今日も定時ダッシュ -111ページ目

REC/レック2

 前作で一応謎の解明はされていて、あえて続編につながる含みは持たせていなかったのだが、ホラーが当たれば続編が製作されるのが世の習い、1作目のパワーが持続せず失速する例も多い中、前作の語り足りない部分をうまく継ぎ足して、色々新しい要素ももりこみつつ、続編として非常に手堅くまとまっておりました。

 「REC2」で新鮮に感じたのが、出てくるゾンビが懐かしい・・・という少々キテレツな感想でした。1作目で人間だった人たちがゾンビになって再登場しており、「そういえばこんな人もいたよなー、よっ!元気?」てな感じ。もちろんゾンビなので息災な訳はないのだが、シミーズ姿の太ったゾンビなんて、オバチャンまだゾンビやってたの?と久々に会った親戚みたいな懐かしさ。

 P.O.V(ポイント・オブ・ビュー)の映画は「ブレアウィッチ・プロジェクト」も「クローバーフィールド」も事件後にカメラを回収したという設定で、それは「REC」もそうなのだが、今回こういう終わり方をしてしまうとカメラはどうやって回収したか?という、映画のお約束がウヤムヤになってしまったように思う。生き残った女がカメラを全部回収して脱出したのか?それともあの後でカメラマンは生き延びて外に出られたのか?映画の終わり方を考えると、どちらも辻褄が合わない。

 何たってラテン民族が作った映画だから「面白けりゃいいじゃない」でカメラの件を真面目に忘れてしまっている可能性もあるが、今作のカメラへの気の配り方を考えると、自分としては「それじゃあ誰がカメラを持ち帰ったのか?」で3作目を作ろうとしているのではないかと思う。誰が、と書いたが、映画の途中で都合よくフレームアウトする人物がおり、来るべき「REC3」は彼らが悪魔を退治してカメラと共に脱出する話になるのではないでしょうか。面白かったのが、映画が進むとカメラがパワーアップするという発想で、初めは頭に付けたCCDカメラ、次に民生用、そして後半はテレビ局の業務用暗視カメラと、それぞれうまく特徴を生かしてました。暗視カメラは1作目でも同じネタを使っていたが、神父の顔なんて暗視カメラのシーンのためだけにあんな怖い顔してるもんな。

こんな人にオススメ:乗り物酔いに強い人に。けっこう揺れます。

ホースメン

 デニス・クエイドはハリウッドのオッサン俳優の中で(多分)一番好きな役者です。2000年に公開された「オーロラの彼方へ」の父親ぶりが、当時の新婚&もうすぐ一児のパパだった自分の目にカッコよく映って、「ああ、こういう家庭的な父親になろう」と、休日出勤の帰宅途中に、妻を家において一人で映画を観ながら思ったものでありました。

 そして今回、「ホースメン」で仕事に忙殺されて家庭を顧みない父親を演じているデニス・クエイドを観ながら、「オーロラの彼方へ」から随分時た経ち、10年前の自分はやっぱり身も心も若かったんだろうなあ、今じゃあくたびれたダメオヤジのデニス・クエイドに共感しちゃうもんなあ、と、妻と子供を家において一人で映画を観ながら思ったのでありました。

 なんか自分だけ同じ時間を繰り返しているみたい・・・まるでSFのよう。

 ホースメンというのはヨハネ黙示録に登場する四人の騎士のことで、馬男なんて直訳をしてはいけない。死を運ぶ青白い馬という訳になっているのは蒼ざめた馬というのが筋ではないかと思う。四人の騎士になぞらえた処刑人が四人の生け贄を選んで・・・と、ここから先はネタバレになるので控えますが、1時間30分というコンパクトな上映時間なのにプロットはかなり込み入っており、黙示録という馴染みのない喩えと相まって、映画についていくのにかなり頭を使いました。

 一時期は自分の中で、ペネロペ・クルスと共に美女の二大巨星と仰いだチャン・ツィーですが、今回の映画でかなり遥か遠くに霞んでしまった感じ。「ホースメン」における役は彼女の個性が活かせるものではないし、国籍はともかく年齢も役のイメージよりトウがたちすぎている。なんだか無理矢理チャン・ツィーを当てはめている感がアリアリ。チャン・ツィーの魅力乏しく、ショッキングなシーンもそれほど恐ろしい見せ方をしていないので、「ホースメン」の売りになっている部分は肩すかしを食らってしまった。

 ただし、デニス・クエイド起用の理由だと思われる、猟奇殺人の動機の部分は、単にキワドいサイコパスを設定するというだけでなく現代の世相を切り取っており、そこらへんはまあなんちゅーか、「オマエがエラソーに言うな」と自分でも思った。思いましたともさ。思っただけだけどさ。

こんな人にオススメ:働き盛りの中年諸氏は戒めのつもりで。

渋皮栗のミルクレープ

 DSのレシピソフトの中から実際に作ってみるシリーズ。今回は「お菓子ナビDS」からキャラメルミルクレープをネタに、先日作った栗の渋皮煮のミルクレープを作りました。久しぶりのことで、DSのレシピソフトを引き合いに出す意味が見いだせておりません。

 クリームは、前日に作ったカスタードと生クリームを合わせて、そこにミキサーにかけて漉した栗を混ぜ込みます。
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 クレープ、栗の渋皮煮、クリームと重ねます。栗はクレープ3段おきに入れるくらいで。
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 断面はこんな感じです。なんかドギタナいけど味はいいんだよ味は。
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 色々飾らなくても栗のクリームだけでも十分引き合います。見場が悪いのは自分がセンス無し夫だからでミルクレープが悪いんじゃないわ。

ファイナル・デッドサーキット 3D

 製作費が安いホラー映画の中でも運命を殺人鬼に見立て、アイディアを凝らしてショッキングな殺戮シーンを作り出したこのシリーズ。3作目でさすがにマンネリ化した感がありましたが、昨今流行りの3D映画となって4作目が登場しました。オープニングは過去のシーンをワイヤーフレームで再現しており、1作目の「晩飯を作っていたら家が大爆発」とか、2作目の「昼飯を作っていたら非常用の梯子が目に突き刺さる」とかの、シリーズでも評判の良かったものがチョイスされている。自分はこの2つに加えて3作目の「日焼けサロンで肌を焼いていたらホントに丸焦げ」が好きだなー。

 この映画の肝は、初めは小さな兆しに過ぎなかったものがドミノ倒しのように膨らんで、いつしかものすごい災厄となって人間に襲いかかる、その清々しいまでのバカバカしさにあると思っている。だから映画の冒頭で、主人公がベンチに座るとベンチが軋んで割れかけるシーンに、これが一体どんな大惨事に繋がるのやらとゾクゾクした次第。逆に美容院での出来事のように、あんなにハラハラするアイテムに囲まれているのに全部ブラフだったというオチは、そういう変化球も必要だとは思うのだが、興ざめな展開でありました。

 「ボルト」では良さが分からなかった3Dについて、この映画は初めからそれ用に作られたため、3Dならではの見せ場がふんだんに用意されています。中でも自動車修理工場のフェンスなんて、現実的にあんな分厚い鉄鋼である意味が全くなく、それだけにオチが読めてしまって出てきた途端に笑ってしまった。エグいシーンも、杭やら肉塊やらが手前にビヨ~ンと飛び出てくる演出でタップリ見せてます。それに加えて今回は内蔵がドバーっと出てくるシーンも多い。

 デジタル3D自体がまだ物珍しい時期なので、まあこういうのもアリだとは思うけれど、立体的な演出が面白かったのはそれくらいで、あとは冒頭のサーキーットの観客席が3D的ではあるのだが、列ごとにレイヤーで分けたような、人間の姿を書き割りにして並べただけの見た目で、こういう奥行きの演出は大して有りがたい感じはなかった。結局は3Dをどう使うかという点でまだまだ試行錯誤の段階なのだろう。もうすぐ3D映画の大本命である「アバター」が公開されますが、これは一体どんな見せ方をしてくれるのか、大いに期待しています。

こんな人にオススメ:これまでのシリーズを観た人なら特別料金を払ってでも。

私の中のあなた

 白血病を患った娘のため、代替の臓器を得る目的で設けたもう一人の娘が臓器提供を拒否して親を訴えた!とまあ、これだけ聞くと山岸凉子の漫画のような姉妹や母娘のドロドロした愛憎劇が展開されるのだろうか、と身震い(=期待)してしまう。そもそも娘の臓器用にもう一人産もうという発想がアメリカ人的合理主義というかSFチックというのか、いずれそういう時代が来るのだろうが、自分としては「そんな時代に生まれなくて良かった」というのが正直な気持ちであります。出産でなくてもクローンで代替のボディを用意することも将来的には可能と言われていたりしますが、そういう時代に生きる人間は一体いつ死ねばいいのだろう。

 自分の予想に反して「私の中のあなた」は、臓器用の子供を産むことの是非を問うようなものではなく、きっかけこそ現代的ですが、もっと普遍的な家族の有り様を掘り下げて描写していく映画でした。観る前はてっきりサイコだと想像していたキャメロン・ディアス演じる母親は、実際には元々努力家だった女性が、娘の不治の病を前に娘の死を否定して全力で娘を介護することで何とか自分を保てているという感じで、人間としての弱さがこういう形で現れることも確かにあると思える人物でした。家族のそれぞれの心を丁寧に掬い上げる中で、やはりこの母親と病気の娘との関係が映画の中心となっていて、母親が心の荷物をようやく降ろせるシーンがとても印象深かった。

 原作を読んでいないので分からなかったのが、この家の息子が夜中に町中を徘徊していることで、それも男娼と並んで立っていたり、巨乳を露にした(おそらく)娼婦を眺めていたりと、ちょっとこの映画のカラーに似合わない行動だと思っていた。どうもこの男の子は弁護士費用を工面するために街角で体を売っていたということらしい。死期の迫る姉のために、弁護士に払うお金を作るために一番稼げる手段を取ったと考えれば理解もできるのだが、映画を素直に観ると弁護士を雇った後も体を売っているので、姉の看病にかかりきる両親に顧みられなかった為にこのような形で自傷に走ったということかもしれない。彼が描いた姉の絵を破いて空に捨てた時に、おそらく初めて人を裏切る決意をし、約束を破って姉の計画を暴露したのだろう。

 映画の中で人物のショットの向こうで背景がキラキラ光るシーンがあって、それは夜の街を歩く少年の背後で流れるヘッドライトの円い光だったり、小児病棟のダンスパーティから抜け出す時にくぐった玉スダレ(←ではないと思うが)の光の反射だったりなのだが、自分の感覚ではこういう演出は70年代的に古くさく思えてしまう。この映画自体、臓器移植のテーマ以外はあまり時代に拠っていないので、これはこれでアリだとは思いますが、実は時代が一回りしてアレが今風だったりするのでしょうか?

こんな人にオススメ:秋の定番(ホラー、恋愛モノ)には興味が薄い向きに