目がなければ身も蓋も無く高い栗、丹波や利平といったブランド栗をケチらずに買いましょう。そのほうが後から絶対に報われます。
今年は冷夏の影響か不景気によるものか、大粒で立派な栗というのに余りお目にかかれず、9月の出端に買った栗が一番出来が良かったという。10月に入って「さあ煮るぞー!」と燃えても、鬼皮を剥いたら中身がブカブカして傷んでいたり、黒くゴジゴジした栗が結構あって、旬の栗が軒並みガッカリな感じです。こうなってくると、煮ていてもイマイチ楽しくなくて、浮かぶ灰汁まで忌まわしく思えてきてしまう。

まるで腐海のように忌まわしい
やっぱり実りの秋は暑い夏を経ないとやって来ないのだな、と風流(?)な感慨に耽る秋の一夜でありました。

おまけ:せめてドラクエ9のWifiショッピングぽくしてみる

灰汁抜きの最中の栗
鬼皮を剥くのが難儀ですが渋皮を剥くのはもっとめんどくさいので、栗ごはんよりも渋皮煮のほうが時間はかかるがまだしもラク。一週間かかると言ったところで、正味のところ一日30分程度煮てりゃあいいだけですから。

出来上がりはこんな感じ
栗の渋皮煮をおいしく作るコツは、とにかく「良い栗を選ぶ」ということです。自分のように良い栗を選ぶ目がなければ身も蓋も無く高い栗、丹波や利平といったブランド栗をケチらずに買いましょう。そのほうが後から絶対に報われます。
今年は冷夏の影響か不景気によるものか、大粒で立派な栗というのに余りお目にかかれず、9月の出端に買った栗が一番出来が良かったという。10月に入って「さあ煮るぞー!」と燃えても、鬼皮を剥いたら中身がブカブカして傷んでいたり、黒くゴジゴジした栗が結構あって、旬の栗が軒並みガッカリな感じです。こうなってくると、煮ていてもイマイチ楽しくなくて、浮かぶ灰汁まで忌まわしく思えてきてしまう。

まるで腐海のように忌まわしい
やっぱり実りの秋は暑い夏を経ないとやって来ないのだな、と風流(?)な感慨に耽る秋の一夜でありました。

おまけ:せめてドラクエ9のWifiショッピングぽくしてみる
悪夢のエレベーター
たまたまエレベーターに乗り合わせた人々が巻き起こす密室劇というイメージで観に行ってしまい、割を食ってしまった一遍です。この映画はむしろ密室劇が終わってから本編が始まるのだけれど、それに気付かずにエレベーター以後のシーンを「やたら長い解決編だなあ」と思いながら観てしまったので、カメラが内野聖陽の周りをクルクル回るシーンで「あ、この映画ってそういう映画だったの?」と気付いたという。
結局この映画はフーダニットのミステリということになるのだろう。けれども決して自分が気付かなかったのを僻んでるんじゃなく、監督はそれほどミステリであることを意識していなかったように思う。何となれば、映画の中で起こる殺人事件について、被害者は気がつくと泡吹いて死んでました、という見せ方をしているので、「ああ、事故で死んじゃったのね」程度にしか思わなかったのだ。犯人は誰だ?というミステリ的な面白さよりも死体をめぐるスラプスティック・コメディとして映画を観ていたので、最後のシーンで、「この映画に犯人がいたんだ!」と、むしろそっちの方に驚いた。
登場人物の中で一番目立っていたのは、何と言っても管理人役の大場こういちでした。コントすれすれの人の神経を逆撫でする怪演で、この人の存在自体が映画のミスリードになっている。この役がもっと普通の人だったら映画はもっとミステリ寄りになっただろう。妊娠中の本上まなみを捨てて芦名星に走る斎藤工は、イケメン過ぎるのはいいとして浮気男を演じるには若過ぎると思う。芦名星はいつかポカホンタスを演って欲しい。
「悪夢のエレベーター」を監督した堀部圭亮は勝俣州和とK2というグループ名でコンビを組んでいた、というほうが自分には馴染みがある。「東京残酷警察」に出演していたのを観た時は「このヒトまだ芸能人だったんだ」と思ったが、構成作家や役者など、結構活躍しているようであります。エレベーターでの密室劇では、狭い舞台にも関わらず観客にそれとは感じさせないような役者の動きを演出したりカメラを工夫したりと飽きさせない撮り方をしており(これはカメラマンの手柄なのかも)、今後に期待したい感じであります。
一つ腑に落ちないことは、冒頭の内田聖陽がプロ野球の2軍の試合を観て述懐するシーンはそのまま事件の始まりにつながるのか、映画のラストシーンの後のことなのか、どっちなのだろう。話の繋がりとしては事件の前なのだろうが、事件を起こす前は「これで人生を変える!」というほどの正念場だとは思っていなかったハズだ。さりとて事件の後だと、映画のラストからこのシーンに繋ぐには経過をスッ飛ばしすぎだと思う。早い話が冒頭のシーンは要らないんじゃないかと思うのですが。
こんな人にオススメ:毛色の変わったミステリ映画を好まれる方に
結局この映画はフーダニットのミステリということになるのだろう。けれども決して自分が気付かなかったのを僻んでるんじゃなく、監督はそれほどミステリであることを意識していなかったように思う。何となれば、映画の中で起こる殺人事件について、被害者は気がつくと泡吹いて死んでました、という見せ方をしているので、「ああ、事故で死んじゃったのね」程度にしか思わなかったのだ。犯人は誰だ?というミステリ的な面白さよりも死体をめぐるスラプスティック・コメディとして映画を観ていたので、最後のシーンで、「この映画に犯人がいたんだ!」と、むしろそっちの方に驚いた。
登場人物の中で一番目立っていたのは、何と言っても管理人役の大場こういちでした。コントすれすれの人の神経を逆撫でする怪演で、この人の存在自体が映画のミスリードになっている。この役がもっと普通の人だったら映画はもっとミステリ寄りになっただろう。妊娠中の本上まなみを捨てて芦名星に走る斎藤工は、イケメン過ぎるのはいいとして浮気男を演じるには若過ぎると思う。芦名星はいつかポカホンタスを演って欲しい。
「悪夢のエレベーター」を監督した堀部圭亮は勝俣州和とK2というグループ名でコンビを組んでいた、というほうが自分には馴染みがある。「東京残酷警察」に出演していたのを観た時は「このヒトまだ芸能人だったんだ」と思ったが、構成作家や役者など、結構活躍しているようであります。エレベーターでの密室劇では、狭い舞台にも関わらず観客にそれとは感じさせないような役者の動きを演出したりカメラを工夫したりと飽きさせない撮り方をしており(これはカメラマンの手柄なのかも)、今後に期待したい感じであります。
一つ腑に落ちないことは、冒頭の内田聖陽がプロ野球の2軍の試合を観て述懐するシーンはそのまま事件の始まりにつながるのか、映画のラストシーンの後のことなのか、どっちなのだろう。話の繋がりとしては事件の前なのだろうが、事件を起こす前は「これで人生を変える!」というほどの正念場だとは思っていなかったハズだ。さりとて事件の後だと、映画のラストからこのシーンに繋ぐには経過をスッ飛ばしすぎだと思う。早い話が冒頭のシーンは要らないんじゃないかと思うのですが。
こんな人にオススメ:毛色の変わったミステリ映画を好まれる方に
ドゥームズデイ
以前にも何度か書いたことがありますが、さんざん映画を観てきて気付いたのは「観客は理由があって映画をつまらないと感じる訳ではなく、つまらないと感じたからこそ理由をアレコレ探すのだ」ということです。感性の問題と言い換えてしまえば今更目新しい意見でもないのですが。そもそも誰が観ても何のケチもつけられない完成度の高い映画なんていうのは1年に1本もあれば上等、見方によっては「そんな映画は存在しない」とも言える、それくらい希少なものであります。減点法で映画を観ていたってちっとも楽しくない。こちとら楽しむつもりで金払ってるんだから、逆にそれなりに良い所を探しながら映画を観ていれば大抵の映画はそれなりに見所がある、と思ってます。もっとも、明らかに自分に合わない映画だったらそもそも観に行かないので、映画を観てハズレた気分というのは余りありません。
会社の同僚など、ワタクシが結構映画ばかり観ていることを見透かしている奴らは「それならばこの男はかなり映画に一家言があるメンドクサイ奴では?」と誤解する向きもあるのですが、自分としては上記のような理由で、映画を観れば観るほど、楽しめる映画のレンジも広がっていくというのが持論であります。
長々と書きましたが、そんな基本的に貧乏性の映画オタクが観た「ドゥームズデイ」ってつまらんかったわあ~(笑)。スコットランドで発生したゾンビ化する謎のウィルス!隔離された土地から保護された唯一の少女!パンク野郎共が支配する無秩序な世界!パンク世界と二分する中世の騎士道精神を持った狂人が支配する世界!政治家たちの民衆に対する欺瞞!など色んな要素がてんこ盛りではありますが、だからといって足し算的に面白くならないのが映画の奥深いところ。マッドマックスとロビンフッドの世界にエイリアン2のチームが乗り込んで行くようなゴッタ煮な感じは決して嫌いではないのですが。
ニール・マーシャル監督の前作「ディセント」は、映画としての荒削りさや矛盾の数々をブッ飛ばす「仲良し(?)女友達 vs 謎の地底人の大殺戮合戦」の凄まじいばかりの一点突破な映画で、これなんか映画を減点法で観てもちっとも楽しくないという好例だと思います。今回も同種のハチャメチャさを期待した自分も悪いのだが、制作側も過去の映画のパロディばかりに腐心しているように見える。
こんな人にオススメ:ゾンビ映画もマッドマックスも未見の人なら
会社の同僚など、ワタクシが結構映画ばかり観ていることを見透かしている奴らは「それならばこの男はかなり映画に一家言があるメンドクサイ奴では?」と誤解する向きもあるのですが、自分としては上記のような理由で、映画を観れば観るほど、楽しめる映画のレンジも広がっていくというのが持論であります。
長々と書きましたが、そんな基本的に貧乏性の映画オタクが観た「ドゥームズデイ」ってつまらんかったわあ~(笑)。スコットランドで発生したゾンビ化する謎のウィルス!隔離された土地から保護された唯一の少女!パンク野郎共が支配する無秩序な世界!パンク世界と二分する中世の騎士道精神を持った狂人が支配する世界!政治家たちの民衆に対する欺瞞!など色んな要素がてんこ盛りではありますが、だからといって足し算的に面白くならないのが映画の奥深いところ。マッドマックスとロビンフッドの世界にエイリアン2のチームが乗り込んで行くようなゴッタ煮な感じは決して嫌いではないのですが。
ニール・マーシャル監督の前作「ディセント」は、映画としての荒削りさや矛盾の数々をブッ飛ばす「仲良し(?)女友達 vs 謎の地底人の大殺戮合戦」の凄まじいばかりの一点突破な映画で、これなんか映画を減点法で観てもちっとも楽しくないという好例だと思います。今回も同種のハチャメチャさを期待した自分も悪いのだが、制作側も過去の映画のパロディばかりに腐心しているように見える。
こんな人にオススメ:ゾンビ映画もマッドマックスも未見の人なら
痴漢電車 百恵のお尻
滝田洋二郎監督のピンク時代に撮影した一遍であります。これ以外にも滝田監督の評価の高い成人映画は何本もあるようですが、映画館に掛かったのを幸いにまずはこの一本を押さえておこうかと。
ポルノ映画館は週がわりで3本ずつ上映する形態であるので、当然ならがほとんど旧作たまに新作というラインナップです。しかも中には20年くらい前のものまで登場します。そんな映画も古くさくてガッカリと思いきや、当時の風俗や、特に女性のメイクに顕著に現れる時代の雰囲気が逆に目新しく、女優の眉毛の太さでいつの頃の映画か察しがついたり、登場人物が牛乳パックみたいな巨大な子機で電話していたりすると「ああ、そんな時代もあったのね」と中島みゆき的な郷愁にかられることもしばしば。「痴漢電車 百恵のお尻」は1983年の公開なので、当時の自分は中学1年。ちょうど11PMをコッソリ見だした頃だよなあ、サタデーナイトショーとかあったよなあ、などと当時を振り返って非常になつかしく思ってしまう。この映画の主役である山口百恵のそっくりさんである山内百恵なんてふざけた存在も、当時はアイドルのそっくりさんがヌードで登場するという売り方があったのだ。新田利恵とかいたよなあ。いまだに新田恵利とどっちがホンモノだったか混乱しますが。
映画ではホンモノの山口百恵として登場する山内百恵が藤竜也と絡み(三浦友和のそっくりさんは調達できなかったと推測)、山口百恵の替え玉として二役を演じる山内百恵がビートたけしのそっくりさんと絡み、江川卓がボカシの入ったジャイアンツの衣装で登場し、と当時の時代のキーパーソン達(のそっくりさん)が大挙して登場します。おかしいのは山口百恵がプレイバックpart II までBGMに使われてさんざんオナペットにされているのに、特に何をするでもない江川のユニフォームと帽子のロゴにボカシが入っていることで、ホリプロがよっぽど鷹揚なのか読売がよほどセコいのか、見えるのはタレントや選手自身よりもロゴのほうが大切という企業のスタンスであります。
ストーリーも1時間でギッシリ凝縮された濃いサスペンスで、内容は山口百恵の復活特番が組まれた矢先、当の百恵ちゃんが腹痛でダウン。いまさら後には引けないプロデューサーは替え玉を用意するが、テレビ局に爆弾をしかけた脅迫犯は、爆弾のありかを教えるかわりに百恵ちゃんにテレビの前で男と絡むことを要求するのだった・・・と、今の常識で考えると、よくもこんな多方面に喧嘩売ってるような内容で映画が出来上がったよなあ、と感心することしきり。ホンモノ役の山口百恵が住んでいるアパートに、シレっと「三浦友和 百恵」と表札がかかっているのが人を食ってておかしい。このセンスはちょっと楳図かずお的であります。
後からわかる伏線もいくつか張ってあり、自分が特に感心したのは、脅迫電話が鳴った時に遠くの廊下から探偵が走って来て、その途中でこれまた急いで階段を降りてきた女性プロデューサーと合流して二人で電話のある部屋に向かう・・・というワンシーンにもしっかり謎にからむ意味があったことです。脅迫電話のトリック自体はそんなに高等だとは思いませんでしたが、興味の引っぱり方がとても達者でパワーがありました。
ひとつ不満を述べますと、百恵復活の番組を担当する女性プロデューサー、このヒトも当然濡れ場要員なのですが、1回目の濡れ場では彼女は横っちょを紐で結ぶスタイルのいわゆるヒモパンを着けていらっしゃり、そのような形態の下着が存在することは知っておりましたが、実際に着けた状態を目にするのは人生そろそろ40年で初めて。もちろん自分はパーっと色めき立ち、「わざわざヒモパンを履かせてるんだから、滝田監督は絶対にヒモをスルッとほどいて、ハラッとめくれて、パサっと落ちる演出を施すハズ!」と確信したのに、あろうことかスルッもハラッも省略して最後のパサしか映さないでやんの。なんのためのヒモパン!と、監督への期待が一気に不信感に裏返った瞬間でありました。しかも二度目に登場するこのプロデューサーの濡れ場でまたもや同じ下着を着けており、「わざわざ二度もヒモパンを出すからには今度こそ」とスルッハラッパサッを期待したもののこれまた肩すかし。この映画は映画自体が面白いだけあって濡れ場のいやらしさは(当時の倫理観もあるだろうが)それほどではなく、それはいいとしてもヒモパンの演出だけは手抜かりであるぞ滝田よ、と思いっきり上から目線で二十数年前の映画にダメだしをしてしまったのでありました。
こんなヒトにオススメ:映画館でなくてもダウンロードで視聴可能ですので、当時の世相を振り返る意味もこめてゼヒ
ポルノ映画館は週がわりで3本ずつ上映する形態であるので、当然ならがほとんど旧作たまに新作というラインナップです。しかも中には20年くらい前のものまで登場します。そんな映画も古くさくてガッカリと思いきや、当時の風俗や、特に女性のメイクに顕著に現れる時代の雰囲気が逆に目新しく、女優の眉毛の太さでいつの頃の映画か察しがついたり、登場人物が牛乳パックみたいな巨大な子機で電話していたりすると「ああ、そんな時代もあったのね」と中島みゆき的な郷愁にかられることもしばしば。「痴漢電車 百恵のお尻」は1983年の公開なので、当時の自分は中学1年。ちょうど11PMをコッソリ見だした頃だよなあ、サタデーナイトショーとかあったよなあ、などと当時を振り返って非常になつかしく思ってしまう。この映画の主役である山口百恵のそっくりさんである山内百恵なんてふざけた存在も、当時はアイドルのそっくりさんがヌードで登場するという売り方があったのだ。新田利恵とかいたよなあ。いまだに新田恵利とどっちがホンモノだったか混乱しますが。
映画ではホンモノの山口百恵として登場する山内百恵が藤竜也と絡み(三浦友和のそっくりさんは調達できなかったと推測)、山口百恵の替え玉として二役を演じる山内百恵がビートたけしのそっくりさんと絡み、江川卓がボカシの入ったジャイアンツの衣装で登場し、と当時の時代のキーパーソン達(のそっくりさん)が大挙して登場します。おかしいのは山口百恵がプレイバックpart II までBGMに使われてさんざんオナペットにされているのに、特に何をするでもない江川のユニフォームと帽子のロゴにボカシが入っていることで、ホリプロがよっぽど鷹揚なのか読売がよほどセコいのか、見えるのはタレントや選手自身よりもロゴのほうが大切という企業のスタンスであります。
ストーリーも1時間でギッシリ凝縮された濃いサスペンスで、内容は山口百恵の復活特番が組まれた矢先、当の百恵ちゃんが腹痛でダウン。いまさら後には引けないプロデューサーは替え玉を用意するが、テレビ局に爆弾をしかけた脅迫犯は、爆弾のありかを教えるかわりに百恵ちゃんにテレビの前で男と絡むことを要求するのだった・・・と、今の常識で考えると、よくもこんな多方面に喧嘩売ってるような内容で映画が出来上がったよなあ、と感心することしきり。ホンモノ役の山口百恵が住んでいるアパートに、シレっと「三浦友和 百恵」と表札がかかっているのが人を食ってておかしい。このセンスはちょっと楳図かずお的であります。
後からわかる伏線もいくつか張ってあり、自分が特に感心したのは、脅迫電話が鳴った時に遠くの廊下から探偵が走って来て、その途中でこれまた急いで階段を降りてきた女性プロデューサーと合流して二人で電話のある部屋に向かう・・・というワンシーンにもしっかり謎にからむ意味があったことです。脅迫電話のトリック自体はそんなに高等だとは思いませんでしたが、興味の引っぱり方がとても達者でパワーがありました。
ひとつ不満を述べますと、百恵復活の番組を担当する女性プロデューサー、このヒトも当然濡れ場要員なのですが、1回目の濡れ場では彼女は横っちょを紐で結ぶスタイルのいわゆるヒモパンを着けていらっしゃり、そのような形態の下着が存在することは知っておりましたが、実際に着けた状態を目にするのは人生そろそろ40年で初めて。もちろん自分はパーっと色めき立ち、「わざわざヒモパンを履かせてるんだから、滝田監督は絶対にヒモをスルッとほどいて、ハラッとめくれて、パサっと落ちる演出を施すハズ!」と確信したのに、あろうことかスルッもハラッも省略して最後のパサしか映さないでやんの。なんのためのヒモパン!と、監督への期待が一気に不信感に裏返った瞬間でありました。しかも二度目に登場するこのプロデューサーの濡れ場でまたもや同じ下着を着けており、「わざわざ二度もヒモパンを出すからには今度こそ」とスルッハラッパサッを期待したもののこれまた肩すかし。この映画は映画自体が面白いだけあって濡れ場のいやらしさは(当時の倫理観もあるだろうが)それほどではなく、それはいいとしてもヒモパンの演出だけは手抜かりであるぞ滝田よ、と思いっきり上から目線で二十数年前の映画にダメだしをしてしまったのでありました。
こんなヒトにオススメ:映画館でなくてもダウンロードで視聴可能ですので、当時の世相を振り返る意味もこめてゼヒ