イングロリアス・バスターズ
ブラッド・ピットがナチス党員を成敗するアメリカ兵として登場するのが話題のこの映画、実際に観てみますとブラピは刺身のツマのような役回り。ブラッド・ピット率いるバスターズ対ドイツ兵の強烈なドンパチ映画という予想はアッサリ外れました。
それよりもこの映画は、ユダヤ人狩りで家族を殺された少女が、運命の巡り合わせで手に入れたチャンスを利用してナチスに復讐する、という、「キル・ビル」とはまた違った復讐譚でした。
このユダヤ人の少女を演じるメラニー・ロランがこの上なくカッコいい。アルプスの山を背景に血まみれになって逃げる姿や、映画館の2階から憎っくきナチの高官を見下ろす姿、そして最後のスクリーンで野太く笑う顔のどアップなど、彼女の出番の全てが途轍もなくイカしている。そして、彼女の存在と対をなすナチ党員のクリストフ・ヴァルツも観客の頭に存在をこびりつかせる名演で、一見物腰が柔らかそうだが抜け目がなく残忍な役にピッタリとハマっておりました。この二人がガチンコで対決する展開だとひょっとして「キル・ビル」になったかもしれないけれど、その他の味のあるキャラクターも割り込んできて事態は思わぬ方向へ・・・という感じであります。
自分は「デス・プルーフ」のカーチェイスや「キル・ビル」の青葉屋の死闘のような、物語のタガを外して際限なく観客を煽る演出が大好きだったので、「イングロリアス・バスターズ」が割とキッチリと物語をフォローしていたのに物足りなさも感じつつ、今回のようなタイプの映画のほうがタランティーノの本領だとも思う。
ただ何となく・・・、ハッキリと説明できないのだが、タランティーノの映画は氏と同じ映画体験をした人でないと本当に楽しめないのではないだろうか。なので往年のフィルム・ノアールもマカロニ・ウェスタンも戦争映画もロクにみていない自分にとっては、入り口だけ見て満足しているようなものではないかという気がする。レストランでケーキに乗ったクリームでタバコを消すシーンやレニ・リーフェンシュタールの名前がチラリとかすめる(この大虐殺映画において、彼女は注意深く除外されている)ところなど、タランティーノの映画愛が随所にのぞいていそうな感じなのだけれど・・・。
こんな人にオススメ:これまでのタランティーノ映画大好きな人ならば文句なく楽しめるハズ。逆に人を選びそうな雰囲気はありますが・・・
それよりもこの映画は、ユダヤ人狩りで家族を殺された少女が、運命の巡り合わせで手に入れたチャンスを利用してナチスに復讐する、という、「キル・ビル」とはまた違った復讐譚でした。
このユダヤ人の少女を演じるメラニー・ロランがこの上なくカッコいい。アルプスの山を背景に血まみれになって逃げる姿や、映画館の2階から憎っくきナチの高官を見下ろす姿、そして最後のスクリーンで野太く笑う顔のどアップなど、彼女の出番の全てが途轍もなくイカしている。そして、彼女の存在と対をなすナチ党員のクリストフ・ヴァルツも観客の頭に存在をこびりつかせる名演で、一見物腰が柔らかそうだが抜け目がなく残忍な役にピッタリとハマっておりました。この二人がガチンコで対決する展開だとひょっとして「キル・ビル」になったかもしれないけれど、その他の味のあるキャラクターも割り込んできて事態は思わぬ方向へ・・・という感じであります。
自分は「デス・プルーフ」のカーチェイスや「キル・ビル」の青葉屋の死闘のような、物語のタガを外して際限なく観客を煽る演出が大好きだったので、「イングロリアス・バスターズ」が割とキッチリと物語をフォローしていたのに物足りなさも感じつつ、今回のようなタイプの映画のほうがタランティーノの本領だとも思う。
ただ何となく・・・、ハッキリと説明できないのだが、タランティーノの映画は氏と同じ映画体験をした人でないと本当に楽しめないのではないだろうか。なので往年のフィルム・ノアールもマカロニ・ウェスタンも戦争映画もロクにみていない自分にとっては、入り口だけ見て満足しているようなものではないかという気がする。レストランでケーキに乗ったクリームでタバコを消すシーンやレニ・リーフェンシュタールの名前がチラリとかすめる(この大虐殺映画において、彼女は注意深く除外されている)ところなど、タランティーノの映画愛が随所にのぞいていそうな感じなのだけれど・・・。
こんな人にオススメ:これまでのタランティーノ映画大好きな人ならば文句なく楽しめるハズ。逆に人を選びそうな雰囲気はありますが・・・
クリスマス・キャロル
この映画を監督したロバート・ゼメキスは、かつては傑作を連発した人で、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」3部作が公開された時に自分が十代だったのは、自分の人生でも非常に幸運な出来事だったとマジで思っております。個人的にこの人はスピルバーグ以上の80年代以降のハリウッドカルチャーの伝道師だったのですが、しかし傑作を連発した神通力も「コンタクト」以降はパタリと途絶えてしまい。
そんなゼメキスが「ポーラーエクスプレス」を製作したのは、枯れてきた才能を、勃興しだしたCGアニメーションという新鮮さでカバーし、クリスマス映画という集客力のあるジャンルで商売的に下支えするという姑息な手段に出たように見えた。技術的には大したもんなのだろうが、CGでリアルな人間を作るにはまだ技術的に難があり、不気味の谷と言われるCGの限界にスッポリと嵌っているように見えた。「ベオウルフ」でもそれは同じで、リアルな人間のCGについてはまだ日本勢のほうが上手だわい、と余裕こいていた(何故いばる?)のですが。
しかし「クリスマス・キャロル」にて、ついにゼメキスがジャックポットを引き当てやがった(何故悔しがる?)。リアルな人間が不気味に見えるなら初めっから登場人物を不気味に描写すりゃいいじゃん、という発想の転換をもってスクルージの顔のシワをこれでもかとリアルに(かつ不気味に)描き、これまでマイナスだと思っていた不気味な人物造型やアニメらしくない地味な色彩など、目に映る全てがとても魅力的に見えた。
とりわけ目を奪われたのが3Dによる効果的な演出で、オープニングのワンショットで街の様子を描写するシーンが圧巻。「クリスマス・キャロル」の3Dの使い方は、奥行きの表現に特に力を発揮しており、天井の高い大きな聖堂の内部を広角的に俯瞰でとらえる場面の迫力や、現在のクリスマスの精霊のパートで、床が徐々に透けていってその下に別の家の様子が現れる場面など、まるで自分がそこに宙づりになっているような臨場感だった。「こんな画を見たのは生まれて初めてだ」という気持ち。ゼメキスが狙っていたのはリアルな人物のCG映画なんてチンケなものではなく、リアルなCGと3Dがもたらすこの迫力だったのだ。ぬかった!(だから何故?)。
今回の教訓は、3D映画といっても使い方に優劣があって、「ファイナル・デッドサーキット」で3Dを理解したつもりになってちゃアカンということでした。とりあえず弱点としてはメガネが青いせいで赤い色が出にくいことと、あとメガネの上に3Dメガネを掛けるのはどうしても違和感がある。メガネをスッポリと収めるゴーグルタイプのやつが出てこないかな。
ただ、ここまで不気味人間のCGと3Dとクリスマス効果が上手く合わさったネタが他にあるとは思えず、ゼメキスの次回3D映画が今回ほど手放しで素晴らしいもにになる保証はない。だから日本のCG映画がやっぱり負けたってワケじゃないんだからねっ
こんな人にオススメ:ぜひ3Dバージョンを映画館で。結構怖い描写が多いので、小さい子供には向かないかも。
そんなゼメキスが「ポーラーエクスプレス」を製作したのは、枯れてきた才能を、勃興しだしたCGアニメーションという新鮮さでカバーし、クリスマス映画という集客力のあるジャンルで商売的に下支えするという姑息な手段に出たように見えた。技術的には大したもんなのだろうが、CGでリアルな人間を作るにはまだ技術的に難があり、不気味の谷と言われるCGの限界にスッポリと嵌っているように見えた。「ベオウルフ」でもそれは同じで、リアルな人間のCGについてはまだ日本勢のほうが上手だわい、と余裕こいていた(何故いばる?)のですが。
しかし「クリスマス・キャロル」にて、ついにゼメキスがジャックポットを引き当てやがった(何故悔しがる?)。リアルな人間が不気味に見えるなら初めっから登場人物を不気味に描写すりゃいいじゃん、という発想の転換をもってスクルージの顔のシワをこれでもかとリアルに(かつ不気味に)描き、これまでマイナスだと思っていた不気味な人物造型やアニメらしくない地味な色彩など、目に映る全てがとても魅力的に見えた。
とりわけ目を奪われたのが3Dによる効果的な演出で、オープニングのワンショットで街の様子を描写するシーンが圧巻。「クリスマス・キャロル」の3Dの使い方は、奥行きの表現に特に力を発揮しており、天井の高い大きな聖堂の内部を広角的に俯瞰でとらえる場面の迫力や、現在のクリスマスの精霊のパートで、床が徐々に透けていってその下に別の家の様子が現れる場面など、まるで自分がそこに宙づりになっているような臨場感だった。「こんな画を見たのは生まれて初めてだ」という気持ち。ゼメキスが狙っていたのはリアルな人物のCG映画なんてチンケなものではなく、リアルなCGと3Dがもたらすこの迫力だったのだ。ぬかった!(だから何故?)。
今回の教訓は、3D映画といっても使い方に優劣があって、「ファイナル・デッドサーキット」で3Dを理解したつもりになってちゃアカンということでした。とりあえず弱点としてはメガネが青いせいで赤い色が出にくいことと、あとメガネの上に3Dメガネを掛けるのはどうしても違和感がある。メガネをスッポリと収めるゴーグルタイプのやつが出てこないかな。
ただ、ここまで不気味人間のCGと3Dとクリスマス効果が上手く合わさったネタが他にあるとは思えず、ゼメキスの次回3D映画が今回ほど手放しで素晴らしいもにになる保証はない。だから日本のCG映画がやっぱり負けたってワケじゃないんだからねっ
こんな人にオススメ:ぜひ3Dバージョンを映画館で。結構怖い描写が多いので、小さい子供には向かないかも。
ゼロの焦点
松本清張の作品は中学生の頃に「砂の器」か「点と線」かを読んで挫折した経験があり、それ以来何となく難しい小説というイメージがありました。しかし今回映画化に合わせて読んだ「ゼロの焦点」は非常に読みやすく、中学で挫折したのは、ありゃ単に自分がバカだったのだと今更気がつくの巻。
しかし、松本清張を、今あえて読むとなると、時代性という別のハードルが存在することも感じました。戦後の混乱した日本を生きていく中で否応無しに負った心の傷がもとで後の悲劇を生んでしまうという物語は、その時代を生きていた読者ならば実感できる感情も、知らなければ「多分当時の女性もこうだったんだろうな」と想像するしかない。犬童一心監督は1960年生まれなので、監督自身も当時の時代の演出は想像力を働かせるしかなかったのではないかと思う。
ドラマ化された映画やテレビを観た限り、松本清張はトリックやアリバイ崩しよりも「なぜ犯人は人を殺してしまったのか」を主眼としたホワイダニットの作風であり、純粋なミステリとして捉えると物語の後半でヒロインが事件の詳細をモノローグで明かす箇所など、ミステリとして安易に流れているのではあるまいかとも思ってしまう。なので映画化にあたって、ミステリとしてよりも、日本初の女性による市長選の立候補というできごとを背景に置いて、戦後を生き抜いた女達の物語であることを際立たせているのは、映画化にあたって正しい方向なのだと思う。
物語の骨子としては、中谷美紀と木村多江の秘めた過去を持つ女たちの物語が中心であり、ヒロインの広末涼子は物語を進めるための狂言廻し的な役割だった。達者な中谷美紀や薄幸そうな木村多江は「多分当時の女性もこんな感じだったんだろうな」という説得力を感じたが、広末涼子の現代的な容姿と引き出しの少ない演技は違和感を感じた。広末涼子は好きなんだけど、どうも他とは馴染めてない感じだよな~と思いながら観ていたら、最後の最後で、アンタ犯人にそういうコト言いますか!?と、まるで苦労知らずの若者が、肝を舐める思いで生きてきた人間に向かって「でもソレって結局アンタが悪いんだよね」と言っているも同然に見えたのだが。
社会通念上の建前では殺人はどのような場合でも悪であるが、しかしそんな杓子定規で割り切れない人の思いこそ松本清張文学の共通のテーマだと思うのに、ヒロインは犯人の過去を追いつめて犯人の人生の轍に共感することなく「アタシのダンナを殺したのはアンタなのね、キーーッ!」という展開じゃあ、松本清張を引っ張ってくる意味は無いんじゃないだろうか。犬童監督は、戦後の状況を現代に伝えようとドラマを組み立てた反面、戦後のドラマに馴染めない広末涼子をヒロインにキャスティングしたのは、 結局松本清張の話って現代じゃあ通用しないよね、と言ってるんじゃないの?結局ヒロインには犯人の負った傷が見えなかったんでしょう?
中谷美紀と木村多江のパートはとても良くて、自分の過去が未来を縛っていく不幸がひしひしと感じられただけに、ヒロインの「アナタがアタシの夢を壊したのね」のセリフにはビックリ仰天。夢て。見合いして日の浅い浮気男との結婚生活が夢て。夢を叶えることが絶対的な善と言わんばかりの言葉の使い方が、まあ現代的ではありますわな。実は原作はまだ最後まで読んでいないのだけれど、このセリフは絶対原作にはないと思う。
悪口メインの感想になってしまいましたが、ラストシーンあたりでソファに置かれたハンドバックのシーンを挟んだり、被害者の一人を崖に追いつめて殺そうとしても、思わず助けようと手が伸びてしまう演出など、非常に細やかな描写も多くて映画は面白かったのだ。松本清張の原作を上手く膨らませた所は良かっただけに、敢えてヒロインを物語に割り込ませたラストが凄まじく蛇足に映ってしまいました。蛇足といえば2回目のオンリー・ユーの意味も分からない。
こんな人にオススメ:予告編で興味を持った方なら。ラストはDVDにあるBバージョンと思えば、映画はとても面白かったです。
しかし、松本清張を、今あえて読むとなると、時代性という別のハードルが存在することも感じました。戦後の混乱した日本を生きていく中で否応無しに負った心の傷がもとで後の悲劇を生んでしまうという物語は、その時代を生きていた読者ならば実感できる感情も、知らなければ「多分当時の女性もこうだったんだろうな」と想像するしかない。犬童一心監督は1960年生まれなので、監督自身も当時の時代の演出は想像力を働かせるしかなかったのではないかと思う。
ドラマ化された映画やテレビを観た限り、松本清張はトリックやアリバイ崩しよりも「なぜ犯人は人を殺してしまったのか」を主眼としたホワイダニットの作風であり、純粋なミステリとして捉えると物語の後半でヒロインが事件の詳細をモノローグで明かす箇所など、ミステリとして安易に流れているのではあるまいかとも思ってしまう。なので映画化にあたって、ミステリとしてよりも、日本初の女性による市長選の立候補というできごとを背景に置いて、戦後を生き抜いた女達の物語であることを際立たせているのは、映画化にあたって正しい方向なのだと思う。
物語の骨子としては、中谷美紀と木村多江の秘めた過去を持つ女たちの物語が中心であり、ヒロインの広末涼子は物語を進めるための狂言廻し的な役割だった。達者な中谷美紀や薄幸そうな木村多江は「多分当時の女性もこんな感じだったんだろうな」という説得力を感じたが、広末涼子の現代的な容姿と引き出しの少ない演技は違和感を感じた。広末涼子は好きなんだけど、どうも他とは馴染めてない感じだよな~と思いながら観ていたら、最後の最後で、アンタ犯人にそういうコト言いますか!?と、まるで苦労知らずの若者が、肝を舐める思いで生きてきた人間に向かって「でもソレって結局アンタが悪いんだよね」と言っているも同然に見えたのだが。
社会通念上の建前では殺人はどのような場合でも悪であるが、しかしそんな杓子定規で割り切れない人の思いこそ松本清張文学の共通のテーマだと思うのに、ヒロインは犯人の過去を追いつめて犯人の人生の轍に共感することなく「アタシのダンナを殺したのはアンタなのね、キーーッ!」という展開じゃあ、松本清張を引っ張ってくる意味は無いんじゃないだろうか。犬童監督は、戦後の状況を現代に伝えようとドラマを組み立てた反面、戦後のドラマに馴染めない広末涼子をヒロインにキャスティングしたのは、 結局松本清張の話って現代じゃあ通用しないよね、と言ってるんじゃないの?結局ヒロインには犯人の負った傷が見えなかったんでしょう?
中谷美紀と木村多江のパートはとても良くて、自分の過去が未来を縛っていく不幸がひしひしと感じられただけに、ヒロインの「アナタがアタシの夢を壊したのね」のセリフにはビックリ仰天。夢て。見合いして日の浅い浮気男との結婚生活が夢て。夢を叶えることが絶対的な善と言わんばかりの言葉の使い方が、まあ現代的ではありますわな。実は原作はまだ最後まで読んでいないのだけれど、このセリフは絶対原作にはないと思う。
悪口メインの感想になってしまいましたが、ラストシーンあたりでソファに置かれたハンドバックのシーンを挟んだり、被害者の一人を崖に追いつめて殺そうとしても、思わず助けようと手が伸びてしまう演出など、非常に細やかな描写も多くて映画は面白かったのだ。松本清張の原作を上手く膨らませた所は良かっただけに、敢えてヒロインを物語に割り込ませたラストが凄まじく蛇足に映ってしまいました。蛇足といえば2回目のオンリー・ユーの意味も分からない。
こんな人にオススメ:予告編で興味を持った方なら。ラストはDVDにあるBバージョンと思えば、映画はとても面白かったです。
スペル
サム・ライミというと一般的には「スパイダーマン」の監督で巨匠のイメージが一般的だろうと思う。なので、「死霊のはらわた」から始まるバカホラー監督の側面は今ではあまり知られていないように思う。自分だってサム・ライミの映画を劇場で観たのは1999年の「シンプル・プラン」以降だから偉そうに語れる資格はないのだが、「スペル」の悪趣味が極まってかえってグッド・テイストな雰囲気は、サム・ライミはやっぱりこういうモノが好きだったんだ、とオタク心にとても嬉しい。
とにかくこれほど楽しい映画を観るのはホントに久々で、ホラーとギャグの匙加減が絶妙。いくつかのシーンでは確かに「8時だヨ!全員集合」の盆まわしのBGMが聞こえてきた。「スパイダーマン3」はナンでしたが、この映画でリハビリして、「スパイダーマン4」につなげてくれればと思います。
以下はラストのネタバレに触れてしまうので、未見の方はまず映画館で「スペル」を観て、心置きなく楽しんでくださいまし。
勘のいい人なら、車の中で封筒を探す時点でオチに気付いたのではないかと思う。私はザル頭なので全く気付かず、ラストシーンで物凄くビックリしたクチであります。しかしこれは気付いてしまうとラストの楽しさ7割減なので、ボンクラ頭で良かったと思う。ええ、もちろん負け惜しみではございません。主人公はホワイトトラッシュから一生懸命這い上がろうとする年若い女の子なので、彼女にかけられた呪いは最後には解かれるんじゃないか、幸せになれるんじゃなかと期待してしまい、ラストの衝撃的なれどあっけないオチに「そんなご無体な」と思う事しばし。これは、いくらもっともな理由があっても、自分の良心より会社の利益を優先するような人間は地獄に落ちるゾというサム・ライミのメッセージかもしれない。
こんな人にオススメ:極端に恐がりじゃなければだれでも楽しめる映画だと思います。
とにかくこれほど楽しい映画を観るのはホントに久々で、ホラーとギャグの匙加減が絶妙。いくつかのシーンでは確かに「8時だヨ!全員集合」の盆まわしのBGMが聞こえてきた。「スパイダーマン3」はナンでしたが、この映画でリハビリして、「スパイダーマン4」につなげてくれればと思います。
以下はラストのネタバレに触れてしまうので、未見の方はまず映画館で「スペル」を観て、心置きなく楽しんでくださいまし。
勘のいい人なら、車の中で封筒を探す時点でオチに気付いたのではないかと思う。私はザル頭なので全く気付かず、ラストシーンで物凄くビックリしたクチであります。しかしこれは気付いてしまうとラストの楽しさ7割減なので、ボンクラ頭で良かったと思う。ええ、もちろん負け惜しみではございません。主人公はホワイトトラッシュから一生懸命這い上がろうとする年若い女の子なので、彼女にかけられた呪いは最後には解かれるんじゃないか、幸せになれるんじゃなかと期待してしまい、ラストの衝撃的なれどあっけないオチに「そんなご無体な」と思う事しばし。これは、いくらもっともな理由があっても、自分の良心より会社の利益を優先するような人間は地獄に落ちるゾというサム・ライミのメッセージかもしれない。
こんな人にオススメ:極端に恐がりじゃなければだれでも楽しめる映画だと思います。
わたし出すわ
「わたし出すわ」のタイトルはてっきり回文だと思っていたのだが、落ち着いて読むと全然回文じゃなかった。なんだか裏切られた気分。しかしタイトルが滲ませている人を食ったような軽いユーモアは、そのまま映画のノリにつながっていて、お金がテーマの割にはこの拝金主義のまかりとおる時代にそぐわないノンビリとした映画でした。これはきっと、自分の中で「あぶく銭=悪」という偏見があって、分不相応な金を手にして破滅するようなフィクションを見て安心したかったんだろうな。
「わたし出すわ」は金で破滅してしまう場面もあるにはあるのですが、森田監督は「要はお金は使い方次第」という割と穏当な主張しか映画に盛り込んでおらず、そのために複数のサンプル(主人公の友人たち)を用意して、お金がおよぼす様々な人生の変化をオムニバス的に見せています。現代が舞台の話だけれどイソップ童話のような感じで、お金で幸せになる人も不幸になる人も、我が身になぞらえて考えるというより、社会的な教訓を示すに留まっている感じでした。
小雪が演じる友人に金をばらまく女は、さしずめメフィストフェレスか楽園のヘビといったところ。彼女のワケの分からなさを心配したのか、森田監督は中村トオルに金の出所を語らせるのだが、このおとぎ話めいた映画の中にそんな説明くさいシーンは不要だと思う。大事なのは金の出所ではなく、分不相応な大金を手にした後の変わり様なのだから、いっそ埋蔵金を掘り当てたという理由だって違和感がない。映画の終わり方もとってつけたような感じで、たとえばサム・ライミの「シンプルプラン」のようにいくらでもドラマチックにできるネタなのに、監督は意図的に映画から感情的な盛り上がりを排除しているように思える。
ストーリーを追うだけなら正直他愛も無い話なのだけれど、森田監督の独特の見せ方で飽きずに最後まで楽しめました。森田芳光といえばいまだに引き合いに出される「家族ゲーム」で4人がテーブルに一列に並んでご飯を食べるシーンが有名ですが、「わたし出すわ」ではあの平面的な演出をもっとさり気ない形で行っている。量販店で二人並んで話をしながらこちらに歩いて来たり、レストランで食事する二人を左右対称に配置したり、喫茶店で並んでお茶を飲む姿を真横から捉えたりと、人物が横並びで芝居をするシーンが非常に多い。そうだと思ったら、市電の向こうに消費者金融の大看板を付けたビルが建っているシーンや病気の母親を車椅子に乗せて散歩するシーンなど極端な縦の構図が出てきたりで、構図や背景も含めた映像自体が魅力的でした。
こんな人にオススメ:金に苦労したコトない人が上から目線で・・・って、なんかスゲー嫌な映画っぽい。
「わたし出すわ」は金で破滅してしまう場面もあるにはあるのですが、森田監督は「要はお金は使い方次第」という割と穏当な主張しか映画に盛り込んでおらず、そのために複数のサンプル(主人公の友人たち)を用意して、お金がおよぼす様々な人生の変化をオムニバス的に見せています。現代が舞台の話だけれどイソップ童話のような感じで、お金で幸せになる人も不幸になる人も、我が身になぞらえて考えるというより、社会的な教訓を示すに留まっている感じでした。
小雪が演じる友人に金をばらまく女は、さしずめメフィストフェレスか楽園のヘビといったところ。彼女のワケの分からなさを心配したのか、森田監督は中村トオルに金の出所を語らせるのだが、このおとぎ話めいた映画の中にそんな説明くさいシーンは不要だと思う。大事なのは金の出所ではなく、分不相応な大金を手にした後の変わり様なのだから、いっそ埋蔵金を掘り当てたという理由だって違和感がない。映画の終わり方もとってつけたような感じで、たとえばサム・ライミの「シンプルプラン」のようにいくらでもドラマチックにできるネタなのに、監督は意図的に映画から感情的な盛り上がりを排除しているように思える。
ストーリーを追うだけなら正直他愛も無い話なのだけれど、森田監督の独特の見せ方で飽きずに最後まで楽しめました。森田芳光といえばいまだに引き合いに出される「家族ゲーム」で4人がテーブルに一列に並んでご飯を食べるシーンが有名ですが、「わたし出すわ」ではあの平面的な演出をもっとさり気ない形で行っている。量販店で二人並んで話をしながらこちらに歩いて来たり、レストランで食事する二人を左右対称に配置したり、喫茶店で並んでお茶を飲む姿を真横から捉えたりと、人物が横並びで芝居をするシーンが非常に多い。そうだと思ったら、市電の向こうに消費者金融の大看板を付けたビルが建っているシーンや病気の母親を車椅子に乗せて散歩するシーンなど極端な縦の構図が出てきたりで、構図や背景も含めた映像自体が魅力的でした。
こんな人にオススメ:金に苦労したコトない人が上から目線で・・・って、なんかスゲー嫌な映画っぽい。