TODAY'S
 
ギャルゲーと身体拘束

 

 

こんにちは!生チョコぽん酢です。

これは今日対応した患者さんなのですが、発熱があり肺炎と気管支炎疑いでの搬送でした。

2名でストレッチャー搬送となったわけですが、現場でご家族と簡単なコミュニケーションを取っていると、どうやら介護タクシーの利用は初めてのようです。

私「え?そしたら急にこの状態になったのですか?

家族「数日前に病院から退院してきて一気に具合が悪くなってしまいました。それまでは本人のペースで日常生活を送れていたのですが

みたいな面白い会話をすることになります。

経験則になりますが、高齢者が病院に入院すると

歩行レベルの人は車椅子での退院となり、

車椅子レベルの人はリクライニングでの退院となり、

リクライニングレベルの人はストレッチャーでの退院

となります。

場合によっては飛び級もあって、歩行レベルの人がストレッチャーで退院することもしばしば。

その理由の1つが、前に以下の記事でも触れましたが、病院では身体拘束を行うからです。

 

もう1つの理由は入院中に処方される薬なのですが、今回は触れません。


身体拘束の多くがミトンによる手の抑制と、マグネットキーの抑制ベルトを使った上半身の抑制。

当然、人間の体なんて使わないと数日で駄目になり始めるどころか、全身身体拘束をしばらく続けたらIさんのように人は死んでしまいます。

だから身体拘束は違法です。

では、なぜそのような危険行為がまかり通るのかと言うと、身体拘束は違法ではあるものの、

治療の妨げになり本人の命に係わる場合は例外とされる為、医療の現場では今でも身体拘束が黙認されているわけですね。


ここだけ聞くと何となく不正のニオイがするかもしれませんが、実際に自己抜去って本当に多くて、

代表的なのは鼻腔栄養のNGチューブとオシッコの管(フォーリー)です。

NGチューブはただ鼻の穴に入っているだけに見えて、胃の中まで管を届かせているので、抜いてしまうと医者による再手術になり案外オオゴトになります。

フォーリーは尿道にカテーテルを入れるだけなので、仮に抜去しても看護師さん1人で再挿入できるのですが(「だけなので」なんて偉そうに言ってますが私にはできませんw)、

抜き方や頻度が重なると、尿道に炎症が出て再挿入が出来なくなることもあります。

これは精神病院に本当に多くて、月に数回は精神病院の看護師さんから

フォーリー入らなくなってしまって出血もとまらないから

という搬送依頼が来るほどです。

で、この2つはまだ命に関わらないのですが、例えばバスカテやCVなどの太い血管と繋がっている管を抜去してしまえば致命的なわけで、

リスクのある方の抑制は致し方ない面があるのは確かです。

 


一方で病院側は病院側で、安全マージンを取りたいからなのか、病院は身体拘束が許されている等と拡大解釈しているのかは分かりませんが、

どう見ても身体拘束が必要ない人にも問答無用でしてしまう傾向が見て取れます。

(あと、対応がめんどくさいからという理由で)

ですから、当人たちもどこか後ろ暗さがあるのでしょうね。

 

例えば病室に行きトランスする時にミトンを付けていらっしゃる場合があるのですが、それは病院のものだから外さなければいけません。

ここで問題となるのが、搬送時に着けた方がいいのか着けない方がいいのか、という点です。

 

 

皆さんならどう聞きますか?

 


ちなみに、私は過去に以下のような聞き方をしたことがあります。

 

私「なぜミトンを着けていたのですか?


または


私「ミトン必要な方ですか?


もちろん他意はありません。

しかし看護師さんは急に早口で攻撃的になり、ペラペラ既往歴なんかを話し始めるわけですが、私が聞きたい情報はこの時点で得られなくなりました。

所謂ギャルゲーで選択ミスをしたようなものです。

 

完全に♡ゲージが割れてしまい、バッドエンドコース。

 

ギャルゲーの場合は頭を撫でてあげれば全て解決するのですが、現実ではそのような選択肢もありません。

 

結構難しいのです。

 

 

ですから、次は核心に触れず、このように聞いてみます。

私「病院で結構抜去しちゃってますか?

 

看護師「どうだったかな、あ、多分してますね、2回してる?うん

私「そうですかぁ、こちら側でもミトンがあった方がいいですかね?

 

看護師「うん!あるんだったらぜったいしたほうがいいですよ!


みたいな会話に広げられます。

 

正解はこれです。

 

ギャルゲーだったらこれでもう水族館デートコースなのですが、現実は世知辛いもので苦労には見合いません。

 

 

次にこのような展開を描いた方はいますか?

 

ミトンを着けているのなら、無言でこっちのミトンに着け替える。

 

確かに、ギャルゲーにおいて八方美人に振る舞うとエンディングまで誰とも仲よくなれませんから、時に尖った対応が必要になりますが、

 

現実でそれをすると線引きのない危険な人間だという印象を与えかねません。

 

あくまで病院だから許されるわけで、部外者が病院の指示なく勝手に身体拘束するのはご法度なのです。

 

ですのでこの場合は、自分で着けるのではなく、さりげなく看護師さんの目につくあたりにスッとミトンを置き、看護師さんに着けさせるという方法が望ましいです。

 

このような既成事実を作ることで、仮に何かあった場合にも「いえこれは向うの病院の看護師さんが付けました」と言って全員の安全が確保されます。

 
 
このように、私の仕事は基本的にギャルゲーなわけですが、ちなみに選択をミスしてしまい看護師さんの♡ゲージが割れてしまった場合はどうするかというと、


看護師さんはもう私の事を「何コイツ早く死ねばいいのに」くらいにしか思っていないので会話が出来なくなりますが、

私としては車内で大量出血から刑務所コースというバッドエンドは避けたいわけで、この場合は安全策として

抜去しないように手を握ってあげてください」などとそれっぽく言って家族に協力を仰ぐ形をとります。

 


しかしですね、実際に万単位の患者さんを運んできて思うのが、先ほども少し言いましたが「絶対拘束必要ないじゃんw」みたいな人があまりに多いのです。

ルート類は一切なく、車椅子レベルの方でも、恐らく車椅子からの転落防止の為でしょうが、体をグルグル巻に縛り付けていたり、ベッドでは抑制ベルト。

服をめくると内出血だらけの体で「退院おめでとうございます」です。

もちろん誰一人悪意はないのですが、人間社会って、丁度良い塩梅っていうのが極端に難しくて、どうしてもどちらかに偏り過ぎてしまうんですよね。

程々に、みたいなのが出来ないのですよ。

"場合によってはOK"みたいな曖昧な決まりを作っても、"なら何でもOKね"となるし、

徹底的に絶対に駄目(0)なのか、徹底的に絶対OK(100)なのか、みたいな、0か100かの二元が好まれるわけです。

これは医療だけに限りません。

本当にこう、ありとあらゆる場面で目にする光景で、何でもかんでも二元論になりますでしょ。

あいつは敵か、見方か、みたいな。

学生時代のイジメっ子もみんなそのような思考でした。

ギャルゲーも正解か不正解で物語が進行します。

 

ゲームだってバッドエンドがハッピーエンドかです。

 

人それぞれ価値観も違えば感じ方も違うので、ケースバイケース、良い塩梅、程々、のような中途半端な概念は難しいのは百も承知ですが、

 

こうした事を我々庶民レベルで出来るようにならないと、多様化した社会では対立構造が増えるので争いが鰻登りだし、国家レベルでは戦争という致命的な対立構造を無くすことが出来なくなります。

敵か味方か等の二元論ではなく、もっと本質的な部分を見れるように、我々一人ひとりは努力しなければいけないのだろうなと。

私が出来ているというわけではないのですが、人間全体としてはそう思う、みたいな話でした。

 


おわり

 

 

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